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2010年9月4日土曜日

阿波踊りに人生を賭した家老

 阿波踊りと言えば徳島県の名物として全国的にも有名な踊りですが、その起源については確証がないものの江戸時代初期、豊臣秀吉の片腕であった蜂須賀正勝の息子、蜂須賀家政が開いた徳島藩の時代に成立したと言われております。阿波踊りは成立した当初から徳島藩内で大いに親しまれたものの、年を追って熱狂さを帯びてきたために暴動につながらないように徳島藩では藩内の武士に対しては外に出ず、屋敷内で踊るようにと布令を出していました。
 しかし十九世紀のある年、この禁令を破ってまで阿波踊りを踊った武士がいました。その武士の名は蜂須賀直孝といって、名前からも分かるとおりに藩主蜂須賀一族に連なる家老職にある人物でした。

 この蜂須賀直孝は家老という要職にありながら藩の命令を無視して群衆に混じり、阿波踊りに興じたのですが、家老であったゆえに顔がすぐに割れて連行されてしまってそのまま座敷牢へと入れられることとなりました。しかし直孝はこれに全く懲りてなかったのか、なんとその一年後の阿波踊りシーズンに入るや座敷牢を抜け出し、再び群集に混じって阿波踊りに興じたそうです。
 この直孝の二度の重大な法令違反には藩主もさすがに激怒し、参勤交代から戻るや直孝を追放したうえで改易(後に養子による相続は認めている)という厳罰で以って処分しています。

 この話は実業之日本社から出ている、大石慎三郎氏監修の「江戸大名 知れば知るほど」に載せられている話ですが、数ある載せられている話の中でも特に印象に残ったエピソードです。徳島の人にとって阿波踊りはなくてはならないものとよく聞きますが、わざわざ家老職を捨ててまでも踊りたいと思った人がいたとは驚くと共に非常に面白いです。

 ちなみに以前に私は阿波踊りのある徳島県出身の友人、よさこい踊りのある高知県出身の友人がいましたが、彼らに双方の踊りについて感想を求めると、

徳島「(よさこい踊りは)あんなん、ただ動きまわっとるだけの下品な踊りやろが (#゚Д゚)」
高知「(阿波踊りは)あんなん、スローすぎて止まっとるやろが(#゚Д゚)」

 やはりというかなんとなくそういう気がしてましたが、お互いに自分の踊りにプライドがあるらしくてあまり徳島の人と高知の人は引き合わせない方がいいとこの時実感しました。なお高知の友人によると、高知ではよさこい踊りからちょうど一ヵ月に中絶手術が集中するそうです(/ω\)

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