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2010年3月25日木曜日

地下鉄サリン事件、医療現場での奮闘と奇跡

 以前に昭和から平成にかけての猟奇的事件や大量殺人事件を話題とした掲示板を覗いた際、地下鉄サリン事件についてこんな言及をしている方がおりました。

「地下鉄サリン事件での死者は13人って、大きく報道された割にはあまり多くないよなぁ」

 恐らく書き込んだ方は別に悪意があるわけではなく死者数を見ただけの印象を語ったのだとは思いますが、見ている私からすると知らないにしてもやはり憤りを覚えずにはいられない書き込みでした。

 あの1995年に起きたオウム真理教による地下鉄サリン事件は世界史上初のバイオテロ事件でその手口も複数の路線で猛毒のサリンをばら撒くという手段といい、事件の規模は疑いようもなく戦後史上最大の犯罪事件でありその被害に遭われた方も生半可な人数ではありませんでした。それにもかかわらず死者数が13人、それこそ上記の書き込みをした方のように一見すると規模が少ないようにも見えるこの数字の裏には事件発生現場にて治療や救出活動を行った方たちの最大限の努力があり、事件規模の小ささを表すものでは決してありません。はっきり言ってあれだけの大事件にもかかわらず被害をここまでに食い止めたのは奇跡といってもよい偉業で、僭越ながらここで私もあの現場の方たちの努力をここで紹介しようと思います。

 早朝の地下鉄内で突然発生したこの地下鉄サリン事件は、発生当初から関係各所に大きな混乱を引き起こしました。各路線の電車が停止しただけでなくサリンを吸って症状を引き起こす方が続々と倒れ、しかも地下鉄という立地条件ゆえにすでに倒れた方を救助しようと近寄るそばからその救助者も次々と倒れていく始末でわずかな時間の間に膨大な数の要救助者を生みました。実際にテレビのインタビューにて応えた被害者によると、他の要救助者を駅内から地上へ運んでいる途中、自分と一緒に要救助者を抱えている人が突然ひざを落とすのを見たところで記憶が途切れ、次に気がついたときは自分も病院に運ばれていたそうです。

 この突然現れた膨大な数の被害者の治療においてまず真っ先に持ち上がった問題は、収容先の病院をどこにするかでした。今も陣痛を引き起こした妊婦の搬送先がなかなか見つからないなどこの問題は現在進行形で続いておりますが、数千人単位の急患が突然東京のど真ん中に現れてもどこの病院に運べばよいのか、また運んだとしてもすでにその病院が満杯になっていればたらいまわしになり、被害者の運搬において混乱に拍車がかかることも大いに予想されました。

 そんな最中、聖路加国際病院の日野原重明院長(当時)は事件を知るやその日の外来受付をすべて中止させ、被害者を無制限に受け入れる事をいち早く宣言しました。現在も各方面で活躍なされているこの日野原氏は周囲から老人の心配性から来る無駄遣いだなどと批判されながらも、大量に負傷者が現れながらも受け入れすらできなかったという戦前の体験からかねてより病院内の至る所に治療に必要な設備を設置、導入をし続け、その建物規模に比して膨大な人数の急患を受け入れられるように聖路加国際病院の改装を行っておりました。その日野原氏の徹底振りには私も驚かされたのですが、なんと病院内のチャペル内ですら酸素吸入口を設置するなどしていたそうです。
 この日野原氏の決断により聖路加国際病院は拠点病院として機能し、事件当日には数百人の患者を一手に引き受けて治療を行いました。

 しかしこうして被害者の収容は行えたものの、肝心の治療においてはサリンという未曾有の凶器ゆえに当初、現場は大きく混乱しました。始めはそれこそ何が原因でこれほどの負傷者が現れたのかすら定かではなく爆発や列車事故が起こったなどと情報が錯綜し、負傷者の対応に当たった医師らも爆発というには負傷者に外傷はなく、それでいてどうして心肺停止や呼吸不全などという症状が現れるのかと大いに戸惑ったそうです。

 こうした混乱する医療現場に対し、これまたいち早く原因はサリンだと気がついたのは信州大医学部教授の柳沢信夫氏でした。柳沢氏はテレビでの報道を受けこの事件の前年に起きた、こちらも同じくオウム真理教が引き起こした松本サリン事件での被害者を担当した経験から報道される負傷者の症状が酷似している事に気がつき、聖路加国際病院を始めとして東京の各病院へサリンによる毒ガス負傷の可能性を伝えるとともにその治療法をFAXにて伝達しました。
 また時期をほぼ同じくして、かねてより戦争放棄を謳っている国にどうして必要なのかと社会党などから厳しく批判されていた自衛隊内の第101化学防護隊を始めとした化学兵器対策部隊の隊員らが負傷者の症状からこちらもサリンが原因だと特定し、各病院に対して自衛隊中央病院から医師らを派遣して治療法や対応の助言を行いました。

 バイオテロにおいて何が一番怖いかといえば、その凶器の特定がなかなかできずに治療ができないという事態です。その点でこの地下鉄サリン事件は前年に松本サリン事件がすでに起きていた事が大きく影響していますが、かなり早い段階で凶器の特定ができて適切な治療を行えたということが負傷者の拡大を食い止める事に大きく貢献したといえます。特に信州大の柳沢教授の判断とその行動は真に賞賛に値する行為で、如何に人間一人の行動が重要な価値を持つのかということを示す好例だと言えるでしょう。

 しかしこうして負傷原因がサリンだと特定できて治療法がわかったものの、肝心の治療に必要な薬品はその負傷者のあまりの多さからあっという間のストックを切らす事になりました。そのサリンを中和する薬剤は「PAM」という薬品なのですが、これは非常に特殊な条件にて用いられる薬品でそれほど在庫数がもたれない薬品でした。そもそもPAMは商業ベースでは完全な赤字商品で、住友製薬が販売している有機リン系農薬から中毒を起こす可能性があるため社会的責任から会社トップが決断して製造を続けていたという解毒剤でした。
 この緊急事態に対し、住友製薬や薬品卸会社は首都圏以外の営業所からそれこそ持てる限りのPAMを社員手ずから運ぶという措置を行い、新幹線から飛行機、タクシーといったありとあらゆる交通手段を使って東京へと運送を行ったようです。

 上記のように、あの地下鉄サリン事件の裏では様々な人間が負傷者の救助や治療に当たり、その結果が死者13人なのです。確かに13人もの方が亡くなったというのは痛ましい事この上ありませんが、私はあの事件は下手すれば、というよりも通常想定されるケースでは三桁の死亡者が出てもおかしくなかった事件だったと見ております。
 また死者数ばかりに目を囚われがちですが全体の負傷者数は約6300人にも上り、その中には重い後遺症に今も悩まされ続けている方も沢山おられます。またこちらもあまり日の目を浴びておりませんが、政府はこのサリン事件の被害者へはほとんどと言っていいほど治療費などの援助を行って来ず、高い治療費負担からその後の人生を狂わされた方もまた数多くおります。政府が事件の被害者へ援助を行うようになったのは、つい最近です。

 本当はもっとサリン事件を始めとしてこのオウム事件について二十代である自分だからこそまとめておきたいのですが、さすがに準備不足なのでまだやめておきます。ただこの地下鉄サリン事件での治療現場についてはプロジェクトXでもすでに取り上げられているものの、如何に各方面の従事者が努力して被害を奇跡的といっていいほどに小さくしたという偉業とともに、一人一人の人間の行動の価値がどれだけ崇高であるかを伝えたいために、フライング気味に書くことにしました。

2 件のコメント:

圭二 さんのコメント...

揚げ足取りみたいでスイマセンが
バイオテロじゃありません
細菌兵器じゃない
ケミカルテロでしょう
A、BじゃなくC兵器

花園祐 さんのコメント...

 圭二様、コメントありがとうございます。
 言われみて、「あ、ほんまや」とようやく気が付きました。なんか化学兵器使うのみんなバイオテロだと思い込んでたようです。
 とはいえ、修正するかどうかについてはちょっと迷います。というのも「バイオテロ」という言葉に比べ「ケミカルテロ」という言葉はあまり一般に流布しているようには思えず、かといってただのテロ行為とこの事件は一線を画すものがあり、「化学兵器が使われた特殊なテロ」ということを強く打ち出すにはちょっと特別なネーミングがいるかなと思うからです。なので折角ご指摘いただいたにもかかわらず申し訳ありませんが、誤用ということを認識した上で敢えてこのまま「バイオテロ」という言葉を使用し続けようと思います。