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2012年5月12日土曜日

関西電力に対する私の見方

 原発停止に伴い今夏に懸念される電力不足について、関電こと関西電力でいろいろ議論が起こっております。結論から言うと私個人としても関電の言うことは信用できず、より具体的な検証と報道、あと政府による圧迫が必要かと思います。

 まず関電のどんなところが信用できないかですが、これは以前の産経の記事に書かれていましたが去年も散々に電力不足の懸念から消費者に節電を煽っておきながら、蓋を開けてみたらかなり余裕があった上に大きな問題が何も起こりませんでした。にもかかわらず今年においては去年と比べ停止している原発が増えたことから、今度は嘘じゃなく本当に本当で電力が不足する可能性が高いと主張しているものの、その不足数値があまりにもアレというか魂胆見え見えの数値であることに驚きを通り越してあきれました。

大飯再稼動なら8月の電力不足回避…政府試算(読売新聞)

 上記リンク先の読売の記事に書かれていますが、このままいくと今夏の電力は約15%不足すると試算を発表しましたが、この不足数値を発表するとともに、「大飯原発を再稼働させれば、ギリギリ足りる」という、実質的に大飯原発を再稼働させなければ電力を止めると言わんかのような脅しを打ってきました。しかしこれはスズキのスズキ会長もなんか言及したそうですが、足りない足りない地うばかりで具体的にどうやって不足電力分を補うのか、火力発電とか擦りよく発電をどれだけ増やすかといった具体案は非常に乏しく、はっきり言いますが今回の不足分の試算も大飯原発を再稼働させるための方便、つまり大飯原発の発電容量分を不足分に計算するという結論が初めから決まっていたのだと思います。

 こっちは東電の話ですが、自らの不手際で電力不足を招いたにもかかわらず消費者には節電を要求し、その上でお気楽この上なく去年冬には社員にボーナスを支給しておきながら今年になって「電気代を強制的に加算する」と臆面もなく言ってくるあたり、どうも電力会社というものは世間の常識と明らかなずれがある気がしてなりません。極端なこと言うと、よくこういうことしておきながら夜道歩けるなとすら感じます。

<需給検証委>関電に4社融通拡大 5%節電で制限令回避へ(毎日新聞)

 などと考えていたらやっぱり出てきた回避案。上記の毎日新聞の記事によると、余裕のある西日本各社から電力を融通することで不足量は大分圧縮できるようで5%の節電で乗り切られるという試算を需給検証委員会が出してきたそうです。なんで外部からすぐこういうのが出てくるのにデータの揃っている自分の所で関電は試算が出来ないのか、わざとにしたってもう少しうまい言い訳を考えろよと手段の拙さに呆れてきます。
 もっとも政府、というより経産省側も原発を早くに再稼働させたいという異常な意欲を持っていることから首謀者がどっちにあるかは(恐らくは両方の意見の一致による)はっきり言い切れませんが、人をだましたり蹴落とそうっていうのならもっとスマートにやれよと言いたいのが今日の私の意見です。

ソーラーパネルの耐久性に対する疑問

 さっき切れた電球を買いに行ったら、発行色が必要な白色ではなく黄色を買ってきてしまっていました。今週は真面目にいろいろあって帰宅が毎日夜遅かったから、疲れているもかもしれません。ちなみに今週どれくらい忙しかったのかというと、同僚の親類に不幸があったので当日になって展示会取材を代理登板。さらに昨日も本来休日のところを訪問取材に行って結局半日潰しました。今週は先週と違って比較的涼しく、暑がりな自分からすると動きやすくてそれほど疲労感はないのですが、知らないところで注意力が落ちている可能性もあるのでこの後昼寝でもしようかと思います。

 それはさておき本日の話題ですが、先日にうちの親父と話をした際にお題となっているソーラーパネルの耐久性について話題となりました。親父が言うには、「メーカーはメンテナンスなしでいいというが、雹とか降ってきても問題ないのだろうか」ということで、早速親父に代わって自分が調べてみました。結論から言うと、やはり雹が降ると破損して駄目になる可能性があるだけでなく、ウェハーベースのソーラーパネルだと湿気にも弱く、対策がきちんと施されていない場合はこちらも故障する可能性が出てくるようです。もちろん、故障したら使用は不可能で最悪全品交換という羽目になります。

 なにもこの雹の問題に限らずソーラーパネルには「メンテナンスフリーで半永久的に使用できる」という宣伝文句が非常に多いですが、以前にも書いたように現行のソーラーパネルの寿命は理論値で約20年、しかも10年経ったら発電能力は当初の半分に落ちるため、世間で出回っている広告は問題がある気がします。こちらの産総研の調査でも導入から数年後の故障率は3割程度あるとして導入後メンテナンスが重要だと書かれておりますが、消費者からの相談も増えていると聞きますし、もう少しメーカーも周知する必要があるんじゃないでしょうか。

 以上の理由だけじゃありませんが、以前にも書いたように私は原発に代わる国のメガソーラー計画に対して反対の立場を取っております。根拠としては寿命が20年で不安定な発電力では投資に見合わないということと、寿命の尽きたソーラーパネルの廃棄処理について誰も全く言及していないことに強い疑問を感じるからです。むしろソーラーパネルよりもエネルギー変換効率が高い上に日本企業がほぼすべての特許を総なめしているヒートポンプ技術を有効に活用できる、太陽熱温水器の普及を進めた方が良いのではないかと考えています。

 といってもこれらはあくまで素人の考えなので、もし何か異論や意見があればコメント欄に書いていただくと幸いです。特にソーラーパネルの廃棄処理方法について詳しい方がいれば助かります。

2012年5月10日木曜日

プーチンの大統領再任について

 また本当にどうでもいいことですが、現在この記事は日本でこの前かっておやじにもってきてもらったエプソンのネットブック(NA14s)で書いております。サイズは小さいもののキーボードの質感はメインで使っているNECのLavieよりよく、デザインも気に入っているのですが、いかんせんメモリが1Gしかないので動作面ではやや物足りなさというか、「遅っ!」とちょっと感じてしまいます。ただこのパソコンを買って何がよかったのかというと、ちょうど注文してから3日後にエプソンが3千円値下げしたということです。人間、決断時期は大事だ。
 あともう一点気になったところとして、OSが「Windows 7 Starter」だったということです。これはネットブック用の安価なOSなのですが、なんと壁紙をデフォルトから変えられないという、そんなところで差をつけなくともという妙な設定で、最初は現実を受け入れられませんでした。もっとも、「ぬりかべ」というソフトがあればどうとでも対応できてしまうわけですが。

 話は本題に入りますが、ロシアでプーチン大統領がこの前再任されました。何もロシアに限らず今年はアメリカ、中国、フランス、香港で最高権力者の交代、選挙が重なる一年となりますが、ロシアにいたってはこれを変わったといえるかどうかとなると難しいところです。というのもプーチンは2000年から2008年の間に既に大統領を務めており、この四年間はメドベーチェフが大統領ではあったものの実質的な権力者は首相に一旦下がったプーチンだと誰もが見ており、今回の大統領復帰を見る限りその見方で間違いなかったといえるでしょう。

 今回の再任は中国でも大きく取り扱われており、日本のメディア同様に「現代の皇帝(ツァーリ)」と呼ぶ声もあれば、今日の長官にはでかい熊と一緒に充電期間を経ての再任といいたかったのか乾電池の格好したプーチンが描かれておりました。ロシアの大統領法はいつの間にか、って言うか恐らく今回に前もって合わせて人気が4年から6年に延長されてましたが、仮にプーチンがこのまま2期12年を務めるというのであれは2024年まで務めることになり、最初の大統領就任が2000年だったことを考えると実に24年間も最高権力者の地位に居続けることとなります。
 ただ長いことやってるもんだから、国内で反発する勢力も出てきているようです。今回の選挙でもなんかいろいろと反プーチンデモとか起きたようですが、どこの世界でも誰にでも好かれる権力者なんている分けなく、このデモひとつでプーチンの求心力が落ちているとかいうのは間違いなような気がします。あくまで私の視点ですが、ほかの候補よりも実績と安定性があるということで、やはり過半数以上からは信任されているのではないかと思います。

 しかし私個人の意見を言わせてもらうと、仮に今回の大統領選に出馬せずに引退していたら、ある意味では勝ち逃げができたのだろうにという印象があります。曲がりなりにもソ連崩壊後のロシアの混乱に一定の安定をもたらしたことは事実で、強いリーダシップでBRICsという高成長する新興国の一つに数えさせたのですから、ここで引退してもそう悪くない評価を歴史家に与えられていたでしょう。
 逆を言えば、これからの大統領生活はむしろこれまでの評価を傷つける可能性があるということです。ロシアがどうして経済的に立ち直ったのかといえば一にも二にも2000年代に資源価格が高騰し、ロシア最大の輸出品である天然ガスが高値で売れ続けたからです。しかしそれもリーマンショックをきっかけに大幅に下落するや、途端にロシア国内の景気は悪化しており、天然ガス一つに頼り切った経済体制であることを露呈しております。

 逆に天然ガス以外にロシアが国際競争力のある商品を持っているのかとなると、真っ先に浮かぶのはこの前にメーカーが潰れちゃったけどカラシニコフことAK-47(アサルトライフル)ですが、これ以外だと航空機と軍事技術しか真面目に浮かびません。はっきりいいますがこれだけだと少ないですし、また客を選ぶ商品のため強い経済力を維持するにはやや不安定です。
 資源価格は現在また高騰しておりますが、今の世界状況ですといつまた下落を始めるかわかりません。その下落した時にロシアがどんな対応を取れるのか、またそれまでにどのように備えるかが今後の鍵となりますが、それを覚悟の上で、評価が落ちるかもしれないというリスクを承知して大統領選に立ったというのであればたいしたものだと思います。

2012年5月8日火曜日

KOEIのゲームでやったこと

 最近なんだか暗いことばかり書いているような気がするので、久々にどうでもいい過去の体験談を書こうかと思います。
 さてKOEIのゲームとくれば「信長の野望」とか「三国志」に代表される歴史シュミレーションゲームが多いですが、最近のは非常に細かく作りこまれていてリアル志向なゲームが多いものの、昔のバージョンだとシステムも大雑把でとっつきやすかったり、逆手に取った反則的な技もできたりしました。そこで今日は古き良きKOEIのゲームで私がやらかした、もしくは一般的だったプレイを紹介します。

  1、社会主義政策
 これは「三国志3」のような、シムシティ並みに税率を自由に変えることのできるシリーズで使えた技です。具体的にどんな技かというと、兵糧だったり軍資金が自動的に徴収される月(1月と7月)の直前に税率を100%にするだけです。ちなみに一般的なシリーズだと四公六民こと税率は40%でこれより高いと民心は下がり、低いと民心は上がってきます。なもんだから100%にすると民心は下がるのですが、昔のシリーズは大雑把だから税率100%で徴収するだけ徴収し、施しとして兵糧を配って税率を元の40%に戻した方が、民心も高水準を維持した上に最終的に手元に残る兵糧は多かったりしました。一旦すべて吸い上げて再分配するという過程から、社会主義政策という名前が付いたわけです。

  2、落とし穴の恐怖、決死隊

 同じく「三国志3」ですが、このゲームは戦闘開始の前に守備側が落とし穴を掘ることが出来ました。この落とし穴、そんな地味な罠で一体……とか思えたりするのですが地味に強力で、はまったりすると兵士が五千人くらい一気にふっとんだりします。っていうか、五千人も入る落とし穴ってのも突っ込んだらあれだけど。
 真面目にこのゲームでは落とし穴が戦局を大きく左右するところがあり、兵士数に余裕を持って攻め込んでみたものの落とし穴にやられて撤退となることもあったりします。そこで攻め手の対策として考えられたのは「決死隊」こと、百人程度の小部隊を一隊作り、全部隊の先頭を走らせ落とし穴を未然に発見する、っていうか落ちてもらう役割の部隊を作るという作戦です。なんていうかせせこましい作戦でしたが、落とし穴にはまるくらいならと毎回決死隊を用意していたのはいい思い出です。

  3、裏切りの恐怖
 これは比較的に相手武将を寝返らせやすい「信長の野望 天翔記」でやったことですが、普通に戦うのに飽きて戦争を起こす前に相手方の武将すべてにリクルートをかけてみました。その結果、戦争が始まるや否や大将を除く全武将が味方に寝返って、関ヶ原の石田光成もびっくりなくらいな負かせ方をして見せたことがありました。現実にこんなことあったらいやだろうな。

  4、血に染まる大地
 これは私ではなく友人がやらかしたことですが、「信長の野望」で天下統一直前まで持っていったところ、プレイする大名とその親類を除くすべての部下に対して切腹を申し渡したそうです。天下統一直前だとすると切腹対象となった武将は多分百人以上は確実にいるでしょうがその友人曰く、「切腹をする際のザシュッという音が延々と続いた(けどやめなかった)」とのことです。

  5、裏切るはずだったのに……
 三国志では「埋伏」といって、忠誠心の高い部下をわざと相手方に潜り込ませてスパイ活動をさせたり、戦争時に裏切らせたりすることが出来ます。このコマンドを実行している間はその部下を直接使うことが出来ないというデメリットもありますが、確実に裏切ってくれるので非常に使い勝手のいいコマンドです。
 そんな使い勝手のいいコマンドですが、使用対象となるのは上記の理由から「普段直接使う機会がないほど能力が低い武将」に限られてきます。そのため口減らしとばかりに適当な武将を相手方に潜り込ませたのですが、所詮は能力の低い武将であったために戦争になっても相手方の武将として出してもらえず、戦争に勝利した後にほかの文官っぽい武将共々捕縛しました。捕縛した武将は登用するか解放するか処刑するか選べるのですが、「埋伏させた武将って、処刑できるのかな?」とか思ってその武将に処刑を言い渡してみたところ出来ちゃいました。向こうとしては言われるままに相手方に潜り込んだらそのまま処刑されてしまうという不条理この上ない処置だったでしょうに、今思うと悪いことしたなぁって気になります。

2012年5月7日月曜日

多機能の弊害

 大分昔、具体的には2005年に見た掲示板で「文系と理系の違い」というものがありました。この掲示板ではそのタイトルの通りに文系と理系の違いについてあれこれ特徴を挙げられていたのですが、個人的にツボにはまったのは「文系は理系を、文系に使われていると思っている。一方理系は、文系は金に使われていると思っている」という一節でした。
 そんな掲示板を眺めていた私自身は文系でしたが、そもそもなんでこっちに進んだのかというと元々の適正が文系に向いていたこともありますが予備校の講師から、「管理職には慣れないから理系には進むな」と中学生の頃に言われたことも大きな理由となっております。私自身は今でもそうですが人生お金じゃない、管理職に慣れないからといって理系に行くべきじゃないというのはロマンがないとその講師に当時反論を呈したのですが、「そりゃ確かに技術者は能力的にも社会的にも立派だが、日本はそういう人たちを評価するような仕組みじゃない」と言って退けました。今となってはこの講師の発言は自分を慮ってのものでいろいろ尊敬も覚えているのですが、発言内容についてはその後紆余曲折がありました。

 まず私が大学生だった頃、当時はトヨタをはじめとしたメーカーがある意味最盛期だったこともあって、やはり技術者はその働きや貢献に対して社会の評価が低すぎるのではと感じていました。こうした価値観はその後もしばらく続きましたが、何故かこの頃に至っては真逆の考え方、日本はちょっと技術者を大事にし過ぎたのでは、天狗にさせてしまったのではと考え直すようになってきました。
 このように考えるようになったきっかけは地デジ化に合わせて両親が買った新しいテレビからでした。まず何に驚いたのかというとリモコンのボタンがあまりにも多いという点で、初見では時間指定の録画はおろかチャンネル合わせすらおぼつかない有様でした。もちろんマニュアル読めば対応することはできますが、そもそもこれだけいっぱいボタンを付ける必要はあったのか、さらに録画の方法も複数種類あってここまで必要なのかといろんな疑問が出てきました。そりゃ通の人だったら欲しがるかもしれませんが、自分が少数派である可能性は抜け切れないもののもっとシンプルで誰にでも使えるような、携帯で言えばツーカーみたいな代物をどうしてどこも売ろうとしないのかと考え始めたわけです。

 こうした疑問を持っているとやはり類は友を呼ぶというか、関連した掲示板とか情報が目につくようになってきました。まず海外マーケティングで言うと日本製は無駄に多機能で値段が高いが、サムスンなどはその間隙を突くように機能を必要で求められているものに絞って販売した結果、大きな成功をおさめたという話を冗談抜きで真面目にあちこちで聞くようになりました。また日本国内でもイオンが売り出してヒットした、低速だけど安価のデータ通信カードにしても、速くなくてもいいからネットにつなげられないものかと自分もこういう商品を待望していた時期があっただけにさもありなんとヒットを納得していました。

 また話がまどろっこしくなってしまいましたが何が言いたいのかというと、日本の技術者はほぼ全般にわたってなんでもかんでもつけられる機能を全部くっつけてしまおう、機能が多いことはともかくいいんだとするところがあるように感じます。そりゃ多機能であればいざって時に使えていいのかもしれませんが、実際にはほとんど使わない機能があると邪魔なことこの上ないですし、またそんな余計な機能付けるくらいならもうちょっと値段を安くしたり、わかりやすい設定にしてほしいという思いがあります。
 では何故こんな余計な機能満載の商品が日本メーカーから多数出るようになったのでしょうか。あくまで仮説でしか言えませんが一つの原因はやはり日本国内の技術者の価値観とか伝統からではないかと私は思います。こうした話が議論されている掲示板を見たりすると現場でも一部の技術者が機能を限定しようとしているらしいですがどうも上から「多機能を」という天の声が下りているそうです。また中国に来ているメーカーの話を聞いても、現地のマーケティング調査結果を何度伝えても商品開発に繋がらないので、研究開発拠点ごと中国現地に持って来るべきだという声も耳にしたりします。

 日本人は高度経済成長期に、ラジオとカセットプレイヤーを一体化したラジカセなど複数の機能を組み合わせた製品を作ることで成功を収めてきました。これは何度もこのブログ内で言及していますが、成功体験というのは人を容易に誤らせるもので、早めに忘れるに越したことはないでしょう。

2012年5月6日日曜日

チャーチルの時代、ナポレオンの時代

 ちょっと間が空いての執筆再開です。それにしても上海の昼間はこのところ暑くて生きてて辛いです。

 日本だとあまり伝記の類を見ることがありませんが、二次大戦中のイギリス首相として活躍したチャーチルの人生は少なくとも私にとって非常に面白いものです。それこそ二十世紀の人物に限ればマハトマ・ガンディーや水木しげる氏ばりに波乱と名言に満ちた人生で、まだあまり知らない人は今からでも遅くないから上記リンク先のウィキペディアの記事を読むことを強くお勧めします。

 そんな私のお気に入りのチャーチルですが、どうもこの人は英雄譚とか歴史が子供の頃から非常に好きだった関係もあって要所要所でそれらしい、っていうか本人も後世に残す気満々のセリフを自分に酔いながら言っています。もっともそれらのセリフをただのおっさんの独り言で済まさずにきちんと名言として残しているのはさすがというよりほかないのですが、あまりにもそういった名言が多すぎるために中には事実無根のセリフまでチャーチルが言ったことになっているのも少なくありません。
 そのような言ってもない名言の代表例として、「ダービー馬のオーナーになることは、一国の宰相になるより難しい」という競馬狂ならみんな知っててもおかしくないセリフがありますが、確かにイギリス人は競馬が大好きですがこれは今に至るまで出典が明らかになっておらず、最近の報道だとJRAの職員が創作したという証言も出ています。

 そんな作り話は一旦置いといて、実際にチャーチルが発言したとされる名言の中で私の一番のお気に入りは第一次大戦後に述べた下記のセリフです。

「戦争からきらめきと魔術的な美がついに奪い取られてしまった。アレキサンダーや、シーザーや、ナポレオンが兵士達と共に危険を分かち合い、馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する。そんなことはもう、なくなった。これからの英雄は、安全で静かで、物憂い事務室にいて、書記官達に取り囲まれて座る。一方何千という兵士達が、電話一本で機械の力によって殺され、息の根を止められる。これから先に起こる戦争は、女性や、子供や、一般市民全体を殺すことになるだろう。やがてそれぞれの国には、大規模で、限界のない、一度発動されたら制御不可能となるような破壊のためのシステムを生み出すことになる」

 これほど後の戦争のシステムを言い当てた名言はほかにないと私は考えております。チャーチルの予言通り、二次大戦は戦地の指揮官ではなく安全な本国で全体を指揮する戦争となり、最終的にはミサイルや核爆弾の投下を指示するだけの人間が勝者と扱われるようになりました。一部のSF小説などではこうした戦争のシステムがさらに発展し、ロボットが片方の国を襲って自動的に人間を殺していくという、文字通り人の血も涙もない戦争になるという未来の描き方をしていますが、第一次世界大戦直後にこのような事態を予感していたというのはさすがというよりほかありません。

 と、こうやって散々にチャーチルを誉めておきながらですが、このセリフに感心しつつも現代はナポレオンの時代に回帰しているのではないかという感想をこのところ持っております。もちろん戦争についてはこの前のイラク戦争同様に奥の院で指揮取るのが当たり前で変わりありませんが、少なくとも企業活動の場では総大将の役割が徐々に変わってきているように感じます。
 具体的にどう変わってきているかというと、単純に矢面に立って社員を引っ張り、会社の象徴として動くという役割が重たくなってきているところです。これの悪い例で言えば東電をはじめとしたやらかした企業のトップたちで、失敗に対する責任と謝罪の姿勢を内外に見せなくては昔みたいになぁなぁでごまかすことが出来なくなりました。逆のいい例で言うと自動車メーカーが顕著で、トヨタの豊田章男社長なんか就任早々にアメリカ議会に叩かれまくったこともあって妙にかばってあげたくなるような親近感を覚えますし、実際にトヨタ社内も必死で担ごうという意識が高まっていると聞きます。またスズキの鈴木修会長も、内心、まだ生きてるのかよと思うくらいのしぶとさですが、ランエボが世界最速と疑わないカー雑誌の「ベストカー」が選ぶ経営者ランキングでも堂々のトップである上に、記者会見に自らよく出て記者相手に二の句を継げさせない言い回しをするなど最近評価を高めています。つってもゴルフ場にクジャク放つのはどうかと思うけど。

 トップがこうして前面に出てこざるを得なくなっているのは言うまでもなくIT化によるものです。最近なんかはツイッターでの発言が株価に影響を与えかねないところまで来ていますし、以前は業界関係者だけが耳にする言葉もパッと一般消費者まで伝わってきます。こんな時代ゆえに、現代のナポレオンは政治家を含めていつ現れるのかと思う次第です。

2012年5月1日火曜日

英仏百年戦争まとめ 後編

 昨日の記事に続き、英仏百年戦争をさらりと解説します。詳細にやってたらいつ終わるともしれないし。

 昨日は一時は優勢だったイギリス軍が逆襲を食らってフランスから追い出され、一旦は休戦となったところまで解説しました。ただ休戦とはなったもののフランス本国では貴族たちが互いの勢力争いに明け暮れ、ブルゴーニュ派とアルマニャック派(=オルレアン派)の二大勢力が対立するようになります。こうしたフランス側の混乱を見逃さなかったのは当時のイギリス国王、ヘンリー5世で、適当な名目を立ててフランスに上陸すると主流派になりつつあったアルマニャック派を撃破し、フランス領土の侵略を開始します。
 このヘンリー5世の侵略にさすがのフランス側もあせり、ブルゴーニュ派の首魁であるジャン1世と、アルマニャック派からは当時は王太子であった後のシャルル7世が連合を模索して会見を取り持ったのですが、何故かここでジャン1世がアルマニャック派に暗殺されて余計に仲が悪くなるという無残な結果となりました。

 いきなり父親を殺されたジャン1世の息子のフィリップ3世はそのままブルゴーニュ派の代表となり、当然と言えば当然ですがイギリス側と手を組みます。ちょっと説明が遅れましたが当時のイギリスとフランスはお互いに国という概念を持っておらず、当時の貴族たちからすれば自己の保身を鑑みて強い方につけばいいという感覚しかなかったと思います。イメージ的には日本の戦国時代における領主たちみたいなもんでしょうね。

 話は戻りますが、ブルゴーニュ派と連携したイギリス軍はこれでフランスは取ったも同然な状態だったのですが、なんとここに至ってまたヘンリー5世が急死してしまいます。なんかこの百年戦争を通して休止する人間がやたら多いのが気になりますが、彼の急死によってイギリス王の地位はわずか生後9カ月のヘンリー6世が継ぐこととなり、アルマニャック派というかシャルル7世に逆転のチャンスを与えることとなってしまいます。
 ただヘンリー6世が即位した当時に、シャルル7世の父親であるシャルル6世も逝去していますが、フランス領土をほとんど取られていたシャルル7世は即位式を上げられず田舎の大将よろしく中途半端な地位で宙ぶらりんしてました。しかも母親であるイザボー・ド・バヴィエールが、「シャルル7世は実は不倫相手との子供だ」と言い出して、身内からも正当性が疑われる始末でした。ほんとのところはどうだか知らないけど。

 こんな具合でかなり絶体絶命の状態だったシャルル7世の前に突然現れたのが、何を隠そうジャンヌ・ダルクです。通説によると、「あんたが王様になんないと駄目なのよ。あたしがランスに連れてってあげる(#゚Д゚)ドルァ!!」っていうノリで軍隊率いると、包囲されて陥落寸前だったオルレアンをあっさり解放した上に、敵軍のど真ん中を突っ切るような進軍ルートでランスまでたどり着いてしまいます。
 無事にランスに着いたシャルル7世は念願の戴冠式を行ってフランス国王として正式に即位しますが、この後ジャンヌや後に元帥として活躍するリッシュモンらタカ派勢力とは距離を置き始めます。

 ジャンヌのその後については語るまでもないですが、敗戦した際にブルゴーニュ派に捕えられ、イギリス軍に引き渡され火刑となります。この間にシャルル7世は身代金を出さずしてジャンヌを見殺しにしてますが、一応はブルゴーニュ派に、「ひどいことをしたら捕虜に同じ処置を科す」と脅してはおります。このジャンヌ見殺しの経緯から講談ではシャルル7世はほぼ100%暗愚な人物として描かれますが、実際の彼は一旦は遠ざけたリッシュモンを再び登用し、ブルゴーニュ派との和睦も成功させ、フランス領土内からイギリス軍を駆逐することに成功します。さらに戦争で荒廃した国内の復興事業を広げるなど、事績で見れば間違いなく名君と言っていい人物です。
 最終的に百年戦争は、ジャンヌの火刑から23年後の1453年のフランス軍によるボルドー攻略成功によって終結します。この結果、イギリスはカレーを除き大陸の領土をすべて失い、戦争開始前の領土線に近い形で終わります。

 この百年戦争全体を通して言えることですが、まず第一に英仏両国ともに一貫した外交政策や対応が取れなかったことが長期化の原因でしょう。もっとも当時は絶対王政が確立されていないばかりか貴族の力も比較的強く、国王の死によって政策方針がひっくり変わることもあながち自然なところがあります。
 あとジャンヌ・ダルクについていえば、変な話ですが仮に火刑に遭わなければ今ほど有名にはなっていなかったでしょう。これはイエスの磔にも言えることですが、悲劇的な末路がかえって伝説せしめたところがあり、普通に戦争中に敗死していれば「こんな人もいたよ」で済まされていたかもしれません。更に付け加えると、彼女が有名になったのはナポレオンがプロパガンダとしてフランスの救世主だと大きく取り扱ったことが発端とされています。なかなかアイデアマンな処置ですが、なんていうかこの二人は馬が合うような、自分からして同じにおいを感じる人物たちです。