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2010年7月4日日曜日

長い文章を書けるようになるには

 よく人から毎日のように更新されるこのブログについて、「どうしてああも長い文章を毎日書けるの?」と聞かれます。実際に自分でもブログを始めた当初に想定していた以上に現在のこのブログは更新数も多ければ一回の記事辺りの文章も長く、まさかここまで書くことになるとは思ってもいませんでしたが、ブログを始める以前からも長い文章は比較的よく書いておりました。
 一番代表的なのはこのブログでも公開した「北京留学記」で、これは留学から帰国して半年後くらいにまとめて書いて中国語の恩師などへ報告書の形で贈りました。この留学記のように旅行などから帰ってくると備忘録の意味を込め、あらかじめ人に見せる事を前提にしてまとまった文章を書いてました。

 それで一体どうすればこれだけ長々と文章書けるようになるのかですが、結論から言えば練習あるのみで、それまでにどれだけの量の文章を書いてきたのかで全部決まると思います。

 私の場合、中学生の頃から小説を書くようになりましたが、お世辞にも当時は文章が上手いとは言えず、確か400字詰め原稿用紙を20枚くらい書いた所で一つの話を書き終えていたと思います。しかし人間書き続けていればなんとやらで、各回数を重ねるごとにこの枚数は飛躍的に増えて行き、確か15歳の頃には一本の小説で原稿用紙100枚はざらで、新人賞に投稿したのになると300枚は行っていました。やっぱり自分でも一本で100枚を超える小説を作った時にはなにか壁みたいなのを破ったような気がして、それ以前とそれ以後で表現の技術やら段落の運び方などで大きな差が出来たように思います。

 その後高校進学後も小説は書いておりましたが、その頃になると小説より現在このブログでやっているような社会批評など、何かしら題材を取って解説したり意見を述べるルポのような文章を書くことの方が好きになっていき、ただ長い文章量の小説を書いていた頃と比べて短くとも内容にこだわる文章を心がけるようになって行きました。今思うと、いい時期に目指すべき文章の方向性を変えた気がします。

 そして大学進学後、この頃はそれまでと打って変わって文章を書く機会がめっきり減りました。最初でこそ一人同人誌(雑誌名は確か「出来心」)を作るなどしてやる気十分だったのですが、一人で活動する寂しさに加え、何かを発信しようとするよりもまずは発信する中身を鍛え上げねばと大学で勉強していて感じるようになったのが原因で、確か一人同人誌は三回出して終わりました。見せていたのも、近所の友人だけだったし。

 そんなわけで代学在学中は文章をあまり書かず、このブログを始めてからまたどえらい量の文章を書くようになったのですが、最初に書いたように自分でも思っていた以上に書き続けてきており、ブランクとかそういった物は感じた事はありません。大学受験での国語の能力は数学と違って落ちにくいと予備校の講師から聞かされておりましたが、文章を書く技術と言うのも案外その類に洩れず、それこそ一度鍛えたらずっと身についてくれる物なのかもしれません。

 たまにどうすれば文章が上手くなれる、長く書けるようになれるかといった質問を受けることがありますが、多分人から教わるよりも自分で小説でも日記でも何でもいいから書き続ける事が一番早道だと思います。ちなみにきれいな文章を書くためには文豪の小説なんかはたくさん読めばいいという人もいますが、少なくとも私に限れば人に言うのも恥ずかしいくらいこの手の読書量は少ないです。決して文豪の小説を読むのが悪いというわけではありませんが、書くんだったら読むよりも書いているほうがいいんじゃないかと、いい訳がましく考えております。

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