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2008年8月31日日曜日

書評「人間回復の経済学」

 未だ小説がアップできないショックを引きずっていますが、ひとまず一本記事を上げます。

 コメント欄では少し言及しましたが、私が一番基礎においている経済学の流派は現東京大学名誉教授の宇沢弘文氏の経済学で、今回紹介する「人間回復の経済学」の作者である神野直彦氏はこの宇沢氏の弟子です。
 この本の内容を私なりに大まかに説明すると以下の通りです。

「本来経済というのは人間の生活を便利にするために作られたもののはずが、いつの間にか人間の方がこの経済の動向に一喜一憂し、立て直すためなどに犠牲にさらされている。こうした現状を打破し、真に人間の側に立つ経済に作り直さねばならない」

 というような内容が書かれております。具体的に神野氏がモデルとしている社会はスウェーデンなどの、北欧諸国のような高福祉社会です。これらの国は税金が高いかわりに国からの教育費や医療費は非常に充実しており、実質これらの部門の国民の負担はほとんどありません。こういった社会モデルは今風に言うと、「大きな政府」で、現在日本が目指している「小さな政府」とは対極をなしております。

 私は当初、確かにこのような高福祉社会は理想ではあるが、人口規模が一千万人台のスウェーデンと日本では、同じく教育費を無料にするにも大きな費用負担が必要になり、土台的には無理なのではないかと考えていました。しかしよくよく考えてみると、国家規模が日本に近いドイツでも教育費は基本的に無料(大学を含む)で、ドイツの税負担率もスウェーデンほど高くないのでこれは間違いだと気がつきました。

 このところよく思うのですが、現在日本政府は景気回復のために大幅な資金投入、まぁ言ってしまえば公共投資をやろうと検討していますが、真に景気拡充につながる投資と言うのは、教育以外にはないような気がします。たとえば工事や建設といった土建業は明らかに一過性だし、まだ企業の研究開発を後押しするならともかく、何か産業を資金的に後押しするとしても、金融の安定化を除いて旬が過ぎれば長期的に見てどの産業も景気に対して何の貢献もないのではないかと思います。

 神野氏は教育環境が充実していれば、たとえば今みたいに土建業が潰れまくって失業者にあふれたとしても、再教育して今だったらIT系の技術や知識をつけさせることにより、失業者を減らすと共に必要な労働者を再生産できると主張しています。私も、今なんかだったら刑務所の受刑者に家具などの技術教育を行うより、こうした難しくとも最先端の技術を授けるほうが効果ある気がします。

 そのように、再教育を行ううえで最大の障害となるのが、やはり学費です。だからそれこそドイツのように教育費が無料であれば、生活さえ保障できる貯金や援助があればいくらでも失業者を鍛え直すこともでき、労働力の回転も良くなるのではないかと考えています。
 中には、学費を無料にしたらただ働きたくないだけで大学でサボる学生が増えるという方もいると思いますが、現時点でも日本の大学はサボる学生で溢れているので、別に大きな差はないと思います。知り合いの中国人留学生らもみんなして、日本の学生は本当に勉強しないと呆れるくらいですし。

 私はこの本を恩師のK先生(ツッチーと会う前に)に薦められて手に取ったのですが、最初の頃はどうも胡散臭い気がして、結構K先生に噛み付いたりしたことも会ったのですが、改めて時間を置いて読んでみると、いろいろな面で先進的な内容が書かれており、また含蓄のある提言がなされているのに気がつき考えを改めるに至りました。なのでもし今回の記事で興味をもたれた方は、なにも教育問題だけに提言がなされているのではなく広範囲にわたってあれこれ書かれてあるので、是非読むことをお勧めします。

小説のアップロードについて

 昨日わざわざブログを休んでまで作業していたのですが、実は今週から毎週末に小説を連載しようと考えてこうして実際に小説も出来上がっているわけなのですが、ふざけんなと言いたいくらいに、なんと文書ファイルのアップロードができないことが今日になってわかりました。
 確かに文章なので、こうして他の記事同様に小説の文章を貼り付けるだけでもいいのですが、日本語にはやはり縦読みのが読みやすく、また表示の方法も工夫次第であれこれでき、それによって表現もいろいろ帰るので、できれば今保存してあるワードの形式で公開したいという思いがあります。そして何より、ブログで公開するには文章が長すぎます。

 単純に言って、20×20の原稿用紙20枚分もあり、これを他の記事の中に混ぜて公開していると、ブログ全体が異常に見辛くなります。なので苦渋の決断ですが、今回はアップロードをあきらめます。

 できればなんとしても後悔したいと言う思いがあるので、FC2(ここもテキストファイルはアップロードできない)のほうでもう一つ小説専用のブログを作り、そこで公開できたらと考えています。ああぁ、なんか馬鹿馬鹿しい。

2008年8月29日金曜日

情報社会論

 たまには一応専門だった社会学の話でもします。
 さて社会学の専門用語には「情報社会」という言葉があります。この言葉は現代の人間関係を説明する際に使う言葉です。

 卑近な例を出すと、大体50年位前であれば自分が生まれた時に産湯をつける産婆というのは近所に住んでいる方で、また自分が死んだ際にその死体を弔うのも生前に知り合いであった近所の方らでした。
 しかし現在はというと、誰とも知らない病院の医師によって取り出され、誰とも知らない葬儀屋によって最後弔われます。このように、昔は自分と同じ町内などの生活圏の距離的な長さによって人間関係が作られていきましたが、現在では機能ごとに人間関係が作られていくというのがこの情報社会の言い表す関係です。

 それこそ、昔であれば小学生からおっさんになるまで近所の人間同士で同じ生活圏で生活していて、昔の友達は年をとった後もずっと友達で夏祭りなどの近所の行事でも、お互いに顔をあわせてなんやかんや言い合って執り行う関係でした。しかし現在はというと、ネット上で顔も知らないが同じ趣味を持つもの同士で友人関係が結ばれたり、誰が公開しているかもわからない動画などをみて楽しみ、それにコメントをつけるように、人と人との関係性はピンポイントに結ばれていきます。
 それはもちろん最初の例のサービスの事例のように、昔は顔の見える人間から農作物といった食料を調達していたのが、いつの間にやら見も知らぬ、ってか中国から渡ってきた野菜を日本人は食べるようにもなりました。

 これまでの話を簡単にまとめると、昔の人間関係は小さく濃密であったのに対し、現在では広く薄く、といったような人間関係へと変わっているということです。ちょっと長くなりますが、そういう風に変わっていった経過を順を追って説明します。

 まず、今ほど交通の発達していない昔、日本だとそれこそ六十年くらい前でしたら、基本的にその一生の生活圏は大きく変わることはありませんでした。たとえば、私の生まれ故郷である鹿児島県の出水市で生まれた人は出水で教育を受け、出水で働いて、出水で嫁さんをとって、最後は出水で死んでなくなるように、生まれてから死ぬまで出水で過ごしていました。もちろん全く移動することがないわけでもなく、鹿児島県から出たり東京へ行くこともあったでしょうが、それでも当時少ない大学進学者などを除くと一般の方の生活圏は基本的に生まれてから大きく変わることはありません。

 しかし集団就職によって地方から都市部へと多くの人々が移動し始める時代(1960年代)に至ると、こういったライフスタイルが大きく変わります。まず教育を受け終わった時点で生まれ故郷を離れた職場へと移動します。そしてこれはあまりレポートなどが出ていませんが、集団就職をした方の大半はその職場の付近で、中には同じ集団就職者同士で結婚相手を見つけています。さらに年齢がいって職場を変えたりしたら、そこでさらにまた移動が起こります。

 このように、日本では60年代くらいからまず生まれ故郷と職場が切り離されました。しかし、これはまだほんの序章に過ぎません。その後、東京への一極集中が始まりますと、東京都内には住居が不足し始め、ドーナツ化現象によって神奈川、埼玉、千葉といった周辺地域が東京へ通勤する勤労者のベッドタウンへと貸していきました。この時点で、今度は職場と住居(生活圏)が切り離されます。

 そして現在になると、今度は転勤などによる単身赴任もざらになり、家族とまで切り離される方まで出てきました。また職場環境でも親会社から子会社、直接雇用と派遣雇用などというように、同じ会社内でもその位置や雇用形態によって本筋の人から切り離される人も出てきました。また仕事の内容でも、昔では距離的に近い者同士しか交流できなかったのがITや輸送手段の発達によって、瞬時に全国、果てには海外とも取引できるようにもなりました。

 確か、イソップ童話の「都市のねずみと田舎のねずみ」という話で、田舎のねずみが上京しますが都市の殺伐とした空気が合わなくて、生活は便利といえども最後には田舎に帰ってしまうという話があります。基本的に、それは今でも大きく変わっていないのかと思います。

 少なくとも現時点で中世のヨーロッパよりは現代人は「都市の空気」への耐性はついているとは思いますが、それでも田舎での生活が今でもノスタルジックに語られる点を考えると、今後はどうなっていくかはわかりませんが、人間というのは基本的に情報社会になじまないのだと思います。やはり距離的に短い関係の方が、人間にとっては安心しやすい関係なのではないかと私は思います。逆に、生活圏を構成する家族、住居、故郷、職場、人間関係、仕事、趣味といった要素がばらばらにされていけばいくほど、人間というのは不安を感じていくのではないかと思います。

 特に私が20世紀後半の急激な変化で致命的だったと思えるのが、職場と住居の切り離しです。昔はそれこそ地元の農家が作った野菜を地元の野菜屋が売り、地元の料理人がそれを料理して、地元の人間がそれを食べるというように完結していたのが、すでに述べたように今じゃこれが全部バラバラです。中国から来た野菜を、東京に本社のある商社が売り、食品メーカーが工場で食材を大量に調理し、トラックで配送されたイオンでそれを買う人が最後にそれを食べる、とでも言うのですかね今は。

 人間、まだ顔の見える相手にならなかなか悪いことはできません。それこそ地元の人向けに売る餃子に毒なんてなかなか混ぜないでしょう。そして職場と住居が一致することにより、同じ地域の人間同士で交流が生まれ、それによって地元への貢献心が強くもなります。その貢献心によって消防団活動や地元のレクリエーション活動、親戚が近くに住むもの同士での結婚というような行動に結びついてくるのだと思います。今、日本で起こっているモラルパニックの一因となっているのは、私はこの職場と住居の切り離しにあるのではないかと考えています。

 なんか今日はあまり上手い表現じゃないな……。明日頑張ろう。

2008年8月28日木曜日

あれこれ続報

 前回に書いた「アフガニスタン拉致事件について」で、報道でもなされているようにペシャワール会の伊藤和也氏が遺体となって発見されました。ペシャワール会の代表の中村哲氏は、伊藤氏の死を無駄にしないためにも、今後もアフガニスタンでの活動を続けていくつもりだと語っており、私も影ながら応援していく次第であります。

 もう一つ今日入った続報ですが、「医療事故裁判の無罪判決」で取り上げた産婦人科医の裁判で検察が控訴をあきらめたそうです。(ネタ元:帝王切開死 産科医無罪 検察、控訴断念の方向
 ちょっと他のニュースにまぎれて隠れてしまいましたが、まずは一安心です。

2008年8月27日水曜日

太田誠一農水大臣問題について

 これもニュースなどで取り上げられていますが、太田誠一現農水大臣において秘書宅を事務所として登記し、事務所費を計上していた問題が明らかになりました。すでにこれまでに松岡、赤城、遠藤と、歴代の農水大臣がほぼ同じ問題で責任が追及されて辞任に追い込まれているにもかかわらず、またも鬼門の農水大臣ポストで同じ問題が起こりました。

 この問題について今朝のテレビ番組でコメンテーター(名前はまた失念してしまいました)が、恐らくこれまでのことがあったために福田首相は相当議員の身体検査をしてから組閣しているはずであるから、今回このような問題が起きたのは組閣ギリギリの段階で太田を選んだためであるだろうと述べていました。では何故ギリギリの段階で抜擢したのかというと、それは恐らく最後の最後までもめた麻生太郎の幹事長就任において、麻生が就任を飲む代わりに太田を農水大臣ポストを与えることを条件にしたのだろう、つまり、麻生が太田を農水大臣に入れたためにこの事件は起こったと分析していました。

 状況から考えると、この説にうなずけるところが数多くあります。福田首相が行っていた身体検査は組閣以前から報道されていましたし、ましてこの農水大臣職、検査があったにも関わらずこんな事件が起きたのはこのコメンテーターの言う通りになにかのごり押しで決まったのでしょう。この大田という人は過去にも何度か失言やってますし、失言癖のある人とも仲がよかったのかもしれませんね。我ながら、すっごい皮肉だけど。

麻生太郎の投資家減税について

 最近朝日を批判ばかりしていて誉めることが少なくなってきましたが、今日はなかなかいい記事を載っけてきました。どうもこのところ思うけど、朝日は一面から三面よりもその後ろの方の記事がいいなぁ。

 くわしい内容は紙面に任せますが、そのよかった記事の内容というのは自民党の麻生幹事長が最近ぶち上げた証券に関連する減税についてです。麻生幹事長は日本人の貯蓄に回しているお金を投資へと回すことによって経済が活性化するということを理由に、もっと投資家を呼び込むために証券の売却益や配当金に対する減税を行うべきだと主張しました。
 しかし記事でも書かれていますが、03年にすでに同じ目的の元にこれらの税率を10%に下げ、11年からまた元の税率である20%に戻すことを財務省が決めた矢先であり、麻生のこの発言は金持ち優遇の政策とも取れるのではないかと記事では指摘しています。

 私も、朝日新聞の意見に基本的に同感です。というのも、日本人に対してこうして投資を促したところで、東証での取引の大半が外国人である現状では何も意味がないように思えるからです。詳しい数字は知らないのですが、確か東証の取引の半分以上は外国人によるものらしく、確かに数が少ないとはいえ、これから日本人に投資をやらせたところでそこまで景気が上向くとは私は思えません。

 そして何より、現状で株価が上昇しても、日本の企業にそれほど恩恵があるわけでもないからです。それこそ2000年前後の大不況の折は株価の上昇している企業は非常に強かったです。その理由は何故かというと、当時銀行がどこも経営難で新規の貸し出しが行えなくなり、各企業は資金を銀行から調達することができずに株式などで自前で調達するしか方法がなかったからです。
 それに比べ現状では銀行の経営体力は大きく回復し、今ではバンバンと企業に対して貸し出しを行えるだけの余力があります。そんな状況下で、株価が上昇したところで以前ほどの恩恵はまずもってありません。

 基本、投資というのは余っているお金がないとできません。そういう意味でもしこの減税が実行されても、その恩恵はお金の余力のある投資家にしかありません。同じ減税をするなら、生活保護世帯が増えている今の時代にはもっと他にするべきところがあると私は思います。

 最後に外国人投資家についてもう一言加えておくと、近年の株価の上昇は小泉改革などの一連の改革政策が外国人の目に投資の好材料として映り、外国から投資が集まったのが原因です。これは一部の評論家なども指摘していますが、また昔のようなばら撒き政策など改革に逆行することによって外国人投資家が逃げるだろうという意見がありますが、まさにその通りで、本気で投資を呼び込もうとするなら改革を逆行するような政策は取るべきではないでしょう。
 そういう意味でうちの親父なんかは、経済政策の責任者はやろうとしている政策うんぬんより、外国人にどうみられるか、人気があるかで選んだ方がよいと割り切っています。ま、そういう見方も確かにあるけど。

ロシアの軍事行動について

 すでにあちこちで報道されていますが、ロシア軍がグルジアの南オセチア州という、ロシア系住民がたくさん住む地域に新興し、当地域の分離独立を支持すると発表しました。これに対してアメリカは文字通りロシア軍と対峙する形でロシアのこの行動を非難し続けています。

 今回、私がこの軍事行動に対して思ったのは、プーチン政権から現メドベージェフ大統領に政権が移行されても、プーチン政権同様に対外的に強圧的な政策が継続されることが証明されたということと、タイミングについてやや思うところがありました。
 というのも、ロシア側はこれまでアメリカのMD、対ミサイル兵器の東欧諸国への配置などに対して抗議を行っていたものの実際の軍事行動には移しませんでしたが、ちゃっちゃと書いちゃうと来年のアメリカ大統領選がいよいよ白熱してきたこの段階に至り、アメリカは強い行動が取れないと踏んでわざわざ北京五輪の開会式に合わせて行動を起こしたのだと思います。

 さらに言うと、今ももめている北朝鮮の核放棄の問題でも、なんとしても退任前に外交で成果を作っておきたいブッシュ政権が北朝鮮に対して大甘な対応を取ったことも、このロシアの決断を促したのだと思います。
 今日のニュースでフランスの外相が、今後ロシアはさらにクリミア半島にまで進行して来るだろうと発言しましたが、実際の軍事行動とまで行かなくとも、何かしら手段はとってくると私も感じます。もひとつおまけに書いておくと、昔は異常なほどに仲が悪かった中国とこのところは懸案だった国境線が画定し、後顧の憂いがなくなったのも大きいかもしれません。

 実は一回やろうと思ってあきらめたのですが、この東欧から地中海に至るまでは宗教から民族が複雑に入り組んだモザイク状の地域であります。それこそ、共産主義という錦の御旗の元ですべての垣根を取っ払っていた時代(ソ連の二代目権力者のスターリンは今回の舞台のグルジア出身)が終わった現在では、こうした問題が吹き出るというのも自明でしょう。

 多分今週土曜からまた連載を始めると思いますが、このところ国家の概念についていろいろ思うところがあります。国家を構成するものは、

1、民族 2、宗教 3、文化 4、人種 5、特権階級

 これらの中の一体なんなのか。それとも、これ以外の何かがあるのか。こういった、国家についての連載を調子がよければまた始めます。