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2015年12月15日火曜日

虚像が独り歩く歴史人物

 昨日の記事で歴史証言者はよく事実とは異なる嘘の証言を突く傾向があるということを紹介しましたが、実際にそのような形で誤った証言が出されたため実態とは異なる虚像が独り歩くようになった歴史人物というのは数多おります。近年はこの方面への研究が進んできてこうした実態とは異なる虚像を正そうとする動きが盛んで以前とは評価が逆転する人物も多く、私も過去に取り上げたように「信長は当時の感覚からすると言われている程残虐ではない」とか、「石田三成はそこまで戦下手ではなかったのでは?」なんていう声も聞こえてくるようになりました。

 そんな中、未だに虚像が独り歩きしている人物も少なくありません。私がそう思う人物の筆頭だと思うのはほかならぬ勝海舟で、彼に至ってはほかの人が誤った証言をしたためというよりは自ら自分の業績を誇張する癖があったためで、しかもやたらおしゃべりでいろんな人間に語り聞かせたりしたもんだから収集つかないような状態となっております。
 一番有名なのだと咸臨丸でアメリカに渡った際は堂々とした態度でアメリカ人との交渉に臨んだと自ら言ってますが、同乗してた福沢諭吉からすると、「ずっと船酔いでゲーゲー吐いてただけじゃねぇかよ」とツッコまれています。また坂本竜馬は当初は勝を暗殺するため訪れたが勝の話を聞いてその場で弟子入りを志願してきたとも勝自ら話してますが、さすがにそれは出来過ぎというか誇張が入っているのではないかと私にも思います。第一、坂本竜馬自体そんなに暗殺仕掛けてないし。

 この勝と同じで自ら嘘をばらまいたというのがマッカーサーでしょう。この人は若い頃から自分を英雄願望強かったためやたら無駄にかっこいい言葉を用意していて「アイシャルリターン」とか「待たせたな、フィリピンの諸君」みたいなことをわざわざ記録させていますが、日本のGHQ統治の際も政治的思惑と共にいろんな嘘つきまくってたもんだから半藤一利氏をして、「こいつのいうことは真に受けてはならない」とまで言わしめています。
 マッカーサーがついた嘘の中で最大級だと私が思うものを上げると、まだ確定ではないものの憲法九条の発案者です。私が子供だった頃までは戦争放棄を謳ったこの法案は日本政府側から発案されたと誰も疑っていませんでしたが、当時からつい先日までがちがちの軍国主義だった日本がこんな内容を発案できるのかと疑っていました。そしたら案の定というかこの九条発案は日本側からだと喧伝してたのはマッカーサーだったようで、恐らく日本が平和協調主義に傾こうとしていることをアピールするために言いだしたんだと思いますが実際にはGHQ内部で発案し、盛り込んだものだったと思われ、近年はこうした考えが段々強まってきております。

 最後にもう一人上げると、これは先の二人とは違って確実に周囲の証言が独り歩きしてしまったと思える者として白洲次郎が挙がってきます。彼ほど近年になって急激にクローズアップされた人物はいないと思え、5、6年前にはやたら本が出版され「GHQ相手に一歩も引かなかったダンディな男」というイメージが付きましたが、堂々とした態度の人だったとは思うものの世間で言われているものはやや誇張され過ぎではと考えています。
 特に一番有名なエピソードとしてあるマッカーサーとの絡みで、昭和天皇からのクリスマスプレゼントを持って行ったらそこに投げといてと言われて、「陛下からの贈り物に失礼なことをするな!」と言い返して無礼を認めさせたというものですが、さすがにこれはどう考えても事実ではないでしょう。Wikipediaにも書かれてますがマッカーサーとの面会者リストに白洲次郎の名前はなく、また届け物を一役人が直接マッカーサーに渡すなんて普通に考えて有り得ず、爆弾ではないかどうかなど必ずセキュリティが一旦受け取って中身をチェックしたであろうと考えるとこれはさすがに虚像じゃないかと思うわけです。

 案外この手の虚像というのは「理性的に考えたら有り得ない」というのを発端にして調べていくと実態が明らかになることが多く、やや自画自賛ですが上記の憲法九条絡みの話は子供ながら疑問を持った過去の自分を褒めてやりたいです。なお歴史科目は子供の頃からやたらめったら強く、多分生涯で見ても100点満点中80点以下は一度も取ったことがないような気がします。

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