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2009年2月28日土曜日

中国における日本アニメの浸透について

中国”動漫”新人類(日経ビジネスオンライン)

 本日リクエストがあったので、上記に貼った中国における日本のアニメの浸透の記事について解説します。
 まず中国で日本のアニメが流行っているかどうかですが、正直なところ微妙なもので、少なくともヨーロッパやアメリカのようなブームにまでは至っていないというのが私の所感です。

 私自身は2005年から2006年まで中国北京にいましたが、テレビなどで放映されるような熱狂的な日本アニメファンの中国人は見たことがありませんでした。その代わりといってはなんですが、日本に帰ってから知り合った中国人留学生の友人などはまさに根っからのオタクで、別の友人から「ガンダムが好きで日本に来たんだよ」とまで言われる位の執心ぶりでした。
 リンクに貼った記事では一見すると北京大学の学生らが非常に日本アニメに執心しているような印象を受けますが、私はそれは実際のところごく一部の学生でしかなく、ブームというほどの現象にまではなっていないのではないかと思います。とはいえ中国はいわずと知れた人口大国であるので、全体の中のほんの一部といってもそれだけでも相当な人数が集まってしまうので、記事中にもあるように同人誌の即売会などに多勢の中国人が参加したというのもあながち嘘ではないでしょう。

 では何故中国人たちの一部が記事に書かれているように日本アニメにハマるかですが、基本的に日本のアニメを見るのは日本語を学ぶ外語系の学生が多く、日本語を最初に学ぼうとするあたりから日本文化に元から親近性が強いということが予想できます。私自身中学生の頃から中国語を学ぼうと考えていたのもあり、割と中国の文化というか匂いが肌に合っていました。
 そうした学生がどのようなところで最初に日本アニメに触れるかですが、まず一番多いのはテレビ放送でしょう。私自身、留学中に中国のテレビ局で徳弘正也氏の「ジャングルの王者ターちゃん」のアニメが放映されていたので見ていましたし(さすがに一部の下品なシーンはカットされていたが)、人づてに話を聞くとちらほらとそういった日本のアニメ番組が中国でも放送されており、特にジャンプでやってる「NARUTO」も放送されていたのですが、その放送を向こうの子供はみんなよく見ていました。

 そうしたテレビ放送を通して始めて触れる一方、ある意味今日の本題となるもう一つのきっかけこと、海賊版による影響も小さくありません。
 まず一体どれくらい中国に日本のアニメやドラマの海賊版が溢れているかですが、それこそ道端の露店からその辺の本屋さんに至るまで、あちらこちらで際限なく売られています。北京で恐らく一番大きくて権威のある王府井の本屋でも、地下に行ったらありえないくらいの海賊版が売られていたのには驚かされました。値段はDVDやCD一枚あたり大体20元から30元くらいで、日本円に直すと300円くらいから450円くらいで売られています。

 私自身はそういった海賊版を買うことはありませんでしたが、日本人留学生でもアニメに限らずドラマや欧米の映画などをよく買っては暇つぶしとばかりに見ているのもたくさんいました。実際現地での雰囲気を見ていると海賊版があまりにも溢れているので、海賊版を買って何が悪いのといわんばかりの空気だったような気がします。
 やはり日本贔屓の中国人に聞いたりすると、そうした何気なく手にとった海賊版から日本のアニメにハマったという人が多かったです。入手がしやすく、また気軽にそういったアニメやドラマが見れることから、こうした海賊版が中国人が日本に対して興味を持つ取っ掛かりになるということは確かに私もあると思います。

 そうした意味でこうした海賊版のアニメは日中の交流の架け橋となっていると見ることもできるのですが、日本の各メディアでも言われているように著作権が根本から無視されていることから、しばしば双方の争いの種となっていることも少なくありません。一番日本で有名な例は向こうでテレビ放送されて人気になった「クレヨンしんちゃん」(中国タイトルは「鉛筆小新」)が中国で勝手に商標登録されて、日本のおもちゃメーカーが中国でおもちゃを販売しようとするのを差し止めたり、逆にゲーム会社のKOEIがなぜか「三国志」を商標登録しようとして中国人が怒ったりと、実際の視聴者の外では壮絶な争いが主に製作会社間で行われています。また単純に海賊版が出回ることで正規版の販売収入がなくなり、いわばタダ見されること自体を問題視する声もあります。

 こうした問題があることは重々承知ですが、二つ目のタダ見については私はどんなものかなと思うところがあります。私が日本のアニメを見る手段は主にレンタルビデオですが、やはり周りにはファイル交換ソフトで見るという人もおり、中国の海賊版を現在批判したところで日本国内でもタダ見している人間は数多くおり、今更こういうことをどうのこうのとか正規版の販売収入といってももうどうにもならないと思います。それにタダ見してる人がもし海賊版やファイル交換ソフトが撲滅されたところで、素直に正規版を買うかどうかといったら正直疑問です。かといってその二つの違法手段があっていいというわけではありませんが。

 ただこうした海賊版から入った中国人がその後熱狂的なアニメファンになることで、将来的に日本のコンテンツ産業へお金を落とすようになっていったり、日本に対して理解を深めていくということは現実に起こりつつあると思います。私の友人の中国人なんかまさにそうですし、やはりアニメゆえに入りやすい、興味を持ちやすいという特徴は確実にあると思うので、やや複雑な感情になってしまうのですが、一概に海賊版を否定するというところにまでは私は入っていけません。
 また留学中に日本アニメをよく見ていた同級生のフランス人の姐さんからも、「何であんたはネット上で無料公開されている動画を見ないの?」と言われたことがありましたが、日本以外の大半の国ではネット上の違法公開動画などを見ることが半ば当たり前視されているのではないかと私自身思います。こうした違法視聴を徹底的に叩くべきか、それとも見過ごすことで将来の購買層ことアニメファンを増やしていくべきか、実際にアニメを製作している人のことを考えると悩みが尽きません。

 ただ先ほども言ったとおりに、「NAROTO」や「ちびまるこちゃん」といった少年少女向けのアニメは正規に中国のテレビ局から放送されており、こうした番組を子供時代に見ることで将来的に日本に対して好感を持つ中国人が増えていくことは日中間にとっては悪くはない気がします。しかしこれは確か2006年だったと思いますが、中国政府が国内のアニメ産業を保護する目的で、ゴールデンタイムに外国のアニメを放送するなという通達を出したことがありました。その後この通達が本当に実行されているのかまでは確認してはいませんが、私としてはそんなけち臭いことは言わないでほしいというのが本音です。

  おまけ
 以下は私が海賊版を見ていた友人から聞いた、中国語字幕の妙な翻訳例です。左側がアニメの中の日本語セリフで、右側がそのセリフに対する字幕の誤訳です。

・こざかしい!→小坂茂!
・鈴鹿越え→鈴籠へ

2009年2月27日金曜日

権利と義務の関係性

 週末なので、ちょっときわどい内容にチャレンジしてみようと思います。
 先に断っておきますが、私は法学に関してはずぶの素人のしがない社会学士でしかありません。そんな分際でこんな内容をやろうというのも自分でもどんなものかと思いますが、この前電車に乗りながらいろいろと考えるところがあったので読者の方の意見も聞いてみたいので、一つ所見を述べさせてもらいます。
 まず結論から言うと、全部が全部そうだと言うわけではありませんが、私は権利と義務は対立するものではなくむしろ同一直線状にあるものではないかと考えております。

 これは私の持論ですが、「よく権利を主張する人はよく義務を遂行しない人」が多いと考えています。これの代表的な例はいわゆるモンスターペアレントというやつで、給食費を払うという義務を遂行しないでおきながら学校内の子供の扱いにおいて教師らへ様々な権利を主張するという例が数多く報告されており、またモンスターペアレントに限らずニュースに出てくるような数多くの変な団体とかも、言うだけ言っといてやることはやらないのかと見たり聞いたりする度に思わせられます。
 別にこのようなこと、世の中には傲慢な人間たちが溢れているんだということで特段に珍しいことではないのですが、この前ふとしたことからこの逆の構図はありうるのかと、つまり権利をあまり主張しない人は義務もきちんと遂行するのだろうかと考えてみたら、なんとなくその傾向はあるんじゃないかと思いました。

 私の周りを見渡すとやはり社会に対してきちんとルールや義務を行っている一般常識のある人ほど謙虚なことが多く、さらにはことさらに自分の行っている行為を喧伝したりせず、自分はこれだけ義務を果たしているのだからこういうことくらい主張してもいいんだなんてことも全く言いません。となると、先ほどのモンスターペアレントの例と繋ぎ合わすと権利と義務というのは基本的にセットになり、よく権利を主張する人は義務を果たさず、よく義務を果たす人は権利を主張しないという風になるのではないかと考えるに至りました。

 しかしよくよく考えてみると、個人単位でこの両者を見比べるとまるでシーソーのように権利と義務が対立し合って見えるのですが、社会上では始めから権利と義務が一緒になっているものも少なくありません。その代表的なものは主に憲法で規定されている教育や労働で、日本国憲法上で日本人は自らが教育を受ける権利と労働者として守られる権利を持ち合わせていますが、国民の義務として自らの子弟に対し教育を行う義務と労働を行う義務も一緒に課せられています。
 これはちょっと言い方が難しいのですが、権利と義務がセットになっていることでその社会にいる人は、ある場面ではその行為を行う権利者となるものの、別の場面ではその行為を行おうとする人を手助けしなければならない義務者になることもままあるということになります。それは極言をすれば、社会で認められている権利が大きければ大きいほど、その社会が保障しなければならなくなる義務も大きくなっていくということではないかということが、以前に私の頭の中でよぎったわけです。

 これなんか私がよく問題視している例なのですが、ファミレスなどでちょっとでも店員が粗相をしてしまうと感じの悪い客なんかは、「客商売なんだから、もっとしっかりしろよな」とすぐ口に出し文句を言ってしまいます。しかしもしその感じの悪い客がバイトなどで同じような店員をする場合には、自分と同じような感じの悪い客にきちんと接客を行わなければすぐにまた文句を言われてしまいます。
 ですがもし始めから店員に対してきちんとした接客態度という要求がなされないとすると、店員の側もそんなにいちいち細かい挨拶とか言葉遣いに気を使う必要がなくなります。言ってしまえば、客の要求が高ければ高いほど店員の負担は重くなる一方、要求が少なければ少ないほど店員の負担は軽くなるということです。

 このファミレスの例で「要求」を「権利」、「負担」を「義務」と言い換えると、私の言いたいことが読者の方にも見えてくるかもしれません。それこそもしずっと客の側でいられるのであれば要求を言い続けて良い目を見続けることも出来るかもしれませんが、さすがに働かずにずっと生きてけるというのは今の時代には難しいので、同じファミレスでなくとも別の業界にて自分が店員こと社員の立場になって客から同じようにあれこれ要求されることになってしまうかも知れないということです。つまり自らが要求することで権利を社会全体で高めてしまうと、回りまわって自らを拘束する義務になってしまうのではないかというのが私の意見です。

 なにも接客に限らずに社会保障の観点から言っても、いざという時に年金や生活保護を受ける権利があるとしても、その社会で年金や生活保護に使われるお金を出す人がいなければ社会保障というものは成り立たず、言うなればその社会で社会保障が手厚ければ手厚いほど税金は多く必要になってきます。また単純に社会全体で基本的人権が認められるということは、他者に対しても基本的人権を認めなければならなくもなります。
 このようにその社会で認められる権利が多ければ多いほど、その社会の構成員に課せられる義務というものは比例するように増えていくのではないかということです。一見すると権利が広がることで人間は自由や自分の可能性を広げられるとよく言われていますが、その一方で人間を拘束する義務も増大するので、場合によっては自由の範囲が狭まることすらもあるのではないかと思います。

 もちろん最初に言ったように全部が全部こうだとは言うつもりはなく、フランス革命以前は貴族は好き放題出来る一方で大多数の平民に自由がなかったのに対し、革命後に人権思想が広がったことにより元貴族は行動が制限されることとなりましたが大多数の平民には一定の自由が得られ、フランス社会全体で自由の総和というものは増えたのだと私は考えています。
 しかしこの例のように権利が広がることで必ずしもその社会の自由の総和が増大するとは限らず、またモンスターペアレントの例のように、社会の拘束こと義務が減る事でも自由の総和が増大するとも限らないのではないかと、最近企業などへのコンプライアンスの意識が増大することで窮屈さを感じることが増えた日本で考えついたわけであります。

2009年2月26日木曜日

満州帝国とは~その二、二次大戦前の中国~

 日露戦争後、満鉄の経営権を握った日本が後に満州を完全に占領しようとしたのは植民地獲得の野心があったのは言うまでもありませんが、当時の言語に絶するような中国の混乱した状況がその野心を強くさせたというのは間違いありません。今日はそれこそ普通にやっていればまず受験生はまず勉強しないであろう、一次大戦から二次大戦に至るまでの激しい中国の歴史を紹介しようと思います。

 日清、日露戦争の後、中国は今でもトラウマに持つくらいに列強諸国から次々と無茶な要求を出されては領土を割譲されるなど、文字通り国際社会の食い物とされていました。清朝としても内心は穏やかではなかったものの外国に対抗できるだけの力もなく、また国内すらも徐々に抑えきれなくなっていたために要求を受け入れざるを得なかったそうです。
 そうした清朝の態度にタダでさえプライドの高い中国人は納得するまでもなく、こうなれば日本の明治維新を見習い、清朝を倒して強固な体制を新たに作るべきだという主張が徐々に強まっていき、各地で反動勢力が次々と反乱を起こすようになっていきました。

 そんな反動勢力の中で、ひときわ抜きん出た存在となったのが辛亥革命で有名なあの孫文でした。
 彼は外国や軍閥などから文字通り手段を選ばずに支援を仰いで支持者を増やし、最終的には孫文らを討伐しに来た清朝の将軍であった袁世凱との間で、袁世凱を臨時大総統こと革命後のリーダーに仰ぐことで取りこんで清朝を崩壊させるに至りました。
 なお余談ですが、孫文は中国では一般的に「孫中山」と呼ばれていますが、この「中山」という文字は彼が日本にいた頃に中山さんちの表札を見て気に入って自分の名前にしたことが由来で、ひいては彼が着ていたことで後に定着した中国の国民服も「中山式」と呼ばれています。

 こうして清朝が滅んだことにより新体制を作るぞと息巻いたものの、残念ながら中国ではその後全体をまとめる強固な政権がなかなか生まれず、袁世凱のスタンドプレーや孫文の死によってますます統合が緩んだことが拍車となって結局は各地で軍閥が台頭し、あっちこっちで勝手に自分の領地を統治しては縄張り争いをするという、それこそ日本の戦国時代のような群雄割拠の世界が広がっていきました。
 これは首都である北京でも同じことで、ある軍閥が占拠していたかと思ったらすぐに負け、また新たな軍閥が占拠しては新たな統治をするというようなことが全国各地で起こり、それ以前の中国よりずっとこの時代に混乱が増すこととなってしまいました。なおこの時代より少し前の革命期になりますが、魯迅の「阿Q正伝」では清軍と革命軍が交互に地域を占拠するたびに辮髪があるかどうか大問題になるという、当時の不安定で反復常ならぬ世情が描かれています。

 こうした中で日本にとって一番関心の強かった満州において強い勢力を持ったのが、こちらは中学生でも習う馬賊出身の張作霖でした。
 先に馬賊の定義について説明しておきますが、正直なところこの馬賊という名称は誤解を生む恐れがあるためにあまり良くない名前で、日本語の意味合いから言うなら「傭兵団」と呼んだ方が適当だと思われます。既に述べたように当時の中国は果てしなく混乱し、北斗の拳じゃないけど暴力による強圧的な支配から略奪まで日々横行していました。そんな環境ゆえにお金のある地主などは腕に自信のある人間を夜盗であろうと構わず集めては、広大な満州の平原で必須となる馬を援助するなどして自警団を各地で組織するようになっていき、そのようにして生まれた独立した自警団こそがこの当時に馬賊と呼ばれた集団でした。

 これら馬賊は地主などのスポンサーから援助を受けている間は担当地域の治安を守り、支援が打ち切られるや別の地域で活動するかそのまま元の夜盗へと成り下がるかし、言うなれば半兵半盗のような存在でした。
 張作霖などはこうした馬賊のリーダーとして徐々に活動地域を広げていき、支配地域のスポンサーや満鉄を所有する日本も混乱が続くぐらいならまだ力のある人間によって統治されることを望んで彼を多方面で援助したことにより、張作霖の勢力はいつしか現地の行政も担当するようになって軍閥へと発展していったのです。

 とはいえ所詮は軍閥で、他の軍閥との抗争に敗れたり援助が打ち切られたりするとあっという間に勢力を失うので、中国全体で一応の秩序が生まれるには蒋介石による全国統一作戦こと「北伐」が行われるまで待たなければなりませんでした。その北伐を行う蒋介石に敗北した上に日本からも援助を打ち切られた張作霖の最後はまさに落ち目の軍閥党首の典型で、1928年に河本大作によって奉天へと鉄道で逃げ帰る途中で爆殺されてしまいます。
 皮肉なことに、それまでの混乱期ではなく蒋介石の下でようやく統一が行われそうになった段階に至り、日本は本格的に満州へと謀略を仕掛けるようになり、三年後の満州事変によって行動に移されることとなるのです。

2009年2月25日水曜日

満州帝国とは~その一、満州への進出

 今日から満州帝国についての歴史と私見を紹介する連載を始めます。ある程度勉強は終えているのですが、この連載に備えて小林英夫氏の「満州の歴史」(講談社現代新書)を先月に買っていたのですが、まだ他に読む本があったために先にうちの親父に貸したらまだ返してもらえず読むことが出来なかったのが唯一の誤算でした。
 それではまず第一回目として、いつ、どのように日本は満州と関わりを持つようになったのかを今回説明します。

 まず満州とされる地域ですが、これは現在の中国で言う遼寧、吉林、黒龍江の東北三省を一般的に指しています。何故これらの地域が満州と呼ばれるようになったのかですが、日本が戦国時代だった頃、当時のこの地域ではかつて中国において「金」という帝国を作った女真族が各部族ごとに集住、抗争していたところ、ヌルハチというある部族の長が女真族内で次第に統一をはかり、最終的には一つの軍閥として纏め上げ、その際にそれまで「女真族」としていた民族名を「満州族」という名称に改めたことがきっかけで、そのまま民族名が地域名として定着したのが由来だそうです。

 ヌルハチの死後、満州族は混乱の続く中国中心部へと進撃してついには統一を行い、現時点において中国の最後の王朝に当たる「清」を設立することになります。その清の時代も満州地域では漢族の流入が抑えられ、満州族の伝統が守られていたそうなのですが、近代に入るとロシアと国境の接する地帯として紛争が続くようになり戦略上の重要度が時を経るに従い増していきました。
 そんな中、明治維新を断行し日の出の勢いで国力を増していた日本は当初は同じアジア国として朝鮮、中国を支援して欧米の列強の進出を防ごうとしていたようですが、福沢諭吉らなどの脱亜論などのようにこの際アジアよりも欧米のように植民地を切り取っていくような政策に変えるべきという国論も強くなっていき、その目標として日本に定められたのも朝鮮と満州でした。

 そうして国論が次第に変容する中で朝鮮内の甲午農民戦争をきっかけに日中間で日清戦争が起こり、この段階に至って日本ははっきりと中国に対して侵略を行う立場へと変わり、戦後の講和条約にて台湾をはじめとした領土の領有権を中国に認めさえ、その中に満州地域に含まれる遼東半島も含まれ、この時を以って日本は満州と関わりを持つに至ります。

 もっともこの時はその後ドイツ、フランス、ロシアによる三国干渉を受け、遼東半島の日本の領有は当該地域の安全に好ましくないといちゃもんをつけられ中国へ返上することになりましたが、日本には返上を迫る一方で満州内の鉄道敷設権を得るなどどんどんと進出してくるロシアに対して日本は、「俺たちには適当なことを言いやがって!」とばかりに日本は国民感情上でも相当怒り、特に支配権を握りつつあった朝鮮と国境の近いことからも非常に危機感を募らせていくようになりました。
 その後この地域の安全を図る策として「満韓交換論」等が練られますが交渉としてはどれも失敗し、最終的には維新後日本において最大の試練となった日露戦争へと突入し、辛くも勝利を得たことによって日本はこの地域へと本格的な進出を行うに至るようになります。

 具体的にどの程度進出したかですが、まずロシアが中国より租借していた遼東半島の先端に当たる関東州、そしてこれまたロシアが中国に認めさせて敷設していた東清鉄道こと、後の満州鉄道の経営権と付属地が日本に譲渡されることとなりました。
 ちょっとこの辺が自分も今まであまりよくわかっていなかったところなので詳しく解説しますが、この時点で日本は満州の大半の地域を獲得したわけではなく、あくまで満州鉄道とその周辺地域の支配権だけを得たに過ぎませんでした。というのも日露戦争前にロシアは中国より満州内に鉄道を敷設する権利を受けてその鉄道の管理権、及び線路を中心にした幅六十二メートルの付属地の支配権を握っていたので、それがそのまま日本のものとなったわけです。とはいっても当時の物流はすべて鉄道によるものなので、満州における鉄道の経営権を握ることはその地域の経済源をすべて握るといっても過言ではなく、この時に日本が得たものは決して少なくはありませんでした。

 そういうわけで、日露戦争後に日本が満州に得た領土は遼東半島の一部と、満州に敷設されている鉄道線路を中心にした幅六十二メートルの付属地でした。その後付属地は日本側によって「関東州」と称され、この地域を防衛、守備するために作られた部隊が「満州駐箚軍」こと、後の「関東軍」となるのです。

2009年2月24日火曜日

週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について その四

 まさか昨日の今日にこの件で続報を書くことになるとは思いもよりませんでした。

新潮社に虚偽と抗議 「本社襲撃」手記で元米大使館員(asahi.com)

 今朝の朝日新聞の朝刊で私はこの記事を確認しましたが、昨日に引き続き週刊新潮による一連の赤報隊事件の犯人手記に対してその内容を事実無根だとする非難記事を発表しており、特に今朝のはなかなか面白いことが書かれているのでまた紹介します。

 まずなにが凄いかって、新潮側が犯行の指示犯とする元アメリカ大使館職員の、週刊新潮の記事中で佐山と仮名されている方が出てきていることです。もちろん実名は伏せられていますが、何でも今回の新潮の記事によって「犯行の指示役に仕立てあげられた」として朝日新聞に実名で連絡を寄せてきたそうです。
 もうこの時点で本当にこの方が犯行指示犯だとすればありえない事態で、新潮の言っている内容、取材が如何にいい加減だったかがよくわかるのですが、前回の記事で私も奇妙だとして指摘した、犯行の実行犯と自称している島村氏と指示犯とされるこの方の一月十九日に撮影されたツーショット写真について、島村氏に貸した金を返すとの連絡を受けて秋葉原で会ったところを隠し撮りされた物だとした上、新潮側からの一月二十六日の取材にてこの事件の関与を全否定したにもかかわらずその旨が記事では書かれなかったと主張しています。

 前の記事で書いたように、あの写真が撮影された日と取材日が異なっているのが妙だと思っていたら、案の定あの写真は隠し撮り写真だったということで、そう考えるならこの日程の違いにも納得がいきます。更に新潮の記事ではさもこの男性が赤報隊事件当時に東京のアメリカ大使館に勤務していたように書いているのですが、実際にはこの時この方は福岡の領事館に勤務していたとも朝日新聞には書かれており、現在のアメリカ大使館の報道官もこの事実を認めています。

 他のメディアでもこの新潮の記事についていぶかしむ声は多く、新潮側はもっと確たる証拠やこれらの批判に対して応答すべしという意見が載せられていますが、私としても同じ意見です。前回の記事でも書きましたが、こんなあやふやな島村氏の証言だけでこんな記事を書いて公表したのだとしたら、事件にて殺害された記者への冒涜にしかほかなりません。

  追伸
 昨日今日とNHKへライフルの実弾が入った封筒が、「赤報隊」と書かれた紙と一緒に郵送される事件が起きており、うちのお袋なんかは今回の新潮の記事に対して、「適当なこと言いやがって、俺が本当の赤報隊だ」と、朝日新聞での真犯人が言うためにやっている事件なんじゃないかとまで言っています。もちろん新潮の記事に便乗した愉快犯が行っている可能性もありますが、なんとなく不気味な事件ですし、このような報道機関への脅しはどこをどうみたって最低の行為なので、早くこんなことはやめてもらいたいと個人的には思います。

中国と日本の現役層のバックグラウンドの違い

 前にも一回書きましたが、出張所のFC2ブログの方ではクリックするだけでその記事を評価したことになる拍手ボタンというものがついており、案外目立たないのですが管理者の側からすると一ヶ月前までの履歴はすべて把握でき、やっぱり押してもらっているとなかなかうれしいものです。それがまた他の記事より手の込んだものであればなおさらというものでしょう。
 それでこの前ふとしたことから出張所の方で文化大革命の連載記事を読み返していると、「紅衛兵」についての記事だけ七拍手も集まっており、ほかの連載記事とは一線を画して拍手が多いということに気がつきました。実際にこの紅衛兵の記事、ひいてはその次の下放に関する記事はつたない知識ながらも頑張って書いた記事だったので、これほど拍手が集まっていたのは素直にうれしく思いました。

 それにしても、この紅衛兵と下放の下りは読み返す度にいろいろと思うことがあります。その現実としての歴史の凄まじさは言うまでもありませんが、果たしてこんな時代を生き抜いてきた中国人に対し、自分たち日本人は対抗できるのかという疑念も必ず湧いてきます。
 意外と知られていない、というより報道なんてほとんどされないで当たり前ですが、現在中国の常務委員のメンバーにて次期総書記として最も有力視されている習近平氏、そしてその次に有力視されている季克強氏の二人ともこの下放を受けており、特に習近平氏なんて父親が元副総理という立場ながら追放された上での下放でしたから相当な経験をされたことが予想されます。

 下放についてはリンク先の記事でも書いてあるのでここでは細かく語りませんが、それこそ一生を賭すような壮絶な体験です。そんな体験や苦難を乗り越えてきた彼ら二人に比して、今の日本の政治家の中でそのような塗炭の苦しみを乗り越えた人間がいるかといったらまずいないと言っていいでしょう。
 更に言えば、今の中国において財界、政治界で指導者として活躍している壮年層のほぼすべてはこの下放を乗り越えて現在の地位におります。なんでも文化大革命が終了した後、中国政府は文革で失った人材の穴埋めをするために全国からエリートを集め、半年間猛勉強させた後に大量の留学生を東大に送りこんでいます。なおその際の入学試験はもちろん他の学生と同じ日本語の試験だったそうで、この時に日本に留学した者たちが現在の中国の財界のリーダーとなっているそうです。

 なにもなんでもかんでも苦労すればいいってもんではありませんが、それこそ生死の狭間を歩き、自らの概念を毛沢東思想などの様々な影響の中で反芻してきた末に乗り越えてきた文革世代に対し、とてもじゃないですが私なんか敵う気がしません。幸いというか私の世代に当たる1980年以降に生まれた世代は中国でも「80後(パーリンホウ)」といって、恵まれた環境下で甘やかされて育ってきた貧弱世代とも言われているようで、直接的にぶつかる同世代の相手は文革世代に比べればまだ互せそうな相手ですが、少なくも現役指導者世代の人材の質を見る限り、今の日本の政治界の混乱振りを見るにつけ中国の方が遥かに上だと私は考えています。

 若いうちの苦労は買ってでもしろとは言いますが、やはり人材全体の質の底上げという意味では、皮肉な言い方ですが悪い時代というのは格好の時代となります。現在の日本は若者の雇用が年長世代のために犠牲になっているなどあれこれ言われていますが、逆を言えばこの時代を乗り越えることで他国にも負けない強靭な世代を作れるのだという前向きに捉えることも出来ます。また私自身は現在割合に恵まれた環境下で公私共に充実した生活を現在送っていますが現在不遇を囲っている同世代の若者に強く言いたいこととして、現在の苦労は決して無駄にはならないし、中国のあの文革が行われた時代からも這い上がった人たちはたくさんいるので、今つまずいているからといって希望を決して投げ出さずに自己研鑽に励んで頑張ってほしいということです。

 ところでまた話は変わりますが、中国の文革期のように日本にも多大な苦難があった時代を乗り越えた末に各界に大量に優秀な人材を生み出していったある時代と場所があります。もったいぶらずに言うと、それは満州こと、わずか十数年で滅んだ戦前の満州帝国のことです。
 以前から友人にこの時代のことを書いてくれといっていたので、次回からあの満州帝国はなんだったのかという近現代史の分析という意味でまた連載を始めますので、どうぞよろしくお願いします。

2009年2月23日月曜日

週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について その三

 ちょっと書くのが遅れていましたが、ちょうどいい具合に続報が入ってきたのであながち無駄ではありませんでした。

<朝日新聞>週刊新潮の襲撃犯手記「真実性なし」(YAHOOニュース)

 以前に書いた記事で私もリンクに貼った記事に書いてあるように、週刊新潮で連載された自称赤報隊事件の犯人手記の記事は非常に疑わしいと書きましたが、本家本元、というより事件の当事者である朝日新聞側がとうとう怒って公然と批判を行ったようです。結論から言うと、私もこの件では朝日新聞の肩を持ちます。

 さてその肝心要の犯人手記の連載記事ですが、ちょうど先週木曜日発売の二月二十六日号で連載は終了しましたが、はっきり言って読み終わった後は言いようのない怒りを私も覚えました。前回でも不満だと私が言ったこの事件の核心部に当たる指示犯の動機については類推だけで確たる事実については一切書かれず、結局謎のままだという尻すぼみな内容に終わっているどころか、二月十二日号で新潮のこの連載記事を批判した週刊文春の記事への逆批判という、私からするとあまり事件の本質に関係ない内容に大量の紙幅を割いているなどこれだけ引っ張っといてこんな終わり方かよと憤懣を持ちながら家に帰りました。ついでに言うとこの日はマンガの「ノノノノ」の五巻の発売日なのに一軒目の本屋には置いておらず、ただでさえイラついていたのもあったのか電車に乗った際に車窓に映る自分を見ると目つきが異様に恐かったです。

 それはともかく、今回の新潮の記事は私が見ても穴だらけです。犯行指示犯が元アメリカ大使館員という荒唐無稽さもさることながら、その情報を公開する前に週刊文春に言わんとする内容で先を越されるわ、果てにはFBIとCIAという名前を出してくるなど、朝日側も言っているようにこの事件で死亡した記者を冒涜するようなひどい内容です。
 特に私が一番疑問に感じたのは、二月十九日号の末尾にて件の犯行指示犯と新潮側が主張する元アメリカ大使館員の佐山(仮名)が新潮の電話取材に答えるシーンにて、「自分の存在が表に出ないのであれば自分が知っていることも話さないわけでもない」と、取引を持ちかける場面があるのですが、この佐山の言葉を真に受けるのであれば、新潮側はその取引に乗らずに指示犯は元アメリカ大使館員という事実を公開したために犯行動機を得られなかったということになるのですが、そう考えるには不自然なものが連載記事中に二回も出ています。それは何かというと、犯行実行犯と自称する島村氏と佐山が公園のベンチで並んで座る2ショット写真、ご丁寧に「佐山(左)と島村(撮影・今年1月19日)」とまで書いてくれちゃっています。

 まさか実行犯の島村氏がわざわざ佐山を呼んでプライベートにて男二人で写真を撮ったなんて考えられず、普通に考えるのならこの写真は新潮側が今回の取材過程で撮影したものと思っていいでしょう。つまりは新潮側はこの連載記事の取材過程で、この二人が直接会った現場にもいたということです。確かに二月十九日号で一月十九日に島村氏と佐山が直接会って会話した内容が掲載されていますが、なぜかその会話には新潮側の質問や取材した形跡はなく、わざわざ数日後に佐山に対して電話取材をして先ほどの佐山の回答を受けているのですが、何故島村氏と佐山が直接会っている現場にてこんな2ショット写真を取っているのに、必要な質問がなされなかったのか明らかに不自然です。

 そして連載終了記事に至ると、前号で取材した佐山は島村氏の告白の中でしか登場せず、新潮側が佐山に対して追加取材した形跡は一切ないままでした。多少言いがかり的なものを自分でも感じますが、この尻切れトンボみたいな妙な終わり方に私は違和感を覚えました。新潮側は今回の取材が真実であるという証拠として佐山と島村氏の会話などをすべて録音していてすぐにでも出せると言っていますが、そんなの本人が表に出てこなければその音声が誰のものか確認できるわけないので証拠になりうるわけありません、こんなことくらい中学生でもわかるだろ。

 こんなくだらない記事に約一ヶ月も付き合わされた怒りもあるので、腹いせに今年に入って新潮が負けた裁判ニュースと、松本サリン事件の河野義行氏の件のウィキペディアのリンクを貼っておきます。もう二度と新潮なんて買わないぞ( ゚д゚)、ペッ

名誉棄損:野中氏が勝訴 新潮社に賠償命令 東京地裁
報道訴訟:楽天・三木谷氏の捜査報道で新潮社に賠償命令
貴乃花親方・名誉棄損訴訟:新潮社社長にも責任 「対策講じてない」--東京地裁判決(以上、毎日jpより)
松本サリン事件(ウィキペディア)