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2010年5月5日水曜日

戦前の日本人の天皇観について

 本当かどうかは知りませんが、太平洋戦争中、捕虜となった日本兵をからかってやろうとアメリカ兵がこんな事を言ったそうです。

米兵「お前ら、ダーウィンの進化論ってのを知っているか? ダーウィンによるとお前らが神様と崇めている天皇もサルから進化したんだってよ( ゚∀゚)」
日本兵「それくらい知ってるよ。で、それがどうかしたの?(・д・` )」
米兵「あれっ?( ゚д゚)」

 恐らく米兵としては、日本人が神様、もしくは神様の子孫と崇めている対象が下等生物とみなしているサルから進化したのだと言われると、日本人は馬鹿にされてカチンと来るか相当なショックを受けるだろうと考えていたのだと思います。しかし言われた日本人はそんな当たり前のことを何を今更といった様に受け取った、というのがこのお話ですが、多分実際に会話があったとしてもこういうことになったんじゃないかと私も思います。

 戦前、日本は極端な皇民化教育が行われてそれまでの日本史上においても極めて高いレベルにまで天皇の神格化もはかられていましたが、私は終戦後のマッカーサーを初めとしたGHQによる大転換があれほどスムーズに行われたことを考えると、口では激しく天皇の神性を述べながらも、日本人は内心では天皇も自分たちと同じ人間だと認識していたように思えます。一時期に外国人からよく日本人のわからないところとして、口で言っていることと心に思っていることが一致していないというものがありましたが、私は戦前の天皇観も日本人お得意の本音と建前がきちんと分けられていたのではないかと考えています。

 このような日本人の面従腹背というような態度は日本に限らず中国などといった東アジア圏ではよく見られますが、欧米人からしたらなかなかに理解できない態度なのかもしれません。またそもそもアメリカでは今に至るまでダーウィンの進化論に懐疑的で、公教育で教えるべきかどうかについて激しく議論されるほどだそうです。

 話は戻り戦前の日本人の天皇観ですが、私は現代で一般的に思われている以上に当時の日本人はクールに捉えていたように思えます。また天皇制を熱烈に信奉していたとされる旧陸軍幹部や右翼活動家らも、実際には天皇制を最も軽視していたのではないかと思われる節があります。

 最近は右翼活動をしても寄付金が集まらなくなって街宣車なども見なくなるほど右翼活動家もなりを潜めるようになったため、こうした戦時の歴史についてもかなりきわどい所まで調べる事が出来るようになりましたが、最近の研究だと天皇制を最も信奉して忠実であったと思われていた陸軍がどのように天皇制を見ていたかについて徐々に明らかになってきました。

 結論から言うと陸軍は戦時中、天皇制の維持以上に陸軍という組織の維持に腐心していた節があり、昭和天皇がもし独断で終戦工作に動こうものなら無理矢理取り除いて天皇の弟(第一候補は秩父宮)の中から新たに天皇を立ててでも戦争を継続しようという、なんというか本末転倒のような計画までも持っていたそうです。
 こうした状況である事は昭和天皇を含め天皇の周りにいる侍従らも理解しており、迂闊に終戦工作を行おうものならクーデターを起こされるとの認識があり、あの鈴木貫太郎内閣の御前会議へとつながったのかと思います。

 なお余談ですが、戦後初めて自民党を下野させる事に成功した細川護煕元首相の父親である細川護貞氏はまさにこの戦時中に昭和天皇の侍従を務めており、当時の状況を「細川日記」にて詳細に記しております。その日記によると、悪化する戦局にも関わらず依然と戦争を継続しようとする東条英機に対し、「もはや東条を刺殺するより他がない」と言ったものの同じ侍従の木戸幸一に滅多な事を言うなと口止めされ、部屋を出た途端に足ががくがくと震えてきたと記しております。
 更についでに書くと、息子の護煕氏が総理就任時にインタビューを求められ、「息子は飽きっぽい性格だから長続きしないだろう」と述べているあたり、観察眼のある人だったのだろうという気がします。

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