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2011年12月29日木曜日

世界の2011年を振り返る

 昨日に休むと言っておきながら、今日もネットが使えることとなったのでさりげなく更新です。明日以降もわからんが。
 さて日本国内、というより世界中のメディアで年末ということもあって今年を振り返る特集記事が組まれております。何気にこのブログも「陽月秘抄」になってからちょうど一周年ということもあるので、2011年について、それも日本国内についてはどうせよそでもやっているのだから久々に国際政治っぽい話題で思い当たることを書いて効果と思います。

 まず今年一年を一言で言うなら、「大量に死んだ年」というのが自分の中で挙がってきます。こういうと東日本大震災を思い浮かべる方が多いかもしれませんがそれは国内の話で、世界レベルでは良くも悪くも世間を大きく騒がせた人物が次々と死んでいったせいか12月の今に至ってはもはやその死んだという事実がいまいちパッと来ない人物までいます。
 具体的にどんな連中が死んだのか、下記にざっと記します。

オサマ・ビンラディン
カダフィ大佐
スティーブ・ジョブズ
金正日

 てっきり今年はビンラディンが死んだ年として記憶されるのかと中頃まで思っていましたが、その後もどんどんと有名な人間が死んでいき、最終的に金正日が年末に死んだことでこのまま彼が話題を独占したまま年を越しそうです。さすがにスティーブ・ジョブズ氏は異なりますが、ほかの三人については言ってしまえばアメリカがかつて名指しで批判するほど敵対していた人物で、ちょっと素人っぽい考え方ですがこの三人がまとめた死んだことでアメリカの一種の軍事プレゼンスというか、差し当たっての脅威は減少したかと思います。これでベネズエラのチャベス大統領とイラクのアフマディネジャド大統領も死んでいたら、オバマ大統領はホワイトハウスでツイストを踊っただろうな。
 アルカイダについてはさすがにその脅威がなくなることはないでしょうがそれでも一つのシンボルだったビンラディンが死んだことで以前よりは弱体化が予想されますし、カダフィも死んだことであの地域のアメリカの影響力も強まるでしょう。そして北朝鮮に至ってはさすがにしばらくは継承でごたごたして外に向かって仕掛ける余裕はないでしょうし、仮に仕掛けてきたとしても今の状態では中国側も思わぬ行動に出る可能性もあってアメリカにとってはかえって好都合でしょう。

 このように見るならば、「アメリカの敵が一気に減った一年」としてとらえられるんじゃないかと思います。ただ不安要素もないわけではなく、北アフリカではエジプトなどで混乱が続いていることからテロ勢力の拡大が懸念されますし、アメリカ本国でも現在のオバマ大統領は来年の大統領選で再選するかちょっと微妙な状況です。
 ちなみに首脳の交代というと、これは一部でも報じられていますが来年は結構あちこちで変わる予定となっております。アメリカ以外で主だったところを挙げるとロシア、中国、香港、台湾と東アジア諸国で揃い踏んでおり、日本ももしかしたらまた例年の如く変わるかもしれませんしタイもまだまだ不安定、そしたら今日はカザフスタンもなんだか政情が怪しくなっているというニュースまで入ってきました。

 中国なんかは胡錦濤の次は習近平と決まっているのでまだ気楽なもんですが、ロシアでは昔では考えられなかった反プーチンデモが起こるなどまだ確定的ではありません。さらに日本メディアはお気楽ですが欧州債務危機も多分来年に本格的に火を噴く可能性が高く、今年も色々死んだせいでそれなりに騒がれはしましたが、後年になって2011年は嵐の前の静けさだったと評されるかもしれません。ちなみに友人は、「ある意味でターニングポイントの年」と評していますが。

 私個人で言えば今年は激動に次ぐ激動で、なんか3~4年分を一気に過ごしたかと思うくらいに心身への負担のでかい一年でした。何があったか事細かには書きませんが、来年に対してはさすがにもう少し落ち着きたいと思う反面、さらなる波乱を求めている節がどうもあります。本当に些細でどうでもいいことですが、夏頃は随分と目つきが緩くなっていたのを気にしていましたが、年末の今に至ってはまた学生時代後期並みに鋭さを戻してきているので、多少のことがあってもなんとか乗り切るだろうという妙な自信に溢れています。

2011年12月28日水曜日

しばらくお休みの予定

 今週に上海に帰任する予定のため、多分明日からしばらくこのブログをお休みさせていただきます。というのもこっちで無線通信が出来なくなる上、上海に戻ったらまたネットの契約とか結ぶ必要があり、うまくいけばすぐに再開できるかもしれませんが下手すら来年初頭まで更新できない可能性があります。それにしても、書く話題が多い時にこうなるとは。先月なんか疲れもあったけど、真面目にネタがなくて苦しかったというのに……。
 そういうわけなので、また適当に見に来て再開されたら応援よろしくお願いします。

2011年12月26日月曜日

香港の風水、および見えない何かについて

 昨日に引き続き1日2本の投稿、書いててなんだがいろいろと不安になってくる。こういう風に妙にテンションが舞い上がった後には決まって体調を崩しており、気のせいか夕方も一時的に物凄い悪寒に襲れました。夜を早く寝ようにも今日も2時間昼寝しちゃったし……って、昼寝のし過ぎが体調を崩す原因なのかもしれないが。
 そうしたことは置いといて本題に入りますが、先日に友人が訪ねてきて香港案内をしていた際にこんなことを話しました。

「香港のショッピングモールとホテルはどこも、1階から2階にかけ中央が吹き抜けになっている。これは龍が空に昇れるようにという風水学の概念からなのだが、香港人はやたら風水を信じるもんだから建築にもきちんと反映されている」

 実際に来てもらえばわかりますが、香港では利便や効率性を明らかに度外視して吹き抜けを作っている建物があちこちにあります。これらはすべて風水学の影響によるものなのですが、日本ではドクターコパがテレビに出なくなって久しいものの、香港では未だ現役で庶民の生活にも幅広く浸透してみんなも気にしています。

 これが多分うちの両親とかだったら「へぇ、そうなんだ」という感じで会話が終わったでしょうが、その友人は「クーロンズゲート」という結構マイナーなゲームをしていたこともあり、この私の説明にほかの人とは明らかに違う食いつきを見せました。このゲームは開発に4年かかり、プレイした人間からは「4年間もスタッフは何をやってたんだ」と思われたちょっと残念なゲームでしたが、ちょうど舞台は香港で風水学をテーマにしたアドベンチャーゲームであるだけにこの友人も興味を持ったんだと思います。なんでもその友人はこのゲームの影響で一時、風水師になろうかと思った時期もあったそうです。

 別に詳しく勉強したわけじゃありませんが風水というのは陰陽とかスピリチュアリズムと違って、意思を持った心霊とかは出てきません。そのかわり「気脈」という、人間で言えば血液のような運気の流れというものを大事にして、この気脈が血栓みたいにどっかで詰まったりしないよう上手く流れるよう構築物の配置をあれこれ考える学問……というかは概念です。元々、風水は中華圏で発達した概念でありますが恐らく香港が世界で最も風水が普及している所で、実際に私もここでプロの風水師に会ったことがあります。

 話は戻って友人との会話ですが、もちろん互いにふざけ半分ですが昨日に書いた「シチズンの呪い」を始め、ここ数週間でやたら私の運勢が悪いのは今住んでいる部屋の風水が悪いのではないかと指摘されました。そもそも風水のせいにしなくたって、狭いのは香港だから仕方ないとして今の部屋は明かりをつけても妙に薄暗い上に必要性が全く感じられない妙な段差があるなど、私も初めて入った際には「えっ、俺ここに住むの?(;゚д゚)」と思ったほどでした。上海の部屋よりはきれいだけど。
 仮に自転車で走り回れる環境であれば休日はずっと外に出て乗り回しているのですが、香港は真面目に自転車を一台も見ない、というより絶対に走れない環境ということもあって休日は家にこもっていることが多いです。それだけに今の部屋の環境は真面目にストレスの種で、やや贅沢ですがもうちょっと何とかならないかと常々感じています。会社指定だから動かしようがないけど。

 ただこのところの運のなさ、それも自分のミスによる災難だったらまだ納得できるものの、シチズンの問題など明らかに自分の範疇を越えたところで災難が降りてくるのはなにか目に見えない力が働いているんじゃないかとこのところ感じます。折しも友人に持ってきてもらった水木しげる氏の漫画「神秘家列伝」の中で水木氏が度々、「目には見ることができないが未知の力というものは確実に存在しており、私(水木氏)はそういったものを出来る限り絵に描くことで伝えようとしている」と書いてあって、なんか妙に納得してしまいました。香港にいるのももうあと少しだけですが、頼むから余計なものにはとっとと離れてもらいたいです。

ソニーとサムスンの液晶事業の合弁解消について

 今日の香港はクリスマス休暇でどこも休み。休みにやることが何も見つからない香港なだけに、かえって仕事のある日よりストレスがたまるので昨日のアジアゲームショーの記事を書いたりして過ごす。別に仕事が好きってわけじゃないけど、こうもやることないと「ファイナルファンタジータクティクス」しかやらなくなってしまうし……。

 話は本題に移って、ちょっと気になるニュースというか「ああ、やっぱり」というニュースがあったので一言入れておきます。多分ここで行う私の解説は他所ではまず聞けない内容なので、いい記事になるでしょう。

ソニー、サムスンとの合弁解消=液晶事業、全株売却へ(時事通信)

 上記リンク先のニュースによると、ソニーがサムスンと提携していた液晶事業の合弁を解消して、一緒に作った共同会社の株を全部手放すそうです。なんでこんなニュースに執着したのかというと、以前にある家電メーカーに勤める友人からこの提携について、「ソニーはきっと裏切るよ」という話を聞いていたからです。確かこれ聞いたのは2年前かな。
 その理由はと友人に聞くと、「何も液晶に限らずソニーは他のメーカーと合弁を始める傍から次々と撤退しており、もはや物作りの会社という社風が全く感じられない会社になっているから」と答えました。そのため今年9月に発表された、ソニー、東芝、日立の3社による日の丸パネル連合「ジャパンディスプレイ」についても、早晩破綻すると予言しています。もっとも「ジャパンディスプレイ」について言えば別の液晶部材関係の友人も、「赤字部門が結託しても何もならない」と言っており、むしろ業界の人ほど冷めた目で見て部外者の間でしか盛り上がっていないように見えます。

 そんなわけで友人の予言が今回的中したわけですが、折も折で先日、ソニーの後継者問題に関する記事を見たばかりだったのでちょっと思うところがあります。その記事の内容というのは現社長兼CEOのハワード・ストリンガー氏がもう大分高齢になっていることからそろそろ後釜が必要と内外から言われているのですが、どうもソニー内部ではっきりと後継者だと言える人物がいないようです。というのも現在のソニーは家電などハード部門よりもゲームなどソフトウェア部門に注力している節があり、この二つの折り合いをどうつけるかで揉めているという話で、私も外から見ているとどうもそんな感じに見えます。

 そこでさっきの友人の話で、「ソニーはもう物作りの会社じゃない」という一言です。私自身、もう日本の家電メーカーは赤字を垂れ流すテレビなんか作るのをやめた方がいいと考えており、ソニーなんかソフト部門に特化した方がいいんじゃないかと真面目に思います。業界の間で会社自体がそういう社風だともう思われているんだし、今度の政権交代を経て一気にその動きを加速した方がいいのではと、部外者で素人ではあるものの一意見として記しておきます。

 ついでなのでこのほかの経済ニュースについてもちょこっと触れておきますが、なんかネットを中心に「野村証券危機説」というのが最近流れているそうです。はっきり言ってこの会社は凄い嫌いで潰れてくれるなら実に結構なことなのですが、生憎というかここ香港ではそういった危機説を報じるニュースは見当たりませんし、私が見ている限りでも今現在ですぐ潰れるような要素は見当たりません。唯一というか野村証券に関連する話題だと、シンクタンクの野村総研のみを別の企業に売却するのではという報道であれば先々週くらいに見ました。野村総研には大学で嫌いな奴が就職したので「ヒャッホーヽ(*´∀`)ノ」と喜んだのですが、こっちだけでも実現してくれないかな。

【トヨタ アクア 発表直前】ディーラーが感じた弱点と誤解(レスポンス)

 こちらは今回トヨタが発売した、待望のコンパクトHVカーのアクアの記事ですが、なんていうか読んでて「この記事書いた奴は大丈夫か?(;゚Д゚)」と思ったので取り上げます。記事の内容は「前評判が高いアクアだけど、実はこんなところに弱点と誤解があるよ」というように書かれていると見出しを見て思うのですが、一読して「誤解しているのはお前の方じゃないか」と私は思いました。
 曰く、「スマートエントリーやプッシュスタートなどのオプションをつけ、プリウス並みの装備にしようとすると20万~30万の追加。そうするとプリウスと価格面で大差ない」という点がアクアの問題点として挙げられてまうが、そもそもトヨタがターゲットにしている販売層というのは「スマートエントリーやプッシュスタートなど、余計なオプションはいらないからもうちょっと価格の安いHVカーが欲しい」というような層じゃないかと私は思います。あくまで私の価値観ですが、仮にこうだとしたら上の指摘は意味がないんじゃないでしょうか。あとは「なんでもいいからともかく燃費を低く」っていうような層とか。新車をことごとく、「ランエボには敵わないけど、まぁそこそこ速い車だね」と評価する、三菱自動車贔屓が過ぎるベストカー以上におかしな評論記事です。

2011年12月25日日曜日

自衛隊イラク派遣を振り返る

 先月に両親が香港に遊びに来た際に親父が、「やっぱこいつは大したもんや」と自民党の石破茂氏の昔書いた本を持って来ました。内容については細かく紹介しませんがやはり時期的に自衛隊イラク派遣関連について多くの紙幅が割かれており、折も折なのでこの点について振り返るとともに私の見方を紹介します。

自衛隊イラク派遣(Wikipedia)

 米軍によるイラク戦争後、日本の自衛隊はアメリカの求めに応じて2004年1月から2006年7月にかけてサマワ市に人道支援という名目で現地で医療・インフラ支援活動を行いました。派遣当時は自民党の小泉政権でしたが、野党などからイラク派遣は憲法9条に反するとかイラクへの支援ではなく単なるアメリカへの追従だなどととにもかくにも激しい議論が起こりました。ちなみに私個人の意見として、9条とかを引き合いに出すくらいなら野党は「カンボジアへのPKO派遣の際に最も反抗していたのはお前自身だろ!」ともっと小泉元首相に言えばよかったんじゃないかと思います。
 このイラク派遣に対する私の評価ですが、総論を述べると結果的には大成功だったかと思います。ただもし仮に同じような案件が持ち上がった際に自衛隊を外国へ派遣するべきかと問われるならば、可能ならば避けたいというのが本音です。

 早速解説に入りますが、まずこのイラク派遣前に私がこの件についてどのように考えていたかを紹介します。当時の私は大学生で、今現在と比べるとエンジンを載せ替える前のハチロクみたいな実力でしたが、成長途上にあったのである意味では突破力というか論の鋭さでは今以上に光るものがあったように思います。そんなどうでもいいことは放っておいて当時の私の意見ですが、以下のような立場から派遣に賛成でした。

1、イラク各地は既に混乱状態であり、米国に正義がないからといって放っておいていいとは思えなかった
2、歴史的にも日本は中東諸国と親交が深く、実際に戦争に参加した米英よりも中間的な立場の日本が復興支援を行うべきだと考えた
3、復興支援をせずに放っておけば、テロリストが力を得て日本に対してもテロの危険性が高まる
4、当時のイラクにはいくら金を出すことよりも、現地で実際に活動する支援が必要に感じられた
5、現地で活動するにしてもボランティアでは危険性が高く、自衛能力を持つ自衛隊でなければならなかった

 といったのが主な肯定意見です。ただなんでもかんでも賛成というわけではなく、いざ実際にテロリストに襲撃された際に現行法では自衛隊がすぐに反撃し辛いことなど反対意見も少なからずあり、そうしたものを考慮しても総合的には「行けるのなら行くべき」という結論になりました。
 当時に議論されていた話題、たとえば「戦闘地域か非戦闘地域か」などといったものについても事細かに解説してもいいですがそれは今回置いといて、現在何故私が「大成功だった」と評価する理由を挙げると以下の通りになります。

1、襲撃によって自衛隊員が誰一人死傷しなかった
2、活動中、サマワ市の乳児死亡率が三分の一にまで減少した
3、アメリカとの外交関係を強化できた
4、ついでに石油利権の確保にも成功
5、災害地域に対する自衛隊の運用、国際貢献の方法に大きく幅が広がった

 イラク派遣が成功したと言えるのはなんといっても上記1番目の理由、自衛隊員が誰一人襲撃で死傷しなかったという点に尽きるでしょう。ただこれについては派遣方法が良かったというわけでもサマワ市の治安が良かったというわけではなく、サマワ市民を含めて自衛隊も警護してくれたオランダ軍による貢献や諸々の偶然によるものと言わざるを得ず、、今後海外派遣を行うに当たってはより慎重な議論が必要でしょう。

 恐らく人によっては3番と4番の成功理由については怪訝に思う方がいるかもしれませんし、多分私の後輩なんてアメリカをかなり嫌っているので「とんでもない」と言いかねませんが、これについては個人的感情ではなく国家観で語らねばいけない問題であるため、毅然として私は立派な成果理由だと主張します。
 なおこの件について石破氏は最初に挙げた本の中で、

「野党などはアフリカなど、支援が必要な場所がほかにもあるのにどうしてイラクにだけ行くのかと言いますが、はっきり言いますがイラクには石油がありますがほかの場所には日本が支援しても得られるものがないから行かないのです。国というものは多くの国民を抱える上で、常に損得勘定で動かなければならないのです」

 というように言い切っていました。もちろん石破氏も個人的には助けを必要とする相手には可能な限り助けてあげたいと思うが国を維持する上ではそういった感情で物事を動かしてはならないと述べており、なかなか感心させられる意見を主張していました。
 実際にこのイラク派遣が日本にとってどれだけ石油確保に結び付いたかはもう少し時間を待たなければ評価できませんが、行かないよりは行っておいてプラスにはなったと思います。またアメリカとの関係好転も今になって思い起こせば、後の沖縄の普天間基地をめぐる問題で致命的な段階にまで発展するのを抑えてくれたのではとやや贔屓目かもしれませんが思います。

 また5番目の理由についても、このイラク派遣を経た事で自衛隊の運用の幅は格段に広がりました。私は今年の東日本大震災を始め日本で数多く起こる災害への対策には自衛隊が欠かせないと考えておりますが、中国や韓国といった周辺国では未だに警戒感が強く、こうした余計な感情を解くためにも医療支援といった国際活動を自衛隊が行っていくことがこれから大事になってくると思います。まぁ向こうの政府にとっては「自衛隊は恐ろしい組織だ」と国民に思わせることが連中の利益に適うんだけど。

 最後にあるエピソードを紹介しますが、自衛隊が撤退する間際、サマワ市で現地住民による大規模なデモが起こりました。一体何事かと自衛隊で内容を調べたところ、なんでも「自衛隊よ、今までありがとう」と感謝するデモだったそうで、これを受け基地では緊急にアイスクリームなどを準備してデモでやってきた住民らに振る舞ったそうです。このエピソード一つとってもこの派遣が如何に成功したものかがわかるし、現地で立派に活動してくれた自衛隊員には頭が上がらなくなるのですが、なんでもこのデモを聞きつけた米英軍関係者が自衛隊に、

米英軍「一体どうやってああいうデモをやらせられたんだ?( ゚Д゚)」
自衛隊「いや、現地の人たちが自発的にやってくれたんだよ(;´∀`)」
米英軍「嘘つけよ、もったいぶらずに教えろって(#゚Д゚) プンスコ!」

 と、なかなか信じてくれなかったそうです。

シチズンの呪い

 昨日、一昨日と日本から友人が香港に遊びに来ていたので一緒にまた二日間、香港観光をしておりました。ただ香港観光といっても香港には泣きたくなるくらいに観光地がないため、わざわざラマ島(南Y島)とか行って時間潰したりしました。普段はいかない、というか一人では入り辛いちゃんとした中華レストランでおいしい晩飯が食べられただけマシだったけど。
 そんな二日間を終えた今日、別に明日でもよかったですがここ香港でゲームショーが開かれているので取材に行きました。会社としては別に取り上げる予定もなかったのですが自分の趣味もあって志願して特攻。プレスなのでタダで入場できるかなと思ったら入り口前にはプレス用窓口が見当たらなかったので仕方なく入場料払って入りましたが、何故か入り口のかなり奥まった所、入場料払った後じゃないと絶対にわかりっこないところにプレス用窓口があって地面を叩き悔しがる羽目となりました。

 こんな具合で先日に書いた「運の尽きの一週間」でも紹介したように一向に運勢が良くなる気配が見えない日々を過ごしているわけですが、今回のゲームショー入場の件以上に一昨日の一件の方がハートに来ました。

 前回の記事で私は、先週に時計のベルトが突然切れたので修理屋にベルト交換を依頼したところ、特殊な電池を使っている時計なのに、ベルト交換だけでなく勝手に普通の時計用電池に取り換えられて自慢のシチズンの時計が動かなくなった顛末を書きましたが、その後シチズンの販売店に行ってサービスセンターに向かうように住所を書いたメモを受け取りました。ただそのサービスセンターは土日は営業しておらず、平日のオフィスアワーしかやっていないということなので金土休みの自分としてはこのチャンスに行くしかないと思い、友人にセントラル(中環)周辺を案内するがてらシチズンのサービスセンターへ向かいました。

 午前中の早くから目当てのサービスセンターへ向かったわけですが、どういうわけかそれらしい店は見当たりません。住所となっているところは例の如く高層ビルなのでビル内に入っているのかと思い尋ねまわりましたがどうも聞く人みんな要領が悪かったものの、最終的には「どうもそのサービスセンターは改装中」だということがわかりました。そこでサービスセンターの電話番号になっているところにかけると、「セントラルではなく九龍半島のチムシャアツイの方に行ってくれ」と、電話の相手から指示を受けました。
 念のために先に書いておくと、香港にあるシチズンのサービスセンターはセントラルとチムシャアツイの二ヶ所で、自分の家からはセントラルが近かったのでセントラルを選んだわけでした。こんなことなら初めからチムシャアツイの方に行けばよかったなと友人と苦笑しましたが、少なくともそっちのお店は電話でも確認したんだし、夕方までに行けば直してもらえるだろうとこのころは安堵感をいくらか覚えていました。

 こんな書き方をするくらいだからもうおおよそ予想がつくでしょうが、結論を先に述べると結局直せませんでした。
 電話での確認後、自分と友人は昼食を取ってから指定されたサービスセンターへ向かったわけなのですが、こちらも商業ビル内の住所通りの部屋の前に向かってみると、またもそれらしい店は見当たりません。そんなわけでまたちょこちょこっと周辺に話を聞いて、そこだという場所に向かってみたところ、

「本日、クリスマスディナーのために12時半までの営業とさせていただきます」

 という貼り紙がシチズンのポスターも貼られてあるドアに貼られていました。ちなみにこの時の時刻は午後1時10分。
 さすがにこの時は普段から温厚ではないものの自分も友人の前で荒れて、口汚く文句を言うとそのガラスドアを革靴の先っぽで何度も蹴りました。恐らく友人がいなければかなり力を入れて頭突きしていたと思います。見ている友人も、「わずか40分差とは、本当に運がないな(;´Д`)」と呆れてました。その後も「今底辺なんだから、これからはいいことあるよ」と慰めてもくれましたが……。
 ここでも文句を書くと、第一ディナーっつったってまだ夜まで時間があるだろに。しかもクリスマスイブならともかくこの日は23日だろ、日本の天皇誕生日でも祝うつもりかよシチズンは……。

 件のお爺ちゃんの古時計ばりに動かなくなっているシチズンの腕時計は女性向けっぽいデザインながらも太陽光で動くということからこれまでお気に入りで、既に結構長く使っています。私自身が体格が小さく、特に手首に至っては女性と比較しても遜色ないくらいに細いこともあってこれが一番合っているんだろうと思っている代物だっただけに、早く修理してまた使いたい気持ちは強かったです。
 ただ友人の「ここまで運が悪いってことは、シチズンと縁がないんじゃないか」という一言を受け、なんていうかもうほかの時計を買い替えてもいいじゃないかという気が持ち上がってきました。折しもクリスマスセールでカシオの時計が割引中という広告もあっちこっちに出てるし、さらに言えば先週にこの時計のベルトが切れてから何もかもが裏目裏目にでていることは事実で、記事の題にもあるように呪いのようなものを受けている気がさやかにしています。

 なお昨日、前に書いた記事を見て心配した後輩が「この動画を見て元気出してください」とメールを送ってきました。この動画と、友人に持ってきてもらった水木しげるの漫画だけが心の救いです。

総統閣下は指原アンチにお怒りのようです(Youtube)

2011年12月23日金曜日

坂本龍馬の評価について

 坂本龍馬とくれば誰もが知っている日本史の人物ですが、率直に言って私はこの人物はやや過大評価されているきらいがあるかと思い、厳密な評価とするべく再議論するべき人物だと考えております。

坂本龍馬(Wikipedia)

 まず先に断っておくと、私は別に坂本竜馬を嫌っているわけでもなければ彼を評価していないというわけではありません。薩長同盟を仲介したことや船中八策といい、非常に先見の明のある人物であることは私も太鼓判を押します。
 では彼の評価でどこが問題なのかというと、その多くは彼と深く関わった勝海舟の証言によるエピソードです。知ってる人には有名ですがこの勝海舟という人物は非常に大法螺吹きな人物で、咸臨丸で同乗した福沢諭吉なんか非常に嫌ったほどです。その勝は生前の坂本についていろいろなことを証言しているのですが、「俺を殺そうとやってきたところ、俺の話を聞いて逆に弟子入りを志願してきた」など、聞いててほんとかよといいたくなるようなことを散々話しています。この坂本の勝への弟子入りのエピソードは勝の証言以外には確認するべき資料がなく、また私個人としても生前の坂本の行動を考慮すると彼が幕臣である勝を突然斬りにいくとは思えず(高杉晋作、伊藤博文ならやりかねないが)、恐らくこの話は勝の作り話かと思います。

 このほか千葉道場で北辰一刀流の免許皆伝を得たほどの剣術の腕前だったと巷間伝えられておりますが、現在確認される限りでは彼が認可されたのは一番低い「初目録」、しかも剣道ではなく薙刀法でしかありません。剣術の腕前は強かったという証言は残っているので恐らく本当に強かったのは間違いないでしょうが。
 また彼の妻であるお龍にまつわるエピソードについても、私は大半の話を疑っております。というのもこのお龍というのは明治期に「自分は坂本龍馬の妻だった」と盛んに喧伝して回ったと言われており、この経路からも事実かどうか怪しいエピソードがたくさん作られたのではないかと密かに睨んでおります。

 自分は歴史というものは過大にも過小にも評価してはならないと考えており、常により精密な評価とするよう研究されるべきだと考えております。しかし坂本龍馬に限らず英雄的な人物はことさら功績ばかりが大きく評価される事が多く、時によってはありもしないエピソードが捏造されることもあり、一般の人物より注意してみていく必要があります。吉良上野介など悪人とされる人物にとっても同様ですが。
 そういう意味では坂本龍馬はやや持ち上げられ過ぎなところが感じられ、今後よりバランスの取れた評価が確立されることを個人的に希望します。