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2012年5月7日月曜日

多機能の弊害

 大分昔、具体的には2005年に見た掲示板で「文系と理系の違い」というものがありました。この掲示板ではそのタイトルの通りに文系と理系の違いについてあれこれ特徴を挙げられていたのですが、個人的にツボにはまったのは「文系は理系を、文系に使われていると思っている。一方理系は、文系は金に使われていると思っている」という一節でした。
 そんな掲示板を眺めていた私自身は文系でしたが、そもそもなんでこっちに進んだのかというと元々の適正が文系に向いていたこともありますが予備校の講師から、「管理職には慣れないから理系には進むな」と中学生の頃に言われたことも大きな理由となっております。私自身は今でもそうですが人生お金じゃない、管理職に慣れないからといって理系に行くべきじゃないというのはロマンがないとその講師に当時反論を呈したのですが、「そりゃ確かに技術者は能力的にも社会的にも立派だが、日本はそういう人たちを評価するような仕組みじゃない」と言って退けました。今となってはこの講師の発言は自分を慮ってのものでいろいろ尊敬も覚えているのですが、発言内容についてはその後紆余曲折がありました。

 まず私が大学生だった頃、当時はトヨタをはじめとしたメーカーがある意味最盛期だったこともあって、やはり技術者はその働きや貢献に対して社会の評価が低すぎるのではと感じていました。こうした価値観はその後もしばらく続きましたが、何故かこの頃に至っては真逆の考え方、日本はちょっと技術者を大事にし過ぎたのでは、天狗にさせてしまったのではと考え直すようになってきました。
 このように考えるようになったきっかけは地デジ化に合わせて両親が買った新しいテレビからでした。まず何に驚いたのかというとリモコンのボタンがあまりにも多いという点で、初見では時間指定の録画はおろかチャンネル合わせすらおぼつかない有様でした。もちろんマニュアル読めば対応することはできますが、そもそもこれだけいっぱいボタンを付ける必要はあったのか、さらに録画の方法も複数種類あってここまで必要なのかといろんな疑問が出てきました。そりゃ通の人だったら欲しがるかもしれませんが、自分が少数派である可能性は抜け切れないもののもっとシンプルで誰にでも使えるような、携帯で言えばツーカーみたいな代物をどうしてどこも売ろうとしないのかと考え始めたわけです。

 こうした疑問を持っているとやはり類は友を呼ぶというか、関連した掲示板とか情報が目につくようになってきました。まず海外マーケティングで言うと日本製は無駄に多機能で値段が高いが、サムスンなどはその間隙を突くように機能を必要で求められているものに絞って販売した結果、大きな成功をおさめたという話を冗談抜きで真面目にあちこちで聞くようになりました。また日本国内でもイオンが売り出してヒットした、低速だけど安価のデータ通信カードにしても、速くなくてもいいからネットにつなげられないものかと自分もこういう商品を待望していた時期があっただけにさもありなんとヒットを納得していました。

 また話がまどろっこしくなってしまいましたが何が言いたいのかというと、日本の技術者はほぼ全般にわたってなんでもかんでもつけられる機能を全部くっつけてしまおう、機能が多いことはともかくいいんだとするところがあるように感じます。そりゃ多機能であればいざって時に使えていいのかもしれませんが、実際にはほとんど使わない機能があると邪魔なことこの上ないですし、またそんな余計な機能付けるくらいならもうちょっと値段を安くしたり、わかりやすい設定にしてほしいという思いがあります。
 では何故こんな余計な機能満載の商品が日本メーカーから多数出るようになったのでしょうか。あくまで仮説でしか言えませんが一つの原因はやはり日本国内の技術者の価値観とか伝統からではないかと私は思います。こうした話が議論されている掲示板を見たりすると現場でも一部の技術者が機能を限定しようとしているらしいですがどうも上から「多機能を」という天の声が下りているそうです。また中国に来ているメーカーの話を聞いても、現地のマーケティング調査結果を何度伝えても商品開発に繋がらないので、研究開発拠点ごと中国現地に持って来るべきだという声も耳にしたりします。

 日本人は高度経済成長期に、ラジオとカセットプレイヤーを一体化したラジカセなど複数の機能を組み合わせた製品を作ることで成功を収めてきました。これは何度もこのブログ内で言及していますが、成功体験というのは人を容易に誤らせるもので、早めに忘れるに越したことはないでしょう。

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