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2012年8月12日日曜日

環境によって性格が変わること

 あまり有名ではなく歴史の教科書にもまず乗ることはないでしょうが、戦後直後に東大の総長となった南原繁という人物がおります。この人の業績をいくつか書くと法学部出身で、サンフランシスコ平和条約の際には全面講和を取るべきと主張し、ソ連や中国を含まない多数講和を取った吉田茂に対して激しく批判した人ですが、確か戦後最初の東大入学式で行った講演は当時に大きく取り上げられ、新聞などに全文が掲載されと聞きます。その時の講演の概要ですが大まかに書くと以下の通りになります。

「日本人が何故勝ち目がないにもかかわらず先の大戦(=二次大戦)に入ってしまったのか、それは等しく日本人一人一人が独立した理性を持たず、周囲が開戦の熱気に盛り上がるや自分もその熱気にあてられ勝算や戦う価値を考えることをやめてしまったからである」

 文章自体は私が作っておりますが、大まかには日本人一人一人が冷静な思考を持ち続けていればあのような戦争は回避できた、といったようなことを言ったそうです。言われることまさにその通りに感じますし、ややもすると付和雷同しやすいとされる現代日本人にとっても耳の痛い内容に聞こえます。
 ただこう言っておきながらも、周囲の状況に抗して自分独自の意思というか個性を守るというのは至難の業だといっていいでしょう。これなんか社会学の代表的な学論で私もよく主張しますが、「人間というのは個性やその性格よりも周囲の環境に定義される」ものだと本気で信じています。

スタンフォード監獄実験(Wikipedia)

 周囲の環境によって性格が決まる、というより性格が変わるという代表的な実験として、上記のスタンフォード監獄実験というものがあります。非常に有名な実験で別名「アイヒマン実験」とも言われますが、この実験では参加者を看守役、囚人約に分けて刑務所に近い設備に入れてそれぞれの役割を演じさせたところ、看守はより看守らしく傲慢で暴力的に、囚人はより囚人らしく卑屈でおどおどするようになっていったそうです。もっともこの実験は禁止されていた暴力すら看守が途中で振るうようになっても主催者がそれを一切止めなかった、情報を完全に隔離するなど(実験中止は危険と見た牧師が参加者家族に伝えて果たされている)実験結果を一般的とするには問題となる要素も少なくないのですが。
 ただこのスタンフォード監獄実験ほど極端でなくとも、地位が上がるや急に傲慢な性格になったり、逆に移籍されるや大人しい性格になるなど、就く役職、または組織内の地位や支援者の数によって性格の変動が起こり得ると私の実感では感じます。

 では逆に、そうした周囲の環境変動に左右されずに一定の性格を維持できる人間とはどういったものなのでしょうか。それこそ最初の南原繁が言ったような、戦時中でも日本はこの戦争に勝てるわけないといえるような。
 言ってしまえばこのような人間は古い言葉でいうと「KY」と呼ばれるような、空気の読めない人間でしょう。ただ昔にも一度書きましたが、日本人は周囲の空気を過剰に読もうとしてそれこそ「空気に飲まれる」人間も少なくありません。そんな中で、というよりもそんな人間が多いからこそ敢えて空気を読まない人間、空気に支配されない人間が一定数いるんじゃないかとこの頃強く感じます。もちろん空気読めない人間ばかりというのもまた問題ですが。

 では空気を読まない人間とはどんな人間か、敢えて言い換えるなら「意志の強い」とされる人間がそういうタイプなんじゃないかとにらんでおり、このところ自分の周囲で誰がどんなふうに意思が強いのか観察しています。そういうわけで次回は意思の強さとはどういうことかを簡単にまとめて、具体例をいくつか紹介しようと思います。

2012年8月8日水曜日

中国とロシアの関係



 本日の上海市は台風直撃のため、飛行機が全便欠航になるわ各所で大混乱が続いています。自分の会社も午後4時で撤退を決めてその後は自宅で作業をしましたが、雨はともかく事務所周りでも並木が倒れるほど風が強く、話に聞く限りだと高層ビルが林立している浦東地区ではビル自体が風邪で大きく揺れ続けたために立ち入り禁止になったそうです。それにしても上の新華社の写真はいいシャッターチャンスをものにしている。
 そろそろ本題に入りますが、ちょっと久々に専門だと自認している国際政治の話を書きたいので、中国ロシアの関係について書こうと思います。まず結論から言うと中国のロシアに対する恐怖心というものは現在も相当なもので、トラウマと言ってもいいレベルにあると私は見ています。

中ソ対立(Wikipedia)

 中華人民共和国が設立して以降の中ソ関係をてっとり早く確認してもらうには上記のウィキペディアのサイトが一番ですが、ここで書かれている内容を簡単に説明します。
 まず中国の設立当初、中ソは同じ共産主義国家として非常に仲が良かったです。単純に毛沢東とスターリンがぎゃくさ…をためらわずにお互い実行するなど馬が合ったというか、この蜜月自体にはソ連から核兵器など様々な分野にわたって技術供与を中国は受けています。なお余談ですが、自分が北京に留学した際に最初に入った学生寮は、この蜜月時代にソ連の技術者が建てた寮でした。

 そんな蜜月時代が暗転したのはスターリンの死後にフルシチョフが立ち、かの有名な「スターリン批判」をしてからでした。現代においてはこのスターリン批判は至極まともな内容でまさにその通りとお墨を付けてもいい内容ですが、当時の全世界の社会主義者にとってはどうもイデオロギーの転換というか路線変換に移ったらしく、ちょっと想像しづらいですが相当にショッキングな内容だったそうです。これは中国にとってもそうで、米国との親和路線(雪解け=デタント)をフルシチョフが取ろうとしたことも相まって公にも激しい批判を毛沢東が繰り返すようになり関係が険悪化していきました。

 その後、これは私の想像ですが中国が1965年から文化大革命に入るとイデオロギーというか思想に対する意識が極大化したこともあって、もし戦争になったらどうなるのかなど関係悪化に伴うデメリットなど一切考慮せず、「ソ連憎し」みたいな感情が中国で広まったのだと思います。もうこのころになると国交は断絶状態に近いのですが、1969年にダマンスキー島事件という中ソの国境紛争がおこるなど、実際に火花も飛んでおります。更にソ連はアメリカに対して「中国を攻撃したらどうする?」と非公式に打診するわ(そしてそれをばらすアメリカ)、また機関紙でも中国への核攻撃を示唆するなどかなり強気な態度を取るようになっていきます。

 こうしたソ連の態度に中国側も恐怖心を抱いた結果、敵の敵は味方とばかりにアメリカとの国交回復に至ることとなりました。考えてみれば非常におかしな話ですが、元々フルシチョフの親米路線から対立が始まったのにアメリカと手を組むなんて、このころには目が覚めたというか昔みたいにイデオロギーだけじゃやってけないと毛沢東も考えたのかもしれません。
 なお断言しますが仮にこの時期にソ連が中国に対して戦争を起こしていたら、文化大革命で大混乱していた時期なだけに赤子の手をひねるように簡単に叩き潰せたでしょう。当時はアメリカもベトナムにかかりっぱなしで中国を助けることもできなかったでしょうに。仮にそうなってたらという設定で大友克洋氏作画で「気分はもう戦争」が書かれていますが、この本は自分も読みましたけど内容はちょっと……というものでした。

 話は戻って中ソ関係ですが、米国の後ろ盾を得たことで中国のソ連に対する軍事的脅威は一時緩和します。またその後に中国が改革開放路線に転じ関係改善を図るようになり、ソ連側もゴルバチョフのペレストロイカに入ったことによって現在のように普通の国交関係を維持するまでに回復します。

 ただここで現在の話に入りますがこのところの中国の新聞を見ていて非常に気になる点として、日本の北方領土問題に対して異常に大きな扱いで取り上げられていることが多いです。それこそこれまでの経緯から今後の展望に対する解説、果てにはキーマンとなる日本の政治家の個人名など事細かに1ページ丸ごと書いていることも珍しくなく、まるで自国の領土問題化の様な扱いです。内容に関しては中立を保ってはいますが、「ここで日本が譲歩すればロシアの拡大路線が強まる」などと書くなど、どちらかと言えばロシアへの警戒感が強くにじみ出た内容である印象を受けます。

 一体何故中国はここまでロシアに警戒するかですが、日本と違って陸続きであることも大きいでしょうが、歴史的にも油断のならない国だと認識しているのだと思います。世界史を学んでいる方には早いですが、過去にロシアはプラハの春やアフガン侵攻を筆頭に、傍若無人さでは中国にも負けないことを平気で何度もやっております。それだけに日本に対しては尖閣問題などでがみがみ言い合える関係だけれども、ロシアに対しては強く言ったらなにをしてくるかわからないというような、潜在的な恐怖感があるように感じます。

 上記を踏まえた上で私が感じる点として、日本は中国との衝突に対する後ろ盾をアメリカに期待する人が多いですが、これにロシアを組み込んだらどうなるのかとたまに考えます。もっとも二次大戦時には平気で約束破られて北方領土を奪われたのですから、あまり期待してはいけないのですが。

2012年8月7日火曜日

消費税増税法案を巡る攻防

 昨日は用事があったため午後6時台というかなり早い時間に帰ってきましたが、突然感染した夏風邪の影響から何もできず寝込んでいました。今日も本音では会社休みたかったけど、マジで病欠を認めてくれないところなので吐きそうになりながら出社して勤務を終えました。食欲ないから今日の晩御飯はバナナだけだし……。
 ただ今日の夕方位からちょっと持ち直して来ているので、明日には全快するでしょう。そんなわけで今日もブログを書いているわけですが、ようやく政治関連で動きが出てきているので個人的に好きな内容を書くことが出来ます。ここだけの話、見てる側はつまんないだろうけど政治系記事はすぐ書き終ります。

増税法案あす採決を自民容認=与党、不信任協力して否決(時事通信)

 当初は消費税増税法案可決後の解散を確約しない限りは三党合意破棄も辞さない姿勢を見せていた自民党ですが、ここにきて方針転換し、無条件で参議院での採決で賛成に回ることを決めたようです。私の意見を言うと、まぁ正解な対応だと思います。
 前回の記事でも書いていますが、確かに民主党が分裂した上に政権基盤が弱まっている野田首相を攻める上では今がこの上ないタイミングでしょう。ただ一旦増税に賛成しておきながら後になって党利党略でひっくり返すという手段は恐らくあまり政治に興味のない人たちにとっても変な行動に見え、実行していたら今の民主党以上の反発を受けることになったでしょう。もっともそれを言ったら、初めから解散を迫るために三党合意破棄をちらつかせなければベストだったのでしょうが。

 何はともあれこのままいけば、明日の野田内閣不信任決議も否決されて増税法案も可決といたるでしょう。私としては消費税増税はあと十年早ければと思えてならないのですが、ギリシャを笑ってられないのだし、これ以上遅れるよりはまだいいといったところでしょう。ただこうなると気になるのは解散の時期です。一応今の民主党の任期は来年までありますが、以前にも書いたように今上天皇の体調がすぐれないことから、可能ならば年内にやっておいた方がいいのではというのはという気がしてなりません。時期としてはやはり年末がいいですが、野田内閣が来年度予算の編成に取りかかったところを見るとどうもこのまま粘って寄り倒すつもりなんじゃないかと思います。
 それにしても愚痴になりますが、もうすこしまともな政治家、というより政治家志望の人間はいないものかとつくづく思います。維新の会にしろ減税日本にしろ、一部の人間かもしれませんが真面目に資質を疑う人間もおり、一体どういう基準で人選しているんだと言いたくなってきます。地方議員に至っては政治屋が大半だし。愚痴っても始まりませんが、次回選挙の際にはまともな議員が出てくることを切に祈ります。比例制をなくせばいいだけでしょうが。

2012年8月5日日曜日

野田内閣不信任案について

 本日、ハマコーこと浜田幸一元議員が死去したというニュースが流れました。なんかこの人はいい意味で殺しても死ななそうな人間だっただけに、この突然の訃報はなんかほかの人とは一味違うような感じがします。何はともあれ、ご冥福をお祈りします。

 話は変わって今国会における最大の山場こと消費税増税法案議論ですが、自民党を中心とする野党が野田内閣と結んだ三党合意を破棄し、逆に内閣不信任案を突きつけて止めを刺そうかと動いているようです。こうした野党の動きに対して野田内閣はあくまで三党合意を遵守するよう呼びかけていますが、特になにか新条件を出すわけでもないし正当性を訴えるわけでもないので私から見てもあまり説得力はない気がします。仮にこうした呼びかけを野党全体にではなく、やや立場がふらついている公明党に集中して呼びかけるというのであればまだ面白いのですが。
 もっとも説得力がないと言いつつも、私個人としては消費税増税に賛成であるためにこのまま参議院でも十てもらいたいのが本音です。ただ自民党の側からすると確かに政局的には今が追い詰める絶好のチャンスであり、また法案成立後に解散することを確約させる譲歩を引き出す上でも重要な局面でしょう。

 しかし仮にこのまま何も進展がなく三党合意を破棄し、消費税増税法案が流れたとしたら逆に自民党の立場が悪くなることも有り得ます。もしかしたら私だけかもしれませんがもしそうなった場合、消費税増税を煽っておきながらそれをフイにしたことで次回選挙時に「増税に反対した」、「増税を食い止めた」という宣伝文句がうすら寒くなり、むしろ党利党略を優先し過ぎて停滞を招いたと批判される恐れがあります。そんなわけだから仮に三党合意を無視して参院で否決されても、残り国会会期を考えれば衆議院に戻っても時間切れによって自動成立することは間違いないでしょうが、野田首相は敢えてここで解散に打って出てみると面白いかもしれません。もっともそんな大それたことをする度胸があったのは小泉元首相くらいでしょうが。

 ここで少し話をまとめると、今自民党が何よりもほしいのは解散だけです。民主党が不人気で分裂しているので解散に持ち込むだけで漁夫の利が得られるからです。しかし今の自民党は政権を奪回したところで何をするのか、はっきり言ってビジョンも何もなく、下野する前と比べればあまりにも地力が落ちた状態と言わざるを得ません。
 じゃあ今度はどこが来るのか、橋本大阪市長が率いる維新の会が来るのかなどという人もいるかもしれませんがこれには私は否定的です。別に維新の会が悪いとかそういうものじゃなく、友人曰く「あそこはスポンサーがいない」ということから、選挙を戦うことが出来ない上にこの前当て逃げした人みたいにやや烏合の衆しか集まっていない節があります。せいぜい橋本市長が国会議員になるだけで終わるでしょう。

 まぁこんな感じで、多分次回選挙後も日本は混乱が続くことになるでしょう。そのころには自分も日本にいるかどうかわかりませんが、少しでも良くできるように何かできればとは思います。

2012年8月4日土曜日

人材の当たり年とはずれ年は何故発生するのか

 学生時代の友人との会話の中に、やや不可思議さを感じさせられる年代の話がありました。その内容というのも、○○年生まれの世代は中学校時代に荒れていたというものです。
 具体的に何年生まれかまでは書きませんが、その世代が中学校に進学した際に私が住んでいた学区の公立中学は荒れに荒れて、暴力事件なども頻発していたそうです。ただこれは私の地元に限らず、遠く離れた都道府県出身の友人によると全く同じ年代がその友人の地元でも他の年代と比して荒れていたそうで、なんかほかの出身のどの人間に聞いてもピタリと年代が一致したそうです。この前にふと思い出したのでこの話を会社の日本人同僚に聞かせてみたところ、「そう言えば、その年代は僕の上位学年ですが荒れていたとよく聞きます」と、まさか中国でも同じ内容を聞くことになるとは思いませんでした。

 一応断っておくとその問題行動が多い世代というのはいわゆる「キレる17歳」世代ではありません。それにしたってこう呼ばれた世代は今、「草食世代」と言われているのだからマスコミは勝手だ。
 話は戻りますがこの不思議なことにその該当する年代の前後ではそれほど問題行動はなく、その一年だけが際立って荒れていたというのです。仮にある年代を境に問題行動が増えるというのであればなんとなく理解の使用もあるのですが、一年限定でこういった現象が確認されるというのは非常に珍しい話です。確かにその年代は詰め込み型教育からゆとり教育へ移る過渡期だったために一年ごとに指導カリキュラムが変わっていたというのは事実ですから前後の年代と異なる傾向を持つのも無理な話ではありませんが、それにしても極端過ぎるきらいがあります。

 そんなわけで何がその世代を全国的に荒れる方向へ持っていったのかいろいろ個人的に調べてはいますが、現時点でヒントすらつかめていない状態です。ただここで話は変わりますが、企業の人事担当者によると新人採用では当たり年ともいうべき集めた人間みんなが活躍する年もあれば、はずれ年ともいうべき誰も使えない年が明確に表れることがあるそうです。
 日本のプロ野球でもそう言った年はいくつか見受けられ、たとえば最近だと「ハンカチ世代」こと日本ハムの斎藤選手の年代は楽天の田中選手や広島カープの前田選手、巨人の坂本選手などぬきんでた選手が確かに多いように感じられ、また古くは「KKコンビ世代」、「松坂世代」もやはりなんかいい選手が固まっているような気にさせられます。逆にここだけの話、自分が生まれた年代はプロ野球で活躍する選手がやけに少ないような気がしてます……。

 仮にこうした優秀な層が年代によって固まるというのを立証できたらそこそこ面白い論文になりそうですが、はっきり言って原因は皆目見当が付きません。ただスポーツに限らず一般社会人、あと国家公務員でもこういった現象があると聞くので、少なくとも何かしら背景なり影響を及ぼす要素があるような気がします。
 なんでもいいから仮説を出せというのなら一つ上げるとすると、やはりその世代に対する注目度というものが大きく作用しているような気はします。先程のハンカチ世代だと前後の世代と比べてドラフトの時点で大きく注目されており、取り上げ方も何か違ったのではないでしょうか。それこそ監督やコーチの練習時の見方など。

 単純に言い換えるなら注目される分、評価してもらえるチャンスが多いのではということです。また注目されることでその年代自体も意識するようになり発奮していた可能性もあります。
 では現代の若者が「ゆとり世代」とされることはどんな意味になるのでしょうか。言ってしまえば何か失敗すれば「ゆとりだから」と言われて、成功をおさめたとしても「ゆとりなのに珍しい」となって、「さすが松坂世代」とは言われ辛いのではないかと思います。ここら辺は社会学で言うところの「予言の自己成就」ですが、無駄なレッテル貼りはよした方がいいんじゃないかというのが今日の私の意見です。

2012年8月3日金曜日

ゲームレビュー「コープスパーティ」

 どうも職場で風邪をうつされたのか昨日から喉がいがらっぽく、今朝起きたら関節痛とかでいろいろとだるい状態が続いています。あとこのところ本当に解説するようなニュースがあまりにもなくネタ切れが激しいので、この前日本から取り寄せたコープスパーティというゲームについて軽く書きます。

コープスパーティ(Wikipedia)

 このゲームのジャンルはホラーアドベンチャーで、私が今回遊んだのはPSP版です。結論から言うと非常に期待外れな出来で、買ったことを後悔するくらいひどい内容でした。
 まずなんでこのゲームを遊んでみようとしたのかというと、発売してから年月が経っているのに一向に中古価格が下がらなかったことがまず興味を引きました。これだけ値段が下がらないというのであればそこそこ評価が高いということだし、あと夏だからなんかホラーゲームがしたくなったということもあってAmazonで購入することにしました。

 ただ購入する以前から、ある種の地雷臭いうべきか不安がありました。というのもAmazonのレビューだと「シナリオはいいんだけど」とほぼ一様に書かれてあり、どうもシステム面とかゲーム性に問題がある節が見て感じ取れました。特にほとんどの人間が書いていたのは「ロード時間がやけに長い」という内容で、比較的値段が高い分、買って後悔はしないかと心配ではありました。残念なことにこの心配は見事に的中しました。更に言えば比較的評価が高いシナリオについてもにしおかすみこみたいに言うと「がっかりだよ(#゚Д゚)ゴルァ!!」と言いたくなるくらいのひどい出来でした。

 具体的にどの点が悪かったのかというと、まずはほかの人同様にロード時間です。このゲームは校舎内を探索するアドベンチャーゲームなのですが、教室を出たり階段を上り下りしてマップが切り替わるとキャラクターが数秒間、硬直して動かなくなります。それこそ昔のセガサターンやプレイステーションの頃のゲームと比べると屁みたいなロード時間なのですが、なんでマップもキャラクターも2Dドットで作られているのにこれだけ頻繁に硬直が起こるのかがすごい不思議です。仮に3Dマップのようにデータ量が大きいのならともかく、どう見たってしょぼいグラフィックなのにこれほどまでにロード時間を作るというのはある意味すごいんじゃないかと思うくらいひどいです。プログラムの組み方が極端に悪いのでしょうか。

 そして次に不満だったのは、このゲームにはゲーム性が全くないという点です。話を進めていく上で一応バッドエンドなどは設けられているのですが、そのどれもがアイテムを取ったか取ってないか、校舎内をうろつく幽霊にぶつかるかぶつからないかで決まるもので、「油断したら死ぬ」ってキャッチコピーがついていますが実際には「しょうもないことで死ぬ」といったところです。
 またアドベンチャーゲームでありながら話に分岐が全くと言っていいほどなく、ほぼ一本道のシナリオというのは手抜きもいいところでしょう。ゲームの最終盤に至ってパーティが二手に分かれてザッピングしながら探索するようになって少しは面白くなりますが、どうしてこれを最初からやろうとしなかったのか、探索というか決められた通りに物事を運ぶだけなのが非常につまらないです。

 そして極めつけがBGM。なんか主題歌も入っていますが控えめに言ってもあまりうまくない歌だし、歌詞も作品に合っているとは思えません。最もそう思うのはOPムービーが如何にも適当に作られた感じがする出来なのでそれに引っ張られている感もあるでしょうが。また探索中のBGMも、どう聞いてもダンジョンRPGに使うような変にポップなBGMで、探索している最中になかなか怖いと思うことが出来ませんでした。個人的にホラーゲームはBGMが命だと思いますし、PS2の「サイレン」とかSFCの「かまいたちの夜」などはBGMがムードに合ってたのが最大の評価点だと思います。

 肝心のシナリオについては目も当てられません。時系列上の明らかな矛盾があるばかりか、「ホラーというよりはスプラッター」と言われているからもっとバンバン人が死ぬかと思ってたらむしろなかなか死なないし。押切連介氏の漫画作品「サユリ」みたいな理不尽な暴力を期待していたのですが、ゲーム中に出てくるキャラクターは明らかにうかつな行動を取り続けて死ぬのが自業自得に感じてきます。ヒロインキャラに至っては例にって自分勝手に単独行動を取ることが多く、「むしろ早く死ね」とすら思えるくらい嫌悪感を感じるキャラです。

 自分でもここまで悪く言うのはどうかと思うのですが、本当に評価点が全くない作品です。真面目な話、どうしてこのゲームが一定層の支持を得ているのか全く理解が出来ません。まだ「ひぐらしの鳴く頃に」はわかるんだけど。
 唯一爆笑したところとして、「刻命」とかいて「キザミ」という名前の男子高校生が出てくるところです。全般的に名前のセンスがばね飛んでます。


2012年8月1日水曜日

10月開催の中国共産党全国代表大会について

 知らない方も多いかと思うので、今日はちょっと中国の政治制度こと中国共産党全国代表大会、通称中央党大会について解説します。

中国共産党全国代表大会(Wikipedia)

 よく中央党大会と勘違いされるものとして、毎年1回3月に開かれる全国人民代表大会(全人代)というものがありますが、これは日本語に言い換えるなら国会で、中国共産党員以外にも財界人なども参加して意見を言い合う大会です。
 では本題の中央党大会というのはどんなものなのかですが、こちらは5年に1回のペースで開かれるもので、ひとつ前が2007年に開かれたので次回大会は今年10月です。ここでは中国共産党内部の人事や重要事項の決定などが行われるため、先程の全人代と比べても重要度はこちらの方が遥かに高く、その意義も非常に重いです。

 この中央党大会では中国共産党のトップこと総書記人事も決まります。現在の総書記は胡錦濤ですが、彼は2002年、ちょうど10年前の中央党大会で総書記に就任しており、2期10年を務めた今年に退任することが確実視されております。今年の中央党大会は10月を予定しており、その時に現在の常務委員の習近平が総書記に就任することが確実視、というかもう決まっております。中国の次のトップというのは数年前の時点で計画的に決められており、習近平も大体2009年くらいには本命だろうとみられておりました。胡錦濤に至っては総書記に就任する10年前の1992年くらいに鄧小平から指名されていたと言われてますが。

 そんな中央党大会の開催を目前にした現在、一部のチャイナウォッチャーの日本人の間では次の人事はどうなるかという下馬評争いが激しくなっております。自分はあまり興味がないので加わっておりませんが、派閥を争いが好きなタイプにはたまらない話題らしいです。あまり詳しくない私ですが伝え聞くところによると、最高幹部会である常務委員会入りが有望視されていた以前の重慶市書記こと薄熙来が日本でも大きく報じられたように失脚したことから、代わりに誰が入るのかなどでそこそこ盛り上がっているそうです。
 そうした人事面での揉め事が影響しているわけではないでしょうがやはり5年に1回の大イベントということで、今現在の中国はちょっとピリピリした雰囲気になっています。身近なところだと最近メールが送り辛くなっていますし、また外国人に対して警官の職務質問が増加していると言い、日本大使館もパスポートを必ず携帯するようにと呼びかけております。

 最後にまた日本との尖閣問題についてですが、先ほども言った通りに今年10月に中国のトップは胡錦濤、温家宝と共に入れ替わります。これが何を意味するかですが、一つの仮説として退任するトップが辞める直前に尖閣問題で何か行動を起こしてくる可能性もあります。どうせ退任するのだから揉めるだけ揉めて、関係修復は次のトップにお任せということを冗談じゃなく中国はやってこれる国です。もちろん可能性があるだけで、実際にはそういうことはないと思いますが。