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2009年12月31日木曜日

北京留学記~その三一、帰国後

 どうにかこうにかでこの北京留学記も最後の記事です。
 約一年間の留学を終えて私が日本に帰ってきたのは2006年7月15日でした。成田空港に着く前には何か感慨などがあるかと思いましたが実際に何もなく、帰国して三日目には早くも京都へ向かって新たな下宿を探しに行くなど忙しかったのを憶えています。
 その後旧知の知り会いとなどと会うと毎回の如く聞かれたのは中国における反日運動についてで、日本人もこういうところが一番期になっているのだと言う気がしました。

 留学以前と以後で自分に起こった変化といわれると、まず真っ先に思い浮かぶのは相撲を見るようになった点でしょう。留学以前は全く相撲など見ることのなかった私が今や場所のある時期はテレビにくっついて取り組みを確認し、実際に国技館にも足を運ぶほどとなってしまいました。
 そうした相撲というような趣味が広がる変化の一方、あまりよくない変化と言えるのは昼寝の習慣です。一日の過ごし方のところで触れていますが、授業が午前で終わるものだから毎日午後は昼寝をする癖がつき、現在に至っても休日は二時から三時くらいまでは昼寝をするようになっております。いくら昼寝をしても、夜も眠れるというのだからなぁ……。

 こうした点を踏まえてこの私の中国への留学を振り返ると、この時期に留学をしたということをなによりも強く感じます。ちょうど中国語の需要が高まっていく中、日本の中で中国の存在感が高まっていく中、そして北京オリンピックが行われる前のあの時期に留学を行ったと言う事は、恐らく後年になればなるほど価値が高まるような気がします。現在の所私は直接的に中国と関わる事はまだ少ないですが、これもまた今後の話となるとわからず、また中国と関わる環境に変わることがあれば、この時期に留学をしたものゆえの感覚のようなものがはっきりと出てくるのではないかと思います。

 最後に、これはあくまで私の感覚なのですが、私は今に至るまで2005ねんと2006年の区別が曖昧なところがあります。ちょうどこの二つの年に跨って留学を行ったが故というか、2006年のサッカーWカップが2005年にあった日本の事件らと時間的に一致しているとよく誤解する事があります。
 一体何故この様な感覚になったのか、結論を言えば私が中国に行った一年間という時間がそのまま日本で生まれ育って生活した時間とは独立して存在しているのが原因かと思われます。この様に考えた事がきっかけとなり、もう随分と放置している「時間の概念」の連載にて話している話題につながってくるわけです。

2009年12月28日月曜日

曹操の墓、ついに判明か!?

 さりげなく昨日から私のブログにもよくコメントをくれているサカタさんのブログ、「毘沙門道」とリンクを結びました。もしよければ私のブログ同様にご贔屓の程をよろしくお願いします。
 それにしても、「毘沙門道」の検索でちゃんと引っかかってくれたが、多分内容を誤解して入ってくる人が多そうなブログ名です。

 さてそれでは本題ですが、日本の一部のメディアでも報じられていましたが先日中国において三国志の登場人物である曹操の墓がついに見つかったというニュースが流れました。この曹操は私も前に記事で書きましたが三国志のもう一人の主人公とも言うべき人物で、日本人の間ではこちらも人気な織田信長のイメージと被るのか人気面では本来の主人公の劉備を凌いでおります。ちなみに昔光栄が出していた「ゲームパラダイス」という雑誌でのアンケートでは、趙雲、諸葛亮、曹操という人気順でした。

 それで今日、ちょっとよからぬ企みをこのところしていて中国のニュースサイトを眺めていた所、現地中国でこのニュースが大きく取り上げられているのを偶然見つけ、折角なので今日はプロフィールに偽りがないということを一つ示すために、中国語で書かれたこのニュース記事を翻訳してご紹介しようと思います。

曹操墓现安阳可能藏其遗骨

 本日取り上げるのは「上海青年報」の記事で、早速如何に記事の翻訳文を載せていきます。


  一代の梟雄、曹操の墓はどこにあるのか。
 曹操の墓の場所を巡る1700年にも渡るこの謎に対し、河南省安陽県に駐在する考古学者らがついに特定ができたと昨日発表した。

 曹操の墓とされる墓所の構造は甲字型で、西から東に向くように作られている。規模は大きく構造は複雑で、前後に部屋があるだけでなく左右にも四つ設けられている。墓を貫く坂道は長さ39.5メートル、幅9.8メートルで、最深部は地表から15メートルも距離があり、発掘隊の隊長はこれほど広大な墓所は始めてみたと語っている。
 墓所は幾度か盗掘された跡があるものの、今回いくつか重要な副葬品が発見された。出土した土器は250個あまりとなり、多種多様の素材から様々な工芸品が見つかったが、何よりも銘の刻まれた石碑と遺骨が見つかったことが今回大きな発見であった。

 出土した銘のある石碑は59枚あり、長方形をしており銘文には副葬品の名称と数量が書かれていた。そのうち八枚の石碑には「魏武王常所用格虎大戟」と書かれており、かつてこの墓より盗掘されたとされる石枕の上にも「魏武王常所用慰项石」と書かれていることから相通じる内容であった。これらの出土した碑文の文字を書くのに使われている材料はその書かれた時代や埋葬者の身分を調べる上で非常に重要となる証拠である。
 この墓所の発掘中、考古学員は頭骨や肋骨といった部分々々の人骨を発見し、鑑定の結果それらは一男二女の三体の人骨で、被埋葬者とされる男性の年齢は60歳前後とされることがわかった。

  ~曹操の墓と証明された根拠~ 
 文学作品の中で奸雄とされる曹操は、言い伝えによると自分の墓を守るためにわざわざ72体もの偽の墓を作ったとされる。では一体どうして今回見つかった墓が曹操のものだと断定されたのだろうか?

 河南省文物局の発表によると、墓所の形状や構造、副葬品の時代考証を行った所後漢末期(本文では「東漢」と記述されている)のものだということがわかり、また文献上の記載が曹操の墓とされる特徴と一致した事が決め手となったそうだ。

 主な根拠は六つあり、まず第一に墓の規模が非常に巨大で全長が60メートルもあり、墓所内の部屋の形や構造がこれまでに伝えられている曹操の魏王という身分の者の墓の形態と類似していることだ。また曹操の墓について書かれた文献の、「比較的高い場所にあり、(地表に)盛土や碑文がない」という記載と今回の墓の状況も一致する。第二に出土した土器や石碑の絵が早々の時代と一致し、第三に埋葬品に記されている記載が文献にある記載と完全に一致している。

 三国志の「魏書武帝紀」によると、曹操は建安25年(AD220年)の正月に洛陽で死去し、二月に棺によって運ばれ高い丘の上にある「西門豹の祠から西の原っぱの上」に葬られたとされている。調査資料によると当時の西門豹の祠今日の漳河大橋から南に1キロの安陽県の範囲内にあり、今回見つかった墓はこの位置からちょうど西に位置しており、1998年に見つかった大仆卿驸馬都尉の墓志にも、曹操の墓の位置が今回見つかった場疎にあるとはっきりと書かれている。

 第四に、文献にて明確に曹操は臨終の際に副葬品を必要以上に入れるなと命じたとあり、実際に今回見つかった墓にはその規模に対して副葬品はもとより墓所内の装飾も少なく、壁画もなく非常に質素なものである。兵器や石枕に刻まれている文字にはどれも、「曹操が平時に使用した」とかかれており、いくつかの装飾のきれいな宝石品のほかには曹操が日常携帯したであろうものしか見つからなかった。

 第五に、最も大きな証拠として「魏武王」という銘文のある石碑と石枕があり、被埋葬者がその爵位を持った曹操である事を証明している。曹操は始めに「魏公」という爵位を持ち、その後「魏王」と変え、死後に「武王」と諡され、実子の曹丕によって「武皇帝」という諡号が与えられたため、史書には「魏武帝」と書かれている。出土した石碑にも石枕にもこの「魏武王」と書かれてある。

 第六に、墓所内の部屋で見つかった男性の遺骨が60歳前後のものだと鑑定され、曹操が66歳で死去したと言う事実に一致する。

  ~発見の意義~
 今回の発見は魏の歴史研究に大きな一ページを与える事となるだろう。記者会見の現場ではその重要な意義について重ねて専門家らからそう主張された。

「今回の大発見は文献上にある高い陸の上にあるといわれた曹操の墓の位置、彼の諡号、その他諸々の墓所の状況や副葬品の文献の記載との一致から信頼に足るものである。千年以上もこの謎に対して議論が交わされて、様々な間違った意見や曲解が作られていた」

 ある専門家は今回の発見が様々な議論を解決する鍵となり、発掘品の年代の基準など曹操や周辺の魏史の研究に大きな貢献になるだろうと述べている。

  ~発掘隊隊長インタビュー~
 曹操の墓が発見されたと報じられるや、弊社記者は発掘隊の隊長である河南省考古学研究書副研究員の藩偉斌氏にインタビューを行った。すでに様々なメディアから取材を受けていながらも藩氏は興奮しつつ、以下のように語った。

「曹操が後の時代に与えた影響は非常に大きく、72体もの偽の墓所の伝説など、今回の発見は非常に価値があるだろう。我々の発見は専念の謎を解いたわけなのだから、その影響も非常に大きい!」

 藩氏は今回の発見を振り返って、当初は曹操の墓を発見する事になるとは思いもしなかったと述べた。06年にある人物からこの墓に盗掘が行われていると告発し、その後現地の公安が盗まれた発掘品の鑑定を藩氏らに依頼したところこの付近の発掘品が後漢時代のものだとわかり、発掘の必要性がある重要な墓だと言う事がわかった。

「発掘の開始前にこの付近は数え切れないほど盗掘がなされていたので、私はもとよりこの墓が曹操の墓だとは夢にも思いませんでした」

  ~曹操の墓は質素だった?~
 曹操の副葬品はどのような感じだったのか? 同時代の貴族の墓と比べると質素なのか?

 藩氏の解説によると、曹操は生前一貫として葬儀等は質素に行うべきだと主張していたのだが、というのも曹操自身が若い頃に盗掘をやらかしており、その目で数多くの墓が盗掘によって荒らされていくのを見ていたためと、生前からも節約の重要性を訴えていたことかが原因ではないかとされる。

「当時の長年に渡る戦乱の歴史から社会全体で生活水準は下がり、そのような環境から曹操は副葬品を質素にするべきだと提唱したのでしょう。実際に曹操は非常に節約家で十年間も同じ布団を使い続け、その臨終の際も粗末な服を二重に着ていたそうです。
 この様に副葬品が質素ではあるものの、同時代の蜀や呉の帝王や貴族のように副葬品をを石で代替していたのとは違ってきちんと宝石を使っております。その一方、曹操の副葬品は同時代の墓と比べて陶器は非常に少なく、作りも荒いものです」

  ~72体の偽の墓の伝説は?~
 1700年もの時間が経ってようやく曹操の墓は今回見つかったが、72体の偽の墓の伝説は一体どこから来たのか。藩氏が言うには、これは完全な根も葉もない伝説だったそうです。

「これは時代背景が大きく影響しており、曹操の墓が地表に何の目印もなかったことから唐時代以後に完全に位置がわからなくなってしまいました。その後の宋の時代に尊王思想が強まり、当時の文人から「お上をないがしろにした者」として曹操は奸臣だと批判されるようになり、その後小賢しい曹操は河北に72体もの偽の墓を作ったと信じられるようになっていったのです。
 しかし清時代の末期に数多くの墓が盗掘に遭った所、偽の墓とされていた墓所からは東魏や北斉期のものだとわかり、現中国が成立後、我々考古学者は改めて発掘と研究を進め、今回ようやく曹操の墓だと証明する事が出来ました」


 以上が記事の翻訳文です。すぐ終わるだろうと思っていたら想像していた以上に文量が多く、書いているうちに結構焦りました。荒い訳ではありますが、一度も辞書を開かずに翻訳できたのだからまぁ自分としても及第点といった所でしょうか。
 それにしても、中国語って見かけには少ない文量でも、全部漢字だから日本語に翻訳すると増えるわかめのようにどんどんと大きくなるのには困り者です。

2009年12月27日日曜日

北京留学記~その三十、南方旅行三日目

 この南方旅行も三日目、最終日の記事となりました。

 前日に簡易宿泊所に泊まっており、朝八時の便で上海に向かう事となっていたために起きるとともにすぐに部屋を出ました。床には昨夜同様にびっしりと宿泊者が雑魚寝しており、そろりそろりとよけて出口へ向かう途中、ソファーの上で寝ていた宿泊所の経営者らしき男性が私の気配に目を覚ましたので、「もう出発なんだ」と小さな声で伝えると、向こうも軽く会釈で返してきました。

 早朝の南京は日本と同じく非常に静かで、駅構内も昼間の喧騒はどこ行ったのかと思うくらいに閑静なものでした。あまりにも閑静すぎて、朝食を買おうと思っていた売店すらも開いてないし……。さりげなく書き進めていますが、この旅行中に口に入れたものは本当に少なかったです。

 そのまま朝食を抜いてプラットフォームで待って時間通りの列車に乗り込み、予約していた座席もなにも問題なく座れて移動においてスムーズに事は運びました。以前にイギリスでロンドンからウェストミンスターへ行った時は予告なしで何度も乗り換えさせられた挙句に道に迷い、死ぬ思いでたどり着いたのと比べると全然マシでした。
 列車の中では日本の新幹線よろしく売り子があれこれ持ってきて車両を移動していたので、カットフルーツを買ってそれを食べましたが、この後にお腹を下すのですがもしかしたらこの時の果物がよくなかったのかもしれません。

 そんな南京から上海までの列車での移動時間は確か三時間程度だったと思います。その間、それこそ日本の新幹線のような座席の上で座りながら外の風景を眺めていたのですが、席を立ってトイレに行く途中、デッキの壁に貼り付けられた紙に、

「文明人は唾を吐かない」

 と、中国語で書かれていました。書かなきゃだめなのか?

 少し話が脱線しますが、日本人からするとちょっと驚いてしまう妙な注意書きは中国ではあちこちに貼られております。有名どころだと天安門前の故宮入場チケット売り場には、「文明人なら行列にちゃんと並べ」と貼ってあるように、何かと「文明人」という言葉が注意に多用されております。

 これら注意書きの表記は決して中国人が文明人ではないというわけではなく、私は民族性の違いだと考えております。私が思うに中国人は何か相手の行動を制限する際、自分たちのプライドが高いことをわかって相手のプライドに訴えかける傾向がある気がします。それに対して日本人は自分達の空気を読む力を逆手にとって、相手の共感に訴えかける傾向があり、「みんな見ているぞ、ごみの不法投棄」といった注意書きや、母親が子供に注意する際に、「こんなことされると、お母さん悲しいよ」と言うのにつながってくるかと思います。

 話は旅行の話に戻り、短い列車の旅を終えて上海駅に着くと、まずビックリしたのが人の多さでした。駅のチケット売り場ともなるとそれこそ人でごった返すという光景そのもので、人ごみを掻き分けどうにか帰りの北京行きの夜行列車のチケットを購入すると、その日半日の上海観光に乗り出しました。

 まず最初に上海限らずどこにもあるチェーン店の「永和大王」というファーストフード店で昼食を取り、その後地下鉄にて上海博物館を見に行きました。その際に利用した地下鉄ですが、こちらは当時出来たばかりということで北京の地下鉄と比べると断然に綺麗でおしゃれな列車で、しかも北京は手で千切る昔からの切符に対して上海では日本同様に磁気切符による自動改札となっており、日本では珍しくないものの何故かこの時の私は興奮してしまいました。

 そうして地下鉄を乗り継ぎ上海博物館へと訪れましたが、まずここで驚いたのは自分に学生割引が適用された事でした。私は留学前にISICという国際学生証を作って持ってきていたのですが、北京の故宮では本科の学生は入場料が割引されるのに対し、この国際学生証を見せても何の役にも立たず結局正規料金を払うこととなったのですが、上海ではいい意味で外国人慣れしているのか、この国際学生証で入場料を割引してもらいました。
 それで肝心の博物館の中身ですが、まぁ好みに寄るとは思いますけど、ね。

 そんなわけで早々に博物館を出ると、次に上海で一番の繁華街と言われる南京路へと向かってみました。着いて早々これまたまず驚いたのが、左右に立ち並ぶ数多くの外資系外食チェーンの山でした。北京にも吉野家やイトーヨーカドーはありましたが、はっきりいってこちらも比べ物にならないほど日本に限らず数多くの外資系チェーンが軒を連ねており、さらに驚かされたのがそれらの店の中の値札でした。

「値札が四桁?(;゚Д゚)」

 四桁、つまり1000元(約15000円)以上の商品が普通に店舗内に溢れているのにまず面食らいました。北京でも高級品を扱う店なら珍しくはありませんが、上海では本当にそこらへんにあるようなブティックでこんな値段の商品があるというのだから、正直目を疑いました。なお私は北京で400元(6000円)のコートにも高いと憤慨したほどです。

 こうした中国国内の格差に驚きつつ、再び人でごった返す南京駅に戻って帰りの列車を待つ事にしたのですが、ここでもまた失敗をやらかしてしまい、駅の中にある売店にはサンドイッチくらいはあるだろうと踏んでいたところ、売店はあったもののそこにはちゃんとした食べ物がまたしても売っていませんでした。しかもすでにチケットを切って校内に入っているからもう外には出られず、泣く泣くカップケーキを一つ買って、それを夕食だと思い込みながら食べて列車に乗り込みました。前日の南京といいこの日といい、両日とも昼食を一家いつずつしか取らないイスラム教徒もビックリな粗食っぷりでした。

 その後乗り込んだ帰りの列車では前回にも取り上げた青島のサラリーマンと同乗することになり、彼からあれこれ情報を得るが出来ました。なおその時に得た情報の補足になりますが、その青島のサラリーマンに、現在中国で一番羽振りのいい業種は何かと聞いたところ下記のような答えが返って来ました。

「北京の中関村は知っているだろう。あそこで働いているやつらだ」

 中関村というのは中国の秋葉原と言っていい北京における最大の電気街で、要するにIT関係の業種が一番羽振りがいいと教えてくれました。すでにこの証言から四年近く経っておりますが、大勢では大きく代わりがないと今も考えております。これまた前回に取り上げている、私と接したNECの社員などはいわゆる勝ち組なのでしょう。

 こんな具合で合計一泊四日の旅は北京に朝早くに戻ることで終わりましたが、今考えても無理しすぎであったと思います。唯一まだまともな判断だったのは行きと帰りの列車に、一等客室の「軟臥」を選んだことだと思います。それにしてもいくらまだ中国語に自信がなかったとはいえ、旅行の間に取った食事はたった二回の昼食だけだったというのも情けない話です。
 ちょうどこの旅行は留学開始から半年後に行ったのですが、私の中国語もこの後から急激に前進が見られてきたので、もうすこし時期を待ってから行っていれば又違っていたように思えます。まぁだからこそ、こんな変な旅行記が書けるのですが。

2009年12月26日土曜日

北京留学記~その二九、南方旅行二日目

 前日の夜行列車は朝早くに南京に到着し、乗っていた私も無事に列車を降りる事が出来ました。時間は確か朝の六時とかなりの早朝で、それほどおなかはすいていなかったので自販機でコーラだけ買って朝食代わりに飲みました。
 この南京へは南京大虐殺の記念館を見る以外はこれといってあらかじめ見に行く目的物はなかったのですが、北京にて購入していた旅行ガイドブックを参考にしながらまずは辛亥革命の立役者である孫文の眠る山へと訪れる事にしました。ちなみにこの孫文は中国では「孫中山」とよく呼ばれているのですが、この中山という名前は彼が日本にて活動していた際に使っていた偽名の「中山悟」から取られております。恐らく、日本人も中国人もあまり知らないと思う由来でしょうが。

 それで早速その孫文の眠る山へと向かおうとしたのですが、地図で見るとそれほどでもない距離に見えたので歩いていこうと思ったのが運の尽き、やけに距離があった上に近くの天文観測所のある山を間違えて登ってしまうなどとんでもなく回り道をしてしまいました。あとくだらない事ですが、この道すがらなぜか道路の上に壊れたマネキンが捨てられていて妙に怖かったのを憶えています。
 また先ほど山に登ったと書きましたが、中国は日本と違って内陸部ならまだしも海岸部の都市の山はどれも低く、日本で言えば丘程度の高さです。それでも疲れる事は疲れますが。

 そんな風にして最終的には孫文の墓があると言う目的の山の前まで来たものの、すでに10キロ近くを朝っぱらから歩いていて疲れてしまい、もうどうでもいい気になって結局そっちは登らずに通り過ぎて、そこでタクシーを拾って次の目的地の「太平天国博物館」へ向かうことにしました。最初にケチるからこうなるんだろうな。

 その次の目的地の「太平天国博物館」ですが、これは太平天国の乱という、19世紀の中国で起こった反乱の歴史についていろいろとまとめた博物館です。そもそもの太平天国の乱はというのは日本史で言えば黒船来航に匹敵する中国近代史の始まりとされる事件で、後の清朝崩壊の最初のきっかけであったと現在評価されております。事件の内容はキリスト教主義を掲げる拝上帝会(=太平天国)の洪秀全が起こした反乱で、一時は南京を含む南方の主要都市を制圧したもののその後は内部分裂を起こして清朝に制圧されたという事件のことです。なおこの鎮圧には義勇軍らが活躍し、その義勇軍を率いた者の中には下関条約締結時の清朝代表を務めた李鴻章がおります。あと現在「LIAR GAME」が売れている漫画家の甲斐谷忍氏は過去にこの事件を題材に取った「太平天国演義」という漫画を描いていますが、こちらは途中で雑誌が廃刊して未完のままです。

 話は戻ってその博物館ですが、恐らく当時の屋敷跡を使っているのか非常に趣のある建物で、中庭など今でもその情景をよく覚えております。展示物も中国語と英語の説明書きとともに程よく揃っており、もしこれから南京に訪れる予定がある方にはぜひともお勧めのスポットです。
 細かいことについてはこれ以上特段記す事は少ないのですが、太平天国の乱の終結時を説明しているパネルにて当時の知識人たちの太平天国に対する見方という欄が用意されており、そこで孫文が語った内容として以下のように記されていました。

「彼らは理想に邁進している時は一致団結して事に当たっていたが、いざ理想が現実と化して来るとそれぞれが欲を出し、持分を奪い合ったことがその身を滅ぼすこととなった」

 なかなか含蓄に深い内容に思えてわざわざメモを取っていたわけなのですが、実際に組織というのは目標や理想が遥か彼方にあるときは夢に燃えていられるが、夢が現実に近づくと内部抗争が始まったりする事は少なくない。日本史だと信長亡き後の織田家がこの例に当てはまるが、中国史だと本当にこういうのばっかでいちいち例を挙げてられない。

 その後、博物館近くの食堂にて昼食を取り、メインイベントとなる南京大虐殺の記念館へ向かってタクシーに乗り込みました。着いてみてから気がつきましたが、この博物館がある場所は中心部から大分はずれておりあたり一体は全部更地で、なんとなくウェスタンな気分にさせられました。

 そんなこんなしながら入り口へと行ってみるとなんと入場はタダでした。言っては悪いですが、こういうことは中国では珍しいです。
 それでこの施設ですが、当初私は南京大虐殺の博物館のような場所を想像していたのですが、実際には博物館と言うよりは慰霊所であり、風の吹き抜ける広々とした場所にデザインの凝った建築物がいくつか点在しておりました。そうした建築物の中の一つに人骨の発掘現場の上にガラスをそのまま張ったものがあり、生前にどのように殺されたのか人骨ごとに事細かに説明書きがありました。またこの記念館にこれまでやってきた要人の写真も一覧にされて展示されており、その中には日本の旧社会党の議員らも入っていました。まぁ行くのは勝手ですけど。

 そんな記念館を後にすると私はまたタクシーに乗って、南京駅へと一旦戻りました。この南京市に限らず中国は街自体がとてつもなく広くて観光地が同じ都市の中でもえらく離れている事は珍しくありません。日本の京都なんかは狭い場所にいくつも観光地が密集していて非常に周りやすくていいのですが、中国を旅行する上でこういった点はあらかじめ留意しておく必要があるでしょう。

 南京駅に戻った私はその日は早めに宿を取ってから夕食にして、次の日早朝にすでに上海行きの切符を取っていたので早くに休もうと考えて、宿を探す事にしました。それで早速駅前にある中国の郵便局が一緒に経営しているような簡易宿泊所に行って部屋は空いているかと聞いたところ、私の不自然な発音に相手がすぐに反応して外国人は泊まれないよと先に断ってきました。私と大学寮にて相部屋だったドゥーフェイもかつてスケート場に入ろうとした所を外国人故に断られたといっており、事があり、レイシズム(=民族主義は最低の思想だとお互いに非難しあった事がありましたが、ひょんなことからこの時自分も経験する事になりました。

 最初に入った宿で断られてとぼとぼと外に出てみると、宿を探しているのかと呼び込みのおばさんにいきなりつかまえられました。値段を聞いてみると一人一泊40元とのことで、せっかくの機会だから最低レベルの宿泊所を体験したいと考えていたのもあり、渡りに船と思いおばさんに言われるまま止められていた車に乗り込んで、本音ではあまり望ましくなかったものの駅前から少し離れた宿泊所へと向かいました。

 その宿泊所は表向きは悪くなさそうな感じで、入ってみるや私と一緒についてきたおばさんが、「100元払えばすごくいい部屋になるんだけど」と、多少は覚悟していた足元を見た売込みががやはり来た。だがそれでも私は40元でと押し、そしたら今度は60元だとまた違うなどとしつこく食い下がられて結局その60元の部屋を取ることに決めました。

 恐らくここがこの旅行の一番のハイライトなのですが、その案内された60元の部屋は暖房つきという触れ込みだったものの、暖房は確かにあるのですが窓枠が壊れてて、どんなに頑張ってもきちんと窓が閉まらなくて寒風が常に吹き荒ぶ部屋でした。時期も一月、中国南方といえども気温は昼間で摂氏一度前後。しかもよく調べてみると備えつきのシャワー、トイレはえらく汚く、なおかつトイレは水を流そうとしても流れない。

 これも一つの経験だなどと無理に自分を言い聞かせて夕食まで少し仮眠をとろうと布団に入ったのですが……どれだけ布団にいても無限に体温が奪われる一方でした。まだ中国語が不慣れながらもさすがに言うべきことは言おうとフロントへと文句を行った所、フロントの女性が私と一緒にその部屋へ来て何を言うかと思ったら、「窓は閉まらなくとも暖房があるじゃないか」と言ってきました。こっちが何度も暖房があっても窓が閉まらなければ意味がないだろうと反論するも従業員はうっとうしそうに聞くだけで、しつこく私が食い下がっているとそれなら部屋を変えてやると言い、新たに地下の部屋へを案内しました。

 確かに地下なら窓もないだろうし、この部屋ほど寒くはないだろうという安直な気持ちを持って案内された部屋に入ったのですが、窓は確かになかったものの今度は暖房が全く動きませんでした。何度も書きますがこの時は一月、いくら寒さに強い私でもこれではたまったものではありません。それでも暖房が動かないくらいならまだ我慢したでしょうが、この上に部屋中があまりにもかび臭く、ちょっと長くはいられそうにない部屋でした。
 あくまで私の推測ですが、あの部屋は掃除もほとんどされてなかったのだとおもいます。とにもかくにもひどいカビ臭さの上にシャワーは先ほどの部屋同様にまたえらく汚く、布団も真冬だというのにまたよく湿っていました。

 さすがに二部屋連続でこの様な部屋に案内されたことによって堪忍袋の緒が切れ、それまでの気後れがどこ吹く風か怒涛の勢いを以ってフロントへと押しかけました。
 ここで一つ中国語を話す人間に対するよくある誤解を説明しますが、中国は言うまでもなくとてつもなく広い国で方言も果てしなく分派しており、一言に中国語を話せると言っても北京語、広東語、あとベースは北京語だけどそれでも北京語とはちょっと違う中国での標準語、いわゆる普通話のどれか一つが話せるというのが普通です。ちなみに私は普通話しか話せません。

 普通話しか話せず、それすれもまだ不十分な人間が訛りの強い南方に行くもんですからはっきり行って簡単な会話ですらなかなかうまく伝わりません。本当にこの時は北京では通用するのにと何度も思ったほどです。しかも頭にきていてただでさえ下手な中国語がやけに早口になるのでフロントの従業員は私の訴えがよく聞き取れず、この時はお互いに激しく一方的な言い合いを続けました。

 あれこれ言い合ってもなかなか話がつかない状態に痺れを切らした宿泊所の従業員は、恐らく支配人らしき英語がやや使える中年の女性を連れてきて、私に対して英語で話かけてきました。対する私も英語に切り替えて先ほどまで説明していた内容を改めて説明するとその女性は、「100元の部屋なら絶対に大丈夫だから」などと、料金を上乗せしてグレードの高い部屋へ移ることを提案してきましたが、変な部屋に連続で案内された上さらにに料金を上乗せしろと言われて私はまたヒートアップし、「I can't trust you!」と英語で言った後にさらに中国語で、「我不能相信你们!」をひたすら連呼し、払った宿代は要らないから押金(=宿泊する前に払う保障費。部屋を出る際に客へと返されるもので、この時は40元取られていた)だけ早く返せと、いつもこれくらいの度胸があれば怖いものなんてないのにというくらいの剣幕で迫り、向こうも最後はしぶしぶ40元の返還に応じました。もっとも、宿代の60元は結局空払いになりましたが。

 そんなやり取りを経て無駄金を使って宿を出ると、私は再び南京駅まで歩いて戻りました。距離にして約一キロ半でしたが、朝からの強行軍がたたって足がひどく痛み出し、一歩一歩が非常に重たかったです。
 そうしてこの日三回目の南京駅へと着くと、待っていたかのように再び新たなキャッチに捕まった。今度はじいさんのキャッチでしがまた40元の部屋があるというのでとりあえず見せてみろとついていってみると、今度は車で移動するという事もなく希望通りに南京駅から本当に近いところへと案内されました。ただ一つ気になったのは、どっからどう見てもそこは2LDKくらいのアパートの一室にしか見えなかったことです。

 中に入ってみるとまた格別というか、普通のアパートの部屋の中に板を立てることで細かく区切って客室を作っており、なんというか子供が作る秘密基地のような光景でした。ただ室内自体は決して悪くなく、もうすでに相当疲労していたので、そのままそこに宿をとることにしました。それで早速宿帳に記名をして料金を払おうとすると、宿の人間が自分が日本人だとわかるや外国人なら暖かいところがいいだろうと暖房のある部屋をわざわざあてがってくれました。

 案内された部屋は先ほども言った通りに板で区切っただけの部屋で広さは大体二畳程度。暖房はすぐ近くに設置されてあるへやなのですが、恐らく暖房の熱気を分けるために部屋を区切る板は天井にまで届いておらず、やや不満点を挙げると後から来た客の喧騒がすこしうるさかったです。
 しかしベッドの布団はきちんとしていて暖かく、なおかつ暖房もよく効いているので決して寝心地は悪くありませんでした。

 結局すでに大分疲れていたのでそのままその日は夕食もとらずにそのまま布団に入って寝ようとしたのですが、足の疲労から来る痛みが激しく、眠れないまま一晩中その痛みにさい悩まされたのが実情でした。おまけに先ほど行ったように防音性の低い板壁のため、後から来た客にうとうとしていたところを何度起こされたことか。それでも暖かいだけでも全然ありがたかったですが。

 そんな風にして悶々と夜を迎え、痛みを我慢しているうちにいつしか私も眠っていたのですが、夜中にトイレに行きたくなって一人目を覚ましてしまいトイレへ行こうと部屋を出たところ、ちょっと面食らう光景がそこにありました。その光景と言うのも文字通り、足の踏み場もないほど床に人間が転がって寝ていたという光景です。
 恐らくあの時に床で寝ていた人は地方から出てきた出稼ぎ労働者たちだったと思います。昼間は外で働き夜は値段の安いこの宿泊所に寝るという生活をしている人たちだと思うのですが、それこそ寝転ぶ隙間もないくらい狭い空間にびっしりと、しかも薄そうな布団を巻きつけて寝ていました。

 そんな光景に驚きつつ少ない足場を渡りトイレへ行き用を済ませて出てくると、物音に気がついた何人かが私に視線を向けてきた。彼らは私の顔を見てちょっと不思議そうな表情をするてまた目をつぶり、相手が目をつぶるのを見て私もまた部屋へと戻りました。

 当初でこそ私は部屋は暖かいけど外の音がうるさいことを不満に感じましたが、自分があてがわれた部屋は形ながら個人用の部屋で、この部屋をあてがってくれた宿の人間に改めて感謝の気持ちを覚えました。その一方でこうして雑魚寝をしながら日々働く中国人らを見たことで、わずかではありますが中国の社会を垣間見ることができたように覚えました。

2009年12月25日金曜日

北京留学記~その二八、南方旅行一日目

 北京語言大学では日本の大学同様に期末試験があり、冬季のテストは当時の手帳を見てみると一月六日に終わっています。この冬季テストの終了日こそ、私の中国南方への旅行の出発日でした。

 中国は旧正月に当たる一月後半から二月初旬が最大の旅行シーズンで、世界最大の人口は伊達じゃなく、この時期は鉄道各社が特別ダイヤを組むなど各交通機関は混雑でごった返すのですが、一月の初旬から中旬であればちょうどその直前であり、嵐の前の静けさというか比較的思い通りに旅行できるそうです。そういう話を前もってクラスの先生から聞いていたため、一つ自分の中国語の腕試しを兼ねて旅行に出かけることにしました。
 旅行計画は中国の南方ということで、まずは南京に向かってその帰りに上海に寄り、そのまま北京へ戻るというルートで、移動手段には関口宏も乗りまわっていた中国では最もポピュラーな鉄道にて周る事にしました。

 ここで中国の鉄道について説明しますが、中国では都市内を走る地下鉄こと「地鉄」、電車こと「電車」(まんまか)、そして都市と都市を結ぶ列車こと「火車」があります。火車は現在恐らく電車だろうと思いますけど、まだ石炭使っていると列車もあるのかな。
 それでこの火車ですが、以前は外国人料金といって外国人には割高な料金設定がされていたそうですが現在はそんなこともなく誰でも乗ることが出来、また座席等は完全予約制となっております。切符の購入は駅外の旅行社みたいなところでも買うことが出来ますが、駅内で買うとなると通常の窓口に行かねばならず、大抵どこの駅も人でごった返しているので私はこちらはあまりお勧めできません。

 それで肝心の料金ですが、恐らく他の中国情報系サイトでも詳しく説明されているでしょうが、大まかに言って座席には四種類あり、安いものから順に、「硬座」、「軟座」、「硬臥」、「軟臥」です。読んで字の如く、「硬」と「軟」はそれぞれ二等、一等を表しており、「座」と「臥」は座席か寝台かの違いです。

 最初に南京へ行く際は多少ケチりたいものの比較的値段が手ごろということもあり、初めての列車旅行なので私は「硬臥」で夜行列車の予約を取りました。そして出発日当日は夜七時ごろに大学寮を出て北京駅へと向かい、駅構内で旅行地図を購入して列車の乗車時間を待ちました。

 乗車後に私の予約した部屋に行くとそこではベッドが四つあり、私以外にも中国人の乗客が乗っておりました。この時は別に話す事もなくとっとと布団に入って次の日からの旅行に備える事にしましたが、結果論敵にはやわな旅行ではありませんでした。全部私の無計画によるものなのですが……。

2009年12月23日水曜日

北京留学記~その二七、学生寮でのデマ事件

 事の始まりは一枚の貼り紙からでした。私が最初に入った学生寮が補修されるということで新しい寮に引っ越してから確か二週間ほど経った頃でしたが、いつものように授業を終えて寮に帰ってくるとエレベーターの前に一枚の貼り紙が張られており、中国語にて下記のような内容が書かれていました

「このごろ季節が変わりめっきり寒くなってきました。留学生の皆さんは戸締りに気をつけて、窓の鍵は外出時はもちろん在宅時も必ずしめておいてください」

 何だこの論理の破綻した文章は(゚д゚`)!?
 読んだ直後の私の感想はまさにこんな感じで、どうして気候と戸締りが関係するのか、またそれも貼り紙で貼って告知する程のものなのか腑に落ちませんでした。

 そんな貼り紙が貼られて数日後、私の日本人留学生仲間からこの件で妙な情報を得ました。その留学生仲間がやや要領を得ない語り口で言うには、なんでも私達が移った新しい寮の中で事件があり、その事件というのも寮の二階に住む日本人女子学生の部屋に窓から泥棒が侵入し、女子学生を殴りつけて強姦に及ぼうとしたものの抵抗に遭い、注射器を取り出して女子学生に麻薬を打とうするも失敗し、また女子学生を殴りつけて物を盗って逃げていったそうです。そんな事件が起きた為に、事件の事は隠さなければならないが防犯を強化させねばならずあの妙な貼り紙ができたというわけです。

 この留学仲間の話を聞いた直後の私の感想はまたも、

(゚д゚`)!?

 ってな感じでした。まず読んでもらえばわかりますが泥棒の行動が明らかに妙です。泥棒目的なのか強姦目的なのか、麻薬を打とうとする点に至っては支離滅裂です。そんなわけで初めて聞いた時からこの話を疑わしく思い、その留学仲間に情報源などを詳しく聞くとその留学仲間もクラスの別の日本人留学生から話を聞いたそうで、じゃあその日本人はどこから情報を仕入れたのかと聞くとまた別の日本人からという感じで延々と続いていき、最終的にはみんなインターネットに行き着くことがわかりました。

 ではその情報源のインターネットサイトはどこになるのか調べてみた所、もしかしたら複数あったのかもしれませんがそれらしいものが一つあり、その場所というのも当時北京語言大学でも大流行りだったmixiの語言大学のコミュニティでした。そのコミュニティの掲示板には先ほど書いたような泥棒の行動がそっくりそのまま書いており、末尾にて語言大学はこの事件を隠そうとしているからあんな貼り紙になったのだと締めくくられていました。

 結論から言えば、この書き込みはデマだった可能性が非常に高いです。
 当時に私が行った詳しい検証を一つ一つ説明すると、まず私が尋ね回ったことでわかった大きな事実として、この泥棒が入ったという情報が日本人の間でしか共有されていませんでした。日本人以外となると同じ寮の学生でも誰もこの話を知らない一方、日本人学生であれば他の寮に住んでいる者でもこの話を知っており、情報源とされる先ほどの掲示板の書き込みが日本語であることを考えるとさもありなんです。

 そして次に、情報源がみんなインターネットに行き着く割には誰も事件の当事者である、泥棒に暴行されたという女子学生が誰なのかを知りませんでした。一体その女子学生がどんな子で、どのクラスに居て、知り合いは誰で、事件後はどうなったのかとなるとみんな誰も知らず、海外での日本人学生の狭いコミュニティを考えると誰もこの点について答えられないというのはありえないでしょう。

 そして極め付けが掲示板に書かれた泥棒の辻褄の合わない行動です。一体何が目的なのかわからないのはもとより、それだけいろんなことをしながら女子学生が悲鳴を上げてそれに誰も気がつかなかったというのも不自然です。普通殴られたりもすればテレンス・リーじゃないんだから誰だって悲鳴の一つは上げるのが普通で、学生寮であれば悲鳴が聞こえようものなら隣室の学生などが必ず気づくはずです。

 実際に当時私が住んでいたこの寮はそれほど防音性が良かった訳でなく、隣室の学生が大騒ぎをしようものなら騒音が気になるくらい聞こえ、またこのデマが広がる以前にも寮の四階の部屋に済む日本人女子学生が泥酔して帰ってきて、叫び声を挙げたり辺りの壁を叩いたりするものだから私の留学仲間に寮の人間が助けを求めてその女子学生を抑えて部屋に入れたことがあったのですが、その留学仲間は七階の部屋に居ながらもその女子学生の叫び声が聞こえたそうです。

 では本当は何があったのかというと、先にも言ったように泥棒が入ったというのは本当だったと思います。というのもその後すぐに比較的進入しやすい二階(一階はロビーのみで部屋はない)の窓に鉄格子をはめられるようになり、また最初の貼り紙も泥棒が入った事を受けてのものだと考えるとあの論理破綻な文章もやや理解できます。

 そうなるとどうしてこう大げさに書き立てるデマが流れたのかになりますが、これも私の考えだと日本人に対し強く注意を促そうと、発信者が内容をわざと過激なものにして広めたのかとが原因だと思われます。幸か不幸か、その筋書き通りに日本人の中においては十分に注意が喚起されましたが。

 この一件で私が強く憶えたのは、人間というものは案外、このような素性のわからない情報でも環境次第で簡単にデマに踊らされるのだということでした。恐らく海外での狭い日本人コミュニティだからこそデマが流れたのでしょうが、それにしたってもう少しみんなも疑ってもいいんじゃないかというような内容だっただけに、かくも情報の前では人間は無力かと思わせられた事件でした。

 留学記の記事はここまでですが、実はこの記事を書くに当たってあるデマと合わせて書こうと前々から考えていました。そのデマというのも、先月行われた民主党議員らによる事業仕分けにて、漢方薬の保険適用が除外されるというデマです。

 詳しい経緯については最後に引用するサイトを読んでもらいたいのですが、医師が処方する漢方薬は現在健康保険が適用されているのですが、漢方薬は医療効果がはっきりしないので無駄になっており、事業仕分けにて保険適用を除外することが決められた、といった報道がテレビ、新聞、インターネットといったすべての媒体で流れ、現に私自身もNHKにて確認し、その番組内では漢方薬を日々服用している男性が値段が上がると困るというコメントをしていました。

 この報道を受けてかネット上ではこの仕分けに反対する署名が集められたり、漢方薬大手のツムラなど公式に社長がじきじきに会見して反対するなど大騒ぎとなったのですが、未だに議論されているスパコンの予算と比べるとこっちの方は続報がピタリと途絶えるなど完全に静まり返ったのを見て私もデマだったと判断しました。

 ちょっと長いので私は確認していませんが、その保険適用除外が決められたとされる仕分けの会議を見た方によるとやはり除外をするといった発言はおろか、漢方薬という言葉すら一切出ていなかったそうです。それにもかかわらずあれだけ署名が集まったり、大騒ぎしたりしたと考えるとなにやら日本に対して不安を感じてしまいます。

 それにしても、この一件がデマだとわかったのも事業仕分けが公開されていたことに尽きるでしょう。公開され、またその会議の過程がネット上でも見られる動画となっていたことから早くに沈静したのであって、そういう意味で鳩山内閣に対してこの点だけは誉めてあげてもいいかと思います。

漢方薬保険適用除外は【誤報】です! 仕分け人枝野議員が明言(JANJAN)
漢方薬に関するデマ(きっこのブログ)

2009年12月22日火曜日

北京留学記~その二六、NEC中国人社員②

 前回の記事に引き続き、NECの中国人社員との会話をした時の話です。読者の方がどのように思われるかはわかりませんが、書いてる本人からするとこの場面が留学記全体における最大のハイライトだと私は考えております。

 すでに前回にも書いたとおりに議題が自由と言う事もあってかなり好き勝手に話をしてきたのですが、レッスン時間の後半に差し掛かる頃にもなるとさすがに話すネタに困ってきてしまい、この連載の過去の李尚民の記事でもあったように日本と中国で、お互いの国で知っている相手国の有名人を挙げることにしました。

 まず私から日本人がよく知っている中国の有名人となると真っ先に毛沢東が来ると話した上で、ほかの日本人にはあまり馴染みがないだろうけど、私個人が高く評価している人物として張学良氏がいると話しました。
 張学良氏についてはかつて私も記事にして書いたように、日中戦争における最大のターニングポイントであった(と私が考える)西安事件の立役者であり、西安事件があってもなくとも戦前の日本軍が広大な中国大陸を占領する事は不可能であったとしても戦況が全然変わっていただろうと話しました。

 すると一人のレッスン参加者がこの私の意見に対し、張学良がそれほどの人物だとは思わないと返してきました。この過程については先ほどリンクを貼った過去の記事にも詳しく書いてありますが、中国に留学する前に聞いた話だと台湾ならともかく、中国本土で張学良は救国の英雄として扱われていると聞いていただけにこの返答には正直驚かされました。元々中国では歴史人物の評価が時の政権によって大きく変わることも珍しくなく、もしかしたらそういった年代的な関係もあって資料とこの参加者の認識の間に齟齬があったのかもしれませんが、今度機会があったらこの点について中国人に聞き回りたいものです。

 そんなショックを受けている私に対し、今度は別の参加者が、「中国人ならこの人を、小学生ですら知ってますよ」と言って、広げているノートの上にこの名前を書いて見せてきました。

「明治天皇」

 私はてっきり、日中国交回復を行った田中角栄とか、当時の日中関係を悪化させているとして中国メディアでもよく取り上げられていた小泉純一郎元首相が来るかと思っていただけに、この明治天皇という文字を見て一瞬呆気に取られました。しかしこの日の私は自分でもびっくりするくらい頭の回転がよく、本当に頭の上で電球(交流)がピカって光る具合に相手の意図や背景をすぐに類推し、レッスン参加者にこう返してみました。

「この人は日本の改革に対して、何一つやっていませんよ」

 私がこう言うや、レッスン参加者らは案の定明らかな驚きの表情を浮かべました。

 明治天皇を中国人みんなが知っていると聞いてもしやと思っての返事でしたが、大体推察した通りでした。私はきっと中国人は日本の明治維新を、侵略者である日本の端緒となった一方、短期間で西欧列強とも伍す程の実力にまで育てることに成功した改革だったと肯定的な評価をしていて、その上で皇帝専制色の強かった中国のことだから明治維新は明治天皇の主導によって行われたと考えているのではないかと読んだのですが、これがピタリと当たっていました。

 詳しく話を聞いてみるとやはり明治天皇が一連の改革をすべて主導していたと思っていたようで、確かに改革の象徴として自ら前に出て振舞ったものの、政策やプランといった方面にはほとんど手を出していないと私が説明した所、では誰があの改革を行ったのだと続けて聞かれ、ちょっと答えに困ったものの、

「とりあえず明治維新初期の主要なメンバーとなると、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の三人が非常に有名です」
「(西郷隆盛と書いたじノートを見て)ああ、この人か」
「この三人が大きな路線を作り、私は嫌いですが特にこの大久保利通が一番重要な役割を果たし、その大久保の構想を完成させたのが韓国人はみんな嫌いな伊藤博文です」
「(伊藤博文と聞いて)うんうん」

 ここでも確認をこめて敢えて冗談めかして言ったが、どうやら中国人も韓国のアンチ伊藤博文の意識を知っていたようです。

「じゃあ、明治天皇は何をしていたのですか?」
「言うなれば飾りです。彼が国の政策に口を出したのは私が知る限り一回だけで、にっし……日本と、当時清だった中国との戦争(日清戦争と言いかけたのを言い直した)を始めた時、自分はこんな戦争を望んでいないと伊藤博文に文句を言ったことくらいです。ロシアとの戦争の時は納得していたらしいですが」

 ここまで一気に説明すると、さすがに向こうもしばらく言葉が出せずにボーっとしていました。かくいう私も似たようなものでしたが。

 彼らの話から察するに、中国では小学校でも日本の明治維新を取り上げてこの明治天皇の事を学んでいる可能性が非常に高いと思われます。しかしその内容はいわば明治天皇による改革だったとやや誤解があるということになりますが、何故この誤解が起きているのかについては先ほども言った通りに中国は基本的に皇帝専制という歴史が長かった国という事情もありますが、明治の日本が海外に対してそのように宣伝と言ってはなんですが、天皇の下に体制を大きく改革したと喧伝しており、それも一つの一因となっているのではないかという気がします。

 そんな風に考えながら未だ呆然としているNECの社員達を見ていると、またすぐ閃くものがありました。すでに深入りし過ぎではないかという懸念もありましたが、この機会を逃したら絶対に後悔するという好奇心が勝り、続けざまにこんなことも敢えて話してみました。

「明治天皇同様、昭和天皇も日本と中国との戦争を主導したわけではありませんよ」
「では、誰が戦争を起こしたのですか?」
「それは恐らくあなた方が嫌いな、私もあまり評価していませんが、東条英機を始めとした軍人達です」

 そういって、東条の名前をノートに書いて見せた。

「昭和天皇はむしろ戦争には否定的な気持ちを持っており、それが最後の最後で戦争を続けようとする軍人を抑えて終戦に結びつけたのだと私は考えております」

 個人的な意見として、よく日中の歴史問題となると南京大虐殺があったのかどうなのかばかりが議論となりますが、こうした大きな問題を議論する以前に外堀とも言うような基本的な歴史的事実の点においても双方誤解している箇所が少なくなく、まずはこうした溝を埋めるのが先なのではないかと考えています。

 話は戻り、やはり昭和天皇は中国で嫌われているのかと聞いたところ嫌われていると返って来て、明治天皇に関しては欧米列強が押し寄せる中で、急速な日本の近代化を指導したとして高く評価する一方、その後の軍国主義の基礎を作ったとして半々の評価だそうです。

 こうして歴史認識の差異について盛り上がっている中、唐突にレッスン終了の時間がきてしまいました。知識層にあたる相手とゆっくり話す事が出来たので本音ではもっとあれこれ情報を引き出したかったのですが、さすがにずっと話しているわけにはいきません。
 レッスン参加者は最後にレッスンの報告書みたいなものを書くのですが、ちょっと後ろから盗み見した所、レッスンの先生に対する評価において五段階でみんな一番高い五をつけてくれていました。本人からすると、やはりうれしいものです。

2009年12月21日月曜日

谷口ジロー氏のフランス漫画書き下ろしについて

・谷口ジローさん 仏語で書き下ろし作品 “漫画化”のベテラン、新境地(産経新聞)

 何かとタイムリーなニュースだったので、ちょっとここでも取り上げる事にしました。
 ニュースの内容は漫画家の谷口ジロー氏がフランス語の漫画を新たに書き下ろしたことについて報道しているニュースです。日本で出版された漫画が海外で翻訳されるという事は今の時代ではそう珍しくないのですが、今回のように日本の漫画家が初めから海外で作品を書き下ろして現地で出版されるということはこれまでほとんどなく、海外での日本漫画の高い評価とともにそのような需要があるというフランス事情を伺わせるニュースです。

 この漫画家の谷口ジロー氏というと、ネット上でよく画像ネタや台詞回しの引用が多い「孤独のグルメ」という作品が一番知られているかと思います。私もそのようなネットでの改変ネタからこの作品を知ったのですが、一言で言って一回見たら癖になる絵柄と言うか、緻密でありながら漫画らしさを失わっていない写実性のある絵で、詳しい内容は知らないくせに以前から興味を持っていた漫画でした。ちなみに、最近一番ツボにはまったのは以下のサイトでの改変です。

【ネタ絵】孤独の冒険(DLab.)

 実は私は先月にこの谷口氏の作品を折角だからこの際購入して読んで見ようか思い立ち、購入する前に私より歳下にもかかわらずやけに趣味が古い友人にこの話を振ってみた所、案の定谷口氏の漫画をよく読んでおり、谷口氏の傑作と呼ばれる「坊ちゃんの時代」も読むように薦められました。その友人の言う事なのだからきっといい漫画に違いないだろうと「孤独のグルメ」と合わせてまとめて買いましたが、結論から言えば確かに面白い内容でした。全体的には事実に基づいて書いているもののフィクションの部分も多く、もしかしたら読者が事実だと誤認してしまうような箇所も多いとは感じましたが、それでも作品全体の完成度は高く、谷口氏の緻密な絵柄が明治時代の情景を深く表現しているのにはため息が出ました。「孤独のグルメ」でもそうですが、街並みという背景表現において谷口氏の描く絵がこれまで見てきた中で最も上手に思えます。

 またもうひとつ、この「坊ちゃんの時代」を改めて読んだことで意外な発見、というより再会を果たす事が出来ました。実はこの「坊ちゃんの時代」の第二部、森鴎外が主人公の「秋の舞姫」を私は以前にも読んだ事がありました。今回改めて読むまであの時に読んだ漫画がこの「坊ちゃんの時代」だとは全く覚えておらず、確か読んだのはそれこそ十年近く前だったとは思いますが作品の内容はしっかりと覚えており、森鴎外の名を見るたびに昔にあんな漫画を読んだなと思い出すほど印象深い作品でした。
 思えば私が森鴎外を贔屓にしだしたのも、この作品からだったような気がします。

 なお谷口氏は鳥取県の出身だそうですが、鳥取には他にも私が尊敬してやまない「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげる氏、「名探偵コナン」の青山剛晶氏の出身地でもあります。人口が少ない割にはやけに漫画家を輩出しているわけですが、私自身鳥取とは縁があるのでこのままの勢いで島根に負けず頑張ってもらいたいです。あとどうでもいいけど、鳥取県はカレールーの消費量が全国で一番高いのも不思議です。

2009年12月20日日曜日

北京留学記~その二五、NEC中国人社員①

 また大分時間が空いての北京留学記です。このところ時期的に急いで書かないといけない内容が多くてなかなか取り掛かれてませんが、このまま年末にラッシュをかけてなんとかこの連載を今年中に終わらせたいものです。

 それでは早速本題ですが、前回の連載記事では私が旅行の帰途であった青島のサラリーマンとの会話を紹介しましたが、今回も同じくサラリーマンで、NRCの中国法人に勤める中国人社員との会話です。
 何故NECの社員と会話する機会ががあったのかというと、留学も終わりに近づいた2006年7月に、私より一足先に日本に帰るある日本人留学生仲間から自分のかわりにバイトに出てくれと頼まれた事がきっかけでした。そのバイトというのもNECの中国人社員と日本語で会話して、彼らに日本語のレッスンを行うというバイトでした。

 このバイトでやる事はそれこそ日本語で適当に話すだけで、会話する中国人社員らも日本での研修を一年近くやってきているのでみんな辞書さえ間にはさめば問題なく会話できるレベルです。一回のレッスンで日本人一人に対して四、五人の中国人が入り、夕方六時から一回約二時間で私は二回ほど代理で出る事にしました。

 まず一回目のレッスンについてですが、この時はNEC側から話題のテーマが「熟語」とあらかじめ決められていたので、私は「完璧」や「矛盾」といった中国発祥の故事成語の一部は日本語にも完全に定着している事を話し、その故事成語がことわざや慣用句とはどう違うのかというのを説明していました。ただこういう熟語ネタだと話すネタもすぐ尽きてしまい、最後の方は何故だか日本の大学制度について説明したりしてました。案外わかりそうでわかりづらい内容なためか、向こうも向こうで真剣に聞いているようでした。

 また最後には三国志の話題に及び、日本では曹操が人気だと教えたところ思った通り、「何で?」と彼らから聞き返されました。そこで私は日本人は自分で意思決定をするのが苦手で、歴史の上では織田信長のような独断専行型の人間を割と好む傾向があるのではと説明したところ、「ああ、なるほど」というような表情をしたように私は見えました。そしたら一人の方がおもむろにノートを取り出し、

「中国ではこの人が人気ですよ」

 と言って、「馬超」とノートに書いてくれました。聞いてはいたが、やはり人気であったか「錦馬超」。

 そしてこのバイトの二回目、かねてから好不調の波の激しい私ですがこの二回目のレッスンの日は非常に調子がよく、レッスンを受けた中国人社員からとても面白い内容が聞きだすことが出来ました。もうすでにこの会話をしてから三年もの月日を経過しておりますが、ここで書き出す内容は現在においても中国を知る上で非常に役に立つ情報だと自信を持って自負できます。

 前回通りにレッスンは六時から始められたものの、彼らも本業の仕事があるために開始当初のテーブルについていたのは三人だけで、後から一人加わって合計四人でした。なお前回は一人女性社員が入っていたものの、今回は全員男性でした。この二回目のレッスンでは前回戸は違って議題は自由とされ、最初はそれこそ何から話したものやらとお互いに手間取ったものの無難に私の自己紹介から始めることにしました。

「私は日本の大学生で、中国語だけを学ぶためにこちらへ留学に来ました。ここ数年のうちに中国語は日本人にとって非常に魅力的な語学科目になり、韓国人と一緒になって今も通っている北京語言大学に毎年たくさん来ております」

 というような感じだったと思います。すると向こうから、中国人にとっても日本語は需要の高い外国語で、たくさんの人間が学んでいると返ってきました。そこで部外者というか第三者というか、中国での韓国語の需要はどうよと私から聞いてみると、やはり中国人に人気はないそうです。
 韓国も近年は中国との取引が急増して中国語の需要は高いものの、日中と違ってその需要は生憎片思いだそうです。日本ほど貿易額が大きくないという経済的な問題もあるものの、それ以上に中国ではかつて満州のあった東北部にいくと今でもたくさんの中国籍の朝鮮民族が住んでおり、韓国人との会話は彼らがやってくれるために韓国語の需要は低いとのことです。

 こうして語学の需要について簡単に話した後、先ほど私が大学生なんて言うもんだから専攻は何かと続けて聞かれ、隠す必要もないので社会学だと答えたついでにレッスン参加者にも聞き返してみると、みんな異口同音にプログラミングだと答えました。
 NECに勤めているんだから当たり前といえばそうですが、これは私の印象ですが、日本ではそうそう専攻がプログラミングだと答える人はあまりいないように思います。今に始まるわけではありませんが中国では投資資金が少なくて済む事からIT分野、とくにプログラミングを筆頭とするソフトウェア産業に力を入れていると聞いており、現に日本のNECがこうして中国人社員を採用してこうして日本語も教育しているのをみると中国のこの方面は相当なレベルなのではないかという気がしました。

 話は戻り、専攻の話をしたのだから日本の大学生についても簡単に話をしました。多少私の偏見も入っていますが、日本の大学は入るのは大変だが入ってしまえば遊んでいるだけで卒業できてしまうと教えて、中国はどうだと聞いてみたところ、そっちは日本と違って勉強が大変だったとこちらも口をそろえて言っていました
 そんな風に話していると、一人が口を挟んでこのような質問を出してきました。

「日本人はいつもすごい真面目で、どんな時に羽目をはずすんですか?」

 なかなか面白い質問が来たと思い、私も俄然力を入れて以下の通りに返答しました。

「よく、日本人とドイツ人は性質が似ていると言われますよね」
「はい」
「ドイツ人も普段はすごい真面目だと言われていますがお酒を飲むとすごいだらしなくなるそうで、日本人も同じく酒の場では多少の無礼も許されます。逆に中国では酒の席といえど一時でもだらしない素振りを絶対に見せてはいけませんが、私が思うにドイツと日本ではその辺が緩いように思えます。これは恐らくドイツ人も日本人もやる時はやる、羽目をはずす時ははずすという切り替えが徹底されているからで、一見真面目そうに見えますが羽目を外す時に思い切り外してバランスを取っているのではないでしょうか」

 実はこの会話文にはいくつか鎌を掛けた箇所があります。それは最初の私の切り出し箇所で、中国人は日本人とドイツ人を一緒に真面目な民族と見ているかどうかです。
 よく日本人は自分でクラフトマンシップとか真面目さとかで自分達をドイツ人と比較する所がありますが、果たして外国の人間はどう思っているのか前から気になっており、ちょっとそれを確認する意味を込めて切り出したところやっぱりすぐに肯定してくれました。

 そして質問に対する返答の本論ですが、これから中国に行こうと言う方にはぜひ知っておいてもらいたいのですが、中国では宴会においてもはっちゃけた行為は一切許されず、大声をあげたり女性にセクハラをかますものなから物凄い非難を浴びる事になります。皮肉な事ですが、これを理解していないのが日本人と韓国人の留学生で、向こうでも留学生のマナーとして一部問題化しております。

 それを踏まえたうえで日本人の切り替え方の大きさを説明したのですが、この説明で理解してくれるのか少し不安ではあったものの概ね向こうも納得してくれているようでした。まぁこのレッスン参加者全員が約一年程度の日本の研修があったことを考慮すれば、決して無理な説明ではないでしょうけど。
 すると今度は別の方から続けてこの関連で質問を受け、私もまた下記の通り答えました。

「(・ω・)/あの、日本人は……どんな風にお酒でだらしなくなるのですか?」
「(´∀` )そうですねぇ。私が以前にアルバイトをしていた喫茶店では、こういったテーブルの上で突然横になって寝始める人がいました」
「(;´Д`)えぇ……(本気で驚いていた)。その、日本人は切り替えというか、羽目をはずす時とそうでない時を分ける、そういう風な教育を受けているのでしょうか?」
「多分、日本人も意識はしていないでしょうが、私が小学生の頃などは先生がよく、遊ぶ時は遊ぶ、勉強する時は勉強するというようなことをよく言われており、他の日本人もこういった言葉を社会で使う事があります。そう考えると、子供の頃からこういった切り替えを知らず知らずに学んでいるのではないかと思います」


 あくまで上記の私の返答は私個人の考えですが、このところ書いている記事といい、つくづく日本人は節操がないなという気がします。中国人は欲望に対して素直すぎるけど。

 ここまで話したところで、ふと気がついて自分の日本語を話すスピードは聞き取りに問題はないかと尋ねた所、少し話すのが早いものの発音ははっきりしているのでまだ聞き取りやすいと返って来ました。同じ日本人からもよく早口と言われるなのでさもありなんですが、外国人に聞き取りやすい発音と言われるとやはりうれしいものです。

「ところで、卒業後はどんな仕事をするのですか?」

 ここで唐突に、仕事の話へと移りました。
 
 本音ではジャーナリストになりたいとこの時から志望を持っていたものの進学先が関西の大学だったと言う事でほとんどあきらめており、わからないけど中国語が役に立つ所と来ればメーカーだからそこで営業の仕事でも探そうと思うと伝えた所、多少は覚悟していたものの、「文系なのにメーカー?」と聞かれてしまいました。
 ここでまた以前から確認したいと思っていた事を思い出し、もののついでに日本の会社トップ、及び政治家はみんな文系だと教えたところ、案の定レッスン参加者はみんなして驚いてくれました。しかもただ「そうなんだ(´・∀・`)ヘー」っていうレベルじゃなく、「マジっΣ(゚Д゚;)」っていうくらいの驚きようだったので、見ているこっちが面白かった程です。

 何故彼らがこれほどまでに驚いたのかと言うと、中国と関わっている方なら当然の事実ですが、中国の各界のトップというのはみんな揃って理系出身なのです。かつての日本でもそうだったように現在の中国では技術職系の人材が尊敬される傾向があり、現在の中国首相の温家宝氏は私が通っていた北京語言大学の正面にある中国地質大学の出身で、主席の胡錦濤氏も日本で言えば工学部卒のダムの設計士でした。そんなもんだから、中国人が文系に進学するといろんな意味で後々大変になります。
 この話題に対する彼らの食いつきようは凄まじく、私が一言発するたびに子供のように何も言わずにうんうん頷きながら聞いているのが見ていて微笑ましかったです。

 そんなわけで書く前から想定していましたが、続きはまだあるもののすでにかなり長くなっているので今日はここまでにします。次回も彼ら二回目のレッスンに参加したNEC社員との会話を紹介しますが、次回で紹介する内容ははっきり言って普通の中国解説本には絶対に載っていない、物凄いレアな情報を公開します。必ずしも役に立つわけではありませんが、中国の歴史とか政治が好きな人には非常に重要な内容なので知っておいてお損はないと保証します。

 では、また次回にて。

どうでもいい英文

 本当はこういうネタはツイッターとかでやるべきなのでしょうが、このまえふと思いついてYAHOO翻訳で作ったので折角だから公開します。

The Asura man sang Pajna-para-mita sutra to oneself pleasantly while licking the candy while chewing gum.
訳:そのアシュラマンはキャンディーを舐めながら、ガムを噛みながら般若心経を心地よく口ずさんだ。

 顔が三つあるんだから、こういうことも可能だろうなと思って作りました。なんか最近、疲れているのだろうか……。

2009年12月19日土曜日

書評「日本辺境論」

 今朝は予定通りに七時半から自転車に乗って十数キロ先の街まで走ってきました。戻ってくる途中で銭湯で朝風呂するなどブルジョア全開でしたが、出発時はあまりの寒さで肺が冷えて呼吸するのも辛かったです。

 そんな私事は置いといて本題に入りますが、今日はこの前にもちょこっとだけ紹介した内田樹氏の「日本辺境論」(新潮新書)の書評+αです。ちなみに「にほんへんきょうろん」とキーボードで打つといつも「日本偏狭論」と変換されてしまうのですが、あながち本の内容からも遠くない変換です。

 まずこの本の概要を簡単に説明すると、日本人と日本文化というのは言わばアメーバのように本質がなく、常に変化をし続けていて何一つ全く変わらない価値観というものがない、ということが全体を通して書かれています。
 そうは言っても日本の伝統建築や茶道といった文化、武士道という価値観があるではないかと思う方もおられるかもしれませんが、ここで言うのもなんですが実はこれらの文化もこれまでに結構変わりまくっています。

 まず伝統建築については確かに法隆寺みたいにずっと残り続けているものもありますが、日本の家屋の形態は木造建築が主ではあるものの時代ごとに流行があり、仏寺の構成も決して一定ではありません。そして茶道も一見すると千利休によって成立以後は決まった作法がずっと続けられているかと思われがちですが、当初の形態だとお茶を飲む時は現在のように正座ではなく胡坐だったそうです。
 そして極め付けが武士道ですが、新渡戸稲造なんかはこれが日本の伝統的倫理観だと強く主張したもののこれも時代ごとに影響を受けて変わり続けており、いわばその時代の理想形をなんでもかんでも武士道と言い張る所が日本人にはあるように私は思えます。こんなこと言うと、藤原正彦氏には悪いんだけど。

 こんな具合で内田氏は日本人は根っことなる概念、いわば自ら作り出して保持し続ける概念がこれまでも現在もないと主張しており、それは以前に書いた「日本語のマルチな特徴」にも取り上げているように漢字を使う一方で平気で勝手に平仮名などを作ってしまった日本語にも現れていると述べています。

 それがため国際概念についても基本的には自前で組み立てる事は出来ず、いつも他国の枠組みの上で日本と言う位置を決めたがる所があるとなかなか重要な指摘をしております。具体的にこれはどういうことかというと、自分(=日本)を主人公として世界をどのような方向に持って行くのか、そのためにはどのような外交をすればいいのかという組み立て方をせず、他国の世界戦略の中で日本をどの位置に持っていくのかと考えるという事です。

 具体的な例をいくつか出すと、まず明治時代においては日本を如何に西洋列強と同じ位置に持っていくかということだけを考え、その後の昭和前期は日本をかつての中国の柵封体制の概念において首領たる中国の位置に置こうとして、そして冷戦時代になるとアジアにおけるアメリカの橋頭堡であり続けようという外交方針が立てられています。このどれもが言ってはなんですが主体性は低く、日本のオリジナルな世界戦略というものが見えてきません。ついでに書くと石原莞爾の「世界最終戦総論」も実際には当時世界で流行していた考え方らしく、決して石原の完全オリジナルな戦略というわけじゃなかったそうです。

 ではこんなに確固たる価値概念が少なくて、現代でも流行に振り回されて婚活ビジネスにお金を巻き上げられるのが多いくらいふにゃふにゃした日本人は一体どうやって物事の正否を決めているのかというと内田氏は、こちらも私が以前に「空気の読み方、呑まれ方」で触れましたが、いわば場の空気によって決めてしまうと述べています。
 いくら理不尽な事でも周りがそれを当然だと思えば平気で受け入れてしまうところが日本人にあり、そのため自分の行動が正しいかどうか日本人は常に周りをきょろきょろしていると指摘した上で、それがゆえに先ほどの国際外交のように自分で概念を作れないのだと内田氏は主張しています。

 ただ内田氏はこのような日本人の特徴を決して悪いと批判せず、逆にそれだからこそ大きな利点があるとも述べており、特にそれが出ているのが学びの姿勢にあるとしています。日本人は師匠やら先生から教えを受ける際にその教えが一体どのような効果を持って、またどれほど効率的なのかを一切尋ねませんし、たとえ自分が他に効率的と思える訓練を知っていても黙っててくれます。このような学ぶ姿勢は教えに疑問を抱く者に比べて吸収がよく、ひいては日本人全体の適応力にもつながっているというわけです。

 実際にこれは私からの付け足しですが、内田氏の言うように私も日本の適応力、というよりはキャッチアップする力は相当高いと見ています。明治時代の日本を含むアジア諸国を比べてみると、日本は自分達より西欧諸国の方が優れていると見るや自分からちょんまげを切り落としてぱっぱと変わっていったのに対し、中国(当時は清)や韓国はなかなか自国文化への信頼を捨てきれず、西欧式に改めようとする傍から反動派が巻き返しを図って、結果論ですがほぼすべての改革が水泡に帰してしまっています。そういった例と比べると、この明治の時代といい昭和の戦後といい、日本人の引き返して追いつくという力は素直に評価していいと思います。その分、キャッチアップ後には迷走し始めるところが少なからずある気がしますが。

 とまぁこんな感じの本でそこそこお薦めなのですが、内田氏はこの本で日本人の本質のない性格をアメーバのようにと言いましたが、私は以前から徳川慶喜のような人間を背骨(バックボーン)のない人間と呼んでいたのでこれからの表現はこっちに切り替えます。ちなみにこの表現は溥傑氏が兄を表現した時に使った言葉で、初見で気に入って今でもよく使っています。

 話は戻ってこの背骨のない日本人の性格についてですが、実は内田氏以前にもこれをはっきりと認識していたばかりか相当に研究をしていた連中がいて、何を隠そうアメリカ政府でした。アメリカ政府は太平洋戦争末期になると終戦後の日本の統治方法についてかなり早くから日本の専門家を集めて研究をしており、この様な日本人の特徴も掴んでいたそうです。逆にわかっていたがゆえに、一体どうやってこんないい加減な連中を従わせればいいのか、下手すれば一気に社会主義に流れてしまうのではないかといろいろ悩んだそうなのですが、作家の佐藤優氏によるとある一点において日本人は大昔から現在に至るまで特有ともいえるある民族性を持っていることにアメリカは気がついたそうです。その民族性というのも、日本人の天皇への崇拝です。

 よく昭和天皇がマッカーサーを訪問した際の謙虚な態度にマッカーサーが感動し、天皇の戦争責任を問わないと決意したと言われていますが、断言してもいいですが天皇制の保護は終戦前の時点で決まっていたことでした。アメリカは日本人が天皇に対してのみ歴史的にも一貫した態度を取っている事から天皇制の保護が占領政策で一番重要になると考え、ソ連を始めとした処罰論を封じ込めて保護し、自らの統治に利用したわけです。

 何故背骨のない日本人は歴史的にも天皇制に対してずっと同じ態度を貫き続けているかについて佐藤氏は、まさに日本独特ともいえる、権威と権力の分離を行うという知恵を用いたからだと説明しています。
 この権威と権力の分離というのは、天皇というのはいわば権力に対してお墨付きを与える権威であって、実際に政策を決めて実行する権力は藤原氏、鎌倉幕府、室町幕府、徳川幕府、明治政府と変わることはあっても、以前の勢力を倒して新たに実権を握ろうとする新規勢力は自らの権力に正当性を持たせるために権威である天皇を利用しなければならず、それがために天皇制を廃止しようとする勢力はほとんど現れなかったと佐藤氏は主張しています。なんだったら、明治政府の後にはアメリカ政府と付け加えてもいいかもしれないなぁ。

 アメリカでは大統領が権威と権力を兼ね備えますが、日本はイギリスと同じく両方が分離しています。そしてそのような権威という役割を世界最長といってもいいくらいの千年以上も持ち続けたがゆえに、いい加減な日本人でもここだけは譲れない一点になったのでしょう。

 現在、習近平中国副主席との会見問題にて民主党の小沢幹事長の発言がよく取り上げられていますが、見ようによってはあれは菊の尻尾に触れてしまったと見ることも出来ます。私も日本人であるゆえに完全に中立的にはこの問題を語れませんが、ちょっと相手を間違えたなと今回ばかりは思います。

2009年12月18日金曜日

ゲームレビュー、「パチパラ13」

 書きたいネタはあるけど明日は早起きして自転車に乗るつもりなので、またも気軽に流せる記事です。このところ固いネタばかりだったし。

 さて今日私が紹介するゲームと言うのは、アイレムから出された「パチパラ13 ~スーパー海とパチプロ風雲録~」というゲームです。タイトルからわかるとおりに所謂パチスロを題材にしたゲームで、一応は今も後継シリーズがパチンコホールで唸りを上げている「スーパー海物語」のシミュレーターゲームなはずなのですが、おまけ、というよりもすでにこっちがメインディッシュとなっているアドベンチャーパートの「パチプロ風雲録」が凄まじい内容となっております。

 この「パチプロ風雲録」はひょんなことからパチプロとなってしまった主人公が様々なライバルと戦いながら住んでいる街を舞台にしたドラマを体験するという内容なのですが、まず特筆するべきはゲーム内の自由度です。このゲームは「グランドセフトオート」に代表される「箱庭ゲーム」の一種で、ゲーム内の街の中で主人公を自由自在に動かしつつイベントを進めるのですが、その自由度が国産のゲームとしては半端ないほどの幅広さを持っております。

 好きな所を好きな風に移動できるのはもちろんの事、服装を変えることで髪型から靴に至るまで自由にキャラグラフィックを変える事も出来ます。さすがに女主人公のバストは初期設定からはいじれないけど。
 その上、街の中の造形も見事なものです。現代的な都市から昭和臭さを残した古い町並み、果てには明日のジョーに出てきそうなドヤ街みたいな場所まで用意されてあります。さらにはそういった街の中にあるお店も実に多種多様で、食事を取る場所で言ったら高級レストランからファミレス、ファーストフード店、果てには牛丼屋や屋台のたこ焼きやまで登場してきます。

 この様な自由度は街の中の移動や行動に限らず、イベントでの主人公の行動にもよく現れております。よく「アイレムの作る選択肢は想像の斜め上を行く」と言われていますが、このゲームではそれが遺憾なく発揮されており、一体どこからこんな選択肢が出てくるのかと唖然とさせられる場面が数多くありました。
 いくつか例を出すと、後ろから柄の悪い男にぶつかられて因縁つけられた際に出てくる行動の選択肢として、

1、下手に出て謝る
2、「何をするんだ」と言い返す
3、突然地面を舐める


 もちろんこの時私は3を選びましたが、これ以外にも放火で自宅兼工場が燃えてしまってうなだれるヒロインに対し、

1、慰める言葉をかける
2、何も言わず肩を抱く
3、こういうときは黙っている
4、「こんなに間近で火事を見たのは初めてだよ!」と言う


 4番目を選ぶとヒロインもさすがに泣き出してしまいます。それでも私は選んだけど。

 終始こんな具合で、ここに挙げた選択肢は私が覚えているものだけですが、実際には一回の選択肢で六個とか七個も出てくる事がざらです。中にはサブイベントでヤクザを使って立てこもっている人間を追い出すというイベントもあるのですが、その際にも、

「合図を出したら飛び込んできて、一斉に踊ってくれ!」

 というのがあり、これを選ぶと本当にヤクザたちが追い込みの最中に踊ってくれます。

 現在このゲームは廉価版も出ていますが、多分6000円以上の新品で買っていても私は後悔しなかったと思います。ややロード時間が長すぎるのが欠点ですがそれを補って余りある面白さがあり、パチンコを実際に一度も打ったことのない私でもクリアできたのですから気にせず是非手にとって遊んで欲しいゲームです。

 ちなみにこのゲームの中盤のイベントで、高校卒業後に一流企業に入った同級生にパチプロなんかしてフラフラしていると笑われ、テーマソングが流れながら雨の中で主人公が一人すすり泣くシーンがあるのですが、その時の私の主人公の髪型は辮髪で、しかも上半身には何も着ないで水泳パンツだけを身につけ、靴は何故か革靴という男が雨の中泣いているのでえらい笑えました。

2009年12月17日木曜日

内戦状態の日本 その三、抵抗する価値

 少し日が空いてしまいましたが、この一連の記事も今回が最後です。
 前回に書いた「反応と期待」の記事にて私は、現代の日本人は過剰に相手のことを気にしすぎたり、また要求が高すぎるために非常にストレスのかかる社会になっているのではないのかと主張しました。前回に引き続きまたここでも一例を出すと、ちょっと前に流れていたCMで外人が、「日本人は(商品に対して)うるさい」と言うものがありましたが、実際に商品の品質や食品の衛生管理に対しては世界的に見てもうるさい方です。

 だからこそ日本ブランドが高く評価されることにもつながったのですが、前回にも書いたように高水準の品質価値を作る一方で品質に対する要求もエスカレートしてゆき、商品を作る側も買う側同じ日本人であるのにどっちも気が遠くなるまで対応して、気が遠くなるまで文句を言うものだから住み辛い社会になったのではないかと以前から感じていました。
 現実に恐らく以前からも多少は存在してはいたでしょうが、所謂モンスターペアレントのような理不尽な要求を学校や企業、官公庁に行うクレーマーが運営に支障を及ぼすほど発生し続けております。この前もまたこんなニュースがあり、私も唖然とさせられました。

保護者が「迷惑料」10万円要求、校長は鬱病で休職…学校で理不尽続発(産経新聞)

 さっき私は以前にも恐らくは多少はいたと述べましたが、現在に至ってはこうやって報道されるのはごく一部で、実態的には計り知れないほどこのようなわけのわからない人間が溢れているとも言われております。

 我ながら強引な考え方とも思いますが、こうした人間が何故現れるようになったかという理由を問われるなら私はやはり、日本の社会が過剰に社会や個人の要求に答えてきたからだと思います。蛇口をひねれば安全に飲める水が簡単に出てくるものだからいつしか水のありがたさを忘れてしまうように、人間というものは基本的に環境によって考え方や振る舞いが変わるものだと私は考えております。ですので水と同じように懇切丁寧に細かい要求を日本人同士で叶えようとした事が、現在のように自殺やうつ病患者を大量に出す社会、特に三年以内に新卒就職者が半数は辞めていくという異常な労働環境を生んでいるように思えます。

 ではこうした負の連鎖ともいうべき反応と期待のエスカレートを止めるにはどうするかという私案ですが、私以外にも何人か主張していますが、よく言われる方法はやはりもっと自分勝手な生き方を日本人が自覚して行う事です。確かにこうすることで過剰な反応は抑える事は出来るのですが、その一方で自分勝手になるため期待を強く行う新たなクレーマー生んでしまう可能性がこの方法にはあるように思えます。
 これに対する私の案はというと、副題にあるようにもっと抵抗という行為を社会で奨励する事だと思います。

 なんかこんな風に書くと一時の社会主義者みたいですが、私は現代の日本人、特に若者についてはもっと激しく過激に抵抗する姿勢をとってもいいと思っています。就職機会が奪われているだけでなく国の一時しのぎのために国債を乱発され、おまけに労働環境はさっきも言った通りに短い期間でどんどんと辞めていく。前にも書きましたがこれは現代の若者が以前と比べてわがままになったからだという理由だけでは到底説明のつかない数字で、私も以前とは考え方が変わって若者がフリーターやニートになる事に対してもはやしょうがないのではないかと思うようになりました。

 具体的にどのように抵抗するかと言えば、それは言うまでもなく過剰な要求に対してです。この前私が知り合いから聞いた話では会社で電話を取るなり名乗る事すらせずにいきなり、「いつもの」と言ってきて、詳しく注文内容を確認しようとしたら怒鳴られたそうなのですが、こんなのこちらから怒鳴り返してやるべきですし、また彼を雇っている会社もいくら売上げが落ちるからといってこんな変な客を相手にしてはならないでしょう。そっちより、こんな理不尽な要求に絶える社員の方が大事なはずなんだし。
 理想論かもしれませんが、いくら客商売だからといって人としてのプライドを投げ打って対応することに私は反対です。そうやって対応する事が上記の負の連鎖を生んでしまうこともさることながら、そこまでプライドを捨てなくとも普通のまともな人間ならちゃんとわかってくれるでしょう。どうせいくら対応した所で過剰な要求をする人間は要求を吊り上げるだけなので、この際とっとと社会から排除した方が世のため人のためです。

 では一体どの辺からが過剰な要求になるかなのですが、そのラインを私なりに定義すると、無条件で何かしらの強制を行う、というのが過剰な要求だと思います。比較的簡単な例は運動部内で年齢が一個か二個上かだけで無用なしごきやらいじめを行うとか、会社内で一切口答えを許さないとか。
 多少喧嘩になってもいいから、もっと日本人はお互いに怒り合うべきだというのが、私の意見です。

2009年12月16日水曜日

英語の特殊性と日本の英語教育について

 前回の記事にて私は日本語のマルチ言語という特殊性について書きましたが、今回は英語の特殊性について書こうと思います。確かこの内容の記事は以前にも書いたことがあると思うのですがいくら検索しても見つからないため、もしかしたら再掲載になってしまうかもしれませんがしょうがないです。

 まず何故英語が特殊な言語なのかです。国際標準語としてこれだけ世界中でも使われているのだから一見合理的で覚えやすそうな言語として捉えられがちですが、英語は文法としてみるならともかく発音にいたっては実際には例外法則が異常に多い言語です。一例を出してみますが、例えばアルファベットの「I」という文字が含まれる以下の二つの単語を発音してみてください。

「Ice」 「Internet」

 両方とも頭に「I」が来ていますが、前者はカタカナにすると「アイス」という発音になるのに対して後者は「インターネット」という発音になります。英語というのはこの「I」のように単語によって「アイ」と読んだり「イ」と読んだり、実は発音方法が複数あることが非常に多い言語なのです。しかもまだ「I」なんてかわいいもので、「P」に至ると、

「Pink」 「Phone」

 と、「ピンク」と「フォン」がどうして同じ文字から始まるんだよと言いたくなってきます。

 何故英語がこの様に同じ文字でも複数の発音方法がされるようになったのかと言うと、これは以前にどっかの本で読んだ内容なのですが、英語発祥の地のイギリスには元々ブリテン島にはウェールズやスコットランド、アイルランドの人たちが居住していたのですが、それが北欧から来たバイキングに所謂ノルマンコンクエストこと征服されてしまいました。しかもその時期にフランス側にいた民族も一部移住してきて、今のアメリカじゃないですけど相当な民族が混在して住むこととなったわけです。
 ところが彼らの言語は全く同じものではなかったものの、「あれ」とか「それ」とか言っている間にそれなりに通じてしまう程度の違いだったそうで、そんなもんだから各民族の言葉がそれこそごちゃ混ぜになっていき、ある単語ではノルマン人の発音、ある単語ではウェールズ人の発音、そしてまたある単語ではフランス人の発音がなされるという形で英語は整備されていったそうなのです。

 いわば日本語とは別の意味でのコングロマリットな言語なのが英語で、こうした点は現在に至るまで同じ英語話者の間でも意思疎通の妨げを生んでおります。最も代表的なのはブリティッシュイングリッシュとアメリカンイングリッシュの違いで、これに限らなくとも発音方法がきちんと定まっていないせいで世界各地地域ごとに好き勝手に発音が為されてしまっております。

 そんな言語として多少不便さを感じてしまう英語ですが、実はこれがまた日本人には相性が最悪ともいうべき言語であるから始末に終えません。
 これは私のロシア語の教師が言っていた言葉なのですが、英語というものはその用法から文法の組み立てに至るまで日本語の精神性とはかけ離れており、日本語の思考で使おうと思っても必ずうまくいかない言語だそうです。だからまだ日本語に近いロシア語を使うロシア人とはうまくやれるんだと、その先生のいつもの講釈に続くわけなのですが。ロシア語を専攻したのも、アメリカ憎しからだったとも言ってたしなぁ。

 実際に私も英語を使ってて、日本語の文章の形だとまず成立しないなと日々感じます。日本語では目的語が先頭にきてから主語や述語が後に続く形も少なくないのですが、英語だとこの用法はまずほとんど使えず、また単語の活用も少ないので言いたくともなかなか言えない構造になりがちです。

 まぁこんだけ英語の悪口書くのも私が英語を苦手としているからだからですが、中学高校と六年間も同じ言語を勉強しておきながら私同様に大半の日本人が英語を苦手とするのはやっぱり相性が悪いのも大きな理由だという気がします。もちろんそれ以上に日本の英語教育のカリキュラムが良くないというのもあり、前にも書いたと思いますが未だに中学生に向かって、「is=です」という教え方をしているのは本当に不思議に思えます。私なんかこれを真に受けちゃって、be動詞のない文章だと語尾がなくなるじゃないかとえらく悩まされました。
 作家の佐藤優氏も近年の外務省職員の英語のレベルの低下は激しく、以前からそうだったらしいですが外務省は日本の大学における英語教育には何も期待しておらず、入省後に自分のところで職員に英語を教えなおすそうです。

 ちょうどタイミングよく日本の英語教育について外国人が討論するという記事を見つけたので、リンクを貼っておきます。

「ここがヘンだよ日本の英語教育」を外国人が語るスレッド(誤訳御免!!)

 言ってははなんですが、英語というのは現在の状況から必要最低限は学ぶ必要はあるかと思いますが、日本人とは相性が悪そうなので必死こいてまでやる必要はないかと思いますし、やるのなら全く効果を上げていない今の教育システムを根本から作り直す必要があると思います。またよく英語が苦手だったから語学は向かないのだろうと敬遠する人も居ますが、英語が苦手でも別の言語では波長が合う事もあるので、英語だけで変に苦手意識を持たないように意識する必要もあるでしょう。現に私も、中国語は肌に合ったし。

 そういう意味で最低限の英語教育は中学までにして、高校からは生徒みんなが好きな言語を選択して勉強するというやり方もあってもいいかと思います。みんなが英語が出来なくとも誰かが出来ればいいのだし、また多種多様に言語を覚えている人間がそこらかしこに居るという事は国家全体にとっても無駄ではない気がします。まぁこんなの、誰も賛同しないと思うけど。

日本語のマルチな特徴

 なんか妙な題になりましたが、ちょっといつもと趣向を変えて言語としての日本語について最近知った事を紹介します。

 最近友人に薦められて内田樹氏の「日本辺境論」(新潮新書)という本を読んだのですが、この本自体の日本人にとって確固たるものがないということが確固たる特徴というテーマについても面白く、今度それについても一本書くつもりなのですが、後半にて書かれている日本語の特徴についてなるほどと思わせられた一説があったので今日はその話です。

 内田氏はこの本の中で日本人は過去の自分にこだわらず現在の自分にとって有利だと思えば平気でそれまでの姿を捨てられる特徴があると全体を通して主張しているのですが、その一例として後半にて日本語、それも漢字と平仮名について大きく一節を設けて説明しております。言うまでもなく日本には元々文字はなく、奈良時代の遣唐使らによって中国より持ち帰られた漢字によって初めて文字文化を持つに至りました。
 ただ中国との国交が少なくなった平安時代に至ると元々の日本語の発声をその意味の漢字に当てはめて使うようになり、更には勝手に平仮名やカタカナといった、日本の発音に即したオリジナルな文字まで作ってしまいます。そのため現在に至るまで日本語の漢字には音読みと訓読みがあり、「東」という字を一つとっても「とう」という読みと「ひがし」という全く脈絡のない二種類の読み方が存在し続けているわけです。

 内田氏はこの平仮名やカタカナと漢字という明らかに性格の異なる文字を一緒に使う点に日本人としての特殊性があると主張しているわけなのですが、その特殊性が発露している場面として、なんていうか又聞きの又聞きみたいになってしまいますが、養老猛司氏の話を引用しながら日本におけるマンガの発達に触れています。

 まず最初に平仮名と漢字の違いですが、これは単純に言ってその記号がどんなものを表しているのかという点が異なっております。平仮名と言うのは発声の仕方を表す表音文字であるのに対し、漢字はその意味を表す表意文字です。日本にいるとあまり気づきませんが、日本語というのは世界においても非常に珍しい、表音文字と表意文字を一緒に使用しているマルチ言語です。
 それこそ日本語を除くとマルチ言語と呼べるのは漢字を使用していた頃の韓国語と同じくベトナムくらいなもので、どちらもすでに文字をハングルとアルファベットに統一している現在だと先進国においては日本ただ一国です。

 この表音文字と表意文字を同時に使用するマルチ言語が何故マンガに関わってくるのかというと、養老氏によると同じ脳の中でも画像を認識する部位と文字のような記号を認識する部位はそれぞれ異なっており、脳に損傷を受けたとしても日本人は平仮名だけ読めなくなったり、漢字だけ読めなくなるという二種類の難読症患者がいるそうなのです。
 通常、他国では表音文字か表意文字の片方だけしか使用しないのに対して、日本は両方を使ってるもんだからそれぞれを同時並行で処理できる力が外国人に比べて必然的に高く、その絵と文字の両方で表現されるマンガの読解力が高かったからこそ世界でも評価される水準にまで持ってこれたのだろうと内田氏はまとめております。

 言われてみると確かになるほどという気がします。日本語が表音、表意文字を操るマルチ言語だとは前から知っていましたが、それが画像と記号を同時処理できる力につながっているとは今まで考えた事がありませんでした。
 なおこれに関連するのかすこし微妙ですが、なんでも映画に字幕をつけて見るのは日本しかないという話を以前にどこかの掲示板で見ました。この映画の字幕もある意味マンガと同じマルチ言語ゆえの特徴かともとることが出来ますが、欧米はどうかまでは知りませんが、中国においては同じ中国国内のテレビ番組で字幕をつけて中国人は見ています。というのも中国は地域によって発音方法に隔たりが大きいために同じ国内の番組でもほぼ例外なく中国語の字幕がついており、なおかつ日本のテレビ番組などといった違法動画でも字幕がついているそうなので、映画の字幕はあまり関係ないのかも知れません。

 ではこうした日本語に対して他の国の文字は表音か表意のどっちなのでしょうか。中国は「魚」と書いたら海で泳ぐあの生物を表すといった具合に表意文字の代表格とも言うべき漢字で、韓国は発声する時の口の形をもじったというほどの表音への入れ込みが強いハングルです。欧米については間詞が多かったり接頭の「H」は読まないという規則が多いもののフランス語のアルファベットは表音文字らしく、また日本人にはなじみの薄いロシアのキリル文字は日本の平仮名同様にはっきりと発音が定まっている表音文字です。

 となると現在国際語としてつかわれている英語のアルファベットは少なくとも表意文字ではないから表音文字かという風に捉えられがちですが、確かに普通に見るなら表音文字ですが私は厳密にはそうは言い切れないのではと私は考えております。何故英語のアルファベットが表音文字ではないのかというと、その英語の特殊な成り立ちに原因があり、次回は英語の特殊性とともに日本の外国語教育について書いてみます。

2009年12月15日火曜日

中国副主席との天皇特例会見について

 昨日から「リュウマの独り言」様と相互リンクを結ぶ事となりました。政治系の話題について詳しい解説が為されているサイトなので、陽月秘話ともども今後もよろしくお願いします。


小沢氏、改めて宮内庁長官批判 宮内庁には応援メール殺到(産経新聞)

 それでは本題ですが、本日、中国の副主席である習近平氏が天皇との会見を行いました。この会見に至るまでの経緯については各報道にて皆さんも知っての事だと思われますが、通常外国要人の天皇との会見は予定調整や天皇の健康上の問題といった関係から一ヶ月以上前に連絡を受ける事が慣例となっているところ、今回の習近平氏との会見はその期限を切っているにもかかわらず、「会見相手が外交上、重要な人物である」という政府の強い要求に押し切られる形で行われたと報じられております。

 先にこの習近平氏について簡単に説明しておくと、現時点でポスト胡錦濤こと未来の中国共産党総書記職の最有力候補とも言うべき人物で、数年前の時点で同じく現在常務委員である李国強氏とともに有望視されていた人物です。2008年の全人代にて常務委員入りしてからはそのライバルの李国強氏に対して功績面で徐々に差をつけ出しており、最早レースの勝敗はついたと評論家からは見られております。

 そういう意味でこの習氏が重要な人物であることに間違いはないのですが、それでも今回の特例会見を私は支持する事が出来ません。その理由としてまず、天皇自身の健康問題が挙げられます。
 すでに高齢の現天皇は数年前にも手術を行っており、もし何かあったときのことを考えるならば会見を行う一ヶ月前に連絡をしなければならないという宮内庁のルールは至極適切なものかと思われます。また今回の一件にて急な会見に当初難色を示した宮内庁を強く批判している小沢氏は習氏が総書記になる前に会見する必要性を強く主張しましたが、中国の総書記職は通常十年を任期としており、そこから逆算するなら習氏が総書記に就くには早くとも後三年強ほど猶予があり、本日に会見を行わなければならないほど急ぐ理由ははっきりいって見当たりません。あるとしたら、民主党が政権についている間に行う必要がある……といったところでしょうか。

 そして今回、一番槍玉に挙がっているのがこの一件に対する先ほどの民主党幹事長である小沢氏の一連の発言です。
 小沢氏は今回の特例会見について上記の様に相手が重要人物であるということに加え、宮内庁が勝手に決めたルールに何故従わなければならないのかと連日口角泡を飛ばしております。また天皇を政治利用する事になるのではないのかという記者の問いに対して、憲法を知らないのかと言い返した上で、天皇の国事行為は国民の選挙によって選ばれた内閣の輔弼によって行うと書いてあり、この特例会見が駄目だと言うのであれば議会の開会や解散宣言などはどうなのだと主張しました。

 しかし、私はこの意見にも納得する事は出来ません。仮に小沢氏の意見が成り立つのであれば天皇は内閣の要求すべてを言われるままに行わなければならないという事にもなりかねず、やはりそれとこれとでは話が違うように思えます。第一、この問題で憲法を持ち出すこと自体が私にとってはナンセンスに感じます。
 更に言えば、これは各所でも言われておりますが、そもそもの話として小沢氏は与党民主党の幹事長であって内閣の一員ではありません。それにもかかわらず内閣がいいというのだから何故やってはならないのかと主張するのはいささか無理があるでしょう。

 こんな具合で今回の特例会見は小沢氏の意向が強く反映されたのだろうと思っていた所、なんか妙な情報が飛び込んできました。

中国副主席との特例会見、「元首相が要請」=前原国交相が指摘(時事通信)

 これは国土交通大臣の前原氏による発言ですが、今回の特例会見は自民党の元首相からの要請によって実現したと報じられております。前原氏は一ヶ月前というルールを破ったのは民主党ではなくその元首相だとしながらも実名は避け、頼りなさならピカイチの平野官房長官もいつもどおりにこの件についてコメントを避けました。

 となると要請をしたその元首相とは一体誰なのかという犯人探しになるのですが、結論から言ってしまえば最有力候補は在任中にガス田の共同開発を約束したりパンダを年間一億円でレンタルすると取り決めるなど、中国に対して非常に接近しようとしていた福田元首相であると私は見ております。麻生元首相と森本首相だと今回のような腹芸が正直できるとは思えず、天皇制の強い擁護者である安倍元首相と日中関係を冷やせるまで冷やした小泉元首相に至っては論外です。

 とはいえこの前原氏の発言も本当に正しいかどうかがわからない状況ですが、仮にそうだとすると、今回の特例会見は小沢氏と福田氏が揃って実現に向けて力を合わせていたのではないかという疑いにもつながります。元々この二人は福田元首相の在任初期にいきなり大連立を行おうとするなど妙な所で歩調を合わせようとするところがあり、私自身もこの二人ならやりかねないという気もします。
 今後この前原発言がどうつながっていくのか、しばらく注視する必要があるでしょう。

 それにしても、忘年会から帰った後に書く記事じゃないな。

2009年12月14日月曜日

芥川龍之介の話

 今日も時間が少ないのでまた短く書ける話です。
 日本の文豪の中で誰が一番好きかと問われるなら、私は迷わず芥川龍之介を挙げるようにします。具体的に彼の作品のどのようなところが好きなのかまでは説明しませんが、彼のあまり有名でない作品の一つに、題は忘れましたが海軍の学校で芥川が英語教師をしていた時代の話があります。

 この話自体がフィクションなのかノンフィクションなのかまではわかりませんが、当時の芥川は週末になると煙草をふかしながら汽車に乗って横浜から東京へ行き、旧知の友人らと夕食をともにして語り合い、また日曜の晩には横浜に帰るという優雅な過ごし方を習慣としていたのですが、ある週末、いろいろ無駄遣いしていたのがたたって、往復分の汽車代がなかったことがあったそうです。

 さりとてあきらめがつかず駅にはいくもののお金がない、はてどうしたものかと考えつつ知らず知らず売店へと向かい、「朝日をくれ」と芥川は言ってしまいました。「朝日」というのは当時の日本でポピュラーな煙草のことで、喫煙家の芥川もよくこれを吸っていたのか他の作品にもよく出てきます。

 この時、芥川は注文したものの内心ではしまったと思いました。煙草を買うお金はまだあるもののそもそも汽車代がない。こんなところでちびちびお金を使ってどうするのだと焦りだします。
 そんな焦りまくる芥川に対して売店の親父は、「新聞ですか、煙草ですか?」と注文を確認してきて、咄嗟に芥川は、「ビール!(゚Д゚;)」と答えたそうです。この答えには親父も、「ビールはありません」と答えるので、芥川も、「そ、ならいいんだ≡(;゚д゚)」と、帰ってったそうです。

 その後、まだ依頼を受けていなかった執筆依頼を受ける事で前金を受け取り、その周も無事に芥川は優雅な週末を過ごせたわけなのですが、意外とお茶目な所もあるのだと別の意味で感心した話でした。

2009年12月13日日曜日

日本のやる気なき大学教育について

 かなり久々に出張所の方でリクエストが来たので、今日は日本の大学教育について私が日々感じている事を書こうと思います。まずはこれまでこの関連で書いた記事を三つほど下記にリンクを貼っときます。改めて読み直すと、我ながらいろいろ書いているもんだ。

日本の大学教育と職業とのつながりについて
大学教育の価値とは、およびその改革法 その一
大学教育の価値とは、およびその改革法 その二

 上記三つの記事でも長々と書いてあるように、前提として私は現在の日本の大学教育は大きく問題を抱えていると感じております。
 具体的にどのような点が問題なのかと言えば、以前の記事でも書いたようにまず学生自身が理系はともかく文系が勉強するために大学に進学するのではなく、学歴を得るために進学してくることです。実際に高校生とかに話を聞いてみるとすでに進学が決まった学部で具体的にどのようなものを勉強したいのかと聞くとなにも答えられず、では大学に何を求めるのかと聞いたら即答で、「遊びたい」と答えられる始末です。

 そりゃ若いんだからいろいろ遊んでいたいという気持ちも理解できなくはないのですが、そのためだけに主に両親に年間百万円前後、下手すりゃそれ以上の額の学費と生活費を払わせて通うというのはもったいない気がします。第一、遊ぶだけなら大学に行かなくとも出来るはずです。こういったことを改めて高校生に突き詰めていくとみんな決まって最後は、「大学にいっとかないと就職できない」とようやく本音を言ってくれます。

 こんな具合で日本の大学生のうち少なく見積もっても過半数は勉強するためではなく、就職に向けた履歴作りを兼ねたモラトリアムのためだけに進学していると私は見ています。もちろん大学で何しようが本人の自由ですが、みんながみんなこんな感じであると真面目に勉強したい学生の方とすると結構居辛いものです。私自身の実体験でもありますが、やはり今の日本の大学は勉強を行う場と言う雰囲気がなく、どことなく力の抜けた空気に満たされていて真面目にやろうとするほどどんどんと脱力していく感覚がありました。
 そんなの気にせず一人でも勉強し続ければいいじゃないかと言われるかもしれませんが、周りで「じゃあ七時に居酒屋の前で集合な!」という声が聞こえてくると、飲み会に参加するほどのお金もなかった頃ゆえに胸にズキンと来て、一人家で参考書を眺めてたりすると寂しさもひとしおです。

 そしてそんな大学の雰囲気を反映するのか、大学の講師陣にも私は熱意を感じられませんでした。それこそ型通りのどうでもいいような話ばかりを授業でされて、ひどいのになると一度も授業時間いっぱいまで授業せずに学期を終えた講師までいました。探せば熱心に教えてくれる講師も確かにいるのですが、一度頭に来てもうすこし刺激になるようなことを教えて欲しいと教授に頼んだ所、授業に期待せずに自分で論文を読むなり勉強しなきゃ駄目だと言われて追い返されたこともあります。言われる事も一理あるのですが、それだと大学で勉強する意味自体がなくなってしまうので私は今に至るまでまだこの教授の意見に納得した事はありません。

 私は昔からこんな具合だったこともあり、ご多分に漏れず大学に入った一年目には見事に五月病にかかってしまいました。最初は友人の方が先だったのですが、親に高い学費を払わせてまで大学に通う理由が見当たらず何度も退学をしようかと考えました。それでも卒業までこぎつけられたのは冬でも半袖を貫き通すような頼もしい友人らと、親身になって中国語やマルクス経済学の成り立ちを教えてくれた恩師らに出会えたが故でした。

 ですので私も同じような悩みを持った学生に会ったら出来る限り力になろうと努めたものの、何人かの後輩の退学意思を覆す事は結局出来ませんでした。特にそのうちの一人はもうそろそろ時効だから書きますけど、ある日突然夜に私の下宿に来てもいいかと連絡があったので家に呼び、夕食を食べながらいろいろ話していた所、やや気分が高揚していたというか調子に乗って、

「言っちゃなんだけど、俺はまともな神経をした学生なら日本の大学をすぐにやめると思うよ。俺は度胸がないからさすがに実行しないけど、はっきり言って勉強するような場じゃない」

 こんな事を私が言うと、そのすぐ後に後輩が、

「すいません。実は僕、今日退学届けを出してきたんです( ´Д⊂」

 なんて言うもんだから、引きとめようがなかったことがありました。この時ほど、「先に言えよ(゚Д゚;)」って思った事は未だにありません。まぁこの後輩とは未だに仲良く、このブログも読んでもらっているのですが。

 まとめになりますが、私は現在の日本の大学は真面目に勉強したがっている学生の知的好奇心を満足させる環境にあるどころか、むしろ空回りさせてしまう環境でしかないと考えております。日本の教育全体にとっても、社会にとっても、そしてなによりも真面目な学生たちにとってこのような環境は望ましくなく、早急に改革しなければならないと考えております。それでもモラトリアムを求める学生が多いと言われるかも知れませんが、教育にしろ法律にしろ、こういうものは下に合わせるのではなく多少振り落としてでも上にあわせなければならないものです。真に真面目な学生に優しい大学であるようにと、願うばかりです。

2009年12月12日土曜日

内戦状態の日本 その二、反応と期待

 今日もちょっと電車に乗って移動していたのですが、案の定複数の路線でまたも人身事故が起きたために遅延が起こっていました。これだけ人身事故が連日と続いているにもかかわらず、どこのニュースも報じないと言うのもまた異常なように思えます。

 そんなわけでこの「内戦状態の日本」ですが、結論から言うと私は現在の日本人は互いに負荷を掛け合っている状態で、それこそ本来受けなくてもいいストレスを過剰に受け合っている状態にあると考えております。
 では何故日本人は互いにストレスを掛け合うようになったのでしょうか。最初に断っておきますが私は基本的に人間同士がなにかしら接触を持つことそれ自体、互いにストレスを掛け合うことになると考えております。以前にどっかで誰かが言っていましたが、「長生きをする秘訣は一つ、誰にも会わず、何にも怒らず、何にも感動せず一人でずっと過ごすことだ」と言いましたが、まさにこの通りでしょう。

 ですので人付き合い自体は基本的にストレスのかかるものと前提しているのですが、日本人の場合はそれこそほんの少しの他人との接触でも大きくストレスを受けたり与えててしまうと私は考えております。以前に書いた「空気の読み方、呑まれ方」でも似たようなことを書きましたが、日本人は周囲の意思や行動に過剰なまでに合わせようとするとともに、周囲もそれを強く期待する傾向があり、それがこの過剰なストレスに繋がっているのではないかと私は睨んでいるわけです。

 いくつか例を出すと、最近2ちゃんねるとか見ていると大学に入ったものの、一緒にご飯を食べる友達がいなくて一人で食堂に行くのを恥ずかしく思い、便所で一人で食べているという書き込みをよく見かけます。もちろんこれはただのデマかもしれませんが、これ以前にも日本では「ランチタイム症候群」といって、社内に昼食時に一緒に食べる人間がいないから退職するOLの事例が報告されているので、私としては本当にそんな人間もいるのだろうと見ています。

 はっきり言ってメシくらい誰が一人で食ってようが周りは誰も気にする必然性はありませんし、当人も意識する必要もないでしょう。しかし現に今の日本では「一人で食べる」ということが「友達がいない」という意味と感じ、その事実を人前で晒すのは恥ずかしいと思う人間が多いそうです。それこそ本人が気にしなければいいような問題で、私としてはやや自意識過剰ではないかと思ってしまいます。私なんか常に一人で130円のわかめうどんを食って過ごしてたんだし。

 この便所での昼食は本人の自意識過剰、言い換えるならば反応過剰ですが、これとちょうど逆の好例となるのが「はしの持ち方」です。恐らく日本人なら誰でも一回は「はしの持ち方」について注意されたりしたりした事があるでしょう。もちろんきれいな持ち方であるに越したことはありませんが、私としては人それぞれに使いやすい持ち方があるのだからいちいちそんな細かい所まで突っ込む必要はないだろうと常に思っています。第一、こんなの正解なんてあってないようなものなのだし。

 これら便所メシとはしの持ち方はちょうど比較するのにいい例でこのまま説明しますが、便所メシは当人による周囲に対する過剰な反応で、はしの持ち方は周囲に対する過剰な期待(要求)であり、この様に日本人は何事に関しても他国と比べて他人との接触で受けるストレスと与えるストレス両方が異常に大きい、ドラクエでいうなら特技の「すてみ」を常に使っている状態に近いのではないかと私は考えております。こんな風に考えるのもただ単純に私が周りを気にせず自分勝手な性格だからとも言えるかもしれませんが、少なくとも自分が外国で見たり相手したりした外人(同じアジアの中国人を含む)と比べると、現代の日本人と韓国人は特にこの傾向が強いように思えます。

 もちろんこれには地域によっても差があり、関西と関東ではいろいろと比較すべき点も数多いのですが、この反応と期待というのは両方とも一心同体的な部分があり、卵が先か鶏が先かの議論になってしまいますが、過剰に気を使ってくれるから要求がでかくなったり、相手の要求が過剰なために必要以上に気を使うようになったりと、どっちか片っ方が大きくなるともう片っ方も大きくなる傾向があります。

 ここでまた別の例を出しますが、日本が他国と比べて圧倒的、それこそ比較にならないほど多いものの一つに、駅員などに対する暴力があります。これまた大分昔に書いた「日本人の欠点」の記事にても取り上げていますが、電車が遅延したりした際に日本人は駅員に対して猛然と暴力を振るう傾向が強くあります。実際に阪急でバイトしていた友人らもみんな殴られた経験があると言っていましたし、電車が止まっているからといって駅員に対して怒鳴り続けるおっさんやおばさんを私も何度も見ています。

 何故日本人がここまで駅員に対して暴力的になるのかと言えば、原因は複数あれども大きなものの一つに「電車は時間通りに運行して当たり前」という前提意識が強く働いているからだと思えます。そんな風に考えるものだから一分でも遅れようものなら、「待ち合わせに遅れる!」などと怒鳴りつけるし、またそのように乗客が強い期待をかけるものだから鉄道各社も時間に対して非常に正確に努めるようになり、どんどん正確になるもんだからますます遅れようものなら乗客は怒り出して……。

 このように反応と期待は回を重ねるごとに互いに大きくなる事はあっても、小さくなる事はほとんどありません。なにもこんな大きな例を出さずとも、前のデートでは手をつないでくれたから今度はチューが来るだろうと青春期の男の子なら誰でも考えるでしょうし、冷静に考えるならばごくごく当たり前の話です。
 しかし日本の場合はそれがすでに突き詰める所まですでに来ており、互いの反応と期待があまりにも大きいものだからストレスフルな社会となっているのではないかというのが私の意見です。次回は具体的な事例を出しつつ、どうすればこのストレスのチキンゲームから脱する事ができるのかという私案をご紹介します。

2009年12月11日金曜日

内戦状態の日本 その一、導入

 今日は金曜日ですが、この一週間は移動という面で大変な一週間でありました。というのも月曜から金曜まで冗談抜きで毎日東京近郊の鉄道路線が通勤通学のラッシュ時にどこかしら遅延や運行中止になり、止まった路線に止まらず振り替え輸送などによって周囲の路線でもいつもより混み合うといった現象が続いた一週間でした。水曜日には私の使っている路線が見事に止まってしまい、すぐ復旧するかと思っていたら結局二時間の足止めとなってしまいました。

 そんなわけで鉄道各社、並びにバッティングした人にとってはまさにてんやわんやの一週間でしたが、その遅延や運行中止の原因というのが私が確認した限りすべて人身事故によるものときたものだからまたやりきれません。人身事故と書けばただ単に電車に接触して肩とか腕に怪我をしたというのももちろん含まれますが、基本的には飛び込み自殺が原因と見てほぼ間違いないでしょう。この一週間に限れば遅延の程度もさることながら私が二時間足止めを受けた際にも現場検証が行われているとの放送がありましたし、またこの師走という時期を考えると飛び込み自殺が増えるのも無理がないかと思われます。

 それにしてもこの一週間、下手すりゃ来週以降も飛び込み自殺が続くと言うのであればいくらなんでも異常としか言いようがありません。もちろん去年より続く不況の影響というものが主要因であろうことは予想に難くありませんが、このところ私は不況不況と言われつつも、こうして毎日電車が人身事故で止まるというのはもはや日本人の精神構造や社会価値観に病理というか、大きな欠陥があるためではないかと考えるようになってきました。

 今年はまだ終わっていませんが、ここ十年と同じく今年も自殺者数は三万人を超え、下手すれば過去最悪の数になるかもしれないとの予測が早くに飛び交っております。また自殺というのは案外成功し辛い行為であって自殺成功者の影には約十倍もの未遂者が統計に隠れて存在すると言われており、仮にそうであるとすると日本では毎年三十万人以上も自殺を図っているという計算になります。
 また自殺行為に密接に関わるうつ病についても、政府もあれだけ予算使って対策を取っているにもかかわらず発症者数の伸びに一向に歯止めがかかりません。

 日本の自殺率(十万人辺りで何人自殺するかという割合)は恐らくまだ変わってないでしょうが、ちょっと前の統計では世界で九位でした。日本よりまだ八カ国も自殺率の高い国があるとはいえ同様に自殺率の高い韓国と並んでその国の規模からするとこの数字はやはり異常で、政府としても対策としてかなり前からカウンセラーや精神病院を設置するなど行ってきましたが、そういった対策によって認知件数が増えた結果とも見ることが出来ますが、今のところはずっと減少せずに伸び続けております。

 こうした精神医学面からの対策がどうして効果を出さないのかということについてこの頃よく考えてはいるのですが、あくまで私の見方として、こうした自殺やうつ病と言った問題は一見すると個人が抱える問題と思われがちですが、実際には個人を超えた日本人社会に何かしら問題があるのではないかと見ています。そして仮にそうであれば、いわば日本人は互いに互いを自殺やうつ病に追い込みあっていると言う事になります。

 こういった状況を踏まえて我ながら過激なタイトルをつけてしまいましたが、私は今の日本社会はもはや内戦状態にあるといっても差し支えないのではないかと考えております。現に一年間で見ればイラクでの米兵の死者数を日本の自殺者数は超えており、自殺者を戦死と捉え、自殺未遂者やうつ病など精神疾患を抱えた人を戦傷と捉えるならば、日本は相当規模の戦争を毎年継続して、しかも日本人同士で行っていることとなります。

 では一体何故、このストレスという武器で攻撃しあう内戦が起こるのか、またどうすればこの内戦を終結させる事が出来るのか、そういった点について明日明後日と短期集中で私の意見を紹介使用と思います。今日はあくまで導入で切り上げますが、元々自殺を社会学的なデュルケイムというフランス人が分析したことで社会学が名を挙げたということもあり、個人の視点で分析する心理学もさることながら社会学もこういった分野へどんどんと研究を広げていくべきではないかと考えております。

2009年12月9日水曜日

見上げた後輩の話

 時間がないのでまたどうでもいい私の昔話ですが、私は今でこそ訳のわからないことを毎日ブログに書き綴っているものの、こう見えても中学と高校時代は水泳部に所属していました。水泳というものは基本的に個人競技なので水泳部内は運動部としては拘束も緩く気楽な部活なのですが、夏休み前後ともなるとシーズンという事で部員揃って参加する大会も増えていき、一匹狼の集まりみたいな水泳部でもこの時ばかりは同じ学校の選手が出場するレースにみんなで応援をしたりします。それでもみんなやる気なかったけど。

 この話はそんな水泳大会の一つに私が中学三年生だった頃に参加した時の話ですが、夕方になって大会も無事終わり、私の部活内でも解散となったので家路に着こうと近くの駅に私一人で向かった所、その駅にてなにやら今年水泳部に入った一年生が右往左往しているのが見えました。向こうはまだこっちに気がついておらず、面識もほとんどないんだしそのまま無視して帰っても良かったのですが一応声をかけてみたところ、その一年生は帰り方がわからずに困っていました。

 少し内容を詳しく説明すると、その日大会があった会場は二つの別々の路線に挟まれた場所にあり、その一年生と私は別々の路線の駅からその日会場に来ていました。ところが朝に会場へ来る際にその一年生は友達同士で来ていたようなのですが、帰りはうまいこと友達たちと合流する事が出来ず、一人で目的の駅へ向かおうとしたら見事に逆方向の駅へとたどり着いてしまっていたというわけです。

 もちろんそこから本来帰るべき駅へ戻ればいいだけの話なのですがその一年生は逆方向に来てしまうなどただでさえ周辺の地理に疎く、また着いてしまった駅から電車に乗って無理やり自宅に帰ろうものなら大回りになってしまい、割り増し分の電車賃を払えるだけのお金も持っていませんでした。そんなわけで一人でパニクっていたのですが、さすがにほとんど面識がないからといって見捨てるわけにも行かず、私の所持金から五百円玉を抜き取ってその一年生に渡し、こう言いました。

「いいか、このお金でそこの駅前から出ているバスに乗るんだ。あそこから出ているバスなら反対側の本来君が乗るべき路線の駅に行ってくれるから道に迷う事もない。出来れば一緒についていってやりたいが、さすがにそこまでついていくと今度は俺が帰れなくなる」

 そういって乗るべきバス亭まで連れて行ってバスに乗るところまで付き合ったのですが、次の日の部活にはまた元気に来ていたのでまぁ無事に家に帰れたようです。
 ただ私もあまり面識がない一年生ですし、向こうとしても一個上の二年生ならともかく三年生の私となると接触も少なく、またこっちの名前も知らないのだから渡した五百円玉は返ってこないだろうと私は踏んでいました。元々そのお金は私の親が緊急用に持たせていたお金だったのでわざわざ請求するほどでもないし、無事に帰れたのだからそれで良いだろうと私も気にせずにそのまま過ごしていました。

 それから一年後、付属の高校でも水泳部に入っていた私はその年の夏休み、本音ではあまり参加したくなかったけど夏休みの合宿に参加しました。合宿は自由参加だったのでそれほど参加人数は多くなかったのですがその中に例の元一年生も参加しており、なんとはなしに去年はあんなことあったなと遠目に見ていたら向こうも私に気がつき、就寝前に私に話しかけてきました。

「去年のあの時は本当にありがとうございました。これ、大分遅れてしまいましたが借りていた五百円をお返しします」

 話を聞くと向こうも向こうで気になっていたらしいのですが、私が一切接触しないもんだからなかなか切り出せず、こうして合宿で一緒になってようやく言い出せたそうです。まぁ元はといえば、何も声をかけようとしなかった私が一番問題なのですが。
 ただこの一年生(もうその頃は二年生だけど)もしっかりと一年も昔のことを覚えていて、確かに遅れたものの律儀にお金を返しにきたということに私は素直に感心しました。こっちなんか返せなんて一言も言わなかったし。

 その後この一年生は生徒会にも入って活動するようになったのですが、この一件での彼の律儀さを知っていたので彼ならきっとしっかりと活動してくれるだろうと、陰ながら温かい目で見守っていました。世の中、中々捨てたものじゃないなと私に思わせてくれた後輩でした。すぐに私より背が高くなったのは気に食わなかったけど(゚⊿゚)

2009年12月8日火曜日

鳩山邦夫氏、母親からの資金提供を認める

 テレビニュースなどでも速報が行われていますが、鳩山邦夫氏が現在献金偽装疑惑のある鳩山由紀夫首相と同様に、自身の政治団体にも実母から資金提供があったことを公に認めました。

<鳩山邦夫氏>実母からの資金提供 贈与税納める考え示す(毎日新聞)

 ちょっと前に書いた記事でこの問題について私も全体構図を見立てていましたが、大まかな所ではその見立て通りに事実が動いてきました。もし鳩山首相への偽装献金の原資が母親からならば弟の邦夫氏もきっともらっているはずで、もし邦夫氏がその事実を知っているのなら正直すぎる人だから口に出してしまうので、それがないことは邦夫氏は今まで知らなかった可能性が高いのでは、と書きましたがやっぱりそんな具合だったそうです。

 ただ邦夫氏が疑惑の追及を受けてすぐに事実を認めたのに対し、鳩山由紀夫首相の場合は選挙前に疑惑が発覚してから延々と六ヶ月も粘り続けております。この差は如何ともし難く、恐らく今後、首相への批判はこれまでに増して強まる事は確実でしょう。小泉元首相もちょっと前、献金疑惑で参院選まで鳩山政権は持たないと予言したくらいだし。
 それにしても、鳩山邦夫氏は次々と関わる人間を首相の座から引き摺り下ろすなぁ。

北京留学記~その二四、青島のサラリーマン

 また大分日が経ってしまいましたが、北京留学記の続きです。それにしても、年内には終わるかなこれ。
 前回まで私の留学中のクラスメート、そしてルームメイトなど非常に親しかった人間ばかり紹介しましたが、今回はこれまでと違って旅先で一回だけしか会わなかった、年のころは四十前後の青島のサラリーマンとの話をご紹介します。

 その人と会ったのはこの後にも紹介しますが、学校の冬休み中に私が単独で行った南京、上海旅行からの帰りの列車でした。この旅行自体が結構無茶な日程を組んで行った旅行だったために、上海から北京への帰路に付く頃には腹を下すなど体調的には非常に悪い状態でした。ですので本音ではケチりたかったのですが、恐らくそうそう乗る機会も少ないのだから思い切ってこの時に使った寝台列車の中で一番良い席(軟臥)を予約して列車に乗ったところ、相部屋の相手になったのがこの青島(チンタオ)のサラリーマンでした。

 まず最初に口を開いたのは相手の方からで、列車が出発してしばらくしたころに私の不慣れな発音に興味を持ったのかどこからきたのだと話し掛けてきました。そこで私が北京だと答えた所、外国人だろ、どこの国かと聞いているんだと改めて聞き返されてしまいました。そりゃま、そうだろう。
 それで私が日本人だと答えるや、彼が機嫌が急に良くなりました。というのも彼の奥さんは中国人ではあるものの日本語が出来る方らしく、また彼自身の青島の仕事でも日本人と接する機会が多いために日本に対して親近感を持っていたようです。

 そんなかんだで旅の道連れはなんとやら、途中折々で辞書を引きつつ、メモに言いたい事を漢字を書いてもらいつつこのサラリーマンとあれやこれやと話をしたのですが、この時まず最初に話題になったのは青島の話でした。
 私が青島には日本人は多いのかと聞いた所、彼はすぐに「多い」と答え、海路で見るならば日本に近いという地理的条件から日本向けの製品を作る工場が林立しており、そのため会社から派遣される日本人も数多く済んでいるとの事でした。それら日本人会社員は大体二年から三年間中国に赴任すると日本に帰ることが出来、帰国後には出世するという事も教えてくれました。前々から聞いてはいましたが、やはり数年の海外赴任、とくに中国ではそれ自体が出世の条件となっているのはどこも同じのようです。
 そのあと続いて韓国人も青島に多くいるのかどうかと聞いてみるとやはり多いと返ってきて、韓国でも中国に製品工場持つ会社が多いと話してくれました。

 そんな風に話していたところ、やおらむこうから、お前は大学生なのかと聞いてきました。当時学生だった私はすぐにそうだと答えると大学名も続けて聞かれたので、私立の○○大学答えると、日本で私立大学だとここがすごくいい所なんだろうと、漢字でメモに「早稲田」と書いてきました。なんでも、ここがすごいって知り合いの日本人に聞いたそうですらしい。
 いい機会なのでこの時に他に日本の大学で知っている所はとさらに詳しく聞いてみた所、東大と京大、そして早稲田と慶応と挙げてきました。やはり海外に知名度のある日本の大学と来るとこの四つといったところでしょうか。

 と、ここまで話して、少し思い当たる事が出てきたので、今度は私からこんな事を聞いてみました。
「子供はいるんですか?」
「いるよ。今はまだ中学生だ」
 なんでも家族は青島にいるらしく、今回は北京に出張で来ているらしいのですが、子供の話をしたときに少し顔が曇ったように私は感じました。あくまでこれは私の推量ですが、現在中国で大きな問題の一つとして子供の教育費の問題があります。大学進学までを考えたら相当な額が必要となるため、ちょうど日本の大学の話を下ばかりだったので息子のこれからの教育を考える上での苦労を垣間見せたのかもしれません。

 話は戻って先ほどの出張で北京に行くという話ですが、この時私達が乗っていた列車は上海―北京間を結ぶ夜行列車だったのですが、この列車はなんでもつい最近出来たもので、これが出来て非常に便利になったと語っていました。
 この上海―北京間は日本で言うとそれこそ東海道新幹線の大阪―東京間に相当する区間で、それだけにこの区間の特急列車は需要が高いために年々スピードアップが図られているらしいそうです。

 そんな具合でだんだんと仲良くなっていったので、後半にてちょっと思い切った質問をぶつけてみた。
「最近、日中は仲が悪いけど……」
「気にするな。あれは政府がやっている事だ」
 恐らく私以外にも中国人に直接聞いてみたいと思っている方が多い質問でしょうが、この質問に対して彼はなんでもないというような態度で反日感情は持っていないと答えました。

 少し分析的な見方をすると、彼は青島でサラリーマンをやっている人間であり、職業柄、日本人と付き合う事も多い人間です。日本人でもそうですが実業に近い人間ほど中国に対して親近感を持つ傾向が強く、逆に、学術系、教師や大学教授、もしくは実業とは離れている主婦などは中国を胡散臭く思う傾向があるように感じます。この青島のサラリーマンもこの例に当てはまり、政冷経熱の名の通りに日本に対して反感を持っていなかったのかとも見ることが出来ます。
 
 このように長々話をしていたのですが、最終的には不調だった私の体調がダウンして11時くらいにお互いに布団に入る事にしました。その後列車が北京駅に着いて地下鉄に乗るまでは一緒にに行動しましたが、地下鉄の駅で向かう方向が別れるためにそこで別れました。彼は別れる際に、
「さて、仕事だ」
 と、朝も早くからそういい残し、最後はお互いに握手を交わして別れました。サラリーマンは日中双方で、どこも変わらないと感じた瞬間でした。

2009年12月7日月曜日

COP15を巡る駆け引きと鳩山宣言

 鳩山首相が就任直後に向かった遊説先のアメリカにて、CO2排出量をを90年基準で2020年までに25%も削減すると発表し、国内外において賛否両論、というよりは、「そんなの出来っこない」という大ブーイングを招いたのは記憶に新しいかと思います。私も当時にこのブログにてその発言を取り上げましたが、どうせ欧州諸国も目標を立てたところで達成できる国などほとんどないだろうから、一時とはいえ言うだけ言って注目を浴びただけでも良かったのではないかと、やや肯定的にこの鳩山宣言を評価しました。

 しかし世の中とはなかなか広いもので、イタリア史作家の塩野七生氏は文芸春秋のコラムにて鳩山氏のあのCO2削減宣言について以下のように評していました。
 塩野氏はアメリカを始めとした先進国、中国を始めとした発展途上国(最近なんだか新興国と言う表現を使うようになってきたけど)に先駆けて、日本は環境問題に真剣に取り組むという姿勢を強く打ち出した鳩山氏のあの宣言は今後の日本の外交にとって大きなイニシアチブになるとまず褒め称えました。CO2の削減目標の達成の実現性については塩野氏もこれははっきりと無理だと言うものの、鳩山首相のあの宣言の冒頭に、「アメリカや中国が歩調を合わせるのならば……」という一文が混ざってあった事に着目し、要はこの二カ国が日本同様に削減目標を持たなければ実現しないでもよいという逃げ道があの宣言にはあるとして、今後はこの両国の参加という前提条件を他国が忘れないように繰り返し言い続けるだけで環境問題に対し、ほぼ無傷で国際社会で相応の地位が保てると分析していました。

 こう言われてなるほどと思い、もし塩野氏の言うような意図であの宣言を行ったと言うのであればなかなか大したもんだったとあの鳩山首相の宣言に対して私も見直したのですが、となると肝心になってくるのは前提条件となっているアメリカと中国の対応で、果たしてどんなものかと今日の世界の気候変動に関する会議である「COP15」を前々から楽しみにしていたところ、開催前には中国も具体的な削減目標を設定してくるという報道があったものの今日の会議においてはいつも通りに先進国がまずもって削減する必要があり、発展途上国はまだその段階にないとインドとともに主張してきました。このまま行けば、塩野氏の言うように日本の目標達成の前提条件は崩れてくれます。
 また日本側もなかなか周到なもので、会議開催前の昨日の段階にてすでに、「京都議定書の単純延長には調印しない」と発表しており、うまくいけばあの削減目標を無視しながらこれまで日本を縛ってきた京都議定書の呪縛から解き放たれる事ができるかもしれません。

 今日の段階でこのCOP15はこの調子だと何も決まらずに終わりそうだという事で、最終日に首脳同士の会合にて何らかの合意を得て終了するのではと報じられていましたが、開催直後の今日になって面白いニュースが飛びこんで来ました。

TBSの動画あり 約2週間以上のおくれで日本でも報道が始まった模様です

 上記リンクは相互リンク相手のdotcom07さんのページですが、このページにて紹介してあるニュースというのも世界の温暖化を始めとした気候変動の調査に対して権威のあるイギリスの研究所のメールが流出した所、温暖化にそぐわないデータの改竄やら隠蔽をほのめかす内容が多数見つかったそうです。時期も時期なのでこれは一種のブリティッシュジョークなのかと思うくらいのタイミングの良さですが、これからCOP15がどう転ぶか、またdotcom07さんの言うように日本のメディアがどう報道するか観察のし甲斐はあるかと思われます。

  追記
 その後中国はこのCOP15で、

「中国は過去15年間、単位GDP当たりの二酸化炭素排出を47%削減した。2010-2020年にはさらに40%-45%引き下げる」(サーチナ

 と一応目標を設定したようですが、単位GDP辺りって総量だといくらになるのか、多分その辺にいろいろロジックを組んでいるのを見越して各国も批判を行っているようです。

2009年12月6日日曜日

マルクスの疎外論

 随分昔に書いたと思ってたら書いていなかったので、ちょうど前回の記事で「空気に呑まれる」という事を取り上げたばかりなので疎外論についても紹介しておきます。

疎外(ウィキペディア)

 はっきり言って私のこの記事を読むよりもこの疎外論については専門に研究されている方も少なくないので、もしこの記事で疎外論に興味を持たれたのであれば是非他のサイトも訪れる事をお勧めします。

 それでは本題に入りますが、この疎外論というものを初めて提唱したのは社会主義経済学の祖であるカール・マルクスで、彼が提唱した経済学概念の社会主義経済こと共産主義はソ連の成立とその後の崩壊という大掛かりな実験によってすでに実現不可能であることが証明されてしまいましたが、この哲学分野に属する疎外論については未だなお価値が下がることなく学者達によって研究が続けられております。

 その疎外論がどのような概念かというと、単純に言うのならば人間が自分で作った概念やシステムに逆に振り回されてしまうといった所です。
 これは私がこの疎外論を説明するのによう使っている例えですが、ある会社で飲み会が開かれる事となり、幹事であるAさんは同僚に参加するかどうかを確認していたのですが、このAさんは同僚であるBさんのことを内心では快く思っていませんでした。ですのでAさんは出来ればBさんには飲み会に来てもらいたくないのですが、他の人間には誘っているのにBさんだけ誘わないと角が立ってしまうので仕方なく誘うとします。誘われたBさんも実はAさんのことを嫌っていたのですが、Aさんの誘いを断ってしまうとこちらもまた角が立ってしまうので、出来れば参加したくないと思いつつも参加すると答えてしまいます。

 この例えの場合、AさんもBさんもお互いに相手のことを嫌っていて飲み会のような場所で顔を合わせたくないと思っていながらも、飲み会に誘わなければ、参加しなければ角が立つと思うあまりに両者どちらにとっても望ましくない結果をわざわざ招いてしまいます。何故こんな結果になってしまったのかと言うと、AさんとBさんの両方に「飲み会に相手を誘わなければ、参加しなければ角が立つ」という概念があり、この概念があるがゆえにわざわざ気まずい思いをする事になってしまったというわけです。

 同じく飲み会ネタであれば、ちょうど今の時期くらいにある会社でシーズンという事で忘年会を企画するものの、みんな年末の忙しい時期にわざわざ会社のイベントに参加したくないと思いつつもさすがに忘年会に参加しないと協調性がないと思われると考え、結局誰も望まない忘年会にみんな参加してしまうというのも疎外の一例と見ることが出来ます。

 このように特定の概念や思想が人間の手の元を離れて逆に人間の行動をマイナス方向に支配、制限をすることを「疎外」と呼び、前回の記事で私が取り上げた「空気に呑まれる」のとは厳密にはちょっと違うかもしれませんが、みんな内心では良くないと思いつつも周りに合わせないと思うあまりにわざわざ誰にも望まれない行動を取ってしまうという点でほぼ同義の言葉だと私は考えております。

 マルクスは生前にこの疎外という概念を主に資本主義批判に適用して提唱していましたが、現実にこの考え方はなかなか良く出来たもので、現在においても社会問題を考察する上に役立つ概念であります。
 元々、経済というものは人間がみんなで便利に暮らすために作られた社会システムだったのですが、今や国会でもこの経済(資本主義)というシステムを維持するための対策が激しく議論が行われ、一企業レベルでも会社を存続させるために社員みんなで骨身を削ってまで働くなど、みんなで経済をどうにかしなければとあちこちで叫ばれています。自分達の生活を便利にさせるために作られたシステムであったはずなのに、リーマンショック以降は特に顕著ですが、経済を維持するために今や沢山の人間が犠牲になっている状況です。

 かつて共産主義は人間性がなく、血の通わない管理された経済システムであったがゆえに資本主義に敗北したと言われました。今の資本主義に人間の血が通っているかという問いにマルクスが生きていたらどう答えるのか、なかなか興味をそそられます。

2009年12月5日土曜日

空気の読み方、呑まれ方

 日本で生活する上で何が一番重要になるかと仮に外国人に聞かれるのであれば、私はまず迷わず「空気を読むこと」だと答えます。この答えに他の日本人がどのように感じるかまではわかりませんが、私はそれほどまでに日本の社会では場の空気を読むことが要求されると考えており、それは小学校から会社、果てには本来自由に思考を働かせるべきであるはずの学界においても例外ではないと見ております。

 ではそんな「空気を読む」行為とはどういうものなのかというと、具体的な定義とすれば周囲の意見に歩調を合わせ、全体意見や思想から大きく外れた発言や行動をしないといったところでしょうか。日本の社会では「協調性」、というよりも「同位性」を持つことが高い価値とされるため、この空気を読むという行為は日本の日常においては実生活だろうがテレビの番組内だろうがインターネットの掲示板あろうが、それこそ場所を選ばずに「空気を読め!(#゚Д゚)」という声があちこちから聞こえてきます。
 それだけあって日本人組織の団結力は世界レベルでも明らかに群を抜いており、中国人もよく、「日本人は一人一人だとへなちょこだけど、集団になるととてもじゃないが敵わない」と、よく評しております。恐らく、自分達中国人は逆に団結力が低すぎるということがわかっての評価でしょうが。

 断言してもいいですが日本ではこの空気が読める、つまり周囲に合わせられるという事が無条件で美徳とされており、逆にそれが出来ない人間はしばしば批判の対象となってしまいます。
 こういった周囲に合わせて統率の取れた集団行動が出来る日本人の高い協調性は私も十分に評価に値すると言えるのですが、その一方で日本人はこの「空気が読める」ことのちょうど裏返しの意味に当たる、「空気に呑まれる」という危険性に対しても全くの無防備であると見ております。

 この「空気に呑まれる」というのはわざわざ説明するまでもないですが、本人の意思が知らないうちに集団の意思と同化されてしまう事を指しており、日本人も自分でそれ自覚しているのかよく、「日本人は自立性が少ない」と外人と比較して自分達を評価しています。
 「空気を読む」と「空気に呑まれる」はどちらも個人の意思が集団の意思と同化するという意味では全く同じであり、この両者を分けるの点というのは言ってしまえばその個人を取り込む集団の意思や行動がまともであるか異常であるかの一点に尽きるでしょう。簡単に例えを出すと、集団に依存を強める先が普通の企業やサークルであれば「空気が読める人間」であり、ブラック企業やカルトサークルであれば「空気に呑まれる人間」といったところでしょうか。

 ここで結論を述べさせてもらうと、現代、というより以前から日本人は空気を読むことに注力しすぎるあまりに実際には空気に呑まれていることが少なくないのではないかと私は考えております。それこそ通常の判断であれば明らかにおかしいと思える行為も、「みんながやろうとしているのだから」で片付けてしまい、わざわざ自滅の道を自ら辿ってしまうことも日本人には多い気がします。

 卑近な例を挙げるとこれは近所の知り合いの話ですが、周囲で流行っているので本人もそれがかっこいいと思ったのか彼は中学生の頃からしょっちゅう自分の髪の毛を茶髪に染め始め、その後も過度に洗髪を繰り返したためかまだ二十代にも関わらずすでにハゲが大きく進行してしまっており、現在では外出時に必ず帽子を被って出かけるようにしているそうです。また同時期に流行った日焼けサロンにて行うガングロファッションについても似たようなことが現在起こっているらしく、無理な日焼けを行っていたために皮膚がんを発症する若者がこのところ増えていると聞いております。どちらも当時からそれぞれの危険性が訴えられていたのですが、そうした声に耳を傾けず一時の流行に乗ったために将来の自分を大きく制限してしまうというのはまさに空気に呑まれてしまった結果だと思います。

 そして今度は過去の大きな例になりますが、私も大ファンの昭和史家の半藤一利氏が戦後すぐの時期に戦争遂行に当たって重要な地位についていた陸海軍の軍人らに対して数多くインタビューを行った際、一体いつ頃から対米戦を意識、決意し始めたのかと聞いったところ元軍人らは、「なんとなく、周りがアメリカとの戦争をしなければならない空気だったから」と答える人間が非常に多く、誰も明確な戦争の目標や必要性を答えることができなかったそうです。

 実際に開戦当時の状況を調べると日本が超強国アメリカと戦って勝つ見込みなど全くなく、敗戦するリスクに見合うほどの開戦する価値はほぼ皆無と言っていいものでした。よく一部の評論家はアメリカの貿易制限や最後通牒のハル・ノートによって日本は追い詰められた挙句に戦争せざるを得なかったと主張していますが、戦争によって日本が受けた壊滅的な損害とハル・ノートの条件(南部仏印、中国からの撤兵)を比べるのであれば、結果論ではありますがそれこそ比較にならない差が歴然とあります。

 では何故それほどまでに日本は危ない橋をそれこそ政府、国民揃って渡ろうとしたのかと言えば、先程の半藤氏のインタビューに対する元軍人らの答えのように「なんとなく」こと、「空気に呑まれた」ためだと私は考えます。よく国民は暴走する政府によって戦争に巻き込まれたと言われておりますが、当時において日本の戦争行動を批判していたのは石橋湛山ただ一人で、やはり大多数の国民も開戦を歓迎したそうです。

 私は日本人は過剰に空気を読もうとするあまり、空気に呑まれやすい民族になっていると見ております。どれくらい過剰に空気を読もうとするかについては明日あたりにまた疎外論の話と合わせて解説しますが、なんでもかんでも空気を読むことがいいことだと考えるのは一時やめて、周りに流されない独立した判断力を自覚して持つようにするべきだと私は思います。それこそ周囲から「空気を読め!」と言われても、「空気に呑まれるな!」と言い返せる人間が社会から弾き飛ばされないくらいに。

2009年12月4日金曜日

火付盗賊改方 中山勘解由

 先に哲学関係の記事を一本書こうと思ったら筆があまり進まなかったので、方針転換して今日は悩まずに書ける歴史記事にします。哲学系の記事が好きな人は、また明日来てください。(´▽`)ノ

 それでは本題に入りますが、「火付盗賊改方」と来ると、恐らく大半の方は小説「鬼平犯科帳」の主人公、鬼平こと長谷川平蔵を思い浮かべるかと思いますが、私はというとほかの人とはちょっと違い、今日取り上げる中山勘解由(なかやまかげゆ)という人物を思い浮かべます。恐らくこの中山勘解由は非常にマイナーな人物かと思われるので、私もあまり知っているわけではありませんが知っている限りでご紹介します。

 この中山勘解由、正式名は中山直守という人物は長谷川平蔵の時代より以前の4代目徳川家綱の時代の人物で、火付盗賊改方の初代長官とされる人物です。そもそも勘解由が所属した火付盗賊改方というのは一体どういう組織というと、言うなれば江戸時代における凶悪犯罪対策班のようなもので、当時の犯罪捜査に対して大幅な捜査権を持った警察組織のことです。それだけにその捜査方法や取締りの苛烈さは当時からも有名だったそうで、あえて現代にたとえるなら年中ヤクザとやりあっている兵庫県の公安といったところでしょうか。

 そんな火付盗賊改方初代長官の中山勘解由という人物はどんな人物かと言うと、当時の江戸市民を大いに震え上がらせる火付盗賊改の基礎を作ったとだけあって厳正な人物だったらしくついたあだ名も「鬼平」ならぬ「鬼勘解由」だったそうです。私がこの人物を知ったのは「三国志」で有名な漫画家の横山光輝氏の「時の行者」という作品なのですが、その作品においては以下のようなシーンがありました。

 江戸で火事が起きた際に道端に落ちている荷物を拾った男がおり、この男に対して勘解由はただ手に取っただけだと言う男に対して盗難を図ろうとした疑いがあるといって、問答無用で即刻打ち首にしてしまいます。
 実際には火付盗賊改方は捜査権はあれども裁判権は持っていないのでこの話はフィクションかと思いますが、このエピソードに加えて横山氏の同作品には、押し入った強盗が火付盗賊改方に取り囲まれたために家人を人質に取るのですが、勘解由はただ一言、

「わしには人質の姿が見えぬ」

 と言って、なんと人質諸共に強盗犯を斬殺するのです。さすがにこれもフィクションかと思いますが……。
 ただこの作品を読んだのは私が小学生の頃でしたが、このあまりのインパクトに勘解由の名前を一発で覚えてしまいました。それと同様に「鬼勘解由」という異名がすごくかっこいいように思えてきて、いつか自分もなんでもいいから「鬼」という異名が付いてほしいと現在に至るまで勘違いし続けています。これの影響かはわからないけど、楠桂氏の「鬼切丸」という漫画作品も一時期はまりました。

 ただこの「時の行者」で書かれているような勘解由の苛烈な姿は、多かれ少なかれ実際の火付盗賊改方の姿を映しているかと思います。当時の江戸は木造の家が多かったために火事が多く、放火は問答無用で磔刑に処せられるほどであの有名な八百屋お七も例外なく同刑に処せられています。

 横山氏はこの「時の行者」の中山勘解由の回にて、中山勘解由の長男が当初は苛烈すぎる父親に反発していたものの知人が理不尽な犯罪で強殺されるのを受けて、このような時代だからこそ周囲から憎まれようとも誰かが「鬼」にならなければならないと決心するシーンでまとめております。実際に勘解由の息子の中山直房も火付盗賊改方の長官に就任しており、こちらが「鬼勘解由」だという説もあるようです。

 私もこの勘解由ほどではありませんが、たとえ周りにどれだけ憎まれる事になろうとも言わなければならないこと、やらなければいけないことは必ず実行するようにと心がけております。それこそ実際にこれまで気違い呼ばわりされた事も一度や二度ではありませんが、自分もいつか「鬼」と呼ばれる事を夢見て今後も信念を貫いて生きて行こうと思います。

2009年12月3日木曜日

鳩山家を巡る資産疑惑

 事業仕分けの終わった今現在で最もホットな政治の話題とくれば、それはやはり鳩山由紀夫首相の偽装献金問題でしょう。この膨大な額の献金の出所について検察は、その大半に当たる9億円は鳩山首相の母親から出されていたものと発表し、近く秘書とともに現在は手術直後という事で見合わせていますが鳩山首相の母親も聴取を行うことに決めたそうです。

 今回のこの献金騒動は結局なんだったのかと言うと、前からも申しておりますが結局の所は体のいい脱税だったというのが真相と見てもう間違いはないでしょう。前に私が書いた「鳩山首相の献金疑惑について」の記事にも書いていますが政治資金団体が管理する資金であれば相続税が発生しないため、恐らく鳩山首相の母親は自分の生前の間に保有する資産を相続税に取られる前に子供に委譲しようとして今回の事件を起こしたのでしょう。

 これに対して鳩山首相は母親からそのような献金が行われているとは知らなかったと強弁しておりますが、自分の資金管理団体に九億円もの、しかも身内から融資が行われていたにも関わらず知らなかったと言うには一般の感覚からしたら無理があります。また仮にそうだったとしても、今回の疑惑の発端となった総選挙前に発覚した故人からの献金疑惑について鳩山首相は自己調査を行ったと説明してましたが、その調査時にどうして気がつかないというのもまたおかしな話です。もっともその時の事故調査報告も、今度は本当に献金した人を献金リストから外すなどザルな調査もいいところでしたが。

 この鳩山氏の献金疑惑について佐野眞一氏がその著書「鳩山一族 その金脈と血脈」(文春新書)において、他の政治家が活動資金の捻出に苦しむ中、鳩山家は逆にその有り余る資産によって首を絞められると評していましたが、まさにこの言葉が示すとおりの結果となってしまいました。
 ただこの事件で気になるのが、前回の記事でも最後にちょこっとだけ書いていた弟の鳩山邦夫氏についての疑惑です。

偽装献金、鳩山邦氏に説明求める=自民・谷垣氏(時事ドットコム)

 つい昨日から邦夫氏についてもこのようなニュースが報じられるようになりましたが、やはりというか邦夫氏の政治団体にも母親から4億円も献金されていたそうです。
 ただこの件について邦夫氏は、「わたしは見たことも触ったことも聞いたこともないから、全く分からない」と答えており、由紀夫氏ならいざ知らず言わなくともいい事まで言ってしまうほど嘘がつけない邦夫氏の性格からするとなかなか無視できない発言です。邦夫氏がこう言うのであれば由紀夫氏が知らなかったと主張するのも、私の中では俄然信憑性が増します。

 しかしそうなると、やっぱりこの偽装献金は鳩山氏の母親の独断+秘書の協力によって行われた事になってしまいます。佐野氏も述べていますが、母親の過剰な保護が息子を駄目にしてしまう一例になってしまうかもしれません。


  おまけ
 選挙前に民主党がマニフェストに掲げていた高速道路無料化ですが、本日政府は予算が足りないのと国民からの反発が強い事から来年度は北海道に限定して実験的に実施する案を発表しました。このニュースを聞いて私が咄嗟に思ったのは、北海道と来ると鳩山首相の選挙区で、なおかつ前回選挙では敗北したものの自民党の重鎮議員が数多くいる地域です。この北海道限定での高速道路無料化案は実験というのは建前で、実際の所は次回の選挙対策という意味合いの方が強いのではないかと感じた次第です。

2009年12月2日水曜日

ガンダムのOVA作品について

 たまには趣味の事も書こうかと思うので、ガンダムのOVA作品について書きます。
 それにしてもこの「OVA」という略称ですけど、意味は「オリジナルビデオアニメ」なのですが、90年代後半まではOAVといって、「オリジナルアニメビデオ」という同じ意味の略称もよく使われていたのですが時代とともにいつの間にかOVAに統一されていきました。まぁOAVだと「オリジナルアダルトビデオ」とも読めちゃうし、OVAの方が私もいいと思ってたけどさ。

 話は本題に入りますが、ガンダムシリーズのOVA作品は複数あって、今回私が槍玉に挙げるのは「0083 スターダストメモリーズ」と「08MS小隊」です。両者ともセールス的には非常に成功した作品なのですが、私の感想はどちらも決してそのセールスに見合うほどの作品ではないとあまり評価しておりません。その理由はというとどちらもメインであるMSの造形についてはそれほど不満はないのですが、両作品ともあまりにもストーリーの展開がだるく、なんていうか三文芝居を見させられているように感じるためだからです。

 具体的にどのような点が不満なのかというと、まず「0083」については私以外にもあっちこっちでいわれているようにヒロインのあのふざけた立ち位置ぶりに呆れさせられます。この作品はMSが敵役に奪われるシーンから始まるのですが、その強奪される瞬間を主人公とヒロインも目撃しているにも関わらず、何故かストーリーの後半になって突然その敵役がヒロインの元彼という設定が付け足されてしまうのです。ヒロインも強奪されるシーンにて敵役の顔をはっきり見ていて「誰だ?」とも言っているにもかかわらず、後半で元彼と設定されたばかりか主人公から離れてその敵役の側につくなど、その背信振りには今もネット上で「ガンダムシリーズ、最低のヒロイン」とまで揶揄されている程です。

 そんな「0083」に対してその後に作られた「08MS小隊」ですが、この作品については私は先程も言ったようにくだらない三文芝居が延々に続くように見た当初感じました。どんな所が三文芝居なのかというと、まず気弱だが心優しい部隊長である主人公が、小隊内の自分に心酔する部下や甘ちゃんだと見下す部下を率いて戦い、戦闘の中で敵軍の士官と恋に落ちて周りからもスパイかもと勘ぐられて、最後はみんなうっちゃってヒロインである敵軍士官と敵の謎の巨大兵器と戦うという、本当にこの程度の話です。

 それでもこの作品の前半部は東南アジアの密林の中でのゲリラ戦のような戦いが描かれており、その中の心理描写などはそこそこ面白かったのですが、なんか中盤に入ってヒロインとの絡みが多くなるにつれて段々と話がクサくなってきて、終盤に至ってはトチ狂ったヒロインの兄がヒロインが裏切ったと疑って銃で撃つのですが、打たれた弾がたまたまヒロインの持っていた写真入りロケットに当たって命が助かるという、今時コロコロコミックでもやらないようなクサい話が展開されていきます。
 ただこんだけクサい作品において唯一の救いとも取れるのが敵軍における中年軍人が圧倒的不利な状況の中、孤軍奮闘して次々とMSを破壊していくという戦闘シーンです。二児の父親ですでに40代の私の従兄弟の旦那なんて、今でも私に会うたびにこのシーンを話題に上げてくるので子供にまで、「父ちゃんの頭の中はドイツとグフだけや」とも言われております。

 という具合で散々に批判している両作品ですが、なんかこの前調べてみるとどちらも製作途中で監督が入れ替わっているそうです。そのためストーリー展開も途中でひっくり返されている所が多々あり、特に「0083」の後半の例のくだりについては一部スタッフからも明らかに前半との間に齟齬が生まれると反対されながらもあの展開が押し切られたそうです。
 こういった作品のストーリーは決して一人が決めるのでなく脚本スタッフがみんなで話し合って作られるそうですが、それを推しても両方ともとんでもない方向に舵を切ったなと思ってしまいます。逆にこれはOVAではありませんが、同じガンダムシリーズでも映画の「F91」はたった二時間の映像の中によくもあれだけのストーリーを詰め込んだものだと見る度に感心させられます。それゆえか、先程に出てきた従兄弟の旦那も「F91」を最高傑作だとしきりに主張してきます。

2009年12月1日火曜日

エリート教育は必要なのか

 リンク相手のSophieさんの「フランスの日々」にて昨日、「フランスで将来リーダーになる運命を感じて成長する人たち」という、フランスにおけるエリート教育について解説されている記事がアップされました。大まかな内容を私の解釈で述べると、フランスでのエリート教育の場であるグランゼコールの社会的価値と一般人の評価、そしてグランゼコール出身者のその後の人生の歩み方について書かれてあります。
 この記事の中では日本とフランスのエリート教育の違いについても簡単に触れられているのですが、ちょうどこの辺りの記事を書こうと思っていた矢先なので便乗する形で、日本でエリート教育は必要なのかどうかについて私の考えを紹介しようと思います。

 まずいきなりなんですが、私はつい三ヶ月前までエリート教育はやはり世の中に必要なのではないかと考えておりました。何故そう考えたのかというとこれまで私が生きてきた経験から、基本的に仕事というのはよっぽど特殊なものでない限りは誰がどんな仕事をやるかというより、どれだけその仕事をやってきたのかによって能率や成功率が決まるように思えてきたからです。これは単純に言い換えるなら「理論より経験」、「Don't think, feel(#゚Д゚) !!(考えるな、感じろ)」、のようなもので、陶芸などの伝統工芸からオフィスでのデスクワークに至るまで、それぞれの作業系統ごとに理論知より経験知の方が仕事に及ぼす影響力が高いのではないかというわけです。

 仮にもしこの通りに個人の資質以上に経験が作業の効率に影響を与えるのであれば、下手に作業をころころ変えるよりも自分が生涯をかけて専門とする仕事に若いうちから携わるに越した事はなく、非常に高い能力や専門性が求められる上になかなか経験を積み辛い経営者や政治家といったリーダー職には少しでも個人的資質の高いエリートに絞って経験させ、育てるべきではないかと私は考えたわけです。

 はっきり言って同じ会社の仕事でも一般事務と経営ではあまりにも仕事内容に繋がりが薄く、やるだけ全く無駄というわけではありませんが、その会社を将来背負って立つような人材を作るのであれば早くから経営に関わる仕事をやらせるべきかと思っていたわけです。
 現に欧米、特にSophieさんの取り上げたフランスや階級社会のイギリスではこの傾向が非常に強く、出身大学や専門性によって入社時から社員同士に待遇面や責任範囲において大きな差があり、その差は時間とともにますます開いていくとまで言われております。

 しかしここまで読んでもらえばもう想像はつくでしょうが、現時点で私はこのようなエリート教育論が何が何でも悪いとまでは言うわけではありませんが、従来の日本の入社時のスタートラインは同じという平等なシステムも負けてはいないように考えております。もちろんこちらも、何が何でもいいと言うつもりはありませんが。

 何故このように立場を三ヶ月前に変えるようになったのかというと、ちょうどその頃このエリート教育の必要性についてあれこれ考えている時に恩師に会い、この件について尋ねてみると次のようなエピソードを教えてくれました。

「昔の日本の会社は高卒だろうが東大卒だろうが新入社員はみんな底辺の仕事からやらされていました。国鉄などは典型で、切符切りから信号係などいわゆるブルーカラー系の仕事を主にやらせていました。
 確かにこのような仕事は一見すると将来出世して経営者となる人物が担う仕事と無縁そうに見えますが、私が以前に会ったある会社の社長は一番最初に会社のクレーム担当の仕事をやらされたそうで、そのときにいろんな会社からクレームを受けて対応していた事でどのような事態が起きると大問題に発展するのか、どの取引先が口うるさくてどの取引先が自社にとって大口なのかなどと、社長となるのに必要な知識を実際に社長になった時点で始めから持ち合わせていたそうです」

 こう踏まえた上で先生は、末端の仕事というものは実際には経営知識の宝庫のような場所で、たとえ短い期間でもそういった仕事に触れる事が将来経営者になる上でも非常に重要だと私に教えてくれました。

 この先生の話を聞いた後に自分でも改めてこの件について考えてみたのですが、考えれば考えるほど会社の末端として働く重要性の方がエリート教育よりも必要性が高いのではと思い直すようになってきました。先生の言われる現場にある経営知識はもとより、私が独自に着目したのは近年の企業が起こした事件や事故の原因でした。

 近年に起こった企業の事件や事故は様々ですが、それらがどうして起きたかという根本的原因を探っていくとそのどれもが経営陣による現場の声の無視が大きな要因となっている例が非常に多く思えます。かつての三菱ふそうの欠陥車問題など、現場では問題だと報告されていた事実が上層部によって無視、もしくは黙殺をされたことで大問題に発展してしまったケースが多々あり、こうした例を見ていてよく思うのは青島刑事じゃないけど、「作業は現場でやってるんだ、社長室じゃない!」と思うくらいの現場作業員と経営陣の意思疎通の乖離です。

 この現場と経営の乖離ですが、すでに今の日本でも大分起きちゃっていますが欧米のようなエリート教育やシステムでエリートが始めから経営の側で仕事をするとなると、ますますこの乖離が大きくなるのではないかという気がします。逆を言えば末端からスタートさせる昔の日本の教育システムにて現場と経営の双方の立場を経験させる事で会社全体を見渡せる人材を作れるのであれば、それは欧米のエリート教育で生まれる経営技術に特化した人材にも決して引けを取らないのではないかとも思います。
 無論社長や役員といったポストは限られているので、スタートラインは一緒ながらも中年に差し掛かる頃からは徐々に育てる人材を絞る必要はあるとは思いますが、それでも最初に新入社員全員が末端の仕事に就くという価値は計り知れないでしょう。

 近年は日本の企業でも入社時の差別化が進んでいると言われており、先程挙げた国鉄こと現JRでも駅職員はバイトの人員がやることが増えてきましたが、初心に帰って末端の現場を社員に体験させるのも一考かと思います。ただ体験するのは新入社員よりも、社長や役員といった人の方が初心に変える意味では価値が高いかもしれません。JRの社長がラッシュ時の乗員を押し込める仕事やるとしたらいろいろと面白そうだけど。

 ただ一つ残念なのは、恐らく新入社員時代にそのような末端の仕事をやっていたであろう現JR西日本の経営陣による、福知山線脱線事故の対応は事故報告書作成の委員を買収しようとするなどあまりにも一般感覚とずれたものばかりで、経験したとはいえ何十年も立てば現場のことなんてわからなくなるものなのかと自信をなくしてしまいます。
 その一方、不況で人員調整が難しかった事から今年のトヨタは創業以来初めて大卒新入社員を一時工場のラインに並べたそうです。これらの社員が将来大活躍してくれれば、私も多少は自信を持ち直すのですが。