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2010年12月30日木曜日

日本の司法が変わった年

 自分は見ていないのですが、友人が先日日本で放送されたタレントのビートたけし氏が司会する今年を振り返る番組で死刑制度が取り上げられてなかなか興味深い内容だったそうです。死刑制度については二年前に鳩山邦夫氏が法務大臣だった頃にそれまでなかなか執行されなかった案件を一挙に処理したことから朝日新聞に死神呼ばわりされましたが、この前もインタビューにて鳩山邦夫氏は大量執行したことに後悔はなく、むしろもっと執行命令を出すべきだったと息巻いていました。
 ただこうした死刑の問題以上に、今年はいろんな面で日本の司法が大いに変革を迫られた年だったように思えます。恐らく今後語られる日本の司法史において、このに、三年間は大きな転換の年として取り扱われるのではないかと早くも私は予想しています。

 具体的にどのような点で変革が起きたのかを挙げるとすれば、まず筆頭となるのは裁判員裁判でしょう。開始前でこそ適正に裁判が行われるのか、秘密やプライバシーなどは守れるのか、法律知識のない一般人に何が出来るなどと非難轟々ではありましたが、いざ実際に始まってみると思ってた以上に裁判員に選ばれた方々が真摯に裁判に対応し、また裁判所など司法側も法律知識の少ない裁判員にも理解してもらうためそれまで難解な法律用語を飛び交わせて専門家同士にしか通じない議論だったものを平易な言葉に切りかえ、裁判員のみならず傍聴者、または当事者である被告や原告にも内容が伝わりやすくなったそうです。

 裁判員裁判は去年から始まりましたが今年には早くも大きな節目があり、数件の裁判において死刑判決が議決されました。最初に裁判員裁判で死刑判決が下りた裁判では判決後に裁判長が被告に対し控訴を促すという前代未聞の発言があり各所で批判がありましたが、私は逆にこのときの裁判官のこの発言を高く評価しております。
 普通に考えれば中立を保つべき裁判官がこのように被告に控訴を促すというのは許されないことですが、仮に裁判員裁判の一審にて刑が確定した場合、裁判員らがその被告に直接死刑を議決して死に追いやったと心的負担を抱えることが大いに予想され、結果は同じだとしても裁判員の負担を考えるなら二審、三審で刑が確定させるべきだろうと私も思います。実際に死刑判決に関わる裁判に関わった裁判員らは会見などで強いストレスがあり、死刑に関わる裁判は専門の裁判官のみがやるべきではとも発言しています。

 こうした制度面での変革の一方、司法のあり方というか存在意義についても今年は大いに議論というか事件が起こりました。まずその前兆とも呼べるのは去年に起きた足利事件における菅谷さんの冤罪発覚事件で警察の捜査はもとより裁判において菅谷さんが無罪を主張していたにもかかわらずどうして見抜けなかったのかと、それ以前から一部で批判が起きていた国策操作などとあいまって司法への国民の信頼が大きく揺らいだ事件となりました。

 そんな中で起きたのが今年の郵便不正事件裁判における村木さんの裁判で、言うまでもありませんがこの事件では村木さんが無実だと明らかにわかっていたにもかかわらず検事が証拠を偽造し、無理やり罪に落とそうとしたという前代未聞の不祥事が発覚しました。この事件では証拠偽造を直接行い逮捕された前田容疑者に続き、村木さんの事情聴取を行った国井検事についても検察官適格審査会において罷免すべきかどうかが議論されていますが、前に見た村木さんのインタビューによるとこの国井検事は全く村木さんの話を聞かないばかりか暴言も多く、文面から村木さんが相当に怒りをもっていた人物なのだろうという印象を受けました。
 この証拠偽造事件を受けてか早くも各所で影響が出ていると思える事例があり、どこかの刑事裁判では警察による被告が自白を行ったという主張に対して裁判所側が自白は強要によるものとして退けたり、警察の要請を拒否して検察が立件を見送るなど司法側が捜査に対して慎重になっている節があります。

 私としてはかねがね日本の司法に疑問を持っていたので、ここ最近の事件などによるこのような影響を歓迎して見ています。また市民も司法に対して注目をするようになり、司法の壁というか閉じきった変な世界が徐々に開かれてきているようにも思えます。
 今、立法府においては小沢氏の裏金疑惑が訴状に上っておりますが、行政を含めて三権がきちんと機能するためには司法が独立性と正当性を保たねばなりません。今後も司法改革というか清浄化がいっそう進むことを切に願います。

 スカイプチャットしながら書いたから、えらく時間かかったな。

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