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2016年3月24日木曜日

言葉の軽い現代の政治家


 また本題とは関係ありませんが、前から気に入って動画を見ていた猫がとうとう横歩きをし始めました。この桃太郎って猫は前から歩くの得意でしたがやけに手足が長い上に関節も軟らかく、地味にすごい猫な気がしてなりません。ってかむしろ猫っぽくないし。


 そんなわけで本題に入りますが、なんかまた政治家の妙な失言が報じられています。このニュースを見て最初に私が思ったこととしては、「お前に巫女さんの何がわかる!」っていう一言でしたが、そういう私も何もわかってないじゃんと気がつき人のこと言ってる場合じゃないなと反省しました。ちなみに神主をしている人によると巫女さんになる人は3タイプあって、コスプレ好き、手近なバイト感覚、ガチ霊感体質に分かれるそうです。
 話を真面目な所に戻すと仮にこの発言が、「小娘のくせに何がわかる」とか、もしくは相手が男子大学生で「若造のくせに」だったらあんま失言にならなかったような気がします。なんかそう考えると「巫女のくせに」ということとどう違うのかっていう点で少し悩むところで、そこまで取り上げるほどの失言なのかなと思うと同時に、こんなしょうもないことまでいちいち口に出すあたり最近の政治家の言葉は本当に軽いなと思えてなりません。

 一々例を挙げたら切りがありませんが民主党系の議員らは出来もしない、予算根拠もない政策を平気で口にするし、森元首相も根拠なく「国立競技場の金は東京都も負担するって言ってたぞ(実際には言っていない)」と言って混乱させるし、またほかの議員らも政策を批判する時に「国民を無視している」というようななんか重厚さのかけらもない言葉ばかりしか口にしません。
 全体的に教養が感じられないというかウィットに欠けたセリフばかりで、聞いてる側からすると印象に残らない物が多いような気がします。ここ最近でまだなるほどと思ったのは不倫して辞職した宮崎元議員に対し妻の金子議員が言ってのけた、「恥かいてきなさい」という言葉くらいで、他にはもう何も記憶に残っていません。まぁ安倍首相が口にした、「妻がペット用の食品食べてた」ってのは覚えてますが。

 中国にいるとやはりこちらの政治家はもっと言葉を大事にしているというか、スローガン的に同じ言葉を繰り返し使うことで自分の印象を際立たせてアピールしようとする姿勢が見られます。具体的には胡錦濤前総書記は「和階社会(=平等社会)」という言葉を使い、今の習近平総書記は「反腐敗」という言葉を多用してクリーンさを印象付け、自分の敵対勢力は汚職ばかりしているという構図を構え政争に明け暮れています。

 日本でもまだ昔の政治家はそういう言葉を大事にしたというか印象に残る言葉を用いており、比較的近い時代だと小泉元首相の「自民党をぶっこうわす」とか、「自衛隊の行くところが非武装地帯だ」など、ワンフレーズポリティクスなどと言っては言葉が軽いとメディアは批判してましたが、今やその「ワンフレーズ」すらいえない政治家ばかりの現状を見るとまだマシだったような気がしてなりません。

椎名悦三郎(Wikipedia)

 ここでちょっと古い政治家の名前を出しますが、戦後から高度経済成長期にかけて活躍した椎名悦三郎なんかは非常に名言の多い政治家だったとよく聞きます。ある程度の世代以上であれば「椎名裁定」で有名ですが、岸伸介の懐刀として元官僚という肩書に偽りなくテクノクラート的に政策全般を幅広く担当しただけでなく外相としても難しい交渉をいくつもまとめあげ、実績から見ても間違いなく名政治家の一人として上げるに足る人物です。

 そんな椎名ですが、何でも落語が好きだったそうです。なもんだから答弁での切り返しが非常にうまく、いくつか例を挙げると外相時代に戦前の朝鮮支配に対し「深く反省している」とはどういう事かと問われ、「しみじみ反省しているという意味です」と言い返しています。
 それ以上にすごいのが安保条約の議論中、その意義について国会で説明する際に、「要はアメリカが番犬のようなものと考えてもらえばいい」といったところ野党から、「アメリカを番犬呼ばわりとは何事か」と言われ再び答弁に立った椎名は、「失礼、番犬様でした」と答弁したそうです。この答弁には批判した野党議員を含め議会全体で大爆笑し、「番犬様ならほなしゃあない」とばかりに丸く収まったそうです。

 私もこのブログで記事にした、自民党の丸山議員の「奴隷出身のオバマ大統領が~」という失言はその内容もさることながら全くウィットもユーモアもない下品な言い方で、上記の椎名の発言と比べると人物としての差が見て取れます。政治家にあれこれ求めすぎるのもなんですが、やはりもう少し聞いてて「おっ」と言わせるような見事な一言が言える政治家が今後はもっと出てきてもらいたいものです。

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