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2015年6月30日火曜日

日本における主要な歴史論争

東海道新幹線火災 安全神話に激震…「死ぬかと思った」車内パニック(産経新聞)

 なんか日本では今日起きた新幹線内の火災というか焼身自殺事件が大きく話題となっているそうですが、上記の産経新聞の記事見出しは一見して強い違和感を覚えました。なんで焼身自殺された事件なのに「安全神話に激震」と書くのか、新幹線の安全とこれは無関係だろと呆れて物が言えません。これじゃ新幹線内で心臓発作起こしても「安全神話が……」と言うのかよと思うにつけ、この記事書いた記者とそれを通した編集部は単なるアホでしょう。
 もっとも友人に言わせれば、「日本の神話は八百万に通じているんだよ」とのことで、日本ならではの価値観でこんな見出しつけたのかもしれませんが。

 そんなわけで本題に移りますが、かつて日本の歴史業界で最も主要かつ大きな論争となった話題とくれば他の何を差し置いても「邪馬台国論争」でしたが、こちらは最近の発掘で近畿説が有力となってきてからは幾分熱が冷めてきた感があります。これ以前となると「日本民族騎馬民族説」なども一時期はブームになりましたが、最近ではどんな歴史ネタで論争になっているのか、いくつか自分の知っている範囲内で今日は紹介しようと思います。

1、源頼朝の死因
 鎌倉幕府開祖で武家政権発足において最重要人物と言ってもよい源頼朝ですが、実はその死因についてははっきりせず、鎌倉幕府が編纂した歴史書の「吾妻鏡」においてすらも「いついつに死去した」としか書かれておらず、その死因を巡ってはいくつかの説が出てそれほど大きいとは言えませんが論争になっています。
 主な死因の仮説として、「京都から鎌倉へ戻る途中に落馬した」、「ある家へ夜這いに忍び入った所、警備の物に手打ちにされた」、「何者かの仇討ちを受けた」など出ていますが、どれも確たる証拠もなく状況に合わせて作られたオリジナルストーリーばかりと言っても過言じゃありません。ただ唯一間違いない点として、頼朝の死は急死であって幕府関係者を相当慌てさせたことは想像できます。
 なおどうでもいいですが先日見たツイッターにあったお話で、ある女子高生が胸元を強調して色目振りまく気に入らない同級生のことを「胸元の寄り友」とあだ名していたという話を、これかきながら思い出しました。

2、乃木大将は名将か愚将か
 これは古くからある論争で規模もそこそこでかいものですが、日露戦争の203高地を巡る戦いで陸軍を指揮した乃木大将は大量の犠牲を生みながらも最終的にこの拠点を落としたことについて、彼の指揮は正しかったのかどうかという論争です。正直に言って私は愚将説の立場を取るのですが、この愚将説を唱えた著名な人物として作家の司馬遼太郎がおり、むしろ彼の小説によってこの論争は拡大した節もあります。
 ただ愚将ではないかと思う一方、今村均は生前に司馬遼太郎に対して乃木大将は無能ではないと反論しており、あの今村均が言うのだったら……という思いもあり、最近ちょっとこの問題について私の中で意見が揺れています。

3、西郷隆盛は征韓論に賛成だったのか、反対だったのか
 西郷隆盛自体が歴史学で扱うとしたら案外難しい人物であるのですが、彼が明治政府を下野することとなったいわゆる征韓論について、本気で武力を使ってでも朝鮮を開国させようとしたのか、それとも自分が特使として派遣されることで政府内の強硬派を抑えようとしたのか、この点でもって意見が分かれています。
 私としては後者ではないかと考えており、というのもいくら当時日本と距離を置いていた朝鮮とはいえ特使をいきなり捕縛して処刑する(西郷は自分が処刑されたことを口実にして軍隊を派遣すればいいと言って特使役に立候補した)なんてことは考えづらく、この問題を一手に引き受けることで政府内を落ち着かせるという意味合いが大きかったのではと見ています。
 なお同じ西郷に関して言えば、彼は徴兵制に関しては賛成派であったと見て間違いないと思います。士族を切ることに関しては世間で言われてるほどためらいはなかったでしょう。

4、レイテ沖海戦における栗田艦隊の撤退行動
 知ってる人には有名ですが知らない人には全く分からないこの論争ですが、太平洋戦争中に行われた日米最後の艦隊決戦であるレイテ沖海戦は、日本に唯一残っていた空母の瑞鶴を囮にして敵を引き寄せている間、敵艦隊が集まっているレイテ湾に栗田艦隊が突入して攻撃を行うという奇策が実行されました。囮作戦の方は見事に成功し、「ブル」というあだ名が後につけられる米海軍のハルゼー提督はまんまとおびき寄せられたことによって栗田艦隊はレイテ湾近くにまで接近出来たのですが、何故か特に障害らしい生涯などなかったにもかかわらず一切攻撃を加えないまま反転し、撤退してしまいました。
 何故作戦方針を無視してまで撤退したのか、この理由については作戦本部から撤退命令が出た、通信で齟齬が起こった、栗田提督個人が撤退を決断したなど様々な意見が出ており、未だに確定的な説に固まってはおりません。
 私はこの件に関してはあまり詳しくないため論争には加わらない立場であり、このレイテ沖海戦で私が最も好きな軍艦の瑞鶴が沈んだという事実だけで胸がいっぱいです。もしこの時代に生まれていたら、瑞鶴と一緒なら海に沈んでも後悔ないでしょう。

5、明智光秀の謀反の動機
 今一番ホットな歴史論争と言ったら間違いなくこれで、何故明智光秀は織田信長に謀反して本能寺の変を起こしたのか、でしょう。この光秀の謀反の動機はかつてから謎とされ論争も盛り上がっていましたが、近年は資料的にもいくらか頷ける説もあれば全くの空想ストーリーが量産傾向にあり、目にする機会が増えてきたことから盛り上がっているのではと思います。
 主な論点は二つあり、一つ目は光秀の単独犯なのかほかに黒幕がいるのかで、この場合の黒幕は天皇だったり千利休だったり足利義明だったりして、中には秀吉説を挙げる人もいますが秀吉に関しては議論するまでもないほどでたらめもいい所でしょう。多分「へうげもの」の影響受けて本気で信じちゃった人がいたんだろうな。
 もう一つの論点としては光秀に天下取りの野心があったのかどうかで、単純に信長に取って代わり天下に号令しようとしたのか、それとも信長の過剰なまでの改革に対して既存の秩序を維持しようという保守的な考えから謀反をしたのか、これは考えてくに連れて議論がかなり深くなってきます。
 なお自分の意見を述べると、「光秀単独犯説+保守的価値観」の立場を取ります。理由は機械があればまた語りましょう。

 このほかにも「南朝北朝正統論争」とか「坂本竜馬の暗殺犯」などがメジャーな論争としてありますが、私は歴史というのは突き詰めれば娯楽に行き当たるという価値観を持っており、そのような価値観に立脚するならこうした論争というのは盛り上がれば盛り上がるほど娯楽的価値が高まると考えます。なので歴史家や学者らにはなるべくこうした論争を盛り上げるよう努力してほしい一方、先ほどの「本能寺の変、秀吉黒幕説」みたいな荒唐無稽すぎるくだらない説は出てもらいたくないという風にいつも考えてます。
 まぁトンデモ説は、漫画や小説の中ならいいんだけどねぇ。

2015年6月29日月曜日

フジテレビの番組テロップ捏造事件について

フジテレビ「池上彰 緊急スペシャル!」韓国人の発言、翻訳誤ってテロップ 「編集ミス」(ITmediaニュース)
池上彰緊急スペシャル お詫び(フジテレビ)

 報道などで既に知っている方もいるかと思いますが、6月5日に放送されたフジテレビの「池上彰緊急スペシャル」という番組で、韓国人へ行われたインタビューを報じる場面にて実際に発言した内容とは全く異なるテロップ(字幕)を表示していたことがわかりました。

 該当する場面はフジテレビの説明によると二か所あり、一か所目は韓国の女子高生が実際には「(日本は)文化がたくさんあります。だから、外国の人がたくさん訪問してくれているようです」と話していたのに対し、「嫌いですよ、だって韓国を苦しめたじゃないですか」と、全く意味の異なるテロップを載せていました。
 もう一か所目は青年男性が、「過去の歴史を反省せず、そういう部分が私はちょっと……」と実際には言ったのに対して、「日本人にはいい人もいますが、国として嫌いです」とまたもや日本をディスる内容のテロップが表示されました。フジテレビ側はこの二か所について誤ったテロップを表示したと認めていますが、ネットを見ているとこの番組中にはまだテロップが怪しい所があるとされ、正直に言って私もさもありなんという気がしてなりません。

 どうしてこのような誤ったテロップを表示したという原因についてフジテレビは上記のお詫びページにて、編集作業と最終確認でミスがあったとした上で、どちらのインタビューでも別の部分でテロップに表示した内容の発言があったという、理解し難い言い訳を述べています。何故理解し難いのかというと、一にどうして該当する発言があった場面をきちんと使わなかったのか、二にどうして証拠とばかりにその場面の映像を出さないのか、断言してもいいですがそんな映像なんて始めからないだろうし本当にそのように言ったとは私には思えず、このテロップ問題は明確な意思の元で捏造されたもの以外の何物でもないでしょう。

 テロップが捏造であったという前提で話を進めると、これは視聴者はおろか韓国の方々に対しても非常に失礼極まりない行為で、とてもお詫び文の掲載だけで済む問題だとは思えません。具体的に言えば責任とって役員連中が報酬を返却、もしくは責任者の更迭くらいは報道機関として最低必要であるように思え、これで問題を終いにしようってんならマスコミの風上にも置けないでしょう。
 更に言わせてもらうと、今回はたまたま「ばれたから」お詫びを出したのかという疑問もあります。というのもどのテレビ局も街頭インタビューで劇団員などを使ってあらかじめ用意したセリフをさも一般市民の声として報じていることがかねてから指摘されており、実際私も何故か以前にテレビで見てた人が何度もインタビューに出てくるのを見ています。言うなればこうしたインタビューの捏造はテレビ局にとって日常茶飯事であって、ばれなければなにしたっていいという態度があるからこそ今回の問題も起きたのではと私には思えます。恐らくですがフジテレビ以外の放送局もこうした同じ問題を抱えているだけに、この件で殊更フジテレビを批判しようとはしないと予想します。

 ちょうど今、先日の自民党青年部会で出てきた報道規制云々の発言が大きなニュースになっておりますが、政府がメディアの報道規制を行おうというのは以ての外であるのは当然ですが、今回のこのフジテレビの捏造行為が起こされるのを見ていると規制されても仕方ないのではという気もしてきます。なんせ誤った情報、それも日韓の国民間で憎悪を煽るような報道を流しておきながら誰も責任取らないのですが、黙って放っておく方がかえって危険でしょう。
 私が何を言いたいのかというと、少なくともフジテレビは自民党の報道規制発言に関して批判する資格は一切ないし、他人の批判をしている暇があったら社内にいるカスを少しでも減らすよう努力するべきでは、といったところです。まぁ叩けば埃が出るのはほかの放送局も同じでしょうし、TBSに至っては過去に同じようなテロップ改竄をやらかしてますが。

 最後に気になる点として、この問題について番組司会を行った池上彰氏からはまだ何も発言が出ていません。インタビューからテロップ作成まで番組製作会社が作ったのでしょうから池上氏としてはとばっちりものであるものの、本人がかかわった番組だけにこの件に関して以前の朝日新聞同様に毅然とした態度を取ってくれるのを密かに期待しています。

2015年6月28日日曜日

千葉のマッドシティ~二十世紀梨

 「二十世紀梨」というと日本を代表す梨科の品種であると共に鳥取県の名産品(アイデンティティ)でありますが、実はこの梨がマッドシティこと松戸市原産の梨であることはそれほど知られていないような気がします。

 この梨は現在の松戸市に住んでいた1875年生まれの松戸覚之助という人物が13歳の頃、人んちのゴミ捨て場にあった梨の苗木を見つけたところ自分で育ててみて、23歳になって無事結実することで生まれました。結実した梨を売り出すに当たって名称を考えたところ、当初は「新太白」という名前だったののその後東大の教授が、「この梨は今世紀を代表するなしになる」などと言って「二十世紀梨」という名称を提案したところ採用され、現在の名称へと至ったわけです。
 どうでもいいですが昨日紹介した「21世紀の森と広場」といい、なんで松戸の人はやたらと世紀の数字を名称に使いたがるんだろう。

 そんな松戸市原産の梨が何故今では鳥取県の名産となっているのかですが、なんでも鳥取県では昔から梨栽培が盛んだったのですがある年に梨の樹木がかかる病気が蔓延してほぼ全滅みたいな状態になったそうです。その際に苗木を分けたのが松戸市の梨農家で、元を辿れば鳥取の梨は松戸にルーツがあり、松戸原産の二十世紀梨が鳥取へと伝わったことがきっかけでした。

 このエピソードは鳥取県内では広く周知されているようで、私が運転免許の合宿で京都から鳥取の日本海自動車学校へ通った際、路上教習時に私のプロフィールをみた教官が、「君、千葉県出身なんだね。鳥取は昔、千葉県の松戸から梨を分けてもらってえらい助けてもらった」と言われ、感覚的にはエルトゥールル号のトルコ人みたいな印象を覚えました。
 話は戻りますがこうした縁もあって松戸市は鳥取県の倉吉市と提携都市関係を結んでおります。また現在では鳥取県の方が生産量が多いとはいえ松戸でも梨農家はまだまだ現役で数多く、東松戸駅周辺なんかを車で走ってると梨農園が数多くみられます。

  おまけ
 上述の日本海自動車学校での教習はなかなか楽しく、指導内容もしっかりしていてとても満足できる教習所でした。しかしここでの教習の仕方が一般的だと感じてしまったのが運の尽きだったのか、後年に自動二輪免許を取ろうと流山自動車学校へ通ったものの、指導内容は聞いててわけわかんないし教官の態度も尊大に感じられたので、仮免を取る直前で、「お宅の指導はもう受けない」と啖呵切ってやめちゃいました。さすがにこういう人間はほかにいなかったのか、向こうも結構慌ててたな。

他人事ではない欠陥住宅訴訟

 昨年に私は「大津の欠陥マンション訴訟について」という記事で「大津京ステーションプレイス」というマンションで起きている施工不良問題を紹介しました。なんでこんな記事を書いたのかという単純にニュースとして面白いと思ったためでしたが、アップ当初から一方の当事者である不動産会社の大覚さんにも閲覧されていたとのことで書いた本人が一番びっくりする羽目となりました。
 ただこの事件、はっきり言って誰の目からみても施工会社である南海辰村建設による瑕疵が明らかであるものの、問題発覚後から数年経過しているにも拘らず現在も補償を巡って裁判が続くなど長期化しています。何もこの件に限らずとも欠陥住宅に関する裁判は長期化する傾向があり、安保も大事だけど案外こっち方面の法整備も必要なんじゃないかと、我ならがら突然すぎる気もしますが、一昨日ふと思いつきました。

<欠陥住宅の裁判>
 欠陥住宅で裁判となると、発注、または購入した側は施工の際に瑕疵があったことを証明しなければなりません。この瑕疵不良の証明というのが非常に困難な作業で、簡単に述べると設計図と実際の図面がどう違うのか、それらが本当に不良状態のままで施工されたのかなどを裁判長に説明しなくてはならず、素人ではどうにもならないほど専門的な作業です。
 たとえば私も取り上げた「大津京ステーションプレイス」の問題では原告は不動産会社、被告は施工会社で、まだお互い同じマンション業界の法人同士での対立構図となっております。しかしこの対立構図が住人VS販売・施工会社だった場合、住人側は欠陥があるとわかっている住宅に住み続けながら専門家を雇って裁判を続けなければなりません。欠陥があるとわかった段階で施工会社などが素直に修繕に動いてくれればいいのですが、反論されて裁判となってしまったらもう大変で、恐らく泣き寝入りする住人も少なくない気がします。

<松居一代の闘争劇>
 個人が実際に欠陥住宅問題で裁判を闘った一例として、芸能人の松居一代氏の例があります。お掃除おばさんで有名なこの人ですが、購入した億ションで天井から水漏れがあるという欠陥が発覚したものの施工した清水建設(シミケン)はすぐには対応してくれなかったそうで、実に600日もの闘争を経て和解へ至った経緯を「欠陥マンション、わが闘争日記―ゼネコンに勝った!壮絶600日の全記録」という本にまとめています。
 実際に裁判を戦った松居氏の行動力もさることながら、和解に至るまで600日もかかったという事実は見逃せません。しかもこれは当時ワイドショーなどにも取り上げられるなど主に清水建設に対する周囲への影響、そして裁判を闘えるだけの資産を松居氏が持っていたからこそ和解へ至ったのであって、どちらか一つでも欠けていたら果たしてどうなっていたのか、はっきり言えば清水建設は黙殺してたのではないかという気がしてなりません。

<大手だろうと欠陥はあり>
 なお「大手だから安心!」という言葉を日本人はよく使いますが、こと建設業界に関しては全く当てはまらないと言っていいでしょう。ちょっと前にも三菱地所と鹿島建設のタッグが南青山で欠陥億ション作っていたのが2ちゃんねるへのタレコミでばれたし、住友不動産も2003年に作ったマンションで販売直後から施工不良が住人などから指摘されていたにもかかわらず黙殺し、11年後の去年になって言い訳できなくなってようやく認めるに至っています。多分これらは氷山の一角で、まだ公になっていない事例はたくさんあるだろうし、「大手だから」黙殺されている例もたくさんあるでしょう。

<瑕疵検査などにかかる費用>
日本検査研究所

 上記サイトはこうした欠陥住宅の検査を専門とする設計事務所のサイトで、ここに瑕疵検査から裁判での鑑定資料を作成する費用をオープンにして公開しています。こうした価格をオープンされるという点で高く評価できるサイトですが、やはり値段を見るとそこそこ値が張るというか、裁判となった場合に個人が負担するとなるときついなぁと思う金額が出ています。
 無論この事務所がぼったくってるわけではなく技術的にも手間的にもそれぐらいかかってしまうから問題なのですが、やはり個人がこの手の訴訟で戦うとなるとお財布的には厳しいでしょう。

<欠陥住宅に対する法整備>
 ここからが私の提案になりますが、個人では泣き寝入りするしかないような状況を鑑みて、こうした欠陥住宅問題を解決へと至らせる法整備、制度の作成が必要なのではないかと思います。具体的に述べると施工不良と判断する条件例(水漏れや設計違い、構造不良)を作り、その条件を満たした場合は即、販売、または施工会社の責任を認めて修繕義務を課すといった制度です。またその際、修繕が完了するまで住人には代替の住宅を用意させることも義務付けるなど、販売・施工側の社会的責任を重くさせることによって欠陥住宅の建築を未然に防ぐことが目的となります。
 このような制度を導入することで訴訟を起こさずとも即修繕を行わせられるようになり、また責任の重大化によって販売・施工側もおちおち手抜きがしづらくなります。正直、今の状態だと手抜き出来るところを手抜きした方が施工側にとってメリットが大きすぎるし。

 このほかにも欠陥住宅問題を専門とする仲裁機関を政府が作り、またこの方面専門の弁護士や建築士を育成するコースなども作って訴訟を迅速化するというのも一つの手でしょう。ただこれに関しては友人が、「お金になるとわかったら過払い金訴訟同様に、弁護士たちは勝手に勉強するだろう」という市場原理を唱えており、こうした訴訟を一般化させるだけで十分との認識を示しました。

 私個人は住宅を買う予定なんて今現在全くなく、それどころかほぼ一年に一回のペースで引越しを繰り返すなど織田信長みたいに腰の定まらない生活が続いていますが、やはりこの欠陥住宅問題は他人事にはみれないというか、非常に高額な支払いが発生するだけに何らかの社会的な対応が必要ではないかと見ていて感じます。
 なお先程紹介した日本検査研究所のサイトでは積水ハウス、大和ハウス、へーベルハウス、トヨタホーム、パナホームの大手ハウスメーカー5社、三菱地所、住友不動産、三井不動産の財閥系3社を名指しで批判しており、見ていて「言うねぇ」という言葉が漏れ出てきます。逆を言えば上から下までもれなく欠陥が含まれているのが現状だと言え、案外この点で日本は中国を笑えんなと個人的に思う次第です。

2015年6月27日土曜日

千葉のマッドシティ~21世紀の森と広場

 JR武蔵野線の新松戸駅~新八柱間を乗っていると途中で谷みたいなところに入り、眼前にやけに広い公園が広がる箇所があります。公園と言っても広さが結構半端じゃないくらい広く、街中を走ってたのが急にそんな風景へと切り替わるので見方によってはなかなか稀有な場所のように思えるわけですが、そここそが今日紹介するマッドシティこと松戸市の「21世紀の森と広場」です。

21世紀の森と広場(松戸市HP)

 21世紀の森と広場は元々堀があった場所を整備した、1993年に開園された公園です。20世紀にできたのに何で21世紀という名称を用いるんだと突っ込みたくなる気持ちを抑えて紹介を続けると、場所は先ほども言った通りに新松戸と新八柱の間、といっても私の感覚からすると新松戸と馬橋の中間くらいの位置にあって、小高い丘の上にあります。面積は50.5haあり公園としてはそこそこ広く、何よりも丘と丘の間にある窪まった所にあるので公園の中からの視界には外界が映らない点でいい意味での隔絶感があります。
 またこの公園の近くには同時に整備されたホール、博物館、図書館もあり、休日の行楽地としては及第点が得られる場所と言ってもいいでしょう。

「コスプレ聖地化計画」着々と進行中? 千葉県松戸市、愛好家集う「21世紀の森と広場」(THE PAGE)

 何気に今回記事を書くに当たって下調べをしている最中に初めて知ったのですが、なんとこの21世紀の森と広場はコスプレイヤーの撮影場所として密かな人気を得ているとのことです。松戸市のホームページ上でも「コスプレのご利用について」という利用届け出の案内ページまで設けられており、地味に整備されてるのがなんかやらしいです。
 このコスプレ撮影に使われていたという事実は本当に今の今まで私は知らず、試しにリアルマッドシティ市民である冷凍たこ焼き好きの友人にも振ってみたところ、その友人も全くこの事実を知りませんでした。京都市民が地元の寺社仏閣に実は行ったことがないというのと同じというべきか。

 そもそも松戸市をマッドシティと呼ぶようになったのもアニメでそういわれたのがきっかけで、また松戸市内を歩いていると変なアニメ絵で防犯を訴えるポスターが多数貼られていることから、地味にこの町はオタク関連と親和性が高いのかもしれません。とはいいながら露骨にオタク路線を前面に出すわけでもなくあくまで控えめにこうした活動を行っているという姿勢はなかなかに評価できるもので、出来ることなら今の路線のままマッドシティはやっていってもらいたいです。

 最後にこの21世紀の森と広場について個人的な思い出を書くと、ここは先にも述べた通りに小高い丘の上にあって、その丘に至るまでの道はまっすぐな一本道の坂道だったりします。これがサイクリングで走る上では悪くないコースで暇さえあれば6段変速のシティサイクル(ブリジストン製)に乗ってこの公園の入り口近くまで行っていました。
 確かあれは2010年の頃だったと思いますが、公園に至る坂を上り切りやれやれと一息つきながら自転車をこいでいたところ、後ろからヒュッと一台の自転車に追い抜かれました。私を追い抜いたのは小学校六年生くらいの女の子で、本当に意識の外から入ってこられるような感じで後ろに迫る気配が全く感じられないまま一瞬で追い抜かれてしまいました。

 この時何故か頭文字D的な妙なスイッチが入ってしまい、「ここでは俺がエンペラーだ(#゚Д゚)」と心の中で呟き、ペダルを踏む力を上げて女の子を一気に抜き返し、「体幹は悪くない。だがまだ踏み込みが足りんな( ゚∀゚)」とやけに上から目線な寸評を思い浮かべながらそのまま走り去って、丘の上から馬橋駅側へ降りる坂道を通って100満ボルト(当時はまだあった)に向かいました。今思うと、なんであんな大人気なく抜き返したのかわからないのと、あの女の子はその後も自転車を乗り続けているとすればいい乗り手になっただろうという気がします。

プラハ窓外投擲事件のAA

 世界史マニアでも多分あまり知られてないでしょうが現在のチェコで昔、「プラハ窓外投擲事件」という変わった事件が起きてます。それも三度も。
 具体的にどういう事件だったのかというとリンク先をウィキペディアのページで解説されていますが、わかりやすくしたAAが作られているので下記にて紹介します。

第一次プラハ窓外投擲事件
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄」
―――――――――――――‐┬┘
                        |
       ____.____    |   いらない
     |        |        |   |   ドイツ人市長を
     |        | ∧_∧ |   |   窓から
     |        |( ´∀`)つ ミ |   投げ捨てろ
     |        |/ ⊃  ノ |   |
        ̄ ̄ ̄ ̄' ̄ ̄ ̄ ̄    |   ∧_∧
                       (´Д` )
                       ⊂ ⊂ )
                     ⊂ ⊂ ,ノo

第二次プラハ窓外投擲事件
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄」
―――――――――――――‐┬┘
                        |
       ____.____    |   いらない
     |        |        |   |   国王顧問官を
     |        | ∧_∧ |   |   窓から
     |        |( ´∀`)つ ミ |   投げ捨てろ
     |        |/ ⊃  ノ |   |
        ̄ ̄ ̄ ̄' ̄ ̄ ̄ ̄    |   ∧_∧
                       (´Д` )
                       ⊂ ⊂ )
                     ⊂ ⊂ ,ノo

第三次プラハ窓外投擲事件
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄」
―――――――――――――‐┬┘
                        |
       ____.____    |   邪魔な
     |        |        |   |   外務大臣を
     |        | ∧_∧ |   |   窓から
     |        |( ´∀`)つ ミ |   投げ捨てろ
     |        |/ ⊃  ノ |   |
        ̄ ̄ ̄ ̄' ̄ ̄ ̄ ̄    |   ∧_∧
                       (´Д` )
                       ⊂ ⊂ )
                     ⊂ ⊂ ,ノo

 こう言ってはなんですが、本当にAAの通りの事件なだけに色々笑えてきます。っていうかなんでチェコ人はしょっちゅう窓から人を投げるんだろう?

マツダ・ロードスターに対する記事の優劣

 なんか自民党の方で出てきた報道規制に関する話題が盛り上がっているようでそっちを今日は記事に書こうかなと思いましたが、多分結論的にはそんなに面白い結論にはならないと思うのですっ飛ばして、当初の予定通りにマツダが先月発売した新型ロードスターについて書かれた記事の優劣について書きます。

新型「マツダ ロードスター」の販売が好調(マツダのプレスリリース)

 上記のリンク先はマツダが今月25日に発表したプレスリリースです。このプレスリリースでマツダはロードスターの初月販売台数が5042台となって好調な売れ行きを続けていると主張しています。このプレスリリースを受けマスコミ各社も記事を書いており、以下が主なラインナップとなっています。

マツダの新型ロードスター 1カ月で目標の10倍受注(産経新聞)
ロードスター、5042台受注…目標の10倍超(読売新聞)
新型マツダ・ロードスターが発売一か月で5000台以上を受注(clicccar)
マツダ新型ロードスター、受注5,000台! 購入者の反応は? - 40代中心に支持(マイナビニュース)

 どこもマツダの発表通りにロードスターの販売が好調であるという切り口で記事を書いており、内容もプレスリリースに書かれている内容を抜粋したように書いています。逆に言えば、プレスリリースに書かれている内容をただたれ流しているだけともいえ、特に特徴的なのは「顧客層は40代を中心に、20代から60代以上まで、世代を超えて幅広く支持を得ている」という文言です。
 この文言はプレスリリース中に書かれていてcliccarとマイナビニュースはほぼそのまんま使用しているのですが、産経と読売はちゃんとわかっていたのかそのまま書いてはいません。というのも、車の購入層が20代から60代までってそれって当たり前過ぎる事実だからです。むしろ購入層がこの世代に当てはまらない車の方が珍しいだけにわざわざアピールするところじゃないでしょう。

 この辺は私も経験あるので強く言えますが、マツダのプレスリリースはどうでもいい事実をさも重要であるかのように、無駄にアピールすることが多いです。中国事業についてはディーラー店数がこれだけ増えましたーって書いてること多かったし、あと「CX-5」という車種の枕詞には「クロスオーバーSUV」と毎回つけていましたが、これに関して私は当時の社内に対し、「クロスオーバーじゃないSUVの方が珍しい(実質、ジムニーとジープ位しかない)」と説明し、普通のSUVなんだからマツダの意味の分からない表現に惑わされるべきじゃないと主張して、「SUVのCX-5は~」という表現に改めさせました。

 いつもこんな具合なのでこのロードスターのプレスリリースも全体的に白々しさを覚えるし、また多少は仕方ないと記者に同情しつつも、そのまま垂れ流すメディアもどうかなとちょっと思います。そんな風に思っていたところ、ほかのメディアとは一線を画してこのロードスターについてケチをつけた記事がありました。

期待以上の「いいね!」、なのに「う~ん」…悩める新型ロードスター(オートックワン)

 このオートックワンの記事ではまず最初に5042台という販売台数の内訳についていきなり、

「発売直後のリリースは3323台という受注台数だったため、1ヶ月間で1719台ということになります」

 と書き、5042大の大半は発売前予約受注であって実質的な一ヶ月の販売台数は1719台だったと指摘してます。しかもその後で、この5042台の販売台数にはディーラーなどが試乗車として登録した台数も含まれるとして、実際に個人のユーザーが購入した台数は4500台程度だろうと分析しています。
 その上でロードスターの納車待ち期間は一ヶ月程度(2015年7~8月)であるのに対し、同時期にホンダが発売した「S660」は「現在最も早くて2016年4月」であることと比較して、本当にロートスターは人気なのか疑問符を投げかけています。しかもエンジンサイズに比べやや高い価格がユーザーを迷わせているのではという分析も書かれてあり、さすがその道専門の記者が書いた記事だと唸らされました。

 同じ事実一つとっても見方、書き方によって記事の質は大きく変わります。最後のオートックワンの記事は別格過ぎますが、ただ販売台数一つを取って売れ行き好調と垂れ流して書くのは果たしていかがなものかと私は前から感じています。第一、取引先や社員に無理やり買わせることも多いので、月間目標の何倍で売れたかを初月の販売台数でみるのはナンセンスもいい所でしょう。むしろ発売半年後で月間目標を上回っているか、その辺をきちんと調べてほしいな。
 結論をまとめると、マツダのプレスリリースは鵜呑みにできないというこの一言に尽きます。いやまぁ今回のロードスターはデザインは気に入ってるし、車重も1トン切ったのは凄いと思うんだけど、マツダはそれよりもむしろ自社のパートタイム4WD技術の高さをわかりやすくPRすべきだと思う。

2015年6月25日木曜日

石郷岡病院事件について

 最近何故か以前にこのブログで書いた「宇都宮病院事件について」という記事のアクセスがっ上昇していて訝しんでいたところ、どうも下記の事件が影響しているのではないかという結論へ昨日の昼過ぎに至りました。

「頭踏まれ、2年後死亡」患者遺族、病院を提訴(読売新聞)

 上記リンク先のニュース記事の内容を簡単に説明すると、千葉県千葉市にある精神病院の石郷岡病院に入院していた30代の男性患者が、看護師に下着を取り替えられる際に身体を押さえつけられた上に頭を踏まれたり蹴られたりする行為がなされ、男性はこの時の行為がきっかけで首の骨が折れてしまい二年後に死亡しました。遺族はこの時の看護師の行為は医療行為を逸脱した暴行であるとして病院を提訴し、裁判となったことを報じているのですが、この事件の何が面白いかというと男性へ暴行がなされた際の映像が一部始終公開されているからです。

「男性の頭を2回踏み付ける」精神科看護師暴行映像(15/06/18)(ANNnewsCH、Youtube)

 上のリンク先はテレビニュースで報じられた際の編集版ですが、暴行の開始から終了までを映した映像も遺族らによってアップロードされております。一応自分も見ましたが、確かに看護師によって頭を蹴るように踏みつけられているのが映像で見てとれますが、そこまで激しく凄惨な暴行映像ではないので激しく心臓に悪いほどではありません。
 病院側は提訴されたことについて、結果的に患者が重傷を負ったことについては反省すべき点だとしながらも通常の医療行為の一環であったとして、故意の暴行ではなく問題性はないという見解を示しております。まぁ病院側としてはそういうしかないだろうけど。

 恐らく同じ精神病院での暴行事件であったことから、最初に挙げた宇都宮病院事件が見直される形で私のブログへのアクセスが上がってきたのでしょう。宇都宮病院事件は今回の石郷岡病院と比べるともっとはっきりしているというか露骨で、鉄パイプで患者が殴り殺されたり重傷を負わせられたり、東大の医師が関わってたりと犯罪性が非常に明確な事件でした。
 それにしてもなんで病院に鉄パイプが常備されてたんだろうかと思うと同時に、もうちょい突っこまれ辛い凶器を選ぶ方法はなかったのかと今更ながら思います。

 ただどちらの事件でも、精神病院という閉鎖された空間というべきか一般人からすると非常に見え辛い世界で起こった事件ということで共通しています。実際にこの事件を恐らく最初に取り上げた読売の記事でも、このような明確に暴行されたという映像証拠があるというのに警察は全く動かず、精神病患者には人権がないのかとライターが訴えておりましたが、今のところ警察が暴行致死容疑などで石郷岡病院へ捜査に入ったという情報は出ておりません。
 この辺は警察も相手が精神病院ということで対応が難しいのではないかと推察します。伝聞ですが精神病院の職員はやはり激務らしく、体力勝負で体格のいい看護師ほど重宝されると聞きます。今回の事件では映像を見る限りだと暴行を受けた男性はそれほど激しく抵抗しているようにも見えないので以ての外ですが、実際に暴れたりする患者も少なくなくて職員らもいくらか命がけな所もあるように思えます。

 それだけにこの事件に関しては石郷岡病院側を一方的に批判する気には私はなれません。理由を述べるなら、もし自分が職員だったら同じことを絶対にやらないかという自信がないからです。
 ただだからといって、刑事罰や社会的責任が一切免除されるべきだとは言うつもりはありません。少なくとも今回の事件では紛れもなく必要以上な暴行がくわえられ、それがきっかけでこの男性患者が死亡したことはほぼ疑いようがなく、この点について石郷岡病院は遺族らに対し真摯な対応を取ると共に、必要であれば刑事罰も受けるべきでしょう。

 最後に男性患者について私が最初にこの事件について報じた記事(確か先週に読んだ)内容を思い出しながら書くと、この方は20代の頃は大学にもきちんと通うなど全く問題ない生活をしていたのですが、何かのきっかけで精神医療科を受診した際に向精神薬を処方され、それを服薬してから徐々に精神に変調をきたすようになったそうです。専門的なところまではわかりかねますが、記事中では「一から十まで精神医療にこの男性は殺された」という論調で書かれてあり、まぁちょっと私も思うところが少しありました。

 ちなみに私は大学時代に一回、学内にある無料カウンセリングを週一で一ヶ月程度受受診したことがあります。その時のカウンセラーの方はわかりやすい話し方でいろいろ相談に乗ってくれ、今でも当時の話を思い出すくらいに私にとってはいい体験でした。
 またこの時、カウンセリング室の前にあるパンフレット類が並べられた棚の中に京都大丸での「大・水木しげる展」の無料参観チケットが何故か置かれてあったので、二枚ほど持って帰って友人と一緒に見に行ってから本格的に水木しげるに目覚めました。そういう意味でもあのカウンセリングは私にとって非常に重要なイベントだったと言えるでしょう。

2015年6月24日水曜日

時代劇の大悪役、鳥居耀蔵について

 最初にこのブログのリンク先として新たに追加した、下記のブログを紹介します。

ピンハネ屋と呼ばれて

 ブログタイトルこそ後ろ向きであるものの書かれてる内容は割とエネルギッシュというかやや躁気味な内容に満ちています。このブログはどういったブログかというと、㈱リツアンSTCという静岡県にある人材派遣会社の現役社長が書かれているブログです。
 なんでこんなブログを紹介しようっていうのかというと、今年一月に私が派遣マージン率について書いた記事を読まれたことから連絡があり、ちょいちょいやり取りするうちにこういうブログを始めたと聞いたので、それならば是非と紹介することとしました。正直、あのマージン率の記事は派遣労働者からはいくらかレスポンスが来るだろうと思っていたものの、まさか派遣会社を運営されている方からコンタクトが来るとは夢にも思いませんでした。あともう一つ気になる存在として、スタッフサービスさんはちゃんと私の記事を読んでいるのだろうか……。

 そんなわけで本題に移りますが、適当な間に合わせのネタとして時代劇マニアなら既におなじみですが普通に日本史勉強していたらまず目にすることのない面白い人物として今日は、江戸後期最大の悪役である鳥居耀蔵について紹介します。

鳥居耀蔵(Wikipedia)

 鳥居耀蔵とは江戸時代後期の人物で、幕府直参の旗本として勤務した武士です。彼が表舞台に出てくるようになったのはあの有名な「天保の改革」の頃で、改革の主導者であった水野忠邦に見いだされて当時の江戸において最高裁判官に当たる南町奉行に抜擢されます。

 一体何故この人物が時代劇で悪役にばかりされるのかというと、一言で言ってしまえば頑固で人の話を全く聞かず、自分の価値観で他人を陥れたり捕縛したりをびっくりするくらい繰り返したからです。南町奉行時代は犯罪者崩れの手下や密偵を使ってはおとり捜査を繰り返し、気に入らない人物を次々とブタ箱(当時からそう言ってたかは知らないが)にぶち込んでいたそうで、そうしてついたあだ名は「蝮の耀蔵」となるほど当時の民衆からも明らかに嫌われていました。
 なおこの時の北町奉行はあの有名な「遠山の金さん」こと遠山景元で、鳥居が大衆娯楽の寄席などを規制しようとしたのに対して遠山は放任しようとするなど寛大な政策を取ったため、「遠山=善玉、鳥井=悪玉」という構図は早くから確立されました。

 話は戻すと、大衆に対しては厳しい態度を取りつづけた鳥居ではありましたが時の老中の水野忠邦に対しては完全なイエスマンで、水野の推し進めるぜいたく禁止令などの社会規制策は自ら率先的に実行していきました。特に顕著だったのは蘭学に対する施策で、天保の改革期に蘭学者を弾圧した「蛮社の獄」では中心人物となって関係者の一斉捕縛にも関わり、また開国はおろか西洋技術の導入に関しても終始反対し続けました。

 極めつけはこうした悪人にはなくてはならない讒言で、前任の南町奉行であった矢部定謙を讒言で追い出してちゃっかりと後任として就任したことを皮切りに次々とライバルを追い落とし、遠山景元に対しても水野と組んで北町奉行から大目付へ転任させることに成功しています。
 ただこうした鳥居の専横は水野という後ろ盾があったからこそというものがありました。しかしその水野による天保の改革がわずか二年で失敗に終わると、鳥居は保身のために水野を裏切り不正の証拠を一気に横流しするというスタイリッシュさを見せつけてくれました。これほど典型的な小悪党ってそうそういないだろって思うくらいの活躍ぶりです。

 いろんなことがあったけども、何はともあれ水野を裏切りこれにて一件落着……かと思いきや、一旦左遷された水野は開国などの外交問題を巡ってわずか半年で老中の座に返り咲くというカムバック賞ものの復帰を果たしました。この時にはさすがの水野も自分を裏切った鳥居の事は忘れておらず、今度は鳥居が同僚に裏切られる形で職務怠慢を理由に解任された上、財産没収となった挙句に丸亀藩(現在の香川県丸亀市)に預けられて蟄居させられます。

 丸亀藩に預けられた鳥居は監視されたまま屋敷に留め置かれ、当時の彼の日記には、「この一年間、誰とも会話しなかったなぁ(´・ω・`)」なんて記述も残されています。その軟禁期間は、江戸時代が終わって恩赦が出るまで実に20年にも及び、勝海舟によると鳥居が食べて投げ捨てたビワの種が出てくるころには立派な気に育っていたそうです。
 ただそんな軟禁生活も途中からは段々と行動の自由が許され、この間には丸亀藩士らとも交流を持ち彼らへ自分の知る知識を惜しみなく教えていたそうで、交流した藩士からは好々爺足るような好印象を持たれていました。

 しかし明治維新によって政権が変わったことにより、鳥井に対しても恩赦が出て晩年には完全な行動の自由を得ることが出来ました。なおこの恩赦が出された時も、「自分は幕府の命でここにいるのだから幕府の命令でなければ出て行かない」と言ってあくまで抵抗したそうです。また解放後も、開国された日本の各地を見て回っては悪態をついて回り、元部下が訪ねて来た際には、「自分の言うことを聞かずに開国したから幕府は滅んだのだ」と自説を曲げずに元部下を呆れさせたというエピソードまで残っています。

 最初にも書きましたが鳥居という人物は呆れるほど頑固でかつ敵対心の強い人物で、悪役として描くに当たってこれ以上の人物はいるか、いやいないと反語で言いたくなるほど典型的なキャラクターをしています。しかし20年間も軟禁されながら自説を一切曲げない頑固ぶりはある意味凄い所で、勝海舟も、「嫌な奴だったけどあの頑固っぷりは大したもんだった」と述べています。
 この鳥居は日本史の教科書にはまず出てくることはない人物ですが、私としてはこれほど面白い人物はそうそういないんだし、出来ることなら天保の改革と合わせてちゃんと教えてあげてほしいなという気がします。まぁ完全な変人の領域ですけど。

2015年6月22日月曜日

中国製造業の現場の声

 先日、所属しているサークルの懇親会に参加してやってきたほかの参加者と歓談する機会を得ました。ちなみに出席者の中で30代は私一人で、40代もおらんかったなぁ……。
 主に話をしたのは中国法人の駐在員の方で、住んでいる場所がらか自動車関連企業の人が多かったのですが、最初に話題になったのは「次はどこに行くべきだろうか?」でした。

 結論から書くと、こちらの現地駐在員の間ではもはや中国で製造業は成り立たないという認識が強く持たれています。既に繊維業を始めとした軽工業系の日系企業はほぼすべて中国から撤退してベトナムやフィリピンといった東南アジア諸国に移転して、家電を始め斜陽気味の電子関連も現在移転を進めており、そして残った自動車関連も移転へのウォームアップを始めている状態です。

 移転に動く原因は何か。突き詰めれば中国で高騰する人件費が何よりも大きく、次に急激な円安です。円安に関しては特に歓迎する企業よりもこれによって苦しんでいる企業の方が実感としては多いように思え、具体例を挙げると鋼材の価格等は日本材の価格は既に中国材を下回る所まで来ており、だったら質も安定している日本材を使って日本で作った方が物も安くていいじゃないかという運びになるほどです。実際、中国から第三国への出荷を取りやめ、日本からへの出荷にどこも切り替えてます。

 もう一つ、中国からの撤退に動こうという大きな動機としては、中国国内で製造業の技術が過去20年間、何一つ向上しなかったという声もありました。たとえば日産は中国の合弁相手である東風自動車と共同で中国オリジナルの自主ブランドを作りましたが、結局この自主ブランド車に使われている部品はほぼすべて日系企業の手によるもので、ローカル企業の部品はほとんど採用できず実質的に普通の日産車と変わらない内容になってしまったようです。

 もし仮に中国のローカル企業で独自技術なり品質の高い生産が実現できていればまだ中国に残る理由も出てくるものの、そう言ったものはほとんど何もなく、昔と変わらない生産環境でただ人件費だけ上がってきたというのが現状とよく指摘されており、私自身もそう感じます。そのため不良率を換算した生産コストはこの頃だと日本が中国を大きく上回るようになっており、中国国内向けに供給するものを除くと海外に出荷できる価格ではないそうです。

 恐らく、中国政府としては軽工業から重工業への転換を狙っており、雇用の吸収力の高い自動車関連に関しては自国内に大きな市場を抱えるだけに主力産業として育得ていこうという意識を持っていました。しかし現状では他の産業同様に外資なしでは成り立たない産業と化しており、その外資の撤退によっては急速な衰退も有り得なくもありません。中国贔屓の私の目からしても、恐らく部品メーカーなどは第三国に撤退して彼らが抱えていた労働者の吸収先に困る事態が起こる気がします。

 ただ第三国に撤退すれば日系企業は安泰かというとそうとまでは言い切れません。移転した当初はまだよくても、移転先の国でも経済力が高まれば中国同様に人件費は高騰していき、それも人口大国の中国以上に急激なスピードで高まることが予想されます。そのため、移転から数年はよくても10年くらいたったらまた移転しなければと腰の落ち着かない経営になることも考えられます。

 逆を言えば中国は現在でこそ人件費が高騰しているものの、そのスピードは非常にゆっくりだったのではないかと私は考えています。それでいて世界中から製造業が集まって世界に商品を供給していた、言うなればここ10年ちょっとくらいは中国によって世界中がデフレ傾向にあったと思えます。ある意味でこれは消費者にとって黄金時代で、今後は逆に世界中で商品価格が上がるインフレ傾向が起こり、「昔はパソコンが10万円もあれば買えたのに」という時代に逆戻りするかもしれません。もっとも、私としては現在の供給過剰な状態を考えるとそうなった方が良いと思っていますが。

 最後に繰り返しとなりますが、製造業に関しては確かに中国はもう限界になりつつあるというのが私の見方です。こうなったのも状況の変化、また産業育成の失敗にあるというのが私の分析です。

2015年6月21日日曜日

種類が多過ぎる日本語の代名詞

 木曜夜からちょっとした遠征に出ていたためここしばらくはブログの更新を休んでおりました。たまにこんな感じでしばらく更新を休む度に夜することない時間が有り余るのにつけ、自分がどれだけこのブログ二時間を使っているかが毎回痛感します。それこそ仮にのこのブログ更新をやめればVスライダーを習得するくらいの時間が得られるでしょう。実際習得するかしないかは置いといて……。

 そんなわけで本題ですが、結論から言うと日本語の代名詞は種類が多過ぎてめんどっちいです。ここで取り上げる代名詞とは会話の際に直接話しかける相手への代名詞で、専門用語を使うなら「二人称代名詞」というやつですが、私の方から例を出すとこんなにもいっぱいあります。

<日本語の主な二人称代名詞>
・君……同格の人物に対し使用する。
・あなた……同格、または目上の人物に対し使用する。
・お前……同格、または目下の人物に対し使用する。
・あんた……同格、または目下の人物に対し使用する。
・貴様……部下、または敵対する相手へ使用する。尊敬語から侮蔑後に変化した好例。
・てめぇ……侮蔑的意味を持ち、ヤンキーぶった人が主に使用する。
・自分……関西圏を中心に同格の人物などへ使用する。関東人が言われると確実に戸惑う。
・おのれ……関西圏を中心に同格、または目下の人物に対し使用される。
・おどれ……広島県を中心に同格、または目下の人物に対し使用される。
・おどりゃ……クソ森に対し使用される。
・お主……時代劇マニアなどが使用する。
・貴殿……麻呂っぽい人が使用する。
・そなた……麻呂っぽい人と中二病入った人が使用する。
・うぬ……主に拳王が使用する。
・ユー……主にルー大柴とジャニーさんが使用する。

 以上を見てもらえばわかるでしょうが、改めて眺めるとどれも同じ意味でありながら相手や場面によって使い分けられていることを考えるとあまりにも種類が多すぎるように思えてなりません。ネイティブの日本人ならともかく、外国人が日本語を学ぶ際には使い分けにおいて面倒なことの方が多いでしょう。
 はっきり言ってしまうと私はこの二人称代名詞の使い分けは言語的にも何も美しさを感じないし、場面によって使い分けなければならない煩雑さと、自分が他人から「おい、お前」と言われた時にカチンとストレスに感じる事を考えると、不必要な使い分けにしかなっていないのではないかと思えてなりません。

 なんで私がこう思うのかというと、外国語ではこんなにも煩雑な使い分けがないからです。ほかの国の二人称代名詞は至ってシンプルそのもので、恐らくこれほど種類の多さだったら日本語が一番多いのではないかとすら思います。
 外国語の二人称駄目意思の具体例として、下記に中国語と英語の例を記します。

<中国語の二人称代名詞>
你(ニイ)……目下、同格、目上に対して幅広く使用される。
您(ニン)……目上に対して使用される。つっても取引先に対しても你で結構通ってしまうが。

<英語での二人称代名詞>
You……目下、同格、目上に対して幅広く使用される。
Oh my load……主にホビット庄のサムワイズ・ギャムジーが使用する。

 以上を見てもらえばわかるでしょうが、日本語は無数と言っていいほどあるのに対して中国語も英語も主なものだと二種類しか二人称代名詞がありません。説明するまでもないでしょうが日本語があれだけ多種類に分かれているのは話者同士の地位を言語によって厳しく区別しようとしているからで、そのせいで相手の地位に対し間違った代名詞を使うと怒らせてしまうし、逆に言われると不快に感じてしまうわけです。
 そんな日本語に対して中国語も英語もフラットな使い方をしています。もちろん中華圏でも英語圏でも地位の違いはありますが日本語ほどそれが強調されることはなく、だからこそ向こうでは比較的関係がフラットで大抜擢や下剋上も有り得るのかなと思えてきます。

 そもそもなんでこんな記事を書こうと思ったのかというと、なんか「ロードオブザリング」のサムについて書きたいなぁ……なんて思って、「Oh my load」から発展させて記事内容を作りました。ぶっちゃけ、サムの名前さえ出せればいいやって感じで書いてたし。

2015年6月17日水曜日

国民栄誉賞に相応しいと思う人物

 国民栄誉賞と言ったら日本人なら誰もが知るポピュラーな賞で、恐らく紫綬褒章なんかよりも知名度は高いと思われます。そんなこの賞ですが受賞が発表されるたびに受賞基準や、時の政権の人気取りではないかなどと議論になります。
 無論その議論はもっともなもので、何をしたら受賞となるのかという明確な基準がなく、かつその対象もはっきりしないところがあります。最近だとスポーツ、文化面で大きな功績のあった人物が対象として固定されつつありますが、比率的にはスポーツが多いため、この際だからもうスポーツ選手に限定して俳優など文化方面の人には別の賞を設けた方が良いんじゃないかと密かに思います。それこそ文化国民栄誉賞、スポーツ国民栄誉賞みたいにさ。

 そんな国民栄誉賞ですが、かつて大リーグのイチロー選手は受賞を辞退したことがありました。まだ現役とはいえ当時から大リーグで活躍して日本全体を明るくしたということは疑いようなく私個人としては受賞する資格は他の受賞者と比較しても見劣りせずに十分だと思いましたが、そのへんはさすがはイチローというかよくわきまえた行動を取ったなと覚えます。
 なお同じ野球選手としては世界最高の盗塁記録を持っている福本豊氏も打診を辞退していますが、その際の辞退理由は、「そんなんもろたら立ちションもでけへんようになる」でした。

 話は変わって今日の本題でもある誰が国民栄誉賞に相応しいかですが、上記のイチロー選手のエピソードを考えるにつけ「日本を明るくさせた」ということがやはり大きなポイントのように思えます。なでしこJAPANにしろ吉田沙保里選手にしろこの点では両者ともに十分当てはまり受賞も適当と思いますが、私個人の意見としては「明るくさせた」に加え「あきらめない」という強い精神性も評価に入れるべきではないかと思います。
 吉田選手などいい例ですが、驚異的な記録は一年や二年で作られるわけではなく、長年にわたって延々と鍛錬をし続けることによって初めて達成されます。ホームラン記録の王貞治氏にしろ大相撲の大鵬にしろ、そうした点がやはり評価されたからこそ受賞に至ったのでしょう。

 その「あきらめない」というかネバーギブアップな精神性でもって測るなら、密かに大リーグのブルージェイズで活躍する川崎宗則選手なんか案外受賞してもいいんじゃないかと本気で考えています。詳しく語るのも野暮なくらいですが川崎選手は外国人ながらチームの地元に異常なくらいに溶け込んでおり、シーズンオフにはチームメートのみならず地元ファン、果てには球団オーナーからも「ぜひ残ってほしい」と言われるほどそのキャラクターが評価されています。
 また選手としての実力は日本のリーグであれば間違いなく一流選手に数えられるほどであるものの現地大リーグの壁は分厚いためここ数年は一軍と二軍を何度も往復するようなことが多いですが、そうした環境に対して何一つ不平を洩らさずチームのためにと活動する姿は地味にかっこいいです。

 もともと川崎選手は日本にいた頃からもチームメイト思いな選手で、彼がベンチにいるだけで明るくなり、WBCに参加した際も「川崎を連れてきてよかった」と監督などからコメントされるなど盛り上げ役としてこちらも異常なくらいに高く評価されています。こうした献身的な姿勢、そしてイチロー選手に対するストーカーじみた行為(甲子園でイチローにホームラン打たれた投手の名前も言えるらしい)、過酷な環境においても試合に出るため努力し続ける姿勢はまさに日本人の鑑だと思え、もうこの際だから国民栄誉賞をあげてしまった方が良いのではないかと思います。
 もっともムネリンの事だから、「イチロー選手が辞退したものを僕が受けるわけにはいきません」と言いかねないだけに、多分喜ぶだろうからイチロー選手との同時受賞にさせてあげるのが一番ベストかなという気がします。こうすればイチロー選手も苦笑いしながら受けてくれそうだし。

2015年6月16日火曜日

派遣雇用の3年ルール改正案について

 先週末に友人二人とスカイプでグループチャットをした際、なんかの拍子に、「アマテラスって絶対ブラコンだよな」と発言し、そのあとカマキリの雄が交尾後にメスに食われることについて、「彼らだって、本音じゃ死にたくなんかないよ」などと妙なことを口走ってました。しかもその後はオニヤンマがどれだけ強いかという議論になったし。

法改正騒動で分かった、各党の「派遣」への眼差し(ジェイキャスト)

 そういうわけで話は本題に入りますが、現在国会では派遣法の改正議論でそこそこ盛り上がっています。本音を言えばマージン率公開義務が全く機能していないことを誰か口にしてくれれば私としてはありがたいのですが生憎そうではなく、主題となっているのは上記リンク先で雇用問題に関しては信頼のおけるコメントをいつも出す城繁幸氏が語っているように、派遣開始から3年後に直接雇用を義務付ける3年ルールについてです。

 そもそも3年ルールって何ってところから始まりますが、結構この法律の解釈は話す人によって変わるのであくまで私による一つの解釈として説明すると大まかな骨子は下記の通りです。

<派遣雇用の3年ルール>
1、同じ業務作業に対する派遣雇用は最長3年まで。それ以降雇うならば直接雇用に切り替えなければならない。
2、直接雇用にするのが嫌だからと、同じ業務で別の派遣社員に切り替えることは禁止。
3、専門26業務に関しては、上記の規定に従わず無期限に派遣社員を使い続けてよい。

 これが現在出ている改正案は、城氏の記事から引用するとこうなるそうです。

<改正案>
1、専門26業務と呼ばれる派遣労働者にも「受け入れ後3年で直接雇用に切り替えさせる」という3年ルールが適用される。
2、一定の条件を満たせば、3年ごとに派遣労働者を替えることで、企業はずっと同じ職場で派遣労働者の受け入れが可能である。

 この改正案が認められないとして先日、民主党は委員会で採決しようとした議長を締めだしたりなど一悶着を起こしたわけですが、城氏によると民主党自身も政権時に3年ルールの規制強化によって逆に派遣労働者を追い詰めた所があり、いまいち強気で攻めきれないという読みがあるとのことで、私もこの見方に同感です。
 実際に派遣の現場でこの3年ルールがどれほどまで遵守されているのか非常に疑問だし、またルール2に書いた「同じ業務なら3年越えの派遣社員を別の人に切り帰るのも駄目」という内容も、言い方次第で案外どうとでもなってしまうのではないかと私は考えています。たとえば、「パソコンへのデータ入力業務」を「データの分析業務」と言い換えたりして、実質同じ業務を別の業務に切り替えたと言い張ったりするなどして。

 またこの3年ルールの弊害として、特に問題なく働いているのにこのルールのせいで雇用側も被雇用側も3年経ったら契約を打ち切らなくてはならないというケースもある、というかそれが今一番問題となってるわけです。これが改正案2に関わる所ですが、直接雇用に切り替えろったって雇用側がはいそうですかと同意するわけなんてほとんどないだろうし、となるとそこそこ派遣社員といい関係を築けていたって契約を切るしかないでしょう。確か今年の10月でこの3年ルールが適用開始になるそうで、このまま民主党が手を加えた状態のまま放っておいたらどうなるのかいろいろ楽しみです。

 ここまで読めばわかるでしょうが、私個人としては現在出ている自民党の改正案に実は賛成だったりします。派遣がいいか悪いかではなくこの3年ルールは現場に無駄な混乱しか生み出さないようにしか思え、やはり廃止するのが早いでしょう。正社員化を促すのであればこういう規則ではなく、税制面で正社員化によって企業負担をもっと軽くさせるなどの方がもっと効果が見込めるでしょう。

 以前にも書いていますが私は派遣社員を減らすのではなく正社員を減らすことが日本社会全体、それは企業にとってだけではなく労働者にとってもプラスになると私は考えています。そういう意味で派遣社員が増えて雇用の流動性が増すことは歓迎すべきだと思うものの、それはあくまで定められた効果的なルールが確実に実行されることが前提であって、マージン率の公開義務が果たされていない現状は望ましくありません。
 現状、派遣法に関しては二転三転しているところがあり、これらはすべてどういう方向に派遣雇用を持っていくのかという終着点を誰も持っていないせいだと思います。派遣は一時的な代替雇用手段で日本人全員正社員化を変に目指そうとするからこうなってるのであって、そういう無駄な幻想は早く捨てるべきだというのが私個人の主張です。

2015年6月14日日曜日

日本研究者187人の「日本の歴史家を支持する声明」の検証

日本研究者:欧米の187人が安倍首相に送付した「日本の歴史家を支持する声明」全文(毎日新聞)

 上記リンク先は先月初め、欧米の日本研究者187人が署名して発した「日本の歴史家を支持する声明」という文章全文(日本語)を載せた毎日新聞のページです。たった一ヶ月とはいえなんか随分前のような気もしますが、この声明文についてほとんどの日系メディアは、「欧米の研究者たちが揃って安倍首相の歴史認識を非難する声明を出した」と当時報じておりました。しかしその一方、下記のように報じるメディアもありました。

「187人声明」は、"反日"でも"反韓"でもない(東洋経済)

 上記リンク先の東洋経済の記事ではこの声明文の中心的執筆者二人にインタビューを行っており、両者はメディアが報じているように日本、ひいては安倍首相を非難する目的ではなくあくまで公平な視点で歴史を探求すべきだと日本の研究家に向けて発信しただけだと主張しています。となると「安倍首相を非難する」と報じたメディアが間違っていたのか、この辺りが疑問というか一体どっちやねんというもやもやした気持ちがこのニュースについてありました。


<間違っているのはどっちだ?>
 向こうが出した声明文は一番上の毎日のリンク先に日本語版全文が載せられていますが、少なくとも私が見る限りだと、従軍慰安婦問題を引き合いに出してはいるものの特段日本を批判するような文言はなく、安倍首相の名前も終わりから三段落目の下記文章に一度だけしか出てきません。

「四月のアメリカ議会演説において、安倍首相は、人権という普遍的価値、人間の安全保障の重要性、そして他国に与えた苦しみを直視する必要性について話しました。私たちはこうした気持ちを賞賛し、その一つ一つに基づいて大胆に行動することを首相に期待してやみません。」

 これだけ見るならば「正しい歴史認識に基づいた行動を」という具合で釘を刺している印象はあるものの、非難というレベルの書き方ではないように見えます。となると日系メディアが安倍批判に利用するため過剰に報じたのか、そういう疑問がもたげてきます。しかし報道では日系だけでなく海外のメディアもこの声明文を引用して同じように安倍首相を非難するものだと報じているとされ、またも一体どっちやねんと思えてきたわけです。

 最終的に私が出した結論としては、「なら英語の原文を見よう。もしかしたら出回っている翻訳が間違っているかもしれない」というもので、英語の声明文をこの際だから自分で訳して検証してみました。というわけで、以下がその翻訳文です。


<私の手による英語声明文の和訳>
題:日本の歴史家を支援する公開文書

 下記に署名した日本研究者は、日本にいる多くの勇気ある歴史家がアジアにおける第二次世界大戦の正確な歴史を探ろうとすることについて結束することをここに表明します。日本は我々研究者の大半にとって第二の故郷であり、日本と東アジアの歴史を研究し、記憶していくことは共有すべき関心事であるため我々はこの声明を発します。

 記念すべき重要な今年、我々は日本とその隣国の間における70年間に及ぶ平和をお祝いいたします。戦後日本はその民主主義の歴史において軍隊の文民統制と警察の抑制、政治的寛容、科学の発展、他国に対する総合的な支援はどれも賞賛されるべきものです。

 しかし歴史解釈の姿勢に関する問題がこれらの賞賛を妨げております。最も関係を悪化させている歴史問題はいわゆる「従軍慰安婦制度」です。この問題は日本や韓国、中国の口汚い民族主義者によって大きく歪められており、研究者だけでなくジャーナリストや政治家においてすらも、人間のありようを理解させ改善を求めようとする歴史探求における原則的な終着点を失わせています。

 かつての「慰安婦」の犠牲者の苦痛を……(注:この箇所は非常に面倒くさい言い回しをしているため翻訳を拒否。書いた奴には死んでほしい)。しかし、慰安婦に何が起こっていたのかという事実を否定、もしくは矮小化することは同様に受け入れることが出来ないことです。数多くある20世紀の戦時中の性暴力、または軍による売春例の中、「慰安婦制度」はその広範な運用と軍による管理された点と、日本の植民地、または占領地の若くて貧しく、無力であった女性に対する搾取であった点で他の例とは異なっております

 「正しい歴史」へと簡単に至る道などありません。日本帝国軍の多くの記録は廃棄済みです。女性を軍へと斡旋していた業者の行動は記録されていなかったかもしれません。しかし歴史家によって軍隊が女性の輸送や売春宿の管理に関わっていたとする数多くの文書が明るみに出されています。犠牲者の証言もまた重要な証拠です。彼女らの話は多様でかつ矛盾が生まれやすい記憶の影響を受けつつも、彼女らによって提供され集まった情報は心を動かされるもので、なおかつ兵士やその他の証言同様に公文書によって(正しい情報であると)補填されています。

 「慰安婦」の正確な数について歴史家の意見は分かれていますが、「¥恐らく確実な数は永久に知ることはできないでしょう。犠牲者の推計数を打ち立てることは確かに重要です。しかし究極的には、その数はその犠牲者数が正確に1万人だったのか10万人だったのかに関わらず、日本の支配地域と戦地においてこうした行為が行われてきたということは紛れもない事実です。

 いくつかの歴史家は日本軍がどれほど従軍慰安婦制度に関わったのか、また女性はどれほど強要されて「慰安婦」になったのかという程度について議論しています。しかし多くの女性が意思に反して恐ろしく野蛮な行為にさらされたということは既に証拠が明らかにしております。特定の団体、または犠牲者の暴力的な被害をなかったこととしたり無視したりするような反論に焦点を当てた法律主義的な討議を採用することは……(注:この箇所の動詞の扱い方がおかしいのでここも翻訳拒否。なんで「and ignores」と続くんだよ)。

 日本における我らの同僚のように、我々は注意深く天秤にかけつつあらゆる過去の資料の文脈を精査することによってのみ、正確な歴史を作ることが出来ると信じております。そのような作業では民族主義や性別への偏見を排除しなければならず、また政府の情報操作や検閲、脅しから影響を受けてはなりません。我々は歴史探求の自由を守り、すべての政府にそれらを守ることを求めます。

 多くの国にとって過去の不正義な事実は受け入れがたいものです。米国政府が二次大戦中に二次大戦において隔離した日系米国人への補償を行うまでに40年以上かかりました。米国法で奴隷制が廃止され平等が約差即されたものの、アフリカ系米国人は約一世紀の間それを実感することができず、アメリカ社会には差別意識が根深く残っていることは真実です。19~20世紀における欧米や日本を含む帝国主義勢力の中で過去の差別や植民主義、戦争、そして世界中で無数の市民を犠牲にした歴史をきちんと清算したと主張できる国はありません。

 日本は今日、最も弱い人を含め個人の生活や人権を認めています。日本政府は現在、「慰安婦制度」のような制度上での女性への搾取を国内だけでなく海外でも認めていません。当時においてさえ、いくらかの役人は倫理的な立場に立ったでしょうが、戦時中の管理体制では個人を犠牲にして国家に奉仕せざるを得ず、ほかのアジア人同様に日本人自身も多大な犠牲を起こすこととなりました(注:日本人からも多くの女性が慰安婦になったと言いたいのだと推察する)。そのような悲劇は二度と繰り返してはなりません。

 今年は日本政府が過去の植民地政策と戦時中の侵攻について発言と行動することによって、そのリーダシップを示すのに一つのよい機会です(注:「よい機会」だなんて勝手に決めるなと読んでて思う)。4月の米国議会において安倍首相は人権の国際的価値観、人間の安全保障について言及し、日本が他国に与えた苦しみにも直視しました。我々はこうした(安倍首相の)心情を賞賛し、これらすべてを具体的な行動に移すことを強く促します。

 過去の過ちを認める行動は民主社会を強化し、周辺国との関係も発展させます。「慰安婦問題」は平等な権利と女性の尊厳が核となっており、この問題の解決は日本、ひいては東アジアや世界の男女同権の歴史的な前進となり得ます。

 我々の教室では日本や韓国、中国など世界各国から来た生徒が十分な敬意を払いつつ誠実にこの難しい問題を議論しています。彼らの世代は、我々が彼らへと託す過去の記録とともに生きていくこととなります。性暴力と人身売買のなき世界を彼らが作るのを支援するため、またアジアにおける平和的な友好を促進するため、我々は出来うる限り完全かつ偏見のない過去の過ちの清算を残さなければなりません。
(和訳文終わり)


<翻訳を行ってみた印象>
 日系メディアなどで出回っている声明文の日本語版はこの声明を発した団体自らが用意したものですので、共通したものが使われています。その向こうの和訳と比べて私の和訳とはどのような違いがあるかですが、基本的な内容は一緒で、何かの語句を省いたり意味が大きく異なっているような箇所はありませんでした。ただ全体的に原文では英語版と比べて日本語版だと表現が全体的に緩められており、語の感じが軟らかく受け止められるように変えられている印象を覚えました。

「過去の過ち清算」せよと叱責する「日本研究者」の正体(産経新聞)

 この日本語版では表現を緩めている点については上記の産経新聞の記事も指摘しており、産経はきちんと英語版と日本語版を見比べていたことがわかります。ほかのメディアはきちんとやったかは知りませんが、何故日本語版では緩めたのか、その意図がやや気になります。

 そしてもう一つ気になった点として、私はこの声明文の英語版原文をこのサイトから取ってきたのですが、声明文自体は今年の5/5に発信されていますが、5/7に署名者を追加した上でアップデートされ、その際に声明文の概要を書いた前文が追加されております。こちらは日系メディアでは多分どこも翻訳していないので、こっちも私の方で下記の通り翻訳してみました。


<追加された前文の和訳>
 オンライン人権、社会科学ポータルサイト「H-Asia/H-Net」は2015年5月7日、日本の安倍晋三首相に対し、先の4月29日に日本の首相として初めて米国の両院合同議会で行った歴史に関するスピーチで持ち上げた問題について、「具体的な実行」を呼び掛ける、日本研究者187人による公開声明をここに発信します。

 この声明では安倍首相に対し、彼自身が現在の日本について語ったスピーチで話した内容を確実実行するよう特に強く促したい。そのスピーチ内容というのも国家はなによりも「人権」と「安全保障」に重きに置くというもので、この目標の達成に当たって、(署名した)学者たちは安倍首相に対し、70年前(に終結した)の占領と戦争の時代に日本が他国に与えた苦痛を含む真実の歴史を直に知るよう求めます。最も大事なこととして、こうした真実の歴史を知ることは日本と過去に占領統治されたアジアの周辺国家との間で、公正な歴史事実に基づいた和解を促すこととなります。これらを実行するという方針は今日の日本とは大きく異なっていることを明確に示します。

 南京大虐殺、靖国神社(戦犯を含む戦没者に対する東京のモニュメント)と並び、(アジア)地域の歴史問題において緊張を招く重要な要素の一つである、いわゆる日本軍の「従軍慰安婦」の歴史は特別注目に値するものです。(この声明に署名した)学者は安倍首相に対し、従軍慰安婦制度は軍隊によって大規模かつ規則的に、また植民地や占領地の若くて貧しく、そして無力であった女性に対する搾取によって運営された著名な制度であったということを公に認めるよう求めます。

 1993年以降、日本政府の歴代首相は2006~2007年の安倍政権を除き、この卑しむべき歴史に対し謝罪談話を発し続け、その言葉と実行において程度の差こそあれ日本の方針として堅持し続けてきました。

 「直接的にせよ間接的にせよ、当時の日本軍は慰安所を設立、運営し、慰安婦を送り続けました。慰安婦の斡旋は主に軍から要請を受けた民間の斡旋業者が行っていました。政府(注:どこの政府なのか本文中に明示していない)の研究によって明らかになったこととして、慰安婦らは多くの場合、口車に乗せられたり無理強いされたりなどして本人の意思に反して斡旋されており、時には軍の管理関連の人間も斡旋行為に直接参加していました。強制的な環境下における慰安所での彼女らの生活は悲惨でした。日本を除くと、そのような戦地に送られた慰安婦の大半は朝鮮半島から送られていました。当時の朝鮮半島は日本の統治下にあり、彼女らの斡旋や管理などはほとんど彼女らの意思に反し、口車に乗せられたり無理強いされたりなどによって実行されていました。(注:なんで同じこと二度言うねん)」

 1993年以降、この慰安婦制度が大半の犠牲者が生まれた韓国と中国でどのように運用されていたのかについて研究が深まっていったことに加え、我々は日本軍がその占領範囲を広げたフィリピン、インドネシア、シンガポール、サイパン、グアムなどでもどれほどこの制度が援用されたのかを深く知りました。

 しかしながら2014年春、当時発信した官房長官の名前が付けられた「河野談話」として知られる教書を安倍首相が「見直す」と発表したことにより、理解と共感を深めようとするあらゆる作業は、特に日本と韓国の間で破滅的なまでに頓挫してしまいました。今年は70周年(注:何の70周年なのかくらい書けバカ)という重要な節目となる年であるのに、東京、ソウル間の関係は「過去最低」とまで評され、2015年6月22日にソウルと東京は国交正常化50周年を祝うはずであることからその関係はなお一層注目されています。

 我々はこの声明文全文を下記に英語、日本語それぞれで配信致します。この声明文はアジア研究者を対象として毎年シカゴで開かれるオープンフォーラムの2015年5月の会で、日本国外の日本研究者の間で協議して作られ、当初は英語版のみで公開されたものです。この声明文の主眼は、署名者は過去長い間証明されてきた歴史を民族主義的な価値観で捻じ曲げようとする行為に対し最大限の努力でもって拒否するということを明示するということです。

 この声明文の結論には、我々が後世に残そうとする過去の記録を学ぶ今日における世界中の生徒に対し、署名した我々全員は「可能な限り完全かつ偏見のない過去の過ちの清算」を残すことについて責任を分かち合うという、視点でもってまとめてあります。
(和訳終わり)


<安倍首相に対する明確な悪意アリ>
 最初の翻訳同様に荒い訳なのでところどころ間違っているような箇所もあるかと思いますが、全体的な概要位なら私の翻訳でもカバーできてるかと思います。

 それでこの前文ですが、声明文本文はマイルドにまとめられていたもののこちらは安倍首相に対し明確に非難する内容となっており、執筆者は安倍首相に対し明確な悪意を持っていることが伺えます。声明文本文では一度しか出てこない安倍首相の名前が前文では何度も出てきており、特に具体的に非難めいて書いている箇所としては、以下の三段落目の末文です。

「(この声明に署名した)学者は安倍首相に対し、従軍慰安婦制度は軍隊によって大規模かつ規則的に、また植民地や占領地の若くて貧しく、そして無力であった女性に対する搾取によって運営された著名な制度であったということを公に認めるよう求めます。」

 ここではっきりと従軍慰安婦は日本政府の関与のあった制度だと認めろと書かれてあります。まぁこれ自体はそもそも議論にならない箇所だと私は思うのですが。
 またここだけでなく終わりから三段落目も河野談話関連で安倍首相を名指しで強い口調で非難し、「過去長い間証明されてきた歴史を民族主義的な価値観で捻じ曲げようとする行為」と書くなど悪意というか敵意満々です。


<結論>
 結論としてはあの声明文は前文とセットで読むとすれば、安倍首相を非難する文章だと言って間違いなく、東洋経済の記事は読者をミスリードする内容と言われても仕方ない気がします。そもそもあの記事、記者の質問と声明文執筆者の回答がほとんど噛み合ってないひどい内容だし。
 それにしてもなんで日系メディアはこの前文を翻訳してくれなかったのか、余計な手間かけさせやがってと思うにつけこの点が私にとってむしろ疑問です。

 また声明文本体がマイルドな表現に抑えられていたことについては、執筆者が何かしらの意図をもってそうしたのではないかと思えます。というのもあの声明文はタイトルからして「日本の歴史家を支持する声明」とよく意味の分からないもので、本文も具体的に何が言いたいのか全体を通して曖昧な表現が貫かれていて読んでて激しくイライラさせられます。どうしてこういう書き方をしたのかというと、署名者を増やすためだったりとか、集めた署名を別目的で利用するつもりだったのか、そういうような意図があったのではないかと勝手ながら私は推測しています。

 最後にこの声明文に対して私の意見を述べると、やっぱり偏見の強い主張であるかのように感じられ、産経新聞同様に相手にする必要のない声明だと思うしここに署名した学者連中はあんま宛にならない連中だとも思います。少なくとも日本は歴史研究において周辺国の様に何かを主張することに対して弾圧はしていないし、従軍慰安婦問題に関してはこの団体が引用している解説文書をみると明らかに事実と違う内容が書かれています。
 あとこれは愚痴になりますが、日本でもそうですがどうしてアカデミック関連の文書はああも読み辛くてわけのわからな言い回しが多いのか、全く以って理解できません。単純に自分の技量不足かもしれませんが今回訳した文章は非常に手間がかかり、昨晩から今日の夕方まで「ファックファック」とずっと呟きながら、非常に不機嫌な状態で翻訳し続けました。なるべく自分で翻訳したくなくてどこかのメディアなりブロガーが翻訳してくるのを一ヶ月も待ったというのに、なんで誰もやってくれなかったんだろう。

2015年6月13日土曜日

千葉のマッドシティ~戸定邸

 このマッドシティではいつもどローカルなことばかり書いていますが、今日はまだ一般受けしそうなスポットを紹介します。

戸定邸

 本日紹介する戸定邸とは松戸駅から徒歩で行ける距離にある武家屋敷の事です。武家屋敷と言ってもただの武家屋敷ではなく、元々は徳川慶喜の実弟で水戸藩最後の藩主となった徳川昭武が使っていた屋敷でした。

 まず最初に徳川昭武について軽く紹介すると、徳川斉昭の十八男(多過ぎ)として1853年に生まれた昭武は幕末の動乱のさなか、徳川御三卿の一つである清水家の家督を継ぎ清水家当主となります。清水家は18世紀に継嗣がなく一旦断絶されますが慶喜と昭武の父である斉昭が自分の息子を当主に据えて再興させたものの、片っ端から当主に置かれた斉昭の息子は夭折していき、最終的には十八番目の男児である昭武が襲封することとなったわけです。
 昭武が清水家当主となったのは1857年で、その後すぐに兄であり徳川将軍である慶喜の名代としてパリ万博へ訪れるためヨーロッパ歴訪の旅へ出てそのまま現地で留学を開始しました。しかし翌年の1867年には大政奉還、そして戊辰戦争が起こり徳川家が日本の代表政府から引き摺り下ろされたことによって昭武の欧州における立ち位置も不安定となり、結果的には留学を切り上げる形で同年に日本へ帰国します。

 日本へ帰国した昭武は水戸藩主であった兄の慶篤が死去したことを受け兄の後を継ぐ形で水戸藩主に就任します。と言ってもその後すぐに版籍奉還、廃藩置県が行われたため東京へ移住し、西南戦争の前あたりには再び欧州へ留学に出て、帰国後の1883年には隠居して翌1884年に松戸市に隠居屋敷を構えそこで長い時間を過ごしました。

 この戸定邸というのがまさにこの昭武の隠居屋敷で、聖徳大学、千葉大歯学部のキャンパス近くにある小高い丘の上に構えております。休館日でなければ敷地内の出入りは自由で、保存されている屋敷も入館料を払えば入ることが出来ます。駐車場もあるにはありますが、やけに傾斜が激しく細くうねった登り道を通ることになるので、駅からそんな遠くないので来館される際は電車で来るのがベターです。

 中にある歴史観の展示物について少し述べると、屋敷の主であった昭武ゆかりの品々と共に、その兄の慶喜ゆかりの品々も多く、というよりはむしろ慶喜関連の方がメインであるように見えます。割とこの兄弟は仲が良く、二人揃って写真が趣味だったようで撮影された写真も数多く展示されていますがその多くは慶喜の物で、掛け軸に書かれた書もたしか慶喜の物があったような気がします。知名度の点から言って多少はしょうがないと思うものの、もっと昭武もPRしてこうよと少し言いたいです。

 私はこの戸定邸にうちの名古屋だけでなく広島にも左遷されたことのある親父と一緒に、中学生くらいの頃に初めて訪れました。こう言ってはなんですがマッドシティ周辺に当たる千葉県北西部は貝塚跡はやたらあっても史跡はそれほど多くなく、その中でもまだ由緒深いと思える史跡であったため最初の訪問時から文化的な匂いを感じることが出来ました。また戸定邸は歴史的な背景と共に、小高い丘の上に狭いながらもよく整えられた庭園も備えてあるため、ちょっと時間が空いた時にふらりと訪れるのになかなか気分がよく、その後も機会があればしょっちゅう親父と共にここへ訪れていました。

 ただ文化的に悪くないスポットだと思えるものの知名度は決して高くなく、私の周囲でもここへ訪れたことのある人となるとほぼ全くいませんでした。茶道をしている人なんかはこの戸定邸の中にある屋敷を借りて開かれる茶会などに参加するなどして来る人もいましたが、そうでもない人となると存在すら知らないことも多いです。今でこそ松戸駅前に「戸定邸はこっち!」というような案内板もありますが以前はなく、ちょっと丘を登らなくてはならないのもあって目につきずらいというのもあってこちらもしょうがない気はしますが。

 最後にこの記事を書くに当たってネットで調べたところ、昭武の息子の武定が華族に列せられたことにより「松戸徳川家」という分家が生まれ、現在も続いているようです。この武定が戸定邸を市に寄付した張本人なのですが、戦前は海軍の設計畑を歩んで潜水艦の研究において大きな役割を果たすなどなかなか胸を熱くさせる人物です。

2015年6月12日金曜日

創造は破壊の後で

 私の友人は大学時代に中国古代史を専攻いたそうですが、卒業論文には項羽と劉邦を比較するというテーマを選んだそうです。曰く、項羽という既成の秩序を徹底的に破壊する存在の後だったからこそ劉邦は漢王朝という安定的な秩序を作ることが出来たという内容だったらしく、項羽がいたからこそ劉邦もその英雄的価値を高められたという結論だったそうです。
 この友人の主張には私も基本的に同感で、というよりこの「破壊→創造」というサイクル自体が一種普遍的な概念を持っているとも考えております。逆を言えばこのサイクルが上手く働かないと世の中は混乱するとさえ思え、「創造的破壊」という言葉があるように時には起こすよムーブメントとばかりにある一定の段階で秩序を破壊をしなければ物事は上手くいかないとすら考えています。

 この破壊と創造のサイクルを例えるならば、敷地とその上に立つ建物(=上物)で比較するとわかりやすいです。この例えだと敷地は世界というか国家などの領域を差し、建物はまんま秩序となります。ある領域においてそのまんまだとその土地は何の価値も持ちませんが、秩序という上物がついて段々と価値を帯びていきます。その敷地にないに領域がある限り建物は増えていきそこに住む人々の生活も段々と便利さを増しますが、ある段階に至ると限界が来るというか、敷地に建物が一杯となってそれ以上の建て増しが出来なくなります。
 建て増しが出来なくなった敷地はどうするか。そのまま使い続けるということも一つの手ですが一度建てた建物は所詮は建物、風雨による経年劣化は避けられません。となると何がベストかというと再開発とばかりに一旦破壊した上で、構造から見直して建て直す方が案外よかったりします。

 大体これで私の言いたいことはわかると思いますが、政治体制や法などの秩序は長い歴史から見たら細かい改正や再編など付け焼刃をつけるよりも、折々で抜本的に改革するというか作り直した方が案外よかったりします。また改革というほど大げさなものでなくても、何かしら制度を変えるにはその制度を変える余地、先ほどの例えだと空余地を作る必要があり、地上げ屋の様に上物を立ち退かさなければなりません。
 総じて言えば創造の上に創造はなく、一旦破壊という過程を経なければ新たな秩序也概念というものは生まれないと言いたいわけです。まぁ破壊の上に破壊はあるのかと言えば議論の余地がありますが。

 こうしたサイクルは歴史上で何度も繰り返されており、わかりやすいのだと安土桃山時代で織田信長という破壊者が既成の秩序を徹底的に破壊した上で、豊臣秀吉と徳川家康という創造者が新たな秩序を作りその後の長く平和な江戸時代が成立したと言えるでしょう。
 また近年の日本政治において言うならば、小泉純一郎首相なんかは間違いなく破壊型の政治家で、実際就任当時に政治評論家からも破壊型の政治家だと指摘されていました。その評論家(名前は忘れた)によると総理大臣は破壊型、創造型の二種類にはっきり分かれるそうで、基本的には破壊型の方が政策が目に見えるので世間からは評価されやすく、逆に創造型は地味で人気が出ない傾向があるそうで、その人が創造型として挙げたのは消費税を導入した竹下登内閣でした。

 ここでちょっと小泉内閣以後の内閣を分析します。小泉内閣は間違いなく破壊型の内閣で郵政民営化などで「改革を行うための空余地」を作ることには成功したと私は考えています。ではその空余地はどうなったのか、その後の内閣は創造型が続いたのかというとこれが非常に疑問で、結論を述べるとその後の内閣は創造も破壊もしなかったのではと思います。
 強いてあげれば福田康夫内閣がまだ創造型の要素を持っていたと思いますが、それ以外となると麻生太郎内閣が顕著でしたが1990年前後のバブル期を再現しようとするような、未来よりも過去志向、フランス革命的に言うなら旧体制(アンシャンレジーム)的な価値観を持つ内閣が続いてしまったのではないかと思います。これは民主党政権時も同様で、郵政民営化によってつくられた改革の空余地の上に、かつての郵政と同じ組織を作って折角の空余地を埋めてしまっています。

 では現在の安倍政権はどうなのか。これも憲法改正を声高に叫んでいますがこれはどちらかというと安倍首相個人の気持ち的な内容で、こう言ってはなんですが日本国家全体の秩序の問題かというと疑問です。さすがに徴兵制の導入まで行ったら話は変わりますが、自衛隊の扱い一つで劇的に秩序が変わるかと言ったらそうでもなく、消費税増税の方がインパクト的には大きいでしょう。

 結論の上の結論を述べると、小泉内閣による秩序破壊の後に新たな秩序を作れる人間が出てきてないのが今の日本の混乱を招いているのではというの私の見解です。真面目な話し、国家全体のグランドデザインに関する議論がこのところ本当無く、一時期流行った「北欧モデル」すらも話に出てきません。
 かくいう私もその手のグランドデザインを作っているわけではなく、現時点では漠然と「オランダモデル」だと自分自身が生きやすくなるなと思えるのでこっちを志向しているだけです。オランダは自転車の一人当たり保有台数も世界最大だというし、サイクリストの夢の王国がつくれるのではと思うと胸が熱くなります。

 急いで書いたから26分で書き上がりました。

2015年6月11日木曜日

派遣マージン率記事の裏話

 季節の変わり目であるせいか昨日は昼過ぎから地味な頭痛に苦しみ、家帰った時点でバタンキューとなって夜8時に床に入り、翌朝7時まで計11時間もの連続睡眠をやってのけました。そのせいか今日は割と好調で、夕ご飯も気分よくマクドナルドで済ませてきました。

 そういうくだらない事情は置いといて本題に入りますが、現在私のブログでは今年1月にアップした「人材派遣企業各社のマージン率一覧、及びその公開率」という記事が一番アクセス数がよく、現在までの合計PV数もこの記事だけで6000回を越えています。もっともこの記事を執筆することを猛プッシュしてきた友人などはもっとアクセス数は多くてもいいはずだと述べており、私も周りには大手紙の一面を飾ったっていい調査報道記事だと吹聴しております。
 実際にこの記事は公開してから多数の応援コメントが寄せられており、また直接私のメールアドレス宛てにも記事内容を評価していただけるメールが何件か送られてもいます。理想を言えば国会審議でちょうど今話題になりつつある派遣校の改正でこのマージン率の公開もやり玉に挙がってくれると、このブログもアクセス数が増えて一石二鳥なのになぁという気持ちはありますが。

 私は直接派遣労働に関して何か運動とか起こすつもりはなく、というかそもそも派遣労働者でもないんだからそういうことをやろうってのは筋違いだと考えております。ただ派遣の制度自体は社会全体で見直す、設計し直す必要があると思って、派遣労働者の方々にとって武器となるようなデータを作ってみたら面白そうという動機でもってこの調査記事をまとめました。
 調査、記事内容はともに私自身も納得の出来となり、公開後の反応もはっきり言って悪くありませんでした。ただ個人ブログであることからどれだけ日の目を浴びるのかというのが問題で、友人からのすすめもあってこの記事に関してはほかのメディアに対していくつか売り込みをかけていました。

 最初に売り込んだのは友人がプッシュしてきた「マイニュースジャパン」というネットメディアで、一回メールを送ったら無視されてなんやねんと思いましたが友人が「メールに気付いてないだけかも」というのでもう一回送ったところ返事があり、向こうの方でもこのネタで記事化していただくこととなりました。
 ただ記事化と言っても、マイニュースジャパンさんの方では「大手派遣企業のマージン率公開が微妙」というテーマでもって記事化しており、私が調査して集めた公開率や平均マージン率などのデータは一切引用してもらえませんでした。私としてはマージン率公開に後ろ向きな大手企業は批判するのはもっともだと思うものの、それ以上に平均マージン率という数字が一番ニュースな内容だと考えていただけにいくらか記事の方向性に違いを覚えました。まぁ売り込んでおきながらあれこれ文句言うのは筋違いかもという気はしますが。

 こんな具合でマイニュースジャパンさんとはしっくりくるコラボレーションが出来なかったので、今度は同じネットメディアの「ジェイキャスト」に売り込みメールを送ったらこっちは完全になしのつぶてでした。それならとばかりに一番こういう問題に熱心そうだと見えた日本共産党の機関紙こと「しんぶん赤旗」に売り込んだところ、メールは編集担当に回しておいたという返事があっただけでその後は何のアクションもありませんでした。
 ジェイキャストはともかくとして赤旗のこの反応は正直意外でした。メディアの性格的にも一番食らいつきそうなネタだし、私の調査データも追証可能な物だから扱うに当たって問題はないと思ってただけに、日系メディアは案外冷淡なんだなぁとこの時つくづく感じました。自分なんか記者時代、読者からくるクレームにも一つ一つきちんと返信してたってのに。

 なお売り込みメールは上記のメディアにしか送っておらず、大手メディアには一切送っていません。理由はちょっと調べればわかるでしょうが、送ってもどうせ記事化しないだろうという確信があったからです。多分世論が大きくなれば報じるでしょうが、私だけのアクションでは決して動くことはないでしょう。

 最後にこの記事にまつわる裏エピソードをもう一つ。この記事がそこそこいいアクセスを集めるもんだから時折合計PV数をチェックし続けていたところ、一つの妙な事実に気が付きました。その事実というのも、前後の記事も並行してPV数が高いということです。
 恐らくリンクか何かを踏んでこの記事を読んだ方が、「この筆者はほかにどんな記事を書いているんだろう?」と前後の記事を一緒にチェックするからではないかと思うのですが、後ろの記事は「派遣企業調査記事の執筆後記」といって実質的にマージン率記事の続きだからまだいいものの、前の記事はこれらとは全く関係なく、私の後輩の声がゲーム「バイオハザード2」に出てくる豆腐の声によく似ているということを書いた「後輩の声(宝塚イントネーション)について」という、ほんとにどうでもいい内容の記事でした。

 時間が経った記事は通常、PV数は100回前後で頭打ちする傾向にあるのですが、何故か先程の後輩の声に関する記事は現時点で294回と明らかに通常の記事よりアクセス数を稼いでおります。「なんで俺はむやみやたらに後輩の声を世間にPRしてんだろ……」などと、このところのPV数を見ていて複雑に感じます。

2015年6月9日火曜日

ダイエー・松下戦争

 私より上の世代ならお馴染みかもしれませんが私より下の世代ならせいぜい私と冷凍たこ焼き大好きな友人くらいしか知らないと思うので、今日は一つ昔話としてダイエー・松下戦争を紹介します。

ダイエー・松下戦争(Wikipedia)

 この戦争は1964年から1994年の足かけ30年に渡ってダイエーと松下(現パナソニック)との間でテレビ販売の取扱いを巡り繰り広げられた戦争を指します。何気に30年という期間といい、片方の親玉の死去により集結したことといい、ドイツ三十年戦争といろいろ被ります。

 この戦争の始まりはダイエー側から松下側への侵略ともいうべき交渉から始まります。当時、松下は自社製テレビをいわゆる「ナショナルのお店」と言われた特約店にのみ卸していたのですが、その特約店に対しては小売価格を統制し、実質的に生産から卸売、小売までのサプライチェーンを垂直統合しておりました。
 そもそも松下は日本の家電メーカーとしては技術力や開発力が特段優れていたわけではなく、この点で言えばむしろソニーや三洋の方が大きく上回っていたでしょう。にもかかわらず何故松下は日本一の家電メーカーとなり得たのかというと、商品の供給を条件に上記の特約店を厳しく管理し、価格の下落を防いできたからです。このサプライチェーンの統制こそが松下幸之助の代表的な経営手法と言えるでしょう。

 こうした幸之助の牙城に対し切り崩しにかかったのがほかでもなくダイエーの中内功でした。中内は松下がテレビの販売に当たって許容していた希望小売価格の値下げ範囲の15%を超える20%引きで販売しようとしたところ、この動きを懸念した松下はダイエーに対してテレビの供給をストップさせました。そしたら今度はダイエーが松下のやり方は独占禁止法違反だとして裁判所に訴えだし、両者の関係は泥沼へと向かいます。

 ダイエー側はあくまでもいい商品を安く提供するという「消費者の利益」を主張したのに対し、価格を維持して適正な利潤を上げることによって特約店との「共存・共栄」を主張し、議論は平行線を辿ります。両社のトップは何度か直談判して和解策を探ったものの、結局どちらも折れることなく対立は続き、1970年にダイエーがプライベートブランドで13インチのカラーテレビを当時としては破格値である59800円で売り出したことによってより先鋭化していきました。
 最終的に両社が和解したのは幸之助が没した後の1994年で、ダイエーが松下と取引のある小売会社を買収して取引を再開するようになり、結果論で言えば松下が折れてダイエーが勝利したと言えるのがこの戦争の結末です。

 この30年戦争によって何が起こったのかというと、最も大きいのはなんといっても家電メーカーと小売店の立場の逆転でしょう。先程も書いたように以前はメーカーである松下が商品の価格決定権を持っており、これに逆らう小売店には商品供給をストップさせることで締めだすことが出来ました。しかしダイエーが風穴を開けて以降、価格決定権は小売店、並びに消費者が持つに至り、メーカー側はむしろ小売店に頼み込んで商品を置いてもらわないと売上げが立たなくなるほど立場が弱くなりました。
 実際、現代において小売と家電メーカーでは小売側が圧倒的に力が強くなっており、大手家電量販店が新店舗をオープンさせる際は家電メーカーの営業社員を雑用として無賃で働かせるという例もよく報告されており、ネットなどで見ていても小売側から出される無理難題にメーカー営業社員が泣かされるという話を目にします。

 そのように考えるとこのダイエー・松下戦争は現在のサプライチェーン間における立場の逆転を決定づける象徴的な事件だったのではないかと思え、なかなかに無視できない大きな事件だったようにこの頃思います。ただ仮にこの事件がなくともグローバル化によって現代のような趨勢は起きていた、言うなればダイエーがいなくてもいずれこのようになったと思いはしますが。

 最後にもう一つだけ付け加えると、一時期は猛威を振るった家電量販店も近年はネット販売の普及によって最大手のヤマダ電機を筆頭に苦戦が続いていると報じられています。所変われば時代は変わるもんで、恐らくこの流れは今後も続くでしょう。これに対して家電メーカー側は米アップルの様に強力なブランド力を持つか、自らネット販売のサプライチェーンをうまく構築できなければますますフェードアウトすると私は見ており、BTOパソコンの様にBTO洗濯機やBTO冷蔵庫を作るベンチャーも現れるんじゃないかと密かに期待してます。

2015年6月8日月曜日

プライベートブランドで得するのは誰か?

 先日書いた「安けりゃいいってもんじゃないプライベートブランド」の記事で、友人からコメントで下記のような質問を受けました。質問主に対してはその後でスカイプで連絡を取り既に回答をしましたが、折角だからブログ上でもこの問いに対する私の回答を下記に記します。

<質問内容>
 「値切ってナンボな世界の方が消費者はどんどん賢くなろうとして良いのでは?」と思うと同時に「でもそうなると買い物もギスギスしながら、腹さぐりあいながらで神経削れるなぁ」とも思います。花園さんとしてはどちらの購入方式が主流の方が社会的に大きい利益になると考えられますかね?

<回答内容>
 結論から言えば消費者が賢くなって商品の価格と品質にシビアになれば小売り側としても対応せざるを得なくなり、「価格に対する品質」は確実に向上していくでしょう。ただ消費者の要求が異常に高く、たとえば商品やサービスの質がいいにもかかわらずさらに価格を下げるような要求が続くとサービスの供給側は疲弊することとなり、結果的には上記の価格に対する品質は悪化することとなるでしょう。
つまりいい消費市場は品質に対し相応の代価を支払う消費者と、代価に対し相応の品質を提供する供給者の二者が揃って初めて成立すると言えます。そういう意味では消費者も供給者も互いに賢くなることが求められるわけですが、実際の商取引上は供給側の方が有利というか消費者をだましやすい立場にあるため、消費者を保護するような法体系が必要だと私は考えます。

 と、上記のような回答をした後、追加で下記のような新たな質問を受けました。

<質問内容 その二>
 プライベートブランドによって商品を生産するメーカーのメリットは大きいのでしょうか?

<回答内容 その二>
 恐らく、メーカー側としては本音ではプライベートブランドなんてやりたくないのではないかと思える。

 実はこのトピックは最初の記事でも書こうと思っていた内容でしたが、最初の記事ではかなり文章が長くなってしまったためやむなく省略していた内容だっただけに、この質問が来て内心うれしい思いがしました。そもそもの話をするとこのプライベートブランド関連の記事ネタは冷凍たこ焼きが好きな友人との会話をまとめたもので、その際に一番盛り上がったのもこのメーカー側の影響話でした。

 そんなわけで解説に移りますが、プライベートブランドとは販売業者、たとえば「セブンプレミアム」で言えば販売を行うセブン&アイ・ホールディングスが企画・開発し、食品メーカーなどに生産してもらう商品を指します。この販売手法の各方面に対するメリットとデメリットは前回記事でまとめましたが、販売側のメリットとしては自社の開発製品として売り出せるため粗利率の上昇、並びにブランドイメージの向上があり、メーカー側としては工場稼働率の上昇、自社ブランド(=ナショナルブランド)製品を売り出す下地作りが出来ると挙げられています。

 しかし実際には、こう言ってはなんですがメーカー側にはほとんどメリットがないというのが実態のようです。一つ例を出すと、味塩コショウを作っているある食品メーカーが小売業者からプライベートブランドの企画を持ちだされ、その話に乗るとします。小売業者と一緒に開発するとはいえ変わるのはパッケージ程度なもので、味塩コショウの中身自体は従来品とほぼ全く変わることはありません。ですがプライベートブランド化に伴って商品の卸値は引き下げられるので、メーカー側としては味塩コショウの粗利率は下がってしまいます。
 さらにそうして開発された味塩コショウは、持ちかけてきた小売業者のブランドで売られるため、他の小売業者に対して並行販売することが出来なくなります。契約した小売業者がある程度まとまった量で購入し続けてくれるとはいえ商品の横展開はできなくなるため、メーカー側としては決して面白くないでしょう。

 ではここで疑問ですが、粗利率は下がるし横展開も出来なくなるなど一見するとデメリットの方が多いように見えるのにどうしてメーカーはプライベートブランドの企画に乗っかるのでしょうか?これは私と友人の推論ですがメーカー側としては、本音ではやりたくないものの小売業者に圧迫かけられて無理矢理やらされているというのが実情のように見えます。
 実際にイトーヨーカドーやイオンの売り場を見ているとプライベートブランド商品がずらっと並んでいる棚には通常のメーカーブランド商品がないことが多いです。つまりプライベートブランドに協力しないと売り場から商品が締め出されるため、やむなくデメリットを覚悟でメーカーは作ってるのではないかと思えます。さっきの味塩コショウなんかそれで、前から気に入っているダイショーのが買えなかったし。

 実際、こういうことがまかり通るほど現代社会では小売企業のイニシアチブがどこの業界でも強いです。別にこうしたやり方を否定するつもりはないしひどいやり方だとは思いますが、メーカーとしては何らかの形でナショナルブランドを確立させないと今後どんどん埋没していく可能性があります。対抗手段としては同じメーカー同士で何かしら連合を組むとか、大手の小売業者に対抗するため第三極となるような企業を応援するとかやった方が良いのではと個人的に思います。

 なお小売業者がサプライチェーンの中でメーカーの力を上回るように至る、一つ大きなきっかけとなる事件が過去にありました。ちょうど頃合いだし前から準備もしていたので、次は私がそのきっかけとみなしている松下・ダイエー戦争についてでも書いてみましょう。

2015年6月7日日曜日

フジテレビの「~パン」シリーズにおける起死回生策

 昨日は自転車サークルで暑い中約70キロ走ったせいか今日はやけに体重く、昼ごはん外に食べに行った後で昼寝してましたがいまいち今日なにしたかという記憶曖昧です。晩御飯には8元(約160円)の卵チャーハン食べて12元(約240円)のケーキ買って帰ろ。

視聴率1%台でフジの「○○パン」がついに打ち止め? 局内からも「パンが多すぎる」と批判の声(週プレNEWS)

 そんなけだるい気分の中、ちょっと気になったのが上記のニュースです。フジテレビの代々の新人女性アナがMCを務め、そのMCの名前から無理やり「~パン」とするトークバラエティ番組シリーズの視聴率が絶望的で打ち切りが健闘されている模様です。このシリーズ番組は初代MCの千野志麻アナの名前に引っ掛けて「チノパン」となって以降、「アヤパン」とか「カトパン」とか、こう言っちゃなんだけど無理して番組名にするなよと思うような名前のMCにも無理矢理「~パン」としてやってきており、最初のコンセプトの時点でいろいろ間違ってたんじゃないかなと個人的に思います。

 現在は永島優美アナによる「ユミパン」という名前で放送されているようですが視聴率は上記のとおりひどいもので、もうこの際だから打ち切ったらどうかってのが上記の記事内容です。しかしもし何でもやっていいのであれば私の中には一つ、起死回生の腹案があります。
 それはどんな腹案かというと、無理矢理「~パン」と名前を付ける人物をMCにつけるのではなく、始めから「~パン」と呼ばれている人物を持ってくる、具体的に言えば、現役在職時代にネット上で「チンパン」とあだ名された福田康夫元首相をMCに持ってくるという柵です。

 この方法なら「~パン」という無理矢理なネーミングにねじ込む必要がないどころか初めから「チンパン」で定着しているし、福田元首相が普通の女子アナがやってるようなグルメレポートやエステ体験をしてテレビ番組に流せば視聴者も反応するだろうし、官房長官時代の様に「ここのエステはまぁ、人並みには見られるようにはなるんじゃないですか」などとまるで他人事のようなレポートしてくれればしめたものです。
 またちょっとお堅いニュースも報じようってのなら福田元首相から政治家へアポなし取材をかけてもらうのもありかもしれません。アポなしとはいえ、元首相からのインタビュー依頼を断る政治家なんてそうそういないでしょうし。

 私案ながらこの起用策は決して悪くない気がします。ですので落ち目のフジテレビには是非とも福田元首相にこのコンセプトで出演依頼をかけるべきでしょうし、役に立たない女子アナなんてわざわざ番組に使うこともないでしょう。

 最後に本題とは関係ありませんが、知ってる人には有名ですが最初に挙げた千野志麻アナは2013年に静岡県のホテル駐車場内で男性一人を轢く死亡事故を起こしております。千野アナには昔の傷を穿り返すような書き方になるのでいくらか申し訳ないと思うのですが、この事故後、千野アナは逮捕されないまま書類送検となり、罰金刑を受けております。
 仮にこのような死亡事故を一般人が起こした場合、警察はまず間違いなくその当事者を逮捕した上でメディアも実名などをニュースで報じることになるでしょう。では何故千野アナは逮捕されなかったのかですが、知名度が高く逃亡が難しいと判断されたとも考えられますが、それにしても事故後の警察の対応は非常に温度差があったように感じられます。

 またこれとは別に、事故被害者が赤信号で飛び出して来たとか、別の車に弾き飛ばされて轢いてしまったなどの不可抗力ともいえるケースでも、死亡事故を起こした当事者は事故後に職業とフルネームがメディアによって報じられてしまいます。刑罰には社会的制裁も含まれるとはいえ、このような不可抗力と思えるケースでもそこまでの制裁を受ける必要があるのか強く疑問を覚えます。はっきり言えば、飲酒運転など当事者に強く起因する事故でない限りは名前などは報じるべきではないというのが私の意見です。

2015年6月5日金曜日

安けりゃいいってもんじゃないプライベートブランド

 「トップバリュ」や「セブンプレミアム」などで既におなじみのプライベートブランドですが、今日は少し昔話と共にこの販売戦術の表と裏について私の思うことを書いていきます。

プライベートブランド(Wikipedia)

 プライベートブランドとは主に小売企業が主体となって行われる、自社で商品を企画・開発してメーカーに生産委託し、自社のブランドで販売するという手法を指します。このプライベートブランドという販売手法によってどのような効果が得られるのかですが、上記リンク先のウィキペディアに各方面のメリットとデメリットがきれいにまとめられているので、そこから引用いたします。

<メリット>
  消費者側
・ナショナルブランドとほぼ同品質の製品を、より安価に購入できる。
・ナショナルブランドにはない高品質・付加価値のある製品を購入できる。

  販売側
・商品の仕様を容易に変更できるため、小売店・消費者の声を直接反映した商品を販売できる。
・宣伝・営業費用や卸売り業者は不要であるため、ナショナルブランド商品よりも粗利益率が5 - 10ポイント程度高く、販売価格を自由に設定できる。
・原材料・製造方法・仕様を指定することで、商品にオリジナリティのある付加価値をつけることができ、企業・ブランドイメージの向上を計ることができる。

  メーカー側
・一定量の販売が確約されることにより、閑散期でも工場稼働率を上げて効率よく生産できるため、コスト削減が可能となる。
・売上を安定させることでメーカーの経営が安定する。
・ナショナルブランドの開発・売込みの土壌を作ることができる。

<デメリット>
  消費者側
・ナショナルブランドと同じように見えても原材料や配合比率・加工方法・内容量を変えている場合があり、風味・食感に影響を及ぼしたり、品質が価格相応もしくは割高になる場合もある。
・販売店はプライベートブランド商品を優先して取り扱うためにナショナルブランド商品の取り扱いが削減され、商品の選択の幅が狭められる場合がある。
・当初からナショナルブランドより低価格の商品が多いため、特売商品となりにくい(賞味期限の近い食品などの割引を除く)。
・大半の商品で製造者が記載されていないため、消費者から製造者への意見を直接伝えるのが難しい。

  販売側
・全量買い取りであるため売れ残りが出ても返品できず、他社に転売することもできない。また追加生産のタイミングを誤ると長期間品切れになってしまうので、常に在庫リスクが発生する。
・食中毒や異物混入などの事故が発生した場合、製造者に代ってクレーム対応などの責任を負わなければならない。また生産終了後のアフターサービスも行わなければならない。

  メーカー側
・並行して生産しているナショナルブランド商品の売り上げが減少することがある。
・商品によっては粗利益率がナショナルブランドよりも10ポイント程度低くなることがある。
・販売側の指摘する規格と誤差が生じた場合、商品の受け取り拒否をされることがある。とくに食品の場合は転売はおろか中身の詰め替えもできず、大量の在庫を抱えたり、そのまま処分しなければならず、本来回収できるはずの費用が入ってこないため、資金繰りが苦しくなる。
・受託生産の依存度が高くなるとナショナルブランドの開発力・営業力が低下し、工場の稼働率が発注元の発注量に左右される。

 上記の列記された内容は非常によくまとまっており、この内容を覚えればプライベートブランドに関しては物知り博士と名乗ってもいいくらいです。ただもうこれ以上私から書くことはないと言えばそれまでとなっちゃうので、昨今のプライベートブランドの状況について続いて書いてきます。

 まず結論から言うと、プライベートブランドで最も成功しているのは間違いなくセブンイレブン、イトーヨーカドーで展開される「セブンプレミアム」と言っていいでしょう。このセブンプレミアムは消費者にも大分浸透しているように思え、またその品質と価格が幅広い層に評価されて商品幅も年々拡大しているように見えます。実際に私も日本にいた頃にセブンプレミアムの商品を買って試してたりしましたが、商品によってはナショナルブランド商品よりも割高なものもありながら品質に関しては文句がなく、値段を考えれば割に合うかと思えました。
 ただこのセブンプレミアムで一番重要な点は、品質や価格がいいから売れているというよりも、ナショナルブランドを完全に締めだしているから売れているという点もあるのではないかという気がします。これも私の体験ですが、ステーキ焼くのに味塩コショウを捜したらセブンプレミアム品しか置いてなく、いつも買っていたダイショーの商品が置いてなかったのでやむなく前者を購入しました。味塩コショウに限らなくてもセブンプレミアムにはこういうことが多く、不満はないのですけど選択肢が狭まっているような印象を覚えます。

 そのセブン&アイホールディングスのライバルと言ってもいいイオングループでは「トップバリュ」というプライベートブランドを展開していますが、失敗とまでは言わないまでもライバルには大分差をつけられているように思えます。価格面は確かに安価な製品が多いですが品質に対しては私の周りでは評価は高くなく、私自身も正直に言えば「安かろう悪かろう」という印象を持っています。
 さらに近年では2013年にイオンに米を卸していた三瀧商事が国産米として中国産米を偽装して販売していたことが明るみになり、これの煽りを食ってかトップバリュの製品も産地表示などで大きく疑念を持たれるようになったのも追い打ちをかけています。しかも事件が本格的に明るみになる前に週刊文春が産地偽装米がイオンの弁当などに使われていることを報じた際はイオンは事実を否定した上、文春を売り場から撤去するとともに損害賠償請求を起こしており、こう言ってはなんですが事実隠蔽と見られかねないまずい対応を取ってしまっております。


 あくまで個人的な意見ですが、この時のまずい対応を消費者はやっぱり覚えているように見えます。そのためトップバリュに対しては「安かろう悪かろう中国産だろう」のイメージが強く、このイメージを解き放つのは並大抵ではないでしょう。またプライベートブランドは文字通りその小売企業の看板を背負った商品であり、商品イメージの悪化がそのまま企業イメージにも大きなダメージを与えることにもなりません。

 実際に過去、プライベートブランドのイメージが悪くて販売する小売企業のイメージまで大きく悪化させた例があります。それは何かというと、かつての小売王者であるダイエーの「セービング」というプライベートブランドです。
 私が子供だった頃、ダイエーでこのセービングのコーラが1本50円くらいで売っているのを見て、「すげーコーラが半額だ!」と驚きながら親にねだって買ってもらって飲んだところ、あまりの不味さに全部飲み切れずに捨ててしまったという苦い思い出があります。コーラに限らずセービングの商品はどれも価格は極端に安かったものの品質が悪く、アナリストなどからも消費者のダイエー離れを加速させる一因になったとも指摘されています。
 私の中でもあの不味いコーラのイメージは強烈で、二度とセービングと名のついた商品は買うものかと北斗七星に誓ったほどでした。でもってダイエーに足を運ぶことも減ったわけですが、ダイエーのその後の顛末は歴史の通りです。

 何が言いたいのかというと、プライベートブランドは企業の看板を大きく背負っているだけに品質が悪いと会社そのもののイメージも大きく悪化するという傾向があるのではということです。そのためいくら商品を売るため品質を落として価格を下げるやり方は逆効果で、そういう意味では多少割高であっても高い品質を維持した方がブランドイメージは守れるのではと思います。
 そう考えるとセブンプレミアムの路線はなかなか理に適っており、今後もスタンダードの位置を維持していくんじゃないかと私は見ています。

  おまけ
 マッドシティの潜伏地ではヨーカドーが近かったのでよくここで買い物してましたが、あの店舗は売り場の配置が変な形になってほしい商品がなかなか見つからないことが多かったです。一番苦労したのは100円の羊羹探しだったっけな。

2015年6月4日木曜日

地方紙が減ると現職が受かる?

 先日、私がこのブログで悉く毎日の記者をこき下ろす記事を読んだのか、「毎日の記者でもこんないい本書いてるぞ」と言って、友人がある本を紹介してきました。どうでもいいですがその友人は冷凍庫にいつも冷凍たこ焼きを常備しています。



 上記の本は毎日新聞の米国支局などで働いていた方が日本以上に経営が大きく傾いている米国の新聞業界について丹念な取材をした上、現状と今後の展望についてまとめられた本です。一言で言って非常によく整った内容で、米国のジャーナリズムが今どんな状態にあるのか、またインターネットの普及によってかつてと比べて圧倒的に経営環境が悪化する中でジャーナリストたちはどのように時代へ対応しようとするのかがしっかり書かれてあり、毎日にもこんないい記者がいたのかと唸らせられました。
 この本についてつきっきりで解説してもいいのですが、今回は敢えてこの本に書かれていて私が特に注目した点について紹介しようと思います。それはどんな点かというと、地方新聞が減少するにつれて地方議会選挙で現職議員が有利になるという米国の調査結果です。

 最初にまずアメリカの新聞業界の現状について少しだけ触れますが、端的に言えばインターネットの普及に伴う新聞離れが日本の状況なんかよりもずっと深刻で、特にリーマンショックのあった2008年以降は全米で新聞社の経営が一気に傾き、新聞社で働く記者の五分の一が退職する羽目となっております。
 こうした中、米国の新聞各社はこぞって、「何故市民は新聞を読まないのか」という理由を調査し、その上でネットとどのように連動して購読料を得るのかを必死で模索したり、安価で質の良い報道をどう行うか、他社とどのように連携すればベストなのかと様々な取り組みを行っています。日本でもこういう動きが全くないわけではありませんが米国と比べるとやはり鈍く、というのも日本の場合は新聞配達システムが異常なまでに完備されているため米国ほど新聞離れが急激ではなかったという事情が作用しています。

 そのように米国の新聞業界、というよりメディア業界は激しく揺れ動いている最中なのですが、先ほどの新聞離れの原因を探る調査の中で一つ面白い結果が出ており、それが地方紙が減ることによって地方議会選挙で現職議員が有利になるという調査結果です。
 米国は日本と比べると、というより日本の新聞業界だけが世界的にも珍しく朝日や読売といった全国紙のシェアが極端に高い国なのですが、米国にもワシントンポストなど全国紙はあるもののどちらかと言えば州や都市ごとに発行される地方紙を購読する層の方が多いです。ただ地方新聞社は全国紙の新聞社と比べると経営体力は弱く、リーマンショック以降は経費節約のため取材範囲を狭めたり、下手したら倒産するケースが増えており、発行される地方新聞の種類は減少傾向にあるそうです。

 そうした中で起きている変化というのが、先ほどの地方議会の選挙結果です。一体何故地方新聞が減ることで選挙に影響が出るのかというと、地元の選挙について各立候補者の主張にまで掘り下げた取材をして報じる記事が減るからです。
 地方紙がメインに扱うトピックは言うまでもなく地元のローカルニュースです。逆に全国紙は日本の全国紙よろしく、大都市ならともかく小さい地方自治体の議会選挙なんて細かく報じることはないでしょう。なので各立候補者の政治信条や政策案などを細かく報じる地方紙が減少すると有権者たちは地元の選挙戦の情報が得られないためか、自然と「前もやっていたんだし」とばかりに現職への投票行動を強め、新人議員が出辛くなっていくというのが今、米国で起こっているそうです。

 この話を見てパッと思いついた言葉は、「日本は何年前からだ」という一言でした。日本にも地方紙はもちろんありますが米国ほど流通量は多くなく、大半の日本人が読むのは全国紙です。地方議会選挙について関心を持つ市民は大都市を除くと傍目から言ってそれほど多くないし、また地方紙を除くと立候補者についていちいち報じるメディアは皆無と言っていいでしょう。
 日本はただでさえ地方紙を読む層が多くない上に、近年は地方新聞社の経営悪化によって取材の範囲も狭まっているとよく聞きます。つまり何が言いたいのかというと、日本の地方議会の混乱や腐敗は地方紙の衰退が大きく作用しているのではと言いたいわけです。

 日本の地方議会の混乱に関しては昔から何度もこのブログで私も狂犬のように吠えてきましたが、去年の号泣議員みたいなカス議員の話は枚挙に暇がなく、なんでこんなのが受かるのかっていうとメディアの監視が機能せず世間もほとんど関心を持たないということに尽きるでしょう。そして一番監視を行うべき立場にある地方紙がこのところ元気がなく、米国の様に現職ばかり受かって新人地方議員が生まれてこないという悪循環が以前から続いているのではないかと私は考えます。

 私は以前から日本の政治の混乱は政治家が育たない土壌に原因があり、それは国会というよりも政治経験を鍛えることのできる地方議会がきちんと機能していないせいだと分析してきました。今もこの考えは変わっていないのですが、地方議会の問題点や、逆に有望な新人をきちんと報じて有権者に伝えられるメディアがいないというのが案外、根本的な原因ではないかと思えてきました。
 ではこれからの日本のために地方紙にはもっと頑張ってもらうしかないかと言えば、ちょっとこれには私は「うーん」と言ってしまいます。なんでかっていうと日本の地方紙最大手の「中日新聞」は逆恨みもありますが大嫌いだし、ほかにも具体名は挙げませんが大きい地方新聞社は大概にしろよと言いたくなるほど偏向的な報道が見られます。田中康夫の時は酷かったし。
 一番期待したいのは米国流ですがNPOで、地方議会の現状は選挙において有権者へ適切に情報を送るような組織が育ってもらいたいというのが一番の希望です。私自身がそういうNPO作りたかったのもありますが、さすがにもうこれ以上は運命に翻弄されたくないしなぁ。

2015年6月3日水曜日

ジョジョに見る美しい日本語

 先日、私は「負のオーラ」という記事で鬱憤なりフラストレーションがたまった状態の方が良い記事が書きやすいと紹介しました。言ってしまえば憎悪を剥き出しにして何かを批判する記事を書くとそれなりに文章も締まってメッセージ性も高まるのですが、これらは言うまでもなく負の感情がこもった文章です。
 ただこれの逆、つまり何かを誉めたり賞賛したりする正の感情を文章にするというのは案外難しかったりします。文章で何かを誉めようとすると有体な表現というか見慣れた表現の連発になりやすく、またそうした表現は繰り返せば繰り返すほど安っぽく見えてきます。なお余談ですが、京都人が誉め言葉を使う際は本当に誉めて言っていることより皮肉で言っていることの方が多いです。

 なんで本当に心の底から賞賛したいという気持ちがあっても、それを文章で表現するとなるとそれは至難の業です。賞賛に限らず感謝や激励といった正の感情を文章にぶつけようと思ってもなかなかぶつけきれず、これまで私もそこそこの時間を文筆に捧げてきましたが「これだ」と納得できる表現に仕立て上げられた覚えは負の感情とは違い一度もありません。逆に負の感情だったら「どうや!」って言える表現はいくらでも作ってきた覚えはありますが。
 なおまた話が横道それますが正の感情の中で一番頻出なのは恋愛系の感情で、J-POPの歌詞なんかは逆にこれしかないのと言いたくなるくらい溢れてます。しかしどの恋愛ソングも私の胸を打つ表現はなく、「てめーらの感情なんてこの程度か」とやけに上から目線で物言ってます。

 話は戻しますが、そういう正の感情が込められた文章として一番私の胸を打った作品は何かというと、変な話ですが人気漫画の「ジョジョの奇妙な冒険」でした。この漫画はセリフ回しが独特で名言も数多く生み出されていますが、それらの名言とされる表現はどっちかっていうと激しいものが多く、具体的には、「このド低能がぁー!」、「かかったなアホが!」などばかりですが、こうした暴言に紛れて実にきれいな日本語表現がたまに入ってきます。
 それらのきれいな表現はそれまでのストーリーがあるからこそ映えるというのもありますが、第七部「スティール・ボール・ラン」の後半で主人公のジョニィ・ジョースターがそれまで一緒に旅して苦楽を共にしてきたジャイロ・ツェペリに向けて言った下記の言葉が、本当に私の胸を打ちました。

「ありがとう…ありがとうジャイロ。本当に…本当に…『ありがとう』…それしか言う言葉がみつからない…」(22巻より)

 恥ずかしい話ですがこの表現を見る度に私はリアルに涙を流します(ノД`)
 必要以上に言葉は重ねず、友へ向ける感謝の気持ちを「ありがとう」としか言えないとするこの表現は私が知る限り最も感情が込められている表現のように思え、もし仮に使う機会があったらどっかで使おうと密かに画策しているくらい気に入っています。

 同じくこの第七部では本編とは別にインターミッション的な回想シーンがあるのですが、そこでの文章も際立って美しい表現が成されています。ここで簡単にこの第七部のあらすじを説明しますが、主人公たちは騎馬でのアメリカ横断レースに参加しているのですがそのレースの過程で「聖人の遺体」を奪い合うこととなり、暗殺者たちに狙われながらレースというか旅を続けるという話です。
 そのインターミッションは旅の途中、主人公が独白するような形で語られます。ちょっと長いですが引用すると、


馬が入れる木の下や岩陰を見つけたら
とにかくその場所に防虫対策の簡易ベッドを作って ひたすら寝た
馬は立って眠る
陽が傾きかけたら再出発で 月明りがあれば夜進み
闇夜なら 馬が岩や毒トゲで負傷するリスクをさけ 即刻キャンプの決断をする
ぼくらの馬は水を4日間飲まなくても大丈夫だった

夜のキャンプ時もそれなりに忙しい
馬の毛並みのブラッシングをみっちり数時間してやる
筋肉マッサージの意味もあるが 防虫や病気の危険回避のためだ

進行中 道幅の視界が狭くなり
仮に道端に朽ちた木の十字架が何基かあったら要注意だ
過去に山賊が旅人を虐殺したか それに近い事故が起こった場所の可能性が高い
襲撃に適した「地形」という事だ
敵はいないかもしれないが まわり道するか
または覚悟を決めて 戦闘態勢をとってそこを通り抜けるしかない

でも レース中もっとも神経と体力を使うのは「河」を渡る時だ
それが大きい河だろうと 小さい河だろうと
水に入ると360°無防備状態になるし ブヨや蚊の大群はいるし
もし水の中を泳いでいるマムシに馬が噛まれでもしたら その時点でアウトだからだ

ここまでの旅 いったい何本の「河」をぼくらは渡って来たのだろう……
そしてあといくつの「河」を渡るのだろう……

ジャイロの淹れるイタリアン・コーヒーは こんな旅において格別の楽しみだ
コールタールみたいにまっ黒でドロドロで 同じ量の砂糖を入れて飲む
これをダブルで飲むといままでの疲れが全部吹っ飛んで
驚くほどの元気が体の芯からわいてくる
信じられないくらいいい香りで もっともっと旅を続けようって幸せな気分になる
まさに大地の恵みだ
ジャイロはたまにこれをヴァルキリー(馬)たちにぬるーくして飲ましている
(14巻より、サイト「族長の初夏」さんの「荒木飛呂彦の文体」という記事を参照しました)


 紀行文のような文章ですが、読んでいて旅の様子が目に浮かぶようであり、また主人公二人の本筋には出てこない交流も書かれるなど、一読して凄い衝撃を受けた文章でした。正直に述べると、これほどきれいな文章を自分には書ける自信がありません。

 「ジョジョの奇妙な冒険」の作者である荒木飛呂彦氏は漫画家としても一流ですが、こうした場面場面の言葉の表現においても地味にすごい才能の持ち主のように見えます。ジョジョというと激しい表現ばかり注目されがちですが、こうしたきれいな表現ももっと注目されてもいいのではないかと思えます。

2015年6月1日月曜日

派遣雇用の望ましい形

 このブログ開設当初はたくさんあった政策話をこのところほとんどしていないのと、ここらでまたすこしテコ入れしとかないともう次はないと思うので、また派遣雇用について私が「こうあるべきだ」と思う形について説明します。
 結論から述べると、私は日本の雇用形態は現在の正社員を中心として考える法体系から派遣雇用を中心とした形態に変えていくべきで、言ってしまえば派遣雇用をもっと促進するべきだという立場を取ります。ただそれは派遣雇用がきちんとしたルールの上で運用されることを前提としており、現状は罰則がないため折角の法律も機能しているとは思えず、また派遣企業の乱立振りも目に余るため業界再編を促すべきだとも考えております。

 私は今年の1月に改正派遣法によって各派遣企業に公開が義務付けられているマージン率がきちんとネット上で公開されているのか、またその平均値はどの程度なのかを調べ、下記の記事にてそのデータを公開しました。

人材派遣企業各社のマージン率一覧、及びその公開率

<マージン率は原則ネット上で公開するべし>
 記事の内容は執筆前から友人に太鼓判を押されていたのもありますが私としても絶対の自信を持っており、おかげさまで「マージン率」と検索かけたら大体どこもこの記事が一番上にヒットするようになり、コメント欄を見ても現役の派遣雇用の方々に見てもらっているようでそこそこの仕事をしたという自負があります。
 私が何故この記事を書こうと思ったのかというと前の記事でも書いてありますが、派遣雇用を考える上でいちばん基本となるデータというのがこのマージン率だと思え、このマージン率を叩き台にして現在の状況はどんなものか、派遣企業のピンハネは酷くないか、逆に良心的な派遣企業はどこなのかを探れるのではと考えました。しかし公開こそ法律で義務付けられているものの罰則がないためかネット上で正直に公開している企業は5分の1程度しかなく、これでは比較のしようがなく、派遣労働者、派遣を受ける会社双方にとってデメリットが大きいように見えます。
 繰り返しになりますがマージン率は派遣を考える上で一番重要なデータであり、公開義務を罰則をつけてでも徹底すべきだと考えます。

<同一賃金同一労働の徹底>
 企業が何故派遣労働者を必要とするのかといえば、それは間違いなく「いざとなった時に切り捨てられるため」ということに尽きるでしょう。好景気時には労働力が必要であっても不景気時にはその人員はコストにしかならないため、企業は派遣労働者を人件費の調整弁として使っているのが現状です。一部の政党なんかはこうした考え自体がおかしいとして派遣への批判を行っていますが、経営者の立場から見たらこのように考えるのは私からすれば当然で、そもそも正社員を解雇しづらい日本の現況を考えるとこうした派遣に活路を見出すしか方法がないという見方を持っております。
 ただしこれで腑に落ちないのは同じ仕事をしておきながら正社員と派遣労働者との間で手取り給与に差があることです。一般的には派遣労働者の方が収入が少なく、ボーナスも派遣だけ(現地採用もだが)出ないということもざらです。変なたとえを使うと派遣労働者というのはいざって時に弾除けとなって死んでもらう用員と言ってもよく、この事実を考えると同一賃金同一労働は当たり前どころかむしろ正社員よりも多く給与をもらってもいいんじゃないかとすら思います。
 もちろん企業は派遣労働者のみならず派遣企業にもお金を支払わなければなりませんが、その役割と立場を考えると正しく受け取るべき報酬が違うのではなんて、倫理的な価値観とずれてやしないかと思うわけです。

<派遣企業の再編推進>
 はっきり言って日本は派遣企業が異常に多すぎるような気がします。一般労働派遣ですら免許さえ取ればすぐに事業開始できるという間口の広さもさることながら現在の日本の派遣業界は乱立も激しすぎるのではないかと見ております。大手と呼ばれるような資本力の高い会社ですら両手の指じゃ足りないくらいありますし、中小零細となるとリストを見るだけでも嫌になるくらいで、何かしら法律で圧力かけるなり競争を促すなりして統廃合を促し、再編を進めるべきだと個人的に考えております。