ページ

2016年5月1日日曜日

感覚強奪

 最近自転車に乗っていなかったので上海市中心部から北に行った海沿いの公園まで片道33km、往復66kmを走ってきましたが、連休ということもあって公園は大賑わい、っていうか車の列が公園入り口前からやばいくらい長々と続いていたので結局入らずすぐUターンしてきましたが、気温がここ数日で急に上がったのと、最近あまり漕いでいなかったのもあってやけに疲れて帰ってきました。しかも帰り道、道を逆走してきた電動バイクと正面衝突もしてます。
 私が腕時計に目をやったその瞬間、その電動バイクは横にマージンあるのにまっすぐ私に向かってきたのですが相手の上げた声で私も気が付いたので直前で減速しつつ、よけきれないと思って斜行しながら向こうのバイクにわざと自転車をぶつけたため、自転車も体も完全に無傷でした。つくづく自分は無駄にタフな気がします。

 話しは本題に入りますが仮に学問をするとはどういう事かと人に尋ねた場合、十中八九は「その分野の知識を身に着けること」という答えが返ってきて、少しレアなものになると「知見を広げること」なんてのもあるかもしれません。仮にこの二つの答えが返ってきたら私ならばその場で「それは違う」と否定した上で、模範解答として私が学生時代にお世話になった中国語の先生にかつて教えてもらったように、「各学問分野ごとの思考法を身に着けること」と教え、経済学なら貨幣を中心に社会を分析し、商学なら経済活動と価値測定を中心に、法学なら法体系や制度を中心に、人文学なら個人や社会の思想や文化を中心に、それぞれ核となるとモノから世の中を見る思考や判断力を身に着けることだと教えます。
 その上で自分の学問目的は上記の概念をベースにしてあるもののやや邪道で、多種多様な感覚を身に着けることそれ一筋であったと、気分がよければそう教えると思います。

 感覚を身に着けるというのは私なりの表現で、通常の表現ではありません。では感覚を身につけるということは何かというと、上にあげたあらゆる学問分野の価値判断基準を身に着け、それぞれの視点を使いこなすと共に同時に見られるようになるということを指します。更に学問分野だけでなく、男性と女性の価値観の違い、日本人と中国人の価値観の違い、カレー好きと煎餅好きの価値観の違い、これらあらゆるジャンルや特徴の異なる視点で使い分け、目に入る耳に入るものすべてを見逃さずに知覚する目的で以って学問に取り組んでいました。

 一体何故こんな妙ちきりんなことをしていたのかというと一番大きな理由は中学生の頃からジャーナリストになりたいと思っており、普通の人なら見逃すような情報でもきちんと拾えるようになるためにはどうすればいいかと考え、究極的には間隔を広げ、増やすことだという結論に至ったためです。感覚というと通常ならば五感を指し、視覚なら目、聴覚なら耳を介して感じ取りますが、これと似た感じで芸能情報を感知する感覚、政治情報を感知して分析する感覚、特定状況下に置かれた人々の思考を類推する感覚など、こういったものを私はずっと求めてきました。
 常日頃からあらゆるジャンルの情報を感じ取るため感覚を磨くことはもとより、価値観の異なる人間同士で同じ対象をどのように異なって見えるのか、また限られた知識の中でどういう風に思考を組むのかなど、今まであまり口にすることはありませんでしたが隙あらば観察しようと動き続け、思考パターンを作ることに従事してきました。

 そんな私の経験から言えば、完全にではありませんが比較的同じような記憶を共有している場合だとほぼ同じ思考、行動パターンを取る可能性が高いようにみられます。同じ記憶と言っても何も生まれてからずっとの記憶となると本人以外でなければわかりませんが、特定ジャンル、たとえば歴史や経済などの分野に分けると小学生レベルや中学生レベルなどに区分しやすくなり、それらあるジャンルの知識が同じ水準の人間同士となるとそのジャンルに対する思考パターンは等しくなり、何か課題や質問を出すとほぼ同じ結論に至ることが多いというのが私の実感です。

 そのため、私が相手の出方を伺う際はその相手がその分野に対しどれだけの知識を持っているのかをまず確認します。その上で知識とは関係なくとも何か特定のこだわりの条件、極端な例だとトラウマのような思考に影響を及ぼす過去の体験や経験を探り、これらを一通り把握した段階から相手の次の返答や行動を読み始め、それに対する自分の返答も準備し、結論をどこに持って行くかなどを決めていきます。
 人間、苦し紛れとなると手持ちの材料を全部投げ出そうとするところがあり、特に知識関連だとあまり関係なさそうでも少しで関係する要素があれば、苦しい状況下で口に出しがちです。大体の結論はそこへ持って行くというか苦し紛れの一言を言わせることにあり、その一言を打ち崩す自分の言葉でフィニッシュをかける、というのが私の通常の議論パターンです。ほかの人がやってるかどうかは知りませんが。

 ただ、大体10分から15分くらい話せばその人が大体どういうパターンで話を組んでくるかは段々見えてきます。掘り下げるタイプとか話題を切り替えるタイプとか逆質問を多用するタイプとか、それらを見極めた上でどういう言葉をかけると相手がどう反応するのか、むしろどう捉えるかを予想する、言うなれば感覚を奪うような感じで議論で攻める時は攻めるようにしてます。もちろん完全に決まらないこともあるっちゃありますが。
 前にもちょこっと書きましたこのところ「隙を見せたら一撃死」みたいな白熱した議論をする相手がいなくてやや手持無沙汰です。そういう白熱する議論における好敵手というのは上記の思考パターンとは異なり、既存の知識に頼らないというのがやっぱり一番手ごわい気がします。そういうタイプはどうやってまくかとなると、ひたすらに頭使わせて途中から疲れで頭廻らなくさせるくらいしかないのですが、やってる最中にこっちが頭廻らなくなったりするからまた面倒くさい。

0 件のコメント: