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2014年4月23日水曜日

山田風太郎の日記を読みだして

 昨日は所用により書くことが出来ず、かといって今日に何か書く話題を用意していたというかモチベーションがいまいち上がらないので今読んでいる山田風太郎日記について少しだけ書きます。

 先日お会いしたブログ読者の方よりこのブログについて、「もう少し話題のジャンルを絞った方が良いのでは?」というアドバイスを受けました。その方のいう通りにこのブログは歴史、政治、アニメ・漫画、経済、中国と書く話題のジャンルが多岐にわたっていて一体何のブログなのか、かいている人間が一人ということ以外は何の共通点もない記事が連綿と続いております。仮に中国の話題だけをずっと書いていれば今頃、中国系情報ブログとしてそこそこ名前も通りアクセス数も多分多くなっていたと思います。ではなんでそうしないのかというと、一つはいろんなジャンルについてあれこれ書きたいという私の欲求と、もう一つは日記的な要素を兼ね備えているからです。

 私は日記自体は中学生の頃に拙いレベルでしたが二ヶ月くらい英語で書いていましたがあまり続かず、それ以降もまた日記を書こうと思うことはありませんでした。このブログはあくまで私の主張を片っ端から書いていくということが本願であるものの、今現在で社会に対してどのように物事を見ているのかという折々の視点を書くという目的を含め近況もたまに書いて、後世の自分に「あの時自分はこう考えてたんだな」と再認識させる日記のようなものと捉えています。

 そんな日記ですが、世界で一番有名な日記となるとこの前ビリビリに破られた「アンネの日記」で間違いないでしょうが、日本人でも面白い日記を書いている人がいてそれはほかならぬ山田風太郎です。
 山田風太郎を私が知ったのは恥ずかしい限りですが漫画家のせがわまさき氏による「バジリスク」という漫画からです。これは「甲賀忍法帳」という山田風太郎の小説が原作となっていて、ほどよく化け物を書くのが上手いせがわ氏の作画と相まって漫画がヒットし、アニメも投資額がほとんど回収できなかったらしいですが私が見る限り非常に出来のいいアニメで、元々の原作の良さと相まって海外に紹介していくには忍者であるだけに文句ない作品だと考えています。

 話は山田風太郎の日記についてですが、後に小説家として名を成すだけあって毎日非常に細かく書いてあるのですが、それ以上に書かれた時期が戦中から戦後という、ある意味日本がいろんな意味で特別だった時期であることが大きな特徴です。知ってる人には早いですが、山田風太郎は両親が早くに亡くなり血のつながらない義父母によって育てられ、義父母の援助を受けつつ医大を受験し続けちゃんと医師免許も取得しています。まだ私は彼の日記を読み始めたばかりですが、まぁ書いていることは陰鬱というか、果たしてこのまま義父母の援助を受けながら浪人し続け、医大に行くことに価値があるのかなどという悩みがせつららに書かれてあります。
 同時に、戦時中の日本という国家に対してある意味特殊な視点でもって描かれ、こういってはなんですが当時の人間とは思えないほど国家の思想について詳細な分析が行われているだけでなく、戦時中の国民生活に関しても「あと二年もこのような生活で国民は我慢できるとは思えない」などと、まぁ不思議な視点でずっと描いています。

 と言ってもまだ全然読み進めていないので本格的なレビューは読み終えた後にでも書きますが、今読んでいるあたりだととにもかくにも食べ物に関する話が多くて読んでてこっちが腹減ってきます。当時勤めていた会社(沖電気工業)で仕事を終えると同僚とやれ汁粉を食べに行ったとか、丼ものを三杯食べたとか、給料日にはケーキとコーヒーを食べ歩いたとか、戦時中でも東京では食べようと思ったら食べられたんだななんて読んでて思います。

 やややる気のない記事と今日はなりましたが、そんなテンションの上がらない日々を今送っているという日記だと思って軽く読み過ごしてください。

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