ページ

2012年2月29日水曜日

自民党の憲法草案について

 日本はまた大雪だそうですが、上海はこのところ長雨が続いております。あともうそろそろ春ですが、毎年春に苦しい思いをしてるのでどうもこの時期は何もなくても気分が落ち込みやすいです。まぁ去年の今頃と比べれば随分と環境はよくなっているのは間違いありませんが。

天皇は「元首」、国旗国歌は「表象」 緊急事態条項も 自民憲法改正原案(産経新聞)

 そうした自分のどうでもいい気分はほっといて、今日は自民党が作成しているという憲法草案について意見を書きます。
 恐らく来年の選挙対策だと思いますがどうも自民党は独自の憲法改正案を作っているようで、先日にその概要が簡単に報道されました。あくまで概要なだけなので詳細はこれから変わってくるかと思いますが、上記リンク先の記事によると天皇を「元首」と明記し、集団的自衛権や自衛隊の存在を認めるという、鳥取にいる私の友人が見たらそれこそ激怒しそうな内容となっております。なんかこう書くと鳥取がそれっぽい地域に見えるな。

 まずこれら概要に対する意見ですが、私が目についたのはやはり天皇を元首とする点でした。あくまで概要なので文句つけるのも早すぎる気もするのですが、私は現在の象徴天皇制というのはとてもよく機能しており、ことさら変更する必要があるかとなると疑問です。既に一部で突っ込まれていますが、この天皇を元首とする案については国民主権と明確に矛盾することになり、改正することでどのような効果があるのかを発信せずにこのように概要として出すというのはいささか信じられません。
 敢えて勘ぐるならやはり、保守派に支持層に対するPRではないかと思います。仮にそうだとしたら非常に残念で、政権交代によって民主党は与党となりこれまでの野党のように好き勝手言えるわけがないということを徐々に、あくまで徐々にですが理解し始めてきましたが、下野した自民党がどんどん野党らしくなってきたというのは誠に残念です。

 次に気になった点は、憲法改正の条件を現在の三分の二以上の賛成が必要とする条件を二分の一とする案ですが、これについては素直に賛成です。この改正案は要するに改正しづらい硬性憲法から軟性憲法変えるという内容ですが、別に今の日本国憲法が極端に問題だとは思わないものの、硬性憲法というものは得てしてその書かれている内容より解釈議論が複雑になりやすく、議論が途中からわけのわからないものになりやすい点から言ってやはり良くないと考えます。さらに言えば戦前の大日本帝国憲法も天皇から国民へ与えるいわゆる欽定憲法であったことから改正することは事実上不可能であって、旧日本政治システムの最大の欠陥である軍部大臣現役武官制が誰の目に見ても問題であったにもかかわらず存続し続けた過去があります。
 といっても軟性憲法下で生活したことがないのでどういう風に変わるかまではさすがに想像しきれない点は認めますが、私は憲法があまりにも強すぎるということは長期的に見て非常にまずいと思うので、この際だから二分の一以上の賛成に変えてしまった方がいいというのが結論です。憲法9条に関しては、あまり興味ないのでどうなってもいいような感じです。

2012年2月27日月曜日

スズキの中国合弁を巡る混乱

 たまには本職の方面でもと思うので、自動車会社スズキの中国合弁で今起きているごたごたについて書きます。ここだけの話、この件については日本人の中でもトップクラスに事情を把握している自負があります。はっきり言って把握したくなかったけど。
 まず事の発端は先月1月、スズキと重慶市本拠の長安汽車の合弁会社、昌河鈴木の工場でストライキが起こりました。このストライキは数日間続いて現地政府を巻き込む大規模なものだったのですが、何故ストライキが起きたのかというと、この昌河鈴木が解散されると報じられたからでした。
 
 詳しい事情を説明する前に中国の自動車業界の構造について簡単に解説します。中国の主要な自動車メーカーというのは基本的に外資こと海外メーカーと提携して合弁会社を作っており、たとえば今一番でかい上海汽車なんかはドイツのフォルクスワーゲン、アメリカのGMと合弁を作っててグループ内で販売している車種のほとんどはこの2社のモデルです。中には一から設計して独自の車種を作ってるメーカーもおりますが、そういった車種は自主ブランド車と呼ばれてそこそこ売れてるのもありますが、ブランド価値ではやはり合弁メーカーの車の方が人気です。
 そこでこの中国自動車業界の合弁なのですが、実は一つ大きな制限があります。その制限というのも、海外メーカーは中国のメーカー2社とだけしか合弁が作れない、というもので実際に日系メーカーを例にとると、

・トヨタ:広汽豊田(広州汽車との合弁)、一汽豊田(第一汽車との合弁)
・ホンダ:広汽本田(広州汽車との合弁)、東風本田(東風汽車との合弁)

 というように同じ日系メーカーでも中国では販売車種によって合弁先が異なっていることがあり、多分私だけじゃないだろうけど中国関係の記者は販売車種と会社名を間違えるような経験が一度や二度はあると思います。自分も最初はややこしくてすごい戸惑ったけど、慣れてしまうと空で暗記できるのだから何故だか怖い。

 話は戻ってスズキの件ですが、現在スズキの中国合弁会社はご多分に漏れず二つあり、一つはストライキのあった昌河鈴木で、もう一つは長安鈴木というブランドです。この合弁会社二社の何がミソなのかというと、両方とも合弁先というのがどちらも長安汽車だということです。昌河鈴木の元々の合弁先は現地航空機メーカーだったのですが、ここが経営不振から昌河鈴木の株を手放して長安汽車に渡してからスズキと長安汽車という同じ組み合わせの企業間で二つも合弁会社を持たれるという妙な関係となってしまいました。
 仮にこれだけだったらまぁおかしな関係だねと笑って済ませるのですが、ここにきて長安汽車はまた一つ厄介な問題を抱えてきて、この問題をさらにややこしくしてくれました。その問題というのも、マツダとの合弁会社の分社化です。

 長安汽車とマツダ、というより長安汽車とマツダとアメリカのフォード三社の合弁会社名は「長安フォードマツダ」というのですが、なんでここだけ三社合弁なのかというとリーマンショック以前にマツダとフォードが資本提携をしていたからで、そのまま二社セットで長安汽車と合弁を作りました。ただマツダとフォードの提携関係はリーマンショック後に金に困ったフォードがマツダの株を売却したことから解消されているものの、既に出来てる長安フォードマツダは何故かそのままで現在に至っております。
 別にこのままでもいいんじゃないかと私は内心思っているのですが、長安汽車としてはマツダはマツダ、フォードはフォードとして分けたいと考えているようで、これまでにも「長安フォードマツダ」を「長安フォード」と「長安マツダ」に分社化させて経営したいと何度も政府に申請しておりました。ただ中国政府は品質などの向上を目指しているのか自動車会社をこれ以上増やしたくないようで、長安汽車から申請されるたびにこれまで何度も提案を却下してきました。なお同じ理由で、スバルと奇瑞汽車の合弁設立申請を認めないようです。

 そんな長安汽車は先月、「昌河鈴木を解散させる代わりに長安フォードマツダの分社化案を政府に申請した」という報道が現地メディアによってなされました。その報道によると昌河鈴木を解散させた後はそこで作っていたスズキの車種は同じ長安汽車グループの長安鈴木に作らせるという内容で、いわば昌河鈴木は完全なお払い箱にされるというものでした。
 これに怒ったのが昌河鈴木の従業員たちで、報道に従業員の処遇について何も書かれてなかったこともあって経営陣に対して完全ケンカ腰の大きなものとなりました。しかもタイミングが悪いというか、実はこの昌河鈴木はずっと赤字続きだったのが去年になってようやく黒字転換したばかりで、恐らく従業員たちからするとようやく経営が良くなってきた矢先に何をという気持ちがあったんだと思います。

 最終的に昌河鈴木の従業員代表、長安汽車幹部、あと地元政府の幹部の三者間で会談が持たれ、昌河鈴木を解散させないと約束することでストライキは沈静化しましたが、昌河鈴木の中国人総経理は責任を取って解任されることとなりました。ただ長安汽車の総経理はこの騒動後、「政府が昌河鈴木を潰せば分社化を認めてくれるって言ったんだって」とインタビューで話しており、ストライキに至る報道内容が事実だったということを認めています。さらにこの長安汽車の総経理は、「それに日本のスズキの方から、昌河鈴木の株を買い取ってくれ(=合弁解消)とも言われていた」と話しており、スズキ側でも昌河鈴木の解散に同調していたと同じインタビューで明かしています。

 現在のところ、この件ではその後の進展は何もありません。私の勝手な予想を言わせてもらえば昌河鈴木と長安鈴木の二社が同じ長安汽車グループに存在しているのは明らかに不自然で、どちらかが解散とまではいかずとも株式交換などによっていつかは合併されることになると思います。ちなみに日本のスズキ側からすると片方がなくなっても合弁先が変わるわけではないので別に痛くもかゆくもなく、この再編計画にはあまり関わっておらず長安汽車に任せているようです。
 もう片方のマツダに関しても、「長安フォードマツダ」を分社化するかどうかであまり大きな影響は受けないようで、長安汽車グループ内の再編ということで一定の距離を置いているように見えます。

 こんな感じで非常に背景がややこしいストライキ事件だったわけですが、この内容を約600文字で記事にまとめた自分は結構すごいんじゃないかと書き終えた時は妙な満足感がありました。もっとも編集会議でこのニュースやれと言われた時は「えー、俺?Σ(゚Д゚;)」ってリアルに思いましたが。
 ただどうせやるんだったらこのブログ記事みたいに、3000文字くらいできちんとまとめて出したかったというのもあるので、こうして改めて書いてみることにしました。文字数は短いに越したことはないけど、やっぱり必要最低限に解説できることは解説しておきたいものです。

2012年2月26日日曜日

次の衆院選はいつなのか

 今年に入りやけに絶好調が続いていて今も感覚とかがやけに鋭い状態が続いているのですが、今日になってようやく自分が疲れていることになんか気が付きました。前にも一回書きましたが、人間満ち足りた状態だと感覚が鈍る傾向があり、逆にちょっと疲れたり打ち込まれている状態の方がものを書くに当たってはいいような気がします。精神的にはあんまよくないかもしれないけど。
 そんなことはさておき本題に移りますが、そろそろ次期衆院選の日程について考えてもいい頃なので、ちょっとこのテーマでこのところ不足しがちな政治記事を書こうと思います。

 まず現在の民主党政権についてですが、野田首相に代わった後は消費税増税論議が大きくなるなど悪くない面もありますが、全体的に見るならやはりまだ実行力に乏しいだけでなくビジョンも小さいため、少なくとも私にとっては不満が多い政権です。ただこうした見方がどうやら大半のようで、詳しい数字は出しませんが支持率も低迷に喘いでおり、この後回復する手段もないことを考えると恐らく解散までこのまま低空飛行をし続けることとなるでしょう。
 それで解散の時期ですが、一応現在の衆議院の任期は2013年8月まであるので最長で1年以上の猶予はあります。ただ基本的に支持率の低い政権は解散したところで負けることが必定なため、恐らく麻生政権同様に任期ギリギリまで粘って民主党は自ら解散に打って出ることはないでしょう。また自民党もはっきり言って民主党以上にひどい状態が続いており、谷垣総裁もオウムみたいに「解散するしかない」としか言わないので決定的なダメージを与えて解散に追い込むことは不可能とこちらは断言します。

 となるとやっぱり来年夏まで持越し、ってことになるわけですが実はこれだと私は非常にまずいんじゃないかと内心考えています。恐らくこんな大胆な考え方をするのは冗談抜きで私だけの可能性もありますが、今私が一番気になっているのはほかならぬ現天皇陛下の容体です。無理して強行する必要はありませんが衆議院の解散には天皇の儀礼がこれまで必要とされているだけに、皇太子が代行することも考えられますが天皇の容体によってはスケジュールがいろいろと面倒になる可能性があるのではと気にしています。
 さらに一ブロガーとして冷徹な意見を言わせてもらうと、仮に来年の春とか夏頃に万が一のことがあった場合は選挙どころではなくなることもあり、政治的混乱がそのまま社会的混乱にまで一気に直結する可能性すらあります。政治力学で考えるなら、敢えてこのタイミングで解散に出て損害を出来るだけ少なくする戦略というのもあり得ますが。

 じゃあ一体いつの時期に解散、総選挙をすればいいのかですが、大事を取るなら今年の秋から冬にかけてが一番差し障りが少ないのではと予想します。といっても解散したところで現在の日本政治は争点という争点がなく、仮に自民党が復権したところで状況は今以上に悪くなるだけでなんら前進することはないでしょう。一つ希望があるとしたら前にも一回だけ書いたことがあるように、ここまで日本の政治をダメにさせた比例選挙制を廃止することが一番だと思えるだけに、野田首相には真面目に政治生命を賭して選挙制度改革に取り組んでほしいというのが今日の私の意見です。
 久々の政治記事だけど、やはり書き上げるのがやけに早いな(;´Д`)

2012年2月25日土曜日

日本に影響を残した外国人~アーネスト・サトウ

 前からやりたかったのもあり、今日は幕末から明治にかけて活躍した英外交官のアーネスト・サトウを取り上げます。

アーネスト・サトウ(Wikipedia)

 まず名前からして一見「ハーフなのか?」と疑わせるような苗字していますが、確かにハーフではあるものの父親がドイツ人、母親がイギリス人の歴としたイギリス人で、日系の血は入っておりません。ただ日本になじみ深い苗字であったことから、日本で生活する上では大いに役に立ったと本人も言っております。

 早速本題に入りますが、サトウは英外務省に入省すると19歳で通訳生として1862年に来日します。当初は日本語の力量も高くなくていろいろ苦労したそうですが、徐々に上達してくると伊藤博文や高杉晋作といった長州藩士らと交流を深め、幕末の日英外交に深くかかわるようになります。
 そんな彼が日本中に一躍名前を知られるようになったきっかけは、当時在日外国人の間で読まれていたジャパン・タイムズに1866年に寄稿した文章でした。その寄稿分というのは「英国策論」といって、主な内容はウィキペディアから抜粋すると以下の三点に絞られます。

・将軍は主権者ではなく諸侯連合の首席に過ぎず、現行の条約はその将軍とだけ結ばれたものである。従って現行条約のほとんどの条項は主権者ではない将軍には実行できないものである。
・独立大名たちは外国との貿易に大きな関心を持っている。
・現行条約を廃し、新たに天皇及び連合諸大名と条約を結び、日本の政権を将軍から諸侯連合に移すべきである。


 読んでもらえばわかりますが、非常に大胆な内容になっております。現代に例えて言うなら「有力な県が政府を倒すべき」と言っているに等しいです。これを読んで狂喜したのはほかでもなく攘夷派の薩摩藩や長州藩でした。著者名も匿名だったのにどっからか漏れたのかサトウだとばれており、本人の意図しないところであちこちで流布され、どうもイギリスと接近していた薩摩藩などでは「イギリスは倒幕を支援していると表明した」と喧伝していたようです。
 ただ実際の歴史も嘘から出た誠とというべきか、その後イギリスはパークス公司らによって薩摩藩と完全な協力関係になります。この過程でサトウも西郷隆盛らと親交を深めたと言われ、戊辰戦争の開戦後も明治天皇と謁見するなど日本史の一舞台に立ち会うこととなりました。

 明治期に移った後もサトウは外交官として日本に留まり、何度か本国に一時帰国することはあっても長い期間を日本で過ごしております。またこの間、日本人女性の武田兼との間に二人の息子までもうけています。そして1883年に一旦離任してほかの国に移りますが1895年には駐日特命全権公使となり再び日本に戻り勤務を続け、最終的な在日歴は25年にも上りました。晩年はイギリスに戻り、そのまま没しております。

 以上がウィキペディアの記述を抜粋してまとめた内容ですが、こっから自分の真価発揮というかかつて映画の「ラストサムライ」公開に合わせて放送された「その時、歴史が動いた」で紹介されていたエピソードを紹介します。それにしても9年前の放送内容をよく覚えているもんだ。
 まずは取るに足らないエピソードですが、サトウが日本で「面倒くさいな」と思ったものとして、席順の習慣があったそうです。曰く、「日本人は複数人で集まる際、だれが上座に座るかで揉めてなかなか始められない」だそうです。この話を聞いてから下宿の私の部屋で集まる際、新入りが来る際はわざと机の上に方位磁針を置いて上座を意識するかどうかを試すようになりましたが、みんなちゃんと意識して話題にするあたり同じ日本人です。

 もう一つのエピソードは先ほども出てきた西郷隆盛に関するものですが、どうもサトウは西郷に対しては軒並みならぬ親交を持っていたようで、西南戦争に出陣する直前の西郷とも会っていたようです。また勃発後も東京で勝海舟と会い、西郷の助命を嘆願したそうです。ただサトウの助命嘆願に対して勝は、ここで死ぬのが西郷にとっても望みだとして、特に運動はしなかったようです。このエピソードを引いて司会の松平定知氏は、「サトウにとってのラストサムライは西郷だったのかもしれない」といって番組をまとめていました。

 幕末の歴史問題でパークスは出てくることはありますが、サトウが出てくることはまずありえません。しかし私は幕末期の志士らの思想に大きな影響を与える文章を発表していることから彼の功績は決して小さくないとみており、もうちょっと大きく取り上げてもらいたいなとかねがね思っております。

2012年2月24日金曜日

搾取する者、される者

 ネット上で大きな騒ぎになっていると同時に、私自身も思うことがあるので今日は下記のワタミ従業員自殺のニュースについて書きます。

ワタミ従業員自殺:ストレス原因と労災認定(毎日新聞)

 詳細はリンク先の記事を読んでもらえばわかりますが、居酒屋チェーンのワタミに入社した女性が入社二ヶ月後に自殺した件についてこの度、裁判所が労災と認定しました。報道によるとこの女性は入社したばかりにもかかわらず月の残業時間が140時間を超えていたとされ、しかも研修らしい研修も受けられず深夜業務を課されていたそうです。
 ネット上では今回の判決を受けワタミに対する批判が集まっているようで自分も一部の掲示板を見ましたが、渡邊会長の過去の発言とよく比較されており、こういってはなんですが不当な批判だとは感じませんでした。いくらか抜粋すると、「自殺が起こる社会というのはなにかが欠けている証拠だ(じゃあお前の会社は何が欠けてるんだよ)」とか言ってたり、部下に向かってビルの窓から突然飛び降りろと命令したりとか。

 そうした議論の中に、「こういう過重労働させられている従業員が多いから、居酒屋チェーンには行きたくないんだ」という意見がありましたが、元々脂っこい料理が嫌いなせいもありますが私も同じ理由で、日本にいた頃は居酒屋チェーンを避ける傾向がありました。特に数年前からはやはり重労働であることからか、深夜時間帯はどこいっても留学生と思しき外国人従業員ばかりが勤務しており、同じ日本人ですら酔っぱらいの相手は大変だというのに、ある意味ではお客さんと言ってもいい留学生にこんな仕事を任せていいのだろうかと強い嫌悪感を感じたこともありました。
 またこれと同時に、居酒屋に限らずこうした外食チェーンの経営者は現場を見ているのか、実際に自分は同じ条件で働いてみたことがあるのかという疑問もよく覚えます。実際に利用して話に聞く限りですが、こうしたチェーン店の従業員の勤務状況はまさに超人的で、体を壊したりしない方が不思議に思うくらいです。それでていて賃金は安いと聞きますし、その上で最近はやたらめったらに妙なクレーマーが増えていることを考えると自分なんかじゃとても務められる自信がありません。

 こうしたことを踏まえて言うと、今に始まるわけじゃありませんが自分より上の世代に「最近の若者は働くことに対する意欲が少ない」とは全く以って言われたくありません。自分たちの世代は上の世代に比べて昇給もなければボーナス額も少ない上、携帯電話とかネットなど変に情報通信機器が発達したおかげで24時間どこでも働けるようになって、労働環境の厳しさは比較にならないほど高まっていると言い切ってもいいです。こんな環境でも文句も言わず働いている自分たち世代と比べると、やる気が低いという事実は認めてもいいですが頑張りが足りないとか言われるのは心外この上ありません。

 さらに踏み込んでいうと、やや古めかしい言い方ですが現代社会では明確に搾取というものが起こっているように感じます。このワタミの例なんか典型ですが、本当に他人を酷使して殺したところで屁とも思わない連中ほど「会社を急成長させた」とか言われてでかい顔しているは非常に気に食わないです。言ってしまえばなんで会社が急成長したのかといえば、その経営者の手腕が優れているというよりは従業員を酷使して、その犠牲の上で成長させたようにしか見えない企業が数多くあります。昔は松下さんがこの典型でしたが、金儲けがうまいと誉めるのはいいけど人格的にはむしろ批判されるべきで、安倍元首相みたいに諮問委員会に招くというのはお門違いもいいところでしょう。

 私は身を削って働くこと、それを推奨することについては批判をしません。そして身を削ってまで働こうとしない自分が、そういうことを是とする人たちに批判されることに対しては甘んじて受けます。だがしかし、他人には死ぬくらい身を削って働くことを強制しておきながら相応の対価を支払わず、自分だけがのうのうとしながら丸儲けをする人間は明確な私の敵です。たとえそれが世の中の常、現実としてそびえているとしても、それを良いと思うかどうかは別です。
 人によってはそうした構図を是認することで競争力が維持され、世の中は回るんだという人もいるかもしれません。しかし自分は、そうやって是認してきた姿こそが今の日本だとみており、ひいてはデフレを起こして競争力が失われたと考えています。またΖガンダムのカミーユ・ビダンじゃないですが、優しい人間のいない世界を作って何になるんだよと言いたいです。自分自身はそれでよくったって、そんな世界を次の世代、今の子供たちの世代に引き継がせていいのかというのが常々主張している私の意見です。

2012年2月23日木曜日

水木しげる伝説

 なんかありそうでないような感じがするので、私が尊敬してやまない水木しげる大先生の伝説的なエピソードをまとめてみようと思います。水木氏は以前に朝ドラで「ゲゲゲの女房」が報じられたことからその奇人ぶりなどが一部伝わったものの、評論家の呉智英氏をして「水木しげるの最高傑作は水木しげる」と言わしめるだけあって、明らかに常人離れしたエピソードが数多いです。このところ友人(特に松戸の)がスカイプに出てくれないこともあるので、自分の有り余る記憶力を存分に使って書いてこうと思います。

  エピソード一覧
・死というものがどんなものかわからず、5歳の時に弟を海に落として死なせてみようとする。途中でばれてものすごく怒られた。
・あまりにもぼーっとしているので、小学校の入学を一年遅らされた。
・いつでもどこでもおならをすることが出来た。
・自宅に動物園を作ろうと兄弟で動物を集めまくるが、飼育が下手でみんな死なせてしまった。
・15歳で大阪の印刷所に働きに出るが、遅刻欠勤を繰り返して2ヶ月クビになる。その後も行く先々を短期でクビになる。
・東京芸大に進学希望を持ち、受験資格を得るためにまず大阪府立園芸学校に入ろうと受験する。面接試験で志望理由を「東京芸大の受験資格を得るため」と正直に告白し、不合格となる。なおこの時の受験者数は51人で、合格者は50人だった。
・軍隊から徴兵を受け、入隊する前に死を意識してゲーテなど哲学書を読み漁る。
・入隊後、そのマイペース振りから将校と間違えられ風呂で年長兵から背中を流される。後でばれて思い切りひっぱたかれる。
・軍隊でラッパ係となるが全く拭けなかったため配置転換を受ける。「北か南か」と聞かれて「北は寒いから南」と答えて、激戦地ラバウルへ送られる。
・ラバウルまでの輸送中、敵船から魚雷攻撃を受ける。水中を泳ぐ魚雷を見て笑ってたらひっぱたかれる。
・ラバウルで所属していた小隊が全滅した中、一人生き残る。原隊へ逃亡中に現地住民にも襲われるが九死に一生を得る。なおこの時の夜間移動中、ある場所でぬりかべが立っているように押しても引いても全く先に進めない空間に出くわす体験をする。夜が明けるとその先は崖下だった。
・ラバウルの司令官、今村均に「やけに太った兵隊だな」と言われる。なお終戦直後、今村均が全兵士に対して「一人残らず日本へ帰国させてみせる」という訓示を受け、なんとなく生きて帰れる実感がわいたと述べている。
・ラバウルの現地住民に聖書を読み聞かせるなど交流を深め、現地除隊してそのまま住もうかと考えた。
・帰国後、魚屋やタクシーのリース業など様々な商売に手を出し、その後紙芝居作家から貸本漫画家へとなる。
・貸本漫画家時代は極貧で、原稿料をもらうための電車代を質屋に借りる始末だった。
・40歳前に見合いから5日で結婚。見合いについては「嫁の隣にいる父親の顔が異常に長かったため、嫁の顔の長さが当時はわからなかった」と述べている。
・40歳を超えて初めて「テレビくん」がヒット作となる。その後「鬼太郎」の連載も始まって激務となり、このころのことを元アシスタントの池上遼一は、「前夜に誰かがもんじゃ焼きが食べたいなと言ったから、次の妖怪は『なんじゃもんじゃ』だと決めるくらい忙しかった」と述懐している。
・80年代にスランプとなり、「妖怪なんて非科学的なもん、いるわけないだろ」と漏らすほどピンチになる。ただ娘が修学旅行先で目々連を見たと言ったことから奇跡の復活を遂げる。
・86歳時、昼食にメガマックとポテトを完食。このほかピザなども丸々平らげている。
・宝塚の遊園地で鬼太郎のイベントがあったことを手塚治虫に八つ当たり気味に文句言われ、手塚の嫉妬深さを皮肉る「一番病」という作品を書く。手塚は手塚で水木に対抗して「どろろ」を書いた。
・手塚、石ノ森が早世したことについて「徹夜自慢は早死にする」と述べ、自分はマイペースでよく寝ていることをアピール。
・補聴器を一時期、聞こえる方の耳につけていた

2012年2月22日水曜日

名古屋市長の南京大虐殺発言に対する反応

河村市長、南京発言撤回せず 重ねて「大虐殺無かった」(朝日新聞)

 期待もされていることでしょうし、物議を読んでいる名古屋の河村市長の発言に対する中国現地の反応を今日はお届けしようかと思います。それにしても仕事中にもたくさん読んでいるのに、家帰ってまで中国の新聞読んでると本当にしんどくなる……。
 まず事の発端となった河村市長の発言ですが、なんでも名古屋市と友好都市関係を結んでいる南京市の代表団が訪問した際に、彼らの面前で「南京大虐殺はなかった」と主張したそうです。しかもその根拠というのも「俺の親父は従軍して南京に行ったが、現地の中国人に歓迎された」というもので、歓迎されるくらいなんだから虐殺なんてなかったという展開だそうです。事の真偽は別として、こんな根拠でケンカ売るような発言するのかよと一見して思います。

 それで本題の今日の中国の反応ですが、やはりどの新聞も写真入りで非常にでっかく取り上げて、上海のローカル紙なんかどこで見つけてきたのか河村市長がどっかでカレーうどんを食っている最中の写真を載せてきました。報道内容は基本的に日本で報じられているものと同じで、くれぐれも言っておきますが極端な歪曲の類は一切ありません。むしろ今回の騒動で名古屋市側が、「あの発言は市長個人の考えによるもので、名古屋市を代表するものではない」という発表をどこも引用しており、落ち着いた報道の仕方をしていると思えます。
 ただこちらでは河村市長を批判するとともに、面前でこの発言を受けた南京市の代表団に対しても批判が集まっております。というのもある中国系通信社が今回の件で名古屋市に取材を行い、名古屋市の職員の話として、「今回の発言を受けた南京市の代表団はその場では抗議せず、すぐに話題を変えた」と報じたからです。ちなみにこの通信社はその名古屋市職員のことを「榎本先生(中国語で「先生」は日本語の「~さん」)」と書いており、「非常に誠実に対応してくれた」としています。

 私個人の意見を書かせてもらうと、中国側の反応としては今回の発言は「日本人の態度」というよりは「河村市長個人の態度」として受けているように思います。そういう意味ではまだ落ち着いた反応をしており極端な政治問題にまでは発展しないかとは思うのですが、今年は日中国交回復40周年ということでいろいろ式典とかがこっちでも予定されているのですが、これらがもしかしたら一部プログラム変更とかになったりする可能性があるかもしれません。
 あと私の南京大虐殺に対する考え方ですが、率直に言うとこれは歴史や政治問題にして「得」をする人間が日中双方にいるため、まだしばらくは解決しないでしょう。具体的に誰がどう得をするのかについては突き放させてもらいますが、これを飯のタネにしている日本人もたくさんいることだけは断言してもいいです。このような観点から、何がどう真実であるかを調べる以前に今はただ熱を冷ますことだけがこの問題の対処として一番正しいと私は考えています。

 最後にもう一件、日本人絡みの下記ニュースが本日中国紙でも報じられていました。

中国:武漢で日本人の自転車盗難 ネットで5万人が捜索協力、奇跡…手元に戻った(毎日新聞)

 このニュースの内容というのも、自転車で世界一周旅行中の河原啓一郎さんが湖北省武漢市に滞在中、なんと自転車を盗まれてしまったそうです。河原さんには誠に申し訳ないのですが、あまりにも中国らしい展開だったので昨日にこのニュースを見た時はえらい笑ってしまったのですが、なんでもこのニュースは武漢市現地でも大きく取り上げられていたようで、中国版ツイッターこと微薄でみんなして連絡を取り合い、なんと奇跡的に河原さんの自転車が見つかり本人の所へ戻ってきたようです。
 自分はこのニュースを今日付けのチャイナデイリーで読んだのですが、こちらも河村市長に負けず非常に大きな扱いで、でかい写真付きで堂々と載せられておりました。ただチャイナデイリーの記事だと河原さんの年齢は28歳と書いてあり、毎日の27歳と一つ差がありましたが。あと河原さんの自転車の行方ですが、なんでも中古自転車屋で1000元(約12万円)で売られてたそうです。今自分が買おうと思っているスポーツ用自転車が新品で1000元くらいだから、河原さんの自転車は相当いい自転車なんだろうな。

追い求めるべき幸福とは 後編

 昨日に引き続き、幸福論の話です。
 まず最初に今回の件で何が一番言いたいのかというと、幸福というものは個々人によって完全にバラバラで、定型というものはまるでないということです。前の記事でも書きましたが私にとってすると一般的な幸福の条件は少なくとも「快」の条件になるというわけではなく、場合によっては「不快」な条件に適合することすらあります。私みたいなのは明らかに例外ではあるものの、断言してもいいですが幸福の条件は個々人によって確実に個人差があり、画一的な条件が決まっているわけではありません。

 これが何を意味するかというと、幸福の定型とされるものを追いかけていざ手にしたところで、本当に満足が得られるのかということです。もちろん全く満足感がないということはないでしょうが、後々に「やっぱりああしとけばよかった」という後悔が出てくる可能性があるんじゃないかと私は考えています。私がこう思う理由として大きいのはやはり「失われた十年」に青春期を過ごして、この間に「こうすれば幸せになる」と盛んに喧伝されたものがわずか数年後に片っ端から消え去っていったのを見ているせいだと思います。今じゃ完全に死語ですが、一時期は「レーゾンデートル」とかいう言葉が流行って、「自分探し」とか「自己実現」の重要性が盛んに主張されましたが、これに乗っかった人たちは今どうしているのか気になります。

 じゃあどんな幸福を追いかければいいのかですが、突き放した言い方をすると自分で考える以外にないと思います。何も十年先の幸せとか長期的な視野に立たなくてもいいから、少なくとも「世間一般で言われているから……」というような理由で安易に選ばず、他人が主張するものでもなんとなく納得できるものを追いかけてれば後悔はないと思います。たとえ周りからそんなの信じても得しないよと言われても、本人が納得することが一番大事です。

 そんなこんだで話は飛びますが、数ある幸福論の中でも私がひときわありがたがって聞いているのはほかでもなく、漫画家である水木しげる氏の幸福論です。なんかちょっと検索かけたらすぐ出てきましたけど、主に主張している七ヶ条というのは下記の通りだそうです。

第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 怠け者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。


 いかにも水木氏らしい主張ですが、書かれている内容と実際の半生を見比べると自然と頭が垂れてきます。一例を出すと第六条の「怠け者になりなさい」ですが、これに限らず水木氏は普段からたくさん寝て食べることは大事だとよく主張していますが、その一方で自身は若い頃に戦争で軍隊生活を経験し、復員後もそれこそ寝ずに働いてスズメの涙ほどの収入で暮らしているだけに、ほかの人とこの言葉の重みが段違いに違います。

 これはあくまで私の解釈ですが、水木氏が主張する幸福論とは「自らの中の内なる欲求に従え」というのが大まかな意なのではないかと思っています。要するに、寝たいとか食べたいという人間の根源的な欲求に加え、個々人が持つ嗜好の対象に素直な気持ちで向き合えという風なものだと考えています。その上でさっきの第三条こと「他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし」で、それこそ資産の量など他人との比較でしか証明できないものは少し違うのでは、と言っているのだと思います。あくまで私の解釈ですが。

 こういった水木氏の考え方に触れる前から私はかねがね強情で知られていましたが、自分自身の考え方、思い方に素直になることは非常に重要だと考えていました。私も中学生くらいの頃なんかはやっぱり世間体とかを気にして、いくらか心に思っていることと全然違うことを言ったり振る舞ったりしましたが、そうした行動の後は何とも言えない嫌な気持ちでいっぱいになっていました。逆に成人した今、周囲からどんだけ批判されようが自分自身が間違っていないと思うことを言ったりやったり、一例を挙げると「今日は眠いから飲み会には行きません」と言った後はその後の立場が苦しくなるとしても(実際なった)あまり後悔がありませんでした。

 非常に飛び飛びな内容となりましたが、結論としては周囲の雑音というものはしばしば幸福を阻害する可能性があるということです。私自身は何を以ってすれば自分が幸福になるのかを未だ見つけていませんし、恐らく今後も一生追い求めることはないでしょうが、朱に交われば赤くなる様なことだけは避けて生きてこうと思います。

2012年2月20日月曜日

追い求めるべき幸福とは 前編

 私がよく友人から一番注意される内容ときたらかねてから書いてある通りに、「人を見下す癖をやめろ」というもので間違いないのですが、この次によく注意されるものとして、「もっと自分の幸福を考えろ」というものがあります。恐らくこんな変な注意のされ方するのは私以外だと数少ないでしょうが、お前ら示し合わせているんじゃないかと思うくらいにこれまで実に多くの人間からこういうことを言われてきております。
 言わんとする内容はまんま言葉の通りで、もっと自分の身を大切にという内容と共に、周囲に対する気遣いなんかせずにもう少しわがままに生きた方がいいというものです。自分でも全く意識していないわけではありませんが、やはりどうも周りからも自己破滅的な生き方をしているように見えるようで、はっきり言ってくれる友人なんかは、「悪い意味で分け隔てがなく、自分をすり潰そうとしている」と言ってくれます(ノД`)

 ただこうは言われるものの、一体何をすれば自分は幸福だと感じるのか皆目見当が付きません。実際に真面目な話、今までの自分の人生で決断してきた選択には「苦」より「楽」を求めるものは一部入っておりますが、単純に幸福を目指して選んだ選択は断言してもいいですが一つもありませんし、相対的に見れば自分からいばらの道へ頭から突っ込んでいくものの方が圧倒的に多いです。なんでそんな選択をいつまでも選び続けているのかというと、育った環境にもよるでしょうが私個人の資質としか言いようがないでしょう。

 逆に私の目からすると、一体なんでみんなしてそんな幸福になろうとするのだろうと思うことがありますし、そもそも何を以って幸福を感じるのかが全く分かりません。そりゃ確かにお金がたくさんあればないよりは楽でしょうが、それで満足感を得られるかというと私はきっと得られることはできないでしょう。今現在でも私は特に買いたい物もありませんし、もう少し給料は増えてほしいとは思うもののまとまった金があってもむしろ使い道に困ると思います。
 じゃあ家族や恋人がいる状態がいいのかとなると、これもまた何か違和感を感じます。こちらもいるに越したことはありませんが、いなかったらいなかったらで楽なんじゃないかと思うこともあり、結局は環境の違いでしかない気がします。あと最後に仕事もせずに毎日好き勝手にダラダラ生きれるとしたらというのも幸福の一例として挙がってきますが、これなんか自分が一番嫌なパターンで、仕事が忙しすぎるのはもちろん嫌ですがやっぱり何かしら動き回ってないと落ち着きません。

 上記のような考え方をする人間ははっきり言って自分以外だと見たことがありませんし、自分自身でレアケースだと自認しております。ただこうして条件をすり潰していくにつれ、一体何を以って幸福なんだと言えるのか実に深く感じます。新興宗教やってる友人などは、「生きていること、ただそれ自体がありがたい」と何度も自分に聞かせてきますが、そりゃ安全安心保障付きの日本だから言えることであってアフガンとかでも同じこと言えるのかよと思うので全く意に介しません。また生きててよかったと思うことより、私は絶対的に辛いことの方が多いと考えているので、ある意味自殺者が多い今の日本の現状というものは理に適っているとさえ思います。

 では安定というのは幸福の条件になるのでしょうか。確かに仕事や生活が安定しているというのははっきり言ってありがたいと、去年に職場を3つ、国2つを跨いだ私が保証してもいいですが、それで幸福なのかとなるとやっぱ腑に落ちません。同年代の中でも非常に山っ気が強い性格というのもあるでしょうが、同じ日々が続くといずれ飽きが来るのではという気がします。また一程度のストレスは体にいいと言われておりますが、やはりスリルというものが生活中に感じなければどんどん自分が弱っていくようで自分としては好ましくありません。かといって安定がなさすぎるのもハードですが。

 このほか儒教の価値観で「中庸」というものがあって、どれもほどほどの状態を保つことが一番という考え方がありますが、これなんか私はしっくりくるのでほどほどの安定とスリル、給料などなどを一応は掲げていますが、やっぱり破滅的というかある所まで来たら突然それを自ら崩そうとするところがあり、今の環境なんかまさにそんな状態です。
 なんか妙な独白が続きますが、どうも自分には一貫して幸せになろうという意思がなく、折々で不幸を目指し走り出すところがある気がしますし、普段からも必要以上の責任や負担を抱え込もうとしてます。破綻していると言えばそれまでですが、なんかそれとは違うんじゃないかなという気もしないでもありません。

 ただ私の場合は間違いなく極端な例でしょうが、ほかの人ももっと幸福とはなんなのかを意識して考えた方がいいんじゃないかと思います。単純な幸福を求めようとしていざ実際に手に入れてみると実は違ったというケースほど不幸なものはなく、立ち止まらなくてもいいから常日頃からあーだこーだ考えることも必要なんじゃないでしょうか。
 そういった観点から、次回は私が面白いと感じる幸福論、というか水木しげる氏の話を読んでて感じたことを紹介します。

詐欺事件の実名報道について

富士重、クリーンロボット事業撤退も…不正発覚で(レスポンス)

 昨日に引き続きまた実名報道についてです。上記のニュースは富士重が今日発表した、同社のクリーンロボット事業に関わっていた元従業員が国の機関に過大な請求をしていたことから告訴されたというニュースですが、何気に朝一番にプレスリリースをチェックしてたらいきなりこれが出てきて朝っぱらからこれかよとか思いました。
 ただ今回の富士重の事件については、多分似た系列で出てきたんでしょうが先日に発覚した三菱電機の同じような過大請求と違い、ちゃんと社内調査をした上で会社として該当する元従業員を告訴しているので、組織ぐるみだった前者よりかはまだ良心的な感じがします。それにしても、確か先週末には「スバル、好調の要因は」という記事が出た翌週にこんなニュースが出るのも残念ですが。

 話はそろそろ本題に移りますが、今回の事件で不正請求を行い、告訴された従業員の名前は出てきませんでした。まぁ会社として処分をしているのだから私としてもわざわざ出す必要はないと思うのですが、基本的に詐欺事件で実名報道がされるのは少ないような気がします。それこそ闇金とかの話だったらもちろん出てきますが、こうした企業絡みとかだとどれだけ悪質でも出ることはなく、昨日に取り上げた避けようがない交通事故の報道と比べると明らかな温度差を感じます。さらに言うと、違法な行為やサービスを行っていたという風俗店摘発のニュースはほぼ確実に店長とか責任者の名前が出るのもなんだかなという気がします。

 あと最後に一つだけ付け加えると、現代だと名前をネット検索にかけると一発で履歴とかがばれることが多く、実名報道によって起こる社会的制裁の度合いは確実に高まっていると言い切れます。自分なんか仕事で社会記事を書くことはほぼなく(むしろブログのが多い)あまり気にする必要ありませんが、報道機関はもっとそういうことに神経使うべきだと考えています。
 ちなみに私の本名は比較的ありきたりな名前のせいか、検索を書けても私本人に直接たどりつくことはありません。むしろハンドルネームの方がそこそこ長期間ブログしているのもあって、引っかかりやすいです。

2012年2月19日日曜日

交通事故の実名報道について

路面凍結で自転車転倒…高校生はねられ死亡 千葉・柏(産経新聞)

 前から疑問に感じていたので、交通事故報道について一筆書いておきます。上記リンク先の記事は千葉県で起きた死亡交通事故のニュースですが、この事故の展開をみるにつけ実名で報じる、というかそもそもニュースとして報じるべき価値があるのかと強い疑問を覚えます。
 この事故は凍結した路面を自転車で走行していた高校生が車道側に倒れ、そこをたまたま通った自動車がはねてしまい死亡させてしまったというのがあらましです。この内容を見る限りですと、目の前を走っている高校生が突然点灯するなんて予測できるはずもなく、乗用車の運転手に対しては実に不幸というか、その行為を責めることはできないのではないかと強く感じます。

 にもかかわらず、今回産経新聞は運転手の名前を実名にて報じております。以前、というかかなり前に書いたことがありますが、日本の刑法というものは前科という社会的制裁を受けることを前提として量刑を定めております。それだけに社会的制裁の大半を担う報道というものは当人にとって非常に大きなものなのですが、この事件についてはそもそも社会的制裁が必要なのかどうかです。そもそも事件自体報じるべき価値があるかと言ったらもっと他のに紙面を割けよと言いたい内容である上に、報じるにしても実名を入れる必要性があるかといえば皆無でしょう。

 この記事に限らず、このところこういった事故記事が目立ちます。自分は報道にはモラルとかそういったものはそもそも存在しないと思うし、そういうものを主張すること自体が空々しく感じます。しかし必要のないことをわざわざやるということは報道以前に人間としても如何なものなので、こういったことをやる記者が一人でもいなくなればと陰ながら願っております。

2012年2月17日金曜日

週刊文春の橋下大阪市長批判記事について

 この前に日本から本を取り寄せる機会がありましたが、これまでずっと買ってきた文芸春秋は今回入れませんでした。何故文芸春秋を取り寄せなかったのかというと、同じ文芸春秋社が発行している週刊誌、週刊文春の橋下大阪市長に対する報道に対して強い反感を覚えたためでした。市長に対する報道に対して強い反感を覚えたためでした。
 詳しい内容はここでは語りませんが去る大阪市長選挙前、週刊文集は橋下市長の政策論とは全く関わりのない彼の出生について批判的な記事を載せました。仮に国籍条項を偽るなど市長選出馬に当たって不正を行っているのならばともかく、完全にお門違いもいいようなどうでもいい内容をことさらに取り上げてさも「市長として不適格」とするようなあの記事については到底看過することが出来ませんでした。

 自分はこれまで実に十年近くも文芸春秋を購読してきましたが、雑誌媒体が違うとはいえあんな内容の記事をよくもまぁ載せるというか、出版社としても強い疑問に感じる事件でした。まぁそれを言ったら、本来ならばほかのメディアも激しく糾弾すべき内容だったにもかかわらずスルーしていたということも不満なのですが、ちょっともう読む気は起きてきません。どのみちあんな記事を出せる神経してるなら、ほかの記事もあまり当てにならないでしょうし。
 さらに言うと、このところの文芸春秋は明らかにつまらなくなっておりました。読者層が自分のように若い世代ではなく年長世代が多いこともあってか、何かとガンの放射線治療とか病気関連の記事が異常に増えており、特集記事も「田中角栄のラブレター」とかそんな大きく取り上げる必要あるかいなと思う記事ばかりで、真面目に半分しか読まなかった月も珍しくありません。

 別に雑誌に限るわけじゃないですけど、部数減少を「若者が雑誌を読まなくなったせいだ」と他人のせいにする主張をよく見ますが、そもそも若者を購読者、消費者として見据えた記事をあんたらは書いているのかと深く問いたいです。まぁこれを言ったら90年代のスポーツカーばかり紹介する「ベストカー」はどうなるんだということになりますが、こっちについてはスポーツカーを出さなくなった自動車メーカーにも一部責任あるけど……。

オリンパス旧経営陣らの逮捕について

オリンパス菊川前社長ら逮捕 証券OB含む7人 虚偽記載の疑い(日経新聞)

 このブログでも何度も取り上げているオリンパス事件ですが、今日になりようやく逮捕者がでました。この件に対する私の意見は、一体今まで何をやってきたのだと、東京地検に対して呆れるような感情を持つといったところです。

 既に何度も書いているので端折って書きますが、私はこの事件はかねがね、不正経理が明らかになった段階で早くに関係者一同を逮捕し、とっとと真相解明に取り組むべきだと考えていました。仮に疑いの段階であればこのところ冤罪事件も多発していることもあって逮捕するべきではないですが、今回のこの事件は明らかに不自然な資金処理がなされており、しかも退任したウッドフォード元社長を筆頭として隠し損失がはっきりとあると言っていたことを考えると、手心を加える必要は全くないと言っていいでしょう。
 その上でさらにいうと、オリンパスの上場維持を決めた東証に対しても疑問がたくさんあります。はっきりいってこれほど巨額の損失隠しをしておきながら上場が維持されるようでは、一体何をすれば上場廃止になるのかわかりません。公開して株式の取引がなされる取引上では企業情報の完全公開が原則であってちょっとでも不正があるようであればほかの国(中国は除いてもいいけど)なら即刻廃止され、相応の処罰がなされているはずです。恐らく今回の事件で海外メディアなんかは、「やはり日本は身内に甘い」と書いているかと思います。

 あと同じ企業犯罪だと、この前にハーネスメーカーの矢崎総業の人間がカルテルの疑いでいきなりアメリカで逮捕されていました。そりゃ人を殺したんじゃないんだしとも言うことはできますが、それにしたって私は日本の司法は経済犯罪に甘いというか、やる気あるのかと言いたくなります。あとこれも何度も自分で言っているから段々嫌になってきてもいるのですけど、一体何故ライブドア事件の際はあれほど厳罰を課したのにほかの事件にはこんなにも甘いんだと、ダブルスタンダードぶりにはほとほと嫌になってきます。堀江元社長の方を持つ気はなく、むしろこの人は個人的にそりの合う人じゃないですが、懲役を受けていることに関しては強く同情いたします。

2012年2月14日火曜日

中国のバレンタインデーについて

 なんかこの前親父に話をしたら受けたので、時期も時期なので中国のバレンタインデーについて話をします。よくバレンタインデーにチョコを贈るのは日本くらいだという人をたまに見かけますが、どうもこのチョコを贈るという習慣を作ったマーケティングはお菓子業界が仕組んだもので、韓国財界とも縁のあるロッテの影響なのか韓国でも非常にお盛んだそうです。
 これに対し中国はどうかというと、もちろん女性がチョコを贈る習慣も全くないわけでもありませんが、どちらかというと男性側から女性に花束を贈るという手法の方が主流です。今日も取材帰りの電車の中で、でかい花束持った女性を何人も見たし。

 ただマーケティングについてはこっちでもかなり力が入っており、ホテルなどでは特別ディナーコースを用意したりするなどして対応しています。その中でも一風変わったものには、「店内で60秒間キスし続けたら一食タダ」という、一体誰が得するんだといろいろわけのわからないものまで出てきております。
 あとこのところの報道を見ていて気になったものの中には、「バレンタインのプレゼントの代わりに、最近の女の子は旅行の地図を送り、彼氏に旅行に連れてくよう要求する」というものもあり、本当に中国の女性はいろんな意味でたくましいなと思った次第です。

2012年2月13日月曜日

日本の社会保障の行方

 前回更新から大分日が経ってしまいましたが、どうにかまた再開できました。ちょうど先週がいろいろと山場だったためにこれからはまた普段のペースを再開できるんじゃないかと思いますが、早速明日にはまた夜中に取材入っているから難しいかも。そういうわけで今日はちょっと力の入ったネタを一本投下しておこうかと思い、日本の社会保障議論について基本論点を整理することにします。

 まず前提条件についてはっきりと指摘しますが、年金をはじめとした現行の社会保障制度の国家は日本が高度経済成長をしていた時期に作成され、当時並みの経済成長を保つことで維持できるように制度設計されております。当時の日本の成長は日本自身の努力というよりは冷戦下という国際環境によるところの方が大きいと私は見ており、ソ連が崩壊した現在においてはどう踏ん張ったって再現できる代物ではないと断言してもいいです。それはつまり、現行の社会保障制度は初めから何をどうしたって維持できるものではなく、もっと早くに制度改革をするべきものだったというわけです。

 この場合の制度改革というのは保障内容の希薄化を指しており、具体的に言うと年金の支払額などや対象者を減少したりするということですが、日本は冷戦が終わってから20年以上も経つにもかかわらず未だに矮小な議論を続け、確かに一部で年金支給年齢の引き上げや一部削減など見直しこそされているものの、抜本的な改革にはとうとう至れておりません。
 しかもこの社会保障の混乱はそれ自体の混乱にとどまらず、日本の経済全体にも大きな悪影響を及ぼしていることも見逃せません。ごくごく簡単な経過を書くと、

・社会保障が維持できる見通しがない→将来のリスクに備えて貯蓄傾向が高まる→消費額が低迷→景気が停滞

 これはほんの一例ですが、細部まで詰めると実に多岐にわたって悪影響を及ぼしており、今も続くデフレの主要因となっている点も見逃せません。じゃあ社会保障をどうすればいいのかですが、一番大事なのは「維持できるシステム」に変えることです。維持できないシステムだと国民に思われているということが一番問題で、内容が何であれ20年先が見えるシステムにすることが肝心要です。
 となると今度はどんな形にすれば維持できるのかという話に移りますが、極論を言えば「どの世代に死んでもらうか」という議論となります。現在私が想定している改革方針としては主に以下の二点に絞られます。

A案:給付額などを徹底的に削減し、年長世代に泣いてもらう
B案:給付額なども相当程度下げるが、一定の給付額を維持するため増税をして現役世代に泣いてもらう

 実に当たり前の議論ですが、今後日本が取るべき道は上の二つ以外にないとこちらも断言してもいいです。中間なんてものはありません。
 では政党は現在どっちの方針で制度改革をしようとしているのかですが、実に情けないというか私の見る限りだと民主党も自民党も、存在するはずのない中間策、誰にも恨まれずにハッピーになれる案を未だに捜しているように見えます。野田首相は増税をして増やした税収分を社会保障へ振り分けると言っていましたが、その一方で子ども手当の支給額を増やすとも発言しており、いわば「増税する代わりに給付額を増やす」という現実を無視、というか実現不可能で維持することのできない案を主張していると私は感じます。自民党は増税はしないがその代わり景気を回復させ、増えた税収分で現行制度を維持すると言っていますが、私は今の社会保障制度に道筋をつけない限りは景気回復も無理なんじゃないかと思っており、順番を履き違えているとこちらも話にならない案だと見ています。

 ではA案とB案のどちらが望ましいのかと言ったらこれはもう、どの世代に属しているかでしか語れないでしょう。私は生憎というか現役世代に属していることもあり、多少の負担増は仕方ないにしても大幅な削減なしには一人唐傘連判状の提出も辞さない覚悟です。さらにこれはひがみだと言われても言い返しませんが、現在の年長世代は若い頃に高度経済成長を謳歌し、簡単に就職できて、毎年昇給をして、自家用車も買えて、住宅ローンも組めれたことを考えると、これらの機会すら得られない自分たちの世代をさらに踏み台にするつもりかという気持ちもあります。年金額が減って将来設計が崩れると主張する方もいるかもしれませんが、将来どころか現在の生活すらままならない自分たちに比べて甘いことを抜かすなと、一人の若者として言わせてもらいます。

2012年2月9日木曜日

続、大学の秋入学検討について

 今日の中国の朝刊には、「日本で聖闘士星矢の新シリーズテレビ放映が4月から始まる」ってのがでっかく載ってました。なんで日本での放映に対してここまで反応するのかいろいろ突っ込みたくなりますが、同僚の中国人の奥さんは、「フェニックス一輝こそ、男の中の男だ」と言ってはばからないくらいにこっちでも浸透しているらしいです。

 話は本題に入りますが、東大が入学時期を現在の春から秋へ移行する案を検討していることについて以前にも取り上げたことがありますが、今日見たニュースにこの話題について非常によくまとまった記事を見かけたので紹介します。

【日本版コラム】『大学秋入学』の落とし穴 議論の迷走と状況悪化が危惧される理由(ウォール・ストリート・ジャーナル)

 はっきり言って私のブログなんかより上の記事見てもらった方がずっといいと断言できるのですが、いくつか重要なヶ所を引っ張ると、この記事を書いた尾崎氏は「入学時期を秋に変えるだけでは留学生も増えず、学生も起業も混乱するだけと」指摘しています。

 一つずつ詳しく解説していくと、東大をはじめとした国立大学などは入学時期を国際的に標準な秋(春入学は日本と韓国しか私も知らない)にすることで、日本にやってくる留学生も増える効果が見込めるとしています。これに対して尾崎氏は、そもそも世界の大学ランクは在籍する教授の論文の発表数などで決まるために英語を使用する欧米の大学が初めから有利で、入学時期が変わったくらいでは留学生を引っ張る上ではあまり効果がないと主張しており、私もこれを支持します。その上で今実際に日本位やってくる留学生はどんな学生かというと、やはりアニメや漫画といったサブカルチャーに関心の強い短期留学生らが主で、こうした留学生をもっと受け入れやすくするために春でも秋でもいつでも入学して授業を受けられるカリキュラムを整備する方が価値が高いと言っています。

 言われることいちいち的を得ていて反論のしようがないのですが、この上で尾崎氏は日本の学生についても言及しています。kの秋入学議論でよく取り上げられている効果に、「3月の高校卒業から秋の大学入学まで半年間の空白の期間が生まれ、この期間を学生はボランティアや短期留学などに使える」という意見があります。これについても尾崎氏は、日本の大学生は夏休みや冬休みなどまとまった余暇があり、わざわざ半年の空白期間、それも受験前の期間に用意したところで大きな変化が望めないとした上、「学生が在学中に多様な経験をするには時間以外に精神的なゆとりも必要である」と述べてます。これについても、私は同感です。

 こうした尾崎氏の意見について基本的に賛成ではあるのですが、それでも私はこの秋入学以降に期待を持っています。一体何故期待するのかというとこれも尾崎氏が「メリット」として挙げている、「企業の新卒一括採用が多様化するきっかけとなる」という効果が強く望めるからです。
 大分自分でも色々変わったと思いますが、現状の日本を見るにつけもっと雇用は流動的にしなくてはならないと考えており、特に若年世代については新卒一括採用こそが諸悪の根源にも思えるのでどうにかこれを打破できたらと常に考えています。理想としてはそれこそ、一年間を通した授業を作りづらくなりますが、春でも秋でもいつでも入学できて授業登録も自由にでき。単位がたまればいつでも卒業できるようなシステムになれればという気持ちがします。ちなみに自分は三回生が終わった段階で卒業必要単位数をオーバーしてましたが、全く意に介さず授業を取りまくって卒業時は160単位くらい持ってました。単位認定されない授業もたくさん取ってたから、実質的には180くらいあったろうな。

2012年2月8日水曜日

このところの中国の日本報道

 さきほど新しく知り合いになった中国人と食事してきましたが、おもむろにこんなことを訪ねてみると、

「あのさ、熱血高校ってわかる?」
「あのファミコンのゲームのこと?」

 なんでこんなに中国人も「熱血高校くにおくん」を遊んでるのか不思議でしょうがない。ちなみにその人の一番のお気に入りは「魂斗羅」で、コナミコマンドをしながらみんなでやってたらしい。

 話は本題に移りますが、実は前々から中国の新聞に載る日本の情報を集めておりました。別に集めるっていうほど量があるわけじゃないですが、また適当に翻訳して乗っけようかなと思いつつも、今週はやけに忙しい上に、毎日記事翻訳しているのに自宅でもまた翻訳するという作業がなんか煩わしいので簡単にまとめることにします。

 まず一番驚いたというか名前を見てびっくりしたのは、河合隼雄の記事です。内容は中国でも人気な村上春樹との対談した際のエピソードでしたが、この河合隼雄は心理学専攻の人には知られていながらも、それ以外だとちょっと知名度に乏しいということもあってなんかいろいろと新鮮でした。惜しむらくは、学生時代にこの人を知っていれば自分もこの人の本を読んだのにということですが。

 次に政治関係の話題だと、野田政権の増税問題がやけに熱心な解説付きでこれまた取り上げられていました。曰く、震災からの復興、財政健全化、経済回復とともに増税を実施するのは非常に困難だと、実に中国人らしく短いながらも的確に急所を突いてきています。このほかの政治系の話題だとやっぱり領土関係ばかりで、この前の尖閣諸島周辺の島嶼に日本が命名したことに対して批判記事が載せられたほか、北方領土問題でロシアに日本が文句言ったことなども逐一漏らさず載せています。
 ここで一言付け加えておきますが、意外に中国側は日露の北方領土問題に強い関心を持っております。これは恐らく日本というよりロシアに対して警戒感が強いためで、どちらかと言えば日本側に依った意見ばかりが目につきます。

 あと最近、というより今日の新聞に載っていた日本のニュースだと、シャープ、東芝、日立、ソニーといった日本の大手家電メーカーが揃って巨額の赤字を計上したことをでっかく解説記事付きで連日紹介しています。なんていうか、日本の報道より大きく取り扱っているような……。内容はなんで赤字に陥ったのか、理由としてはやはり円高による影響が強いとするもののテレビ事業自体が非常に採算の取りづらい事業となっているといったことが中心です。

 ちなみにこれなんか見る人が見たら一発でばれますが、実は中国の家電メーカーにおいてもテレビ事業は実質赤字です。内容には自信あったのにあまり反響なくてがっかりしたのですが、先月に私は中国の液晶テレビ業界について記事を書いており、その時に色々調べたところどうも中国の液晶パネルメーカーも韓国のサムスン同様に政府などから大量の補助金をもらって経営しているようです。その額、日本円にして数百億円単位で、利子抜きの借入金額も膨大な額でした。自分が引用した記事ではある大手パネルメーカーの総経理の発言も入ってましたが、「政府補助なしの経営なんかできるわけない」とはっきり言っており、事実補助金がなければ一発で赤字転落する業績であることも指摘されております。

 そう考えると、台湾メーカーもそこそこ補助金が出ているというし、世界の液晶業界で補助金なしに経営しているのは実は日本メーカーくらいで、シャープなんかよくやるよと今更になって誉めてあげたくなりました。大赤字出したけど。
 ただこれは逆に言うならば、日本よりも人件費がうんと安い中国メーカーですら利益を出せないというのに、日系メーカーがどうやって利益を出せるというのかとも言えます。恐らく家電メーカーの上層部もこういった事実は了解しているでしょうが、仮にテレビ事業をやめるとなると数万人単位で雇用を切らなくてはならないため、切るに切れず赤字を出し続けているのが現状かと思います。

 仮に数千人単位であれば、冷たいと言われても私は切れない経営者を批判すると思います。だがテレビ事業ほど巨大なものだと、切れないからと言ってさすがに批判することは私にはできません。ただ決断の時期は、確実に近付いているかと思います。

2012年2月6日月曜日

震災後の作ったようなムードについて

 このところ真面目に忙しく、ブログの更新が滞っております。それこそ体を壊すほどの無茶な仕事量ではないのですが、なんか記事書くのに自分が変にこだわってて家帰っても延々と書いてるせいかやけにだるいです。
 そんなわけでさらりネタとばかりに、既に一部で取り上げられていますが自分も気になったのであるニュースを取り上げておきます。

“絆”報道は誤り!? 婚姻件数減でブライダル市場は3年連続縮小(Business Media誠)

 上記リンク先の記事の内容を簡単にまとめると、東日本震災後は結婚件数が増加したとか、2011年は今年の一字に「絆」という文字が選ばれるなどあれこれ人と人のつながりが主にメディアを通して強調されましたが、それらは全部ウソだったという内容です。一体なんでこういうデマが流れたのかというと、やっぱり自然発生的に生まれたのではなくメディア、それも国関係を通してこういうムードを作ろうという意向が働いたんじゃないかと疑っています。

 元々、「絆」という漢字が今年の一字に選ばれること自体が私にとっては何か違和感を覚えました。私の記憶だと確か阪神大震災の起きた年の一字は「災」という文字で、社会の空気も今の日本(あくまで伝聞を通してみる姿で)とは何か違ったような感じがします。具体的に何がどう違うのかというと、やはり人工的な無機質感というか、そこに人間の生きた感情が介在しているのかが全く分からないような手応えのないようなムードで、さらに言うと面倒くさいことをなんでもかんでも震災のせいにしているような姿も見受けられます。

 これも前にネットで見たニュースですが、雑誌市場規模が1兆円を割ったことについてあるメディアは「震災による影響で」と真面目に書いてて、「揺れてると読み辛いからか」といったコメントが寄せられていました。そりゃ震災起きたら流通も滞って部数も多少は落ちるでしょうが、そこまで広範囲に影響するかと言ったらやはり言い訳にはならないでしょうに。
 こう言ってはなんですが、今の日本の報道はなんでもかんでも震災のせいにして済ませてしまおうというような印象を受けます。東日本大震災が日本に与えた影響は間違いなく大きく過小評価はするべきではないですが、余計な引用を間違いなく無駄なことで、変なミスリードを作る記者がいなくなれば日本はもっとよくなると思う次第です。

2012年2月3日金曜日

自らを偽る嘘とホンダの書類選考

 このところ思想に関する記事を充実させようとしていてあれこれ書いておりますが、今日もまたその手の類として「嘘をつくこと」について書いてみようかと考えてました。ここだけの話、私は嘘をつくことに対しては明らかに他人より厳格で、聞かれなければ敢えて話したりしないよな周囲に憚る内容でも実際に聞かれた場合ははっきりと相手に告げることも多いです。また余計な嘘をつくことも良しとせず、なるべく真っ正直に生きようと常日頃から心がけています。
 もっとも、そういいながらも嘘をつくことが全くないわけでもありません。具体例を挙げると別の友人に初めて合わせる友人を紹介する際に、

「彼は通称、ヤマジュンと呼ばれてます( ゚∀゚)」
「おい、初めて聞いたぞそんなあだ名Σ(゚Д゚;)」

 というやり取りをしたことがあります。関西だったからみんな突込みが早くて素晴らしい。
 勝手な線引きではありますが、ついていい嘘の条件というのは主に以下の二点にあるかと思います。

・冗談の類など、言ったところで誰も傷つかないし損もしない
・言ったその場で嘘だとわかる内容

 ごくごく当たり前と言えばそれまでですが、この条件に合致する嘘こと冗談の類はしょっちゅう私も口に出します。また自分が得する嘘でも、自分以外の人間が誰も損をしないのであれば、内心ではよくないと思いながらもごくたまに言うこともあります。本当にたまに。
 逆についてはいけない嘘というのはこの条件とは逆の内容、他人が傷ついたり損をしたりして、自分一人が得をするような内容の嘘だと思います。これらとともにもう一つ、自分自身を偽る嘘もやはりついてはいけない嘘だと私は考えています。

 自分自身を偽る嘘というのは単純に、自分の本来の意思とは異なる内容を口にすることです。たとえば路上にゴミを投げ捨てることについて内心ではよくないと思いつつも周りもやっているんだなどと自己弁護して捨てたり、本当はお腹がすいているのにすいてないと思いこんだりなどといった内容です。
 もちろんこれには程度があり、同じものを欲しがっている人がいる場合に相手に譲るといった、周囲の環境や状況によっては謙虚心や我慢を発揮することも時には必要で、こうした譲歩するケースはもちろん除外されます。でも上司が、「お前、俺のこと本当は嫌ってるんだろう」って言ってきたら通常は「いえいえ、そんなことないっすよ」って普通は言い返すけど、この場合は「言ったその場で嘘だとわかる内容」だからありかな。

 この自分自身を偽る嘘の何が良くないのかというと、重ねていくうちに自己本質が変化していく可能性があるからです。先程の自己弁護をするケースでも、何度となく同じことをしているうちにそのうち全く気にしなくなるようになり、水は低きに流れるというか大抵は悪い方向へ流れていきます。
 こうした嘘というか自己を糊塗する現場というのは数多くありますが、自分が一番目につくのはちょうど今、山場を迎えつつある大学生の就活です。体験した方ならわかるでしょうがみんなサークルでリーダーしていたとかバイトでこんな経験をしたとか、自分自身でもしょうもないと思う内容をさも価値があるような言い方をして自己PRしてきます。ひどいのになると一から嘘をついてくることもありますし。

 私自身は既に当時から自分を偽る嘘はついてはいけないと考えていたので、かなり真っ正直にストレート球しか投げない就活をしていました。そんなもんだから中国留学をしたものの自分じゃまだまだと思ってたので、中国語のレベルを聞かれたら、「会話はもちろんできますが、まだまだ未熟です」とマジでこう答えてました。さすがに今だったら北京語ならば下手な田舎の中国人より上手に話せると言い切れるけど。
 もちろんこんなやり方だと苦戦するのは当たり前ですが、それでもあの時に変な嘘をつかなくてよかったと満足しています。そういう意味では自業自得なので企業側を批判するのはお門違いだと思うものの、ただ一社、名指しではっきり批判させてもらいますが自動車メーカーのホンダについては真面目に問題のある選考ではないかと当時思ったのをよく覚えています。

 具体的にどんな選考なのかというと、一発で落ちているのでそれは書類選考です。私が就活をした年のホンダの選考は専用の書類を提出することから始めるのですが、その最初の質問というのが、「あなたの夢はなんですか?」というものでした。この質問に対し私は変なこと聞くなと思って、

「対象を対象そのもので、比較対象なしに理解することのできる絶対感覚的要素を身に着けること」
 と、一語一句そのままでマジで書きました。書き終えて次の質問に目を向けるとそこには、

「その夢を叶えるためにホンダで働くことはどのようなステップとなるでしょうか」
 知るかそんなこと!(;゚Д゚)エエー
 真面目にこの時は口に出して驚きました。ってかこの時ほど後の質問をチェックしてから書けばよかったと思ったことはこのところありません。専用紙だし、最初の質問もボールペンで書いちゃってたし、修正液で全面消すわけにもいかないし……。

 最終的にあれこれわけのわからないいわけを書いて提出しましたがやはり書類落ちでした。ただ自分でも八つ当たりのような気もしないでもありませんが、こんな質問だとホンダで働くことで価値があるように自分の夢を合わせなければいけないんじゃないか、志望者には関係のない夢を持つな、持っても入れさせないということになるんじゃないかと強く感じました。別の会社の面接でも「なんでここで働くのを希望するのか」と聞かれて「生活資金を得るための手段としてであって目的ではない」と真顔で言って顰蹙を買った自分ですが、ホンダのあの質問は手段を目的にしろと言っているように見え、最初の自分を偽る嘘をつけと言っているように見えてあまりいい気はしませんでした。

 ちょうどこの書類を書いた後くらいにまたてんかんの発作で体調悪くして2日くらい寝込みましたが、別にこの時に限るわけじゃありませんがてんかんで寝込んだ後は世界観が変わって見えることが多いのですが、ホンダ車に対しては魅力を全く感じなくなりました。逆にこの時から、「パジェロってかっこいいよなぁ」と、何故だか三菱車に対してやけに肩を持つようになり、今ではレースゲームでは三菱以外(たまにスバルインプレッサ)は一切使わなくなっています。ただこの時は知らなかったのですが、後にうちの親父も昔から三菱党だとわかり、意外と血は争えないもんだと思い現在に至ってます。

2012年2月2日木曜日

見ていて不快な広告



 いきなり画像からですが、この画像ことバナー広告はYahooメールでこのところよく出没します。はっきり言いますが見ていて非常に不快で、なんでメール確認するたびにこんな見ていて疲れてきそうな嫌な画像を見せてくるのか、広告主の味の素には腹が立ってきます。

 別にこれに限るわけじゃありませんが、私はかねてから日本の広告はそのデザインというか内容に問題がかなり多いような気がします。具体例を挙げると駅前などに多い消費者金融やラブホテルの広告などで、このほかにも周辺の建物や風景を全く無視した配色をする看板などが多いということは大きな問題な気がします。ただ広告が多いからと言ってもそれ自体は悪いわけじゃなく、たとえば私がこの前までいた香港も街中には果てしないくらいに広告が立っており、中にはビルの3階から路上へ突き出るようにして出ている看板もありましたが、私も友人も何故だかこれらの広告には不快感は感じませんでした。

 なんか疲れているので文章が荒れていますが、繰り返して言うと日本人はもっと景観を意識して広告を制限するなりなんなりした方がいいと思います。唯一というかそうした景観に対して非常に理解ある場所というのはほかならぬ京都市で、ここはマクドナルドの看板もほかの地域のように鮮やかな赤色ではなく、やや地味に抑えられた茶色にされております。また多分今もそうだとおもいますが八坂神社前のローソンも、恐らくあの場所で横文字なんて使うなと言われたのか店の前には「ローソン」と、カタカナでしかも縦書きで書かれた看板しかありません。それにもかかわらず昔信号待ちしてたら、「なんでこんな場所にあんなもんおるんや」とおっさんがぼやいてましたが。

 ただ京都ほど徹底しろとは言わないまでも子供や外国人も多く集まる駅前や駅構内に、あんな不快感満載の広告ばかりというのは本当にどうにかしてもらいたいです。敢えて名指しで指摘させてもらうと私の地元の千葉県松戸駅には、私が子供だった頃からソープランドを経営する角海老グループの広告が常に貼られております。私なんか無知な子供だった頃、「ねぇあの広告なに?」ってうっかりお袋に質問してしまってて、今となっては非常に恥ずかしい思いがします。っていうか松戸駅はあの意味不明なロータリーといい、もっとまじめに再開発しろよなぁ。

2012年2月1日水曜日

年収300万円が既婚率ボーダーの報道について

 昨日といい今日もブログに書く話題がなく、明日の仕事の準備しなきゃいけないのにどうしようかとちょっと焦っていました。そもそも仕事の準備するならブログを書かなくともいいような気もしますが。
 そんなわけでぼーっとネットをあれこれ見ていたら、ちょっと前に発見してじっくり読んだ上で取り上げようと思っていたYahooの「30代は生きづらいのか」の特集ページにて、ちょっと癇に障る記事があったのでよっしゃと思った次第です。

年収300万円が男性の結婚境界線?(No.361) 届かぬ非正規 対策急務に(東京新聞)

 この記事もさることながら、真面目に東京新聞こと中日新聞には自分が将軍様ならテポドンを打ち込みたいくらいに毛嫌いしております。それだけにこの記事の内容も、いやどっちかっていえば内閣府の調査もの記事なんだから中日新聞を批判してもしょうがないんだけど、ちょっと自分の立場もあるもんでなんかカチンと来る記事でした。
 記事の内容は見出し通りに、男性が結婚してるかしてないかは年収300万円以上であるか以下であるかで大きな差があるという内容です。該当箇所を引用すると、

「男性の年収と既婚率の関係では、二十代では三百万円未満が8・7%なのに対し、三百万円以上なら25~39%に上昇。三十代でも既婚率は、三百万円を境に変化していました。」

 真面目な議論をすると、これは内閣府か中日新聞かどちらを批判すればいいのかちょっと悩みますが、一見してこの調査結果は年齢という変数がどれくらい影響しているのか、というより年齢の影響度が低いということを立証せずには成り立たない主張をしているようにしか見えません。一応、「二十代でも三十代でも、年収三百万円以下は既婚率が低い」と言っていますが、そもそも論として日本人男性の平均初婚年齢は2010年調査で30.5歳です。また20代で今の給与構造だと年収300万円に届く層はあまり多くなく、この前も日テレ若手社員が年末に8万円のボーナス出すくらいならもっと昇給させろと主張したことが話題になったように、一流企業でも案外少ないんじゃないかという気がします。

 急いでいるのでやや飛ばし気味に書いていますが、要するに年収300万円以上の二十代人口はあまり多くないため、この調査結果は代表性があるのか深く疑問だと言いたいのです。逆に三十代だと300万円以下の層が何人いるのかとこちらでもまた疑問符が付くし、なんか元記事でも二十代は既婚率をパーセンテージでちゃんと出しているのに三十代は数字を出してない辺りにも作為的なものを感じます。
 第一、そんなに年収年収というのなら相関係数を出せばいいのにという気がしてなりません。バリマックス回転でもさせれば年齢と年収のどちらが相関度が高いかスパっと出るはずなのに、社会調査をなめているのかと内閣府はこの際無視して相手が中日新聞なので言っておきます。

 こんな感じでやや一方的な批判をまくしたてましたが、最初にも書いたようにちょっと自分の立場もあるのでイライラしてます。あまり不幸自慢をしてもしょうがないと思うものの、こういう数字を出すことで参考になる人もいるんじゃないかと思うのでこの際書いてしまいますが、現在の自分の年収は真面目な話、フルタイム就労ながら200万円を大きく切っています。明らかに逆恨みですが、たまにネットとかで「年収300万円も行かないことに悩んでいる」という話を見ると「なめてるんじゃねぇぞボケ(# ゚Д゚)カス!!」と本気で言いたくなります。
 もちろん望んで中国に来たんだし、現在の給与に納得した上で雇用契約を結んでいるので文句を言う筋合いではありませんが、3ヶ国語使って仕事してるのにさすがにこれはないよなぁと最近感じ始めてます(´Д⊂ヽ

 ただここで再び真面目な話をすると、こういう給与に甘んじなければ中国語を使う就労経験というキャリアが伸ばしづらいというのは間違いのない現実です。また上海で働いている自分と同年代の中国人は明らかに自分より少ない、下手すりゃ半分くらいの給与で働いており、中国人留学生からするとそりゃ日本で働こうとするのにハングリーさを持つよなという気もします。
 はっきり言っていくら中国での就労がブームになっているとはいえ、二十代で私のようにこっち来る人は明らかにレアです。ただこれからは否が応でも中国に就労経験を求めに来る日本の若者(中国語が使える、使えないは問わず)は増えそうですし、日系企業も日本人を中国で現地採用して、中国の一般的な給与を支払いながら日本国内勤務をさせるという逆上がり技をやってくるところも出てくるんじゃないかと思います。

 この記事は前半部と後半部で関係が少ない内容ですが、敢えて後半部を目立たせないような構成を心掛けてこうしてみました。最後に前半部の話に触れると、年収300万円以下か以上かでこう議論が出来るのはまだ日本が余裕ある証拠のようにしか今は思えません。