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2010年6月7日月曜日

大原騒動と悪代官 後編

 前編中編と続いてようやく最後の後編です。結構ちんたら書いたもんだ。
 さて前回の中編では散々悪知恵働かした大原紹正が不幸な最後を遂げたもののその息子の大原正純が郡代職を継ぎ、父親と変わらぬ圧政を続けた所まで解説しました。

 具体的に息子の大原正純はどんな事をしたかですが、彼がまず最初に行って反感を勝ったのは災害対策金の着服でした。1783年、この年に浅間山が噴火した事により「天命の代飢饉」と呼ばれるほどの大不作となったのですが、幕府としてもただ手をこまねくわけにもいかず、飛騨高山にも1600両の救済金が配られる予定でした。ところがこのお金を大原正純は何を思ったか、救済金を得るために献金活動で金を使ったからそのままもらうといって、なんと一銭も農民に配りませんでした。それどころか財政がよくないとして、村々に対して一条金、今で言う地方国債のような拠出金を6000両も出すように命じたのです。
 これには前回、前々回の明和、安永騒動でこっぴどくやられた農民らも黙ってはおられず、代表者を数人決めて江戸に直訴するべく動き出したのです。

 すでにこの時期には十代将軍家治が亡くなっており、それに伴って権勢を振るっていた田沼意次も失脚しておりました。その田沼のかわりに老中主座についていたのは後に「寛政の改革」の指導者として名を挙げた松平定信で、飛騨高山の農民も清廉さに定評のある彼に訴えでました。
 この訴えを受けた松平定信は早速郡代の下の元締職である田中要介を江戸に呼び出して取調べを始めたのですが、この農民側の動きに対して焦りを覚えた郡代の大原正純はあらかじめ手を打とうと、国内の主だった農民指導者の逮捕に動き出すのでした。

 この大原正純の動きに気づくや農民らも各地に身を隠し、将軍の代替わり毎に全国各地を視察して問題がないかを調べる巡検使、比留間助左衛門と密かに接触し、群題のこれまでの悪行を訴え出たのです。先の松平定信への訴えもあったことから比留間も農民の話をよく聞き、その噂を聞いた他の村々からも次々と同じような訴えが集まりここに至って大原正純は追い詰められていったのでした。
 さらに農民側は念には念と、登城途中の松平定信に対して訴状の直訴(駕籠訴)まで行いました。明治時代もそうでしたが、この時代の直訴は重罰で、死罪さえもままおりる様な行為でしたがそれでも飛騨高山の農民らは実行したのでした。

 こうした農民側の訴えが功を奏し、すでに取調べを受けていた元締の田中要介は打ち首、そして大原正純は八丈島へ流罪という判決が下りたのです。更に松平定信に直訴した農民らは「おしかり」という、今で言うなら訓戒という最も軽い罰で止まり、取調べ中に牢死した者以外らはすべて軽い罪で許されたそうです。

 ちなみにWikipediaでこの「大原騒動」を見ると駕籠訴を行った農民には死罪が下りたという風に記述されていますが、私の持っている資料、所詮は歴史漫画ですがこちらでは上記のように「おしかり」で済んだと書かれており矛盾しております。そこでちょっと調べて見た所、ここの高山市立南小が恐らく総合学習でまとめたのであろうこの騒動の顛末記では、私の資料同様に駕籠訴をした二人は「おしかり」だったと書かれています。ま、もうちょっと検証しないとはっきりしませんが。

 今日ここで紹介した騒動は「天明騒動」と呼ばれ、前編の「明和騒動」、中編の「安永騒動」と三つ合わせて「大原騒動」と定義されております。

 最近はそうでもないですが十年位前に出ている学者らが書いた本などを読むと、「日本や中国、ロシアやドイツでは英米と違い、伝統的に政治支配階級が強権を振るって庶民らをいじめ続けた歴史がある(だからファシズムのような全体主義がはびこった)」という記述がさも当たり前かのように色んな本に書かれていますが、私はやはりこのような意見は偏見に満ちた意見だと考えております。
 確かに江戸時代初期は支配階級である武士の力が社会でも非常に強かったですが、中期以降ではどの武士も借金漬けで町人より力がなく、また差別されていじめられっぱなしだったと言われる農民も幕末にやってきた欧米人の手記などを読むと、彼ら欧米のどの国々の農民よりも日本の農民は豊かで幸せそうに暮らしていると完全に一致した見解が持たれております。

 今回三回に分けて紹介したこの大原騒動ですが、確かに悪代官が悪辣な手段で農民をいじめる話ではあるものの、見るべき者(今回は松平定信)が見て、最後には裁かれるべき者が裁かれる結末で終わっております。水戸黄門や暴れん坊将軍がズバっと現れズバっと悪人斬って一挙に解決とまでは行きませんが、粘り強い農民の努力もあったとはいえ、世の中にもまだ救いがあると思える話だと思えます。

  参考資料
「まんが人物日本の歴史2 徳川将軍と庶民」 小学館 1992年出版

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