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2024年4月17日水曜日

読売新聞の紅麹関連誤報について

読売新聞記者が談話捏造 紅麹関連記事巡り(読売新聞)

 上の時事の記事によると、読売新聞の記者が取材相手が言ってもない談話を勝手に捏造して記事に載せたそうです。この件について読売新聞のホームページを確認しましたがそこでは一切言及しておらず、お知らせのページを見ても一切触れられていませんでした。
 皮肉を言えば「読売新聞とNTTが生成AIのあり方に関する共同提言を発表」なんかよりずっと伝えるべき内容だし、またニュースな内容だとも思います。

 読売新聞側はこの件について担当者を処分すると話しているそうですが、処分も何も一発解雇しないのがむしろ不思議な案件です。過去に同じことをやって短い定食で済ませた中日新聞は別として、初店を捏造するのは記者として最もやってはいけない行為です。
 取材相手が発言した内容を分かりやすくするため入れた補足や注釈がややオーバーだったり、本来の趣旨からミスリードさせるものになってしまったとかならまだわかりますが、言ってもないことを一から作った場合、もうその人は二度と記者をやってはなりません。実際、共同通信とかならこの手の行為をした当事者は一発解雇、その上長も虚偽行為を見つけることが現実的に不可能だったとしても、降格などの処分を必ず受けており、この点での意識の高さではいつも共同通信には頭が下がります。

 今後読売がどういう処分をするかについて気になりますが、自分は記者という職業については常に「真実の奴隷たれ」という観念を持つようにしています。事実こそがすべてにおいて優先され、これを侵す行為はどのようなものであれ許されないという風に見ており、それをなくした場合は早く記者をやめる以外ないとも考えています。残念ながら、今回やらかした読売の記者、それを見逃した取材者はそろってその意識がなかったと言わざるを得ません。
 っていうか言ってもないこと言って批判したんだから、小林製薬には謝りに行くべきだよな。

 かなり昔にこのブログにも書いた覚えがありますが、学生時代に元テレビ局社員だった人が報道や番組制作において、演出などがどこまで許されるのかというラインについて「非常に簡単」だと述べ、それは何かというと「子供に対してその行為を説明できるか」だと言っていました。ほんとこれは至極その通りで、上記の今回やらかした記者は少なくとも自分の子供たちには「こんな感じで言ってもないことを書いてやった」くらいは言うべきでしょう。

2024年4月16日火曜日

野口健氏の万死発言への抗議に関して


 未だ盛り上がりの冷めない水原一平氏の所業について登山家の野口健氏が「万死に値する」と述べたところ、「ギャンブル依存症問題を考える会」の代表とやらが抗議したとのことです。結論から述べると、筋違いもいいところな抗議であり言葉狩りに属す抗議であるとして、この代表の方については強い不信感を覚えてなりません。
 今回の代表の抗議内容はというと、ギャンブル依存症の人間に対し再起を否定するような発言だとのことです。ギャンブル依存症は回復できるものだとして、野口氏の発言は不当だとのことですが、何を馬鹿げた事を言ってんだという気になります。

 というのも、今回野口氏は水原氏がギャンブル依存症だからこそ「万死に値する」といったわけではなく、詐欺行為を働いて大谷氏を裏切った点について批判しています。こう言っては何ですが、代表の言葉はギャンブル依存症であれば犯罪行為を起こすのは仕方がない、免責しろと言っている様にすら聞こえます。健常者であれギャンブル依存症者であれ、犯罪行為をした人間は周囲から批判されて当然です。

 次に、「万死に値する」という言葉は野口氏も言っている通りにあくまで比喩表現に過ぎません。実際に死ねとか二度と世の中に出てくるなと言っているわけではなく、ただその行為に対する責任が計り知れないほど重いと言っているだけです。「死」という文字が入っているだけでこのような抗議をするなんて過剰反応もいいところであり、だったら「必死」とか「決死」という言葉を使ったらどうなるんだと、これらも使っちゃいけないってのかよと言いたくなり、表現の幅を無意味に狭めるだけの言葉狩りであるようにしか私には見えません。

 そもそも、個人に対する搾取としては確実に歴代上位ランカーに入るであろう今回の水原氏の行為はヤクザの世界なら消されるに十分値するレベルです。それどころか数々の隠蔽工作や発覚直後の虚言の数々は、大谷選手の栄光あるキャリアを閉ざす可能性もあったほど危険なものであり、部外者である私ですら見ていて怒りたくなる悪行でした。
 そうした点を踏まえると、これが「万死に値」しなければ何が値するんだと言いたくなるような状況であり、これにケチをつけること自体が犯罪を助長するような言い方に思え、むしろ不適当であると思えます。

 その上でもし水原氏に対面するならば、「どうせこの先生き永らえたって搾取した大谷選手の金を数%も償えるはずもないのだから、悪いと思ってるのならとっととくたばれこのドブネズミ野郎!」くらいは私も言いたいです。何度も言いますが、それだけのことを彼はやってのけたと思います。
 にしてもこのセリフ、なんかベジータが言ってそうなセリフだなぁ。

 ただマジな話、いや先に書いた内容も十分マジですが、水原氏にはもう二度と日本の地を踏んでもらいたくもないし、大谷選手にも近づいてほしくないです。あれだけ家族のように信頼してくれていた人物に対し、銀行口座の開設時点からいろいろ工作していたなんて本当に大谷選手のことを金づるとしか思っておらず裏切っていたなんて、なるべく苦しみぬいて早く死んでもらいたいものです。

2024年4月12日金曜日

想像を超えた水島一平氏の詐欺行為

 昨日は記事に書きませんでしたが元相撲取りの曙の逝去はまた胸に応えました。自分が相撲をまじめに見るようになったのは朝青龍の時代からですが、それでも曙は子供の頃に「曙みたくデカい」などと大きさのたとえに使われるほど浸透していた存在であり、自分の平成時代を彩る人物でありました。
 鳥山明といい、今年は気温変動が激しいからなのか何故か著名人がよく逝去される年だと思います。

 話は本題ですが今日になってようやく、大谷翔平選手の元通訳こと水島一平氏の闇賭博とその詐欺事件の全貌が明らかとなりました。明らかとなったのは捜査がほぼ完了し、訴追などについて捜査当局が水島氏と合意したのか捜査情報を明らかにしたのだと思いますが、当初は7億円と言われた搾取金額が実は24億円にも上ったことをはじめ、大谷選手の騙して口座情報や連絡先なども弄っていたなど、極悪人と呼ぶにふさわしい所業の数々に今日のスポーツニュースは大賑わいでした。
 ぶっちゃけこの一連の報道で、スポーツ新聞各紙はどれだけPVあげたのかが気になります。自分も内容わかっていながら別の記事をついつい見比べちゃったし。

 それにして彼についてはほとほと呆れるというか、悪事がばれた後も見栄からか真実とは異なる虚言を吐いて大谷選手も関与したかのように吹聴したというのは強い嫌悪感を催します。現時点では大谷選手は潔白だと捜査当局も太鼓判を押してくれたので安心ですが、もし何かの間違いで大谷選手も当局に疑われた場合、試合出場にも影響したであろうことを考えると本当に最低なことをしでかしたと思えます。
 ネットにも書かれていましたが、彼が大谷選手のために細々と世話を焼いていたのは自分の悪事発覚を恐れるためであったように思え、そうだとすると本当に水島氏は大谷選手のことを金づるとしか思っていなかったのかもしれません。

 今回の騒動で水島氏を取り上げていた一部の教科書が修正を余儀なくされたといいますが、むしろここまで来たら「どれだけ順調な人生を歩んでいてもギャンブルにのめりこんだら一瞬ですべてを失う」例として、道徳の教科書にでも載せた方がいいような気すらしてきます。

 ただ今回、不幸中の幸いというかまだこの時点で発覚しただけよかったのかもしれません。元々、違法賭博の捜査過程で大谷選手の口座が出てきたことから発覚につながりましたが、もし未だに発覚していなければ水谷氏は今日も大谷選手の金を搾取して賭博を行い、その被害額を拡大させていたことでしょう。もちろん現時点の被害額も相当なものですが、これくらいで済んでまだよかったと思うほかないでしょもう。

 にしてもこいつのせいで世の中の一平さんはどれだけ偏見を受けることとなったのか。何気にカップ焼きそばの「夜店の一平ちゃん」も若干ギャンブルな感じに見えてしまうようになったし。

2024年4月10日水曜日

山崎製パンの10年で4人の死者報道を見て

「山崎製パン」約10年で4人の死者が… 大手スポンサーにメディアは忖度、取材に笑いながら「調査いつ終わるかも分かっていません」(デイリー新潮)

 上の記事見出しを見て私は初見で、「10年で4人って……すごいな」という感想を持ちました。で以って記事の中身を見たら、「えっ、4人でひどい工場って書かれるの?10年で二桁行かないのに?」という感想を続けて持ちました。

 決して工場勤務を長くしているというわけじゃないですが、工場で人が死ぬ労災事故なんて決して珍しくないと自分は考えています。自分がいた工場でも大体年一ペースで死亡事故が発生しており、この時の経験から年間1人ペースだったらまぁ普通かという感覚を持っています。
 また大手鉄鋼メーカーにいた知人なんかは鉄工所だと「大体月一くらい死亡事故発生してるよ」と言っており、私もそんなもんだという風に思ってました。

 なので上のヤマザキパンのニュースを見ても、あれだけの規模の工場で年平均1人ペースを切るなんて、よっぽど安全対策のしっかりした工場だと思い、てっきり上の記事も「大きな工場はこれだけ安全対策をしているんだぞ!」的に書かれているもんだと本気で思って開きました。そしたら逆に4人も死んでて冷血な会社だとののしっており、コメント欄でも「これだからヤマザキパンは……」などと否定的なコメントばかりで、「これじゃまるで俺がおかしい奴みたいじゃんか(;´・ω・)」という風に思えてきました。

 実際に自分の感覚がおかしいのかもしれませんが、工場の製造現場というのはそれだけ危険が多く、また死亡事故レベルの労災も決して珍しくはないものだと思っています。ほかの製造現場で働く人に聞いてもままあるという話を聞きますし、「人が死ぬことのない安全な生産」なんてものは夢物語な建前であり、生産現場における死は決して遠くのものではなく身近なものとみています。

 そのうえで言うと、ヤマザキパンをかばうつもりはありませんがこうした製造現場の死よりも日本人はもっと自殺に対して意識向けた方がいいのではないかという気がします。あっちは毎年数万人死にますし、未遂者の数は実際の死亡数の数倍に上るとも聞きます。製造現場での死を嘆いたり、企業を責めるのも確かに必要なことかもしれませんが、人の命を守ったり大事にしたりというのであればもっと自殺に目を向け、その抑止に動く方が絶対数的にも、救える数的にも大きい気がします。
 っていうかヤフコメの反応がこれほどまでヤマザキパンにネガティブだったのが非常に意外でした。今度労災死の実数とか調べてみようかな。

2024年3月19日火曜日

中間層は世論を代表するのか?

 昨日の記事で私は8年前の米国大統領選で日米のメディアはそろってトランプ当選の可能性を否定し、大外れしたことに触れました。この大外れの背景に関しては色々分析できますが、一つの理由として中間層の意見ばかりに目をやり、トランプの支持層である所得で見た下位層や、それまであまり影響力がないとみられていた思想集団の声を見落としていたという原因は十分考えられます。
 特に日系メディアに関しては、日本国内の報道においても、彼が考える中間層の意見ばかり取り上げるというか、それ以外の層の声は拾わないし取材しない傾向が強いように感じます。しかし、中間層が世論を代表するのかと言ったら私はそうは思わず、あんまり指摘されないけど地味に日系メディアのすごく弱いところであるようにも考えています。

 一見すると中間層というのはボリュームゾーンに見えますが、時代や経済によってその対象範囲は変わってくるものであり、やはり近年においては20年くらい前と比べた場合その比率は小さくなっている気がします。では具体的に日系メディアが捉える中間層とはどのような存在かというと、自分の見方で述べると以下のような条件を満たす層だと思います。

・大卒家庭
・家長が上場企業に相当する企業や団体に勤務
・首都圏及び大阪都市圏在住

 極端な話、上記条件を満たさない場合、マジでその存在をメディアから認知されていない可能性すらあると思います。つまり地方在住者や、中卒者や高卒者の声はそもそも「ないもの」と扱われている節があり、実際そうだと私は思います。
 現実的には上記条件は中間層というよりは上の下層が当てはまるのですが、どうも日系メディアはこの層のみの意見を世論として報じることが多く、結果的に上位層と下位層、特に地方の高卒者の声に耳を傾けていないように見えます。

 そのうえで、メディアが想定する中間層は必ずしも世論を代表しないと私は考えています。仮に中間層と下位層が同じ意見や見解を持っている場合は、確かに日本の多数派意見を形成するとして世論であると捉えてもいいように思いますが、中間層と下位層の意見が異なる場合、中間層の意見は逆に日本の世論とは言えないというか、下手すりゃ少数派意見である可能性すらあると思います。

 もちろん下位層、中間層、上位層それぞれの意見を集約して報じるというのは難しく、報道が一定の層の意見にやや偏るというのも仕方ないというか理解はできます。しかし本来ならメディアごとに主たる対象とする層が分かれているのならともかく、日本のメディアはテレビも新聞もラジオもみんな彼らの想定する中間層しか相手にしないし取材もしないため、報道される市民の声の幅はすごく狭いように感じます。上位層を相手にする高級紙も、もはや存在しないし。

 そういう意味ではもっと下位層や上位層に攻めたメディアとかできてほしいものですが、そもそも広告販売に頼った新聞の経営モデルがもはや破綻している今、その手のメディアの棲み分けはもはや起こり得ないかもしれません。右翼系メディアや左翼系メディアならまだ分かれるでしょうが、所得や生活レベル基準のゾーニングは今後しばらくは生まれず、このまま現状のなんちゃって中間層の意見のみが耳目に触れる状況が続くと予想しています。
 まだ地方メディアならその点、下位層や地方在住者の声も拾えるでしょうが、全国規模で届けられるかとなるとこれまた難しいでしょう。そう考えると、なんか日本の世論ってよくわからないものになりつつあるような気もします。何をもって世論と言えるのか。

2024年3月8日金曜日

鳥山明の逝去と平成の終わり

 記事リンクを引用するまでもなく、本日「ドラゴンボール」の作者である鳥山明が亡くなっていたことが報じられました。彼の功績は言うに及びませんが、結末の見えない連載中にあのドラゴンボールをリアルタイムで視聴できた自分は本当に幸福だと思えるだけに、今回の逝去はどうしても早すぎると思えてしまいます。さすがに水木しげるの時ほどのショックは覚えませんでしたが、それでも近年の著名人の逝去報道の中でも特に強い衝撃を感じた報道でした。

 恐らく漫画界への影響度で言えば、鳥山明はオリジネーターともいうべき手塚治虫に匹敵する立場ではないかと思います。ほかに伍す人となれば藤子不二雄くらいですが、鳥山明の場合は欧米でも非常に高い人気を得ているだけに、世界全体への影響力で見た場合は間違いなく歴代トップになってくるでしょう。それだけに中国でも今回の逝去は大きく報じられ、その死を惜しむ声は絶えず、まさか政府広報官の毛寧まで言及するとは思いませんでした。

 漫画ばかりではなく、ゲーム業界への影響度も言うに及びません。ドラクエのキャラデザでおなじみですが、明らかにドラクエの前後でゲームキャラクターの造形は変化しています。それまでの魔物とくればおどろおどろしいのしかなかったのに対し、ドラクエ以降はかわいらしさやユーモアを持ったキャラクターが生まれ、後進への影響度なら鳥山明と、ストリートファイターの安田朗からなる「ダブルアキラ」が最も強いように見えます。

 このほかには鳥山明については他の方も書いているようなことしか書けないので特に言及しませんが、今回の逝去で一番感じたこととして、自分の中で初めて平成が終わった気がしました。

 平成は上皇もまだご存命とあり、元号が令和となった現在においても何となく地続きというか時代の区切り感を覚えてきませんでした。一応、令和となってすぐにコロナが流行しましたが、これは「令和の始まり」であって平成の終わりを感じるイベントではありませんでした。
 それが今回の鳥山明の逝去で、あの平成期、特に自分が小学生時代において最も熱狂したコンテンツはドラクエ、ドラゴンボール、ガンダムの3つであり、このうち二つを担っていた鳥山明が亡くなったことで、平成という時代はもう帰ってこないということを強く意識させられ、あの時代が終わったとなんか踏ん切りがついた気がします。時代の終わりを象徴する上でも、やはりドラゴンボールは偉大だったと感じさせられます。

2024年3月7日木曜日

中学生による美人局事件報道について

東日本大震災の危機に駆けつけた巨大ポンプ車「大キリン」は中国企業の無償提供…処理水海洋放出に当時の担当者は「お互いに大切な国家」(福島中央テレビ)

 上の記事はかつて自分もJBpressで記事にしたことのある、福島原発事故において巨大ポンプ車を無償で提供された三一重工のエピソードを報じたものです。当時の記事にも書いていますがこのエピソードは日本人なら誰もが覚えておくべきだし、あの緊急事態にこれだけの機材を無償で提供してくれたことに対して感謝を絶やしてはならないと思えるだけに、こうして折に触れ当時を振り返る記事が出てくるのは本当に大事だと思います。
 ただヤフコメで「こんなことがあったなんて知らなかった」というコメントを見るたびに、「その感動は前に俺が書いた記事を読んで覚えてほしかった(´;ω;`)ウッ…」などという邪な気持ちを覚えざるを得ません。


 それで話は本題ですが、結論から言うと上のニュースに関しては正直驚いたというか非常に呆れた気持ちを覚えました。
 ニュース内容は上のまとめ記事にもありますが、なんでも中学生三人組が大学生に美人局を行い、動転したのかその大学生はその場から逃げる際にビルから転落して亡くなったことで警察が動き、この三人がそのまま検挙されたとのことです。逮捕されたうちの一人は美人局を組織的に行っていたことや、大学生が飛び降りに至った経緯について話しているとされ、事件状況と、嘘をつくにしても美人局って単語はまず出てこないだろうということから、この供述が事件内容と一致するのではないかとみています。

 何に驚いたかって言うまでもないですが中学生が美人局という、やや複雑な詐欺行為を行っていたという事実です。先日の小学生の90万円搾取という最近の小中学生は進んでるななどと皮肉めいたことを覚えるどころか、一体何故こういう犯罪行動をこんな小さなうちから行えるんだという点が理解できません。
 自分が中学生だった頃なんて、プレイステーションの「逆襲のシャア」を買ってきて、同じシステムの前作「Ζガンダム」に比べて面白くなくてなんやねんとか言ってたのに……。っていうかあのゲーム、1年戦争の機体と第2次アクシズ戦争の機体を一緒に並べるってのは無理があるだろう。

 話を戻すと、犯罪の低年齢化とか少年犯罪の増加などというトピックについてはこの事件ではあまり感じない、というか大人ですらカッとなって人殺したりするのだから子供でも傷害致死とか十分起こりうるだろうし、窃盗に関しても欲望に抗えないのは大人も子供も一緒と思っているので、近年になって子供が急に悪くなったとかは思いません。
 ただ今回の事件で言うと、比較的複雑な犯罪手口を常習的に行っている中学生がいたという点で、色々感じるところはあります。それこそヤクザの黒幕がいて彼らが中学生にやらせていたとかならまだ救いは感じますが、もしも今回の中学生らが自ら主導していたとしたらいったいどこからそんな知識を得たのか、またそこまでして金が欲しいのかなどといった点を本気で聞いてみたいです。

 前述の通り、子供がカッとなって他人を傷つけたりするのは日常茶飯事だと思いますが、他人をだます行為をこの年齢で呵責なく行えるという点には、すごい違和感というか不気味さを感じます。この点に関してもサイコパスがどうとかこうとか語るつもりはないものの、この年齢にしてこれほどの行為に対し抵抗感を覚えず、何人も騙すというのにはいったいどういう思考だという疑念を感じます。

 率直に言って、こんな子供が大人になったらどうなるのかという点で不安を感じます。極論を言えば今のうちに殺した方がいいのではないかという考えもなくはなく、そう思う大人もいるのだということをこの事件の犯人らはしっかり自覚した上で、まともな大人になってくれという気持ちを持っています。

2024年3月6日水曜日

また毎日がクソ記事出した

 例の小学生の90万円搾取事件の報道を見ていて、これに出てくる名古屋港水族館のメダルが欲しくなってきました。価値上がりそうだし。

東証4万円超え 「好景気の実感ない」「投資に興味」「一切しない」(毎日新聞)

 最近あまり目につくこともめっきり減っていましたが、久々に書いた人間、通した人間の正気を疑う毎日のクソ記事を見つけたのでここに紹介します。記事内容を一読した上でこの後をお読みください。

 この記事の何がクソなのかというと、市井の景況感を問う記事でありながら、インタビュー対象がどれも景気を実感する立場にないということです。具体的には、

・23歳チラシ配りの人
・20歳女子学生
・20歳男子学生
・77歳投資詐欺被害女性

 敢えて緩めに見れば一番上の23歳の方はぎりぎり入れてもいいかなとは思いますが、ほかのどの人物もフルタイムで就業しているわけではなく、景気はどうかと聞かれてもわかるわけがない立場です。むしろ何故現役世代である30代や40代に話を聞かなかったのか、また学生に対してはせめてアルバイト代などに変化があったのかどうか位は聞かなかったのかと、一見して疑問に感じる記事内容でした。
 敢えて穿った見方で言えば、実際は30代や40代にも話を聞いたり、アルバイト代に関しても聞いていたのではないかと思う節があります。ただその際の回答が「実感できない」というバイアスに応えたものではなかったので、敢えて載せなかったのではないかと疑っています。

 どちらにしろこの内容で記事を通して出稿する辺り、毎日にはまともな編集者がいないってことだけはよくわかります。景況感ではなく株価上昇に絡めた投資話にするにしても、実際に投資をやっている人や証券関連の人物に話を聞かなければ全く意味をなさないでしょう。記事書いた人間も書いた人間ですが、掲載を決めた編集の人間は一体何をしているのか。自分がこの記事を出されたら、「てめぇふざけてんのか?」は必ず言うし、物投げる可能性もあるでしょう。それくらいふざけ切った記事にしか私には見えません。

 ちなみにこの手の景気がいいのに「実際はそんなに景気良くない!」的に無駄な主張する記事でよく多いのは、「倒産件数が増えている」というトピックです。ただこれ知ってる人には早いですが、企業の倒産件数は世界的にも実は好景気の時期の方が不景気の時より多いということが多くのデータから傾向として得られています。
 よく考えれば当たり前ですが、好景気の中であろうと陳腐化した技術やビジネスは淘汰されていくし、また好景気に乗っかろうと起業する人も増えるため、好景気シーズンの方が倒産は基本多くなります。少なくとも、好景気に入る直前よりは確実に積み増されるでしょう。

 まぁ今回の毎日の記事は、こんなクソみたいな内容でしか不景気感を煽れないあたり、日本は相当好景気なんだなっていうことはまだわかります。もっとも好景気といってもさっきも触れたように業界によっては斜陽となっているところもあるので、万人が好景気の恩恵にあずかれるというわけではなく、どの業界が波に乗ってて、どの業界が波に飲まれているのかをきちんと分析した記事ほど経済記事としては価値を持つでしょう。

2024年2月15日木曜日

精神病はもはや社会問題では?

 昨日の記事に引き続いて精神病関連の話題ですが、昨日書いた通り初診もなかなか受けられないほど今の日本は精神病患者があふれているそうです。私自身も確実に増えていると前々から実感しており、特にコロナ前の2019年ごろが顕著でしたが、朝方の駅中を歩いていると明らかに支店の定まっていない人間が大量に歩いており、言い方悪いですがゾンビが当たり前のようにうろついているように感じ、潜在的に鬱病となっている人は想像以上に日本は多いのではないかとそれ以来考えています。
 もっともそれ以上におかしいのは、明らかに患者数などが増えており、また鬱病予備軍的な人が街中に大量にいるにもかかわらず、メディアを中心に日本社会はその点について目を向けない、認知していないという点です。今回改めて現場の人間に確認を取ったうえで言えば、やはり精神病の患者は増えており、なおかつその潜在実数は計り知れない規模に達している恐れがあるだけに、もはや社会問題としてはっきり認識した方がいいのではないかと考えています。

 仮に潜在的精神病発症率を3%と仮定した場合、100万人の労働者の中には3万人の潜在的精神病発症者がいるということになります。これだけでも結構馬鹿にならない数で、3万人もいたら関ヶ原の合戦ですらひっくりかえせるような人数なだけにその社会的損失は無視できません。逆を言えば、この精神病問題を解決することができれば3万人の労働者をフルパワーで活用することができるだけに、労働力不足が叫ばれる世の中なだけに、大量の資金をかけてでも精神病対策を施す価値があるように思えます。

 具体的な精神病予防というか対策に関しては、昨日の記事にも書いたように単純に日光浴がノーコスト且つ手軽、なおかつ外出機会を増やして消費拡大を促す効果もあると思うので、「幸せなら外歩こ♪」みたいな感じで外出、日光浴を普段から推奨するのがいいように思えます。ぶっちゃけ日光浴をプッシュしても誰も困る人いないんだし。
 なお最近よく「幸せならケツ叩こう♪」という妙な替え歌を上海で口ずさんでいます。

 上記の日光浴のほか精神科医など専門従事者が推奨する案があればどんどんとプッシュしつつ、診療体制、特に相談しやすい体制を作って日本社会全体でもっとこの問題に目を向けるべきでしょう。たばこやアルコールの身体的健康管理も重要でしょうが、この手の精神的健康管理も国家として労働力を確保する上で、今後ますます重要になってくると思います。

 そのうえで敢えて一つクエスチョンを入れると、そもそも何故日本で精神病患者の数が増えているのか、根本的原因を追う上でこの問いは避けられないし、この点をはっきりさせることで予防対策もしっかりしてくることになります。
 単純にかつてはほとんど認知されてこなかった精神病が社会に認知され、潜在的患者が治療を受けるようになって統計上、患者数が増加したという点は間違いないでしょう。ただこの手の顕現化効果を考慮しても、近年の日本の増加ペースを見る限りもっと別の要因があると思います。

 敢えて素人としての意見を述べると、最近ドラマでも話題になっていますが、かつてはパワハラセクハラにならなかった行為が現代ではその手の行為だと指摘されるなど、社会全体でタブーというか規制、条件が増加していて、前ほどその手の社会的制限を気にせずにはいられなくなったことも大きいように思います。交通事故一つとっても自分が子供だった頃は飲酒運転なんて、「捕まったら運が悪かっただけ」みたいな感覚で周りの大人でも当たり前のようにしていました。
 なおあだ名がビンラディンだったうちの親父は昔から酒が飲めず、宴会の後の運転手役は決まって親父だったそうです。

 話を戻すとそうした社会的制限がかつてと比べて増えたことに加えもう一つ、単純にストレスに対して現代人が弱くなっているようにも思います。これは根性がなくなかったとかそういうのではなく、学校教育、社会教育などで上記の飲酒運転をはじめとする公衆ルールを破ることの責任の重さを強く教える一方、直面するストレスに対して緩和、回避する方法を一切教えないというのが地味に効いているのではないかという気がします。
 こうした視点を持つのも自分が中国にいることが大きく、さすがに問題を放置するのはあれですが、「解決できない問題なんていつまでも悩んでるだけ損じゃん(´・ω・)」という感じで、どうしようもない問題を中国人はよく視点から外します。逆に日本人は、自分じゃどうしようもない問題をいつまでも記憶し、視点に入れ続け、自らストレスの種をずっと維持し続けているように思え、この点で言えば中国人みたく早く忘れた方がずっとプラスだと思います。

 また一つの問題を重大に取りすぎることも単純にストレスを高めているように思え、年齢を気にするなど、どうでもいいことをストレスにし続けて自滅している人も中には見ます。この手の抱える必要のないストレスを緩和、回避する方法を日本の教育では一切教えず、むしろそれどころか「もっと相手の気持ちになってみろ」などとばかりに必要以上にストレスを感じさせやすくしており、こうしたものが日本で精神病患者を増やしているのではないかと密かにみています。
 っていうか他人の気持ちを理解しろって、表現者たる私に言わせれば甘ちゃんの発想です。理解してほしければもっと自分から発信しろってのに。日本人は概して、かまってちゃんな癖に発進せず、それとなく気付いてほしいという都合のいい発想をする人が多いです。

2024年2月3日土曜日

伊東選手を巡る週間新潮報道を見て思いだされる赤報隊事件誤報

 文春の松本人志氏の報道に続こうとしたのか週刊新潮は先日、作家日本代表の伊東純也選手が性加害を過去に起こしていたとする報道を行いました。この報道を受け対応が一時二転三転したものの日本代表チームから伊東選手は離脱することとなり、その影響は彼本人だけでなくサッカー日本代表にも及んでいます。
 一連の報道に関して伊東選手は事実無根だとして被害告発者に対し提訴を行い、これを受けて新潮側は加害を認めず逆に相手を貶める行為だとして、伊東選手への批判を強めています。双方ともに自らの認識に対し強い自身と証拠を持っていると主張しており、今後は報道よりも裁判を通して事実関係を争っていくことになるでしょう。

 その双方の根拠や証拠などを詳しく拝見していないため、現時点ではどちらの言い分が正しいのか、または真実味があるのかについては判断しかねるのですが、今回の報道を見て自分が真っ先に思い出したのは、2009年に週刊新潮がやらかした赤報隊事件に関する誤報です。


 上の記事はまさにその誤報があった当時に自分がまとめた記事ですが、赤報隊事件こと朝日新聞社襲撃事件について犯人が名乗り出たとして、週刊新潮は2009年にこの犯人に対する記事を掲載しました。しかしその実態は全く無関係の人物に新潮側が報酬となる金を渡して犯人に仕立て上げていたにすぎず、荒唐無稽な主張を繰り返し続けたものの当事者である朝日新聞を含む世間の批判を受け、最終的に誤報を認めた事件です。
 なおこの時に犯人と自称した人物はこのすぐ後に自殺しています。

 この事件は初報掲載時より新潮を買って自分も追っていましたが、初報時の時点で違和感のある内容が多く、朝日新聞の批判に反論する形で出した第二報の時点ではっきり誤報というか捏造であることが素人目にもわかる内容でした。自分のブログ記事にもある通り、悪だくみがばれた後に新潮は「自分たちも犯人自称者に騙された」という論調を取り、担当編集者は飛ばしましたが明らかに捏造を主導した立場であったにもかかわらず、新潮側も被害者であるというスタンスを取り、反省から程遠い態度を見せていました。

 言うまでもなく、この赤報隊事件の誤報は今回の伊東選手の報道とは全く無関係であり、結び付けるべき内容でもありません。ただ新潮には上記のような前科があるということは事実であり、それだけに自分も文春と比べるなら新潮の報道に対しては、記事内で明確な根拠が示されない限りは額面通りには受け取れません。
 それにといっては何ですが、伊東選手側の反論に対する新潮の弁明を見ていると、何となく赤報隊事件の時と同様に反論内容を否定するのではなく、被害者に対する配慮がないなどと、論点をずらすような主張のように見え、印象的にもなんか苦しそうな逆反論でした。まぁあくまで私の印象ですが。

 そのうえで、赤報隊事件も射殺された記者の遺族がいるにもかかわらず恥知らずな報道でしたが、今回の伊東選手に関しては現役のスポーツ選手であるということを考えると、ことによっては赤報隊事件の誤報以上に誤報であったら取り返しがつかないほどの事態に発展すると予想します。
 それを踏まえ新潮に対しては、変に世論におもねる(期待する)のではなく、あくまで記事内容で勝負し続ける、即ち論理的根拠を持った報道できちんと勝負すべきだと言いたいです。

2024年2月1日木曜日

映像化され原作改変で揉めた過去の事例

 昨日夜にまた上海の自宅に戻りましたが、霧で飛行機がディレイして予定より帰宅が遅れたためまたブログの更新サボってゲームしてました。どんだけ疲れても、ゲームする気力は残ってる。

 それで本題ですが、せっかく国会が開会したというのに岸田総理の施政方針演説なんてまるでニュースにならず、世間は先日からマンガ「セクシー田中さん」の作者の自殺を巡る騒動でもちきりです。
 この騒動は同作のドラマ化にあたって作者が、未完であることから原作に忠実に従って作成し、改変する場合は事前に話し合うという意向をあらかじめ伝えていたところ、実際にはほぼ無視される形で原作改変が続いていたということを作者自身がネットで明かしたことでヒートアップしました。しかし騒動が大きくなった直後、特定の人物を批判する意図でなかったとする発信を最後に作者自身が自殺をしたことで、映像化にあたり原作が一方的に改変されるという現実と、作品を守りたい原作者の意向がクローズアップされ、その他の漫画家なども声を上げるなど、世間の関心もどんどん高まっています。

 上記の「セクシー田中さん」の騒動に関しては私自身は原作もドラマも見ていない立場ゆえコメントする気もないのですが、この騒動を見た際に映像化の際に原作者と原作改変で揉めた過去の事例でいくつか思い当たるものがあり、それを今回まとめることにします。

・ネバーエンディングストーリー(ミヒャエル・エンデ)
 米独合作で1984年に公開されたこの映画ですが、原作はミヒャエル・エンデの「果てしない物語」となっています。大筋の話としては原作通りでその幻想的な世界を映像化した点は評価されたのですが、作者のミヒャエル・エンデは一部のストーリー改変、特に最後に主人公が竜(モフモフ犬にしか見えないが)に乗っていじめっ子に仕返しするシーンは激しく批判し、映画会社に対し賠償を求め提訴までしています。
 なおエンデの提訴は最終的には棄却され、彼本人も「ヒットした映画によって自分の作品をより多くの人に知ってもらったのはよかった」と態度を軟化させています。

・ヘルシング(平野耕太)
 現在も現役の超人気作家である平野耕太氏の代表作ともいえるヘルシングですが、かつて深夜アニメ枠でテレビアニメが放映された際、作者の平野氏は「アニメは見なくていいです」という発言を当時していました。元々過激な発言で知られる平野氏ですが、自身の作品を原作としたアニメ作品に対しても容赦なく批判していました。
 実際、この時作られたアニメ版は漫画版の内容から大きく逸脱しており、それだけの改変をしておきながら一般からの評価も高いものではなかっただけに、擁護の仕様がなかったと私も思います。っていうか、ナチスの出てこないヘルシングってもはや何の作品だというレベルだし。
 ただ救いだったのは原作が超人気作品で作者自身も強く望んだことから、後に原作に忠実なOVA版が制作され、こちらは作者も視聴者からの評価もともによく、現在でヘルシングのアニメとくればOVA版を指すようになっています・

・いいひと。(高橋しん)
 今回の「セクシー田中さん」の例に最も近い例としては、私が知る限りこの「いいひと。」なのではないかと思います。この作品は元SMAPの草彅氏の主演でドラマ化され、放映当時は非常に高い人気となって草彅氏の出世作にもなったのですが、「主人公とヒロインだけは改変しないでくれ」という作者の意向が無視されて制作されたことにより、作者の高橋しん氏は非常にショックを受けて放映途中に「原作」から「原案」に立場を変えた上、この改変によるショックがきっかけで連載中だった漫画作品も連載を終了させています。
 その後に高橋氏は「最終兵器彼女」で再びヒットを飛ばしますが、「いいひと。」と比べると非常に鬱度の高い作品で、私自身は「最終兵器彼女」をあまり面白いとは思っていません。反対に「いいひと。」はサラリーマン漫画としても十分評価でき、非常に優れた作品だと今でも思うだけに上記の経緯を後年知った際は私も落胆しました。

 映像化にあたって原作者と揉めた例として以上三つを挙げましたが、「いいひと。」のように放映途中で原作から原案へと立場を変えた例としては山田芳裕氏の「へうげもの」もあります。また「スケバン刑事」の和田慎二も、ドラマのシリーズ2は絶賛しつつも、シリーズ3に関しては作品の根幹部分が崩れているとして強く批判していました。
 これらの例を挙げて一体何が言いたいのかというと、古今東西地域を問わず、このように原作改変は過去何度も起こっているということです。もちろん原作に忠実に作ったところで売れなければ話にならないし、映像化にあたって妥協しなくちゃならない点もあるでしょうが、そうした点を事前に作者との間で合意を得るか、得られないなら制作を見送るとかといった対応がこれまでなされているかといえばかなり疑問です。これだけ過去に何度も問題化しているというのに。

 私自身もメディア業界にいた際、これほど契約を舐めた業界はないなと当時思っていました。基本的に口約束で報酬額まで決まってしまうだけに、取り決めや合意に関する意識が非常に希薄で、だからこそ以上のような原作者との紛争が頻発するのだと思います。
 ちなみに今は反対に、普通の業界以上にコンプライアンスや契約意識が厳しい業界に身を置いているので、たまにメディア関連の仕事すると「コンプライアンス的にやばくね(;´・ω・)」などと一人で焦ったりします。

 最後にゲームの「新スーパーロボット大戦」の原作改変例について触れます。この作品ではGガンダムのキャラクターである東方不敗を、原作を無視して宇宙人という設定にしています。この原作改変に関してプロデューサーの寺田氏は勝手な改変だと自覚しつつも、脚本担当の意見を通したことに長年悩んでいたそうなのですが、Gガンダムの生みの親である今川監督はこの原作改変を知った際、

「その手があったか( ゚д゚)ハッ!」

 などと納得した上、むしろこの設定改変に理解を示したそうです。これを聞いて寺田氏もほっと胸をなでおろしたといいますが、こう言っては何ですが改変することに悩むほど人が良くできた寺田氏だからこそ、今川監督も理解を示してくれたんじゃないかと思います。ゲーム業界の人は世間知らずで放言する人が多いですが、マジでこの寺田氏は見るからに温厚で、且つ気配りのできる珍しい人だと密かに評価しています。
 まぁスパロボの原作改変というか、原作の枠を超えて大活躍しているキャラを挙げるとしたらダイモスの三輪長官だと思うけど。出演作品がダイモスではなくダンクーガだと誤解されるのはもはやご愛敬なくらいだし。

2024年1月20日土曜日

旧メディアから移り変わるタレコミ先

《現役社員が告発》トーヨータイヤが「N-BOX」の部品をめぐりホンダに“不正報告”の疑い 〈管理基準を満足していない〉実験結果を伏せたまま納入か(文春オンライン)

 昨日出た上の記事の影響を受け、昨日にトーヨータイヤの株価は一時ストップ安となり、つられてホンダの株価も7%低下していて見ながら笑ってました。報道内容の真実性に関しては後続の動きを見なければなりませんが、仮に真実であった場合はリコールに発展する可能背も高いので株価下落も当然と言えば当然ですが。
 なお真実性に関しては、文春の取材に対しトーヨータイヤ側よりもホンダ側に奇妙と感じる節があるので、現時点で自分は高いのではないかとみています。

 そんなこの報道ですが、実は読んだときに気になったのはそうした株価とかリコールの影響とかではありませんでした。では何かというと、「タレコミ先が文春だったんだな」という点でした。
 記事内容を見る限りこの報道はトーヨータイヤ側の社員による内部告発が起点のようですが、その内部告発者は新聞やテレビメディアではなく、雑誌メディアの文春を選んだという点に思うところがありました。もしかしたらほかにも垂れ込んでいたものの相手にしたのが文春だけだった可能性もありますが、この手の告発先としてかつて権威のあった旧メディアではなく雑誌を、しかもどちらかといえば芸能ニュースを中心に報じて経済ニュースはそんな専門としていない文春が選ばれた当たり、近年の文春の勢いによるものかと感じさせられます。

 以上のような感慨を持つと同時に、恐らく今後この動きはますます加速していくように思いました。こう思った理由としては先のビッグモーターの報道においては、こっちは経済情報が専門の東洋経済が比較的早期から内部告発を取り上げつつ報じており、そこへフライデーがタイヤに穴を空ける衝撃的動画を出しましたが、どちらも昔なら新聞かテレビが内部告発先となった気がします。
 一体何故、これらの内部告発者が新聞やテレビを選ばなくなったのか。理由はいくらでも考えられますが単純にかつてほど権威や波及力を失ったこともさることながら、告発先として信用が薄れてきているところもあるように見えます。

 特に直近で言えば、ジャニーズ問題に代表されるように芸能関連の不祥事の内部告発を新聞やテレビにしたところで、握りつぶされる可能性は非常に高いと断言できます。実際にジャニーズ問題は長年握りつぶされ、その検証報告も「90年代当時は本当だと思わなかった」といいながら、BBCが報じた時に何も後追いで報じなかったことについてはスルーしたあたり、全く信用がありません。松本人志氏の問題も文春が報じていますが、仮に新聞やテレビに被害を訴える人が出ていても、彼らは絶対に報じなかったでしょう。


 またTBSに至っては農協に内部告発した人物が使うのはやめてくれといっていた映像を無断で流して身分がばれる事態を招き、結果的に内部告発者は退職を余儀なくされています。TBSは過去にもオウム事件で坂本弁護士殺害事件も引き起こしているだけに、はっきり言えば一番内部告発を行ってはならない危険なメディアでしょう。
 新聞に関してはテレビほどずさんではないにしろ、やはり近年は文春と比べると見劣りすする点が大きいです。それ以上に新聞の部数減はこのところ拍車がかかっており、先日も「あと10年持つか」と語る新聞販売店関係者のまとめ掲示板を読みましたが、ビジネス的に完全に崩壊したモデルであるのに間違いありません。タレコミが来る来ない以前に、生き残るかどうかっていう話でしょう。

 また最後に補足すると、逮捕されましたがガーシー氏のようにネット配信者に告発が回るという例も近年増えています。裏取りという点で新聞や雑誌メディアと比べると不安なところがありますが、影響力というか波及力では前者をはるかに上回っているだけに、今後ネット配信者にタレコミが回ることも増えていくと思います。その分だけ、新聞やテレビへ廻るタレコミは減るだけなので、見方を変えればこの二つは今後ますますスクープが取りづらくなると言えるかもしれません。

2024年1月18日木曜日

どの業界にもスターは欲しい


 上のまとめ記事ですが、一時は「ポスト宮崎駿」といわれていたアニメ監督の細田守氏ですが、その後「君の名は」で一気にスターダムに上がった新海誠氏にすっかりお鉢がとられたことについていろいろ議論されています。それでこの見出しですが、あながちとてっつけた見出しではなく、実際かつてはこのようにしてアニメ業界は細田氏をもてはやし、かなり熱心に祭り上げようとしていました。

 何故こう断言できるのかというと、実際に当時のことを非常によく覚えているからです。具体的な時期としては「サマーウォーズ」が公開された後の2011~2012年ごろで、これから世界のアニメを率いる名監督などとあっちこっちで宣伝記事が出ていました。それと同時に、「一体何故細田氏が祭り上げられるのか」という、上記まとめ記事と全く同じ趣旨の記事を2012年当時に出ていました。
 その記事では単純に、「アニメ業界が一般にも通りのいい、スターとなる監督を欲しがっているため」と言い切っていました。最近また「君たちはどう生きるか」を公開しましたが、大仁田厚氏と同様に宮崎駿氏もしょっちゅう引退宣言を出しては撤回する人で、2012年ごろももう新作は作らないなどということを言っていました。宮崎市がアニメ業界からいなくなった後、「この人が作っている」とばかりに名前だけでも売れるアニメ監督を当時のアニメ業界は熱望しており、ちょうどそのころに名前が売れ出した細田氏がまさに格好の候補となったことで、業界の期待を集め祭り上げられるようになったという風に書いていました。

 一体なんでこんなことを細かく覚えているのかというと、友人に勧められて「サマーウォーズ」を私も見ましたが、あの作品に関して全く面白いと感じることができず、むしろそのひとつ前の「時をかける少女」のほうがよかったのにという印象を覚えていたからです。宮崎氏とまでいかずとも、細田氏が何故これほどまでに名監督だといわれるのかが端的に疑問だっただけに、上記のスタートして祭り上げようとしているという記事の内容がストンと落ちたことから、当時の空気なりもかなりはっきり覚えています。
 なお新海氏に関しては、確かにこの人はすごいと感じています。単純に背景の色の使い方が非常にうまく、またその色が映えるような展開をきちんと作るという意味でこっちは間違いなく歴史に残る人物だという風にみています。にしても細田氏との比較で言えば、なんかマー君とハンカチ王子みたいになったなぁ。

 話は戻しますが、アニメ映画業界に限らずどの業界においてもスターというのは望まれます。スターがいるかいないかで消費者の拡大や維持は大きく変わるだけに、業界がスターがいないってんなら無理やりにでも作ろうという気持ちは非常にわかります。
 例えばスポーツ業界なんかは、野球だとやはり王、長嶋時代は特別で、その後は桑田、清原のKKコンビが大いに業界を引っ張りましたが、近年は大谷選手が活躍し過ぎてなんか日本国内のスターがちょっと出辛い雰囲気になってきています。むしろOBだけど張本勲氏のほうがお茶の間にも浸透しているスターな気がします。

 またゴルフ業界についていえば、男子ゴルフなんかは石川遼選手が活躍したころは非常に盛り上がりましたが、彼以降はやyスターが不在で、それに伴い人気も凋落してきているように見えます。女子ゴルフも同様で、ばくだんいわに似ていると言われた宮里藍氏などが活躍したころは華やかなり氏でしたが、なんか近年は渋谷日向子氏しか話題にならず、また彼女も絶大というほどの浸透度を持っているようにも見えないため、業界が物凄い推しているのはわかるけどなんか暖簾に腕押しみたいにも見えてきます。

 このほかクリエイティブな業界に関して言うと、今回改めて思ったこととして、スターとなる人物が思ったよりいないのがゲーム業界です。元々、若手クリエイターで特に顕著ですが、引き抜きが激しいためにゲーム業界では制作者名をあまりアピールしない傾向があるものの、それを推しても漫画やアニメ業界と比べるとザ・この人的に知名度の高いクリエイターが少ない気がします。
 強いて挙げるとしたら、「メタルギアソリッド」シリーズの小島秀夫氏、あと「タクティクス」シリーズの松野泰己氏なんかは強い支持を受けていますが、それ以外だとアニメ業界における宮崎駿氏的な人物はあまり出てきません。まぁドラクエの堀井雄二氏なんかも通りがいいですが、ドラクエ以外あまり作らないし、制作本数もやや少ない感じがします。

 また昨日一気に炎上したレゴランドの社長みたく、ゲーム業界は世間慣れしていない人が多いのか、一時は高い知名度を得ながらもその後の発言で顰蹙を買い、フェードアウトしていった人も少なくありません。代表格は「龍が如く」シリーズの名越稔洋氏で、10年前と今とで比べるとその名前のヒット数は文字通り桁違いに下がってるでしょう。彼の場合は完全に自身の発言で人気を落としており、余計なことを言わなければシリーズも続いているんだし、高い評価を維持できたのになという気がします。

 一方、初代ドラクエの制作者でありチュンソフトの創業者である中村光一氏は、会社を経営してきただけに発言は落ち着きながら、長くこのゲーム業界をリードしてきています。ただ、発言が落ち着きすぎてて若干キャラが濃くないこともあり、一般への知名度はそれほどではなくスターだと言い切れないところがあります。いや凄い人だとは思ってますが。

 以上のようなことを帰宅途中の電車の中で考えいたところ、やはり一般にも通りのいいクリエイターがゲーム業界は少ないからこそ、よくゲーム作品のアピール時に「大物声優が出演!」などと声優名をやたら前面に出してアピールしてくるのかなということに気が付きました。なおそうした声優名を前に出したゲームはクソゲー率が高いと言われており、実際自分もそう思います。大物声優が出演するとしても、その名前をアピールしないゲームのほうが面白いことが明らかに多いです。

 それにしてもスターといえば、さっきも挙げた楽天のマー君こと田中選手のフェードアウトぶりは色々残念に感じるところがあります。先の安楽騒動での批判もありますが、いくら成績が以前ほどではないにしろ、近年の人気の低下ぶりはちょっと目に余ります。
 もっとも彼の場合、本人というよりイーグルスというチームが安楽騒動をはじめなんかギスギスしていて、ファン離れを引き起こしているようにも感じます。同じく成績の振るわない中日なんかは逆にコメ騒動などネタ的な話題に事欠かず、妙に盛り上がっているのと比べると対照的です。

2024年1月16日火曜日

周期性を前提とした地震予知に対する疑念

 元旦に起きた地震の影響で現在も能登半島では多くの被災者が避難生活を送っていると報じられており、中国にいる身でありますが心配を続けながら報道を見守っています。
 さて今回の能登半島の地震ですが、日本の地震学会ではほぼノーマークであったといわれています。実際に大地震発生予測で能登半島付近はほぼ最低ランクに入れられており、「今すぐにでも起こりうる」といわれている南海トラフ大地震と比べたら全く予期されていないも同然でした。

 この手の地震予測ですが、基本的に過去の歴史資料的な文献から予測が行われています。具体的には、江戸時代や平安時代などの日記をはじめとする文献を見て、どの地域で何年おきに大地震が発生しているのかを調べて周期を作り、直近の地震から現在まで何年離れており、周期と比較して次の地震まであと何年といった具合で確率を弾き出します。

 一見すると合理的に見える上記の予測ですが、ならば何故今回能登半島では大地震が起きないと予測していたのか。その言い訳として地震学会が述べているのは「何千年に一度というレベルの大地震だったから」というものでした。
 要するに過去に地震の記録が残されないほど、周期が千年単位にも上る地震であったため能登半島はノーマークだったということです。これは逆を言えば、記録が残らないほど周期の長い地震に関しては一切予測できないと言っているも同然であり、なおかつ周期が長いほど地震規模も大きくなることを考えると、規模が大きければ大きいほど地震は予測できないということとなります。

 こうした今回の能登半島地震予測に関する見解に加え、過去の記録から周期を類推する地震についても正直なところ、どれだけ信用できるものかと私は怪しんでいます。地震について調べていた2003年の時点で南海トラフ地震は「2004年までには必ず起こる」と地震学会などが主張していますが、現在に至るまで東海地方ではまだ大地震は起きておらず、この間に東北、能登半島で先行して大地震が発生したわけです。このほかの地域に関しても、周期で予測するといっても誤差は最低でも数年単位で、十年単位も十分あり得ることを考えると、果たして予測することに価値があるのかと疑います。

 そもそも日本の地形の特徴から言って、ほぼ全地域で大地震が起こりうる可能性があるということを踏まえ、特定の地域で大地震が起こりやすい、起こりにくいなどとゾーニングせず、全地域で地震に備えるよう心掛ける方が適切である気がします。そのうえで地震に伴う二次災害として津波が存在し、且つその被害は地震そのもの以上に大きくなることも考えると、津波が起こりうる地域の避難経路や防災対策により力を入れることも、地震を予測するよりも重要である気がします。

 以上のような見解を踏まえていると、地震予測そのものを完全に否定するつもりはないものの、周期性を前提とした地震予知はあまり重視しないというかそこまで研究に力を入れる必要はないのではないかという気がします。むしろ今後の技術革新を待たねばなりませんが、地震発生につながる地下深くの地層の変動やその兆候を見つけ出す研究のほうが、周期性をいちいち気にするよりも重要になってくると思います。
 そして何より、繰り返しになりますが日本ではどこでも大地震が起きるという前提を国民全員で共有し、災害対策や避難経路を意識して、津波への対策を強化することが一番大事だと思います。

2024年1月11日木曜日

堕落したと思う検事

 先日、お勧めに表示されていたので先に亡くなられた半藤一利の「坂口安吾と太平洋戦争」という本を読んでいます。こちらは太平洋戦争期における坂口安吾の行状や視点について、生前に彼の担当編集者として原稿受け取りなどで直接やり取りした半藤一利が当時の思い出を語りつつ、坂口がどのようにあの戦争を見ていたのかを推測する内容となっています。
 なお坂口の家に直接寝泊まりした際に半藤が、「風呂に入るときにふんどしをそのままタオル代わりに使えば、ふんどしも洗えて一石二鳥だぞ」と坂口に言われたと書かれています。さすがにやらなかったそうですが、「合理的な考え方の人だった」と評しています。

 さてその坂口の代表作といえば「堕落論」と「白痴」で、恐らくこの二作品がなければ平成の世まで語り継がれる作家とはならなかったほどの影響力を持っています。私もこの二作品を読みましたが、特に前者の「堕落論」に関してはまだ高校生だったこともありいまいち読み込めず、何となく無垢な人間はかえって美しいということを言っていたのかと読み取っていましたが、解説文を読んだら全然違う風に解説されていました。
 具体的には終戦後に自信を失っている日本人全体に対し、特攻隊員などはその命をなげうってまで国家に尽くそうとして、その崇高な精神については否定のしようがないと踏まえた上で、今回戦争に負けた後はそのような国家に捧げるといった崇高な精神を持ちつづける必要はなく、崇高な精神から堕落といわれようと、自分本位に利己的な人間になり下がっても何も悪いことはない。堕落といわれようが、そもそも人間ってのは自分本位な生物なのだし、元の姿に帰るようなものじゃないかといったような、戦後における自己本位への価値観の転換をためらうな、悪くないと訴えかける内容だったそうです。

 改めて見ると非常に的を得ていると思うと同時に、あの当時の時代背景を考えるとこうした言葉、特に「価値観を変えても悪くないよ」という言い方は本当に世の中に求められていたと思います。そしてこれは終戦後の一時期に限らず現代においても通じるというか、ルネサンス的に自分本位で利己的であってもそれを許そうという提唱につながる気がします。

 そんな堕落論の解説を読んだ上で、坂口の堕落論の本旨とは異なるのですが、近年の現代人で「堕落」という言葉を意識している人はどれだけいるのか、この点が自分は気になりました。

 そもそもこの10年くらいの間、活字に「堕落」という言葉を自分はほとんど見た覚えがありません。しいて言えばファンタジー系のゲームや漫画で、天使と聖職者が「堕落」する展開で使われているだけで、そういう聖なる霊的なもの以外の普通の人間にはほぼ使われているのを見ないですが、現実には堕落というか、一度上がった高みから落ちていく人間というのは少なくないと思います。

 私自身も、「外食に千円も使うなんて外道だ(# ゚Д゚)」などと学生時代に吠えており、日々貧しい食事で糊口をしのいでましたが、今現在となると普通に千円以上で外食もし、「ためてばかりじゃなくこうしてお金使わないと経済はよくならない」などと言い訳を口にするようになっています。もちろんこうした言い訳はおかしいものではないと現在は考えていますが、学生時代と比べるなら自分の精神の糊口さというか自分を高みに置こうという意識は、確実に薄れています。

 もっともここら辺は自分自身の中で完結するのでそこまで問題ではないでしょうが、中には権力を持ちながら精神が明らかに堕落した人間も少なくなく、この手の輩は昔から存在はしますが、堕落を自らは全く意識しない有様には閉口をします。それこそ権力を握るに至るまでの初心にあった崇高さは影もなくなっており、そうした意識が今あれば、どれだけ救われる人がいるんだろうという気持ちを見ていて感じます。

 具体的に指名すると、大原化工機冤罪事件を担当した塚部貴子検事です。彼女はかつて郵便障碍者割引事件に絡む村木厚子氏の冤罪事件で前田恒彦が証拠を捏造した際、当時の検察の上司にこの捏造をしっかり認めないのであれば辞職するといっていたと報じられます。それから約10年の時を経て現在、彼女はこの大原化工機事件で検察側にて明らかに冤罪を主導する立場を維持しており、村瀬氏の事件の際に彼女がとった行動を取る人間が、今の彼女のそばにいないというのを寂しく思うと同時に、近年ではっきり「堕落」を覚える人物だというふうにみています。

 なお前田恒彦に関しては証拠捏造というあれだけの事件を起こしておきながら、Yahooのコメント欄でしたり顔して法律、捜査関連の記事にオーサーコメントを入れているのを見ると非常に強い嫌悪感を覚えます。しかもしょうもない法律系ニュースにコメントを入れるくせに、この大原化工機の冤罪事件については一切触れないあたりは何様だという気がします。
 仮に彼が別の分野で再出発するというのであれば私も応援しますが、少なくとも証拠捏造という権力執行者が絶対にやってはならない行為に手を染めたのだから、法律や捜査関係からは一切足を洗うのが筋だと思います。YahooもYahooで、何故彼を排除しないのかという点で私は不満を覚えます。

 ちょっと話がそれましたが、塚部貴子検事のように当初は崇高な意識を持っている人間であっても、その後意識が変わって堕落するというのは世によくあることです。精神の堕落そのものは坂口安吾の言う通りに何も悪いわけではないですが、堕落を意識せず、ねじ曲がった精神で権力を行使する人間というのはやはり社会にとっては害悪でしょう。

2024年1月9日火曜日

松本人志氏で気になった過去の言動

 昨日音の出るおならが出そうになった際、「拳銃みたいにおならのサイレンサーとかないだろうか?」などと考えたものの、あったらあったでどこに差すのかを考えたらやっぱいらないやと思い直しました。仮にあって使ったとした場合、どんな音になるんだろう。

 話は本題ですが依然として能登半島の大地震被害がニュースの主役ですが、昨日から今日にかけては久々に芸能ニュースが大きく騒がせています。そのニュースというのは言うまでもなく人気タレントの松本人志氏の謹慎発表で、最初の文春報道時はみんな大人しかったのに今回の発表が出るや芸能関係者らが急に口を開くようになったのは内心どうかと思います。

 ただ、この騒動の発端になった文春のセクハラ報道に関しては、本当なのかどうかを含め正直私はあまり関心がありません。松本氏のファンではないということが大きいのかもしれませんが、発生時期がそこそこ前なのを考慮すると一部でも指摘されているように、ジャニーズ問題と違って女性側が何故今になって急に声を上げたのかがやや不審だと思うし、どことなく泥仕合になりそうな感じで見ていてあまり面白さを感じません。
 もっともこの件で関与しているとされるスピードワゴンの小沢氏について、今日になってようやく活動を続けることが発表されましたが、これまで一切動静を伝えず、また吉本側と足並みをそろえていないのを見ると、こっちもこっちでやっぱ不審だなとは思っています。

 そんなセクハラ疑惑よりも、実は以前の松本氏の発言で気になるものがありました。その発言というのもこちらです。


 上記の記事はは4作も作ったけどどれも一切ヒットしなかった映画に関して、「映画が好きじゃなかった」と言ってのけた松本氏の発言を取り上げたものです。やや気にし過ぎかもしれませんが、ちょっとこの発言を聞いて今回のようなスキャンダルがきっかけになるとは思わなかったものの、つまらないことで足をすくわれ、お笑い界の大御所にはなれないだろうなと内心感じました。

 一体この発言の何が気に入らなかったのかというと、ヒットしなかったとはいえ一生懸命映画製作に協力してくれたスタッフらに対する配慮がまるで感じなかったからです。いうまでもなく映画は一人で作れるものではなく、実際に作るとなったら多くの人出と資金が必要です。
 実際にというか松本氏の映画製作資金は松本氏個人のポケットマネーではなく、その大半を吉本が負担したといわれ、そのあまりの興行成績の不振により吉本の財政は大きく悪化したとも聞きます。この点、映画製作資金が足りなくなるや急にCMや映画、ドラマに出始める北野武氏とは大違いです。

 話を戻すと、そのように資金を含め多くの人間が関わった過去の映画製作に対して、「好きじゃなかった」と今になってこのような言い方をするのは果たしてどんなものかと正直感じました。たとえそのように思ったとしても支えてくれた人たちのためにもこれは絶対に口にしてはならないと思う内容だと私には思え、言うにしても1作目でこけた後ならまだわかるものの、4作も立て続けに興行的に失敗した後でこんな風に言うなんて、何考えてるんだという気持ちを覚えました。
 せめて「自分が映画作りに向いていないことが分かった」であれば自戒がこもっておりわかりますが、映画好きじゃないんだったら初めから作るなよと言いたくなります。そもそも、ウッチャンナンチャンの内村氏のように自分が見た映画の批評なり感想を日ごろから口にしている人と比べると、松本氏が既存の映画作品について何か口にしたことを聞いたことがないだけに、多分映画そのものに初めから興味なんてなかったんじゃないかと疑っています。ならなんで作ったかっていえば、単純に功名心からでしょう。

 もちろん、功名心から映画を作ること自体は別に何も悪いことだとは思いません。ただせめて支えてくれた人に対する感謝なり配慮なりは持つべきだと思うのに、それを一切持っていないかのような上記の発言を聞いて、「ああこの人は周りの支えてくれる人たちのことをもう全く意識しなくなっているんだな」という印象を覚えました。そのうえで、古来よりこうした周りの人たちに配慮しない人物が大成することはほぼないだけに、今でこそお笑い界の大御所といわれるがどこかつまらないところで転げるだろうなという予感を抱きました。まさかこんなに早いとは思いませんでしたが。

 逆を言えば、どんなクソ映画を作ったとしても「スタッフたちは一生懸命やってくれました」という監督は、いつか這い上がれる、ヒット作を作る可能性があると感じます。監督というのはヒット作を作れば称賛を、失敗作を作れば批判を一身に受ける立場であるだけに、そうした覚悟が初めからないのであればそもそも手を出すべきではありません。そういう意味で、こと映画に関しては松本氏の覚悟のなさに私は正直呆れた見方を持っています。

2024年1月3日水曜日

能登半島地震と羽田空港事故に対する中国人の反応

 日本はまだ三が日でしょうが自分は昨日から普通に働いています。ただオフィスの日本人はほぼ全員が日本に帰省中とあって、自分とチーム内の後輩一人だけがオフィスにきて出勤しました。
 そんな三が日の今日、一昨日に能登半島での地震があり、昨日には羽田空港の接触炎上事故があって、「まさか三日連続で大きな事件が起きたりしないだろうか」とやや戦々恐々な気持ちでニュースを見ていましたが、地震被災者の救援活動こそ続いているものの、今日においてはまだそこまで大きな事件や事故がなく、ややほっとする気持ちでいます。

 そんな大きなニュースが新年早々二日連続で続いた日本ですが、中国においてもこれらニュースはトップニュースとして報じられています。その反応についてあくまで自分がネットでさらっと見て、周りの中国人同僚に話を聞いた限りの水準で話すと、まず能登半島の地震については発生当初、そこまで大きく関心は持たれていなかった気がします。
 四川省などの内陸部は別として、中国の大半の地域は基本的に地震と縁がなく、日本で震度7と聞いてもどれほどの災害なのかいまいちピンと来ていない気がします。また発生当初は死傷者を含めた被災状況がまだ詳細にわからず、報道でも映像がまだあまり報じられなかったこともあり、何となく中国の報道を見ていると実態より小さく報じられているような印象がありました。この点に関しては、関心が低いというより感覚がつかめないところが大きいと思え、仕方ない気がします。

 一方、昨日の羽田空港の事故に関しては発生当初より大きく注目されました。自分自身も、報道を見た中国人の友人から連絡があって初めて事の次第を知ったのですが、その後に海上保安庁の機体からは死傷者がでてしまったものの、日航機の乗客乗員は全員避難できたという報道を見て、中国でも非常に大きな驚きとともに受け止められています。
 同僚が送ってくれたネットのコメントでは、「俺はこれからは多少値段が高くてもJALの便を使う。彼らはその優秀さを証明して見せた」といった内容が書かれており、基本的にJALの対応を褒める内容で溢れています。実際、それだけのすごいことをやってのけたと私も考えています。

 一方、中国で当初一部で報じられた内容には、「民間航空機が軍用機に接触し……」という風に、海上保安庁をどうも海上自衛隊と誤解したような記述がみられました。友人なんかまさにこれに引っかかっていたので、海上保安庁はさすがに軍ではないと訂正しました。
 まぁ自衛隊も軍隊ではないと日本政府は言っていますが、さすがにそれは無理があると自分は考えています。

 ちなみにたまたまですが、中国人の同僚がこの年末年始に初めて日本を訪れていたのですが、その初めての日本旅行で東京とはいえ能登半島の地震の揺れを体感した上、発生後とはいえ、事故当日に羽田空港を訪れていたというのを今日聞きました。事故の影響で出発が遅れたものの上海行の便は夜中に出発することができ、今日早朝に上海についたそうです。でもってほとんど寝ないまま、今日出勤してきました。

2024年1月1日月曜日

元旦の大地震

 今日元旦は午前中にゲームし続け、午後からプラモ(A-6イントルーダー)を作り、作り終えた後にお年玉とばかりに同僚が送ってくれたスターバックスのオンラインクーポン券を使うためスタバに行きました。クーポン商品を受け取ってそのまま席について何気なくスマホでニュースを見たところ、石川県能登半島付近で大きな地震があり、震度七も記録したことをそこで初めて知りました。
 被災者の方々にとっては寒い冬のこの時期に避難を余儀なくされ、大変な目に遭われたことに深く同情するとともに、無事であることが願われます。同時に、今も余震が懸念され現場では混乱が続いているとのことですが、迅速な救助や救援が進むことも併せて願われます。

 今回のこの自信を見てまず真っ先に思ったこととしては、災害は時期を選ばないという点でした。縁起のいい元旦だから災害なんて起こるわけがない、というわけはなく、どんな吉日であろうと自然災害は時と場所を選ばず発生するものであり、用心を欠かすことはできないということを改めて痛感されました。私のいる上海においても「中国では一部地域を除いて地震は起きない」という楽観視はする者ではないでしょうし、日ごろから備蓄食料を含め災害への対策を忘れてはならないものだと考えさせられます。

 むしろ年の初めだからこそ、こうした災害への警戒感を引き締める上で重要かもしれません。まとまりのない記事ですが、2024年の最初の記事としてはやはりこの点について触れておかねばならないと感じた次第です。

2023年12月28日木曜日

死刑囚に安楽死は適用されるのか?

 中国人の同僚が年末年始に日本へ旅行して浅草寺あたりを回るといっていたのを耳にし、今年11月に浅草寺近くに行った際、「バーガーキングで食べたい(´・ω・)」という小学生っぽい要求してきたうちの親父を思い出しました。実際行ったけどさ。

 話は本題ですが、私はかねてより医療水準の発達した現代において安楽死の議論は必要だと主張し、安楽死導入賛成派としての立場を取っています。現在すでに運用しているオランダモデルを参考に、実施前には精神科医の診断を受けるなどの手続きを設け、予後が厳しい方などに関して本人が望む場合に限り安楽死を適用すべきではないかと常々考えています。

 ただこの安楽死を仮に導入した場合、死刑囚にも適用されるのか、具体的には死刑囚が死刑執行前に安楽死を望んだ場合にそれを受け入れるべきなのかという疑問がふと、プラモ買った帰りに自転車に乗りながら浮かんできました。結論から言うと、自分の中では答えが出ませんでした。

 現在オランダなどで運用されている安楽死モデルでは、回復の見込みのない病気や状態の方が、病による苦痛を感じながら生きるよりも穏やかな死を望む場合に安楽死措置を取ることが認められています。この論理に則り、死刑が確定して将来ほぼ確実に寿命を迎える見込みがない死刑囚が、どうせのうのうと生かされ続けるくらいなら早く人生を終えたいとして安楽死を望んだ場合、果たしてどうなのかなという風に思ったわけです。
 死刑囚の立場に則るなら、実際に以前の死刑囚でも早く執行してほしいと主張していた死刑囚もいたほか、予告なしに当日の朝に執行が通知されるのを怖がっていた死刑囚もおり、その落命する時期を自分で決めたいと思う人間がいてもおかしくはない気がします。何より、冤罪の可能性があるとして再審活動を行っている場合を除けば今後社会に出られる望みはほぼなく、だったら早くあの世に行きたいと考える心理は私個人の見解として、充分にありうるのではないかと思います。

 しかし死刑というのは言うまでもなく刑罰であり、その刑罰を本人が望む形で時期を繰り延べる、見方によってはより安楽な死に方を許容するというのは刑法の精神に反するのではないかという見方もできます。あくまで処罰として、人が最も重視する生命を過去の行いに起因して取り上げるということが死刑の概念の一つとなっているだけに、その扱いを死刑囚本人に委ねさせていいものかということになります。
 実際にというか、死刑囚が自殺しないように拘置所などでは対策が取られていると聞き、いわゆる死に逃げは許さないという立場を国は持っているように見えます。

 その一方で、中国みたく死刑確定後にほぼ1週間以内に即執行する(即執行しない場合として執行猶予付き死刑判決というのもある)ならともかく、日本の場合は死刑確定後から実際に執行するまでは非常に長い時間がかけられます。あさま山荘事件の犯人らのように政治犯であればほぼ執行されることはなく、実質的に死刑判決の下での無期懲役というのは多少は理解できますが、凶悪な犯罪事件を起こしておきながら何年も税金で生かし続けるということを批判する声は今も昔も小さくありません。

 であれば、もし死刑囚本人が安楽死による早期の死を望む場合、その要望を受け入れた方が単純な税金の使い道で言えば絶対的にプラスです。また裁判中ならまだしも、確定し本人も受け入れているのであれば、本人の申し出をもとにすぐに安楽死措置を取った方が、被害者や遺族の中にはそれを望む人もいるかもしれません。
 もっとも逆に、何が何でも刑としての執行を望む声も大きいでしょうが。

 以上は法の運用とお金の損得勘定的な観点での私の見方ですが、仮に倫理的な観点で見た場合、自分の命は自分自身がどう扱うかを決めるべきという価値観が重要になってくるのではないかと思います。自殺にも係わってきますが、本人がもう人生やめたいってんならその考えを尊重するのも一つの考えのように思え、それは死刑囚であるかどうかにかかわらず、人間全員それぞれに委ねられた個人の権利でもあると私は密かに考えています。
 無論、死刑囚のように他人の人生をその意向を無視して奪った人間に対してもこの原則を適用すべきかと言ったらまた議論となりますが、一般の立場であれば社会への再復帰が閉ざされた状態なら安楽死が認められる可能性があることを考えると、死刑囚についても考える余地があるような気がします。

 もっとも、「どうせ死ぬんだし」で安楽死をポンポン認めるというのもまた問題である気もしますが。

 実際のところ、仮に安楽死が日本で認められたとしても死刑囚にはまず認められないと思います。一方で前述の通り日本では執行までの長い期間が明らかに問題でもあるので、再審の目があるというのであれば中国みたく執行猶予付き死刑として、なければ通常の死刑としてもっと短期に執行すべきじゃないかと思います。
 今現在の死刑がかかってくる裁判ではゼロサムというか「死刑か無期懲役か」という隔たりの大きい判決を争うことから議論の争点が心神喪失をはじめ極端なものになりやすく、結局のところよくわからない裁判になっているような気もします。であれば案件の内容によって、死刑囚が真摯な反省の態度や行動を取り続ければ実質的に執行を行わない執行猶予付き死刑という刑罰ランクを設け、事案が重大であり且つ裁判中に反省する態度を一切見せなかったりした場合は即執行する死刑に分けた方が、司法効率的にもなんかプラスになるような気がします。またなんか話が脱線してきた気がしますが、まぁいつものことです。

2023年12月27日水曜日

大川原化工機冤罪事件の裁判判決

国と東京都に約1.6億円の賠償命令 「大川原化工機」国賠訴訟

 このブログではこれまで触れてきませんでしたが、その経過についてかねてから注目してきた大川原化工機の裁判について本日判決がおり、大川原化工機の幹部を逮捕、起訴した警察と地検の捜査は違法だとして、国と東京都に1.6憶円の賠償命令が下りました。この結果について一言いうとしたら、「ざまーみろ社会のダニ、ゴミクズども!」といったところです。

 詳細についていちいち解説しませんが、そもそも輸出規制を作った経産省自体が規制条文をもとに立件することに反対し、また学者らも大川原化工機の設備には滅菌機能がないと主張していたにもかかわらず逮捕起訴するなんて頭がおかしいにもほどがあり、記事中にもありますが裁判中には捜査に係った警察関係者が「事件は功名心からくる捏造によるもの」と証言するなど、常識で計り知れないアンビリバボーな内容でした。
 諸条件から言って全く犯罪要素がないにも関わらず無辜の人間を逮捕拘留し、その中には拘留中に病気が悪化して亡くなられた方もいるだけに、この事件を仕立てた関係者こそ逮捕すべき犯罪者だと私には思えます。

 素人目ですが、この手の冤罪事件に対する補償で賠償金額が億を超えるというのはなかなか珍しいと思います。それだけ裁判所側も捜査内容を問題視したものだと思えますが、これほどの事件を起こしながらこの裁判でも警察、検察らは捜査や逮捕は適正であったと主張しており、こうした冤罪捏造マシーンがいる時点で警察や検察の信頼は私の中でかなり落ちます。っていうかマジでこいつらどうにかしろと思うし。

 ぶっちゃけ志を同じくする仲間が10人くらいいるなら、警察や検察のいる建物に乗り込んで「悪い子はいねーかー!」って暴れ騒いだっていいと思う事件内容で、無茶苦茶な法解釈に無理筋な主張で一般市民を犯罪者に仕立て上げるその行為には虫唾が走ります。それだけに今回の裁判結果には溜飲が下がる思いがありますが、それでもこの事件を捏造した張本人らはいまだに捜査現場にいることを考えると安心できず、何とかこいつらを排除できないものかと思えてなりません。

 ジョジョのセリフの中に、「吐き気を催す邪悪とは、なにも知らぬ無知なる者を利用する事だ」という言葉がありますが、まさに今回の事件捜査の担当者にこそこの言葉が当てはまることでしょう。捜査を尽くして冤罪が起きたのではなく、冤罪を作るために捜査を尽くした捜査関係者に、さらなる処罰が下ることを祈ってやみません。