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2017年5月30日火曜日

コメダ珈琲上海店

 (邪魔やおっさん)

 (こっち見んな)

 前から噂には聞いてはいたものの足を運んだこととがなかった上海のコメダ珈琲店に一昨日行ってきました。写真下のキャプションは私の心の声です。

 コメダ珈琲とは愛知県在住なら言わずもがな、最近は東京周辺にも増えてきていてマッドシティこと松戸にすら存在する日本の喫茶店チェーンのことです。私自身は名古屋で何度も訪れているだけでなくマッドシティ店にも友人といったことがあり勝手知ったる喫茶店ですが、特段ひいきにしているわけでなくメニューを覚えている程度の店という感覚です。
 なお、やはり喫茶店チェーンで一番評価しているのは京都のイノダコーヒです。あそこは他の喫茶店関係者に聞いても、「イノダには勝てない……」とみんな口を揃えて言います。


(店内は日本とまんま)

 場所は上海高島屋の隣にあるオフィスビル一階で、入り口は正面からではなく高島屋の地下鉄側一階入り口の脇から入った方が近いです。

 レイコー大は32元(約480円)

割と既視感の強いメニュー

 ざっと見た感じは日本の形態をそのまま持ってきている感じで、言い換えれば中国向けのローカライズはあまり見当たりませんでした。なお上記の写真にはありませんがシノワールも置いてあったもののそれ以外の甘味系メニューはほぼなく、ケーキとか食べようと思っていたのでこの点は個人的に残念でした。

 この時所持金が心もとなかったのですが携帯決済することができて一安心であったものの、それ以上はこの日はもうお金が使えず、家にずっと籠ってました。お金がない辛さを学生時代ぶりに思い出してます。

9 件のコメント:

タリーズ店員 さんのコメント...

許可なく報道対象でもない一般人の顔をネットに晒しておいてジャーナリズムがどうだのと語る資格はありませんね。
残念です。

花園祐 さんのコメント...

 お言葉ですがその言については受け入れかねます。
 この記事に使った写真は何も映っている人物を対象にしたものではなく、どれも別の対象を撮影した際にたまたま一緒に映り込んだものです。ややふざけた書き方してはいるものの映り込んだ人物をさらし上げる意図はなく、ましてやこれら写真によって映り込んだ人物に特定の不利益が起こる可能性はありません。むしろ逆に、この写真によって映り込んだ人物に不利益が起こると考える方が突飛だと私には思います。
 あなたの考えを援用するならば、ありとあらゆる風景や街並みを対象とした写真や動画に映り込む人物の顔に人物が特定できないような処理を施さなければなりません。あなたに問いたいですが、果たしてそのような行為が必要とされる社会が、健全だと思いますか?
 同様に、風景に映り込む店舗の看板や商品などにも同じ考えであれば特定されない処理が必要です。それこそ、モザイクだらけの写真や画像しか配信されないということとなり、私はそんな顔のない社会へと世の中が向かっていこうというのであれば、敢然と抗議する立場にあります。身体的特徴などをあげつらうように写真や画像を公開するのであればそれは許されないことであり反対ですが、たまたま写真に映り込んだ人物について、しかも特段悪意のない公開の仕方でどうこう言おうというのであれば、私はあなたを顔のない社会に持っていこうという人間の側だと思え、正直に言えばそんな人間に私の記事は読ませたくないのが本音です。理由は言うまでもありませんが、本題とずれた斜めな議論をするからです。
 毎日出る各メディアの報道写真には必ず一般人の顔なりが映り込みます。願わくばそれらメディアすべてに対し私に対し述べた抗議と同じ内容を毎日言っていただければ、私の言っている意味がお分かりになるのではないかと思います。

酷道マニア さんのコメント...

撮影当初はたまたま写り込んだのかもしれませんが、キャプションまでつけてブログで掲載するのは、特定の一般人を晒す行為だと思います。画像もおっさんがほぼ中央に単独で写っており、また表情がわかるくらいの画質ですので、悪意があるように思えます。

花園祐 さんのコメント...

 あんまこういう本題と関係ない内容でグダグダ答えたくないのが本音だけど一応答えておくと、おっさんが中央とはいうがそもそもピントもあってないし、九分割構図で被写体を左上か右下に置くのはカメラの基本技術で、おっさんに目が行くということ自体が自分の中ではイレギュラーです。あと基本的に写真は2~5枚を連続で撮影しており、普通に取ったらおっさんに動きがついたのでAAの「こっちみんな」と絡めて軽い冗談っぽく載せたら記事本体以上に注目されてはっきり言って非常に不愉快でした。第一、この程度の冗談が受け付けられない上に悪意があると取られるというのは、世間的にも狭量にもほどがあると思えてなりません。
 ちなみに最初のコメントで一番腹立ったのは「ジャーナリズム」という単語を使っている点でした。「ネット倫理」ならまだわかりますが人の嫌がる、隠したがる事実を暴露するのが記者の仕事である(実際に例外なく嬉々として性癖とか聞きたがる)というのに何故真逆の概念をつかって批判してくる、というか間違えたのか、経験則から理由はわかりますが考えればわかることなので敢えてここでは語りません。

ジャーナリスト志望 さんのコメント...

このコメントから考えるに、あなたにとってジャーナリストというのは自分のことは棚上げして他人を叩ける人にこそふさわしい肩書きなのでしょうね。
でしたら正にあなたには転職だと思います。頑張って下さい。

花園祐 さんのコメント...

 転職?いやまぁ確かに今記者はやってないけど、現状を普通に指摘されても困ります。
 ちなみに記者に向いている人格というか人材に関しては以下の記事で述べています。それと自分は写真撮られてネットに挙げられるくらいでいちいち怒らないし気にもしません。その上で述べると、あんたは誰に向かって怒っているのか、そしてその怒りが何につながるのかを考えてもらえればと思います。
http://imogayu.blogspot.hk/2016/06/blog-post_28.html

酷道マニア さんのコメント...

文脈からみて、天職のタイプミスだと思いますよ。

酷道マニア さんのコメント...

自分が思うジャーナリズムとは、人の隠したがる事実のうち、「公益性」があるものを暴露することだと思ってました。
例えば◯芝の粉飾決済とか、なんとか学園の一連の問題とか、花園さんが注力してる派遣社員の問題といった不正を暴くことですね。
しかしながら今回の一般人である上海のおっさんを晒すことは、広く社会全般に利益があるとは思えません。
あと花園さんと違って、多くの人は勝手にネットに晒されることをよく思わないでしょう。
もうすこし人の気持ちを考えて行動したほうがいいですよ。


花園祐 さんのコメント...

 ベタなツッコミさせてごめん。揚げ足を取る挑発して最初のコメント主にもう一回コメント引き出そうかと思ってたけど、これ以上引っ張るのも面倒くさいし、そろそろネタバレに移ります。

 一番最初のコメントを最初に一読した後、多分この人はこの記事の写真についてではなく、自分の別の記事に対して反感を持ったからコメントをしたのであって、写真云々は批判するための口実だろうと判断しました。
 そう考えた理由は大きく分けて二つ。一つ目は、ここで掲載している写真は人によっては眉を潜めたり違和感を覚えたりするような写真であるとは思うものの、被写体がどアップで写っているわけでもなく、普通の人がわざわざコメントをしてまで批判するようなレベルだとは到底思えないということ。二つ目は、すでに言及しているように「ジャーナリズム」という言葉を使っている点で、この記事では特に私の記者経験やジャーナリズム論について一切触れていないことから、何か別の記事を読んでそれに反応したからこの言葉を用いて批判してきたのではないかと推測しました。

 取り合えず最初のコメントをそのまま放置できないのと、二回目のコメントもとい本音を引き出す目的で敢えて「報道」、そして「表現者」の立場として写真掲載についての自分の正当性をくどくど述べて様子を見たところ、酷道マニアさんからもコメントきたので同じスタンスでもう一回述べました。二度目のコメントの際に割と明確に「ジャーナリズム」という言葉が引っかかっているということを示した上で、暗にどのスタンスから自分に物言ってるのかと相手に問い掛けています。
 真面目な話、酷道マニアさんの「撮られて掲載される側」に立った論法が一番適切で説得力があります。ひとつ前の自分のコメントにも書いてあるように、あの写真掲載は「ジャーナリズム」としてどうかではなく、「ネット倫理」としてどうかと言われればそりゃアウトで、本当にこの写真掲載が問題だと考えている酷道マニアさんの言う通りに載せられて不快感を持つ人もいるだろうなと思えたため、さすがにこの記事の写真についてはいちいち消すのも面倒なのと、コメント欄が意味不明になるので削除しませんが、今後はこうした写真掲載やキャプションはブログでもつけないようにしようと考えています。

 にもかかわらず何故これまでのコメントで頑なに自己の正当性を主張したかというと、前述の通り最初のコメント主の本音を引き出すためです。待った甲斐あって昨晩やってきましたが、酷道マニアさんとは違って写真云々については全く触れず、案の定私の人格批判しかしていません。多分この人が一番主張したかったのは私への批判だけで、写真については口実に過ぎず初めからなんとも思っていなかったのではないでしょうか。本当に写真に問題がある考えていたのなら主張がこのようにぶれることはないし、仮に当初はそうであったとしても、軽く横振りした程度で主張が変わるようであれば話になりません。
 そもそもコメダに関するこの記事と写真がジャーナリズムと関係するかと言ったらはなはだ疑問です。書いてる私が元記者だから、と言い訳されるかもしれませんが、元記者だから載せはダメだけど、元記者じゃなければ載せていい写真がこの世にあるかと言ったらそんなものはなく、掲載可否を分ける条件にはなりません。むしろ先ほどのようにネット倫理、被写体の心情が条件であれば上記の可否は区別でき、自分の常識なら相手に説得する場合はこちらのスタンスを取ります。なんせジャーナリズムは全く関係ないのですから。
 だからこそ二度目のコメントで「ジャーナリズム」と「ネット倫理」という二つのスタンスを明確に示し、踏んでいい方と悪い方を敢えて示してあげたつもりでしたが、何故か地雷の方踏んでったなと思います。まぁそもそも、どのスタンスや立場で物をいうのか、私にどうしてもらいたいかを初めから意識してなさそうでしたが。

 本人見てるか知らないけど、発言する際はどの立場で言うのかをもっと意識して、自分を批判しようというのならもっとクリティカルな部分を狙って、もっと面白いこと言ってもらいたいものです。二度目のコメントの記者の性質についても中途半端な皮肉ではなく、酷道マニアさんのような返しの方が適切で、暴露について社会の公益性と絡めるべきです。