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2011年6月22日水曜日

今年亡くなった二人の女性について

 今年に入ってすでに半年が過ぎ、いつまでも「あれ、今年って2010年じゃなかったっけ」と段々いえなくなってきました。このところ私は時間が経つのがやけに早く感じるのですが、これは年のせいというよりも現在の生活が充実しているゆえのいい傾向だと考えております。ただこれはまた別の機会にでも書いてみようかと思いますが、恐らく私と他の人とでは時間感覚がどこか異なっているように思われ、一年という時間に感じるものもなにか大きく違っているかもしれません。

 そうしたことはさておき、知らなかったわけじゃなくなんとなく取り上げはしませんでしたが、今年に入って著名な二人の女性が死去しました。そのうち一人は通称「マダム・ヌー」ことチャン・レ・スアンです。知っている方には早いですが彼女は今は存在しない国家である南ベトナムにおける初代大統領、ゴ・ディン・ジエムの実弟の妻だった女性で、恐らくゴ・ディン・ジエムや夫以上に有名だった女性です。
 詳しくは関連するサイトを見てもらいたいのですが、ゴ・ディン・ジエム大統領は熱心なカトリック教徒だったことから在任中に国内の仏教徒を激しく迫害していました。それに対しある僧が抗議のために焼身自殺を行ったところ、「あんなのは単なる人間バーベキューよ」と発言し、世界中から多大な顰蹙を買いました。一説によるとこの発言を受け、遅々として好転しないベトナムの状況に苛立っていたアメリカのケネディ大統領はゴ・ディン・ジエムの暗殺を決意したと言われております。この辺は50代以上のうちの世代には話が早いですが、その後CIAの援助を受けた軍がクーデターを起こし、ゴ・ディン・ジエムとマダム・ヌーの弟を殺害してベトナム戦争は泥沼化するわけですが、マダム・ヌーはこのクーデターから逃れた後は海外を転々とし、今年四月二十四日にイタリアで死去したそうです。

 このマダム・ヌーも噴飯物の人物ですが、それ以上に私にとって、その死去が腹立たしいというかやりきれない思いをさせられるのは下記の人物です。

永田洋子(Wikipedia)

 この人も、知っている人なら話が早いでしょう。昨日あんな記事書いておきながらあえてこの言葉を使いますが極左グループである連合赤軍の元幹部で、あさま山荘事件につながる山岳ベース事件を引き起こした張本人の一人です。

連合赤軍あさま山荘事件
連合赤軍リンチ事件(=山岳ベース事件)
(どちらもオワリナキアクムより)

 永田洋子はあさま山荘事件には関わってはおりませんが、山岳ベース事件では主導者の一人として妊娠八ヶ月だった女性を含む合計12人を筆舌に尽くし難い暴行の上に死に追いやっております。
 私は小学生くらいの頃からあさま山荘事件についてはテレビの特集か何かをつてに知っていましたが(何気に名前を知ったのは「ちびまるこちゃん」からだったが)、この山岳ベース事件についてはおぼろげに親から話には聞いていたものの、詳細については大学生になってから初めて知りました。改めて考えてみると、内容が内容だけにテレビなどでは恐らく今後は一切取り上げられないのではないかと思います。

 これも詳細についてはリンク先などを確認してもらいたいのですが、簡単に言うと社会主義思想を持った十代から二十代の若者らが革命を成し遂げるためなどとほざき戦闘訓練のため山中に仲良く潜伏したところ、やれ態度が悪いとか決意が足りないなどと難癖をつけては集団で暴行し、いわゆる内ゲバというもので次々と仲間を殺害していったという事件です。この事件は数ある内ゲバ事件の中でも関係者が数多く存命してそれぞれが証言を行っていることから、特別と言っていいほどに詳細についてもすでにわかっております。それら事件の詳細を眺めた上の私の意見だと、やはりこの永田が逮捕後に獄中自殺をした森恒夫とともに殺害を主導しており、どちらか片方さえ存在しなければこの事件は起こらなかったのではないかと思わせられます。

 逮捕後に永田はこの事件を起こした理由について、社会主義を掲げる組織が持つ特徴に起因する構造的問題からだなどとあれこれほざいていたようですが、確かに冷戦期の中国とソ連みたいに社会主義者(人類全般に当てはまるかもしれないが)は大きな差よりも小さな差にこだわる同属嫌悪が激しい傾向があることにはうなずけるものの、あれだけ無茶苦茶なことしておきながら小難しいこと言えば許されるとでも思ってるのかという感想を私は持ちました。私は社会学出身ということもあって人間というのはほとんど個性は存在せず、枠を与えられたらその枠にはまるように行動する生物だという考えがベースに存在しますが、この山岳ベース事件についてはやや卑怯ですが別格で、最終的には犯人らの個人的資質によるところが多いように思います。

 ただそれにしてもこの事件は詳細を追えば追うほど、当時の極端な社会主義者達は中国の偉かった人たち同様に自分が考えたことは必ずその通りになる、現実に適用できると何の疑いもなく信じ込む傾向を強く感じます。それゆえに社会主義はやれ教条的だなどと言われ私も実際にその通りだと思うのですが、連中の面倒くさいところは思い通りに行かなかったら何でもかんでも暴力で解決しようとするところで、最近のイスラム過激派とどこか被るところがあるのではとこの頃考えてます。
 かくいう私も高校生くらいの頃は変に政治に興味を持ち出してわかった振りをしてはああすれば景気はよくなるなどとほざいてましたが、ある人物から仮にその通りに実行して思い通りにうまくいかなかったらどう責任を取るんだと言われてからはやや落ち着き、計画性と実現性について必ず検討するようになり多少の慎重さを身につけるようになりました。この事件の犯人らはリンチして殺害した相手に自己批判を求めていましたが、彼ら自身は自分を疑うことはなかったのだろうなという点で、今の自分とは違うように感じます。

 この永田洋子は今年二月五日に獄中でかねてから罹患していた病気で死去したそうです。少なくともネットニュースではみませんでしたが、当時の日本のテレビメディアなどではどのように報じられていたのか少し興味があります。どちらにしろ、これしかないとは思うもののどうにも承服し難い死ですが。

 今回この記事を書こうと思ったきっかけはかつては見上げるだけだった事件当時の犯人らの年齢を追い越すようになり、今の自分の年齢くらいで殺害し、殺害された人物らを再考してみようと思い調べなおしたことからでした。同時代に生きていないから共感できないのだろうと言われてしまえばおしまいですが、少なくとも今の自分はこういう連中にだけはなりたくないし、こういう連中を生かしておいてはいけないという考え方をしています。
 最後に今この記事を読んでいる方で、20代くらいでまだ詳細について知らない方はぜひリンク先などでこの事件を調べてほしいと思います。ただの歴史の一事件として片付けられても仕方ありませんが、一部の関係者はまだ存命していることを考えると現代の人間はまだ認知しておく必要があるように感じるからです。

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