ページ

2018年3月31日土曜日

ミグさんちのつばめちゃん(MiG-29)について


 きょう午前中に、先週買っておいたタミヤのMiG-29のプラモデルを組んでいました。こちらの商品はタミヤブランドで販売しているものの実際はOEMで、中身を作っているはイタレリです。ほとんどの部品が成形済みなためパーツ数は少なく、すぐに組み終わりました。
 そもそもなんでこんなプラモを作り出したのかというと、本人としては軍事研究のつもりです。昨年に「スタンダードなジェット戦闘機」ということからF-16を作りましたが、形状パターン的にはこれだけでは足りないので、先日にはカナード翼機を学ぼうとユーロファイター(タイフーン)も作り、そして今回は東側の戦闘機、そして双尾翼機の代表としてMiG-29を選びました。あくまで軍事研究の一環であり、暇だから作りまくってるわけじゃありません。

 少し真面目に話すと、やはり自分で各パーツを見ながら組んでみて初めて感じ取る点も多いです。具体的にはタイフーンのようなクローズデルタ機は翼面積の広い形状からハードポイントが多く作れ、武装搭載上では有利だと思えます。


MiG-29 (航空機)(アンサイクロペディア)

 そんな今回作ったMiG-29ですが、上記のアンサイクロペディアの記事では日本らしいというか擬人化して「ミグさん家の空飛ぶ美女」として紹介しています。そこで今回は自分もこの記事に乗っかる形で簡単にこの飛行機の経歴というか悲劇の歴史を紹介しようと思います。

 MiG-29は1970年代、ソ連のミグさんちで生まれました。相性としては小柄な体形になぞらえたのかロシア語で「燕」つけられましたが、西側諸国からは何故か「フルクラム(支点)」という未だに聞いててもよくわかんないあだ名をつけられてしまいました。
 とはいえこのつばめちゃん、生まれた当時は米国でケンカに強いことで有名なF-15イーグルがデビューしたてだったこともあり、「この子ならきっとイーグルにも勝ってくれるはず」と周囲から大きな期待を受けていました。ほんの短い間でしたが……。

 ミグさんちでつばめちゃんが生まれたのとほぼ同時期、親戚のスホーイさんちでも新しい女の子が生まれていました。その生まれた子というのも「Su-27フランカー」ことふらんちゃんで、体が馬鹿でかい癖にやけに機敏で、しかも非常食(増槽)なしでもロシアの広い国土を縦横無尽に飛び回るという半端ないスタミナ(航続距離4000キロ)の持ち主という、例えるなら「動けるジャイアン」ともいうべき恐ろしい娘でした。
 真面目な話、あの時代にふらんちゃんを設計してのけたのはオーパーツもいいところでしょう。

 ふらんちゃんが生まれるや一転、つばめちゃんに対する周囲の期待は落胆へと変わりました。攻撃力、機動力、航続距離のどれをとってもふらんちゃんに適うものはなく、唯一勝っているものはコストの低さだけという有様でした。そのせいか、「どうせ傷物にされてもふらんちゃんに比べて惜しくないし」という情けのない扱われ方から、敵軍の制空権空域だとかレーダー防空網の真っただ中だとか、撃墜されてもやむなしとも言うような危険な任務はつばめちゃんにばかり押し付けられ、この世代の戦闘機としては被撃墜記録が特に多い機体となってしまいました。それどころか、「つばめちゃんはケンカが弱い」という認識まで持たれてしまいます。

 一応書いておくと、スペック上ではつばめちゃんも優秀で、特に機動力に関しては定評があり後期型に至っては技術確立された推力偏向ノズルの搭載によってあり得ない動き方をすることが可能であり、他国の第一線級戦闘機にも負けないと評価されています。ただ惜しむらくは、この推力偏向ノズルはふらんちゃんにも取り付けられているということです

 話は戻りますが、旧ソ連が崩壊して貧乏となったロシアは外貨を稼ぐために積極的に戦闘機を売りはじめ、コストが安いことからつばめちゃんはやたらいろんな国へ身売りさせられることとなります。セールス的には非常に成功した部類には入るのですが、どちらかと言えば「ふらんちゃんの方がいいけど、あっちは高いから仕方ないね」とばかりに妥協として買われていくパターンが多かったようです。
 しかも輸出規制が緩いせいか、第三国経由とはいえ、何故か敵国の米国にまで買われたこともあり、その際には体の隅々まで辱めを受けた(検査)ことはいうまでもありません。

 歴史にイフはありませんが、もしふらんちゃんさえいなければ、つばめちゃんは今もロシアの主力戦闘機として西側諸国からは畏怖され、高嶺の花としてみんなにちやほやされていたかもしれません。彼女の不幸はほぼすべて同時期にふらんちゃんという強力過ぎるライバルがいたことから始まっており、「ふらんちゃんさえいなければ」とミグさんちの一員らは多分みんな思っていたことでしょう。

 そうした恨みつらみがどこかに通じたのか、とうとう運命の日が訪れます。それはノストラダムスの予言に出てくる1999年の2月のこと、エチオピアとエリトリアの間で起こったエリトリア国境紛争において、エリトリアからはつばめちゃん、エチオピアからはふらんちゃんがそれぞれ出撃しました。
 つばめちゃんの不幸な生い立ちはすべてふらんちゃんがいたせいにほかなりません。第三国間とはいえ、そのふらんちゃんとガチでぶつかる機会が得られたというのはまさにその運命を逆転するチャンス以外にほかならず、「今度こそ、あたしはシンデレラになるんだ!」と言ったかは定かではありませんが、長年の忸怩たる思いとともにつばめちゃんは飛び立ちました。






















 そして一発でふらんちゃんにKOされました。っていうかどう見ても勝てる相手じゃないし。

 現在、ロシアの主力戦闘機はふらんちゃんで、あと中国もロシアから買って使ってます。研究対象としてみればふらんちゃんの方を優先すべきであるのですが、上記のあまりにも可哀想な生い立ちぶりからつばめちゃんを選ぶことにしました。やっぱストーリーって大事です。



 こっちは前作ったタイフーン。
 ハセガワのキットで組みましたが、「航空機と言えばハセガワ」と言われるだけあって、パーツ数が非常に多い上に図面がタミヤより見づらくめちゃ苦労しましたが、その分、仕上がりなどは非常によくできててその異名は伊達ではないと感じさせられました。とはいえ求められる技術は高いように感じられ、次もハセガワのキットを買うかとなるとやや躊躇させられます。

2018年3月30日金曜日

高級車の裏側

「いつかはアウディ」の時代が終わった中国
高級車市場で火花を散らすトップ3、レクサスも人気上昇中(JBpress)

 上記の記事は昨日出た私の記事ですが、正直に話すとそんな大した取材はしていません。しかし日本語媒体で2017年の中国高級車市場データは活字化されていないとみられ、中国語が読める自分とかならともかく、重要な市場データでもあるということからどちらかと言えば記事よりもデータを日本語で読めるように、且つネットで拾えるようにする必要があるとの使命感から書きました。
 もっとも本音を言えば、このところの激務で左手と左目と左耳の神経がまたおかしくなってきているのと、2017年の統計データまとめ記事書けるのも今のうちという事情の方が大きかったりしますが。

 特にこの記事について追加で解説するところはないのですが、独アウディが主題の記事であることに絡めて当初は、

「なお筆者が子供だった頃、うちの親父が無理してアウディの車を自家用車に買って身近にあったことから、筆者自身としてもベンツやBMWと比べるとアウディはそれほどプレミアム感を感じなかったりします。」

 という文章も小話として盛り込もうかと考えていましたが、さすがに話題がプライベートすぎるので止めました。なおこの時のアウディは故障率が半端じゃなく、修理代だけでもう一台買えたそうです。次の三菱・ギャランは故障知らずだったのになぁ。

 ついでなのでと言っては何ですが、ちょっと高級車について裏話を書こうと思います。日本では自動車販売の統計データはよく出てきますが、こういう高級車市場単体のデータとなると専門誌とかじゃないとなかなかお目にかかることはありません。しかし自動車メーカーからするとこうした高級車市場は非常に重要で、マーケティング担当者は綿密にデータを精査していると思われます。
 一体何故重要なのかというと、単純に一台当たりの利幅が一般車と比べて桁違いに高いからです。航空機のビジネス・ファーストクラス同様に、母数こそ少ないものの利益率に与えるインパクトは物凄く大きく、尚且つ会社全体のブランドイメージにも影響することから無視してはならぬカテゴリーです。

 そんな高級車にとって、中国市場は間違いなく世界一ホットな市場です。その販売台数規模もさることながら伸び幅も桁違いに大きく、細かく比較していませんがドイツ系高級車ブランドにとっては単体としては最大の市場であるだけに、文字通り「中国を制すものが世界を制す」みたいな状況になっています。ドイツだけでなく米国系ブランドもそうした背景からこのところ力を入れており、日本から撤退したフォードもリンカーンを大々的に中国で売り出すなど市場に対し積極的です。

 ここで話を少し戻しますが、先にも書いた通りに高級車は利幅が非常に大きいのが特徴です。何故大きいのかというと単純に価格が大きいということもありますがそれ以上に、実は原価が一般車とほとんど変わらないことの方が大きいです。

 販促費用やアフターサービス費用の面では確かに高級車の方がかかりますが、実車の本体価格でいえば実はそれほど差がないはずです。確かに、高級車というだけあってゴムやプラスチックなどの原材料は耐久性の高い高品質な材料が使われ、防錆用の表面処理もいい奴が使われますが、金属を切削したりプレスしたりする加工部品に関しては実は一般車と比べて全く同じコストだったりします。なんでそんなこと知ってるのかっていうと、私自身プレス業界に関わったのと、そこそこ有名な自動車部品メーカーの方に話聞いたからです。
 そのメーカーの人(めっちゃ賢くて頼りになる)によると、高級車向けパーツは図面で寸法範囲などが一般車と比べて非常に狭く制限されるものの、原材料や工数が同じだったら、「値段変わらんやろ」と完成車メーカーに言われ、結局同じ価格で出荷を要求されるそうです。無論、精度要求が高ければ歩留まり率は悪くなり、また精度を維持するために機械の加工速度を通常より抑える必要があって手間は余計にかかります。さらに高級車向け部品は一般車向けと比べてロット数が少ない上、在庫確保のために保管するにしても区分しておかなければならず、部品メーカーからすれば儲からないのに手間と管理が非常に膨大という厄介さで、「高級車向け部品は正直あまり受けたくない」という感想を述べてました。

 現実に、工業部品の調達価格は工数と原材料価格でほぼ決まり、精度が高かろうが低かろうが買い手はあまり考慮してくれません。このように考えると、高級車の利益の大半は下請けメーカーの苦渋の涙で出来ている的な所があり、笑ってんのは完成車メーカーと消費者くらいなもんでしょう。まぁそれが市場だし、なんだかんだ言いつつ高級車は夢があっていいと思いますが。

 最後にまた例によってヤフコメについてですが、話題が話題なだけに普段「大した取材してない記事書きやがってこいつはよぉ」というようなことを私に言う連中はこういう記事は読まないのか、今回は非常に落ち着いたコメントばかりでした。その中で気になったものとしては、


the☆ZABUTON

 | 

公園のベンツでキミにアウディ

 なんかこれがツボにはまってしばらく笑いこらえてました。あと、



ves*****

 | 

やはりアジア。日本人と好み似てるんだな
アメリカではドイツ車はさほどだが日本や中国のドイツ崇拝者は同じものを持っていそう

 このコメントにはなるほど感じました。実際、名古屋に左遷されたうちの親父がまさにこの「ドイツ崇拝者」で、飛行機もメッサーシュミット以外はあまり興味を持ちません。戦車はもちろんティーゲル。
 考えてみると日本のRPGゲームでお決まりのファンタジー世界も基本ドイツのケルト神話の世界観がスタンダードです。何かアジア人を引き寄せる要素がドイツにはあるのかもと思え、意外に深い指摘のように思えてきました。

2018年3月28日水曜日

中朝接近について

 事前に連絡受けていたのに、今日JBpressのサイト見たら「あれ、俺の記事載ってない?」と思ってしまいました。メール確認したら明日29日の掲載って言われてました。なお内容はそんなに手の込んだものではないですけど、日本語媒体でああした統計データが出回ってないので、将来を含め検索などで閲覧できるような形にしたいと思って書いてます。
 もう一つだけ付け加えると、日本のメディアにおける統計の扱いにはこのところ疑問を覚えます。見方次第でいろいろ予想内容だって書けるのに、なんかインタビュー内容ばかりにこだわって統計をないがしろにしているように思えてなりません。

 そんなわけで本題ですが、わざわざ私が言うまでもなく北朝鮮の金正恩が中国を電撃訪問して習近平総書記と会談を行いました。日本国内では一昨日の夜頃からすでに動静が報じられていましたが中国では今朝になってようやくこの件が報じられるようになりました。こちらでの報道は段本営発表こと中央メディアである新華社の発表以外なく、独自の論考や評論などはほとんどなくあまり書くことはありません。

 なので私独自の視点でこのまま書くと、気になったのポイントは二つあります。
 一つは会談内容で触れられている「朝鮮半島の非核化」についてです。北朝鮮側がこの目標について触れたのかややはっきりしませんが、もしそうだとしたら「お前が言うな」と言いたくなるような内容です。敢えて痴漢に例えるなら、「生き残るためには痴漢をし続けなければならない」とか言ってた奴が「痴漢は撲滅する必要がある」と言い出したような感じするのですが、何故ここでの喩えで置換が出て来たのか(それも真っ先に)、思い浮かんだ後で逆に自分で悩みました。

 もう一つのポイントは、時期とタイミングと決断要素です。
 金正恩が中国入りしたのは一昨日3/26の晩でほぼ間違いありませんが、この日程はいつ決まったのかが非常に気になります。あらかじめかなり早い段階、少なくとも一ヶ月前以上には決まっていたと考えるのが筋でしょうが、案外急遽、それこそ中国入りする前日かそこらに決まったのではないかと私は見ています。

 一体何故かというと、先週22日にイベントがあったからです。この日程だけでピンと来る人もいるかもしれませんが、この日は米国のトランプ大統領が中国などを念頭に置いた鉄鋼・アルミへの関税大幅引き上げを発表した日です。
 やや話題がずれますが、この関税引き上げには鉄鋼・アルミの原材料が入るのはわかりますが、プレスとかした加工品も含まれるのかが実はよくわからず、誰か知っていたら教えてください。含まれるのであれば日本もダメージがあり、含まれないのであれば言われているほどダメージはないと考えます。

 話は戻りますがこの関税引き上げ発表によって米中関係はやや暗雲がたちこみ、首脳同士の電話会談も「今に見ておけ!」で終わったと言いますし、前情報なしの電撃訪問だったからそう思うのかもしれませんが、もしかしてこの件で米国に対する感情を悪くした中国側が北朝鮮のかねてからの要請に応じる形で訪問を急遽認めたのかなと最初思いました。
 北朝鮮としても渡りに船だったというか、昨年から始まった国連安保理決議に基づく経済制裁が明らかに効いているように思われ、この方面での打開を、それも関係国同士が仲違いしているところに割り込むような形で狙っていたことに関しては間違いありません。

 なお今日たまたまですが中国商務部のサイトなどを確認したところ、中国がすでに実施している北朝鮮への貿易制裁は一応まだ解除はされていません。あと一部報道で米国への報復に化学原材料への反ダンピング措置を中国が取り始めたと言われますが、自分が見る限りだとこの方面では米国以上にタイへの対応の方がかねてから激しく、過去1年くらいの新規ダンピング案件ではほぼ必ずタイの名前が出てきます。

 またまた話は戻りますが、仮に電撃訪問が急遽決まったものであれば、中国の米国への意趣返しのような意味合いが多分に含まれていることだと思います。ただだとしても、米国側も北朝鮮との首脳会談に乗り気だと言われている現在であれば果たして影響はどの程度かと疑問があり、それこそ国連決議が決まったばかりの頃に制裁破りする方が米国への嫌がらせとしては価値があったでしょう。
 このように考えると、何か一つピースが足りない気がします。中国が突然、またはかねてから気余っていたとしても、一体何故この段階で金正恩を招いたのか、何かもう一つ理由があるような気がします。他の周辺国というよりも、やはり米国を意識した理由であるような……。

 なお最後にもう一つ付け加えると、このところ北朝鮮は韓国や中国に接近というか媚びる発言をする一方、日本をのけ者にするかのような発言を繰り返していますが、案外日本はこれに乗っかるのがベターな気がします。というのも変に下手に出て交渉に参加しても、核放棄の見返りとしての諸々の支援に手を課さなくてはならなくなることが目に見えており、それであれば早くから距離を置いて、場合によっては無意味だと言われても日本だけは独自に制裁を取り続けるという姿勢が国内的にもメリットがあると思われます。
 旧ソ連じゃありませんが北朝鮮は国際取り決めを守った回数より破った回数の方が遥かに多く、先日の暗殺事件を初め国外でも平気でテロ活動を行うような国です。そんな国が核開発放棄を忠実に実行するわけではなく、見返りの支援をタダ取りするのは目に見えています。せっかく北朝鮮が日本を名指しで距離を置いてくれるのだから、日本としてもこのまま距離を置き続けて制裁を取り続けるべきでしょう。少なくとも今回の中国電撃訪問は去年の制裁が確実に効いている証拠とも言え、オバマ政権時代の「戦略的忍耐」より遥かに効果が高いということは実証されています。

2018年3月27日火曜日

佐川氏の証人喚問について

 一体AELAはどうしてしまったのか、このところ不思議でしょうがありません。

川崎宗則がグラウンドにひょっこり戻っても誰も咎めない(AELA)

 これまで受験データ専門雑誌とばかり思っていたのに、前の記事にも書いた通りにこのところ野球関連の記事が面白くてしょうがありません。上の記事も今日会社で読んでてリアルに涙出てきました( ;∀;)
 っていうか真面目にスポーツ専門誌とかより記事がすこぶる面白いです。シーズンが開幕した後もどんな記事を出してくれるのか、今からでも楽しみです。

 さて話は本題に入りますが今日の佐川氏の証人喚問について結論から書くと、元々前回も真相を画したくらいだから今回も何も口にしないだろうと思っていたため予想通りだったというのが私の感想です。唯一「おっ」と思ったのは、丸川珠代議員が質問を終えた直後に、

ありがとうございました。少なくとも今回の書き換え、そして森友学園に国有地の貸し付け並びに売り払いの取引について、総理、総理夫人、官邸の関与はなかったということは、証言を得られました。ありがとうございました

 以上のように、二度も「ありがとう」という言葉を口にした点です。証人喚問が始める前から官邸側とはあらかじめ口裏合わせはしているだろうとは思ってはいましたが、このやや不自然にも見える言い方はそうした口裏合わせを暗に裏付ける発言にも見えます。既に職を解き放たれ、しかも麻生財務大臣の責任までも擦り付けられるかのような解任にもかかわらずこうして官邸側に合わせるというのは、それだけ見返り(官房機密費かな?)が約束されているからかもしれませんが、皮肉ではなく見上げた役人根性だなと思えます。
 しかし佐川氏については既に前回答弁で事実と異なる証言をしていることは確実で、尚且つ証拠隠滅とも取れる発言をしていることからも偽証罪にかけられる可能性は十分に高いと思われます。この辺は特捜がどう判断するかにもよりますが、ある意味これがこの問題のスケジュールを考える上で肝心になってくるでしょう。

 基本的に特捜は、自分たちの捜査が時の政権に影響することを避ける傾向があると聞きます。具体的には国会の会期中や選挙中は内偵に務めて目立つ捜査は行わず、これらの期間が過ぎた後に具体的な逮捕、留置、立件を行います。この森友問題においては既に公文書の改竄という既存法でも実刑に持っていくには十分な犯罪行為が行われており、既に一人自殺していますが実行者、命令者のうち誰か、もしくは全員が逮捕、立件される可能性は十分にあります。
 実際に最近の報道で分かってきましたが、既に今年二月ごろから近畿財務局の関係者に対する任意での聞き取りは始まっていたようです。こうした背景、というか捜査があったからこそ近畿財務局の方が自殺を決意したと考えるのが筋でしょうが、朝日新聞が入手した改竄された決裁文書も大阪地検特捜部経由だったともいわれており、もう証拠もある程度固められてきているのではないかとも思えます。

 ただ実際に捜査が本格的に動き出すとしても前述の理由から、今国会が終了する6月以降になってくる可能性が高いと言えます。これは逆に言えば、今国会での疑惑追及は朝日のようなメディアによるスクープがないと、このままズルズルと答えが出ないまま間延びしかねないということです。
 やはりというか野党の追及は今回の佐川氏の証人喚問を見ても弱いように見え、外部による援護射撃なしでは多分追い詰めることはできないでしょう。ここで政策、具体的には年金の誤入力問題を絡めるなどして安倍政権を批判したほうが私にはいいと思うのですが、これまでと同じことばかり口にしてなんとなく聞いてても面白味を感じられません。6月以降にはどうなるかわかりませんが、このまま何もなければ安倍政権は6月まではひとまず安泰でしょう。

佐川・前理財局長が証人喚問で明かさなかった今井首相秘書官の秘密(AELA)

 この決裁文書の改竄をすっぱ抜いただけあって朝日系列のこの方面の報道は群を抜いていますが(産経は逆の意味で群を抜いている)、恐らく真相としては上記リンク先の記事で書かれている内容がすべての真相ではないかと思われます。ではここまでたどり着くにはどうするべきかとなると、やはり近畿財務局の怪しい人間を片っ端から、証人喚問とは言わずに野党による特別チームを編成し、全場面録音録画した上で特捜と協力しながら聞き取りを行うのがベターではないかと思います。この問題で財務省本省を攻めても労多く利少なしであるだけに、もっと現場に近いところを集中的に攻めるべきなんじゃないかと思います。

 最後にある意味この問題の主役ともいえる森友学園の籠池元理事長ですが、彼が詐欺師であることは間違いないものの、証拠隠滅の恐れがない、というよりむしろこの件に関しては決裁文書の改竄がなされていたことから彼の方が証拠を隠滅された立場でしょう。彼がやったことを考えると逮捕、立件、実刑はしょうがないとは思うものの、去年7月に逮捕されて以降、現在に至るまで留置され続けているというのは、もはや彼に隠滅する証拠などないことを考えると、異常としか言いようがありません。
 籠池元理事長の逮捕が国策捜査であることはもはや言うまでもありませんが、何も私は彼の味方をする気はないものの、司法の独立性の観点から言ってこの異常な留置は直ちにやめさせるべきで、保釈するべきだという立場を取ります。それこそ安倍政権にとって余計なことを言わせないため、検察が「忖度」しての留置だというのであれば、野党にとってはこの辺も攻めどころではないでしょうか。

2018年3月26日月曜日

雇用のミスマッチ

近畿財務局は「安倍昭恵」名を知る前から森友に国有地売却方針 決裁文書改竄(産経新聞)

 本題とは関係ありませんがよくもまぁ産経はこんなとんでもない記事を出せるものかと今朝呆れました。詳細については敢えて言及しませんが論点のすり替え以外にほかならず、珍しくヤフコメを見てもこの記事の異常性について指摘する人が多くみられました。まぁ見方を変えれば、昭恵夫人の一言で急激に話が進んだことを示しており、お前はどっちの味方なのかと問いたくなる記事でもあるのですが。

なぜブラック企業を徹底的に取り締まらないのか?(大艦巨砲主義!)

 そんなわけで本題ですが、先日何気なく見ていた上のまとめ記事で以下のようなコメントに注目しました。

99: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2018/03/18(日) 10:16:31.316 ID:ohrSSS+ud
日本には
過労死するほど仕事があり
自殺するほど仕事がない
なかなか見事な一言だと思って友人にもツイートしたのですが、最近忙しいのかかまってくれず、無視されてしまいました( ;∀;)
 そんな私の友情事情は置いといて話を進めますが、何故上記のようなコメントが出るのかというと一にも二にも雇用のミスマッチが日本で氾濫しているからです。かねてから私はこのブログで日本の異常なまでに低い雇用の流動性が多方面に悪影響を及ぼしていると指摘し続けてきましたが、何故雇用の流動性が低いのかというと新卒採用にこだわるという雇用習慣もさることながら、雇用のミスマッチが異常に激しいことも原因として大きいと考えられます。

「引っ越し難民」が映し出す日本社会の根深い問題(JBpress)

 上の記事は別に私が書いたものではないですが今日たまたま見ているとまさに今現在怒っている運送業界の問題と絡めて、雇用のミスマッチに言及していたのでこちらも引用することとしました。現実には90年代にフリーターという言葉が出始めた時点で日本経済は労働力不足に陥っていたものの、ようやく現在に至ってそれが顕在化してきたと私は見ていますが、労働力が果たして足りないのかというとそうでもなく、上の記事でも書かれている通りに潜在労働力は実際にはまだまだ存在するものの、それを汲み取れていないのが日本の現状でしょう。
 単純比較でも女性の社会進出が日本は遅れており、そもそも専業主婦という言葉がある時点でもう何から言うべきかと中国に住んでて思えてきますが、賃金レベルはともかくとして労働力自体は掘ればまだまだあります。問題はそれを生かし切れいていないという点で、採用時のミスマッチや待遇条件の問題など、言ってしまえば経済の問題です。

 採用時のミスマッチに絞ると、最近久しぶりに会った人間に毎回、「花園君もう何回仕事変えてんの?」とガチで聞かれるくらい仕事経験が無駄に幅広く豊富な私に言わせてもらえば、日本においてはほとんどの仕事に適正なんてなく、採用に時間と手間をかけるくらいなら先着順にした方が双方にとってもメリットが大きいとすら感じています。全般的に日本における業務は単純かつ自己判断が要求されるものはほとんどなく、むしろ決められた手順や慣習に従わなければ罰されるものばかりです。幸いにして日本の教育は個人から自我を奪うことに特化しているだけあってこの手の仕事に向いている人間を量産しており、よほど技能や知識が要求される専門職以外であれば誰がやったところでそんな変わりないでしょう。
 そうはいっても新人によっては差があるという人もいるかもしれませんが、最初に差があったとしても年月が経てばその差は慣れによってへし潰されるだろうと思います。なんとなくですが、日本人はこの仕事の「慣れ」を「適正」と勘違いしているのではと思う節もあります。

 では何故、上記のような状況でありながら採用のミスマッチは生まれるのか。はっきり言えば日本の経営者や労働者は厳選すればするほど、無駄に時間をかければかけるほど良い結果が生まれると信じています。だから決断の基準や条件は敢えて曖昧にして、余計に時間がかかるように仕組んで採用に臨み、判断基準がないもんだから時間と手間がかかった上に必要な人材が得られないというミスマッチが生まれていると、好き放題に言わせてもらうと私の見方はこうです。
 この辺は中国来てから思うようになりましたが、単純労働力に関しては適正もクソもなく、如何にして頭数を揃えるかだけ考えていれば十分です。むしろ適性を持ち出そうとすると話がおかしくなる傾向もみられ、その辺気づいている人はどれくらいいるのか疑問です。

 最近になってみんな大好きアトキンソンことデービッド・アトキンソン氏も、「日本の景気が悪いのは無能な経営者ばかりいるからだ!」と、なんか私みたく「アイツは反日だ」と言われだしてむかっ腹立っているのか正直な感想を言うようになってきましたが、私もこの点は同感です。中国もおかしい経営者はいくらでもいますが、市場競争の激しさから政府とのつながりがない人間は自然淘汰される傾向があり、それと比べると日本はこの点で緩いなと感じます。最初に引用したまとめ記事のように、ブラック企業関係者を言葉上だけの意味でなく本気で殺害するくらいの勢いで摘発しない限りはこの状態が続くでしょう。

2018年3月23日金曜日

文学性とは何か?

 策やブログ書く気もなかったのに「なろう系に代表される異世界転生物小説について」という記事書いて、その中でもし私が書くとしたら「中国に転職したらブラック企業だった件」になるだろうと書きましたが、冷静に考えて日本人にとってすれば下手な異世界よりも中国の方が常識通じない世界なんじゃないかと思えてきました。といっても以前と比べると中国も大分まともになってきて、以前ほどトンでもニュースも減ってきていてなんかつまらなくなってきてますが……。

 話は戻しますが昨日の記事で私は、異世界転生物について文学的要素の観点から見たら果たしてどうなのかと書きました。もったいぶらずに結論から言うと、そもそも文学性とはないかというといというなれば人生や体験のシミュレーション、物語を通じて疑似体験を行う登場人物の人生や判断をの種類や程度、深さであると私は考えています。

 例えば森鴎外の「舞姫」を例にとると、当時としては珍しかった官費留学生の留学生活が書かれてあり、そして留学先で官費支給が打ち切られ、それでも現地の恋人とうまくやってたけど最終的には仕事を取って切り捨ててしまうという決断へと至るまでが描かれています。こうした体験は塔の一般人はもとより現代でもなかなか実際に経験することはないものの、舞姫を読むことで少なくとも登場人物の行動や決断に至る一人の人間(太田豊太郎)の過程は知ることが出来、一つの人生体験モデルとして消化するに至るわけです。
 このように文学性とは、普通じゃ体験できない、まだ体験していないことを物語を通して認知、疑似体験し、それによって人生経験をいくらか膨らませることのできる要素であるという風に私は考えてます。従って物語における体験はごくありふれたものではあまり意味がなく(リアルでも体験できるため)、どちらかと言えば珍しく、尚且つ極限であればあるほどよく、また苦しい決断ほどその重要性は高まると言っても過言ではなく、シェイクスピアの「リア王」などがこのパターンではないかと思います。

 ただし、疑似体験とはいえあまりにも現実離れしていては読んだところで「体験した」という実感が得づらくなります。それこそ昆虫の世界で飛脚をやっているというアブラムシの話が書かれたとしても、「え、飛脚ならバッタじゃない?」という風に疑問を覚え、読んでてもしっくりこないでしょうし多分その後の人生においても何か生かせるところはほとんどないでしょう。仮想の話とはいえ、リアリティがあればあるほど読者は本の中の世界に現実味を覚え、のめり込むというか疑似体験の度合いが高まることから、一定の現実感はやはり文学性においては求められるでしょう。
 もちろん空想世界が前面に出された「杜子春」や「蜘蛛の糸」であっても、そこから得られる人生経験や教訓が深ければ特に問題はなく、特にこの二つは現実離れした要素がなければ作品のテーマを打ち出せないため、仮想の要素は必要不可欠と言えます。そういう意味では現実感はバランスが求められる要素でしょう。

 説教臭い内容が続きますが、やはり文学性というか小説はこうした仕組みではないかと思います。先ほど現実感が大事と書きましたが、やはり明治の小説家を見ているといい作品を作るために自らぶっ飛んだ体験をしてそれを作品に活かそうとする人が見られます。具体的には心中未遂とかですが、こうしたジャンルは「舞姫」を含め私小説、自らのぶっ飛んだ体験に基づき、「こうなったらあなたはどうする?私はこうする」的に描かれてあるように私には見えます。現実に私小説形式だと自らの体験に根差していることからリアリティ高く描けるというメリットがあります。
 私小説に近い形式で、実際に一つのジャンルとして成立しているのは戦争文学です。そもそも戦争自体がぶっ飛んだ体験として十分成立するため、戦場で見た光景や自分の体験を書くだけで、「こんな時、あなたはどうする?私はこうする」という主張が十分に伝わります。そして読んだ人間も、「もし自分が戦場にいたら……」ということを考え、その後実際に戦場へ行くにしろ行かないにしろ、人生経験的には読まないよりかはこういった世界もあると知ってる方がプラスになってくるでしょう。

 以上のように私は文学性について、突き詰めれば人生や決断のシミュレーションであり、それこそ心中や戦場のような強烈な体験の方が価値が高まると考えています。また評価要素としてはこのほかにも普遍性が挙げられ、いつどの時代、性別を超えて多くの人間から共感が得られる作品であればあるほど文学性は高まると考えており、さっきも上げたシェイクスピア作品もそうですし、そもそも現代が舞台でないにもかかわらず現代における安楽死問題も考えさせられる森鴎外の「高瀬舟」なんかもこうした普遍性に富んでおり、その延長として文学性も高いと考えられます。
 逆に、と言っては何ですが、文学作品の批評からが口にする文章表現の巧遅については私はあまり議論するまでもないと考えています。「みずみずしい表現」だとか「感性の高い表現」などという人もいますが、そりゃ読みにくい表現より読みやすい方がいいに決まってはいるものの、文章表現なんて時代が変われば古語と現代語のようにガラッと変わってしまうもので陳腐化も早いです。そういう意味で副次的な要素ではあるものの、文学性の価値を決める要素と言えるのかと言ったらそれは違う気がします。

 ここでようやくなろう系小説に代表される異世界転生物というジャンルの文学性について触れますが、異世界に転生して怪物と斬った張ったするというのは極限性という観点では確かにレアリティは高いですが、現実感という点では逆に極度に薄いです。またこうした小説を読んで将来、近いような体験や判断に迫られることがあるかと言ったら、もしかしたら転生する人も世の中にはいるかもしれませんが、多分少ないということを考えるとあまり人生経験上でプラスになる要素は低いかなということになってきます。

 しかしと言っては何ですがじゃあ他の、一般的な現代小説がなろう系より私の定義する文学性を含んでいるかと言ったら、こちらもまた疑問です。具体的に言うと、最近文学賞を取る作品を見ていると非常にニッチな世界、はっきり言えば限定された職業の話が多く、かといって物凄い葛藤のある決断に迫られるような極限シーンもあるかと言えばなく、疑似体験したところで何か考えさせられたり将来にその疑似体験が役に立つシーンがあるかと言えば疑問な小説ばかりです。ああそうだ、言うならば深いテーマ性もないんだ。
 それこそ三浦綾子の小説「氷点」のように、「汝の敵を愛せを本当に実行できるのか?」などと、こうした問い、そしてそれに対する一つの回答みたいな物が現代作品にあるのかという点で疑問です。そしてなんでないのかというと、はっきり言えばそうした作品を拾えず、「みずみずしい表現」で作品を選んじゃう文壇が悪いのではないかと疑っているわけです。

 敢えて今回なろう系小説を取り上げたのは、確かに疑似体験というレベルで見れば文学性の要素は低いものの、かといって「文学作品が高い」として祭り上げられている現代の作品はすごい狭い世界のことばかりで、こっちもこっちで普遍性やテーマ性の点で非常に質が低く、いいところ同レベルなのではないかと見ていると言いたかったからです。むしろなろう系の方が、物にもよりますが誰も知り合いのいない世界に突然放り込まれてどう行動し、生きていくかというテーマ性はいくらか備えているだけ、狭い世界の舞台裏だけを紹介するような「文学作品」よりはまだマシなんじゃないかとすら思っています。

 以前にも書きましたが、今考えてみると「バトル・ロワイアル」は文学作品として非常に価値の高い作品だったのではないかとこのところしきりに思います。あれは中学生が殺人を強要され、それに対する各生徒の対応がバラバラに描かれてあり、現代の少年兵問題、そして「生き残るためなら他人を(何人も)殺してもいいのか?」という問いを疑似体験させられます。もっともこれ以降、同じコンセプトのデスゲーム物の漫画が大氾濫するようになりましたが、極限性という点ではやっぱり最初のこっちの方がすごかったなと思えてなりません。
 にしても2015年の自分は「ファイナルファンタジー零式」やって遊んでたんだな。あれは登場キャラクターが美男美女過ぎて食あたり気味になるゲームで、物語において三枚目の価値を再認識させられました。

2018年3月22日木曜日

なろう系に代表される異世界転生物小説について

 ブログ書く気なかったけどなんか落ち着かないので書きます。落ち着かないとなんで文章書こうとするのか自分でもよくわかりませんが。

 さて唐突ですが数年前より自作小説投稿サイト「小説家になろう」が流行り始め、その中でもいわゆる「異世界転生」ものとされるジャンルが特に人気を得ているようです。この異世界転生物というのはその名の通り、現代的な世界に生きていた主人公がある日突然異世界に召喚、転生されて、ファンタジーな世界で思わぬ活躍を遂げるというような内容です。
 私の感覚だと90年代初頭に流行っていたジャンルだと思うのですが、先祖巡り的なものなのか現代においてまた再び流行り出してきたなという風に考えています。もちろん流行りだから価値がないというつもりは全くなく、小説というものはどれだけ売れたか、人気か、読まれたかですべての価値が決まると言っても過言ではないと思っているので、売れているというのであればこうしたジャンルを扱う作家は実力者と言えるでしょう。

 そんな異世界転生物ですが、「異世界に転生したら○○だった件」みたいなタイトルが散見されます。これを見てもし私が書くとしたらとどんなタイトルかなと考えてみたところ、「中国に転職したらブラック企業だった件」とか「中国で記事書いてたら反日認定された件」になるかななどとすぐ浮かんできましたら、リアル過ぎてかえって売れないだろうと即判断しました。書けっつったらかなりディープに書ける自信あるけど。

 話は戻りますがこうした異世界転生物をはじめとするなろう系小説は一般にはライトノベル、ラノベなどと言われ、どちらかと言えばポップな若者向けジャンルとして、オッサンやおばさんが読むのには向いていないように扱われます。しかし売れていること、そして文学というメタな理論で考えるなら果たしてどうかなと思い、むしろ「文芸小説」と呼ばれる小説と比べて文学的な価値を比較したらどっちが価値があるのか、やや皮肉っぽくこの辺を眺めています。

 そういうわけで、なんか久々な思想物の記事となるでしょうが、次回では「そもそも文学的とはどいう意味なのか?」というメタな理論について書いていきます。意外とありそうでないジャンルだと私でも思います。

2018年3月21日水曜日

クソつまらない文春の野球関連記事

我慢すれば…142試合目のプロ初白星、13年目の初本塁打
なんでや! 阪神ファンが激怒した「幻のホームラン」
80年ぶりのワースト記録…世紀の“大乱戦”
(以上すべてAELAの「プロ野球B級ニュース事件簿」)

 いきなりですが、最近上記リンク先の久保田龍雄氏による「プロ野球B級ニュース事件簿」の記事にはまっています。どれも内容が面白いだけでなく文章も軽妙で、尚且つ関連するかこの話題にも触れてくれるのでいつも楽しく読んでいます。これに限らずこのところAELAに掲載されるプロ野球関連の記事はどれも面白い上にデータや主張に関しても納得できるものばかりで、「AELAはもしかして野球雑誌なのか?」と真面目に勘違いし始めてきています。

 それに対してと言っては何ですが、見出しに掲げた通りに文春の野球関連記事はどれもやばいくらいつまらないです。どうやったらこんなつまらない記事を書けるのか、ある意味神ッてるレベルでつまらないです。

広島カープの同姓選手を見るとドンジャラがやりたくなる理由(文春オンライン)

 例えば上の記事なんか「だからなに?」と言いたくなるようなくだらない内容で、調子乗ってドンジャラという言葉を使っていますがただただ空気を寒くしてるだけです。おまけにオチもあってないような締め方で、余計に長文とせずサクッと「カープは中村選手多いね」とだけ書いときゃよかったようにすら思います。
 第一、この話題でかつての「日ハム田中王国」に触れないってのは自分の中ではありえないんだけど。「田中幸雄」が同チームに二人存在したことなど、うってつけの関連話題だと思うのに文春の記者は野球を知らないのか?

巨人復帰の上原浩治 活躍のカギは「実は乗り気ではなかった」高橋由伸監督との関係(週刊文春)

 同じく疑問を感じたのは上の記事です。今年日本球界に復帰した巨人の上原選手と高橋由伸監督が仲悪いって初めて聞いたんだけど。

上原&由伸監督 軽妙トーク健在 1打席勝負で「去年よりいいスイング」(日刊スポーツ)

 上原選手と由伸監督の関係については2016年と少し古いですが上のような記事も出ており、また過去には東日本大震災の復興支援で協力し合っていることも報じられており、誕生日が完全一致していることといいむしろ非常に仲がいいと言っていいほどの関係だと思います。
 それに由伸監督は記者たちにはやや無愛想ですがチームメイトからは半端なく慕われており、もう一方の上原選手に至っては関西人だからかもしれませんがめちゃくちゃ性格が明るく、ツイッターでダルビッシュ選手にスライダーの握りを教えるよう求めて断られるや「ケチ!」と言い返すなど、チームの垣根を超える交流も多い人物です。よりによってこの二人にカギって関係がぎくしゃくみたいに書くなんて、文春の記者は野球を知らないのかと本気で疑います。第一、記事内容もクソつまらないし。

 最後に少しまじめなことを書くと、このところの文春は何かおかしいというか、記事内容や取り上げる話題を見ていてなんかやや迷走しているような印象を覚えます。具体的には不倫ネタが飽きられてきた辺りからですが、どっち向いているのかわからない記事が増え、また上記の野球ネタのように明らかに実力や知識が足りていないライターに書かせてます。何か内部で起きてるんじゃないかと疑いたくなる水準です。
 ついでに書くと以前は毎月買っていた文藝春秋も最近は買っていません。目次を見ても興味を覚える内容が何もなく、また無駄に値段上げたりしたりしていてとてもあんなものにお金を払う気にはなりません。なんとなく、編集部が硬直し始めてきているのではというのが私の見方です。

2018年3月20日火曜日

スルガ銀行に対する懸念

 先日、2003年に経営破綻した足利銀行の顛末を紹介しましたが、なんでこんな記事を書いたのかというとそろそろこの足利銀行に続く地銀の破綻が見られるかもなと感じたからです。もう見出しを見てわかる通り、自分がこのような懸念を持っているのは静岡県のスルガ銀行です。

スルガ銀行は「かぼちゃの馬車」で何処へ行く!(1)(財経新聞)
ベッキーがCMキャラの『かぼちゃの馬車』 オーナー約700人がトラブルに(@niftyニュース)

 時期にしてちょうど昨年末ごろ、アパートローン問題で静岡県の銀行が特に手広くやっているという話を耳にし、静岡の話だから静岡銀行かなと思っていたら実際にはスルガ銀行でした。そのスルガ銀行について大体先月あたりから報道も増えてきましたが、取りざたされているのは上記リンクの格安シェアハウス「かぼちゃの馬車」を巡るローン問題です。
 詳しくは上記リンク先の記事を読んでもらえればわかりますが、「銀行から金借りてローン組んでサブリースに出せば資産保全+不労収入が得られるよ」と言って、退職金をもらったばかりの高齢者を主なターゲットに、女性向け格安シェアハウス物件「かぼちゃの馬車」を運営管理するスマートデイズ社がスルガ銀行とタッグを組んでた模様です。

 しかし実態は物件のまずさと賃料の低さから回収が見込めるような物件ではなく、スマートデイズ社は新規オーナーにローン組ませて受け取ったアパート建築料を既存オーナーに分配させているという自転車操業だったようで、お金が回んなくなってきた段階でサブリース契約でオーナー側へ支払うこととなっている賃料を一方的に値下げしてきたとのことです。
 こうした手法というか問題は、先ほどは「アパートローン問題」と表現しましたが、「サブリース問題」と表現するべきかもしれません。というのもこうした、資産保全を謳って言葉巧みにアパートを建てさせておきながら、空室など運営がうまく行かなくなってくるや当初契約に反してオーナー受取り賃料を一方的に引き下げるという例はスマートデイズに限るわけじゃないからです。

「テレ東がまた攻めてる」と話題に 「ガイアの夜明け」集団訴訟が相次ぐレオパレス21の社長に直撃取材(キャリコネニュース)

 この辺については昨年、テレビ東京が人気番組「ガイアの夜明け」で、社員に契約に反するサブリース契約料金の強引な引き下げを全社一丸となってやらかしていたレオパレス21に対して突っ込んだ取材を行っています。自分もたまにやるけど、こういうのって「取材の結果」ではなく「取材の過程」を見せることに価値があるよね。

 現実問題としてこうしたサブリース問題は大手、中小を問わずに今盛んに行われていると思われます。しかし普通に考えたって人口減の今の日本でアパート需要が高まるわけはなく、しかも同じようなことする不動産屋が多いせいでこのところのアパート、マンションの乱立ぶりも激しく、普通に考えてアパート運営が軌道に乗るとはとても思えません。
 それでも消費者への注意喚起がまだ不十分なのと、各関係機関の対応が遅れていることから被害者オーナーはは尚も増加中で、多分2020年以降には大きな社会問題と化す可能性もあると私は見ています。この場合、国がどういう対応を取るかに寄りますが、それによっては不動産屋のみなら地銀も共倒れとなる可能性もあるでしょう。

 このサブリース問題で特に根が深いと思うのは、不動産屋と銀行が明らかにタッグを組んでいる点です。スルガ銀行の話に戻りますが、報道によるとスマートデイズは本来ならば融資基準を満たさないオーナー希望者に対し、所得や資産状況の証明書類を偽造してまでスルガ銀行でローンを組ませていたとのことです。スルガ銀行側は資産査定が甘かったと言い訳を述べていますが、どう考えても軌道に乗るとは思えない「かぼちゃの馬車」の事業計画に融資していた点一つとっても、始めから最終的にアパートオーナーの首を絞める自体になることが分かっていながらやっていたのではないかとしか内心思えません。少なくとも、あんな杜撰な事業計画に係る時点で銀行としての資質は疑われても仕方ないでしょう。

目的別ローンラインナップ(スルガ銀行)

 そんな資質を疑いたくなるスルガ銀行について冷凍たこ焼きを絶対に切らすことのない友人から紹介してもらったのが上記リンクです。自動車ローンや教育ローンはまだわかるとしても、カメラ・レンズローンや鉄道模型ローンなど手広くローンコースを用意しているあたり、なんか銀行というよりかはサラ金のようなことやってます。
 なおこの中にはロードバイクローンもあったのでその中身を見てみると、

<ロードバイクローンご利用例>
フレームセット 70万円
カーボンホイール 40万円
大会参加費用(宿泊代等) 5万円
他社ローン借換 35万円
総額費用  150万円

 なんやねんこの金額と、一目見て思いました。プロのレーサーが使用する自転車ですら50~60万円程度と聞くのに、なぜこんな自己満足みたいな無駄に高い自転車で利用例を出すのか。っていうかそもそも「他社ローン借換」って何?ロードレーサーは既に借金してること前提なの?
 こんな具合で経営手法が疑問満点のスルガ銀行ですが、収益率が高いことから(地銀平均0.3%に対し1.42%)、政府からは「将来あるべき地銀の姿」とこのところ褒められているそうです。なんか破綻前のどっかの銀行も同じようなこと言われてたような気がしますが、死亡フラグ?

 現時点で言えることとして、サブリース問題が持ち上がっている「かぼちゃの馬車」は現状、ほぼ不良債権と見てもおかしくないでしょう。その上でこちらは推測となりますが、大抵こういう目立つ不良債権案件を手広くやっている金融機関って、見えないところでもっと大きな爆弾を抱えてるパターンってのが多い気がします。債務者を追い込んででも回収する自信があるなら別に問題ないですが、サブリース問題は空き家問題と並んで近々本格的な社会問題となる可能性があり、政府が被害者対策に乗り出したら果たしてきちんと回収できるかどうかは見ものでしょう。

 スルガ銀行については以上の通りですが、何もここに限らずゼロ金利政策のせいで地銀はどこも屋台事情が苦しく、こんな風にサラ金まがいのことでもしないと国内事業で生きていくことはほぼ不可能でしょう。この辺についても体力に余裕があればまた自分の見解を書きます。

  おまけ
 「かぼちゃの馬車」のCMキャラがあのベッキーだったと聞き、彼女が何か悪いわけじゃないけど、つくづく闇の深い女性だなと思います。なお闇の深さでいえば漫画の「アホガール」に出てくる風紀委員長についてはその底が見えません。

2018年3月19日月曜日

いっかいやすみ(ヽ´ω`)

 このところ仕事が忙しく、疲労度合いも半端じゃないので今日も真面目な記事は書かずにお休みします。本当はスルガ銀とか森友問題とかでこっちももっといろいろ書きたいのですが。

 なおこのブログだけ見ているとさも私が毎日楽しくゲームして遊んで暮らしているように見えますが、ちゃんと先週末も次のJBpress用記事に中国高級車市場の取材、分析、執筆をやっており、執筆中は何度も友人にしつこくチャットで「眠い!ゲームしたい!(´;ω;`)」と送り続けていました。っていうか資料集めから脱稿までああいう記事をよく1日程度でまとめるなと自分で思います。
 さて、3/10に続編が発表された「神獄塔メアリスケルター」でもやるか……。

2018年3月18日日曜日

一部家具に関する所見

 繁忙期で非常に忙しい中、今日はスルガ銀行の件について書こうかと思っていたら、「ユーロファイター・タイフーン」を作るのに6時間以上もかけて、尚且つ「ダンガンロンパV3」もようやくクリアしてクリア後のやり込みイベントでさらに忙しくなったので、パパっとかける日常のほんの些細な幸せネタにします。
 ちなみにダンガンロンパV3はその結末について批判する声が多かったそうですが、自分としてはありだと思うし、「作った連中はプレイヤーを馬鹿にしている」などとは微塵にも感じませんでした。なお声優については石田晴香氏の演技で、「え、こんな下ネタの激しいセリフ口にすんの?しかもめちゃうまいし(;´・ω・)」とか思っていたら、この人元AKB48で、声優やるためにアイドル辞めたと聞いて二重に驚きました。むしろこのゲーム作った連中、あんなセリフを雇っているとはいえ女性声優に言わせること自体セクハラ案件として成立する気がする。

 話は本題ですが、家具の中でその存在すら疑うものとして靴箱があります。というのも靴を密閉した空間に置くと臭いが染みつき、靴箱はおろか靴自体も表面に独特なにおいがこびり付きやすいからです。私がそれほど靴を常備しない(革靴とスニーカーだけ)という事情もありますが、学生時代からこの手の靴箱は一切使わず、百円ショップで買ってくる折り畳みできる足のついた20×10㎝程度のプラスチック台を買ってきて、それを二段、三段と重ね、その台と台の間にいつも靴を入れています。
 これだと上に積み重ねていけるため置き場も省スペース化でき、尚且つ開放式のため臭いがこもることはありません。靴箱に臭いが染みつくと最悪、靴箱の周辺すら臭いが立ち込めることもあり、靴箱を開く度に臭いがまき散らされたりするので、少なくとも扉がなく密閉しない形の靴箱の方が衛生的にはいいんじゃないかと思います。靴の臭いって履いてる時よりむしろ、靴箱に入っている時の方が強まる気がしますし。

 次に布団のシーツですが、密かに思うこととして何故白色が一般的なのでしょうか。普段布団を干してて思うのですが白いシーツやカバーの布団だと外に干していても一向に熱を吸収せず、他の色と比べて乾燥効果が薄いです。基本的に熱を多く吸収出来ればできるほど布団を干す効果は高まること考えると、シーツやカバーに関しては白色を避けるべき、というよりも使うべきではないと思います。
 また睡眠効果について考えても、白だと光を反射するため果たして寝具としてふさわしいか疑問です。むしろ暗い暖色系の方が視覚的にも落ち着きやすいように思え、あまり種類が多くないため選べる範囲が狭いのですが、なるべくそうしたイメージでシーツやカバーを購入しています。

 なおこの形の究極形としては、敷布団はもとより掛け布団も、枕も真っ黒な色に染め上げてしまう形ではないかと思え、もしやれるならやってみようかなと思ってみたものの、さすがに真っ黒のシーツやカバーはどこにも売っていませんでした。っていうか真っ黒なシーツだと、夏場に干してるとちょっとした建物の反射とかでも燃え上がりそうな気もするので、さすがにこの究極形態(アルティメットモード)は避けた方が無難かもしれません。実現できる範囲としては茶色や紺色辺りで、模様については好みでしょうがさすがに単色オンリーだと飽きがすぐ来るのでないよりはあった方がいいかなってところです。

2018年3月15日木曜日

平成史考察~足利銀行の破綻(2003年)

 今週末に締切迫ってるのになんでこのところ毎日ブログ更新しているのかと自分でも疑問です。平日も今繁忙期でめちゃ忙しいし、折角先週末にタイフーン買ったのに作る暇もないし。

足利銀行(Wikipedia)

 そんなわけで今日書くのはもう15年前、まだ松坂選手が現役でバリバリ投げていたころに起こった日本金融史に残る足利銀行の破綻事件を振り返ろうと思います。

 足利銀行とはその名からわかる通りに栃木県を本拠に北関東を中心に営業している銀行です。設立は日清戦争中の1895年で、戦前までは投資に当たっては非常に慎重であり、また「逃げの足利」と言われるほど債権回収が早かったことから、昭和の金融恐慌時も被害を最小限に抑え安定した経営を保ってきていたそうです。
 ただそんな足利銀行の頭取はというと、設立当初から代々日銀などの中央系銀行から頭取を迎えており、「いつか生え抜きで頭取を出したい」という意識は行内でも持たれていたそうです。その念願がかなってか、元陸士卒で終戦時に大尉であった向江久夫が戦後パージを受けて足利銀行に入行し、頭角を現していったところ、1978年に彼が56歳の時に初の生え抜きとして頭取へと昇進しました。そしてそのまま、1997年に至るまで実に19年もワンマン経営者として在任し、足利銀行の破綻における中心人物として果たすこととなります。

 足利銀行が経営破綻した理由はご多分に漏れずバブル期の放漫経営と投資先の不良債権化で、特に北関東はゴルフ場開発も盛んだったことからこの方面への巨額投資に手を染め、最終的に足をすくわれることとなります。バブル崩壊以前まではこちらもご多分に漏れず積極的な投資に手を染めており、東京都内にも支店を構えて収益率は地銀としてはぶっちぎりだったことから「地銀の雄」と持て囃されていました。
 しかしバブル崩壊以降に投資先の破綻や不良債権化が相次ぎ、経営基盤はどんどんと揺らいでいきます。もちろん当時は他の銀行も多かれ少なかれ同じような状況であったものの、足利銀行が一味違ったのはもはやお馴染みの粉飾で、実質的に破綻している融資先企業に融資枠を用意してさも財政状態が優良であるかに見せつつ、その破綻先の手形を他行に受けつけさせるなど毒をばらまいてたりしました。

 こうして内部に大きな問題を抱えながら経営を続けていた足利銀行ですが、2003年10月に何故かといったらやや失礼かもしれませんが、夕刊フジが他に先駆け「破綻への懸念から政府が国有化を検討」という第一報を報じました。ただ夕刊フジなだけあってか当時は誰も信じなかったものの、翌月にウォール・ストリート・ジャーナルが公的資金注入の可能性を報じると一気に市場の目を集め始めます。
 実際にはこの時点で「金融再生プログラム」を掲げる竹中平蔵大臣(当時)の指揮の下で金融庁が検査を行っており、実際にどう処理するかについて政府が内々に検討していました。そして報道の通りに金融庁は足利銀行とその監査法人に対し粉飾会計を認定し、繰り延べ税金資産の計上の無効を通知して、これにより最近までの東芝のように債務超過が確定します。その上で政府は預金法に基づく足利銀行の国有化を決め、ここに至って足利銀行は名実ともに破綻が決まります。

 その後、粉飾に関わった足利銀行の元幹部や監査法人への訴追と並行して不良債権処理が進められ、財務体質の一程度の改善が行われた後でスポンサーを募ったところ野村ホールディングスグループが入札を制し、ここで足利銀行は国有化から離脱して、一部制限は残っていたものの一般の民間銀行として返り咲くこととなりました。

 この足利銀行の破綻はそれ自体よりも周辺への影響の方が大きかったのではと個人的に見ています。というのも先ほど書いたように竹中大臣が当時進めていた不良債権処理政策の嚆矢ともいうべき措置であったばかりか、この事件前後から企業や金融機関の内部統制を米国流に厳格化されていき、時期からいってその後のJ-SOX法設立にも影響したと考えられます。
 なお足利銀行の監査人であり、当時業界最大手の中央青山監査法人は、この事件だけではないですが諸々の会計不正に所属する会計士自身が不正手段を指導していたことが明るみとなったことで業務停止命令を受け、その後の解散へと追いやられています。この際に会計士をクライアントごと吸収した新日本有限責任監査法人が代わりに最大手へとのし上がり、日本の会計業界史においても足利銀行の破綻は非常に大きな事件であったといえます。

 破綻した足利銀行の国有化(=特別危機管理銀行指定)に当たっては預金保険法102条一項三号、いわゆる「第三号措置」が適用されていますが、これは足利銀行が破綻する前の2001年に金融安定化と、いざという時の混乱回避を目的として設置された法案でした。現時点までに同措置が適用されたのは足利銀行以外にはありません。
 このところ私が日々日本のニュースを見ていると、「足利銀行以来かな……」という言葉がよく浮かんできます。だからこそ今日こうしてこんな記事を書いたのであり、ある意味今日の記事は前フリといえます。もう少しこうした足利銀行と絡めた報道などないのかなとみているのですがあんまなく、そういう意味では今を分析する上でも意味のない内容ではないと思って書いてみました。

 なお、今回の記事を書くに当たっては当時の状況を一から調べ直しています。破綻当時の私は京都で日々峠を攻めていて(自転車で)、社会や経済への関心は周囲と比べて強かったものの所詮は学生レベルであったことからあまりこの事件について記憶していた内容はほとんどありませんでした。
 ただ最近思いますが、どうせ社会人になって企業に勤めればこうした実社会や産業への感覚や知識は自然と備わってくるものなので、学生のうちは社会人になってしまっては得られない感覚や知識、具体的には文化や思想をしっかり学ぶのに集中した方がベターである気がします。変に背伸びして実社会に関する感覚を身に着けようとしてその方面が疎かになるのは非常にもったいない限りです。

 そんなこと言いながら、今ひたすら一向一揆について調べている自分の姿を見るとなんかいろいろおかしい気がします。気分はもう南無阿弥陀仏って感じだし。

2018年3月14日水曜日

必要性の感じられない佐川氏の証人喚問

佐川氏、来週にも証人喚問へ 森友文書改ざん問題(朝日新聞)

 疲労で左目が見えにくくなっているので結論から書きますが、今度の佐川氏の証人喚問に意味があるのか疑問です。というのもすでに先に行われている佐川氏の国会での答弁は嘘満載の何も実態に基づかないものであったことがその後の検証によって既に明らかとなっており、また責任を擦り付けようとしている麻生財務大臣の「(改竄は)すべて佐川がやったこと」という発言もあることから、いまさら国会に呼んで発言させたところで得るものは何もないと思います。それこそまた実態にそぐわぬ虚偽答弁をするだけに終わるでしょう。

 もし彼の口からこの森友問題について有意義な証言が得られるとしたら、それは恐らく国会内で発言される内容ではないでしょう。先の答弁にてすでに彼が職務に反して偽証を行ったことは諸々の検証で明らかとなっており、今後の状況にもよりますが特捜に逮捕、起訴される可能性は十分に高いように思え、それに対して佐川氏がどう思い、どう反応するかです。国会での偽証事実は既に確定済みであることから、次の証人喚問で仮に再び偽証を行うことに躊躇があるかと言ったら多分ない気がします。

 ではこの問題で次はどうすべきかですが、やはり安倍昭恵夫人、もしくは近畿財務局に直接連絡を取った元昭恵夫人付き秘書の谷査恵子氏を証人喚問するのが筋だと思います。そもそもこの森友学園問題は安倍昭恵夫人が絡んだところからすべて始まっており、今回の改竄文書でも彼女の名前が消されたことからも無関係と言い張るのは小泉元首相じゃないですが「呆れた判断だ」と言いたくなります。なればこそ発端のキーマンを呼ぶべきで、谷氏も折角栄転したのだからその分の務めをここで果たすべきではないのか私には思えます。

 野党はどうも佐川氏の証人喚問に応じるつもりのようですが、仮に私であれば絶対に応じず、上記二名のどちらか以外は絶対に受け入れることはしません。もちろん佐川氏も呼ばないよりは呼んだ方がまだマシですが、今回の改竄文書といいここまで材料が揃ったのだからそろそろ本命にご出演いただくべきでしょう。

 さて、以上までの文章で多分勘のいい人は私がこの記事で本当に言いたいことを読み取ったのではないかと思いますが、先ほどの報道で今回の改竄について近畿財務局の人間だけでなく、本省の人間も十数人把握していたという事実が報じられました。この情報がこの段階で出回るということは政府はそっちの咆哮に勧めるのだろうなと思うし実際にそれに同調するメディアやコメンテーターもいるわけですが、本当は誰がこの問題行為を指示したのかはやはり上記の動きを見ればわかってくるのではないでしょうか。この辺やはっぱり週刊誌に期待するべきかもしれません。

2018年3月13日火曜日

広報の実力で測る企業のリスク管理体制

 知ってる人もいるでしょうが右サイドバーに置いてある「最新のコメント」がなんか昨日あたりから表示されなくなりました。サードパーティのフィード使ってて、先ほど調べたらそこのサイトにアクセスできなかったためそこのサーバーに何か問題があるせいかもしれませんが、ひとまずしばらくは静観して、改善が見込めなければ対策を取ります。

横浜DeNA大和に聞く「阪神攻略法をナインに聞かれたらどう答えますか?」(THE PAGE)

 さて上の記事は今年阪神から横浜に移籍した大和選手のインタビュー記事ですが、この記事見出しを見た際に私の頭には、「阪神の倒し方?俺はもう知ってますよ」という言葉がよぎりました。もちろん大和選手はそんなこと一言も言ってないのですが、この言葉がどうして浮かんできたのかというと以下のニュースをその前に見ていたことが原因でしょう。

「任天堂の倒し方、知ってますよ」騒動の真相は…グリー田中社長の胸の内(産経新聞)

 知っている人には早いですが、かつてのガラケー全盛時代に携帯ゲームで一世を風靡したグリーという会社がその絶頂期にあった数年前、面接に来た求職者に対してグリー社員が、「任天堂の倒し方、知らないでしょ?オレらはもう知ってますよ」という言葉を口にしたという噂が流れました。当時、任天堂はやや落ち込み気味であったのに対しグリーと同じ携帯ゲーム事業で勢いのあったDeNA(多分、大和選手がここに移籍したから浮かんだんだろう)は家庭用ゲーム機を尻目に業績を伸ばしており、どこか慢心めいた上記の言葉も「いかにも言いそうだなぁ」と恐らく私以外の人も受け取ったのではないかと思います。

 この発言についてつい最近、任天堂ゲーム機へのゲームソフト供給を発表したグリーの社長が「根も葉もない噂で事実ではない」と、実に数年越しでようやく否定をしたのが上記のリンク記事内容です。何故これまで一切否定してこなかったのかという理由についてこの社長は、「事実ではなく根拠もないのだから否定するまでもなく放っておけばいい」と考えたためだったと話し、その上で任天堂に対してはかねてから敬意を持っていたとヨイショをしています。
 ただ私個人の推測で言わせてもらうと、多分この発言は本当にあったのではないかという気がしてなりません。当時のグリーとDeNAの勢いは本当にすさまじく、何も任天堂の名前が出なくても家庭用ゲームはもうオワコンでこれからは携帯ゲームだという発言はあちこちで聞かれ、傍目にもその慢心ぶりは目に余っていました。また社長は任天堂には敬意を持っていたと言いはするものの、この噂のもう一方の当事者はほかならぬ任天堂であり、敬意を持つ相手だというのならなおさらこんな失礼極まりない発言内容をこれまで否定しなかったのかと思え、やや腑に落ちません。

 もっともこうした議論は水掛け論になりますし今更どうこう言うのも意味ないと思うのですが、このグリーという会社と上記の噂を見ていてかねがね、「そう長くはない会社だろう」と密かに見ていました。その根拠というのも私の経験則から言って、広報が未熟な会社はほぼ確実にガバナンスが弱く、リスク管理が甘いという特徴を持つ傾向があるからです。

 それほど自慢できるほどやっていたわけではありませんが記者時代にはしょっちゅうあちこちの企業へ私は電話取材をかけており(今もたまに)、その際にはやはり各会社で広報担当者の優劣がはっきり出ました。大企業であればしっかりしているというわけではなく、どちらかというと企業の存続年数にその実力は比例する所があり、たとえば三井や三菱グループといった財閥系だとどこも安定感が抜群で且つ記者が聞こうとする情報を確実かつ丁寧に説明してくれることが多かったです。
 その真逆とも言えるのがIT系企業で、メディア各社へ配信するプレスリリース文からして意味不明な暗号文となることが多いこともさることながら、電話で話を聞いてもこっちの取材意図もきちんと把握しなければ説明も業界専門用語をためらわずに口にするなど意味不明で、あと単純にチャラい奴も多かったです。唯一の例外は何気にDeNAで、比較的複雑な内容を穏やかな口調で且つ丁寧に説明する広報担当者がおり、「携帯ゲーム事業は駄目になるかもしれないがこの会社は今後も残っていくだろう」と直感的に感じました。

 話は戻りますがこうした広報担当者の実力、というか慎重さや危機回避能力は文字通り企業のリスク回避能力に直結しており、むしろ企業のリスク回避能力がどれだけあるのかによって広報担当者の実力も変わってくるように思います。先ほどのグリーの噂の件も、普通の感覚をした企業であればイメージダウンにつながりかねない内容なだけにすぐさま「そのような発言の事実はありません」と発信すべき内容なのですが、実に数年間に渡って彼らは完全に放置してきました。さすがに今回グリー社長もこの点については反省しているとの弁を述べていますが、どうせやるんだったら任天堂へのゲームソフト供給発表時に一緒に出した方がより払拭できたと思え、やはりこの会社は未だに広報のレベルというか感覚が鈍い気がします。

 何もこのグリー以外にも広報ミスで失敗した会社は数知れず、障碍者差別とも受け取られた東横インの社長会見や「おごり高ぶり言語道断」という未だに使われるフレーズを生み出したトンボ鉛筆などありますが、やはりこうした広報のレベルが低い会社はイメージ戦略の拙さもさることながら、企業内ガバナンスや将来事業への対応などと言ったリスク管理方面でも拙いという傾向がある気がします。さきほどのグリーとDeNAの現在を比較しても見えるものがあるし、そのほか私が取材した会社を見ていても、広報の弱い会社は業務拡大といった攻めの経営にこそ強いものの、業務縮小や再編といった守りの経営に入ると急激に弱くなる所が多かったです。
 こうなるのはどちらかと言えば、「ワンマン経営者の新興企業」という要因の方が主であり、広報の拙さはそれに付随する特徴だとみるべきかもしれませんが、企業が今後も安定的に成長を続けるかどうか、降りかかるリスクに機敏に対応できるかは、広報の姿勢や発信ぶりを見ればある程度は見極めるということを一つのテクニックとして紹介しておこうと思いました。

2018年3月11日日曜日

日本の転職で一致が要求される三条件

 先週日本へ一時帰国した際に会った友人がIT業界関係者ということもあって、ちょうどこの方面について取材している最中だったことからあれこれ話を聞いてきました。昨日書いたコメントで少しその時の話を書いていますが、最近システム発注側の企業におけるシステム管理者の質が極端に落ちており、仕様書やマニュアルに書いてあったりすぐ考えればわかるような内容ですら受注側にいちいち聞いてくることが増えたと話していました。

「35歳限界説」の定説希薄に 転職成功者の年齢、10年前より3歳上昇(SankeiBiz)

 そうした話をしていたところラブストーリーは突然にというくらいに急に転職市場の話となり、ちょうど出たばかりの上のニュースについて互いに言及し合いました。このニュース記事内容の真偽について確認したところ確かに以前と比べて年齢に関するくくりというか仕切りは日本の転職市場で薄くなってきていると友人が話し、その後出てきた「そもそも何故年齢でくくるのか?」という論点について二人とも即座に、「終身雇用制により年齢と給与がセットで結びつけられているからだ」という解を出しました。
 自分から意見はあまり出すことはないけど基本優秀な友人なので、かなり久しぶりなくらいハイテンポな会話をこの日は楽しめました。

 話は戻り先ほどの解を導き出した後で咄嗟に私は、「そもそも、日本の転職市場は条件が多いというより、条件すべての一致が求められるのでは?」と言って、「それはあるな」とまた即座に友人も私の言いたいことを理解していました。ぶっちゃけ理解速度や反応速度でいえば私よりこの友人の方が上でしょう。
 ここで私が言おうとしたこととは、日本の転職市場では雇用側は求職者に対して概ね三つの条件の一致を求める傾向があるということです。その三つの条件とは、経歴、年齢、給与の三つで、このうち経歴に関しては学歴、職歴、業務年数、役職経歴、勤続年数諸々を含みます。何が言いたいのかというと、日系企業はこの三つの条件を個別に審査するのではなく、三つの条件が各段階で全部一致するよう求めてくる傾向があるということです。

 例を挙げて説明すると、ある会社で課長級のポストが空いて募集することとなったとします。その会社における他部署の課長は40歳前後で且つ年収は500万円だったとすると、恐らく募集要項としては「40歳までの管理職経験のある人、年棒500万円」となるでしょう。
 この募集に対し、年棒は500万円でいいという45歳の管理職経験のある人が応募してきたら「ちょっと年齢が……」と言って落とし、一方40歳で且つ管理職経験はあるけど年棒は600万円欲しいという人が応募してきたら「ちょっと給与が……」と言って落とし、35歳で管理職経験はないけど年棒は400万円でいいという人が応募してきたら、「ちょっと経歴が……」と言って落としてくるのではないかと私は思え、友人も「年齢に関しては条件が緩くなりつつあるけど多分そうなる」と同意しました。

 逆にと言っては何ですが、30歳で果てしなく高い能力を持ちながら実績もあり、年棒も400万円でいいという人が上記の会社に応募したとしても、まず間違いなく「ちょっと年齢が……」と言って確実に落とされるでしょう。また仮にその高い実績を見込んで採用される場合も課長ではなく平社員として採用され、中間管理職でこそ発揮される彼の高いスキルは発揮されないでしょう。自分で書いてて非常におかしなこと書いている気がしますが、真面目にこうした現況を日系企業で目にすることが多いです。

 何故こうしたことが起きるのかというと、まず第一に採用段階で日系企業は「能力」については何も要求もしなければ審査もせず、見る点としては業務経験など経歴だけだからです。もっともこれは初対面の相手の能力を測るのは難しい点もあり、いくらか仕方のない点ではあると私も考えます。
 次の第二の問題点ですが、日系企業では給与と経歴(ポスト)と年齢がほぼ完全に紐づいており、どれか一つでも一致しなければ不適合者として取り扱う傾向があると私は見ています。先ほどの例の「40歳前後で課長で年棒は約500万円」のように、各会社で基準は異なりますがこうした三条件が相互に一致し合ってなければ、担当業務を出来る出来ないかに関わらず転職応募者を採用しない傾向があるように見えます。

 恐らく上記の私の主張を日本人は潜在的には意識しながら表層的には意識していない気がします。「年齢を基準とした雇用体制」という点については理解しながらも、その年齢に給与とポストが紐づいていて転職市場においては逸脱は決して許さないという事実については気が付いてないのではないかと思います。
 しかし結論から言うと、こうした日本の転職市場における慣習はほとんどメリットがないのに対してデメリットは盛りだくさんです。

デメリット1、優秀な人材の流出
 先ほどの例でも出ましたが、どれだけ能力が高く実績がある人物であっても年齢によって「まだ若いから管理職はダメ」と言って蹴られることがあります。これは三条件一致に反するということもありますが、それ以上に自分より年齢の低い人間の部下にはなりたくないという心情的理由もあります。
 また管理職でなくても、年齢に対して求める給与が高くてもまず弾かれるでしょう。スペック的にはその求める高い給与に見合うとしても「こんな若造に……」といったり、他の同年齢の従業員と差ができてしまうなどを気にして採用することはまずないでしょう。その結果、野心ある能力の高い人材はどうするかというと、やはりこの方面で融通が利く外資系とか外国へと行くことになるのではないでしょうか。

デメリット2、問題ある人材をゲット!
 多分この点については日本人は誰も気が付いてないと思いますが、上記の三条件が完全に一致する人材は果たしてその企業が求める人材なのでしょうか。はっきり言えばその可能性は高いか低いかでいえば低いように私は思え、というのも、経歴と年齢と給与の三条件がきちんと備わっていて且つ能力の高い人物が果たして転職などするでしょうか。普通に考えて、そんな日本社会において非常に好ましい条件にある人物はわざわざ転職などせずに、元々いる会社で順調に出世しながら働き続けるように私は思います。
 中には人間関係や出世競争、家庭の事情や給与アップ等の理由からそういう人であっても転職せざるを得ない人もいるでしょうが、能力を度外視するとして、経歴と年齢と給与の三条件が一致しながら転職しようとする人物というのは、何か他のところで問題を抱えているから会社を離れざるを得ない人物であることが少なからずある気がします。実際に私も、目も眩む大企業でそこそこのポストで働いていたという上記三条件の一致する転職者を見ましたが、「前の会社にいられなくなったから転職してきたんだな」という感想を覚えました。

 最後に何故こういう雇用、非雇用側のどっちも得しない悲しい出来事が起こるのかという原因について述べると、まず給与が能力ではなく年齢に結びついていること、次に各年齢ごとに給与テーブルが定まっていてそこからの逸脱が許されないのと、上司と部下の関係に年齢の逆転を認めないという慣行が日系企業にあるためだと思います。
 ある意味ここで書いた内容に気が付いたのは、中国の雇用慣行に私が慣れてきたからでしょう。中国の場合は初任給の時点でも企業や業務内容によって大きく差が出て、また転職市場も年齢が若い方が有利というのは事実ながら、年齢が高くても一営業プレイヤーとして優秀であれば若い管理職の人間の下でも生き生きと働く人もおり、また給与も職階や年齢に関係なくまちまちです。でどっちかといえば、そりゃ中国の雇用慣行の方が合理的だろうなというのが私の結論です。

2018年3月10日土曜日

千葉のマッドシティ~閉じゆく松戸伊勢丹……


 先週末に日本へ一時帰国した際、今月21日(水)に閉店する予定となっている松戸伊勢丹にも足を運んできました。シャレ抜きでこの松戸伊勢丹は自分が物心ついたころからこの場所に存在し、うちのおとんとおかんにもつれられてきては迷子になった因縁の地でもあります。
 もっとも私が本格的にここを利用するようになったのは成人してからで、新聞社辞めて日本に一旦帰国していた際は松戸駅前に住み、よく会社帰りの夕食や買い物、そして休日のショッピングなどでよく使うようになりました。


 特にここで購入していたもので多かったのは密かに趣味としている陶器の購入で、今回も中国からナップザック一つで一時帰国するという軽装ながら、閉店セールで安かったということもあるので上の二品を購入してきました。左の茶碗はこのサイズのものを上海で持っていなかったこともあり、大口でお茶をガバーって飲むのに早速大活躍しています。右のマグカップは飲み口の色合いもさることながら、スプーンなどで叩いた際の「キーン」という音が素晴らしくきれいで、こんないいものをどちらも各1200円で買ってしまっていいものかといろいろ悩むくらいの出来栄えです。

 このほか今回松戸伊勢丹では3000円のベルト、あと意外に中国だとなかなかいいものに巡り合えない肌着を購入しましたが、さすがに閉店セールの日曜日とあって来客は多く、最後とはいえ賑わっている松戸伊勢丹を見て少しうれしかったです。
 正直に言って、この閉店セールが始まるまでの松戸伊勢丹はお世辞にも流行ってたわけでなく、土日に来ても地下一階の総菜コーナー、そして上の階にあるジュンク堂書店以外は閑散としており、撤退の方を聞いても経営判断的には当然だろうと私も思いました。何気に知人も、「あまりにも客少ないから、松戸伊勢丹の存在自体が伊勢丹のブランドを落としている」と割とひでぇことまで言ってました(´;ω;`)ウッ…

 しかしこれまで松戸の中心且つ象徴、そして松戸駅前からはやや歩くけど松戸ハローワークの隣という妙な立地にあったこの店がなくなるということは、私自身としてはそれなりにショックなものです。なお一部報道でもあるように伊勢丹周辺、具体的には松戸駅から伊勢丹に至るまでの通りは近年整備されてきており、非常にこぎれいな店が集まるなど歩いててそれなりに楽しく思える通りになっています。カレー屋のおじさんによると、「あそこが松戸市内で一番地価が高い」そうです。

 松戸伊勢丹の閉店後はどうなるのか滞在中に顔見知りの地元商工関係者に話を聞きましたが、以前はドン・キホーテが来るという噂があったもののそれはなくなり、はっきり言って未知数だと答える人が多かったです。ただ先ほどのカレー屋のおじさんによると、「東武が来るという噂がある」とのことで、また来るとしても建物の全フロアではなく一部だけを使用するに留まるという観測を教えてくれました。その上で他の階には別のテナントが入るのではとも予想しています。
 ただ閉店後にすぐに入居するわけではなく、建物は閉店から六ヶ月かけてあれこれ工事しなおすそうです。主に耐震補強工事がメインとなるそうで、フロア数を減らすかどうかも含めて具体的なことはまだ誰も知っていませんでした。

松戸北部市場開発プロジェクト開始について(住友商事)

 こうしていなくなるお店がある一方、上記リリースの通り住友商事が新たなショッピングモールを作る計画を昨年打ち出し、ついに映画館がまた松戸市にまたできそうです。
 ただ建設予定地の八ヶ崎って最寄り駅(馬橋駅)から結構離れている上に激しい坂道のある所なんだけど、その辺問題ないのかな。なお日本にいた頃の私はこの辺りを、「激しい坂道のアップダウンを如何に軽快且つ豪快に走るか」というテーマで公道最速理論(自転車版)をよく構築していました。

 話は戻りますが、松戸市の地元商工関係者もこのショッピングモールの話を切り出すことが多く、「いい方向に変わればいいんだけど」等と話していました。というのも松戸市周辺の吉川市、三郷市、流山市などには2000年代後半から大型ショッピングモールが次々と出来て人口が移動していく中、松戸市だけはそうした施設が出来ずにギリギリな伊勢丹だけしかなかったからです。で以って人口も減り続けており、尚且つ高齢化も激しいことから、「この際人口は無理に増えなくていいから、若い世帯の割合が増えてほしい」と話す人もいました。

「松戸手当」って何?  保育士への待遇がTwitterで評判(ハフィントンポスト)
松戸市の保育士確保に関する取組み(松戸市)

 行政側も若い世帯の人口割合を増やそうとしているのか、つい先月に全国ニュースにもなった上記の「松戸手当」というややダサさ感じさせるネーミングの保育士手当を打ち出しました。この政策に対する世間の評判は悪くなく、上のハフィントンポストをはじめ好意的に報じるメディアも多く、私と松戸市出身の冷凍たこやき好きの友人もニュースが出るや、「松戸が動き出したぞ( ・∀・)ノ」と互いに興奮気味に語り合ったほどです。
 この制度についてもすこし地元の人と話しましたが、あくまで伝聞ベースですが実は松戸市は現在待機児童がゼロで、むしろ保育所のキャパが余っている状態だそうです。この制度も保育士の流出阻止という面もありますがそれ以上に、「子育てにやさしい街」としてアピールして若い世帯の転入を促すという目的の方が強いと伺いました。もちろんそうした目的であっても、全国ニュースで出たくらいなのだからその効果はばっちりだと私も思います。

 ……なんだか途中から伊勢丹の話が消え失せましたが、散々マッドシティネタで記事書いてきたものの今回の一時帰国を経て、「俺って松戸市のこと好きだったのかな……」と初めて思いました。ぶっちゃけそれまで変に過去の記憶だけは十分にある街という印象だったのですが、今回の伊勢丹撤退を受け自分が思っている以上にショックを受けており、「この痛みは何なんだ……」的に松戸に対する感情に気が付きました。
 仮に私が将来隠棲するとしたら第一候補は奈良県奈良市であることに変わりはありませんが、もし関東に拠点を置くとしたらやっぱりこの松戸市になるのかなと思います。何気に今まで明言してきませんでしたが実はそもそも生まれ育ったのは松戸市ではなく隣の流山市だったりしますが、あんまここには愛着がないというか、市民会館へ行くまでの幅広な上り坂以外は魅力のない街だと内心考えています。そもそも地元縁自体ほとんどないし。

 逆に松戸市は、実際住んだのは約半年程度であったもののその間に今回話を聞いた地元商工関係者やインド人とかロシア人などと顔見知りがたくさんできたこともあり、今は非常に愛着を感じています。なお今回の一時帰国では松戸駅前の漫画喫茶に一泊、二日目は北松戸駅前のルートインに泊まりましたが、ここのルートインは駅前ながら閑静でかつ部屋の設備も整ってて非常に気に入ったのでまた使おうかと考えています。唯一残念というか心残りだったのは、北松戸駅前の洋菓子店で悩んだ挙句「ひなまつりショートケーキ」ではなく普通の「ショートケーキ」を買って食べたことで、やっぱりひなまつりショートを食べれば良かったなと今でも後悔しています。

2018年3月9日金曜日

急転直下の森友文書問題について

 昨夜酔っぱらったまま、「この問題をうやむやにするには最低二人の生贄が必要」みたいなこと書いてたら、既に一昨日の時点で一人出ていたという報道が出てちょっとびっくりしました。もっともまだ一人足りないのですが。

佐川国税庁長官が辞任 森友疑惑でキーマン自殺「数日前に姿見たのに…」財務省に激震 安倍政権崩壊も(週刊朝日)

 果たしてそのもう一人の生贄となるのか未知数ですが、かねてよりこの森友問題の交渉や決裁過程について国会で証言し、その矛盾が指摘されていた佐川国税庁長官が今日突然辞任となりました。この件について上の週刊朝日の記事が過程などを非常によくまとめているように思えるのでリンクしましたが、やはり本体の朝日新聞がそもそものスクープを拾ってきただけによく書けてます。
 辞任理由として佐川氏自身は混乱を引き起こした決裁自体が理由と述べていますが、それもある意味正しいものの、実際には更迭というか口封じでしょう。そもそも彼の国税庁長官への昇進自体、国会での証人喚問で政権に有利となるよう口をつぐんだことへの政権からの見返りとしか思えず、その忠誠心を買われて今回も尻尾切りにあったとみるべきでしょう。

 なんか一部ネットでは今回の件も朝日新聞の捏造だと言っている連中も見られますが、そうした発言は自らの愚かさをただ明らかにしているだけでしょう。というのも佐川氏は国会で森友学園との土地売却協議において価格交渉は行っていないと発言したにもかかわらず、その後はっきりと値段に言及する交渉を録音した音声が出ており、この時点で偽証罪は成立します。またそれ以外の発言も子供でも分かるくらいに大いに矛盾があり、にもかかわらずその直後に国税庁長官に栄転となったのは政府の意向に沿ったからという理由以外に考えられず、逆を言えば、政府としては口をつぐんでもらう必要性があったことを間接的に証明しています。
 では何故政府としては口をつぐんで闇に葬ってもらいたかったのかと言えば、やっぱり私としては安倍政権もしくは安倍昭恵夫人が公権力を使って必要なプロセスを捻じ曲げていたからとしか思えず、文書改竄を巡る議論を見ていてもその必死さからみてそうだったのだろうと推測しています。アッキード事件とは言ったものですが、後世にそのようにして語り継がれるかもしれません

 一連の朝日の報道に昨日夕方から今朝にかけて毎日新聞も追っかけ報道を行っており、具体的には改竄によって具体的にどの項目が削除されたのかについて報じ、朝日も足並みをそろえるようにこうした点について言及するようになりました。
 なお一部の人間が朝日が改竄が行われたという証拠を出さないことだけをみて今回の疑惑は捏造だと主張していますが、私の推測で述べると、朝日としては財務省が「決裁文書はただ一つで、複数存在することはない」とはっきりと主張したところで、「それは事実と異なる」といって出すつもりなのではないかと考えています。逆を言えばその前に複数の文書を公開してしまうと、あとで適当な理由を付けてうやむやにされる恐れがあるからで、そうした可能性を考えると現在の朝日の対応は理に適っているように見えます。

財務省、自民党に決裁後の文書書き換えを否定 朝日「契約当時の文書」の行方は(産経新聞)

 その一部の人間と呼べるのが上の産経新聞で、ぶっちゃけあり得ない妄想をして、毎日とは対照的に朝日の報道は眉唾だと書いてて、「よくこんな記事を平気で出せるな」とある意味その勇気に感心しました。読んでもらえばわかりますが、何かしら裏付け取材をした後が全く見えず、非常に機微な問題にもかかわらずインタビュー相手の主張をそのまま垂れ流しているだけです。政権よりの主張をするのは別に勝手ですが、事実と虚実のどちらが大事なのか、真実の裏付け作業をどう考えているのかと疑問に感じる記事です。

 昨日にもすこし書きましたが、言っては何ですが当初この問題は国有資産の不適当な売却プロセスに過ぎず、それほど大した問題ではありませんでした。しかしその後の不適切な開示と隠蔽過程、あらゆる捜査への抵抗、そしてそうした工作への政権の関与を考えると、公権力の横領という巨大な問題にまで政権自ら発展せしめたと思うところがあります。仮に最初の問題発覚時に即座に不適切な売却プロセスがあったことを認め持ってる資料を全部公開していたら、ここまで大ごとにはならなかったでしょう。ましてや資料を改竄するなど正気の沙汰とは思えません。

 言い過ぎと感じる人がいることを承知で言えば、これだけのことをしでかしたのだから最低でも財務大臣の辞任、場合によっては内閣総辞職も仕方がないと私は考えています。逆にそれくらいの責任を取らなければ未来に悪影響を残す前例となりかねず、折角一人死んでくれたんだから生きている人間も頑張って責任を取るべきでしょう。

2018年3月8日木曜日

森友文書問題について

 友人と酒飲んでフラフラなのですぐ終わる政治記事として、今ホットな森友文書問題について見解を書きます。

 概要については説明を省きますが、何らかの回答をするとか言いながら財務省は今日、元々公開済みのコピーしか出してきませんでした。それでいて文書の書き換えはなかったとは明言せず、また朝日新聞が指摘する別の文書があることについてもダンマリしたままです。この状況、つまり朝日の指摘をこれほどまでに否定できないということは、現実に別文書は存在すると考えてほぼ間違いないでしょう。
 その上で、財務省が否定しようとしないのと、朝日新聞の報道姿勢から見て、恐らく朝日は改ざんが行われたという確実な証拠も既に握っているのではないかとも思えます。だからこそ財務省も知らぬ存ぜぬができず、もはや時間稼ぎとしか見えない無意味な引き延ばしで国会を空転させているのでしょうし、朝日側も報道の仕方には含みが感じられます。現時点でも十分なレベルですが、また大したスクープを拾ったものだと今回の朝日の報道には非常に感心します。

 今後に関してですが、もう文書の書き換えの有無はもう勝負ありだと思うので、これから議論すべきは誰が書き換えを指示し、誰がそれを実行し、誰がそれを隠蔽しようとしているのかの犯人捜しだと思います。私自身、最低でも二人くらい首を吊ってもらわないと私自身到底納得できません。
 恐らく財務省もそれが分かっているからこそ頑なに口をつぐんでいるのだと思います。内容や指示系統によっては野党が言っているように内閣総辞職もあり得るほどの問題行動なだけに、省内の人間が処分されることは免れようがありません。官僚が必死になるのは身内を庇う時だと私は考えていますが、まさに今回がその時なのでしょう。

 もう一つの議論としては、今挙げた指示系統です。果たして、この書き換えは財務省が忖度して自ら行ったのか、それとも官邸が指示して行われたのかで、後者だった場合は最悪内閣総辞職、指定でも麻生財務大臣は責任を取って辞めるべきだと私は考えます。後世の歴史にも影響を及ぼす重要な記録証拠であり、また権力の暴走抑止においても公文書の書き換えは決して許してはならず、なぁなぁで済ませては絶対にならない問題です。真面目に関わった人間は見せしめとして死刑にかけても惜しくないと思える行為でなだけに、相応の人物が責任を取るべきでしょう。

 最後にこれは邪推ですが、仮に財務省が忖度して自ら書き換えを行ったとすると、何故忖度を行ったのかを考える必要があります。結論から言えば、それほどまでに安倍昭恵夫人がこの森友問題にコミットしていたと思わせられる状況であり、案外韓国の朴槿恵前大統領の事件を笑えない内容だったのかもしれません。
 それだけに、普段から朝日を公然と批判する安倍首相に、公権力の暴走抑止の観点から見て今回の朝日の報道についてどう思うか聞いてみたいものです。野党もそういうこと聞いてくれれば頼もしいし、「読売新聞熟読してもわからないんだけど」などと皮肉の一つでも言ってほしいものです。

2018年3月6日火曜日

クソ映画ハンター

 先日の日本帰国の際に大学時代の友人と久々に再会してきたのですが、再会するなり私はこんなことを言いました。

花園「中国にいるときも君のことをよう思い出しとった。クソ映画が好きやったなーって」
友人「ふっ、『進撃の巨人』もちゃんと見たで。映画館でな+.(-ω-´)」

 何故か知りませんが、この友人は昔から「クソだ」と言われている映画ほどやたら見ようとする傾向があり、映画「ファイナルファンタジー」と「デビルマン」の両方を見た人間は私の周りだと彼以外いません。特に前者に至っては、奈良のド田舎(橿原市)出身の癖にきちんと映画館で見たというほどの強者でした。
 今回会ったのはかなり久しぶりでしたが、上記の「進撃の巨人」を見たという事実からもそのクソ映画好きは未だに変わりないようでした。ちなみに「デビルマン」は私が「クソらしいよ」と言ったことがきっかけで見ようと決心したそうです。そしてみた後の感想は、「もうあれはね、映画というかね、なんていうかね、表現できないわ……」でした。

 ただこうしてネタにしながらも、クソ映画を追おうとする彼の気持ちも全く理解できないわけでもありません。やはり「クソだ」と言われると、「どれだけクソなのだろうか」とまるで危険な香りをかいでみたいような興味を覚えることは私にもあり、他の方もいくらか同じような経験があることだと思います。これは映画に限らずゲームでもよく「負の吸引力」だとか「負のオーラ」と呼ばれますが、大抵吸い寄せられて実際にプレイすると後悔すること間違いなしです。
 なお上記のクソ映画はんたーの友人はクソゲーにも並々ならぬ興味を持っており、学生時代はよく「たけしの挑戦状」について言及することが多かったです。

 話は戻りますがクソ映画について長所を述べると、同じクソ映画を見たもの同士だと如何にその作品がクソだったのかで話が激しく盛り上がることが多いです。なんていうか同じ苦しい戦場を生き抜いた戦友めいた感情が芽生えるので、異性同士のデートでも経たら恋愛映画見るよりクソ映画を一緒に見た方が絆がずっと深まるのではないかと私は真剣に考えています。
 あとこれは最近発見した事実ですが、クソ映画をどこで見たのかと聞くと「飛行機の中」と答える人が案外多いです。というのも長時間のフライトだと暇でしょうがなく、クソ映画だと途中でわかっていても何故か最後まで見てしまうことが多いようで、飛行機はクソ映画の普及に大きく貢献していると密かに睨んでいます。

 最後に、友人ほどではないですが私が見たクソ映画をいくつか紹介します。

コンゴ
 「何故彼らはこの映画を作ったのだろう?」という哲学めいた疑問を覚えた一作。ある演劇で「どうしても笑顔になれない作品」と役者が言ったのを見てひとり深くうなずいていました。

ガッチャマン
 開始30分で限界でした。あれ以上見ていたら精神に変調をきたす恐れがあったでしょう。

プロメテウス
 ブルーマンっぽい青い肌したオッサンが大暴れすることしか覚えていません。

スリーピー・ホロウ
 ジョニー・デップ出てるけど、なんか脚本がかなり破綻しているような印象しかありません。

2018年3月5日月曜日

社会的セーフティネットとしての漫画喫茶

 また例によって先週末は日本に密入国してましたが、帰りに空港の航空会社カウンター前で並んでいたらアンケートに答えてほしいと言われたので対応しました。

( ・∀・)<今回、中国に行く目的は?
(´・ω・`)<目的というか、中国に常住しているからむしろこれが帰国。
( ・∀・)<日本ではどこに滞在したのですか?
(´・ω・`)<千葉県のマッドシティ(松戸市)です。
( ・∀・)<滞在先がマッドシティなのは実家などがあるからでしょうか?
(´・ω・`)<いや、いつも宿泊する漫画喫茶があるから……。
(;゚;ж;゚; )ブッ(マジこんな顔された)

 上記の通り、例によってまた今回も漫画喫茶を宿泊に使ったのですが、これまでの宿泊ではリクライニング、フラットシートを経験していましたが、今回はカウチしかなく仕方なくこちらのボックスに入ったところめちゃくちゃよかったです。狭いボックスながら背もたれを挙げればソファに、倒せばフラットなシートに変わるカウチが置かれてあり、寝心地も非常に良かったです。むしろいびきによる妨害がない分、名古屋に左遷された親父の家で寝るのよりずっとよく眠れました。
 っていうか、あのカウチ売っているならぜひ買いたい……。

 知ってる人には早いですが私はこれまでにも何度も漫画喫茶を宿泊先として使用しており、今回も慣れたものであらかじめ手ぬぐいと中国のホテルにアメニティとして置かれていたちっちゃいシャンプーとボディソープを持ってきており、漫画喫茶内のシャワールームで優雅に入浴も済ませました。シャワーを借りる際に店員からは、「なにか必要な道具はないでしょうか?」とメニューを見せられましたが、「もう何度も泊まってるから準備万端だよ(^ω^)」と、上級者(=ネットカフェ難民)のように振舞って見せました。

 なお料金については12時間の滞在で確か1750円。この間、もちろん携帯電話などは充電が可能で、先ほど書いたようにシャワーも浴びられ、ドライヤーや毛布も無料で借りれます。またシャンプーや石鹸はさすがに無料ではないものの店内で購入でき、かつて購入した手ぬぐいは60円でした。
 普通、銭湯施設などではこういうアメニティに結構高めな料金を設定することが多いですが、パッと料金表を見た限りだと上記の手ぬぐいのようにお手ごろな料金に抑えられていました。こうした配慮は非常に助かる上に、頼めば500円くらいでカレーなどの食事もルームサービスしてくれます。

 無駄に長く書いてもしょうがないので書きたいことをもう書いちゃうと、なんか日本は民泊をどう認めるかとか、許可とかどうするのかあれこれ騒いでいますが、現実にはもう漫画喫茶は宿泊施設としての役割を果たしています。旅行で漫画喫茶を宿泊施設として頻繁に利用する人間は私に限らず多く、またネットカフェ難民のように常住する人ももはや珍しくありません。
 これは今回つかった漫画喫茶ではありませんが、以前使ったある店ではトイレ内に、「住民票登録をお手伝いします」という張り紙が貼られてあり、漫画喫茶を一時居住先として住所登録を受け付けるサービスを展開している店もありました。実際にその立場に立ったわけじゃないですが、求職しようにも住所がなくて苦労している方などにとってこうした配慮は非常に助かるだろうと思え、本来は行政が担うべき社会的セーフティネットを漫画喫茶が果たしているようにも感じました。それも比較的良心的な金額で。

 こうした事実は既に一部で報道されているため今更的な話ですが、敢えてそこから踏み込んで言うと、もっとこうした漫画喫茶の宿泊機能を日本は活用するべきだと思います。それこそ東京五輪における宿の問題に関して、騒いではならない等の注意事項を周知した上で外国人も気軽に且つ公に予約や宿泊できるように整備し、運営会社を跨ぐ予約管理システムみたいなものをこの際作った方がいいでしょう。
 また仕事を探そうにも住所がなくて困っている人たち向け、というよりそうした長期利用者たちに特化した漫画喫茶をこの際整備した上で行政も支援して、社会復帰支援施設としての役割も強化した方が下手な公的施設や団体を使うよりもずっと安上がりになる気もします。何せ現在の漫画喫茶は一般の市場競争の中で比較的安い金額で、現在運営されており、費用対効果の面では高いポテンシャルを持っていると思えるからです。

 以上のような考えは以前から持っており、民泊議論が起こり始めた際には「現実に正式な旅館業資格を持たない漫画喫茶が宿泊施設として機能しているのに何をいまさら……」と思っていましたが、現在においてもあれこれ民泊で騒いでいるのを見るとなんかいろいろとやるせなくなってきます。その上で、よく漫画喫茶はあの価格設定でこうして営業を続けられるものだとビジネス面でのからくりも気になっていたりします。

  おまけ
 宿泊中、「いぬやしき」全巻を号泣しながら読んでました。

2018年3月2日金曜日

ITに疎い業種

 先日、今後のJBpress用記事の取材のためIT関連企業経営者の方と食事(焼鳥大吉)する機会があったのですが、ぱっぱと取材を終えると関係ない話で盛り上がり、「花園君のJBpressの記事読んでてよくわかるけど、なんか無理やり日本を持ち上げる記述入れてるよね」と、かなり玄人な読み方して読んでくれていることとか教えてくれました。
 そうした他愛もない話をした一方、二人で妙に意見が一致した話題として、IT方面の知識や感覚に対して極端に疎い業種がある、という話題がありました。具体的に言えばそれはメーカー系で、「何故彼らは必要なIT投資をしないのか」という点でしばらく話し合いました。

 私自身もメーカーに在籍したことありますし、大手メーカー企業に就職した友人らからも詳しく話を聞きましたが、製造業は大手、中小に関わらずIT方面の投資を怠る傾向が非常に強いです。では製造業はあまりITを必要としていないのかというとさにあらず、受発注管理から在庫・品番管理、決済管理などの面で、多数の仕入・販売・外注加工先を持つことから、むしろ他の業種と比べても先進的ITシステムの導入の必要性が高いことが多いです。
 にもかかわらず多くのでメーカーでは時代錯誤もいいところな古い管理システムを使用し続けていることが多く、今はどうだか知りませんが10年前にシで始まる液晶メーカーに勤めていた友人が言うには、「Windows以前の骨董品のようなシステムで重要な処理を行っている」と呆れながら話していました。

 またこれは私の経験ですが、最初に務めた商社では在庫管理にこれまた古い、緑色一色しか発行しないウィンドウのシステムを使っていたんですが、ある時期に別のシステムを導入したところ、現場で大混乱が起きました。理由は非常に簡単で、経営者が「安いから」という理由でしょうもないシステムに切り替えたことが原因でした。

 断言してもいいですが、大半の日系メーカーでは業務に管理システムが追いついておらず、それ固め生産性を著しく低下している面が大いにあります。では何故メーカーはIT投資をしないのかというと、単純にそんな余力がないだけということもありますが、それ以上に大きな要因としては、システム導入の決定権者は高齢の幹部に多く、彼ら自身がITに疎い上に現場処理作業に携わらず、その必要性を認識できないということがあります。
 またそういった環境に慣れてしまうと、当初は新規システム導入の必要性を感じていた現場社員ですら段々とそういったやる気を失い、途中からむしろ既存システム擁護派になってしまうというケースもあります。とくに中間管理職に上がった人間なんかに多いです。

 なので話をした経営者の人も、よく取引先に、価格交渉以上にどうして自分たちの仕事が必要なのかということを上の人間に説明するのが一番大変だとも語っていました。私自身も似たような経験を持つだけに、非常に納得できる話でした。
 こう言ったメーカーにおける問題を話した後、今度は私から、「メーカー以外にも、マスコミ業界もITに疎い人間が非常に多い」ということを口にしました。

 幸いというべきか私がかつて所属した新聞社は先進的な方で、システムも次々と更新されていった上に本社のITチームも優秀な人ばかりでした。ただ末端のライターはキーボードのブラインドタッチ以外はあまり強くなかったことから、ExcelやPower Pointなどで記事に必要な図表や資料を作る上でいくらか経験のある自分は割と周りから重宝されていました。
 しかしこれが他の新聞社や出版社ともなると違って、実際にそこで働いたわけじゃないですが、非常に古い記事編集システムとか資料管理システムを使い続けている所が多いと聞き、またオンラインでの業務運行や管理も非常に遅れているそうです。これにも先ほどの経営者も同調し、やはり取引先でそういうところがあるということを教えてくれました。

 ただマスコミ業界の場合はメーカーと違って膨大な受発注処理などがない分、その影響はまだいくらか小さいのですが、やや看過できないのがテレビ・ラジオ業界です。ラジオ業界については務めていた友人がやはり年配の幹部層が投資に不熱心だと話しており、テレビ局については広告でネットとは競合するからかもしれませんが、ウェブマーケティングなどを見ると呆れるくらいに手法が拙いことが多いです。
 ちょっと古いですが2012年にフジテレビがやったこれなんか、何を狙ってやろうとしたのか今でも意味が分かりません。これに限らず、折角たくさんコンテンツを持っているのにそれをネットに全く生かせていないというのはおかしいを通り越しているような気すらします。

 などと、いくつかこういった業界について書いてきましたが、本当にITに疎くて大問題な業種はメーカーでもマスコミ業界でもなく、一番は実は政治業界だと思います。

 中国の政治家、官僚は割と理系出身が多く、新規テクノロジーへの理解も比較的早いというか貪欲であるほか、その産業育成方法についても非常に習熟しています。例えば今度解説しますが、今年から中国では新エネルギー車への補助金を支給する際、車載電池のエネルギー密度が一定以下であれば全額切り下げるという政策を打ち出しています。これにより質の悪い車載電池は市場から一掃されることになりますが、あらかじめこうした政策方針をアナウンスしており、電池メーカー側も時間内に対策を取るよう示唆されていました。

 一方、日本の政治家は言うまでもなく大半が文系で、新規テクノロジーの理解についてもあまり期待できない人が多いです。また産業育成プランについても、はっきりいえばバラマキ政策しか能がなく、規制や支援について全く他の手段を持っていません。なんか誉め過ぎな気もしますが、中国の新エネ車に対する近年の規制と支援の使い分け方は見事なものだと感じ入ります。
 そういう意味ではやはり理系のトップ人材を育ててこなかったことが、技術大国敗北の主要因ではないかとも思えてきます。自分なんかはあり得ないくらいの文系ゼネラリストで理系とは真逆の存在ではありますが、無理をしてでも理系に進むべきだったのかと、今の日本の状況を見ていて思うところがあります。

2018年3月1日木曜日

週刊女性PRIMEのチクり報道の奇妙さ

大杉漣さん長男・隼平氏、“フジテレビの酷な要求”報道を否定(オリコン)

 既にリンク先記事を読んでいる方なら話は早いですが、先日亡くなられた大杉漣の遺族への取材についてなんか妙な報道だと感じるため、ここに記載しておきます。
 概略を簡単に説明すると、大杉漣の突然の死去を受けマスコミ各社が長男の隼平氏へと取材を行った後、遅れてやってきたフジテレビが隼平氏に自分たちにも取材させてほしいと、嫌がる隼平氏に無茶な要求をして苦しめたというような報道を、週刊女性PRIMEが報じました

 仮に事実だとしたら確かにフジテレビの行動は非難もやむなしなものだと思えますが、実際はさにあらず、今回のオリコンによる報道こと隼平氏の回答はというと、「遅れて取材に来たのは事実だが、別に拒否したこともなければ無茶な要求をされたわけでもなく、こちらからの提案で場所を変えて話をしただけ」という、週刊女性PRIMEの報道内容を根底からひっくり返すものでした。これが何を意味するかというと、遺族の隼平氏に対して何も取材をせずに週刊女性PRIMEは勝手な憶測を報じたということになり、果たして遺族を傷つけているのはどっちだと言いたくなる報道だったということです。

 今回の例はフジテレビ自身が反論報道をするわけではなく第三者のオリコンが報じていることからも信憑性が高く感じられますが、それにしても女性PRIMEは呆れた報道をしたものです。ただこうした検証が行われることは案外少なく、現実には遺族や関係者が言ったことにしてライターが勝手な憶測や自分の主張を書き立てる例は少なくありません。インタビューを受けた側からすれば自分が語ったわけでもない内容を書かれ大抵は驚き、中には怒りや悲しみを感じる人もいるでしょうが、発信力の違いから大抵はそうした事実は報道されることなく、泣き寝入りすることとなります。

 自分がこうしたインタビュー記事を書く際、やはり取材相手との信頼を絶対に崩してはならないという信条があり、やはりこういったインタビュー内容部分については非常に気を使います。それこそたとえ取材相手が口にした内容であっても、本人が言ったことを忘れたり、もしくは当初の思惑以上に内容を大きく出てしまった言葉なんかを報じてしまうと、取材相手としては私の記事を読むなり「こんなつもりじゃなかったのに」と言いたくなるでしょう。
 こうした事態を避けるための一応の対策として私は、

・取材相手が繰り返し何度も言った言葉しか書かない
・しゃべった直後に「○○なんですね?」といちいち再確認する
・文面に書く言葉を実際に口にした上で「この解釈で間違いないでしょうか?」と再確認する

 といった手段で対応しています。それでも実際にインタビュー部分を書いている最中は、きちんとメモに残していても本当に相手は確かにこんなことを言っていたのかと何度も迷い、真面目に強い吐き気を感じてえづくことも少なくありません。
 記事の特性上、読者が面白いと思う記事を書きあげることは何よりですが、取材相手の意向を着実且つ確実に表現することも非常に重要で、特に自分の勝手な考えや主張を他人の口を使って語ってはならないと常日頃からこの点には注意しています。それでも取材相手のやる気のない取材対応によっては、「話が違う」とか言われたりすることもあったりするのですが。

 こうした立場から言わせてもらえば、今回の週刊女性PRIMEの報道はマジ最低だなと私は思います。そもそも、仮に事実で遺族自身がそういったのならともかく、フジテレビを貶めるためにまるでチクるかのような今回の報道の仕方は単純に言って底意地の悪いやり方です。週刊誌に道理を諭すというのも無意味なことかもしれませんが、やはり記録には残そうと思って今回こう言う風に書きました。