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2017年4月16日日曜日

主語を言わずに会話する友人

 このブログでもちょこちょこ書いていますが、先々週に九州地方の大学に通っている私の友人を上海に招いて観光案内していました。その際ですがここだけの話、普段温厚な私ですら何度か「てめー殺すぞ」と喉まで出かかって言いかけました。理由は何故かというと、その友人が会話で言っている内容がまるで理解できなかったからです。
 確かにそいつは昔から変にマイペースというか次に何するかが読めない奴でちょっと変わっているということは百も承知でしたが、成人となった後もそれが全く変わりがなく、本気でどうしてこうなった、安西先生ばりに「まるで成長していない……」と何度も思わされ、少し観察してみることにしました。その結果わかったことは、どうも会話や文章で主語を省略して話す癖がありそれが周囲とのディスコミュニケーションを生んでいるようだという結論に至りました。

主語がない人との会話の特徴と対処方法まとめ(結婚生活・お役立ちブログ Web論)

 上のサイトで紹介されている主語を出さずに会話する人なんかまさにその友人の話し方そっくりで、「ああ俺だけじゃなくみんなストレス感じてるんだな」と少々ほっとするやら、友人の先が思いやられるやらという感じを覚えましたが、やはり私の見立ては間違いなくこうした癖を友人は持っています。さらに詳細に述べると、主語だけでなく目的語も明示しないために主客関係が会話で掴めなくなり聞いてる方は訳が分からなくなります。

 まず大前提のお話をすると、日本語は他言語と比較して主語の省略が非常に多い言語で、日本語を学ぶ外国人からすると文章を読解する上で大きな障害となります。具体的には、

「彼は私の友人だ。昨日ディズニーへ行ってきたそうだ」

 第二文の文章の様に、前文に主語となる人物が出てきていたら大体の場合は省略されてしまいます。日本人からすれば「行ってきたそうだ」という動詞を伝聞系にするだけで省略された主語には前文に出てくる「友人」だということがすぐわかりますが、英語や中国語だったら文章が接続されていなければ必ず「友人」という主語を入れなければなりません。
 またその場で話し合っている二者間会話の場合も、時制や受身形、疑問形かどうかで主語が誰かを判断させるために省略することが多いです。一つ例を出すと二人の人間がレストランで飯食いながらの会話で、

「そういえば例のゴルフに行ってきたけど」
「そういえば例のゴルフに行くの?」

 どちらも主語が明示されていないながらも上の文章なら話主が、下の文章なら目の前の相手が主語になります。過去形か未来形か、疑問形かどうかだけで判断しなければなりませんが、状況から登場人物がその場の二人に限定されるので日本人なら普通は理解します。
 しかし先ほどの友人にかかれば、この文章を以下のような意味合いで以って平気でこんな風に言ってくるわけです。

「そういえば(その場にいない共通の知人が)例のゴルフに行ってきたけど」
「そういえば(その場にいない共通の知人は)例のゴルフに行くの?」

 以上の様に、何故か二者間対話の中で第三者が登場する話題にも拘らず第三者の名前を出さずにいきなり動詞をぶっこんできます。聞く側からすると「誰がゴルフに行ってきたんだよ?/行くんだよ?」と聞かなければ会話が通じないわけですが、決して冗談ではなくこういうことを普通に口に出すので、その友人と一緒だった間は真面目な話結構疲れました。

 大体二日目あたりで主語を省略する癖があることを見抜いて動詞の前に必ず主語を入れるようにと何度も言いましたがさすがに一日や二日ではどうにかなるレベルではなく、何度も「主語はなんだ」と最後の方なんか常にキレ気味で言い続けました。
 なお、実際にその友人が口にして私が全く理解できなかった会話文は以下の通りです。

「行きの飛行機で一緒だった人が福岡で働いている人で、子供が前は中国の学校に通ってたんだけど今は日本の学校に通っていて、上海で通訳の仕事をしているから何度も中国に来るんだってさ。空港からその人の車に同乗させてもらって集合場所までこれたんだ」

 上の会話文を見て違和感を感じる人がどれだけいるかはわかりませんが解説すると、まず最初に「福岡で働いている人」と言ってしばらくすると今度は「上海で通訳の仕事をしている」というので、「一体その人はどこで何をして働いているんだ?」と問いただしたところ、福岡で働いている人というのは日本人男性で、上海で通訳をしている人というのはその日本人男性の妻である中国人女性であることがわかりました。この時点で、「中国人の嫁さんなんて一言も出てきてねぇだろ!」と怒鳴りました。
 上の会話文の場合、仕事内容の紹介の所で主語が切り替わっているにもかかわらず何故か全く言及されなかったために混乱を招いたわけです。何故主格が入れ替わるのに口にしないのだろうかあいつは……。

 なお当初は気が付かなかったのですが、後から色々聞いたりしたところ飛行機で座席が隣り合ったのは実は日本人男性ではなく中国人女性だったとのことです。しかも日本の学校に通っているお子さんも春休みということもあって一緒に乗っていた一方、そもそも日本人男性の方は飛行機には乗っておらず会ったこともなかったとのことです。何故その事実を最初に言わないのかあいつは……。

 以上の様にまた愚痴が大半な記事ですが、日本語での会話がどうもわかり辛いという相手がいたらまずこの「主語(+目的語)が抜ける」という線を疑った方がいいということを少し言いたかったわけです。本当にびっくりするくらい変な省略の仕方をすることが多く、言って直るもんじゃないですが言わなければより悪化するきらいもあるのと、また会話文以上に文字文章では主語をはっきりさせる必要が多いため、わかりやすい文章を書こうというのであれば意識して主語を書くようにした方がいいというのが私のスタンスです。

 それにしても、上司が外語大出の語学マニアということもあるからか自分もこういう日本語のメカニズムを分析、解説するのが上手くなった気がします。最近その上司から教わったのは、大和言葉の数詞の発音(ひいふうみい)は古代インドのサンスクリット語に通じるというあまり使いどころのないトリビアです。

2017年4月15日土曜日

不正を否定する回答の価値は?

 また仕事が忙しいが故の疲れからか今日も昼間の二時から六時までずっと寝続けました。あと関係ないけど、さっき家の近くで30分くらい延々と泣き続ける子がいてちょっとうるさかった。

 さて話は本題に入りますが先日コンサルタントをしている友人が話の拍子に、「内部で不正をやっている人に不正をしているだろうと言ったら確実にしていないと否定する」ということに触れ、こうした不正調査において当事者の肯定否定はほとんど価値がないということを教えてくれました。だからこそ客観的な証拠、具体的には金の流れとメールのやり取り、周辺人物の証言などが大事で、本人が否定しているからというのはなんの擁護にも免罪にもならないそうです。

 言われることごもっともで、悪いことをしている人間にやってるだろといって「はい、その通りです」と素直に認める奴ならそもそも不正なんてやっていないでしょう。そういう意味では私はこうした不正の当事者に実際にやっているか否かを問うこと自体が無意味だと思え、よく政治家とかの不正事件とかで事実を認める否かを百条委員会とかでいちいち確認しますが、あれなんて時間の無駄だから、「罪を認めて関連証言を話して軽減を図るか否か?」だけを聞くべきではないかと思います。

 そういう意味では豊洲問題について私は、現状からするとやはり元副知事の浜渦武生氏が豊洲に問題があることを見越しながら移転を強行した最重要張本人であるようにみえ、わざわざ個人で反論会見を開いたりしていますが自分が無実であるという証拠を明確に示せないあんな会見なんて一顧だにする必要はないという風に考えています。もう一人の重要人物である石原慎太郎元都知事も「全部浜渦に任せていた」と述べており、真実がこの発言の通りかどうか、本当に石原元都知事は関わっていないのかはわからないものの、少なくともほかの関係者の証言などを総合すると東京ガスと汚染除去については都が持つとした上で除去方法はいい加減に決めてしまった人物は浜渦氏以外には考えられないというのが私の見方です。

 仮に浜渦氏が「自分は不正をやっていない」と言ったとしても、上記の通り私はその発言には何も意味がないと考えます。もし本当に自分の無実を証明したいというのであれば無関係である覚書なり契約書なり議事録なりを提出すべきで、それがないのであれば是非ともこの問題を結ぶ生贄となっていただきたいというのが私個人の意見です。

2017年4月13日木曜日

突然出てきた北朝鮮の化学兵器報道

北朝鮮への圧力強化=安倍首相、サリン弾頭化の能力指摘(時事通信)

 今日昼間、ニュースを確認していた所上記リンク先の記事を筆頭として突如北朝鮮が化学兵器を保有するというニュースがわんさか出ました。その中には「北朝鮮が化学兵器を保有していると米国が指摘」というニュースもあったように思うのですが、いましがた探してみたところそのようなニュースは引っかからず、もしかしたら「米国が」というのは私の見間違いでなければNSC発表を先走った誤報だったのかもしれません。

 仮に「米国が」だったら、自分としてはちょっと焦りました。というのもこのところ米国がケンカ吹っかける際は毎回と言っていいほど「化学兵器が」というのを口実にしており、実際にあろうとなかろうと、かつてのフセインさんの様に問答無用で攻撃してくる前兆めいたものを感じるからです。
 生憎というか今回の化学兵器関連の発言主は上記の安倍首相と日本のNSCですが、一体何故このタイミングで触れだしたのか、またその発言の根拠となる調査や発見はあったのかについてははっきりしておらず、どちらかと言えば日本国内世論の誘導を狙った発言だったのではないかと思います。

 知っての通り既に米軍の空母が朝鮮半島へと現在向ってきています。これは4月15日の金日成の誕生日であるこの日に何らかの軍事行動、核実験かミサイル発射実験を試みる可能性が高いことから牽制目的で派遣されたもので、仮にそのまま実行して来たら北朝鮮近海へ敢えてミサイルや砲弾を撃ち込むくらいのデモンストレーションがあるかもしれません。
 逆に北朝鮮が米軍らの配備を見て4月15日になにもしてこなかったら、米軍としては狙い通りというか「北朝鮮が米軍に恐れをなして大事な記念日に何もできなかった」などと宣伝できることからも万々歳でしょう。同時に、米軍による抑止力を示すことにもなるので日韓からの信頼を得る上でも効果があるという風に私は見ています。

 これともう一つ今日歩きながら思ったこととしては、今回の空母派遣は地味に韓国の次期大統領選にもプレッシャーをかける意味合いもあるのかもしれません。トランプ政権としては北朝鮮に対し強硬派の人物が大統領になってほしいはずで、その意味でも北朝鮮の脅威を煽っておくのは韓国大統領選にも影響を与えるでしょう。
 ちなみに最近の報道見ててすごい不思議なのは、パククネ前大統領は北朝鮮強硬派だったとやたら書かれていますが、私から見たら彼女はむしろ親北朝鮮派だったように思います。その前の李明博は間違いなく強硬派でしたが。

 なお4月15日前後で本当に戦闘になるのか否かについては、まずはならないというのが私の見方です。というのも韓国は今、大統領すらいない状態で、こんな状態では戦争どころではありません。だからこそ米軍も空母を派遣して大統領なき韓国を守ろうとしている体裁を取っており、少なくとも韓国の大統領が決まらない限り米軍がいきなり北朝鮮を攻撃するという可能性は低いでしょう。

 最後どうでもいい話ですが最近戦闘機についていろいろ調べていた所、日本の主力戦闘機の一つであるF-2戦闘機がめっちゃ高くて配備数も少ない癖に、東日本大震災で水没してそこそこの機数がオシャカになったと知りました。超高性能機なんだから仕方ないと思いつつも、日本の場合は専守防衛なんだから航続距離とか捨てて、地上のレーダーや防空設備と連動できる程度のもっと安くて格闘戦重視の戦闘機のがいいんじゃないかと思えてなりません。結論を言えば、日本もグリペン買おうよヽ(^o^)丿

2017年4月12日水曜日

風刺の足りない昨今の世の中


 上の画像はさっき見ていたまとめサイトで見つけたものですが、左下の「国有地大売出し」という上りはなかなかユーモアがあって、こういうことができる人になりたいと常日頃思っています。
 こうした行為は今でもなく風刺であって、世の中の真面目な問題を敢えてユーモアを用いて解釈する、捉えると言った行為で、基本的にこうした行為は好ましいというかなかったら面白くありません。また社会におけるユーモアの幅というか寛容さを高める上でも重要であると思われ、逆にこうした風刺が一切許されない世の中ははっきり言えば病んだ社会と言ってもいいかもしれません。

 日本も戦時中はこうした風刺が徹底的に規制されたもののいつの時代もユーモアのある人はいるものというか、「ぜいたくは敵だ」という看板が掲げられるや翌日に一文字付け足され「ぜいたくは素敵だ」となっていたということがあったそうです。
 一方、私がこのところの日本社会を見ていて思うのはこうした風刺が前ほどみられなくなった気がします。もちろん言論統制とかで規制されているわけではなく、単純にユーモアの幅が狭まっているというか、ちょっとふざけて面白おかしく言おうっていう感覚が前ほど鈍くなっているように見えます。

 何故減ってきているのか理由を挙げればきりがないですが、心に余裕がなくなったとか、社会が風刺に過剰反応するようになったとか、冗談が通じ辛くなっているとかありますが、ちょっと変わった意見を敢えて言うと本来こうした風刺を担うべき芸人に教養がなくなってきて、ビートたけし氏のように社会や政治の話題をちゃんとした意識を持って茶化す人が減っているのではないかと思います。
 ちなみにかなり昔ですが、滋賀県守山市にある浮気町という地名をどう読むのかというクイズで中尾彬氏が即座に「文化」と読んだのは見事でした。なお正解は「ふけちょう」ですが、先ほどの中尾氏の発言は去年のベッキーの騒動とか見てると案外間違いでもないようにも見えます。

 話は戻りますがこうした冗談が通じ来世の中だからこそ世間を敵に回すような激しいブラックジョークが必要だと私は思います。そのような考えのもとに以前うちの親父に対し、「折角だから現代を舞台にした必殺仕事人みたいなドラマをテレビ局に売り込めよ」と言って、それこそ今なら学校を作ると言って補助金を搾取する学校法人経営者、破綻寸前にも拘らず旅行代金を請求していた旅行会社社長、豊洲移転を自分が決めておきながら責任はないと言い張る石原元都知事などを容赦なく悪・即・斬で成敗するような番組なんかあった方がいいと思います。苦情やクレームは来るでしょうが、「だからなに?」で返すような真剣さで報じていれば、きっと視聴者もついてくるんじゃないでしょうか。

 無実な人を風刺で馬鹿にするのは以ての外ですが、明らかにツッコみどころで満載且つ公益に適うならば社会はどんどんとネタにすべきです。不謹慎という言葉もあるでしょうが、今の日本の世の中は謹慎すぎるきらいがあるため、もっとふざけてというか斜めに構えた視点が必要だというのが息も絶え絶えなくらいに疲弊しきった中で書ける今日のネタでした。

2017年4月10日月曜日

出身地方で異なるメンタルの強さ

 先日高校の同級生を上海市内の自宅に招いてしばらく観光案内した際、友人から私の口調が随分と怖くなったと何度も言われました。まるで今にも殴り掛かってきそうな口調だとのことですが、私からすればかつての職場で怒鳴られまくった文言と比べれば丁寧にも程があるほど優しく語りかけているつもりだっただけに逆に「お前の方が甘い」と言い返しましたが、「花園君が前にいた職場(新聞社)が異常なんだよ」と逆に言い返され、「それは間違いないな」と私も認めました。
 ただ、この友人に限らないというか私の高校の同級生はほぼ例外なく私の口調やこのブログでの記述について過激だとか、怖いとよく言ってきます。確かにたまに恫喝目的で喋ることはあるもののまさか同級生を恫喝することなんていうことは滅多になく、こちらとしては普通に話しているつもりなのにどうしてこうもまぁ怖い怖いと言われたい放題なんだと思っていた所、最近になってようやくヒントが得られました。

 結論から言うと私が関西に行ったからで、関東の人間は関西の人間と比べると強い言葉や口調に対して免疫がないように思われます。

 このように考えるのも関西出身の友人らの反応で、「高校の同級生からはブログでの主張が過激だとよく言われるのだが……」と話したところ、「え、そうなん?あれで?」という感じで確実に不思議がられます。もっともたまに、「まぁ八つ当たり的なことを書き殴ることはあるけど」という痛い所も突かれますが。
 私自身は自分の口調について確かに口が悪い所はあるもののそこまで極端に過激なレベルではなく、怒鳴る際も対人で喉を潰すほどの声を出すことはまず有りません。逆を言えば元いた職場や大学時代を過ごした関西地方では確実に私より怖いおっさんや大学の同窓生が溢れんばかりにおり、「ぶっ殺す」とか「轢くぞコラ」とかは軽いあいさつ程度の会話でしょっちゅう出てきました。ついでにいうと顔つきも、関西の人は私からすればみんな怖かった……。

 かくいう私も大学進学で関西地方に来た当初は、「西の人はマジこえぇなぁ」と結構ガクブルでしたが、大体一年過ぎたあたりからは自分も慣れてきて、「関東の連中はみんなベビーフェイスで、怒ってる時の口調もむしろかわいいレベルだよな」と上から目線で見るようになってきました。
 こんな風に書いてると関西をなんだと思ってるんだとか関西地方の人たちから言われそうですが、関東来れば如何にナイーブな人間が多いかって理解してもらえます。私流に言えば、関東の人たちは単純に怒鳴られ慣れておらず、ちょっとしたことで怖がるなどややメンタル面が平均的に関西地方と比べて弱いように感じます。だからこそちょっと棘のある、関西人からしたらちょうどいいくらいの刺激の言葉が関東人にはブスリと刺さってしまうというか、「なんでそんなひどいこと言うの?」ってマジ顔で非難される羽目となるわけです。

 実際、関西出身や私の様に大学時代を関西で過ごした人間からすれば普段のこのブログの主張などは至って平穏なもので、「花園さん、ブログだとよく抑えてますね」とほんとに言われたりします。しかし関東の人からすれば、「ちょっとまた言い過ぎでは」、「確実にあれ読んで引く人多いよ」などと、心配してくれるのはありがたいのですが「これ以上気を使わないといけないの?」という具合で少し困るような感じとなってしまいます。

 で、話をここで海外生活に移すと、やはり大阪を筆頭に関西出身者の方が海外の現場では東京の人間より圧倒的に強く、その理由は海外嗜好とか地政学とかではなく単純にメンタルの強さにあって、いざとなったら殴り合いも辞さない覚悟の差なのかなとこの頃思えてきました。
 実を言えは大分前の時点である程度推測してはいたものの、私の関東出身の知り合いのほとんどは中学・高校の同級生とかその辺の関係が多いため、出身地域というよりかはまだ成人していない子供だったという年齢的な要因の方が大きいのではないかと思って結論を出してませんでした。しかし立派に成人した高校の同級生らとこの年齢になって話しててもやたら怖い怖い言われる辺り、ああこりゃやっぱ地域的な育ちの差だったんだなとはっきりと自覚するようになりました。

 私の場合は大学進学で関西へ行ったことが大きいですがそれ以上にやはり新聞社で毎日怒鳴られたり物投げつけられたりした経験があったのと、あともう一つ海外でそこそこ長く暮らしていることもあって、「日本人なんて中国人やインド人に比べればね……」という、またもやや上から目線の感覚で相手できるようになったことが、今のメンタルを支えていると思われます。大体物事を考える際も、「少なくとも死ぬことはないな」で判断することも増えてますし。

 なお個人的意見ですが、人種や民族という単位で見るならばアジア最強は上にも挙げている通りにインド人だと思います。インド人は何か揉め事になると時間と共にどんどん仲間が集まって増えてくるなどお前らマドハンドかと言いたくなる傾向に加え、なんか妙にガタイよくじっとこっちを睨みながらわけのわからない英語で一方的に話してくるので物凄い手強いです。中国人も似た傾向があり、こっちの都合お構いなしに一方的に中国語でまくし立ててきますが、割とこっちも強い態度に出ると少し冷静になって、普通の言い合いにもつれ込ませられます。
 一方、日本人はやはりビビる人が多く、特に関東だったら「なんなら表に出るか?」と言えば大抵捨て台詞と共に去っていきます。なお関東の人の殺し文句は、「みんな~と思ってるだろ」という他の人も迷惑してるだろ的な切り口で攻めてきますが、これもちょっと切り崩してやれば同じことを壊れた機械みたく延々と繰り返すので、変なおっさんとか怒鳴ってても毅然として、場合によっては凶器となるようなものを見せつけるなどすればすぐに撃退できるので、まともな神経を持ってる人はもっと毅然と生きていった方がいいかと思います。

2017年4月9日日曜日

米軍のシリア攻撃に対する見方

今日昼に友人と食べた飲茶

 既に報じられている通り先日、化学兵器を使用したことによる報復として米軍が突如シリアのアサド政権軍基地にミサイルを撃ち込みました。この件について知人などから私もいろいろ聞かれる機会が多いのですが生憎中東事情は専門外もいい所で、生半可な知識であれこれ答えるのは自分の分をわきまえて差し控えており、当たり障りのない米露首脳の関係性や米中首脳会談のタイミングについて解説するにとどまっています。
 それもこれも、このシリア問題についてきちんとその背景やバランスを開設するような報道が内製です。私は基本的に日系メディアの海外報道はあまり信用していませんがこのシリア問題では特にそれがひどく、現地の様子や主要国の思惑などについてこれという解説を見たことがなく、痛い大手メディアや専門家はどうしているのかと他力本願な愚痴をよく呟いています。

 ただ、他のメディアが使わない言葉で敢えてシリア戦争を表現するならば、もはやかつての朝鮮半島やベトナムの様に米露の代理戦争と化して生きているのではないかと思います。陸上線こそないものの実質的に米露がそれぞれを支持する側に立って武器供給や空爆を行い、シリア人同士の戦闘というには海外からの干渉が要素としては大きく、またISISを始めとする第三勢力のテロ組織も活動していると言いますが面白い点は米露双方が一緒になって、「イスラムテロリスト撲滅活動のため」という口実に使っている点で、可能性レベルとして好き勝手に述べるなら自作自演も一つの可能性としてみておくべきかもしれません。

 どちらにしろ今回のミサイル攻撃によって、トランプ政権はオバマ政権ほど甘くはないことははっきりしました。今回の攻撃は北朝鮮に対する脅しも兼ねていると言われていますが果たしてそのメッセージを北朝鮮が受け取るかはまだわからないものの、北朝鮮も金正男の暗殺によって国際世論が一挙に動いたことで案外その滅亡を早めたかもしれません。
 やや気の早い話ですが、仮に北朝鮮が滅んだとしたら日本が次に目を向けるのは中国かもしれません。これまでは軍事上の最大の脅威は間違いなく北朝鮮でしたがそれが滅ぶとなると既に脅威意識が高まっている中国への懸念がさらに高まり、国も中国に対するシフトをより強めることでしょう。そうなったら日中関係は多分あまりよろしくなくなる可能性があるだけに、事日中関係を維持する上では北朝鮮にはもうちょっと頑張ってもらった方がいいという見方もあるかもなと思います。

2017年4月7日金曜日

ウェブメディア業界におけるライター、編集者不足問題

 先日、自分が寄稿しているJBpressの編集長と上海市内で会った際、現在のウェブメディア業界における課題としてライター、編集者が絶対的に不足していると指摘した所、即意見が一致しました。なんでいきなりこんなことを掘り返していうのかというと、一昨日に昼の唐揚げ弁当を食べるや猛烈に胃が痛くなり今も口内炎で苦しむような出来事に遭遇した後に読んだ記事で、「最近テレビや新聞はウェブの引用をした報道ばかりでネットメディアは既に大手を越えた」的なことが書かれていたからです。
 このように書けば私が何を言いたいのかわかるでしょうが、ネットメディアが大手メディアを凌ぐなんてちゃんちゃらおかしく、上記の記事は言い方は悪いですがメディアの世界をよく知らない小僧っ子が書いたんだなと私は見ています。もしくは、ライターと編集の役割というかその力量をきちんと把握してないかでしょう。

 私はこのブログで毎日新聞、ダイヤモンドらを筆頭に散々に大手メディアを批判する記事を書いていますが、それでもウェブメディアと比べればテレビ、新聞、雑誌メディアの方がずっとしっかりしています。その差は何かというと最初に上げた通りにライターと編集者がウェブメディアには致命的なまでに不足しており、特にライター方面では自分もえらそうなことは言えませんがほとんどカスみたいな素人に頼り切っている状態です。
 意識しないとわからないかもしれませんが、大手メディアとウェブメディアで記事文章をきちんと比較するとその差がはっきり出てきます。やはり大手メディアは見方によればやや固く読み辛い印象を覚えますが、それでも文章の根幹がしっかりしているので主題→詳細→関連話題という具合の三拍子がきちんと整っている文章が多いですが、ウェブメディアの方は同じ記事内でも表記がバラバラになったり、段落がきちんと分けられてなかったり、見出しに掲げた主題にほとんど触れないいわゆる「見出し倒れ」な記事がよく散見されます。

 一つ名指しするとこのところよくトップページのニュース欄に混ぜてくる、Yahoo編集部がまとめた記事などはまさにこの典型です。あれは恐らく始めから見出しが概ね決まってあり、その見出しに合わせて取材した内容を延々とただ書き連ねているだけなので読んでて何がいいたのか全く見えてこない記事が多く、量多くして真相なきウェブメディア記事の典型だと思います。

 ウェブメディアの悪い特徴をもう一つ上げると、やはりライターの問題からか取材が致命的に不足していることも大きいです。大体が聞きかじった内容を詳しく下調べせずに書かれているため基本的な事実誤認は当たり前な上、内容がよくわからない専門的な箇所は意図的に避けるため深みのない薄っぺらい記事になります。またインタビューとかでも結構どうでもいい感想を聞くことに終始するというか、企業取材に関しては踏み込みが明らかに足りておらず相手広報と本気でやり合ったような跡も見られません。まぁこれは最近の大手メディアにも言えますが。

 こうした問題点はすべてライター、そして編集者の不足に起因しており、まだライターの問題であればまだ後から育成したり、出来上がった原稿を手直しすることでいくらかカバーはできますが、そうした育成、手直しを行う編集者の不足だけは本当にどうにもなりません。編集の役割としてはこのほかにも取材企画の立案、組織、指揮も含まれるため、大掛かりな取材や、私の様に外国語を用いて取材できるような人間の活用面でも手腕が問われます。
 特にこのところのウェブメディアの記事を追っていると、刺激的な話題にすぐ飛びつくというか内容の検証すら済ませずに流してしまう傾向があり、一例を挙げると中国でVPNが禁止されると一時期大手メディアも含めて一斉に報じていましたが、あれは中国語の法律文書をきちんと読めずに本来は規制の意味を禁止と捉えてみんなで誤報を流した例です。普通に考えればVPN禁止となれば中国進出の大手企業各社の通信、連絡業務で大打撃を受けることから実行できるわけがなく、そこに至れば必ず「これは本当に『禁止』なのか?」とブレーキがかかるはずで、その辺を判断できる編集の人間がやはりウェブメディアにはいない気がします。私の持論ですが、報道にアクセル踏む奴よりブレーキをかけられる編集の方が優秀です。

 なんだかんだ言いつつ、大手メディアはこの辺の態勢がしっかりしていて、共同通信に至ってはどんな些細な誤報一つでも流したら即その部署の編集長は更迭されるほどの厳しい姿勢で編集に臨んでいます。そのような迫力というか責任感がウェブメディアにはまるでなく、またどことは言いませんが私が記事ネタを提供したあるウェブメディアの記者に至っては一番キャッチ―な数字データを何故か使わずに自分が取材した内容をずらずら書き並べるだけで、「この原稿見た上の編集は何も言わなかったのか?」と本気で疑いました。関わっても無駄に価値下げるだけなので、真面目にそことはもう仕事をする気はもう全くありません。

 とにもかくにも、ウェブメディアにはライターと編集者がまだまだ不足しており、ほかの国ではどうかは知りませんが大手メディアと肩を並べるなんて私からすれば考えられない夢想話です。もちろん大手メディアも以前と比べると編集力などの点で年々実力を落としてきていますが、それ以上にウェブメディアがあまりにお粗末なので当然抜かれることはないでしょう。
 ではウェブメディアは今後どうすればいいのか。やはり新聞や雑誌出身のまともな編集者を高い金出してでも雇って切り盛りさせる以外ないと思います。ここで重要なのは新聞や雑誌出身であればいいということではなく、「まともな」編集者であることです。やはり自分の経験からしてもいい編集者が上にいるかいないかでライターも変わってくるし、下のライターを上手く引っ張ってくれる人間をどれだけ集め、ライターを育成できるかが今後のウェブメディアを左右するでしょう。