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2008年11月4日火曜日

史実としての三国志

 なんか今日のこの「ブロガー」は妙です。通常、記事を書く際の画面ではリンクボタンとか文字を太字にさせるボタンがあるのに今日は表示されません。まぁ使う予定がないからいいけど、何してんだグーグルは。

 それでは本題ですが、昨日の史記の話を書いたところ三国志にはフィクションが多いと聞いたがという質問をコメントで受けましたが、これは実際かなり多いです。
 まず基本知識として一般に三国志と呼ばれる書物には二種類あり、三国時代が終結した直後に陳寿によって書かれた歴史書の「三国志」がすべての原典で、これはもう一つの三国志と分けるために一般には「正史三国志」と呼ばれています。これに対して十四世紀に羅慣中によって脚色をふんだんに入れて書かれたのが「三国志演義」といって、通常三国志という場合はこっちの方を指します。フィクションが多いと言われるのもちろんこっちの方です。

 それでは演義にどれくらいフィクションがあるかなのですが、現地中国においても清代の歴史学者の章学誠が、「七分が真実で三分が虚構」と評しており、書かれている内容の大半は確かに真実なのですがその中にちょびっとずつフィクションが入っているために非常に読者は混乱するとも先ほどの章学誠は述べています。実際に私から見ても大体この割合で演義は書かれており、そのためよく三国志を知っている方でもフィクションと知らずに実際の歴史だと思い込んでいるということが多々あります。

 では具体的にどの辺がフィクションかですが、やっぱり代表的なのは今映画が公開されている「レッドクリフ」の題材となっている赤壁の戦いの辺りでしょう。演義の中では諸葛亮が風を呼んだり周喩を馬鹿にしたりなど鬼人の如き活躍を見せ、戦いも派手な火計で一挙に総崩れともなるほど大掛かりな戦闘となっていますが、現在の研究によるとこの赤壁の戦いで曹操軍が負けた最大の原因は疫病にあるとされ、また実際の戦闘でも諸葛亮はほとんど何もせず、実質周喩一人で曹操軍を蹴散らした戦いのようです。これは周喩に限るわけじゃありませんが、やっぱり諸葛亮が人気なために彼と相対する人間は相対的に実際の歴史より低く見積もられて書かれてしまいます。曹操軍についても同じように、特に夏候淳や夏候淵らは短慮な武将としてかかれ、実際は優秀な武将であったにもかかわらず引き立て役にされてしまっています。さすがに、張遼は悪く書かれていないけど。

 この張遼ですが、私の中学時代の後輩なんかはこいつが一番好きでゲームでも贔屓して使っていました。この張遼は魏軍の中で呉との最前線に立って守り続けた武将で活躍のシーンも有り余るほどなのですが、彼の場合は非常に珍しく、演義でも活躍しているのに実際の歴史ではもっとすごい活躍をしています。
 何でも呉軍が十万の軍勢を引き連れてきた際には自ら奇襲をかけ、なんと七百人の兵隊で追い返したらしいです。しかもその際に逃げ遅れた部下を見つけるや再び敵軍に突撃し、部下を拾ってから帰還したというのですから化け物です。

 しかしそれにしても、一番演義で悪く書かれてしまって損を食ったのはまず間違いなく魏延でしょう。演義では劉備の元に初めてやってくるなり諸葛亮に、こいつは反骨の相があるからいつかきっと裏切るから殺してしまえとまで言われてしまいます。ちなみにこのシーンでは「ジョジョの奇妙な冒険」の名セリフがパロディされて、
「くせぇー、こいつは反骨の臭いがプンプンするぜっ! 早いとここいつの首を切っちまいな、劉備さん!」
 というネタがあり、一人で大爆笑してしまいました。

 実際にはこの魏延は劉備に深く信頼された知友兼備の武将で、劉備の絶頂期に魏から要衝の漢中を奪った際には皆劉備の義弟の張飛が太守となるだろうと思っていたところ、なんと劉備はこの魏延を大抜擢してその地を守らせています。しかし実際の歴史でも諸葛亮が死んだ際に魏に裏切ろうとして処刑されたため、演義では徹底的に腕力はあるが短慮な武将、たとえるならミニ張飛とも言うべき役柄に不当にもされてしまっています。

 そして極めつけというべきか、私が現代日本三国志の一つのスタンダードとなっている横山光輝氏による漫画版三国志を友人に貸したところ最も多かった感想が、
「魏延、普通じゃんっ!」
 っていうものでした。
 というのも、近年一挙に三国志が広まるきっかけとなったゲームの「三国無双」シリーズで魏延は変な仮面を被って片言の言葉しかしゃべれない世にも奇妙なキャラクターにされてしまい、これから入った友人らはてっきり魏延は異民族などの出身者かと思っていたそうです。まぁ実際、初めて見た時に私もこれはひどいと思いました。「戦国無双」の上杉謙信は石原良純の顔にしか見えないし……。

2008年11月3日月曜日

孟嘗君と馮驩

 大分以前に友人に中国の歴史書の史記の話をしたところ、黙々と非常に面白がって聞いてくれたのでこのブログでもちょっと紹介してみようと思います。今回紹介するのは私が史記の中でも特に好きな話の一つである、孟嘗君(もうしょうくん)についてのエピソードです。
 この孟嘗君というのは中国の戦国時代(紀元前5~3世紀)における有名な四公子(公子というのは王の一族という意味)の一人で、食客と呼ばれる流浪の学者や武術家を3000人も養っていたといわれる人物です。

「夜を込めて 鳥のそら音をはかるとも 夜に逢坂の 関は許さじ」

 この和歌は枕草子で有名な清少納言が作った和歌で、百人一首にも列せられている歌です。清少納言自体は随筆はうまくとも和歌は非常に下手で、何でも歌集の選者に自分の歌をねじこむのを頼みに行ったというエピソードがあるほどですが、この和歌はなかなかリズム感も良い出来のいい和歌だと思えます。
 さてこの和歌の意味は置いとくとして、和歌の中の「夜を込めて鳥のそら音をはかるとも」という言葉ですが、これがまさに孟嘗君のエピソードに題を取った内容です。

 孟嘗君は当時から非常に優秀な人物と名高い人物であったことから、すでに強国となり後に中国を初めて統一する秦国に出身地の斉国の使者として出向きました。そこで当時の秦王(始皇帝ではない)は孟嘗君の才を認めるのですが、かえって危機感を抱いてこの際殺してしまおうと考えました。その秦王の意を途中で察した孟嘗君でしたが、逃げようにも屋敷は既に兵隊に取り囲まれてどうすることも出来ませんでした。

 そこで、秦王のお気に入りの妃に口添えしてもらおうと使者を出したところ、その妃は秦王に孟嘗君が謙譲した毛皮のコートをくれるならと条件を出します。しかしそのコートはすでに秦の国庫の中、さてどうしたものかと思っていたところに一緒に連れてきた食客たちのなかから一人が出てきて、
「なんなら、自分が盗んできましょう」
 と言い出してきたそうです。

 孟嘗君は先ほども言ったとおりに3000人もの食客を雇っており、それこそ一芸に秀でるなら誰でも片っ端から養ったので、中には「盗みなら任せろ」とか、「私は物まね名人です」という怪しい人間もいました。するとこの時に先ほどの盗みの達人が自ら声をあげ、その食客は見事に国庫からコートを盗み出してきて妃に献上し、その妃の口添えで孟嘗君たちは屋敷の包囲を解いてもらって秦を脱出することに成功しました。

 しかし国境に着いた所、間を管理する関所が夜中のために閉じられており思わぬ足止めに遭いました。当時は朝にならないと関所は開かないことになっており、このままでは追っ手に追いつかれるとやきもきしていると、先ほどの今度は物まね名人が出てきて、鶏のまねをしてみようと孟嘗君に献策しました。早速やらせてみたところ、その食客の鳴き声に他の鶏も次々と呼応して鳴き声を出し、時計のない当時はその鶏の声を一日の始まりとしていたことから関所の役人たちもやけに早いと思いながらも関所を開け、こっちでも無事に孟嘗君は脱出に成功しました。

 このエピソードは鶏鳴狗盗といって、これを題材を取ったのが先ほどの清少納言の和歌で割りとこの話は日本でも知られていますが、孟嘗君には実はもう一つあまり知られていない面白いエピソードがあります。

 秦から無事に孟嘗君らが斉に帰国してしばらくすると、ある日馮驩(ふうかん)という男が現れて食客にしてほしいと訴えてきました。何か特技はと聞いたところ、「何もありません」と答え、さすがの孟嘗君も奇妙には思いましたが結局彼を雇い入れました。

 その後孟嘗君は食客を養う経費を得るために自分の領地で農民にお金を貸して利息を取っていたのですが、今のアメリカのサブプライムローン問題のように貸した資金が焦げ付き、なかなか返済を受けないという事態になってしまいました。そこで孟嘗君は一つここはあの変な食客に取り立てをやらせて見ようと思って、馮驩もそれを承諾して早速領地へと派遣されました。

 領地に着くや馮驩は債務者を一度に一箇所に集め、一人一人と面談して貸付額と返済状況を仔細に尋ねました。そして返済能力ありと見た者には返済期限を延ばし、逆にないと見た者にはその借金の証文を次々と預かっていきました。そして全員の面談を終えると、なんとみんなの見ている前で預かった証文を一気に火にくべて燃やしてしまいました。そして唖然とする債務者たちを前にして、
「今回預かった証文の借金はお前たちの生業資金として主人が与えてやったのだ。感謝しろよ」
 とだけ言って、とっとと馮驩は孟嘗君の元へと帰っていきました。しかし貸した金の返済を取り立てるどころか勝手に帳消しさせたことを知った孟嘗君は激怒して、一体どういうつもりだと馮驩に強く問い詰めたのですがそれに対して馮驩は、

「私はまず債務者を一同に集めました。これは見知ったもの同士を集めてその場で嘘をつけないようにさせるためです。そして私は返済できると見た者には返済期限を伸ばして、できない者の借金はご存知の通りに帳消しさせました。
 もし孟嘗君様が返済能力のない者に対して無理やり借金を取り立てたところで、追い詰められた農民は返済をせずに夜逃げを図って逃げていくだけです。そうなった場合、貸した金は返ってこず他の住民もなんとひどい殿様だと思い、孟嘗君様に対する汚名だけ残ります。私は何の役にも立たない借金の証文を燃やすことによって孟嘗君様が如何に領民を愛しているのかということを示し、彼らに恩義を売りつけてやったのです」

 このように馮驩に言われた孟嘗君もはっとして思い直し、改めて馮驩を重く取り立てたそうです。

 ホリエモンと佐藤優氏という、獄中に繋がれた人間二人が獄中で読んで非常に史記にハマったということを聞きます。別に獄中に繋がれなくともこのように非常に面白いエピソード満載で十分に楽しめる歴史書なので、私としても一読をお勧めする本です。

在外投票について

 先ほど夕方のニュースにて何故国政選挙にてネット投票が行われないのかと是非を問う報道がありましたが、このネット投票はもとより以前から私が疑問に感じていたのは在外投票です。
 在外投票というのは呼んで字の如く、長期間海外に滞在している日本人が選挙の際に海外から自分の一票を投じる(大抵は外国内の公館に出す)ことを指しています。グローバル化が進んだ現在に至りほとんどの国ではこの在外投票が一般化しており、特に今日明日に行われるアメリカ大統領選挙ではこの在外投票による票数が勝敗を分ける一つの要素となるまで大きな数となっております。

 それが日本ではどうかというと、一応やろうと思えば出来ます。しかし日本人が在外投票をやる場合は選挙前に現地の公館にてあらかじめ手続きを取っておかねばならず、まぁ言っちゃ何ですがひじょうに面倒くさい手続きです。他国では別にそういった手続きを経なくとも、大使館に自分のパスポートを持っていけばすぐに問題なく投票できるのと比べ、日本の制度は遅れているとしか言いようがありません。
 更に呆れることに日本政府がこの在外投票をする上でこんな手続きを取っている言い訳というのが、
「海外にいる人間は日本国内の選挙戦の情報に不足し、間違った投票をする可能性があるから」
 というものです。

 これだけインターネットが発達した世の中で、こんな言い訳を行うこと自体異常です。さらに以前に私が読んだこの在外投票のコラムでも、
「選挙権は国民の権利であるはずで本来政府にそれを制限する権利はない。また政府はこの国民の権利を守るために最大限の努力を払うべきである」
 と書かれており、私もこの意見に同意しています。

 別にそんなややこしい手続きを取らなくとも、日本人の誰がどこの国にいるのかなんてパスポートによって管理されているので簡単に把握でき、個人の識別でもパスポートがあれば簡単に証明できます。なので単純明快に結論を言うと、もっと日本は投票率を向上させるために努力を払うべきでしょう。

2008年11月2日日曜日

失われた十年とは~その六、ポストモダンとデフレ~

 前回では長引く不況に対して日本政府が景気刺激策の名の元に公共事業を延々とやり続けたが、政策としてはほとんど効果が起こらなかったということを解説しました。今回では何故公共事業が効果を出さなかったのと、それと平行して失われた十年の後半に起きたデフレ現象について解説します。

 まずポストモダンという言葉についてですが、本来この言葉は思想学上で用いる言葉で今回私が使用しようとする意味は全く持っておらず、便宜的に私が別の意味を持たせて造語のように使っている言葉です。この言葉の直訳は文字通りに「近代の次」という意味で、私はこれを経済学の意味合いをもたせて「生活が現代化(欧米化)を完了した次の時代」という意味合いでよく使っています。

 現代化の次、と言っても恐らくピンと来ないでしょうから結論から言うと、ほとんどの世帯に生活必需品と呼ばれるものが完備された後、という意味で私はこの言葉を使っています。
 高校などの歴史の時間に学んだでしょうが、かつての50、60年代には「三種の神器」といって冷蔵庫、洗濯機、テレビの三つの家電を揃えることが一種の生活上のステイタスとなり、国民の消費もこれらの生活家電へと注がれていきました。またこれらがある程度どの世帯にも普及した後には今度は「3C」といって、カラーテレビ、クーラー、自動車が先の三種の神器に代わるステイタスの証として持て囃され、これらの製品も当時の国民はこぞって購入、消費していきました。

 何もこの現象は日本だけでなく、現在発展途上の東南アジア諸国やベルリンの壁崩壊後の東欧などでも歴史的にこういった生活家電や製品に集中的な消費が行われてきており、それこそ日本も当時はお金さえあればすぐにでもほしいといわんばかりにこれらの製品への需要が高かったと言われています。しかし戦後の混乱期をまだ完全に脱出していなかった50年代では三種の神器を揃えるのは至難の業だったようで、うちのお袋の家は早くにこれらを揃えていたことから、夕方になると近所の人が家にやってきてテレビの力道三の試合を皆で見ていたと言っています。

 しかしこれが80年代になるとどうでしょう。言うまでもなく、この頃になると日本もすっかり金持ちになってほとんどの世帯には先ほどの家電がほぼ揃えられていました。しかしこの頃は当時に出たばかりのVHSビデオデッキなどがあり、またテレビの性能もまだまだ発展途上だったので日本人の消費意欲はまだ衰えがありませんでした。しかし90年代に至ると、それこそ生活していく上で「どうしてもあれだけは欲しい」と言われるような明確な製品や商品が完全になくなってしまいます。しいてあげるとしたらWindous95の日本語版発売とともに一気に生活家電入りしたパソコンくらいです。事実パソコンは3、4年くらい前までは売り上げ台数は年々増加していましたが、とうとうピークを割って現在は下降状態です。

 これは私が確か小学六年生くらいの頃だったと思いますが、何で今は不況なのかと親父に聞いたら、皆が欲しいと思って買うような商品がないからだと私に説明しましたが、まさにこの言葉で失われた十年における消費不良を言いまとめることが出来ます。
 私自身も留学時代は毎日自分で手洗いで洗濯をしていましたが、これはやはり結構労力のいる作業でした。洗濯機のない頃の主婦はこれを家族全員の分までやっていたというのですから、その苦労は相当のものでしょう。そんな人間からすれば洗濯機がなんとしても欲しいと思うというのも私は強く理解できます。しかし現代において、それほどまでどうしても手に入れたいと消費者に思わせるような製品というのは私が見回す限りありませんし、90年代はもっとありませんでした。

 その結果日本の国民に起きたのが、お金はあるけど特に使うあてがない、という状態です。そのためいくら政府が公共事業で国民にお金をばら撒いたところで、90年代の後半に至っては一切それが使われずに貯蓄に回ってしまい、個人消費が一切伸びなくなりました。私はこの現象のことを経済のポストモダンと言い、生活水準が先進国に追いつくことで急激に消費が冷え込み、それまでの政策、逆を言えばまだ生活水準が追いついていなかった高度経済成長期には非常に有効であったバラ撒き政策が途端に効果をなくしてしまう現象のこととしています。
 この現象は日本だけでなくそれこそアメリカやイギリスにおいても同じような現象が起きており、こうした状況から有効需要を増やす公共事業の必要性を説いたケインズ政策は過去のものだ、これからは別のスタンダードこと「第三の道」が必要なのだとして、フリードマンの新自由主義政策が生まれていくことになっていきます。

 このように、お金がばら撒かれても個人消費が伸びないものだから企業も製品を安くせざるを得なくなり、このような連鎖が積もり積もって起こったのが平成デフレでした。このデフレは言葉がよく先行していますが内容をよく知らない人が多いのでちょっと説明すると、

1、物が売れない→2、値段を安くする→3、儲けが少なくなる→4、会社が従業員へ払う給料も減る→5、個人がお金がなくて物が買えなくなる→6、もっと物が売れなくなる→7、もっと値段を安くせざるを得なくなる→3に戻る

 といったのが大雑把な過程です。デフレスパイラルとはよく言ったもので、悪循環がこう延々と続いていってしまう現象です。日本の場合はポストモダンに突入していた上に消費税率増加が引き金となって最初の1が起こり、そこからデフレへと突入していきました。

 ちなみに、日本政府が公式にこのデフレが現象として日本に起こっていると発表したのは小泉政権が発足した後の確か2001年になってからで、私はこのデフレを恐らくわかっている人はわかっていたでしょうが政府として早くに認識して対策をしなかったというのが、非常に致命的な政策ミスだったと思っています。
 結果論ですがこのデフレ現象は90年代末期にははっきりと目に見える形で起きていました。96年くらいからは今も全国展開しているダイソーが100円ショップとして生活雑貨を100円で売るようになり、99年にはマクドナルドがハンバーガー一個を従来の半分の価格の60円で売り出し、これを受けて吉野家などの外食チェーンでも猛烈なランチ価格値下げ競争が行われていました。
 普通、こんだけ目の前で起こっていればデフレ懸念が出来たはずだと思うのですが、まぁ私も小さかったので細かくチェックしていませんでしたけど、あまりそういう声は当時はなかった気がします。

 それでも90年代前半は以前の個人消費についての記事で説明したように、急激な個人消費の低下は起こりませんでした。これが本格的に落ち始めるのはその際に書いたように97年の消費税率増加と、バラ撒き策による誤魔化しが通用しなくなったということが原因として挙げられ、個人消費がとうとう低下を始めたことによってようやく日本は不況を実感することになります。
 そういった意味で、個人消費が目に見えて低下し始めたこの97年というのは失われた十年における最も重要な年に当たり、たくさんの意味で大きな転換点となった年でした。次回ではこの97年に何が起きたのか、そしてそれ以前とそれ以後でどのように変化したのかについて解説します。

2008年11月1日土曜日

意識に対するアイデンティティ

 前回の記事で私は身体に対するアイデンティティの比重が下がって逆に意識への比重が上がり、今後身体の半機械化などが進む場合はこの潮流を守るべき……なんだけど、ってところで話をやめました。何故私がこの潮流にちょっと待ったというのかというと、身体に変わるその人物を特定する要因候補の意識に対し、私は本当にアイデンティティを証明する要素となりうるかと疑問だからです。

 これは何も私だけが問題提起をしているのではなく、数多くの作品で展開されている話です。一番複雑かつ丁寧に提起しているのはまたも「攻殻機動隊」で、その中のテレビアニメ第一作目の「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」です。このシリーズの話の中で主人公の草薙素子は、ある人物からその人物が持つ記憶をほぼすべて電気信号にて受け取り、その記憶を元にその人物に成りすまして行動するシーンがあります。そして最終話にてその時の行動を振り返り、「あの時に自分は、自分が草薙素子なのかあなたなのかがわからなくなった」と述べています。

 これなんか私が独自に提唱している絶対感覚の世界で非常に重要なテーマになるのですが、もし同じ記憶を持ちえた場合に、物の考え方や意識というのは共通されるのか、つまり同じような思考の人間になるのかということです。また思考だけといわずに同じ記憶を共通する人間が二人いた場合、果たして記憶を共通するその二人を他の人は区別することができるのかということです。

 こういう風に考えてくると、意識というのは他人と区別する上で非常にあいまいなもののように思えてきます。それこそ攻殻機動隊の世界のように記憶をデータ化してコピー、伝心することが可能になった場合、こういったことは簡単に起こり得るでしょうし、まず第一に意識意識とは言いますが、意識とは一体なんなのか、記憶なのか物の考え方の基礎となる思考なのか、こういったメタ理論的な話へも発展していきます。

 ちょっとさっきからわけのわからない話を自分でもしていると思うので、もうちょっとわかりやすい例を出します。これまた漫画でそれも絶賛連載中の「鋼の錬金術師」の話ですが、この作品で主人公の弟のアルは身体が異世界に飛ばされて現世界では鎧に魂だけを封じ込むことでとどまっており、そのため中身のない鎧の姿で行動しています。そのアルが作中にて対峙している相手から、
「お前は身体がないだけで自分自身をお前をその鎧に入れた兄の弟だと思っているが、実際にはお前をいなくなった弟と信じ込ませるような魂をお前の兄が作ったと疑わないのか」
 と言われ、自分が主人公である兄のエドの弟と思い込んでいるだけなのではないかと思い、非常にうろたえるシーンがあります。ちょっと我ながら言葉にし辛いので敢えて無理やり言葉にしませんが、このように記憶や思考だけで人物を特定する、又は自分で自分を区別するというのはとても難しいものだと私は考えています。

 ちなみにちょっと話は外れますが、この鋼の錬金術師は何気に人体損傷の描写が現代の漫画で最も激しい漫画で、身体丸ごと無しで魂だけの存在の上記のアルを筆頭に、主人公のエドは右手と左足を義手義足にしており、また作中である女性キャラは追っ手から逃れるために自らの腕を切り落としています。恐らくこの漫画の作者は確信的に私が今ここで書いている、身体なしでアイデンティティを保てるのかということを作品の中で問いているのだと思います。

 ここに至ってアイデンティティの意義について書き忘れていたことに気が付いたのですが、人間というのは本質的に、自分が他の何かと区別できないととても不安を感じる生物で、その区別された自分(人間)のモデルというのがアイデンティティという言葉の意味です。しかしその一方、逆に他人と大きく区別されすぎる特徴があると、周囲からの目線もあるでしょうがこっちでも不安を感じるようになってます。この辺を社会学ではデュルケイムが「自殺論」という話で、個人意識が強くとも集団意識が強くとも、極端に至れば自殺という行動を取りやすくなると分析しています。なお前者の自殺はアノミー的自殺と言い生活苦などの一般的な自殺を指し、後者は特攻や自爆テロなどの自殺を指します。

 ここまでわけわかんないことをいい続けて最後に何が言いたいのかというと、私は意識だけで今の人間はアイデンティティを保つことが出来ない、やはり身体による区別が絶対的に必要だと言いたいのです。だからといって男女の区別とかをもっとしっかりやるべきだとは言うつもりはなく、たとえ人体のサイボーグ化が進んだとしても、今の状態ではとてもじゃないがそのような時代に対応できないと思うのです。しかし技術的にはそのような世界が近づいてきているため、何を持ってその人物を特定するのか、記憶なのか意識なのか身体なのかはたまたそれ以外の何かなのか、本当に魂というのはあるのかというように、何が一体人間という存在を構成しているのかということを広く検討するべき段階に来ているのではないかということが言いたくて、こんだけ長々書いてみました。あしがらず。

身体に対するアイデンティティ

 ちょっとここで書く内容は我ながら過激だと思える部分もあるので、その点を考慮してお読みください。

 まず最近私が感じている話ですが、どうも十数年前と比べると最近の日本の漫画で、「女性が髪を切られてショックを受ける」という話を見なくなった気がします。
 私自身がはっきりと覚えているのは「らんま1/2」にてヒロインの天道あかねが乱馬と良牙のケンカのとばっちりを食って長い髪が切れてしまい、当事者の二人を思う存分に殴り倒した後ショックを受けて家に逃げ帰るシーン(我ながら、よく憶えているもんだ)ですが、なにもこの話に限らず「髪は女の命」とばかりに長い髪の女性がその髪を切るということに、深い意味が当時は付与されていたように思えます。
 他に憶えている内容だと、よく失恋した後に思いを吹っ切るために女性が長い髪を切るとかいうのも結構ありましたね。

 しかし残念というかなんというか、最近ではこういった描写はほぼ皆無といっていいくらい見なくなり、女性が髪をばっさり切る場合でも特に理由付けなどは行われずに普通に「イメチェン」とかで片付けられてしまいます。またその一方で、男性の方ではこの十数年で逆に長髪が大分普及してきました。きっかけは間違いなくSMAPのキムタクによってロンゲがファッションとして流行ったことでしょうが、改めて考えてみるとこれ以前は長い髪の男性というと左翼かヒッピーくらいしかおらず、半ば女性の専売特許だったような気がします。

 私が何を言いたいのかというと、長い髪=女性という構図が成り立ちづらくなるなど、近年にこういった例がどんどんと増えて身体に対するアイデンティティが随分と薄まったのではないかということです。
 以前に私は「90年代におけるネットをテーマにした作品」の中で、「肉体と意識」をテーマにした作品をいくつか紹介しましたが、私はそろそろ本格的に「何がその人物を特定するのか」ということを真剣に議論する時期に来ていると思います。

 まずこれまでは至って単純に肉体と意識はその当事者に共通していました。しかし前回の記事でも紹介したように、「攻殻機動隊」の中では脳だけ取り出して身体は義体と呼ばれるサイボーグの身体に移すのが一般的になっている世界が広がっています。
 たとえばの話、もし自分の近い人物がこのように身体を義体に移した場合、あなたはその人物に対して同じ感情を抱くことが出来るでしょうか。口で言うのは簡単ですがよくニューハーフの方が親にカミングアウトをするのをためらうと聞きますし、実際に自分の親とか子供がある日突然性転換手術を行ったと聞いたら、多分私は大いにうろたえると思います。こういう風に思うのも、先ほど言ったように肉体と意識が人物を特定する上でセットになっているという前提があるからです。

 このように、その人物の意識や脳だけが別の身体、それこそ攻殻機動隊の義体のように移り変わってしまった場合、その新たな身体となったその人へそれまでと同じ感情を抱けるかは非常に疑問です。ですが世の中の潮流としては、なんとはなくですがそれを許容する方向へ移ってきてはいるのではないかと思います。そう思うのも、前回にも書いたように、近年はネットなどの発達によって肉体の世界に対して意識の世界がどんどんと幅を利かせるようになっており、それとなく意識や記憶がその人物を特定するのだという方へと価値観が変わってきている気がします。

 私自身ネット上で連絡を取り合うようになった人物の中には顔を見たこともない人もいますが、データ(意思)のやり取り、具体的に言うとお互いに名乗っているネット上のハンドルネームだけで相手を識別しており、これこそまさに身体を返さないコミュニケーションをしていると言えます。よくこういう顔の知らない人間同士のコミュニケーションが気味が悪いという人もインターネット黎明期にはいましたが、私自身でもやはり顔の知った人間との方がネット上でコミュニケーションをとる量が絶対的に多いという事実を否むことが出来ません。ですが潮流としては、そのような顔の知らない人とのコミュニケーションに対する抵抗感は絶対的に低くなっていると思います。

 その一方で起こっているのが最初にあげた、身体へのアイデンティティの低下です。多少国ごとに違いますが日本においてはニューハーフは以前に比べて大分許容されるようになり、また「男は短髪、女性は長髪」といった役割アイデンティティとも言うようなパターンも徐々に崩されてきている気がします。
 折も折で、そろそろ真面目に身体の機能喪失者に対して医療的に半機械化が行えるほどに技術が向上してきました。私が以前にテレビで見た番組では、視力能力の喪失者に対しその人の脳に直接カメラ機械と接続して、カメラを通して映像情報をを神経に送ることで視力能力を、あくまでほんの少し見える程度ですが見事復活させた例がありました。またこれに限らず、以前のコメントで義足の選手がトラック競走でのタイムで健常者を上回ったという事例を教えてもらい、今後は身体能力強化という目的で人間の半機械化が行われる可能性も大です。

 こういった時代を迎える上で、今後人間のアイデンティティを身体ではなく意識へと求めていこう……と言えたらどんだけ楽か。いや実際にこういうことだけを言うだけならこのままの潮流を守るだけで結構です。しかし私が問題にしているのは、その意識って一体なんなのか、っていうことです。長くなったので、続きはまた次回……というよりこのまま書きますけど。

失われた十年とは~その五、公共事業失政~

 前回ではバブル崩壊後に日本全体で景気は落ち込んでいながらも、世界的にも現象としては珍しく当時の日本は個人消費がほとんど落ちなかったということを説明しましたが、何故個人消費が落ちなかったのかという原因の一つが、今日解説する公共事業です。

 多分今でも中学や高校の政経の時間ではニューディール政策の中の財政出動、いわば今の麻生政権もやろうとしている公共事業の必要性を説いていると思いますが、これは一種のカンフル剤的な効果しか全体の景気には及ぼさず、一時的な個人消費の増加が起こった後は元通りになり長期的に見るならほとんど景気に影響を与えないということがほぼ証明されています。
 詳しく言えばこのニューディール政策はよくTGVというダムの公共事業ばかり取り上げられていますが、真に優れていたと思われる点は私はやっぱり金融対策だったと思います。銀行などに貸し出し猶予を与えるなどして体力をつけさせ、ひとり立ちできるまでのつなぎとして公共事業を行ったというのが政策の肝なのですが、どうも後ろのつなぎの政策にしかならない公共事業ばかりに注目が行ってしまい、日本は馬鹿をやったのではないかと考えています。

 以上のように日本の政策決定者もただ財政出動をして国民にお金をばら撒けば、自然と景気はまたよくなっていくだろうと考えていたのでしょう。それこどこにどのように配るかすらもきちんと考えずに、自分たちの票田となるかといって政治家も土建屋や不動産業界へひたすらお金を回し続け、いざそれが立ち行かなくなると必要以上に膨れ上がっている業界なため、倒産が相次ぐようになったというのが現在の状況です。

 ちなみにこのような土建屋へお金をばら撒くために政府が考えた手段は、いわゆる観光事業の促進、つまり夕張市が破綻する原因にもなった巨大なテーマパークや観光施設などの建築です。90年代はこのように中央の政府から地方の政府へ箱物を建てろと強く命じ、夕張市などはこの中央の指示を真に受けどんどんと国から借金をして愚にも付かないものばかり作っていって破綻しました。そのためこの頃は中央政府から夕張市は逆に政策優等生だと誉めそやされていたと言われ、なにも夕張市にも限らずに他の各地方自治体もこのようにして今の財政難の原因とも言える借金を作っていきました。
 こうした中央と地方揃っての激しい財政出動は結果的に、客もなにも来ない無駄な施設と建物、90年代の大衆文化、積もり積もった借金だけを残しただけでした。まぁこの時期に青春時代を過ごしたというのもあると思いますが、私はこの頃の音楽とか漫画、小説といったものが非常に好きです。江戸時代も元禄時代の文化が一番評価が高いのですから、やっぱり文化というのは無駄遣いをした分だけ発展するものなのかもしれません。

 しかしこういったバラ撒き政策をしていても、不景気の根本的原因であった金融問題をずっとほったらかしにしていたために景気対策においては何の効果も挙げませんでした。
 そうこうしている内にとうとう頼みの綱であった個人消費にも陰りが出てきました。その時期というのも97年、橋本内閣で消費税の3%から5%への引き上げた行われた頃です。この引き上げの結果物価が上昇し、個人消費が急激に減少してその後のデフレ現象へとつながっていきます。

 この時期については後でまた詳しく解説しますが、これに焦った政府は政策の反省を全く行わず、もっとお金を配るしかないとばかりに小渕内閣では現在に至るまで過去最高額の公共事業へ予算が割かれ、さらにはちょうどタイムリーなネタになりますが、連立政権に公明党を引き入れる代わりに公明党が要求する政策を飲んだ結果、あの地域振興券の配布が行われることになりました。
 この地域振興券自体については詳しく解説しませんが、世界的にもこの政策に意味があるのかと疑問視する声は当時からあり、フィナンシャルタイムスに至っては「ミルトン・フリードマンが喜ぶであろう」という皮肉までしています。結論から言うと、本当に何にもなりませんでした。

 これは結果論、といってもちょっと考えれば誰でも行き着くことが出来たくらい簡単な話なのですが、同じバラ撒きをやるにしてももっと未来のある産業へ行っておけば現在の状況は全然違いました。それこそ必要以上とも言えるくらい過剰に土建や不動産業界に金をバラ撒いて姉歯事件でのどうにもならない欠陥建築物を作るより、今問題となっている介護や農業といった業界へバラ撒きが行われていれば雇用問題から食糧問題の規模も現在より全然小さくなっていたはずです。また途中で全然効果が上がらないのだからとっとと政策転換を行っていれば、今ほど国の借金も膨れ上がらなかったのに。
 最終的にはかねてより公共事業に異を唱えてきた小泉元首相の登板によりこれらの一連の政策は改められましたが、それまでに払ってきた代償は決して小さくなく、恐らく私と同じ世代の日本人は死ぬまでこの代償に追い立てられることになるでしょう。まぁもしかしたら、これからまた別の負担を背負うことになるかもしれないけど。

 次回ではちょっと手のかかる内容ですが、デフレについて解説しようと思います。ちょうどいい機会なのでポストモダンの経済政策についてもどんどん書いて行きますが、書く前からしんどい内容になるだろうなぁというのが目に見えています。
(;´Д`)ハァ