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2009年10月31日土曜日

資本主義はプロテスタントから始まったのか?

 現在の世界で主要な思想となっているのは言うまでもなく貨幣が中心となって世の中が形作られる資本主義ですが、この資本主義がいつどこで発生し、成立したかについて私の専門の社会学では十六世紀のヨーロッパ、それもキリスト教のプロテスタント集団からとされております。しかし私はこの説を信じるどころかむしろ間違っているとすら考えており、その理由について以下に解説します。

 この資本主義がプロテスタントから始まったという説は社会学を学ぶ者にとってそれこそ最初のいろはみたいなもので、はっきり言ってこの説を知らなければもぐりと言っても差し支えないほどの有名な学説です。それほどまでに有名なこの説を唱えたのは誰かというと政治学者、社会学者として有名なドイツのマックス・ヴェーバーで、彼はその著書の「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(通称「プロ倫」)においてキリスト教のカトリック派に対して異議を唱えることで発生したプロテスタント派、それも一番初めのルター派ではなくフランスのジャン・カルヴァンに始まるカルヴァン派から資本主義の価値概念、精神が生まれたと主張しています。

 ではどうして資本主義がカルヴァン派から生まれたのかというと、ヴェーバーはカルヴァン派の持つ予定説が決定的な要因となったと主張しています。このカルヴァン派の予定説というのは人間は現世に生まれた時点で死後に神によって救済されるか否かがすでに決まっており、現世でどのような行動を取ってもその予定に変わりがないという説です。
 元々のカトリックや同じプロテスタントのルター派において死後に救済されるかどうかは程度の差こそあれ、現世で善行を積むかどうかによって決まるとされていました。逆を言えばこの世で悪い事をすると死後に裁きを受けるとされ、生前は神の教えどおりに善いことをしながら生活していくべきだと主張されていました。しかしカルヴァン派は救われる人間は生まれた時点でその後善行を積むように行動するようになっており、逆に裁かれる人間は悪い事をしでかすようにすでに運命付けられていると主張したのです。

 そのためカルヴァン派は自分たちが本当に救われる側の人間であるのであればきっと生前は豊かに暮らして円満に死んでいくはずだと考え、自分たちが救われる対象であることを自分で証明するかのようにして利殖や商売上の成功を追い求めるようになり、そのような思想が多数派を占めて一般化するようにして資本主義が成立したと、大まかに言ってヴェーバーは主張しました。

 こうしてみると確かに筋が通っているように見えるのですが、私がこのヴェーバーの説に疑問を持つのは本当にカルヴァン派から資本主義が生まれて世界に広がっていったのかという点です。具体的に言うと、カルヴァン派の誕生以前に資本主義はなかったのかということです。ここまで言えばもうわかるでしょうが、私はカルヴァン派が生まれた十六世紀以前にもすでに資本主義的性格を持った国家、集団があったと考えております。

 このヴェーバーの主張への反論は何も私だけでなく私の社会学の恩師も主張していたのですが、そもそもの話ヴェーバーの主張には「西欧から資本主義が始まった」という前提で成り立っています。確かに西欧の範囲内で見るのならばこのヴェーバーの説は正しいと私も考えるのですが視野を西欧から世界全体に広げてみると、それこそ東洋にある中国は一体どんなものかという話になってきます。

 というのも中国で十世紀に成立した宋においては貨幣経済が目覚しく発達しており、なんと当時の西欧が封建制による物納が主体の経済であったのに対し、宋ではすでに徴税方法が物納ではなく金納となっておりました。それこどころか傾き始めた国家の再建を行うにあたり王安石らが活躍した新法旧法論争において、大商人の独占を排すために小商人への低利での貸付を国家が行っていたなど、きわめて発達した流通経済体制をすでに敷いております。これが資本主義でなければ、一体なんなのかというほどです。
 ちなみに西欧で本格的に流通経済が成立しだしたのはナポレオン戦争以後だと言われております。また日本では江戸時代まで税金は物納で、明治になってようやく金納へと切り替えられました。

 また中国に限らず同じヨーロッパ圏内においても、十一世紀に起こった十字軍の遠征においてイタリアの都市国家に代表される地中海商人らが大きなスポンサーとなっていた事実も見落とせません。第四回十字軍に至っては彼ら商人の意向で本来身内であるはずのビザンツ帝国が攻撃されているんだし。
 その地中海商人、いやそれ以前からのヨーロッパにおける商人に着目するのならいわゆるユダヤの商人も忘れてはなりません。ユダヤ人は相当大昔から金融業を行っており、資本主義の歴史を語るのならばユダヤ人抜きには本来語れないのではないかと前々から私は考えております。

 このようにイタリアより西のヨーロッパ圏内に限るのならばヴェーバーの説に賛同するも、カルヴァン派から資本主義の概念がすべて生まれたという説に対しては私は真っ向から疑義を呈します。このヴェーバーの説は最近だと高校の世界史の教科書にも載せられているほどなのですが、社会学者も多分薄々間違いだって言うのは分かっているのだから、ヴェーバーには悪いけどこうした誤解をこれ以上広げないように活動するべきなのではないかと私は思います。

2009年10月30日金曜日

JAL再建案と企業年金の対処について

 このところは朝日新聞でも毎日一面を飾っておりますが、JALこと日本航空の再建議論について私の考えを紹介します。

 すでに各所で報じられているように日本航空は数年前に機体トラブルを連続して発生させたことから利用客離れを起こし、またかねてより全日空とのサービス競争でも大きく水を開けられていたことから売上げが大きく減少しており、各業界関係者から全国のサラリーマンにまで早晩破綻するであろうという見方が広がっていました。
 しかしそれに対して前政権与党である自民党はこれという対策を余りしてきませんでした。仮に日本航空が破綻した場合は日本の国内航空会社は全日空のほぼ寡占状態となるため、各評論家は現在の日本航空は経営上大きな問題を抱えてはいるものの絶対に潰さずに再建させなければという意見で一致していたにもかかわらず、自民党はお世辞にもこの問題の解決に積極的であったとはとても言えませんでした。そういう意味で政権交代によって民主党政権が誕生するやすぐにこの問題に手をつけてここまで議論を進めたというのは、まだ民主党と前原国土交通大臣を評価してもいいと思います。

 それでその再建案の中身ですが、どうやらかつてその負債額の大きさから潰すに潰す事の出来なかったダイエーを無理やり立ち直らせるために作られた産業再生機構入りすることがほぼ決まったようです。現在の日航にどのような経営的な問題がありこれからどのように再建していけばいいのかは私自身が航空行政に詳しくないのもあり正直な所あまりわからないのですが、目下の所大きく報道でクローズアップされているのは、日航の退職者に対する高額な企業年金です。

 かねてより日航は退職者に対する企業年金の額が同業他社と比べても非常に高額で、それが経営を強く圧迫させていると言われ続けておりました。その企業年金額が本日のフジテレビの朝のニュースにて具体的に比較されていたのですが、その報道によると全日空が平均月額9万円に対して日航は平均月額25万円でなんと16万円も差があるそうで、私の予想をはるかに超えた額でした。そりゃ経営もおかしくなるだろうよ。

 仮に日航が公的基金投入の上に産業再生機構入りしてもこの企業年金が維持されるのであれば、文字通り国民の税金がこの高額な企業年金に使われる事となります。さすがにそれはまずいだろうということでこれから煮詰められる再建案の中身にこの企業年金の減額案を盛り込もうと言われているのですが、いくつかの報道を見ていると実際に減額するとなると難しいのではという意見が各コメンテーターから聞かれます。
 何故難しいのかというとその企業年金は日航のOBが在職中に働いて稼いだ賃金の一部で、それを国の都合で減額するのは憲法に記載された財産権の侵害に当たるからだ、という風に意見がありました。

 しかし結論を言うと私は余計な議論なぞ必要なくとっとと減額してしかるべきだと思います。さすがに全額廃止までいくとやりすぎだと思いますが、現在の額はあまりにも高額過ぎており、仮に日航が倒産してしまえばそれら企業年金は全額吹っ飛ぶ事を考えると税金を使って維持するべきだとは思えません。もしこの減額を日航退職者が受け入れられないのであれば、多少過激すぎるかもしれませんがこの際日本航空は倒産させた方がまだマシかとすら私は思います。
 それこそ全日空と同じ水準の9万円にまで引き下げる事で退職者一人当たり16万円もの額が浮き、退職者5人で計80万円、これだけあれば月額20万円で新たに4人の従業員を雇える事を考えるとただでさえ職のない現代の若者が如何に追い詰められているのかが見えてきます。

 現在民主党や前原大臣はやはり先ほどの財産権の問題からこの企業年金の減額を行うために新たな法整備が必要だと主張していますが、この意見についてはやや疑問に感じる点があります。というのも過去に松下(現パナソニック)にて幸之助精神の破壊者と呼ばれた中村邦夫社長(現会長)時代にこの企業年金の減額を実行しているからです。この中村社長の決断に対して年金を受け取る側の松下のOBも黙っておらず訴訟まで起こしましたが、裁判所は当時瀕死だった松下においてこの経営判断は不当なものではないとして退けました。

 先にも述べましたが、現時点で日航は本来なら倒産しているはずの会社です。それほど危機的な経営状況にも関わらずあまりにも高額すぎる企業年金を維持するというのは明らかに道理が外れているのではということが、現時点における私の見方です。

  補足
 一つ書きそびれていたことで、今回私が槍玉に挙げた企業年金は各企業が独自に設けている年金で、中小企業の社員にはほぼ全く用意されておりません。そういったことも考慮して私は減額するべきと主張するわけです。

2009年10月28日水曜日

読者年齢層アンケートの結果

 本店の方で行っていた読者の年齢層を尋ねるアンケート期間が終わり、とうとう待ちに待った結果が出ました。早速その結果を以下に公開します。

・20歳未満 1 (2%)
・20~29歳 25 (54%)
・30~39歳 12 (26%)
・40~49歳 6 (13%)
・50~59歳 2 (4%)
・60歳以上 0 (0%)
 合計回答数:46名


 という具合で、書いてる私と同じ20代が最も多く、次いで30代が続く結果となりました。私はこのアンケートを開始した時の記事にも書いた通り比較的読者年齢層は高いだろうと思って40代が一番多いのではないかと踏んでおりましたが、その一方で回答するのは私の直接の友人ばかりではないかとも思っておりこの結果に対して「そりゃそうだろう」というような感想を持ちました。

 ただこの調査を終えてちょっと失敗だったかと思う点で、もう少し年齢層を細かく分けて置けばよかったかもと現在反省しております。このブログは私自身の体験からいろいろと社会の事、政治や経済についてちょっと深く勉強したいと思うような人向けにそれぞれの分野のキーワードなり用語、時事問題の解説を主なネタとしております。そのためメインのターゲット層というのは言うまでもなく現役の大学生で、多少なりともそれぞれの分野の内容に興味を持ってくれるような記事をいつも心がけて書いております。

 ですのでこの年齢層アンケートも、同じ二十代でも前半と後半で大きく読者の立場が変わることを考えるともっと細かくして聞いとけばよかったと後悔しているわけです。まぁ若い年齢層だけでなく、30代以上の方が43%にも昇ってくれたというのは非常に励みになりましたが。

 最後に今後の記事展開として、このところは時事問題ばかり取り上げておりますが初期のようにあまり時間の経過に左右されないような内容の記事をまた増やしていかないとこの頃感じております。現在連載中の「時間の概念」なんかはそのような記事で内容にも自信のある連載ですが、まず先に「北京留学記」を終えないといけないのでまだしばらくお休みしないといけません。時間さえあればまたあれこれ自分で調べた研究記事を書くことも出来ますし、親しい友人には漏らしていますが小説も本音では連載したいです。ただ余り手を広げるのもあれなので、ひとまずの所あまり勉強しないでも書ける、一番好評な歴史記事を中心に書いていくのが無難かもしれません。

宮中ダムの生態系について

取水中止の影響?サケ・アユ遡上が3倍に(読売新聞)

 このところニュースからの引用記事が増えており本音ではそろそろ控えたいと思っていましたが、この前八ツ場ダムのことも取り上げており、関連するニュースなので今日も同じく紹介記事になりました。

 上記にリンクを貼ったニュースの内容を簡単に説明すると、なんでもJR東日本の信濃川発電所が不正取水を犯したことから処分として水利権が取り消されこれまで水を貯めていた新潟県十日町市にある宮中ダムにて水の放流を行った所、このダム上流にてアユやサケといった川魚が川に大量に戻ってきたことが報じられています。
 私は以前に書いた八ツ場ダムの問題にて、ダムを作ると治水や電力といったメリット以上にその川の生態系を大きく崩すというデメリットの可能性に触れました。今回のこの記事はまさにそうした生態系へのダムのデメリットを理解するうえで、なかなかの好材料だと言えます。

 もちろん記事中でも触れられていますが生態系は非常に複雑な連関の上に成り立っているため、単純にダムの放流が行われたから川魚が戻ってきたと現段階でつなげるには早計で、今後しばらく様子を見る必要はあるでしょう。しかし普通に考えるなら自然の中にあんなダムのような巨大な構造物が存在するのは明らかに不釣合いで、なにかしら周りに影響を与えているに違いないでしょう。

 ではどのような治水が一番望ましいのかといえば、大分以前にも一回だけ取り上げましたが中国の都江堰信玄堤がまさに白眉とも言える存在でしょう。どちらも自然にある石や砂を用いる事で数百年以上前(都江堰に至っては二千年以上前)に作られた灌漑設備ながら、今に至るまで現地での水害を防ぐのに大きな役割を果たしております。ただ両者ともオーバーテクノロジーとでも言うべきか、現代においても完全にそのメカニズムが建設方法が解明されていないとも言われております。可能であるならばこれら自然物を用いた設備の建設方法を解明し、生態系に大きな影響を与えかねないダムの代わりとして採用していくことが望ましいかと私は思います。

2009年10月27日火曜日

鳩山首相の所信表明に対する反応

 前回総選挙が終わって一ヶ月が経ち、とうとう民主党を与党に迎えての臨時国会が昨日に開会されました。開会に当たり鳩山首相が恒例の所信表明演説を行いましたが、さすがに全文をチェックする時間まではないので報道の範囲内で語ると、従来からの自分の主張である友愛政治と共に脱官僚を掲げた民主党のマニフェストに沿った内容が長時間に渡って演説されたようです。

 私は元々この所信表明演説はあくまでパフォーマンスだと思っているのでそれほど重要視しておらず多分何もなければこんなわざわざ記事にするまでもなくスルーしていたのですが、この鳩山首相の演説に対する野党となった自民党の反応に対していくつか思うところがあったので取り上げる事にしました。

鳩山首相:所信表明 「ナチスのような印象」 自民・谷垣総裁、拍手皮肉る(毎日新聞)

 今国会における最大野党自民党の党首である谷垣氏はこの鳩山首相の演説に対し、上記リンクの記事にあるように演説の途中にて民主党の一年生議員らから拍手があった事をヒトラーの演説にヒトラーユーゲントが拍手をしているようだと評しました。
 結論から言えば私はこの谷垣氏の発言は如何なものかと思います。他愛もない同じ与党議員からの拍手をよりによってナチスと比較するなどいくらなんでも大袈裟で、あからさまに民主党を悪く言おうとするその態度にはほとほと呆れました。第一、これまでの自民党出身の首相の所信表明演説においてもこのような拍手は毎回起こっており、特に2005年の郵政選挙後に大勝した直後の小泉元首相の際には今回以上に一年生議員がよいしょをしていたと今朝のテレビ朝日のコメンテーターにも言われております。

 別に自民党の肩を持つわけではありませんが、もし本当に政権を奪還しようというつもりならこのようなくだらない発言は今後よして、批判するならするでもっと核心をえぐるような批判だけをするように心がけるべきでしょう。少なくとも今回の谷垣氏の発言はただ民主党のことを悪く言おうとする意識だけしか感じられず、皮肉な話ですがこの発言を聞いて私はこれから自民党は第二の野党民主党に成り下がるのではないかと感じました。

 大体福田政権になってからはマシになっていきましたが、それこそ小泉政権時代においては当時の民主党も与党の言う事やる事すべてをあげつらっては何かにつけて悪い例えをつけて批判しているだけで建設的な対案や意見がほとんど出されず、他の人までは分かりませんが私としては全く評価の出来ない政党でありました。もし今回の谷垣氏が行ったような批判をこれからも自民党が続けるというのであれば、自民党はその時の野党民主党と同じく今後しばらく野党に居続けることになるだろうと思います。そしたらそしたでこれからの民主党も、小泉政権以前のバラマキだけを行う自民党になってたりしたらそれはそれで困るのですが。

 また今回の所信表明演説では、同じく自民党からの激しい野次も批判的に報道されております。軽くニュースでの中継を私も眺めましたがそれこそ演説の内容が聞こえないほどの野次が自民党議員から為されており、これまたテレビ朝日のコメンテーターによると、総理経験者である大物議員が特にひどかったそうです。

小泉進次郎氏、自民党のヤジに苦言…所信表明演説(スポーツ報知)

 この野次に対して身内の自民党議員からも上記のニュースにあるように批判がされており、小泉進次郎議員が相手の言う内容をしっかり聞いて検証すべきだと苦言を呈した事が報じられております。なお小泉議員は鳩山氏の演説に対し、「言葉遣いは平易で分かりやすかったが、言葉の先にあるビジョンが分からなかった」と評し、私から見てなかなか鋭い事を述べている気がします。

 ちなみにもし私が仮に今回の鳩山氏の演説に対して批判をするのであれば、あれだけ長々語れるのであれば自身の故人献金問題についてももっとしっかり語るべきだと皮肉を言います。

社説:鳩山首相の所信表明…「友愛政治」実現の道筋を(毎日新聞)

 この点について毎日の社説もきちんと突いており、上記の社説はそこそこ現在の政治状況を見る上で参考するのにいい内容かと思われます。
 鳩山首相の故人献金問題は私の当初の予想通り、どうも鳩山家の遺産相続問題の線が段々と強まってきました。はっきり言ってこの問題は近年稀に見る大型偽装事件で西松建設の問題など比較にならないほど違法性の高い事件ではないかと私は見ており、検察としても恐らく年末までにはなにかしら動きを見せるべきでしょう。そうなると民主党は早くも「ポスト鳩山」を考えなければならないのですが、この点は現時点ではまだ未知数といったところでしょうか。なんとなく、菅氏は鳩山氏に嫌われているような感じもするし。

2009年10月26日月曜日

大塩平八郎の乱時の大阪の寒さ

 書いたと思っていたら書いていなかったので、今日はちょっと時間も余りないので軽くある歴史の話を紹介します。

 このところ武田邦彦氏関連で環境問題のことばかり書いていますが、武田氏は常々、世界の平均気温が数℃の範囲内で変動するのはごく自然な事だと主張して二酸化炭素による温暖化というのは間違っていると述べています。では仮に百年前の世界の平均気温はどうだったのかとなると、あれこれ炭素測定法やらなんやらを持ち出してある程度正確な気温を出す事も出来ますがちょっとイメージがつきづらいです。

 そんな時に決まって私がよく持ち出すエピソードに大塩平八郎の乱があります。この事件は1837年に幕府の元役人だった大塩平八郎が幕府に対して反乱を起こした事件ですが、中国にて清が滅ぶきっかけとなった太平天国の乱同様、その後の明治維新と比べると小さな小さな反乱でしたがこれがそもそもの江戸幕府崩壊の端緒であったのかもしれないという意見もあります。

 そういう歴史的な意義はひとまず置いといて、この大塩平八郎の乱が起きたのは江戸から遠く離れた大阪の地でしたが、この乱が起きた当時の資料によるとなんとこの乱が起きた時の大阪では淀川が凍結していたという記述があるのです。川が凍結するとなると最低でも一日の平均気温が零下を下回っていなければなりません。これは現代の都市で言うならばこちらも実際に冬場に川が凍結する韓国ソウル市や中国北京市くらいの気温で、この1837年の大阪の冬はそれほどの寒さだったという事になります。

 もちろんたまたまこの年が寒さ厳しい厳冬だったと捉える事が出来ますがここ数十年で大阪市を走る淀川が凍結するなんて話は全く聞かないことから、ヒートアイランド現象やその後の治水工事などもあって単純に言い切れるわけではありませんが、少なくとも現代より約170年前の大阪は平均気温が一段低かったのではないかと私は見ております。

 歴史というのはとかく大きな内容にばかり目を取られがちですが、一つ一つの小さな事実は他の要素と組み合わさる事で深みを増すものだと思います。この大塩の乱も、ただ淀川が凍結したという資料の記述からこんなに話を広げることが出来、勉強するのに本当に楽しい学問だといえます。

2009年10月25日日曜日

環境にやさしい都市とは

 以前に書いた「武田邦彦氏の講演会ににて」の記事の続きです。
 前回の記事では私が質問した原子力発電についての武田氏の回答が中心でしたが、この時の講演会では肝心要の環境問題の欺瞞性がやはり中心で、その中でも現在武田氏が現在教鞭を振るっている名古屋の都市計画についても触れられておりました。

 何でも現在武田氏は名古屋市長の河村たかし市長の諮問会議のメンバーとなっていて、名古屋の今後の都市計画についていろいろと河村市長と共に計画を練っているそうです。最初にもう書いてしまいますがこの講演会にて武田氏は終始河村市長のことを持ち上げており、国会議員を退職する際には退職金を一部返納し、また市長に就任後も、「金を稼ぐのは市長を辞めてからだ」と言って市長報酬も一部返納している例などを挙げて褒め称えていました。武田氏がこのように誉めるのも現在河村市長の側に立っているからとも取れますが、河村市長については私も市の公用車を使わずに電車通勤しているという話を聞いており、お金の面では以前から非常に高潔な人間だと評判だったので武田氏の話に相違はないと思います。

 それで現在武田氏らが進めている都市計画なのですが、一言で言うと「冷房の要らない都市づくり」だそうです。この冷房の要らないという意味は何かというと、武田氏が従来から主張しているように夏場に冷房が必要なほど日本が暑くなるのは温暖化が原因ではなく都市部におけるヒートアイランド現象によるもので、今後の名古屋の都市づくりではそのヒートアイランドを軽減、さらには逆行させる案を練っているそうです。
 具体的な案としてこの講演会で武田氏が挙げていたのを出すと、以下のようになります。

・コンクリートを掘り返してなるべく土の地面を出す。
・暗渠となっている川を掘り返す。
・空き地に木陰となる樹木を多数植える。

 などだそうです。
 この中で私が聞いてて、一番反応したのは二番目の暗渠となっている川を掘り返す事です。実は私はこれ以前にも別の勉強会にて川が都市部の中を流れる価値について話を聞いており、日本で実行するところはないものかと以前から考えていたからです。

 それで都市部に川が流れると一体どうなるかですが、まずデメリットとして自動車用道路の渋滞を誘発しています。仮に川の上にコンクリートを張るとその上は地面同様に走れるようになり、橋を渡る必要もなく自由にどこからでも左右両岸を渡れるようになります。こうしたことから日本の各大都市では高度経済成長期に片っ端から川を暗渠で埋めて行き、東京に至ってはかつて誇られた江戸水系も見る影もないほど埋められていきました。

 これに対して川が暗渠ではなく地表に現れていた場合はどうなるかですが、まず第一に大きな好影響として周囲の気温を下げる効果があります。地面と違って太陽熱の吸収率が低くて反射率も高いため、水の近くだとなんとなく涼しく感じられるように都市部に川があると実際に周囲の気温を下げ、そのままヒートアイランド現象の抑止につながります。またこれに加え、水面は空気中の埃を吸い付けるので空気の清浄化にもつながると言われております。

 このような理由から暗渠となった川を再び掘り返す事業をやろうとしているのは何も名古屋市だけでなく、実際に実行してしまった大都市もあります。相当にこの方面に詳しかったり過去の報道をそうそう忘れない方ならもう察しがついているでしょうが、その事業を行った地は他でもなくお隣韓国のソウル市で、その推進者は現在では大統領にまでなってしまった李明博氏です。
 詳しくはリンク先のウィキペディア内にても書かれていますが、李明博現韓国大統領はソウル市長時代に本当にソウル市内のど真ん中を道路として走っていた清渓川の暗渠を取り除き、生態系や環境に貢献したとしてソウル市民だけから出なく世界の環境団体からも高く評価されました。恐らく河村氏もこのエピソードを知ってたら、「わしも同じ風にやって首相になるんじゃ」とでも言ってそうですけど。

 ちなみにこの清渓川については私が以前に出た勉強会でも触れられており、この暗渠開削によって商売に悪影響の出るとして反対していた周辺商店住民が開削後にやはり売上げが落ちたとして本音ではあまりうれしくはないものの、ソウル市全体や市民の視点で見れば開削してよかったのではという感想が紹介されていました。

 私は一時期京都市内に住んでいましたが、やはり京都の環境で何がよかったのかといえば四方を取り囲む山々と市内東部を走る鴨川でした。特に鴨川周辺は小さな河原となっており、夜になれば出町柳周辺で同志社の連中のカップルが大挙して出没したりするなど一部鼻持ちならないところもありましたが、休日ともなれば親子連れが遊んでいたりと全般的には市民にとって非常よい憩いの場となっています。確かに鴨川の西と東で道路が寸断されるために三条京阪周辺がしょっちゅう渋滞にこそなるものの、そのメリットに比べればあの程度は小さなデメリットだと私は感じました。

 このような思いは何も私だけでなく古くから京都に住む人達も同じで、鴨川の反対側に位置する、こちらは現在暗渠となっている堀川について暗渠とさせてしまったのは失敗だったとよく述べていました。私も出来る事なら、多少のお金はかかっても京都市は堀川を再び開削して欲しいものです。

 武田氏はこのような元からある自然を活用して冷房の要らない都市づくりを計画しているそうです。武田氏によるとこのようなことが出来るのはお金のある今のうち、更に言うなればすでに弱り始めているけどトヨタがお金を落としてくれる今のうちしかできないとして、数十年後に石油がなくなって冷房が使えなくなった東京や大阪を横目に名古屋だけがせせら笑うのを夢見ているそうです。いちいち例の出し方や話し方が本当に面白い人です。