2009年10月16日金曜日

文章表現における波

 私は私生活でもそうですが、文章表現においても調子のいい時もあれば悪い時もあって割りと激しく表現方法や技術が変わっていくタイプです。最近でも今月に入ってやや持ち直してきたものの、先月九月のこのブログの記事を読み返すと自分でも唖然とするような呆れた表現をかましており、ようやく気が付いた時点から今日までに慌てて軌道修正に取り組んでいました。

 特に一番ひどかったのは同じ表現の繰り返しで、一行目に使った表現をすぐ下の二行目でも使い回している事が多く、自分で気づいた中で挙げると先月の記事では「もっとも~」と「非常に~」という言い回しが異常に多くて激しい自己嫌悪に陥りました。ちなみにここでワンポイントアドバイスをすると、文章を書く際には一度使った表現を何度も使うよりは同じ意味でも別の語を使った方が見栄えが格段によくなります。一例を挙げると何かが大きい事を強調する表現でも、「とても」を使った後には「遥かに」を使い、そのまた後には「比較にならないほど」という具合に、前後の文章のリズムに合わせて選んでいければいいと思います。

 では何故九月にそれほど同じ表現の繰り返しが起こったのかとこの前自分で分析したのですが、一つにはこのところ私生活で堅い英文を作成する機会が増え、主語を強調して文章を書かなければならないという意識が強まったせいではないかと考えました。英文は主語と動詞を中心に据えてすべての文章を組み立てるので、英文ばかり書いていると一番最初に主語を持ってきてその後に動詞、でもって副詞で埋めてく作業が多くなってしまい、その意識が主語が曖昧なままでもなんとかなる日本語文章にまで来てしまうと全体のリズム感が悪くなり、表現においても分かっていながら窮して使い回しをやることが増えてしまいました。

 とはいえ九月以前もこのブログでは主語を強調した文章表現が目立つと思いますが、それらについてはあまり問題はないと私は考えております。ちょうど今使ったように、何か政治や社会問題に対する自分の意見を書く際にはそれが誰の意見かということを明示するに越したことはなく、本来なら無主語の意見は私の意見で当たり前に読んでくれるだろうと言いたいところですが、他の専門家や学者の意見を引用して織り交ぜるとなると書いてる自分はよくても読んでる側からすると混同するかもしれないし、責任感を持って自分の意見、立場を書く場合ははっきりと「私は~」という風に敢えて明示するようにしております。

 こんな具合でこの記事では自分の文章表現をやや卑下して書いてはいるものの、普段の私はという逆に自信過剰な性格でよく家族や友人に対して、「自分ほど文章を器用にかつ大量に書く人間となると、同世代にはほとんどいないだろう(・∀・)」、などと言ってはよく顰蹙を買っております。そんな自分でも、ここ数ヶ月の自分の表現力の低迷振りにはほとほと落ち込まされました。

 特に一番自分を落ち込ませたのは、なんと過去に書いた自分の記事でした。これは自他共にはっきりと認め合っている事ですが、このブログにおける私の全盛期と呼べるのはちょうど去年の9月頃で、カテゴリーにも設けてある「文化大革命とは」の記事を連載している頃でした。実は最近になってまたコアな新しい読者ができたのか、FC2の出張所の方にて何故だか昔の記事に拍手が増えているのですがその中で、「文化大革命とは~その五、毛沢東思想~」の記事も拍手を受けていたので何の気なしに読み返してみたところ、口語が頻繁に織り交ぜられていて見る人にとっては噴飯ものかもしれませんが、書かれている内容レベルもさることながらその読み易さに舌を巻きました。

 この文革の記事を書いた頃よりも最近は閲覧者数も増え、本店では約100人弱、出張所の方では50人弱の方が毎日見に来られるようになり、多少恥ずかしくないように去年より砕けた表現を抑えるようにしています、顔文字は増えたけど。ただ元々私は硬い文章を出来るだけ砕けた表現で読み易くすることに重点を置いて技術を磨いてきたので、今でも砕けた表現が多いですがやっぱり以前くらいのレベルに戻すべきかなと今ちょっと悩んでいます。

 それにしても自分の文章表現についてもこれだけ長々書けるのだから、つくづく自分は文章書くのが好きなんだと思い知らされます。さっきの記事に続きますけど、水野晴郎ばりに本当に文章っていいものですねと、作文書くのが嫌いな小中高生に声を大にして伝えたいです。

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