ページ

2012年7月31日火曜日

格差と教育

 教育とは何のためにあるかといえば一義的にはやはり全体の知識水準の向上ですが、副次的な要素として国家の力となる人材の育成と格差の是正があります。国家の力となる人材というのは代表的なのは官僚でそのほかとなると科学者や芸術家が挙がってきますが、これは裏を返すと国家の反逆者も同時に作ってしまうという面もあります。たとえば古来中国で行われていた官僚採用試験こと科挙を例にとると、確かに出自に関係なく優秀な人材を行政指導者に採用できた一方、大体どの王朝も科挙に落第した秀才止まりの人間が反乱起こして滅亡に追いやられてます。
 話は移って格差の是正ですが、これも科挙を例にすると「出自を問わない」というのが大きなポイントです。学力、いうなれば実力さえあれば金持ちだろうと貧乏人だろうと出世することが出来、機会の均等とも言ってですが貧困脱出の手段としても教育は大きな役割を果たしております。ただこの格差の是正に対する反論として、教育がさらなる格差を生んでいるという逆説的な意見もあり、今日はその辺と現状を簡単に解説します。

 まずこれまでの話として日本は諸外国と比べてよく、「東大にさえ入ればいくらでも成り上がれるから平等だ」と評されてきました。たとえどれだけ貧乏で有力者とのコネがなくとも、東大にさえ入れば官僚になりやすく、また民間企業でも出世しやすいという点で機会の均等は保たれていると言われてきました。ただこの東大に入るということについて近年、そもそも受験段階で格差が影響してきたという意見が強まってます。
 恐らく知っている方も多いでしょうが各大学に通う学生の両親の収入を調べたところ東大の学生は平均で一千万円を越すなど、他を突き放して断トツトップでした。この結果を取って有力者の子弟ほどまた有力者になりやすいとして、格差拡大に繋がっていると主張する人もおります。

 まず両親の資産が東大入学に影響するか否かといったら、相関しているとしか私も言いようがありませんしそれは事実です。では有力者の子息ほどまた有力者になりやすいのかについてですが、これは見方にもよって意見が分かれるかと思います。
 こっからは個人的な意見となりますが、最初の前提として東大が以前ほどブランド力を持っていないということ考慮に入れなくてはならないと思います。日本は少子化の影響で子供人口は減る一方で大学の定員は増えていき、かつては希少だった大学卒業生が今や多数派と言ってもいいくらい増加しております。東大単体を取ってしても、前は数万人に一人の割合だったのが大げさ位に言うと今だと数千人に一人くらいという具合に割合は確実に減少しており、以前ほどレアでなくなった分、社会での取り扱いも変わってきているでしょう。加えて最近は留学も一般的となり、「東大に入る価値」というものは軽くなっていると私は見ております。

 ただ東大に限らずとも、子供の学力はよく親の資産に影響するという意見も耳にします。これに関しては概ね同意で、毎月数万円の月謝を払って予備校に通えるか否かは教育指導要領の内容が大幅に削減されている今の学校社会だと明確な差となって跳ね返ってきます。また関東首都圏や学区制の如かれている京都や大阪などでは公立高校のレベルが私立高校に比べて低い傾向があり、自然と私立校に通えるほど余裕がある家の子弟が有利となる傾向があります。
 ここで唐突に結論を出しますが、よくいう大学の入学には親の資産が影響云々という議論は大学は関係なく、むしろその一歩手前の高校レベルでの公立と私立の差が影響しているのではというのが私の意見です。簡単にまとめると一部都道府県では公立校のレベルがあまりにも低く、私立校出身者が大学受験で有利となるために資産のある家が有利になる……といった具合です。

 公立公立とさっきから自分でも馬鹿にしてるんじゃないかと思うくらい悪く書いておりますが、これはあくまで学区制のある一部都道府県レベルの話です。逆に学区制のない地方、自分が知っている中だと愛知、岐阜、奈良の公立高校は下手な私立高校より受験体制がえげつなく、事実ある奈良の高校では日本史受験者に対し本来は一定度授業を受けさせないといけない世界史を一切教えずに日本史だけ教えるということを平気でやってました。でもってこの三県の上位公立高校出身者は明らかにものが違いました。
 ちょっと地元トークをすると実家のある千葉県の公立高校は大まかに学区が分かれていますが、それでも上位校と下位校ははっきり分かれてあり京都とかと比べるとまだ競争原理が働いています。ただ上位の公立高校はどうもブランド力で学生を集めている節があり、ある高校なんか数学のベクトルを高三から教えるなど明らかに受験体制になっていない授業を組んでて浪人率が異常に高くなってます。だからといって私立が優れているというわけでもありませんが。

 話を戻すと日本の教育における格差拡大効果を是正したいというのならば、大学をどうこうするとか授業料を下げる以前に、公立高校のレベルを引き上げることが最善ではないかというのが私の意見です。せめて大学進学を考えている人間に塾に通わなくともある程度戦える程度でいいのですから。
 最後にどうでもいい小話ですが、二年前に雑誌の企画で東大と京大の総長が対談してましたがどっちか片っ方が、「正直、今の大学受験のレベルで自分所の大学に入ってこれます?」と聞いたら、

「絶対ムリ(・ω・` )」
「だよね(・ω・` )」

 と話しており、お前らぶっちゃけトークも過ぎやしないかと思いましたがなんだか妙に好感を持ちました。

2012年7月30日月曜日

カーナビのカスタマイズの可能性

さあ、宇宙へドライブだ 「スターウォーズ」がカーナビに(Jキャストニュース)

 またスターウォーズグッズの宣伝となってしまいますが、ちょっと気になる商品があったので取り上げます。今回はなんとカーナビで、あのスターウォーズのBGMと共に道案内をしてくれる代物で、お値段なんと39800円。安いと思ってしまったのはフォースに染まりすぎだからでしょうか。
 ただこうしたカーナビ商品ですが先日にソニーが市場から撤退すると発表するなど、近年は同様のアプリを持つスマートフォンに押されてなかなか厳しいようです。私個人としても友人のスマートフォンが持つGPSシステムを見てこれで十分じゃないかと思った節があり、恐らく今後はどんどんとスマートフォンで代用する人が増えて専用機を使い人は減っていくでしょう。あくまで私個人の予想ですが、スマートフォンであれば規格がある程度統一されていることもあり、それこそ音声や機能といった面で差別化が測ったカーナビゲーションシステムアプリがよりバリエーションが多く出てくるのかと思います。

 具体的にどんなバリエーションが出てくるかというと、まず一番多く出てくるのは先程のスターウォーズ仕様のように音声やBGMで凝っているものでしょう。既に有名声優を使った音声でナビしてくれるカーナビなどもありますが、私個人としては7年前にカーナビを使っていた段階で今頃にはもっと多くのバリエーションが出ると踏んでいましたが、市場を見る限りだとどうやら頑張ってるのはクラリオンくらいでまだ種類としてはそれほど多く出ているわけではなさそうです。
 一番有り得そうだなと思っていたのは既にクラリオンが出しておりますが、関西弁でナビするというカーナビです。それこそ方向指示を間違えたりしたら、「右ゆうとるやないけ」と突込みが入ったり、しばらく直線が続くようであれば「ほな次の交差点着いたら起こしてや」と職場放棄するようなものが市場に溢れるのを期待していたのですが、需要がないのかまだお目にかかっておりません。

 ただ先程もいった通りにこれからスマートフォンで代用する人が増えれば、それこそ中の一部ソフトを買えるだけで発音する音声が変えられるアプリも出てくるかもしれませんし、もしかしたらもう出ているかもしれません。またまた登場のクラリオンさんは専用機でこの機能を既に実現させておりますが、「右方向です」と発声するところを敢えて「左方向です」と天邪鬼なシステムに変えたり、突然「ここでインド人を右に」を言わせたりできそうで、なんか見ていて気になります。
 ちなみにこれはカーナビではなくパソコンのキーボードの話ですが、会社で仕事している際に暇だった時に自動変換システムを弄って、「そば→うどん」、「うどん→そば」と変換するように何故か登録したことがありました。そんな登録をしたことをすっかり忘れた一年後、確か英文マニュアルの翻訳をしていた際に、「スイッチのそばにあるレバーを」と打ったつもりで変換したら「スイッチのうどんにあるレバーを」と変換されて真面目に「うどん!?」と目を見張ってビビったことがあります。余計な小細工はするべきものじゃないとこの時に痛感しました。

2012年7月29日日曜日

日本に影響を残した外国人~ダグラス・マッカーサー

 かなり久々となる「日本に影響を残した外国人」の連載ですが、今日は近代日本に最も大きな影響を残したと言ってもいいダグラス・マッカーサーを取り上げようと思います。

ダグラス・マッカーサー(Wikipedia)

 この連載を始めた段階でマッカーサーは取り上げる予定でしたが、書くことが非常に多く実際に書くとなるとなかなか決断に至れませんでした。それが何で今日になって取り上げるのかというと、昨日一昨日は日中は全く家から出ずに夕食も豪華(焼肉と焼き鳥)だったこともあって体力に余裕があるからです。先週までは暑さと取材の多さから疲労でいっぱいでしたが。

 まずマッカーサーの来歴について触れますが、彼の父親のアーサー・マッカーサー・ジュニアも軍人であったことからかなり早いうちから軍人になることを意識していたと言われております。家庭内についてもう一つ付け加えておくと、母親のメアリー・ピンクニー・ハーディ・マッカーサーはかなりの教育ママだったらしくマッカーサーに英才教育を施し、彼が士官学校に入学すると近くのホテルに移り住んでちゃんと勉強しているか見張っていたという逸話もあるくらいです。
 そうした父母の薫陶を受けてか在学中のマッカーサーは抜群の成績を残して卒業してます。そして卒業後に、在日アメリカ大使館に駐在することとなった父の副官として東京に滞在していますが、まさか本人も数十年後にまた日本に来ることになるとはこの時は思わなかったでしょう。

 比較的初期のキャリアとして有名なのは第一次大戦時のレインボー軍団創設が挙がってきます。これは一次大戦開戦直後のマッカーサー自らが時のウィルソン大統領に提案して実現したもので、各州から兵士を集めて一つの師団を作り、全米一丸となって戦うというプロパガンダを含んだ部隊ですが、これが創設されるやマッカーサー自らが率いて欧州で戦闘を行っております。この例だけでなく日本のGHQ時代の施政といい、なにかと世の中に「見せる」というやり方に長けているような気がしてなりません。ただこの一次大戦後時は華々しい活躍を遂げて最年少で少将にもなりましたが、大戦後はキャリアが伸び悩み、参謀総長を辞してからは旧知のフィリピンへ軍事顧問として赴き、そこでコネクションを利用して私財作りに明けていたようです。

 そんなマッカーサーに転機が訪れたのは太平洋における緊張化こと、対日戦が現実味を帯びてきた1941年7月でした。当時のフランクリン・ルーズベルト大統領ははっきり言ってマッカーサーが嫌いだったようですが(むしろ彼と仲のいい大統領は聞いたことないくらいいつも衝突してるけど)、アジア事情に詳しく実績のある人物はマッカーサーしかいなかったことから現場復帰を要請し、開戦後は大将に昇進しています。
 ただ現場復帰を果たしたマッカーサーですが、太平洋戦争初期は日本軍が一気に攻勢をかけてきたことから各地で敗北。しかもその敗因は「たかが日本人」となめてかかった彼自身の戦略ミスも大きいとされ、結局拠点としていたフィリピンも陥落しかけたことからあの有名な「I shall return」と言って逃げ帰る羽目となりました。ただその後の反攻作戦は素人の自分の目から見て状況に適したもので、拠点をつぶしながら北上するのではなく要所要所を落として補給線を壊滅させるという戦略で確実に日本を追い詰めて勝利を得ております。そして日本の降伏後にGHQ総司令官として日本にやってくることとなりました。

 日本統治時代初期は当時のアメリカがやや左傾化していたこともあってか農地改革を筆頭に憲法作成など社会主義色の強い政策を次々と打ち出し、五一五事件や二二六事件で反乱を起こした将兵が最も望んでいた地主制農業を崩壊させることに成功し、生産効率などを飛躍的に高めています。ただGHQ内部の権力抗争の結果、いわゆる「右旋回」が起こってからは自衛隊の創設に道筋をつけるなどタカ派的な政策へとシフトしていきます。
 ただこの右旋回についてはマッカーサー自身の個人的事情も影響していたとも考えられます。というのも彼は1948年のアメリカ大統領選への出馬する気まんまんだったらしく、本音としては早く日本の非武装化にケリを付けて本国に帰りたかったそうです。ただ予備選でどの州でも1位になれなかったことから結局あきらめてしまい、それからというもの日本の再軍備化を推し進めたり労働争議を叩き潰したり下○事件を起こしたり……と、○山事件はまだ解明されてないですが、ともかく気兼ねなく強攻策を採るようになったと言われております。

 そんなマッカーサーにとって再びの転機となったのは1950年の朝鮮戦争です。この時もマッカーサーは諜報から北朝鮮が南進してくる可能性が伝えられていたにもかかわらず一切黙殺するなど、初期対応を誤るというミスを犯しております。ただ例によって反攻作戦を立てるのはうまく、マッカーサー以外が全員反対していた中で強行した仁川上陸作戦を成功させると一気に形成を逆転させております。
 しかしこれまた諜報から「人民解放軍が警戒している」と報告されていたにも関わらず調子に乗って朝鮮半島でやたら進軍を続けたせいで、中国の参戦をわざわざ招いて38度線に押し返されるなど、どうも要所要所で状況判断を誤ることが多いです。さらに原爆の使用許可を申請したことが引き金となり、最終的にトルーマン大統領によって解任されることとなりました。

 アメリカに帰国後、1952年に再び大統領選出馬を画策していたそうですあ高齢からこれを断念し、その後は特に大きな事件に関わることなく自然死しております。なお息子のダグラス・マッカーサー2世は独立後の日本で駐日大使となり、安保改定に尽力したと伝えられております。

 マッカーサーについて寸評を加えるとするなら、どうもこの人はナポレオンと一緒で、自分が将来歴史書に乗る時を意識したような行動や発言が多いです。いわゆる英雄思想が強かったのかもしれませんが、この点について歴史家の半藤一利氏などは、「しょっちゅう嘘をつく奴だ」と評価しており、私個人としても実際には知ってたことをさも知らなかったかのように、またその逆に知らなかった内容をさも知ってたかのように振る舞っていたように見えます。
 ただ日本一国に限れば当時の時局と地理の恩恵を受けていたとしても、非常に多くの改革をドラスティックに成し遂げ立派な基盤を作ってくれたと言ってもいいでしょう。そういうことをたまに自虐的に、「戦後最高の日本政治家はマッカーサーだよ」という時もあります。

2012年7月28日土曜日

神奈川県警、愛媛県警の不祥事について

 以前に私は「問題があると感じられる県警」という記事で言い訳のしようがないような不祥事を出している県警をいくつか紹介しましたが、不祥事界のキングこと神奈川県警がまたもやってくれたようです。

警官集団セクハラ、立件視野に捜査へ…判断撤回(読売新聞)

 内容に関してはあまりにも下品なので詳述しませんが、どう考えても犯罪としか思えない行為を実行していながら当初、「立件はしない」とこれまた規格外の発表をしてのけた神奈川県警ですが、さすがに世間はそうは問屋をおろさなくて身内びいきと批判が起こったことから、「最終的な判断ではなかった」とこれまた苦し言い訳をして捜査に着手したそうです。でも神奈川県警のことだから捜査をした上で、「やはり違法性はなかった」とか言ってまた立件見送りに舞い戻るだけかもしれませんが。
 それにしてもこの事件のコメントでもしこれで立件されないというのであれば、「カラオケ屋で服を脱いでも公然わいせつには当たらない」というある意味すごい前例を作ることになりかねません。全く関係ない話ですが、上司からこの前に自分が行かなかった二次会について、「お前はいかなくて正解だった」と言われたのでわけを聞くと、参加した一人が途中でパンツ一枚になった上に女装するなど破天荒ぶりを見せたそうです。そもそも女装用衣装が置いてある店があるっていうことが驚きだけど。

警視ら2人を書類送検=虚偽公文書作成容疑―愛知県警(時事通信)

 神奈川県警の不祥事にやや隠れ気味ですが、こちらの愛知県警の不祥事も非常にきな臭さを感じる事件です。
 こちらについては内容を簡単に説明すると、昨年1月にオウム真理教の事件に関して情報提供があったとして県内で勤める医師に感謝状を贈った件について、管轄と異なる蟹江署から送られていたことから調べてみると、提供された情報の確認に行ったとする署員の運転日誌が改ざんされていたとのことです。これははっきり書いていない記事のせいでわかりづらいのですが、言い換えるなら「情報提供を受けたという事実はなかった」ことなのかもしれません。つまりありもしない情報提供に対して感謝状を贈ったという意味です。

 北海道新聞が北海道警が捜査協力者への報奨金で裏金を作っていたという事実が明るみになってから久しいですが、もしかしたらこの事件はまた同じことを愛知県警がやっていたのかもしれません。こちらは既に関わった人間が書類送検されておりますが、普通に考えたら怪しいところ満載です。
 オウム真理教絡みで情報提供ときたら昨年から今年にかけて一気に捕まった指名手配犯3人に関するものしかはっきり言って有りえないですが、この3人は結果的に関東都市圏に潜伏しており、なんで遠く離れた愛知県で情報提供があったのか容易には理解しがたいです。何も愛知県警に限らず、オウム絡みの情報提供を調べたらほかの都道府県でも同じようなケースが見つかるかもしれません。

2012年7月27日金曜日

刹那的に生きること、将来を見越して生きること

 決して誇張ではなく言い切ると、恐らく同年代でも自分はトップクラスなまでに他人からの評価や印象が両極端に分かれる人間だと思います。一つ例にとると大抵の人は私のことを「大人しそう」、「温和」という表現を使って説明しますが、一部の人間に限れば「何かあればすぐ激高する」、「思想が過激」と言われており、私個人としては後者の方が実像に近いかなと感じています。
 このほかよく言われてたこととして学生時代に、「花園君は公務員になって安泰を図るような安定志向でしょ」とよく言われてましたが、実態としては「公務員のことを公僕って言ってのける人を初めて見た」と言われるまでに公務員になる気などさらさらなく、むしろなろうとしていた友人に対して「公僕に身を落とす気か( ゚д゚)」と、前時代の左翼じゃないんだし余計なおせっかいもいいところと思うくらいの発言までする側でした。

 一体なんでこれほどまでに評価が真逆、私個人の意見としては実態とかけ離れたイメージが持たれやすいのかというと、私自身が親しくない人間にはあまり関わりたくないことから大人しそう、下手すれば卑屈で陰険に見られるように敢えて振る舞っていることが大きいですが、最近になって着眼点が周囲と異なることからギャップが大きくなるのではないかというように考え始めてきました。この着眼点について今日は一つ、自分のこれまでの選択経験を拾って持論を展開しようと思います。

 まず話の前提として私は20代の身空で既に2回転職、いうなれば3回も新入社員を経験しております。このうち2回目はいつか借りを返すような特殊な例で無視してもいいのですが、日本でそれほど忙しい仕事でなく、そこそこ安定した正社員の職を放り投げて中国に転職に来たというのは最近増えてはいるもののやはりまだレアな存在です。
 傍から見ればこんな選択、行き当たりばったりで刹那的な生き方に見えるかと思います。そうまでして中国に行きたかったのか、海外で働いてみたかったのかと実際によく質問を受けますが、私個人の考え方としては逆で、可能ならば避けたかったものの今のうちに行かざるを得なかったというのが本音です。

 私は一部の人間のように極端に日本の未来を悲観はしていませんが、今後の日本社会はこれまでの「どこに属しているのか」より「あなたは誰なのか」という具合に、評価対象が集団からより個人へ重量配分が移っていくと考えております。私としても同じ会社でのんびり安定できるというのならそりゃ同じ会社に留まっていたかったというのが本音ですが、高度経済成長期でもないこの時代でそうした意識を持つこと自体がリスキーな価値観だとみており、むしろ自分にとってプラスになる可能性があるのならどんどん動く方が長期的に見れば安定する可能性が高いと思って中国に来ることにしました。一見すれば安定を放棄しているように見えても、私としては消極的により安定を求めた故の決断だと今でも信じております。

 ここで話を着眼点に戻しますが、まずそもそも何を以って安定ととるかです。変化のないことが安定なのか、満足度を得ることが安定なのか、落ち着いた生活をすることが安定なのか人それぞれでしょう。恐らく日本人の大多数としては一番最初の「変化のない」ことが安定でしょうが、私としては「いつでもどこでも状況を切り開けるだけの力量を身に着ける」ことが安定の定義です。たとえ自分の職業や住所が変わるとしても、力量的にそうした変化に追いつくことが出来るのであれば安定で、それを常に求め続けております。言い換えれば、どこでもやっていけるだけの知識や経験さえあれば追い詰められることはないというように考えてるわけです。こんな具合に周囲と着眼点が異なっているため、私をよく知る人間とそうでない人間との間で印象に対するギャップが生まれるのだと思います。

 ここでまたいつも通りに話が急旋回しますが、上記のような価値観から私は自分は長期的な視野に立って将来を見据えながら生きてるつもりで、どちらかと言えば刹那的な生き方をする人に対して否定的に見ておりました。ただこのところは逆、というか少し考え方が変わって、今この一瞬々々を悔いなく過ごそうとする、精一杯生きようとすることの方が、十年後に楽したいとか、どの程度の収入を得たいから今はこういう風に過ごそうと考えることよりも有意義なのではないかと思うようになってきました。
 もう少しわかりやすく言い換えるとすると、これまでは目標とする未来に対して今どう動くべきかと決めてきたつもりでしたが、そうした生き方よりも、今現在を必死にというか手を抜かずに攻め続けることで少なくとも後悔しないというか満足する未来がついてくるのではと思うようになってきたわけです。一言で言い表すなら、未来のために現在が存在するのではなく、現在の積み重ねが結果的に未来になるといったところです。

 我ながらまどろっこしい言い方が続きますが、その日暮らしで快楽だけ求めることを刹那的な生き方とする人がいますが、私に言わせればこれは破滅的な生き方で刹那的というべきではないと思います。私の中の「刹那的な生き方」の定義はスパンが短く、最長で一年下手すりゃ一日スパンで物事を考え、その場その場でやりたいと思うこと、すべきと思うことを手を抜かずに生きるという意味になり、十年先は知らないからとりあえず来年にはこういうことを成し遂げたい、こうなりたい、ああしておこうという生き方になります。少なくとも怠けさえせずにやろうとすることに真剣でいられれば、多分いい方向に物事が向かうのではと信じるようになりました。

 だからどうしたというのがここまで読んでくれた方の感想かもしれませんが、私個人の見方として、今の日本の若者はやけに老後や親の介護、会社の将来なぞ遠い未来ばかりを考え過ぎなのではないかと思うところがあります。その一方で突然行き当たりばったりに物事を決めたりして遠い先の方向ばかり見ていて近い距離の方向を間違えてしまっているのではと感じることが多々あります。
 恐らく日本社会では「将来のことをしっかり考えた方がいい」という思想が強いかもしれませんが、不確実性の高い未来を見越すというのはかえって危険な行為に思え、それであればもっと足元を見つめて、近距離に絞って方向性を決める方が、刹那的に生きる方がかえって将来に安定をもたらすのではないかというのが今日の私の意見です。適当に思い付くままに書いたからすごい妙な内容になりました。

今の上海の食費

 この前故あって陽月秘話時代に公開した北京にいた頃の留学体験記を読み返しました。ざらっとしか読み返してはいませんが学生時代の意気盛んな頃に書いたこともあって文章はやや粗いものの突破力のある内容だと改めて感じたとともに、地味に当時の物価を事細かに記載してあって将来資料価値として高まるのではという妙な期待感を覚えました。
 さて物価とくれば、恐らく日本にいる方は中国の物価が今どれくらいなのかが気になるかと思います。はっきり言って上海は中国で最も物価が高い地域で中国を代表するかとなるとあまり当てにならない場所ではありますが、「一番高い地域」という前提であれば何かの参考になるかと思うので、一つの目安として私の食費に関わる物価を教派紹介しようと思います。早速片っ端から書いていくと、以下の通りとなります。なおレートは1元=12円で計算します。

・さっきの同僚との晩御飯(麻婆豆腐、野菜炒め物、白米3杯):37元(404円)
・マクドナルドのダブルチーズバーガーセット(昼割引):16元(192円)
・ファミリーマートのカツカレー弁当:12元(144円)
・コーラ(350ml):2.5元(27円)
・蘭州ラーメン:7元(84円)
・卵サンド(2個入り):6元(72円)
・香港料理屋のおかゆ:16元(192円)
・洋食屋のミートスパゲッティ:21元(252円)
・日系ラーメン屋のラーメン:32元(384円)
・日系洋食屋のおろしハンバーグセット(ごはん+スープ):70元(840円)
・食べ飲み放題の焼肉屋:144元(1464円)
・日系焼肉屋の焼肉ランチセット:50元(600円)
・スタバのコーヒー:18元(206円)
・ベーカリーのケーキ:15元(180円)
・吉野家の牛丼(並盛):16元(192円)
・レトルトカレー:10元(120円)

 パッと思いつくのを上げると以上のようになります。これを見ればわかるでしょうが、どうも食生活が偏り気味です。多分ほかの日本人はもっとマシなところに通っているでしょうが、自分はどうもけち臭くてやたら安いところに、しかも同じ場所へ何度も行く傾向があります。友人からも体には気をつけろと言われているのですが、ここ一週間でまともと思えるものは「日系洋食屋のおろしハンバーグセット」くらいでしょうか。ちなみにここに食べに行った時は口に口内炎が出来てて、ポン酢を付けたハンバーグを口に入れる度に泣きそうな顔して食べてて、口内炎の人に口に醤油を含ませるのは立派な拷問になり得るとか考えてました。

2012年7月26日木曜日

公聴会での電力会社社員発言問題について

 今日も帰宅は9時半!といっても、やることがあるだけあまり辛くはありませんが。
 ここだけの話、最初に勤めた会社では毎日定時に帰っておりましたが、業務時間中にあまりにもやることないのに椅子に座ってぼーっとパソコンの画面を見続けてなければいけないのが地味に辛かったです。あのころに比べたら帰宅時間遅くとも、今の方が楽に感じるほどです。
 話は変わって昨日に書いた「ここ数日の産経の気になる報道」の続報ですが、自衛隊への協力を都内11区が拒否したというのはやはり産経の誤報だったようです。

自衛隊訓練記事で産経が「おわび」(J-CASTニュース)

 どうやらこの訂正記事は紙面に載っているだけでネット上では公開されていないようです。きちんとJキャストが追いかけてくれているからいいものを、ほかの記事にも書かれてましたが誤報は大きく報じて訂正は小さく報じるというのは如何なものです。
 とはいえ、この記事に関しては同じメディアにいる人間から言わせてもらうと有り得ないと言っていい内容です。仮に11区のうち1区か2区が間違ってたのであれば、許されるものではないものの何かしら手違いなり誤解があったんだろうと見ることもできますが、今回は産経が名指しした11区すべてが事実無根と抗議していることから、間違いなく取材すらせずにこの記事を書いたんだと思います。通常、この手の内容だったら必ず各自治体に電話をかけて本当に自衛隊の要請を拒否したのか事実確認をしなければならない、というよりするのが当たり前で、それすらもしていなかったというのならもういろいろと人事を考え直した方がいいでしょう。起こってはならないというか、有りえないミスです。
 もう一件の丹羽大使更迭報道については今日もどこも後追い報道はありません。また9月に訂正記事が見られるのかな。

 そろそろ本題に入りますが、このところというかこの1ヶ月がやけに忙しくて触れることが出来ずにいましたが、各地で行われている原発絡みの意見公聴会で電力会社社員が次々と発言していることが問題となりました。

原発意見聴取会もヤラセ?電力会社社員「原発どんどん作れ。福島で死んだ人いない」(J-CASTニュース)

 狙っているわけじゃないですがJキャストの引用が増えてます。知り合いも一番ここのニュースが面白いと言っていますが、私からしてもいい内容を拾っているように思えます。

 話は戻ってこの問題ですが、こうした公聴会で発言した電力会社社員らはいわば会社におもねった意見というか、原発存続に賛成な立場を言ったそうです。ただ一般募集した人の中にこうした電力会社の人間、いわばダイレクトに利益に関わる人間が入り込むというのはどうかという批判が起こっており、政府もこうした声を汲んで今後は電力会社関係者はこうした場で発言してはならないという声明を出すに至りました。

「意見言えないには違和感」 公聴会での発言禁止に電事連会長(産経ビズ)

 Jキャストに続きこちらもまた産経からの引用です。くれぐれも言っておきますが別に産経を狙い撃ちしているつもりはないのですが、問題ある記事を引用してたらなんかやたらと産経の記事が引っかかります。なんか末期のコミックボンボンみたいな編集になってないかな。
 さっきから話の脱線が多いですが、引用したこの産経ビズの記事では電事連の八木会長が電力会社の発言を禁止した政府の措置について「会社として参加を強制したものではなく、本人の自由意思。所属も明らかにしており、問題はない」と批判しております。はっきり書いちゃうと産経は意図的にこの記事を載せて政府を批判したい、というより電事連の肩を持っているのでしょう。そもそもこんなくだらない発言なぞ取り上げる価値もないのですが。

 ピッチ上げて一気に書き上げますが、ああした公聴会で電力会社の関係者が発言するなぞ言語道断もいいところで、それを平然とやってのける電力会社社員の無神経さにはつくづく呆れます。しかも一部報道では中部電力は各営業所やらに家族などを使って公聴会の一般発言者に応募するようメールを出していたとも聞きます。恐らく彼らの魂胆としては自分たちの意見を言うことよりも、ああした場で反対意見が出てくるのを封殺するというのが主目的でしょう。
 そもそも電力会社であればああした市民を対象にした公聴会で発言しなくとも、関連する会議などでいくらでも発言する機会があり、それこそホームページ上で会社として意見を出すことだって可能でしょう。それに対して普通の一般市民はああした公聴会でなければ意見をくみ取りづらく、そうしたことを考えると貴重な意見収集の場を土足で荒らすような真似だと私は感じます。そういう意味では電力会社関係者の発言を禁止する政府の措置は当然、というよりいちいち言わないと駄目なのかと思うととてつもなく情けなく感じます。

 去年の震災以降、こうした電力会社の無神経というか常識はずれな発言や行動は相次いでます。はっきり言って一般感覚からねじが飛んでいるとしか言いようのない思考をしているようにも見え、至って真面目におかしなことを言っていることに本人らが全く意識してないというのが別な意味で怖いです。中国ですら……といってはあれですが、発送電分離しているんだから日本も早く市場開放して民営化した方がいいでしょう。

2012年7月25日水曜日

ここ数日の産経の気になる報道

 今日も帰宅は11時半!決して仕事がたまっているわけではないですがなんか飲み会の回数が先週から異常に多く、ブログを書く時間がなかなか取れません。おまけに明日は校正当番でまた帰宅が遅くなるし……。
 そんなわけで普通ならブログを休んでとっとと寝るのですが、ちょっと放っておくことのできない報道が連続して起こったので書き残すことにします。その方っておくことのできないニュースの一つは昨日の下記報道で、これが出た時は自分の職場である編集部は色めき立ちました。

丹羽大使9月交代 尖閣国有化に矛盾と判断
素人ぶりは突出…民間起用の限界露呈 丹羽大使9月交代(どっちも産経)

 ニュース内容はリンク先を見てくれればと言いたいところですが、下手したらリンクが早くに切られる恐れがあるので簡単に解説します。要するに尖閣問題で中国におもねる発言をしているから丹羽中国大使を更迭するという内容なのですが、ストレートに書いてしまうとこの報道は産経の飛ばし、言い換えるなら誤報の可能性が高く、「また産経がやらかした」と私の周りでは言っております。
 まさかこんな大々的な記事で誤報ってと当初私も考えましたが、グーグルか何かでニュース検索をしてもらえばわかりますがこの更迭を報じる記事というのは産経しかありません。最初に疑念を呈したのは自分の上司ですが、速報性を重んじる共同通信が全く後追い記事を出しておらず、中国側はどう報じているのか自分も新華社のサイトへ行ってみましたが、この更迭記事には触れつつも、「北京にある日本大使館は事実ではないと否定」と取材文が載せられておりました。

 仮に産経の言う通りに9月に本当に丹羽大使が更迭されたそりゃ立派なスクープでしょう。ただこの記事は内容から言っても怪しい点が多く、ズバリ言うなら後任の人事について何も触れられていません。この一点だけでも怪しい上に更迭時期の9月も中国共産党中央党大会を控えた非常に敏感な時期なだけに、いくら何でも冒険が過ぎやしないかという時期です。まぁ初めから誤報と決めつけず、予告時期の9月までゆっくり見てやろうじゃないかという気分ですが。

「迷彩服を区民に見せるな」 自衛隊の防災演習、東京の11の区が庁舎立ち入り拒否(産経新聞)
産経「自衛隊訓練で立ち入り拒否」記事に9区が抗議・訂正要求文(J-CASTニュース)

 続いての産経の気になる記事というのは上記のニュースです。別に産経を狙い撃ちする気は全くないのですが、いくらなんでもこれはというニュースがここ数日に立て続けで起こるというのは明らかに以上です。
 ニュース内容を簡単に説明すると自衛隊が東京都の区役所庁舎の利用を申し出たところ11区が拒否したという報じていますが、続いてリンクを貼っているJキャストニュースによると名指しされた11区のうち9区が既に、「このような要請を受けたこともなければ拒否したこともない」と事実内容を否定しているそうです。

 この記事もこういってはなんですが、どことなく焦点を意図的にぼかした書き方をしていて妙な構成になっているように私には感じます。具体的にそれはどこかというと、自衛隊の協力要請を11区が拒否したという事実以上に、見出しにも入れている「迷彩服を区民に見せるな」ということを何かやたらとアピールしたがっているような、そんな印象を覚えます。なんでこんなことをアピールしたいのかっていうと、私が書くべきことではないような気もしますが何か一方向に読者を扇動したいような意図を感じます。
 産経は25日付の紙面でこの記事の続報を載せると言っているようですが、もう日付は変わっているので明日とはいえないものの、出たらこっちもじっくり見てやろうじゃないかという気で満々です。少なくとも、自治体側と事実認識が真っ向から食い違っていることと取材手法について書いてもらわなければ納得いかない内容なだけに、誠意ある対応を見せてもらいたいものです。

 余計なお節介かもしれませんが、真面目に産経のデスクは大丈夫なのかという気がしてなりません。

2012年7月22日日曜日

尖閣諸島国有化宣言に対する中国の反応

 久々に専門領域で一本とばかりに今回の尖閣諸島ネタですが、いきなり結論を言うと今、非常にまずい状況です。詳しい理由は後できちんと解説しますが、ネットニュースを見る限りだと日本と中国でこの問題に対してあまりにも温度差があり、いまいち危機感が伝わっていないような気がします。

 まず事の起こりはいつごろかは忘れてしまいましたが、石原新太郎都知事が尖閣諸島こと魚釣島を地権者から買収すると発表したことからでした。この発言自体は中国でも大きく取り上げられましたが中国人も石原都知事については前から極端なことを言う人だとの認識がもう持たれていたので、友人が「花園君の言った通りだった」というくらいに誰も本気にせず、日本への批判運動とかもなにも起こりませんでした。
 それが変わったのは石原都知事の発言からしばらく時間が経ち、野田首相が追って「魚釣島を国有化する」と発言してからでした。この野田首相の発言が出てから数日間はどの現地紙も野田首相の写真をトップ一面に飾り、それこそ一挙手一動を報じるくらいの反応を見せました。それと同時にネットなどでも日本批判が急激に増加。街中で日本人だとわかるや怒鳴られたり殴られたりとかはないものの、やはり以前と比べてピリピリした空気は感じます。

 はっきり書きますが、今の中国の日本に対する態度というか意識はかなり危険な状態と言わざるを得ません。先日に有識者ともこの件で会話しましたが小泉首相(当時)の靖国参拝で各地で反日デモが頻発していた2005年時は、「あれは政府がやらせているものだ」と大半の中国人は日本批判に無関心だったのに対し、今の中国のメディアや民衆の日本を見る目は非常に厳しいものがあります。それこそうちの社内でも2010年の漁船衝突事故が起きた時のように、もうひと押しあれば中国政府は日本向け通関を停止させてくるのではないかという意見が出ています。脅しとかそういうものではなく、中国に工場を置いているメーカーなんかは今のうちに在庫を多く持たせるべきだと本気で薦めます。

 ここでちょっと話を整理しますが、私自身はやはり日本人であることと、中国がかつて中越戦争を引き起こして大敗した経緯を鑑みても尖閣諸島は日本の領土だと思います。思うと書くのは私が領土問題や歴史の専門家ではないためで、漠然と一国民として感じるだけだからで、恐らくほかの大半の日本人も同じだと思えるし、中にはテレビや書籍で拾ってきた根拠を挙げる人もいるかもしれません。
 ここで意識してもらいたいのは、こうした意識を中国人も全く同じ形で持っているということです。日本国内のメディアで尖閣諸島は歴史的な経緯から言って日本の物で当然というような話を、中国人も中国のメディアからそのように受け取っているのです。そんな中国人からしたら自国の領土を日本が勝手に国有化宣言して奪い取るように思えて仕方ならず、極端な例を挙げると八丈島とか隠岐の島を中国がいきなり国有化宣言するというくらいに感じてるんだと思います。

 さらに言えば中国は未だに外国人アレルギーというかコンプレックスを持っております。かつて、というか今でも中国はかつて外国に侵略されていいように弄ばされたという風に教えられているので、何か仕掛けてくる外国人に対して強い敵愾心とともに妙な恐怖感を明らかに持っております。特に領土関係においては敏感で、こっちの新聞でも堂々と書かれておりますがもはや軍事衝突もやむなしと本気で中国人も覚悟を決めており、実際に上海市内で「そうなったら戦うしかない」と中国人に言われたという話を聞いております。
 比較的、っていうか中国で最も外国人アレルギーの少ない上海ですらこれなのですが、北京や内陸の地方都市ではもっと程度が激しいのではないかと思います。さすがに軍事衝突は両国政府も望まないでしょうが、さっき言ったように通関差し止めに関してはたとえこの処置で中国もどれだけの負担を払うこととなっても、それもやむなしと中国人は政府を支持するでしょう。

 あともう一言書き加えておくならば、日中両政府はこの問題が白熱化することは双方にとって損だと考えております。この場合の日本政府は外務省、並びに経済産業相といった官僚で、野田首相の腹については私はわかりません。ただ以前に私が日本にはこの問題が解決せずに揉めることで得する連中がいると書いたように、中国にも揉めることで得する連中がおります。はっきり書くならそれは人民解放軍の一部で、彼らが増長することは中国政府としても好ましくはないでしょう。
 この問題を如何に軟着陸させるか、私が考える手段としては国としての国有化はひとまず置いて、石原都知事の好きに任せるのがベストだと思います。仮に都が購入するのであれば政府は関与していないと言えますし、また中国側も石原都知事の主導であれば彼の独走と見えて最悪スケープゴートに据えることもできます。ただ政府が仮に購入したら、中国政府も国内不満を抑えるために何かしらアクションを取らざるを得なくなり、あまり面白くない結果は見えています。

 最後にもう一回書きますが、この問題で中国人の反応は日本が考える以上に敏感です。別に領土問題とか二国間交渉に限るわけじゃないですが、決着をつける気があるなら一撃で物事は仕留めなければなりません。尖閣諸島問題で日本がそれが出来るかとなると、まだ準備不足というのが今日の私の意見です。

2012年7月21日土曜日

「積み木くずし 最終章」について

 一週間くらい前の記事の「積み木くずしについて」の続きです。前回の記事に書いたように、今まで自虐ネタに散々使ってきたのだからという思いで今年になってこの「積み木くずし」、並びに今年発売されたばかりの「積み木くずし 最終章」を手に取ったのですが、いくつか疑問点を感じる内容があり、その点を教派解説します。

 積み木くずしのあらすじについては前回にも書いた通りですが、今回私が手に取った最終章、というより正確にはそのひとつ前の「由香里の死、そして愛 積木くずし終章」では作者である穂積隆信氏の家族の真相が書かれてあります。著書によると、積み木くずしの主人公ともいえる一人娘の穂積由香里氏の遺品を整理していたところ、既に自殺していた由香里氏の母親である穂積隆信氏の元妻の遺書が見つかったそうです。その遺書は由香里氏が読み終えた後に燃やすように指示されていたようですが、何故だか燃やされずに残っていたそうです。
 その遺書の内容というのも、由香里氏は隆信氏との子供ではなく、元妻と共謀して隆信氏の財産を奪った会計担当の男との子供だったというものだそうです。もう少し詳しく話すと、既に隆信氏と結婚していた元妻は自分で作った借金を理由に迫られてこの男と関係を持ち、由香里氏を生んだということで、積み木くずしが大ヒットして大金を得るやこの事実をネタに男から脅迫されたことで隆信氏を裏切らざるを得なかった、本音では今でも愛しているということが書かれていたそうです。

 正直に言って、この箇所は本当に事実なのかどうか疑わしいというのが私の感想です。確かに話の筋立てとしては面白いのですが逆を言えば面白過ぎる、また新しく本を出版するために話を作ったのではないかという風に感じました。ただこうした遺書を元妻が書き残すということについては有り得ないとまでは言うつもりはなく、最初の積み木くずしの本の中でも大量にこの元妻の日記が引用されているあたり筆まめな人物であったことは予想され、最終章の中で取り上げられた長い遺書を書き残していたというのも有り得るとは認めます。
 ただ最終章によると穂積隆信氏はこの元妻の遺書を、本人の願い通りに由香里氏に代わって焼却しております。仮に手元に残して第三者も確認できるというのならまだしも、燃やしたというこの事実を見ても本当にそんな遺書があったのか疑わしく思えます。ただ最終章という本自体についてはこれまでの積み木くずしの経緯なども書かれてあって本としては面白いので、もし興味のある方は真実かどうかは別としてお勧めできる内容です。

 話は変わりますが過去の代表的な親殺し、子殺し事件を見るにつけ、「もし自分の子供が非行に走ったら」ということを想像するだにやはり怖いなという気持ちを覚えます。仮に親である自分に直接危害を加えなくとも外部で障害、下手すれば殺人事件を引き起こした場合は遺族に対して支払う莫大な謝罪金を負担しなければならず、果たしてそういう事態になっても自分は自分の子供の味方でいられるのか、下手すればそういう事件を引き起こしそうな兆候を見せた段階で「捨てる」ことは可能なのかということまで考えてしまいます。
 自分なんか日本で正社員の身分捨てていきなり中国に来て現地採用で働くくらい行動が突飛なもんだから、少年時代もほかの同年代と比べて騒動を引き起こした数は明らかに多く、うちの両親もいろいろ気苦労が絶えなかったでしょう。実際にお袋からはっきりと、仮に自分が傷害事件を引き起こすと後の負担が怖いと言われたこともありますが、この年(といっても20代だが)になってみてそらその通りやという風によく感じます。

 敢えてこれまで触れてきませんでしたが大津市のいじめ事件、あと印象に残っているのだと2000年に発覚した愛知の中学生5000万円恐喝事件を見ていると、うまく表現できませんが本当にこういうのは紙一重なんだなという気がします。そういう意味では今更感は感じるものの子供が非行に走った時に親はどう対応するか、一つのケーススタディーとして「積み木くずし」を今読んだのはまずくなかったという気がします。作中で子供の非行対策を専門とする警察関係者が非行に走った子供への対処として、「子供をどう指導するかではなく、親がどんな態度を取るか」と穂積隆信氏に諭しているように、結局は親である本人が自分をある意味律するというのが最善かという風に今感じます。
 なにやら尻切れトンボの具合であまり良くまとまっておりませんが、20代の身空でこんなことをいちいち考える当たり自分は何事にも考え過ぎな人間だとつくづく思います。


ネット回線復活ヽ(・∀・ )ノ

 前回の記事で書いたネット回線の断線ですが、本日になってようやく復旧しました。正確には今まで恩顧で使わせてもらっていたネット回線が使えなくなったので改めて回線会社と契約したわけですが。
 念のため記述しておくと今回契約したのは「東方有線(OCN)」といって、ちょこっと今調べたら上海市のケーブルテレビ会社が運営している回線会社です。全国的には日本で言うとNTTに当たる中国電信がネット回線契約を独占しているような感じですが、上海市だけはこの東方有線が比較的力を持って運営しており、以前に同僚が使ってて問題ないと言っていたので自分もここの営業所に昨日アタックして、早くも翌日の今日に接続してくれました。

 はみ出たことを書くと今日自宅に来てくれたのは業者の人は若い人で、自分の仕事が中国記事の翻訳とかだよと教えると、「日本円あるなら見せて見せて(0゚・∀・)」と言ってきたので、千円札とかを見せてみるとやけに感心してました。つなげた回線ですが今のところ速度とかは以前と同程度で問題なく、これからも安心して使えそうです。
 それにしても去年の今頃だったら、多分申し込みに入ったでしょうが今ほど中国語に自信がなかったから気楽にはいけなかったでしょう。こお1年で契約だろうがなんだろうが、中国語で全部済ませられるだけの度胸と知識が身に着いたのは強みです。

 そんなことで今日はご機嫌な一日だったと言いたいのですが、実は一昨日からずっと腹下していて、今日もちょっと体調が悪くずっと家に閉じこもってました。そもそも昨日、一昨日と会社の飲み会が連続してあった(飲酒の教養はなかったが)のが致命的で、今日も十分に休めたわけではないため、明日は仕事だけどもう少し寝ていたいというのが本音です。家にいたってやることもないのですが。

2012年7月18日水曜日

自宅ネット回線断線(;Д;)

 昨夜メールを書いている最中、突然ネット回線をつなぐルーターが「パシッ」ってリアルな音を発しました。直後、ネット回線はものの見事にダウンし、このブログも更新できずじまいとなってしまいました。
 この文章は別のルートを通じて現在アップしていますが、上記のような理由からしばらく更新を休みます。早ければ金曜日にも復帰できるかもしれませんが、へたすりゃ一週間くらい更新出来ないかもしれません。更新が再開するまで、どうかしばらくお待ちください。

2012年7月15日日曜日

「積み木くずし」について

積み木くずし(Wikipedia)

 ある一定の年齢層以上であれば、「積み木くずし」と聞いて何の事だかすぐわかるでしょう。また比較的若い世代の人も、2005年に特別ドラマが放送されたのでもしかしたら知っているかもしれません。ただ自分が大学生の時は、「うちの家庭は積み木くずしがなんぼやっちゅうもんやった」と言っても、ごく一部の人しかこの比喩がわかりませんでした。

 先にこの積み木くずしがなんなのか説明すると、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に出てくるドク博士の日本語吹き替えなどをやっている俳優の、穂積隆信氏の子育てを巡る体験記です。具体的には中学校に進学後に素行が悪くなった穂積氏の一人娘が更生するまでを描いた作品で、1982年に発行されるや大ベストセラーとなり、テレビで放送されたドラマは連続ドラマとしては民放歴代最高視聴率となる45.3%(関東地区)を記録するまでに至りました。
 なお余談ですがこの時のドラマで娘役を好演した高部知子氏は第2の大竹しのぶとまで評されたのですが、人気絶頂の最中に写真週刊誌「FOCUS」に当時15歳でありながら喫煙中の写真が載せられる、いわゆるニャンニャン事件が起こったことでそのキャリアが大きく流転しております。この一連の過程を覚えているかとうちのお袋に聞いたら、欽ちゃんファミリー退団など事細かに覚えていたので、当時としても相当インパクトが強かったものだと伺えます。

 さてそんな積み木くずしを、出版当時に生まれてもいない自分がこうして話題に上げようと思ったのかというと、単純に最近にこの本を読んだからです。なんで今更読もうと思ったのかというと、元々この積み木くずしが家庭崩壊を描いた作品だということは子供の頃から知っていたので、うちの家庭がどれだけ崩壊していたかを比較するたとえとして冗談めかして「積み木崩しなんのその」と以前から友人によく言っていました。もっとも何度も引用しながら実は元ネタは読んでいなかったということもあり、これはなんだかよくないと急に思いついて日本から取り寄せて手に取った次第です。
 実際に積み木くずしを読んだ感想ですが、さすがにここまではうちの家庭もひどくはなかった、っていうかあの時代はこんなことしてもゆるされたんだなぁって隔世の感を覚えました。故人をあれこれ言うのもどうかと思いますが、穂積氏の一人娘である穂積由香里氏は幼い頃から体が弱かったにもかかわらず、13歳にて学校にも行かず朝から晩まで遊び回って暴走族と付き合うわ、シンナー吸うわ、バイクを盗んでくるわ、まだ存命中の父を残して35歳で亡くなっておりますがこれだけ好き放題したんだから満足だったんじゃないのかと正直思いました。

 先程、隔世の感があると書きましたが、さすがに30年以上前の本なのだから当たり前と言えば当たり前ですが、やっぱ今の日本の世界と違うなということを読んでて強く覚えました。例えば自分がまだ小学生から中学生くらいの頃は漫画や小説で不良がシンナーを吸うシーンがありましたが、現代に至ってはそもそもシンナーを吸う行為自体が廃れているというか、実際に吸ってる人がいるかもしれませんけどそんなシーンが文物に出ることはまずありません。また夜中ずっと遊びまわったりパーマをかけたりなど、今やったらなんか痛いなぁという思いしかしません。
 こうしたいわゆる「不良行為」だけでなく、更生手段もいくつか気になる所がありました。作中で穂積氏は少年少女の校正を専門に行っている警察官から助言を受けてあれこれ手段を講じるのですが、私の思い違いかもしれませんが現代ではごく当たり前とされる更生方法に対して穂積氏が、まるで見たことも聞いたこともないような新鮮さを覚えているシーンに違和感を覚えました。恐らく当時としては子供の教育方法としてそういった更生方法が一般化しておらず、なんていうか新しいメソッドのように受け取られたのかと思います。

 と、内容についてあれこれ書いてきましたが、知ってる人には早いですがこの積み木くずしは出版して、ドラマ化して大ヒットしてからがある意味本番でした。というのも極端に知名度が向上してしまったせいで穂積由香里氏はどこ行っても「積み木の娘」と後ろ指さされるようになり、一旦は更生しかけたところ一気に逆バネが効いてしまってその後は覚醒剤にも手を出して逮捕されたりします。また印税をはじめとした大量の収入が入ったところで一緒に娘の更生に手を携えあった穂積隆信氏の妻が会計担当の人物と持ち逃げし、穂積氏は今に至るまで多額の負債を抱え込み続けているそうです。
 この辺の顛末もすべて、「積み木くずし崩壊そして」などの穂積隆信氏の著作に書かれてあります。最後まで書いちゃうと、2001年に持ち逃げした元妻は自殺し、穂積由香里氏は2003年に自室で孤独死し、穂積隆信氏の再婚相手も大病を患っております。この顛末に穂積孝信氏も、積み木くずしが招いた因縁だとして最初の著作を書いたことを後悔しているとはっきり書いております。なお個人的に由香里氏が死去した際に「あんなものを書いてしまったばかりに」と隆信氏が号泣する所をテレビニュースが流した場面が未だに記憶深いです。

 まるで書評の様な記事、というより書評そのものですが、何故ここでこうして書こうかと思ったのかというと実は積み木くずしの最新作こと、今年3月に出版された「積木くずし 最終章」を手に入れたからです。具体的には3日前、暑い時期にもかかわらずうちの両親がまた上海に、親父に至っては5月にも来たのに訪ねてきたので、日本から持ってきてもらったからです。短い内容でもあったので1時間半程度でもう読み終えておりますが、ちょっと気になる点、あと20代の身空ながら子育てについて感じた点などがあったので、そこら辺を書いてみようかと思い立ったというのがきっかけです。その辺の内容についてはまた次回で。


2012年7月14日土曜日

下半期の中国経済の行方

中国GDP 3年ぶり8%割れ(NHK)

 上記リンク先に引用しておりますが、中国はこのほど第2四半期のGDP成長率が7.6%であると発表しました。日本のメディアなんかは「中国の高度経済成長は終わった」、「このまま下り坂一直線!」とばかりに悪しざまに報道するかなと見ておりましたが、3年ぶりに8%を割った事実は報じるものの思ったより落ち着いた報道が多いです。この第2四半期のGDPについてですが、発表前の現地予想などでは第1四半期を下回り7%台に入るということで概ね予想済みで、私としてもそれほど驚きのない数字です。むしろ7%台前半も有り得るかと思っていただけに、思ったより高かったなという気もします。
 このGDPが発表されたからというわけではありませんが、このところこっちで会う人みんなに「下半期の中国経済はどうなる?」という質問をぶつけられるので、ちょうどいい機会なので持ってる材料を一気に吐き出そうかと思うので、下半期予想について今回は書いてくことにします。

 まず結論から言うと、下半期の中国のGDP成長率は反発するとほぼすべての現地メディア、並びに専門家らの間で一致しており、私自身も同じ考えを持っております。

 中国のGDPというとちょっと前まで毎年10%以上という二桁成長が続いていましたが、急速に経済成長が続く一方で富むものと富まないものの格差が拡大しつづけ、大きな社会問題となりつつありました。そういうわけでちょうど昨年あたりから急速な成長にブレーキをかけてでも格差解消を政策として中国政府は掲げ、2011年のGDP成長率は久方ぶりに一桁に落ちましたが、今年に入っても去年同様に安定化路線が続けられております。そのため今年のGDP成長率は政府も7.5%に抑えると掲げており、また市場も8%前後と織り込んでいるため、さすがに5%台だったらいくら何でも急激に鈍化し過ぎで大騒ぎですが、今回発表された第2四半期の7.6%であれば矢神月じゃないですけど「計画通り」といった具合な感じです。
 とはいえ、これまでと同じペースの成長率を期待して設備投資した会社からしたら思った以上に需要が伸びず、実際に赤字になる企業も増加しており進出している日系企業でも先行きに不安を持つ会社も多いです。それこそ今のペースでGDP成長率が鈍化し続けたらどうなるかと、危機感もはっきり言って高いです。

 にもかかわらず何故私が下半期は反発すると強気でいるのかというと、下半期にはまた政府が金融緩和をはじめとした景気刺激策を打ち出す可能性が高い、というより準備が整ってきているからです。先程も書いたように中国では近年、経済成長の裏で格差が拡大して社会問題化してきましたが、その中でも特に大きな問題となっていたのが物価の高騰です。日本も高度経済成長期に給料が2倍になった一方で物価も2倍になりましたが、中国もちょうどそんな感じで去年まで物価が物凄い勢いで高騰し続け、一例をあげると確か豚肉の価格が1年で2倍ぐらいに跳ね上がってもいました。また中国経済崩壊論の代表格でもある住宅バブルに関しても、確かに全国的に高騰一直線でもありました。
 そんな手が付けられない状態だった物価上昇ですが、今年に入ってからは「よくもここまで抑え込んだもんだ」と感心するくらいに落ち着いてきております。これまで前年比5%以上のペースで上昇し続けていた物価上昇率は最新統計の6月だと前年比2.2%上昇に落ち込み、しかも高騰していた豚肉に至っては約15%減とむしろ安くなってきました。住宅に関しても同様で、一部の内陸部都市を除けばほとんどの所で下降線をたどっております。

 この物価上昇率が落ち着いてきたことが何を意味するのかというと、単純に景気刺激策を打てるようになったということです。景気刺激策こと財政支出や金融緩和を行うと、ちょっと専門的になりますが市場に出回る貨幣量が増加して物価が上昇する傾向となります。仮に物価上昇率が高い数字で推移している時期に景気刺激策を打てばさらなる高騰を招きかねないのですが、ある程度落ち着いてきた今の状態であればそれほど社会に悪影響を及ぼさずに景気を引き上げることが可能です。
 また景気刺激策の中身に関しても、こういってはなんですが中国はいくらでもやりようがあります。日本は周知のとおりゼロ金利の上に借金財政であるため、金をばらまこうにも余計に借金するしかないという本末転倒になってしまうところがありますが、中国は歳入は伸び続けているうえに、金利もまだまだ引き下げる余裕もあります。またこれまで物価上昇を防ぐため、住宅購入などに対して様々な景気抑制策を打っておりますが、単純な話、こういった抑制策を解除するだけでも十分に消費を促すことが出来ます。

 もちろん中国経済にも弱点はあり、産業転換が図れない軽工業を中心とした中小輸出メーカーなどはこのまま倒産が相次ぐし、太陽電池製造などの一部ハイテクメーカーも供給過多からこのまま日は上らずに統廃合が進むでしょう。ただそれらを推しても今の日本に比べればまだまだマシな環境にあると言え、なによりも中国政府の経済政策は比較的一貫している上にきちんと目標通りに事を運んでいることは素直に大した実力と認められます。
 前にもちょっと書きましたが日本人は経済を見る上であまりにもマクロ経済指標を無視し過ぎです。中国を例にとってもいろいろわかることもあるので、もうすこしこっちに目を向けてほしいという思いもあって今回はこういう解説をしてみました。

2012年7月12日木曜日

小沢新党の立ち上げについて

 スルーするのもなんなので、一応軽く触れておくことにします。

小沢新党、49人で発足…第3極の結集目指す(読売新聞)

 先の衆議院での消費税増税法案に反対した小沢一郎が、確かこれで3度目となる新党立ち上げを行いました。なんか党是には増税反対とか抜かしているようですが、かつて社会保障税の導入を主張して連立政権を瓦解させたのはどこのどいつだと言いたくなるような党是です。

 ちょうどいい機会なので書いておくと、小沢一郎が何故こうなんども政党を作っては壊し手を繰り返すのかについて、政党助成金の私物化が理由であると以前から指摘されております。かつて陽月秘話時代にも取り上げたことがありますが、一定数の議員を保有する政党には政党助成金といって国から政治活動資金が支給されます。元々これは汚職の絶えなかった時代にスポンサーなしでも政治活動が行えるようにと作られた制度なのですが、かつて小沢一郎が作って自ら壊した新進党、自由党時代に、振り込まれたはずの政党助成金がどちらもすっかりなくなっていたことがありました。長く書くまでもないのでしれっと書いてしまいますが、どうも小沢一郎は解党する際に返還しなければならないこの政党助成金を、まるまんま自分の口座に着服していたようです。この辺に関しては少し古いですが昔の文芸春秋に公開されている口座収支とともに検証がなされていて、文句のない記事がのっけられております。

 もちろんこんなのは税金の横領で、本人の知らないところで口座が一時プール先に使われていた藤井裕久財務大臣はこの件で途中辞任する羽目になったと言われております。ただこの件があまり大事にならない理由としては、発端が文芸春秋という雑誌メディアであったということと、ほかの政党も多かれ少なかれ似たようなことをしているからだと私は睨んでおります。
 ここまで書いた上で私が何を言いたいのかというと、今回作られた新たな新党も1年か2年したら解党し、また政党助成金も横領されるのではないかということです。そもそもこの政党助成金という制度自体が小沢一郎が作ったような制度ですし、裏技のやり方も知ってて当然です。何か政策がある、目標があるとかじゃなく、政党助成金を着服するためにまた新党を作ったとしか私には思えないというのが今日の意見です。

 またしばらく忙しい、というか家を空けることになるので更新が減ります。次かくのは土曜日かな。

2012年7月10日火曜日

大豆国産化計画

大豆が最高値更新=米国供給不安で―シカゴ市場(時事通信)

 本日のニュース記事で上記のニュースを見た際、このところ思索に充てる時間がなくて真面目にネタに困っているのもありますが、今日のブログネタはこれだと心の中で決めました。それにしても、すごいタイトルにしたな我ながら。
 以前にも確か一回触れておりますが、私はかなり真面目に大豆だけは自給率を100%以上、少なくとも70%以上にしなければならないとかねがね主張しております。なんか引用したYahooニュースのコメント欄に日本の大豆自給率は3割ちょっとと書いてる人がいますが、私が記憶している限りだと9割以上を輸入に頼っているような……。

 一体何故私がこれほど大豆にこだわっているのかというと、大豆は白米と並んで日本食に必要不可欠な食材だからです。日本食というのは海外で暮らしてみればわかりますが、実はその味付けのベースはほぼすべて醤油ベースのしょっぱい味が基本となっております。また醤油以外だと味噌の割合も非常に高く、両調味料の原料となる大豆が枯渇した場合は恐らく日本食が9割方作れなくなること間違いなしです。
 たかが料理くらいでという方もおられるかもしれませんが、食事というものは生きてく上でのモチベーションに深くかかわるため、日本食が作れなくなった場合は日本人は一気に堕落する可能性が高いと、決して冗談ではなく私は考えております。というのも過去にイギリスを訪れた際、来る日も来る日も値段が高い割には星一徹みたいにちゃぶ台(イギリスにはないけど)をひっくり返したくなるほどまずい料理を食べていた頃は本気で生きてて嫌になりました。

 料理を作る上では素材も大事ですがそれ以上に調味料の領分というものは非常に高いです。それだけにお梶の方じゃないけど調味料が料理の味をすべて決めると言っても過言ではなく、日本食にとって欠かすことのできない醤油と味噌を確保するためにはたとえどれだけのコストを支払ってでも大豆だけは自給するべきではないのかと言いたいのです。ただどうもあちこちから話を聞いてると大豆は栽培が容易な分、大規模農場でバーッてばらまいて栽培するだけで育ってしまうために日本国内だとどうしても海外製と比べてコストが割高になってしまうそうです。
 かくなる上は多少の醤油価格の値上がりを容赦してでも、市場が成り立つくらいに高い国産大豆価格を受け入れるほかないです。しかし繰り返しになりますが、大豆だけはどんだけ高いコストを支払ってでも日本人は確保するべき農作物です。日本人は普段は怒らない癖に食べ物のことにあるとBSEの時などやけに強気に怒ることがあるだけに、早くから対策を打つべきです。

 なお醤油とくれば私の中ではキッコーマンが地元に近いだけあって挙がってきます。あそこの野田工場は無料で見学させてくれる上に帰りに醤油1瓶くれるから、まだ行ったことのない人は大阪にある日清の「インスタントラーメン発明記念館」に次いで行っとくべき場所です。

外国人が日本人に抱くイメージ

 三日ぶりの更新。というのも昨日と一昨日は休日ながら忙しかったのが原因です。
 そういうどうでもいいことは置いといて本題ですが、日本国内にいるとそれほど意識することはありませんが、やはりどの国にもある程度決まったカラーというかイメージがあって、初対面の外国人はその別の国の人間に対してあらかじめイメージを持って接します。これが日本の場合だと代表格は「侍」や「忍者」で、どことなく寡黙で何考えてるかよくわからず、任務に忠実なイメージを持たれているように私は感じます。

 では今私が住んでいる中国人はどんなもんでしょうか。最近はそうでもないけど以前の日本人の中国人に対するイメージは漫画の「ラーメンマン」に出てくるような辮髪の格闘家という、実際にそんな中国人がいるわけないだろうという気イメージではありましたが、今だと接触することも増えてきているせいか偽物をよく作ったりするようなネガティブなイメージの方が強いでしょう。ただ欧米人からしたら中国人はやはりブルース・リーのイメージが強く、実像はどうあれカンフー格闘家のようなイメージを未だに持っているような気がします。
 これは逆に言えば日本人も同じです。欧米人がイメージ(勘違い?)する日本人のイメージは先ほども言った通りに侍や忍者ですが、前者は黒沢映画で活躍した三船敏郎、後者はハリウッドで活躍したショー・コスギがモデルであると言ってほぼ間違いありません。仮に両者がいなければ日本人はまた別のイメージ、恐らく今よりも悪いイメージを持たれるか無色透明な印象であった可能性もあるだけに、三船敏郎は既に逝去されているので仕方ありませんがショー・コスギに関してはかねてから日本人情報の発信者として国民栄誉賞級だと私は感じています。

 また少し話が変わりますが、国際政治学では軍事力を指すハードパワーに対して、文化を指すソフトパワーという概念があります。ソフトパワーの代表格はハリウッド映画とマクドナルドと言われ、「なんとなくその国(アメリカ)が好きになる」ような文化というかイメージを植え付けることを指しているのですが、さっきの日本や中国の例を考えるだに映画というものは非常にエグい媒体だと思います。最近の日本では映画よりもアニメや漫画を主なソフトパワーの媒体として使っておりますが、時代が変わっているとはいえ、かつての「世界のミフネ」のような人が出てきてくれないものかと時たま考えます。

 最後に蛇足ですが、一時期の日本のソフトパワーの代表格として活躍したものにドラマの「おしん」があります。これは中国を含むアジア各地で大ブレイクして、中年の中国人ならまず間違いなくおしんを知っているでしょう。このおしんですが以前に同僚から聞いた話で、なんかイランでも有り得ないくらいにヒットして、国内で「尊敬する人ランキング」ってのをやったらホメイニ師をぶっちぎりで破っておしんが一位になってしまい、政策担当者が激怒してしまったことがあったらしいです。

派遣社員の待遇は正社員より上?

 この頃同年代の友人と話をしている際によく、「今の時代、派遣の方が正社員より待遇いいんじゃないの?」という会話をよくします。今日はちょっと短めに、この辺の話を一筆打とうかと思います。

 まず前提条件として、日本社会では一般的に正社員の方が派遣社員より待遇はいいとされております。それこそ格差社会議論が盛り上がった2008年位には派遣は差別を受けているとして派遣の原則禁止案まで出てくるほどでしたが、現在においてはこうした議論は少なくとも目に見える範囲では消失したと言っていいでしょう。
 では当時、具体的にどういったところで派遣社員は正社員より待遇で劣っていると主張されたのか、いくつかポイントを上げると以下の様になります。

1、ボーナスがない
2、仕事内容が単純作業でスキルアップにつながらない
3、年金など社会保険が正社員に比べて少ない
4、いつでもクビを切られるため雇用が安定しない
5、望んでもなかなか正社員になれない

 ざっとあげると以上の5点でしょう。特に2008年のサブプライムローン崩壊直後は派遣社員が真っ先に首を斬られたということもあってこの手の議論が大きくなりました。はっきり言って派遣社員のこれらの待遇は以前と今もそれほど変わりはないのですが、比較対象である正社員、それも若年世代の待遇が実はこの数年で大きく変わってきております。

 まず1点目のボーナスがないですが、これはそのまんま正社員もボーナスがなくなりました。あったとしてもどこも大幅に減らしていて、私の感触だと大体どこも夏と冬にそれぞれ月給1ヶ月分くらいじゃないでしょうか。昔は夏冬それぞれ月給3ヶ月分が出たなんて話を聞くと、「何をそんな法螺話を」という気すらしてきます。なおここだけの話、私は正社員1年目のボーナスが一番多かったです。
 次に2点目、スキルアップにつながらないというこの点ですが、これも不況で正社員でもまともな仕事がなくなり、底辺の仕事が増えております。しかも人員構成の関係からただでさえ採用数を絞った若手社員にいろいろ末端の仕事が押し寄せるようになってて、見方によれば派遣の方がいい経験が出来ることすらあります。

 さくさく続いて3点目、これは巷間ではよく言われ日雇い派遣についてはまさにその通りですが、定期派遣の場合は2ヶ月以上雇用する場合は年金加入義務が生まれるため実際にはほぼ差がありません。しかし年金に関してはこの前出た試算では、今の20代は払い続けた額の半分しか将来受給できないと出ており、かえって払わないで済む立場の方が搾取されずに済むんじゃないか、払わなければならない立場の方が苦しくやしないかと密かに考えてます。
 最後に4、5点目ですが、今の時代だと派遣に限らず正社員もクビをよく切られており、恐らく東芝とパナソニックはこれからテレビ事業関連部門の人間を万単位で切ることになると予想されます。さらに言えば若年世代に限れば正社員率は低い一方で正社員退職率は高く、なんていうかもう差はないんじゃないかという気がしてきます。

 以上のように派遣社員よりも正社員の待遇が大きく落ちてきており、さらに言えば基本給もどこも昇給を凍結していることからほとんど差がつかなくなってることによって、両者の待遇は相対的に同じになりつつあるのではというのが私の考えです。

 さらにもう一点、というよりこれが今回の主張で一番大きなポイントですが、自分たちの世代が就職や転職に当たって何を一番恐れているのかというとブラック企業に当たるか当たらないかです。ブラック企業というのは説明する必要はないでしょうが、要するに労働内容が過重だったり職場の人間がイカれてたり、サービス残業がオンパレードな会社を指していますが、仮に正社員でブラック企業に入ってしまうとすぐに抜けたら退職履歴がついて次の転職に影響するし、頑張って残っても体や精神をおかしくしてしまう可能性があってまさに前門の虎に後門の狼。はっきり言って給与や福祉といった待遇は二の次でいいから、過重労働のないまともな会社に入りたいというのが我々の世代の本音だと思います。
 このブラック企業問題が派遣社員とどう関係があるのかというと、派遣の身分だと問題のある会社だとわかっても派遣会社を通すなどして比較的職場を離れやすく、なおかつ勤務時間が契約で定時に定められているため残業も発生しません。最近はあらかじめ月間残業時間を定める契約もありますが天井知らずな働かされ方はまずされない、っていうか制度に守られます。

 私は実際に派遣の身分で働いたことはありませんが、あくまで私自身の見解で客観的に見比べてみると、今の時代は派遣社員の方が制度的に正社員より守られてやしないかと強く感じます。毎日定時で帰っていいんだったら、余った時間で勉強とかブログ書いていたいし、私だって派遣社員になってみようかなという気すら起きます。

 最後に最近友人から聞いたあるブラック企業の実態ですが、その日の業務が終わると社員全員でパチンコ屋に行き、勝った金額を集めてみんなでそのまま飲みに行くという妙な慣習がある会社があるそうです。しかも毎日で、拒否したら「ふざけるな!」となるそうです。そんなにパチンコ好きならもう会社なんてやめちゃって、パチプロ集団としてやってけよという感じです。

2012年7月6日金曜日

無抵抗の相手をいたぶる日本人の特質

 先日、またも会社でNHKを見ていたら駅員への暴力が昨年に過去最高を更新したと報じておりました。何かニュース原稿はあるかなと思ったら以下のサイトがあったので、念のためはっつけておきます。

駅員らへの暴力 過去最悪に(NHK)

 ただ過去最高とは書いてありますが、私自身は一時期よりは減っているのではないかと勘繰っております。というのも以前は暴力事件、それこそ駅員が殴られたり蹴られたりしてもわざわざ報告したりせずに認知されることがなかったと思うので、社会的に認知されるようになって見かけの件数だけ増えているのが実情だと思います。
 私が何でこんな風に思うのかというと、実は友人に阪急でバイトしている人間がいて、彼から話を聞くとしょっちゅう同僚が殴られていると聞いていたからです。殴られる理由はそれこそ千差万別ですが、いきなり発車時刻聞かれて即答できなかったとか本当にくだらないことばかりだそうです。なお殴られる人間については、意外にも背の高く大柄な人ほど殴られやすく、逆に小柄だった友人は暴言は吐かれても殴られることなかったそうです。

 以前にも同じテーマで私は、日本人は相手が抵抗できないとわかるや極端に暴力的になる傾向が全体としてあると指摘しましたが、結構頑張って主張している割にはなかなか浸透していないようなので、こうしてもう一回書くことにしました。折り悪く、というべきなのか滋賀県大津市の中学校で未だにこんな事件が起こってしまうのかと感じさせられるいじめ自殺事件が話題となっておりますが、決して誇張ではなく、日本人はもっと私の主張する特質を自分自身で理解した方がいいと思えます。

 ここで話を少し変えますが、では一体何故日本人はこうして無抵抗の相手をいたぶろうとする形質を持っているのでしょうか。多分本気で追求したらライフワークにするくらい、過去の歴史とかそういったものを全部洗う必要があるでしょうけど、仮説だけでいいのなら「締め」というものの価値観が影響しているんじゃないかという気がします。「締め」とはそれこそこれ書いてる最中に咄嗟に思い浮かんだ言葉ですけど、どうも日本人はほかの外人と比べて、最初にスタートする際にはあれやこれやと綿密に計画を練る一方、どの程度に達したら行動や活動を止める、ある一定のラインに達するためにはどのように行動するかというような、到達目標に関してはあまり考えないような傾向がある気がします。一番大きな例を持ってくる太平洋戦争で、アメリカと戦うほどに何を求めたのか、またどこでケリをつけようと考えたのか、どこまで言ったら戦争を辞めようと考えていたのか、こういったところは完全に無視されていました。

 そのほかにもどこまで行けばリタイアする、どのラインを割ったら撤退する、ここまで我慢したら離婚するという、あまりにも明確過ぎるとそれはそれで問題ではありますが、なんかこういうところがほかの国と比べて曖昧な感じがします。撤退線の見極めが悪いというか。
 最初のいじめの話に戻っても、どこまでいったらやり過ぎなのか、いじめていた本人らを始め周囲がどうも理解していないというか無視しているとしか思えないところがあります。よく日本人は自分たちの特質をなんでもかんでも「曖昧」の一言で片づけようとしますが、最近私はなんだか、こうやって曖昧で片づける点も含めて、ラインを作ったり深く考えようともしないほど面倒くさがりなだけなのではないかと思うようになってきています。なんにしても、「引き際が肝心」という言葉はもっと評価されてもいい気がします。

遺伝子隕石飛来説について

 今日はなんか久しぶりによる9時台に家に帰りつくことが出来たのですが、なんかダラダラネットを見ていたらまたブログを書く時間が遅くなってしまいました。でもって書くネタも浮かばないからどうしよっかなーとか思っていたら、そういえばヒッグス粒子が見つかったという話を思い出し、天文関係でこのネタを書いてなかったことに気が付いたので今日は遺伝子が隕石によって運ばれてきたという説を紹介します。

 この説はその名の通り、隕石が遺伝子、まさしくDNAことタンパク質を運んできたという説で、この運ばれてきた隕石によって地球上の種の系譜が広がったとする考え方です。この説の根拠となっているのは古代の昆虫類の種類数で、なんでも当初はごく限られた種類、確か数百種類しか昆虫がいなかったのですが、ある時期を境に数万種類へと、しかも劇的に形状を変えて増えているそうです。ダーウィンの進化論とかそういったものをもってしてもこの系統分化はちょっと急激すぎるということで、もしかしたら宇宙から地球に飛んできた隕石になにがしかの遺伝子の破片がくっついていて、それを地球の昆虫が取りこんだことによって種類数が急増したのではないかという説があるそうです。

 もちろんこの説にはいろいろ穴がありますし、そんな当時の地球にとって未知のDNAがくっついていたからと言ってどうやってそれを取り込むんだという疑念もありますが、単純に説として面白いので私は支持してます。支持する理由はいくつかありますが、まず昆虫という種類は人間が大まかに分類しただけであってなにかDNAに基づいてくくっているわけでなく、蜘蛛などの節足動物を含めると実に多種多様、それもどれも全く似通っていない姿をしていれば羽があったりなかったりでまるで姿が違います。これほどまで膨大な種類ある昆虫や節足動物が進化論で説明できるかとなるといくら膨大な時間があってもちょっと信じ辛く、また形状が大きく異なっていることから見ても、なにか外からの力によって系統分化したのではと思わせられます。

 なんかこの説を以前に知り合いに披露したら、「それ、さくらももこも同じこと言ってた」ということを教えられました。話によるとさくらももこ氏のエッセイかなんかで取り挙げられて、さくらももこ氏も「あたしはこれを信じる」と言っているそうです。なおさくらももこ氏と言えば言わずと知れた「ちびまる子ちゃん」の作者で私自身も昔にこの作品をよく読んでおりましたが、何故だかこの前に同僚との会話で、

「財布の中にお金がない時ってさいつも、寿司屋の料金を払えなくて先にまる子に買ったローラースルーゴーゴーを返品しに行くともぞうが思い浮かぶんだけど」

 といったら、なんか同僚もこの時の回だけはやけに覚えているらしく、なんでほかの回は思い出さない癖にこの回だけはパッと思い出せるんだろうと二人で思案に暮れました。あとほかにすぐに思い出せるのと言ったら、まる子が鍋でネギを食べずにいると周りが「ネギを食べると頭が良くなる」と説得したら、「そうじゃぞまる子、わしも昔からネギが大好きじゃ」とともぞうが言って、ともぞう以外の家族全員がネギに効果かがないということを理解する回くらいですかね。全部ともぞうがらみというのもなんだけど。

大きく叩けば大きく鳴るということについて

 歴史に詳しい人ならもしかしたら知っているかもしれませんが、坂本龍馬は西郷隆盛の人物評を、「大きく叩けば大きく鳴る」と書き残しております。この意味は太鼓のように、つまらないことを聞くとつまらない答えが返ってくるが、逆に面白いことを聞くと面白いことが返ってくるということを表していると言われております。
 この人物評を聞いたのは確か小学生くらいの頃で正直ピンときませんでしたが、年を重ねてみてなんとなくこういう人っているもんだという実感を覚えるようになってきました。どんなところで実感するかですが具体的に挙げると大学の恩師がまさにこれで、在学中も凄い人だなぁと漠然と感じていたものの、自分が成長を感じるにつけ、その凄さというものが段々理解できるようになり、最初に会った際よりも距離感というか実力差をより深く思い知るようになってきました。

 ちょっと今、アルコールが入ってて真面目に頭痛いのでまた短く切り上げざるを得ませんが、たまに後輩などから、「実力のある人と交流をしてみたいものの、そういう人に巡り合えない」という相談を受けることがありますが、実態的には巡り会えないというよりも目の前にいても気づかないのではという印象を覚えます。中には例外もいますが、私はやはり本当に実力のある人間を見抜くには自分自身も一程度の実力がないと、その相手の凄さがわからず見過ごすことになってしまうかと思います。これは逆に言うならば、凄い人間と知り合いたいのならまず自分自身が実力を養わないということです。
 真面目にもうこの辺で限界。明日はもうちょっと真面目に書こう。

2012年7月2日月曜日

外国でストレスを感じない人間

 一泊二日の出張から今日帰ってきたら自分が住んでるサービスアパートメントでカードキーがないとロビーに入れないようになってました。多分、年がら年中ドアの隙間に広告(大抵マッサージ屋)を入れる人間が後を絶たないせいだと思うけど、気軽に外とか出づらくなるし、財布にもう一枚カードを入れないといけないと思うとなんだか億劫な気がします。っていうか今週は今日までの出張を筆頭にやけにイベントが満載で、更新が少なくなるかもしれません。

 話は本題に入りますが、学生時代に受けた心理学の授業で今日の表題になっている「外国でストレスを感じない人間」という解説がありました。その授業の孔子じゃなくて講師曰く、人間というのは文化圏の異なる外国に行くとどれだけ対策を施しても、どうしてもストレスというものを多かれ少なかれ受けてしまうそうです。ただ2種類、ある種の人間だけはこの手のストレスを全く受け付けない人種がおり、てっとり早く明かしてしまうとそのうちの一種類は真の意味で国際人と呼べるような完全に先天的な特殊な人間、もう一種類が今回の話の肝ですが、何かしら信仰を持っている宗教家だそうです。

 私がこの話を聞いた際に真っ先に思い浮かんだのは、デーブ・スペクターが言う「日本初の外タレ」ことフランシスコ・ザビエルです。何もザビエルに限らずどの時代でも伝道者というのは今の時代のようにインターネットもなければ航海中に客死することも珍しくなかった時代に言葉も何も通じないところへどんどんと赴き、エネルギッシュに活動してます。仏教でも鑑真のような人物もおりますし、そうした歴史的孤児を考慮するだに先ほどの話にはなかなか信じさせられるものがあります。
 更に最近は現実に海外に暮らしてて、やっぱり信仰心がある人間というものは外国で強いとよく実感させられることも多いです。私自身は普通の人に比べれば恐らく信仰心が高い方ですが特定の宗教に染まってるわけじゃなく毛の生えた程度ではありますが、身近にキリスト教の洗礼も受けてて毎週日曜に教会に通っている人が身近に複数おり、その人たちを見ていると本当の意味で海外生活を楽しんでいるようにしか見えず、ほかの日本人と決定的なまでに違って、日本に戻ってゆっくり暮らしたいとかいう素振りを見せることが全くありません。もう一つ止めに付け加えると、この手の人間らは語学能力も極めて高い人間が多いです。

 先日にまたNHKで見た企業の新卒採用現場特集とやらで、なにやら国際社会に強いとかいう理由で留学帰りの学生をターゲットに募集をかける企業が増えていると報じられていました。またそれとは別の報道で、「これからの時代は"倭僑"となれる人材が必要だ」とかいう「華僑」にかけた記事も見受けましたが、私に言わせるのならば"倭僑"というイメージに合う人間はとっくのとうに日本から出ていてそもそも国内に残っていないのではないかという気がします。むしろそれだったら上で書いてある通り、初めから海外で働かせる気なら宗教を信仰している人材を語学能力を無視してでも取る方が効率的な気がします。

 あと最後に蛇足ですが、信仰を持っていれば外国での生活に強いというのであれば悪魔主義者(サタニスト)はどうなのかという疑問がもたげます。とはいうものの国際的なサタニストというのも、なんだか想像しづらいような。