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2016年9月5日月曜日

西郷隆盛を取り扱う難しさ

 歴史記事を最近書いてないなと思って何か書くネタはないかと今日の昼間くらいから思案に暮れていましたが、最近だとどの程度のレベルが普通の人に歴史ネタとして受け入れられるのかちょっと自分でも境界がわからなくなっており、東北地方の貨幣流通時期とか中国の火砲の運用史とかやろうかなと思う度にマニアック過ぎるだろうと思い直して書くのをやめるというのをこのところ繰り返しています。
 そんなわけで、2018年の大河ドラマにも堤真一氏主演で決まったわけなので西郷隆盛についてその歴史上の立ち位置に関する話を今日はすることにしました。

 西郷隆盛といえば鹿児島県民からすれば神に匹敵するほど崇められている存在で、真面目な話、鹿児島のキリスト教徒は神、イエス、マリア、西郷の四位一体説を唱えてるんじゃないかと思うくらい地元で崇拝されています。もっとも鹿児島県民に限らなくても歴史の教科書では重要人物扱いされてて普通に教育受けていればまずその名前は聞き覚えがあるほど有名な人物であることは間違いありません。
 実際、明治維新において西郷は最重要人物の一人として扱われており、これは戊辰戦争後に行われた論功行賞(賞典録)で藩士としては最高となる2000石を得ていることから、当時としても維新の最高功績者として見なされていました。また現在においてアンケートを取れば最も人気のある歴史人物としては恐らく織田信長となるでしょうが、戦前においては西郷隆盛が常にトップだったそうです。

 そんな西郷ですが、彼を日本史においてどのような立ち位置の人物として捉えるかは非常に難しかったりします。というのも単純に彼の行動や思考、目的が生前の行動からだと掴み辛いということに加え、人気が高いゆえか虚実入り混じったエピソードが枚挙に暇がないからです。恐らく私以外でこんな話を引っ張って来れる人間はまずいないでしょうが、文豪の芥川龍之介もこうした西郷を取り扱う難しさを「西郷隆盛」という短編小説に書いており、大正期においても根強く生存説が唱えられていたほか歴史学として扱うには非常に難しい人物であることを紹介しています。

 あくまで私個人の実感で述べると、世間に伝わっている西郷に関するエピソードのうち約半数は尾ひれがついたもの、言い換えれば伝説とか神話のように事実に基づいたものではないと考えています。西郷のエピソードは探せばいくらでも出てきますが、それらに対する出典等の裏付けはよくよく見てみるとどれもはっきりしないものばかりに見え、ついでに言えば断片的な話ばかりです。
 また確実に西郷が行ったという発言や行動を取ってみても、どうもはっきりしないというか本当はどっちの立場にいたのかよく見えない不気味さがあります。いくつか例を出すと山形有朋を支援して徴兵制を推し進めておきながら士族救済のために私学校を設立したり、征韓論においても急進派を抑えるためだったのか本気で朝鮮に乗りこむつもりだったのか、研究者の間でも未だに意見が割れています。もっとも、大久保利通は江華島事件を見るだに初めから征韓論は実行に移す気であり、慎重論を唱えたのは西郷を含む一部政府メンバーの追放が本来の目的とみて間違いないでしょうが。

 こうした西郷の一種の不気味さは取り上げる題材にも現れており、大半の小説や漫画では許容力のある人格者として描かれるものの一部作品では暗殺を含む非合法手段も冷徹に実行する参謀として描かれることがあり(大河ドラマ「新撰組!」など)、本当は一体どんな人物像だったのか、出会った人間は皆、「どっしりとした大人物」と述べていますがそれすらも仮面であったのではないかと疑ってかかるべきでしょう。

 現時点で私の西郷評を述べると、薩摩人というよりは京都人のようなイメージで、本音を一切表に出さず腹の底が見えないタイプだったのではないかと見ています。征韓論に関しても交渉が決裂して自分が朝鮮側に斬られればそれで戦争の口実にできると述べていますが、いくら当時の情勢であっても外国の使者を朝鮮王朝が殺害するとはとても思えないだけに何故このような発言をしたのか、一種のブラフではないかと思う節があり、本当の狙いというか目的を絶対に見せないしそれを平気で覆い隠してしまうようなものを西郷には感じます。もっともそれを言ったら明治維新も尊王攘夷を旗頭に徳川を倒しておきながら、維新後は開国政策を採って徳川のみならず廃藩置県で全士族を滅ぼしていますが。
 最後の西南戦争においても、初めから政府軍に負けることがわかっていながら大将に担がれたと言われていましたが近年の研究では少なくとも大阪までは進軍する気満々だったとも言われ、これまた本音はどっちだったのか全く見えてきません。やはり人気が高すぎる故、踏み込んだ検証や批判を行い辛い面があり下手に歴史学で取り扱えば火傷する対象であることには間違いないでしょう。

 最後にここまで記事を書いて本音が見えない人物だと何度も書いてたら、「メタルギアソリッド」というゲームに出てくるリボルバー・オセロットみたいな人物だったのかなと変な想像をするに至りました。結構しんどそうで書くのを一旦あきらめたんですが、こっちのメタルギア関連でこの前浮かんだテーマ記事もまた今度書こうかなぁ。

2 件のコメント:

上海熊 さんのコメント...

個人的には西郷より中国の火砲の運用史のほうが気になります。西郷は頼まれてなくても書く人は多いと思いますが、中国の火砲の運用法を書いたブログって中々無いですからね。

「北洋軍閥から人民解放軍までの小銃の運用の変遷」みたいな記事書いたら必ず読みます。

花園祐 さんのコメント...

 まさかそこに食いつかれるとは……(;´Д`)
 以前に、確か堺屋太一氏が何故アジアで産業革命が起きなかったのかについて、「熱力を動力に変えるピストンが作られなかったためで、これは銃の製造が西洋と比べ中国で発展しなかったためだ」と指摘した上で、「火砲自体の運用は中国の方が当初進んでいたが、何故だか途中で止まってしまった」と書いており、東洋と西洋を比較する形で追うと結構面白いテーマだとは思っています。
 でもって、16世紀限定であれば銃の製造量は日本が世界最多で、日本だけで世界の三分の二の銃を保有しており関ヶ原には世界の銃の半分が終結したという事実などを盛り込めばロマンが広がるので、ちょっと前向きに準備してみます。