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2009年12月1日火曜日

エリート教育は必要なのか

 リンク相手のSophieさんの「フランスの日々」にて昨日、「フランスで将来リーダーになる運命を感じて成長する人たち」という、フランスにおけるエリート教育について解説されている記事がアップされました。大まかな内容を私の解釈で述べると、フランスでのエリート教育の場であるグランゼコールの社会的価値と一般人の評価、そしてグランゼコール出身者のその後の人生の歩み方について書かれてあります。
 この記事の中では日本とフランスのエリート教育の違いについても簡単に触れられているのですが、ちょうどこの辺りの記事を書こうと思っていた矢先なので便乗する形で、日本でエリート教育は必要なのかどうかについて私の考えを紹介しようと思います。

 まずいきなりなんですが、私はつい三ヶ月前までエリート教育はやはり世の中に必要なのではないかと考えておりました。何故そう考えたのかというとこれまで私が生きてきた経験から、基本的に仕事というのはよっぽど特殊なものでない限りは誰がどんな仕事をやるかというより、どれだけその仕事をやってきたのかによって能率や成功率が決まるように思えてきたからです。これは単純に言い換えるなら「理論より経験」、「Don't think, feel(#゚Д゚) !!(考えるな、感じろ)」、のようなもので、陶芸などの伝統工芸からオフィスでのデスクワークに至るまで、それぞれの作業系統ごとに理論知より経験知の方が仕事に及ぼす影響力が高いのではないかというわけです。

 仮にもしこの通りに個人の資質以上に経験が作業の効率に影響を与えるのであれば、下手に作業をころころ変えるよりも自分が生涯をかけて専門とする仕事に若いうちから携わるに越した事はなく、非常に高い能力や専門性が求められる上になかなか経験を積み辛い経営者や政治家といったリーダー職には少しでも個人的資質の高いエリートに絞って経験させ、育てるべきではないかと私は考えたわけです。

 はっきり言って同じ会社の仕事でも一般事務と経営ではあまりにも仕事内容に繋がりが薄く、やるだけ全く無駄というわけではありませんが、その会社を将来背負って立つような人材を作るのであれば早くから経営に関わる仕事をやらせるべきかと思っていたわけです。
 現に欧米、特にSophieさんの取り上げたフランスや階級社会のイギリスではこの傾向が非常に強く、出身大学や専門性によって入社時から社員同士に待遇面や責任範囲において大きな差があり、その差は時間とともにますます開いていくとまで言われております。

 しかしここまで読んでもらえばもう想像はつくでしょうが、現時点で私はこのようなエリート教育論が何が何でも悪いとまでは言うわけではありませんが、従来の日本の入社時のスタートラインは同じという平等なシステムも負けてはいないように考えております。もちろんこちらも、何が何でもいいと言うつもりはありませんが。

 何故このように立場を三ヶ月前に変えるようになったのかというと、ちょうどその頃このエリート教育の必要性についてあれこれ考えている時に恩師に会い、この件について尋ねてみると次のようなエピソードを教えてくれました。

「昔の日本の会社は高卒だろうが東大卒だろうが新入社員はみんな底辺の仕事からやらされていました。国鉄などは典型で、切符切りから信号係などいわゆるブルーカラー系の仕事を主にやらせていました。
 確かにこのような仕事は一見すると将来出世して経営者となる人物が担う仕事と無縁そうに見えますが、私が以前に会ったある会社の社長は一番最初に会社のクレーム担当の仕事をやらされたそうで、そのときにいろんな会社からクレームを受けて対応していた事でどのような事態が起きると大問題に発展するのか、どの取引先が口うるさくてどの取引先が自社にとって大口なのかなどと、社長となるのに必要な知識を実際に社長になった時点で始めから持ち合わせていたそうです」

 こう踏まえた上で先生は、末端の仕事というものは実際には経営知識の宝庫のような場所で、たとえ短い期間でもそういった仕事に触れる事が将来経営者になる上でも非常に重要だと私に教えてくれました。

 この先生の話を聞いた後に自分でも改めてこの件について考えてみたのですが、考えれば考えるほど会社の末端として働く重要性の方がエリート教育よりも必要性が高いのではと思い直すようになってきました。先生の言われる現場にある経営知識はもとより、私が独自に着目したのは近年の企業が起こした事件や事故の原因でした。

 近年に起こった企業の事件や事故は様々ですが、それらがどうして起きたかという根本的原因を探っていくとそのどれもが経営陣による現場の声の無視が大きな要因となっている例が非常に多く思えます。かつての三菱ふそうの欠陥車問題など、現場では問題だと報告されていた事実が上層部によって無視、もしくは黙殺をされたことで大問題に発展してしまったケースが多々あり、こうした例を見ていてよく思うのは青島刑事じゃないけど、「作業は現場でやってるんだ、社長室じゃない!」と思うくらいの現場作業員と経営陣の意思疎通の乖離です。

 この現場と経営の乖離ですが、すでに今の日本でも大分起きちゃっていますが欧米のようなエリート教育やシステムでエリートが始めから経営の側で仕事をするとなると、ますますこの乖離が大きくなるのではないかという気がします。逆を言えば末端からスタートさせる昔の日本の教育システムにて現場と経営の双方の立場を経験させる事で会社全体を見渡せる人材を作れるのであれば、それは欧米のエリート教育で生まれる経営技術に特化した人材にも決して引けを取らないのではないかとも思います。
 無論社長や役員といったポストは限られているので、スタートラインは一緒ながらも中年に差し掛かる頃からは徐々に育てる人材を絞る必要はあるとは思いますが、それでも最初に新入社員全員が末端の仕事に就くという価値は計り知れないでしょう。

 近年は日本の企業でも入社時の差別化が進んでいると言われており、先程挙げた国鉄こと現JRでも駅職員はバイトの人員がやることが増えてきましたが、初心に帰って末端の現場を社員に体験させるのも一考かと思います。ただ体験するのは新入社員よりも、社長や役員といった人の方が初心に変える意味では価値が高いかもしれません。JRの社長がラッシュ時の乗員を押し込める仕事やるとしたらいろいろと面白そうだけど。

 ただ一つ残念なのは、恐らく新入社員時代にそのような末端の仕事をやっていたであろう現JR西日本の経営陣による、福知山線脱線事故の対応は事故報告書作成の委員を買収しようとするなどあまりにも一般感覚とずれたものばかりで、経験したとはいえ何十年も立てば現場のことなんてわからなくなるものなのかと自信をなくしてしまいます。
 その一方、不況で人員調整が難しかった事から今年のトヨタは創業以来初めて大卒新入社員を一時工場のラインに並べたそうです。これらの社員が将来大活躍してくれれば、私も多少は自信を持ち直すのですが。

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