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2011年10月3日月曜日

資格乱発の現状について

 以前に友人から、通関士の資格を持っていると話を聞き、それならばインコタームズなど貿易事務についてわかるのと聞いたらその友人は素直に、「わからない」と答えました。恐らくこういったことは何もこの友人に限らず、資格を持ってこそすれども実際に業務に携わってない人間に共通することだと私は考えています。
 ご多分に漏れず私もその一人で、貿易に関しては「貿易実務検定C級」というかなりどうでもいい自己満足な資格を持っていてこれについてはクーリエ手配など一通りの業務を行う自信があるものの、同じく取得している「高圧ガス販売責任者一種」という資格についてははっきり言って全然活用できる自信がありません。黒いボンベには酸素、緑のボンベには二酸化炭素が入っていることくらいはわかりますが、そもそも瓶転がし自体をやったことがほとんどないし……。

 こうした現状を思うにつけ、そもそも資格というものは何のために存在するのか疑問に感じます。確かに高圧ガスなどといった危険物を取り扱う上では最低限の知識が必要でおいそれと誰にでも取り扱わせるべきではなく、ある程度の試験によって知識確認の必要性は感じるものの、結局は実務をやってるかやってないかの方が判断基準としてはずっと大きい気がします。また近年は資格乱発とも言っていい状況で、ちょっと今日はこの辺について一言書いておこうかと思います。

 そもそも何故一般業務における資格というものが存在するかですが、理由は大きく二つあって一つは業務遂行者の知識や技術を一定水準保障、確認するためで、もう一つは業務遂行者の職業を保護するためです。ある業務を行う上で資格が必要と義務付けることによって無資格者を締め出すことができ、有資格者の仕事口を保護できます。こう書くと聞こえは悪いですがたとえば市場が非常に狭い業界や仕事の場合ですと従事者の人数をコントロールしなければ全滅することとなってしまうので、それであれば成績順に仕事を確保するという考え方は個人的にありだと思います。ちなみに明治時代には社会上、必要性が高いものの採算がなかなか取れないもんだからジャーナリストの仕事を資格制にしようとする動きがあったそうですが、なんか凄い真面目に大きな勘違いしているようにしか思えない案です。

 今回ここで槍玉にあげたいのは最初の方の、知識や技術に関する理由です。確かに自動車や医師免許など、人の命や公益に大きく関わるものの場合は知識や技術が足りないものを振り落すという過程が必ず必要ですが、それ以外の大半の業務については八割方はいらないのでは、資格とせずとも届け出制にするだけでも事が足りるのではと私は考えています。先ほども言いましたが実際に各仕事を行えるかどうかは実務経験、言うなれば先輩の指導などを受けて関わったことがあるかどうかが重要で、テストを受けたかどうかではありません。
 そうはいっても高圧ガス関係の資格の中には毒ガスの取り扱い免許などもあって事はそう簡単じゃないということは重々承知ですが、こうして敢えて批判する形をとっているのは、資格制にすることで誰が一番得をするのかというとほかならぬ、資格試験を管理、運営する連中だからです。あまり表には出てきませんがこうした団体には独立行政法人など官僚の天下り団体が多く、しかも一つの試験で受験料、試験対策講座費、教材費、資格登録費などと多方面にわたって受験者から料金を徴収し、どう見たって必要以上に儲けているんじゃないかという気がしてなりません。払う方も払う方で、大抵会社が費用出してくれるのでためらいなく払うし。

 こうした不当な儲け方、言い方を強くすれば不必要なまでに資格取得熱を煽って利益誘導をしている団体例としては2009年に一挙に問題が発覚した漢検協会をよく代表例として使っていますが、実態的には漢検だけでなくもっとたくさんの団体で試験に関わる徴収料金を本来の目的用途の試験運営以外に現在も流用していると思います。さらにうがった見方をすれば、2000年代前半の就職氷河期時代に盛んに「資格があると就職に有利」と言われてきましたが、この背景にはマスコミへの資金の流れがあったのではと今思います。
 繰り返しになりますが資格があろうとなかろうと、仕事に必要な知識が必ずしも伴われているというわけじゃありません。下手に中間業者をのさばらせるくらいなら、いくつかの資格は届け出制にしてこの際つぶした方が世の中も回しやすいのではないかというのが今日の意見です。

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