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2013年11月21日木曜日

スズキの会長の鈴木修について

 昨日の記事でスズキをネタにしたので、もののついでもあるので園会長である鈴木修氏についてちょこっと私見を紹介しようと思います。

 まず率直に言って、私は鈴木氏に対して以前はあまりいい印象を覚えていませんでした。その理由というのも著書で自分は中小企業のおっさんだと言ったりしており、昨日の「軽自動車は貧乏人の車」などと言うセリフなどともにどことなく外っ面だけよく見せようとする発言が多く聞かれたからです。こうした発言の節々におっさん臭さを感じ、きっとこの人は成り上がりで発言とかその影響を考えないんだろうなという風にも考えていました。このほかにも鈴木亜久里に似ているうちの親父の情報によると、なんでもゴルフ場にクジャクを放ったりするなどわけのわからない金の使い方をしているとも知り、その趣味の悪さにも辟易しました。ってか、ゴルフボール当たったらどうするんだよ。

 そんな私の鈴木氏の印象がひっくり変わったのは二年くらい前です。何を思ったのかスズキについてあれこれ調べ始めたところ、苗字が鈴木だから高度経済成長期にのし上がった自動車メーカースズキの創業者、または二代目かと思いきや、鈴木修氏はスズキの二代目社長の娘婿に入っただけであり、なおかつ元々は銀行員出身ということを知りました。
 てっきり成り上がりだとばかり思っていだけにこの事実だけでも意外この上ありませんが、それ以上に驚いたのはスズキの名車「ジムニー」に関するエピソードです。

 ジムニーについて簡単に説明すると、軽自動車でありながらラダー構造という現代において採用されることの少ないボディ設計がされており、悪路に対する層は性能で言えばこの車は桁違いに高く、日本車で上に立つとしたらトヨタのランドクルーザーくらいしかないという稀有な車であります。その性能は海外でも高く評価されており日本を含む世界各国で長期にわたり好調な販売が続いており、自分も非常に高く評価している一台です。

 このジムニーは元々、スズキが設計した車ではなくホープ自動車が設計したものでした。しかしホープ自動車が自動車業界から撤退する際、この車の製造権を社内の反対を押し切って買い取ったのがほかならぬ鈴木修氏だったそうです。
 ここだけの話、日本のメーカーは生え抜き社員を大事にして中途採用の人間にやたら冷たい傾向があります。それだけに鈴木氏も中途、しかも娘婿として入ってきたのだから風当たりが強かったのではないかと思える中、こうして誰もが「売れない車」と見ていた車を見事にロングセラーに仕立て上げたという眼力には素直に恐れ入りました。

 このエピソードから評価を高めていたところ、中東系の顔立ちから社内のあだ名が一時期「ビンラディン」だったうちの親父によると、今年のスズキの決算会見が非常に傑作だったそうです。なんでも記者に二輪事業について見解を求められた鈴木氏は、「二輪は失敗しました。ホンダさんのようにはうまくいきませんでした」と一言だけ言い切り、記者もそれ以上深く質問出来なかったそうです。
 元記者の自分から見てもこの斬り返しは見事というよりほか有りません。会社経営での失敗や業績不振に対して曖昧な言葉で言い訳でもすればすぐさま二度、三度と同じ質問が向けられ、そこでだらだらと述べれば述べるほど記者としては「○○社は苦しい弁明を続けながら」なんて具合でいい感じに記事が書けます。逆に嫌なのは短く言い切られることで、メディアへの回答としては満点とまではいかないまでもこの鈴木氏の回答は経営者としてみるなら見事なものです。

 以上のような感じで、現在において鈴木修氏への私の評価は悪くありません。ただなまじリーダーシップが強いだけに鈴木氏が引退した際、スズキがどうなるのかやや不明瞭でもあります。知ってる人には早いですがこの会社は鈴木修氏の後継者がちょっと二転三転する事態が起こっており、今のところも迷走まではいきませんがやや曖昧模糊な感じです。まぁ最後には上手くやれると思うけどさ。

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