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2009年9月30日水曜日

国民総背番号制の意味

 この記事は以前に書いた「現行年金制度の問題点」の記事の続きです。前回の記事でも書いていますが、私は今後の年金情報の処理やその他の行政上の管理を効率化させるために現行の戸籍制度を廃止し、国民総背番号制を導入するべきだと考えております。

 具体的な話をする前にまず、現在の日本の行政において個人を識別、証明する制度がどれだけあるかを片っ端から挙げてみます。

1、戸籍証(戸籍法-本籍地の自治体)
2、住民票(民法-居住地の自治体)
3、パスポート(旅券法-外務省)
4、年金手帳(年金関連法-厚生省)
5、社会健康保険証(保険関連法-厚生省)
6、自動車運転免許証(道路交通法-居住地の公安委員会)


 ポピュラーなものを挙げていきましたが、ざっと私が思い浮かぶのはこんなものです。括弧の中のハイフンの後は各証明書を管理する行政団体なのですが、見てみれば分かるとおりに縦割り行政よろしく見事にばらばらで、そのためどの証明書も個人を特定して管理するためのものなのですが、たとえ一人の個人がそれらの証明書をすべて持っているとしても、それぞれの管理番号や情報は一切他の証明書と重複しておりません。それは言い換えると、それぞれの行政が全部別々に管理していて情報の共有が全くなされていないということです。

 この各証明書の管理ですが、意外に侮れません。なにせ市単位の地方自治体ともなると数万人の情報を管理することになるのでそれ相応のコストと人員を割かねばならず、しかも最近は住民基本台帳ネットワークの導入によって大分融通が利くようになりましたが、私みたいに関東に住んでいるのに本籍地が大阪の梅田一丁目の人間からすると戸籍の取り寄せが以前は非常に面倒で、パスポートの更新も一苦労でした。

 ここで私が考える国民総背番号制の使い方なのですが、私は現時点で、パスポートに記載されているパスポート番号をそのまま国民番号として流用したらどうかと考えております。パスポートは戸籍と照合されることで作られるので、同姓同名だろうと同じ誕生日であろうとほぼ間違いなく個人が混同されることはありません。そのパスポートに記載されているパスポート番号を現在すでにパスポートを発行されている方には流用し、まだ発行されていない方にはこれから作ることで、そのまま国民番号として使えるのではないかと思います。

 そうして国民すべてを識別する国民番号を作った後、今度はその番号を他の証明書番号にも徐々に統一していきます。それこそ運転免許証番号から社会保険証番号なども元パスポート番号に徐々に更新していき、最終的には番号一つで他の管理団体や証明書をすぐに照合できるような体制に整えられればと考えています。
 もちろんそこまで統一されたら他人の国民番号を利用して不正を働く者や、プライバシーの暴露などといった事件が起こるのではないかと心配に思われる方もいるでしょう。しかしここで私が強調しておきたいのは、国民番号それ自体が個人の証明になるわけではなく、あくまで各証明書の分別、管理に使われるというだけで、あくまで個人や身分を証明するのはそれぞれの証明書であって、この国民番号というのはいわばそれに付随する付箋のような扱い方というのが私の案です。

 ではどのように使うのかというと、例えばパスポートの作成申請においては従来通りに居住自治体から住民票を発行し、パスポート発行事務所に届け出ます。住民票を受け取ったパスポート発行事務所はその住民票に記載されている国民番号から自治体に個人の照合を行い、また照合を受ける自治体も連絡された国民番号からすぐに対応が出来る……という具合になるんじゃないかと、実際の業務に携わったことないから断言できませんけど。
 また社会保険などについては引越しなどによる住民票の移動があっても国民番号で照合が取れるので、以前の住所と異なっているために年金の照合が出来ないというケースはまず防止することが出来ますし、また突然交通事故にあっても運転免許証を携帯していれば社会保険証の番号をすぐに照合でき、病院での業務も効率化できるのではないかと思います。

 という具合に、私は国民番号の導入によって得られるメリットは大きいのではないかと考えております。もっともあくまでこれらは素人の勝手な構想なので実態とはかけ離れていたり、また私の予期していないデメリットも多く存在することが予想されるのでもっと議論は深める必要があると考えており、出来ることなら専門家などからも意見を聞いてみたいところです。
 さてそういうわけであれこれいろんな証明書について語ってきましたが、実はさっきから戸籍についてはあまり語っていません。理由はもちろん私がこの戸籍制度を廃止するべきだと考えているからで、結論を言えば戸籍というものをこの際、住民票と原則セットにするべきだと考えております。またも長くなってしまったので、続きは次回に。

東海村臨界事故について

 わざわざ私が書くまでもないのですがせっかくの機会ですし、あまり事実関係を知らない方もおられるかもしれないので念のために書いておくことにします。

東海村JCO臨界事故(ウィキペディア)

 十年前の今日九月三十日、茨城県の東海村にて核原料のウラン濃縮作業中に放射性物質であるウラン溶液に臨界反応が起こり、世界でも稀に見る形の原子力事故が日本で起こりました。この事件は原子力発電の原料となる濃縮ウラン溶液を製造していた私企業のJCOが呆れるまでに杜撰な管理をしていたことにより起こり、最終的に東海村の発生現場付近で大きな汚染こそ起こらなかったものの、事故発生時に現場で作業していた三人の作業員が被爆し、うち二人の方が亡くなられました。

 この事故については他のサイトでも詳しく解説されているので、もしあまりこの事故について詳細をまだ知らないという方は是非ご自分で調べてみてください。特に私が一番知ってもらいたいのは、亡くなられた二人の被爆者のその後の治療過程です。

東海村で起こった事故は今考えても恐ろしい(Power2ch)

 事故の内容についてそこそこ詳しく議論が行われているのは上記のサイトですが、真面目な話、サイト内に非常に生々しい画像も掲載されているので心臓の弱い方や免疫のない方は見ない方がよいです。
 簡単にその被爆者の方の経過について説明させていただくと、事故発生当時でこそまだ自分で会話できるなど医師も拍子抜けするほどだったのですが、その後徐々に体中の機能が低下していき、二名とも事故発生後一年を待たずに亡くなられてしまいました。またこの過程で医師や看護婦は、激痛に苦しみつつも周囲の医療機器によって生きながらえさせられている患者に対し果たして治療を続けるべきなのかどうか、自分たちの治療行為は正しいのかと何度も自問したそうです。言うなれば、安楽死をさせるべきだったのかという問いをしているのですが、正直な思いを言えば、私はこのケースにおいては安楽死を早くに認めるべきだったのではないかと思わずにはいられません。もっとも、もし自分が治療担当者であれば決断は出来なかったでしょうが。

 原子力発電、核兵器を考える上で、この東海村の事故は最低限持たねばならない知識だと私は考えております。

2009年9月29日火曜日

長崎市長射殺事件の高裁判決について

 最近は少なくなっていた頭痛が今日また再発して現在ひぃひぃ言っている状態なので、またも軽く流せるニュースネタです。本当は今日あたり、はらくくって戸籍廃止について語りたかったのですが。

長崎市長射殺 2審は無期 死刑破棄「金目的でない」 福岡高裁判決(Yahooニュース)

 リンクに貼ったニュースは2007年に起きた、選挙活動中に射殺された元長崎市長の伊藤一長氏の殺害事件の裁判において、一審の死刑判決が福岡高裁にて破棄され改めて犯人に無期懲役刑が判決されたことを報じるニュースです。

 この事件を簡単に解説すると、元暴力団員の犯人である城尾被告は市側に公共事業の発注などの件が思い通りに行かなかったことから市側を恨み、その私怨から2007年に選挙中のため街頭で演説中の伊藤氏を公然の中で殺害したという事件です。もっともこの犯人の殺害動機についてはウィキペディアにも書いてある通りに、あくまで犯人が自供した内容であって必ずしも真実である保障はありません。
 この事件は当初よりその殺害の方法や被害者の役職などから政治テロと見られ真実を究明する場である裁判もかねてより注目されており、第一審ではこうした背景が影響されたかはわかりませんが、殺害人数が一人にも関わらず極刑である死刑が判決されました(死刑判決には複数人の殺害が一つの基準となっている)。

 それが今回、高裁の二審にて一審の死刑判決が破棄されて無期懲役に減刑されたわけですが、私自身は死刑廃立派ではあるものの、今回の判決については率直に言って納得できない点が数多くあります。
 これはNHKの報道内容ですが、松尾裁判長による判決理由によると、

1、殺害数は一人である。
2、政治的目的によるテロではなく、個人の私怨による犯行である。

 といった理由から、極刑は重過ぎるということで無期懲役刑にしたそうです。
 しかしまず一番目の理由についてですが、一人殺せば無期懲役、二人殺せば死刑では、人間の命の重さがなんだかわからなくなるのではと私の友人がよく言っており、私もそんな気がしてきます。

 そして今回私が一番反応した二番目の理由ですが、この松雄裁判長の話を聞くと、何かしらの信条を持った政治的なテロでは重刑も仕方がないが、個人の短絡的な犯行ならそこまで重刑にしなくてもいいという風に私は読み取ったのですが、はっきり言って私はこのような判断は現在の日本において非常に危険なのではないかと咄嗟に考えました。

 こういう風に考えるのも、この前のテレビタックルにて北野たけし氏が政治に期待することとして、教育問題を挙げていたことからでした。北野氏によると、最近は元厚生次官連続殺人事件秋葉原での連続殺傷事件のように、会社や社会で感じた恨みを全然関係ない人に向けて殺害することで発散しようとする事件が続出しており、傍目にもこうした風潮をまずどうにかした方がいいのではないかと話しており、私もなるほどと思わせられたわけです。
 この長崎市長殺害事件も、必ずしも信用できるわけじゃありませんが犯人の供述通りに受け取るのであれば、自治体の長崎市に感じた恨みを直接的に関係のない市長にぶつけるなど、先ほどの例とまるっきり同系統の事件として考えられます。

 私はこのような、世間で感じた恨みを全く関係のない、それも場合によって自分より弱い人間にぶつけようとする風潮は非常に危険で、可能な限り早く根絶する必要があると考えております。そうした意味で、「政治的テロ>私怨による短絡的犯行」という判決理由を出した今回の判決には疑問を感じ、私怨による短絡的犯行もこれからは厳しく裁かれるのだという姿勢こそ世に打ち出すべきだったのではないかと思ったため、この判決に納得いかなかったわけです。

 またこれは補足ですが、政治テロはもちろん許されざる行為だと私は認識していますが、それこそこの前にくたばった瀬島龍三みたいな人間の殺害であれば、その行為は認めないまでもその実行者に対して心情的にはまだ多少の共感を覚えると思います。

2009年9月28日月曜日

現行年金制度の問題点

 個人的に今日一番のニュースは自民党の新総裁が決まったというニュースではなく、私にとってはこれでした。

「つばさ」視聴率は関東で13・8% 朝ドラ史上最低(MSNニュース)

 これまでで最低といっても、13.8%も視聴率あったんだから大したものなのですが、多部ちゃんなだけに私にとってはかなり残念です。といっても、私も平日はほとんど見てなかったのですが(´д`)

 そんな苦しい思いを抱えつつ、書く前からすでにもう胃が痛くなるようなやや面倒な内容を今日は取り上げようと思います。
 現在、日本の国民全体に一体どんなことを政治に期待するかと問えば、まず間違いなく一連の年金問題の解決が第一位に挙がってくるでしょう。前回の衆議院選挙中のどこの調査においてもこの傾向は変わらず、また私自身もこの年金問題は日本の社会保障、官僚利権、財政問題などありとあらゆる傾向の問題を抱えており、現状で最も優先順位の高い内政課題だと考えております。

 そんな年金問題に対して今月発足した民主党政権は、「ミスター年金」こと長妻昭氏を厚生大臣に据えてきました。元はといえばこの年金問題を掘り当て一躍世に知らしめたのはこの長妻氏で、その年金方面の豊富な知識もさることながら公務員のタクシー券問題などを暴いた行動力を考慮すればこの人事は適格この上ないもので、仮にこの長妻氏で年金問題が解決できないのであれば恐らくほかの誰にも解決することはできないだろうと思うほど私も信頼しております。現在の民主党政権がいつまで続くかわかりませんが、私は長妻氏を今回厚生大臣に据えられただけでも前回の選挙で民主党に勝たした価値があると考えております。

 そんな年金問題ですが、具体的にどのような点が問題なのかちょっとその辺を整理してみようと思います。そういうわけで早速リストアップしていきましょう。

   年金問題一覧
1、制度が複雑すぎ、社会労務士しか内容が理解できていない。
2、少子高齢化のため、将来の年金基金破綻が目に見えている。
3、その上若者の加入者が年々減少している。
4、過去の年金記録がめちゃくちゃ。
5、そのため加入者の個人特定ができない。
6、厚生年金と国民年金とで、年金なのに二種類ある。
7、個人事業主が入る国民年金があらゆる点で厚生年金に劣る。
8、年金が受け取れるまでの加入期間が長すぎる。
9、管理する社会保険庁職員の半数以上が以前に不正閲覧をしていた。

 こうして挙げてみると、本当にたくさんあって書いてるこっちが困ってきます。
 このうち割と直接的に問題なのは将来の破綻リスクで、これは言うなれば収入を支出が上回ることで、現在のように年金基金の運用だけではそう遠くない未来に起こることは確実視されています。これについて民主党は年金基金を一旦廃止して一般会計に組み込み、年金の支払いは全額税金から供出する方式を打ち出しております。私としても現状ではそれが一番妥当であると思えるし、今のまま年金基金を社会保険庁に管理させていればわけのわからない年金施設といった箱物の建設などに無駄に使われる恐れがあるのでいい案だと思います。

 この破綻の次に問題性が高いのは、敢えて私が言うなら1、4、5といった、個人の特定に関わるところです。現在の加入者の大半が入っているのは本人と所属する会社が保険料を折半する厚生年金なのですが、これは会社と折半する関係上、事務手続きが非常に複雑となっております。それこそ転職でもしようものなら一旦国民年金になってそれからまた厚生年金に戻したりしなければならず、このややこしい過程で年金の記録が誤入力されたり、下手したら記録そのものが無くなってしまっていたという例が数多く報告されています。
 また転職をせずとも、折半する側の会社側が経営難などから本人に内緒で年金から勝手に離脱させてしまい、本人は払ったつもりだったのに払ってなかったという悲劇までありました。

 それだけにこの個人の特定こそがこの年金問題における最も大きな問題なのですが、100%円満な解決に至らせるには今後どれだけ時間をかけてもまず無理でしょう。また現状の制度に付け焼刃程度の改革を行ったところで今後は歯止めがかかるかというのも疑問で、現に問題が発覚した後の近年でも記録の誤入力例が報告されています。ではどうすればまだマシになるのかといったら、やはり私は国民総背番号制が最も有効な対応策ではないかと考えております。

 この国民総背番号制というのはその名の通りに、国民すべてにその個人を識別する番号を付与して国が管理するシステムで、かつて一度導入が検討されたものの、国の管理が行過ぎるとの国民の反対を受けて流れたことのある制度です。仮にこのシステムがあれば同姓同名、同日の誕生日者であっても識別番号がはっきりと別れることになるので、このシステムで管理されていれば少なくとも年金における個人特定の混乱はこれほどまでに大きくはならなかっただろうと言われています。

 そういうわけで可能ならば私はできる限り早くこのシステムを導入すべきだと考えていますが、導入にあたりひとつの障害があります。障害というほど大きくはないのかもしれませんが、私が睨んでいるそれは戸籍制度です。背番号制度も戸籍制度もどちらも個人の身分、存在を証明する制度です。簡単に言ってしまえば、二つも個人を特定する制度があるとどちらで証明にするか、混乱がおきやしないかということです。
 しかしそれを言ったら住民票、パスポート番号、社会保険番号、運転免許証番号など、どれもサラ金でお金を借りる分には十分すぎるほど個人を証明するものが日本にはあふれています。一体どれを優先すべきなのか、残すべきなのか、はたまた廃止するべきなのか、議論でもしたらいろいろと意見が出てきそうです。

 結論から言えば私は、総背番号制を導入した上で他の身分証明と合わせて一元管理するのが一番望ましいと考えております。例えば国民番号が「AHO110」の人の住民票には、しっかりとその番号が記載されているというような具合で。
 そしてその上で、最早存在価値の低くなった戸籍制度を行政の効率化のために廃止、もしくは改正して住民票と併合するべきではないかと考えています。折りしも現在民主党議員の有志らが戸籍制度の廃止を主張し始め、それについて各所で議論が起きております。

 随分と長い前置きになってしまいましたが、年金における個人特定問題の防止とともに行政効率化のため、何故私が戸籍制度の廃止を主張するかについて次回紹介いたします。

2009年9月27日日曜日

中高一貫教育について思うこと

 以前に私が「内部進学についておもうこと」で取り上げた区立九段中高において高校への内部進学の際、学力の足りないとされる十八人の生徒に他の高校への転学を進めたということを報じた朝日新聞の記事に、その続きとも取れる記事がまたも同じく朝日新聞に載せられておりました。記事の題も「公立中高一貫校は必要か」です。

 記事の内容は教育に関わる三人の識者に対し公立校における中高一貫教育の是非を問うている内容なのですが、結論から言えばつまらなかったです。三人ともどれも似たり寄ったり、というより公立の中高一貫教育が絶対的に必要だという観念が初めからもたれており、九段区立中高の例など現状の中高一貫教育はこれから私立の一貫校と違いをつけていかねばならないという結論でびっくりするくらい一致しています。こんなことくらいなら、誰だって言える気がするのですが(´ー`)y-~~

 その中でも個人的にちょっと私の癇に障ったというか、気になることを言っていたのは渋谷教育学園幕張のの理事長の田村哲夫氏の意見です。この人は開口一番に、「子供が自我を確立する時期は、中学2年から3年にかけての時期だといわれている」とした上で、日本の大半の子供はその多感な時期に高校受験の勉強に追われるのに対し中高一貫校の子供はそうした受験がなく、のびのびとした環境で育つことが出来ると述べています。何故この点に私が反応したのかというと、そのような私立の中高一貫校に進学する子供は小学四年生頃から塾に通わねばならず、多感な時期に受験に追われるという意味では時期が違うだけでそれほど差はないのでは、それどころか遊びたい盛りの小学生の年齢を考えると高校受験時より中学受験時の子供の精神的負担は重いのではないかという気がします。

 かくいう私も何度もこのブログで書いていますが、そんな塾通いを小学校四年生から始めて私立の中高一貫校に進学した口です。はっきりいって中学、高校時代はあまり面白くなく、現在の自分を形作っているのは学外で受けた影響の方が強かったです。
 また私自身がこの中学受験で何が一番嫌だったかといえば、同じ小学校である地元の友達らと別々の中学に進学しなければならないことでした。それこそ小学校に入る前からの幼馴染らと全員別れて全く知り合いのいない中学に進学したようなもので、本当に仲のいい友人らを除くとその後地元との結びつきは随分と薄くなってしまいました。やっぱり小学校から中学校へ上がると周囲を取り巻く環境というものは大きく変わるものですし、できることならそういう場面に昔から気心の知れた者がいてほしかったのが私の本音です。

 この中高一貫教育については私が見ている限りどうも肯定的な意見しか見当たらず、テレビに出てくる塾通いの子供もちゃんとした学校に行く方がいいなど、反対する意見を述べる場面を見ることがありません。しかし私の親戚、知り合いの子供らから直接話を聞くとみんな嫌々塾通いをしており、むしろ「ドラクエをやる時間が欲しい」などという意見ばかり聞こえます。この報道と実情のギャップの差に時々気になるのですが、近年学校法人からの広告料が伸びているという噂を聞くと、なにか関係しているんじゃないかと疑ってしまうわけです。週刊朝日なんて、受験偏差値ランキングでメシ食ってるような雑誌だしなぁ。

2009年9月26日土曜日

片山善博氏について

 ダムのことについて書いたばかりなので、ちょっと関連するかどうかは微妙ですが私が一目置く政治家であり大学教授である片山善博氏について一本記事を書いておきます。

 この片山氏というのは一昨年まで鳥取県知事を二期八年やっており、現在は鳥取大と慶応大の教授をなさっている方です。知事在任中は常に高い支持率を維持し、地方分権派の知事として中央に長く働きかけ続けてその手腕、行動力についてはかねてから高く評価されておりました。

 そんな片山氏を、四年位前の私が初めて知ったのはあるエピソードからでした。
 現在東京と副知事を務める作家の猪瀬直樹氏が自身のエッセイにて、まだ猪瀬氏が若かった頃、本格的に作家として身を立てようと決意したものの先立つものがなく、悩んだ挙句に彼が向かったのはなんと政府系金融機関だったそうです。詳しい名前は失念しましたがそこは中小の企業家向けに起業資金を貸し与える金融機関だったそうで、猪瀬氏はそこの窓口の職員に向かって、

「自分はこれから作家として身を立てていく。ここは起業家に起業資金をくれる場所なのだから、当分生活するだけのお金を自分に貸してくれ」

 はっきり言ってこうして文面にすると、やくざか何かが金をせびっているようにしか見えませんね。実際に猪瀬氏も内心では無理だろうと考えていたそうなのですが、その職員はしばらく席を離れると、わかりましたと言ってなんと本当に猪瀬氏にお金を融通してくれたそうです。そのお金がどこまで役に立ったかまでは分かりませんがその後猪瀬氏は念願かなって作家として生活できようになり、ある日テレビで討論番組を見ているとあの時に何も言わずにお金を貸してくれた職員こと片山氏が、鳥取県知事として出演しているのを見つけてびっくりしたそうです。

 このエピソードだけでも片山氏は相当な人間だと思わせられるのですが、以前に読んだ本人の知事在任中の話として、こんなものもありました。

 なんでも片山氏の知事在任中、鳥取県内のある地域の治水対策のためにダム建設か堤防工事をしなければならない案件が出たそうです。そこで両工事の費用を見積もったところ、ダム建設の方が堤防工事より安いと出てきて、ダムであれば発電も出来るし安いのだからそっちの方が良さそうだとまとまりかけたそうなのですが、片山氏はその出てきた見積もりを見ていてどうもおかしいと感じ、県庁内の担当職員を呼び出してこう言ったそうです。

「今ならまだ怒らないよ」

 こうして書くと、随分と恐ろしい殺し文句に聞こえてきます。多分こんなこと言われたら、身に覚えがあったら大抵は白状してしまうかもしれません。
 そしたら実際にこの時の担当職員は白状し、実はダム建設の見積もり費用は大分以前の基準で出した見積もり費用であって、現在の基準であれば堤防工事の費用を上回ってしまうということを明かしたそうです。それを受けて片山氏は、安くで済ませられるというのならと堤防工事を選んだそうです。

 このエピソードのまとめとして片山氏は、予算一つでもいろいろな思惑の元に方針が歪められることもあり、それを如何に持って行きたい方向に持っていくべきかとしていましたが、このエピソードを聞くと非常にリアリティを感じられます。
 こうしたエピソードから名前を覚え、その後テレビ出演時の片山氏の話を聞くにつけて私は片山氏を現在も高く評価するように至りました。このブログでも何度も書いていますが、私も鳥取の日本海自動車学校で全く不快感を感じることなく自動車免許を取得し、なおかつ境港出身の水木しげる氏のファンということもあって可能ならば今すぐにでも鳥取に住みたいと考えておりましたが、何も元知事にまで肩入れしなくともと思いますが、せっかくなのでこうして記事にまとめておきました。

八ッ場ダム建設問題に対する私の意見 その二

 この記事は前回の「八ッ場ダム建設問題に対する私の意見 その一」の記事の続きで、前回の記事を読んでいない方はまずそちらをご覧になってからこちらの記事をお読みください。
 前回の記事ではダム建設の目的がどうも実情に即していないという点から私はこの八ッ場ダム建設に反対だと主張しましたが、この記事では主に予算面とダム建設による弊害の観点から私が反対する意見を紹介いたします。

 まず予算面についての議論ですが、パッと見で一番わかりやすいため以下の記事から紹介します。

【金曜討論】八ツ場ダム 小渕優子氏、嶋津暉之氏(msnニュース)

 このリンクを張った記事では自民党の小渕優子議員と学者の嶋津暉之氏がそれぞれ八ッ場ダム建設賛成、反対の立場で意見を主張しあっている議論なのですが、比較的争点も整理されていて分かりやすい内容なのでこの問題に興味がある方は是非ご覧になることをお勧めします。

 それでまず小渕氏の建設賛成の意見なのですが、まず治水、水源確保について国交省の主張通りに「今後、気候変動でどうなるかわからない」という曖昧な主張です。確かに小渕氏の言うとおりに将来に起こりうるかもしれない事態に対策を行うのが政治の仕事ですが、大金使う建設計画なのだからせめて根拠となる統計を出してから言ってもらいたいものです。
 そして肝心の予算についてですが、これは言うなれば今中止するのと建設を実行するのではどちらが無駄なのかという議論なのですが、小渕氏はもちろん中止した方が無駄遣いが多くなると主張しており、ちょっと長いですがその辺について全部元の記事から引用させてもらいます。

 --中止した場合、支出した負担金の返還を求める自治体がある
 「利益享受を前提に、これまで6都県が約1980億円を負担してきた。返さなければならないのは当たり前の話。建設継続の場合は、あと、長野原町の生活再建関連費用約770億円とダム本体工事関連費用の約620億円の計1390億円ですむ。7割の工事が終わっているのに、ここで建設中止となると負担金の返還だけでなく、新たな治水整備費用、別の生活再建費用が必要になり、確実に中止した方が費用はかかる」


 この小渕氏の意見に対し建設反対を掲げる嶋津氏の意見は、こちらもまた全文引用させてもらうと、

 --建設を中止した場合、国費支出は増えるのでは
 「国交省の調査で、貯水域周辺の22カ所で地滑りの可能性があるが、うち対策を行うのは3カ所だけ。川原湯地区の上湯原などに住民移転地があるが、この周辺は最大の地滑り危険地域で本当に不安だ。大滝ダム(奈良県・吉野川)では水をため始めた後、大変な地滑りを起こし、38戸が移転、対策費に308億円、工期を10年延長した例がある。また、八ツ場ダムに水をためると、吾妻川沿いの発電所への送水量が減り発電量が減ってしまう。その分を補償するのが『減電補償』で、それに数百億円かかる」

 「さらに、これまで事業費の7割は使っているが、事業全体の進捗(しんちょく)が遅い。3月末時点で、着手は6~8割だが、完成した国道、県道は数%、鉄道は75%。代替地の造成も1割だ。総合すると、ダム本体工事の約620億円以外に1000億円規模の支出増が見込まれる」

 「これらを踏まえたうえで、継続か中止かを検討すると、継続した場合には実際2390億円必要だ。中止した場合には、自治体が負担した利水負担金を返すと仮定して、利水負担金890億円と生活再建関連の770億円の計1660億円が必要となるが、やめた場合のほうがはるかに安上がりだ。よく利水負担金は1460億円といわれるが、その4割(570億円)は国庫補助金であって、これは自治体への返還の対象にはならない」


 さすがにこんな引用だけだと手抜きなので、双方の主張を以下に簡単にまとめておきます。

★小渕氏の主張
・すでに工事進捗は七割も済んでいる。
・今後必要な費用は生活再建関連費の770億円とダム本体工事関連費620億円の計1390億円だけだ。
・中止すると建設費を一部負担してきた6都県に直轄負担金の1980億円を返さないといけない。
・中止の場合、負担金の返還に加え別の治水、生活再建費が必要だ。
・1390億円<1980億円+αで、中止した方がハイコストだ。

☆嶋津氏の主張
・現在事業費予算の七割を使っただけで、工事進捗が七割済んだというわけじゃない。
・実際の進捗具合から、本体工事費用は追加で1000億円以上必要で、継続するのに計2390億円必要。
・中止した場合でも、自治体に返す費用のうち570億円の国庫補助金は返す必要はない。
・そのため、自治体への返還費用合計は1460-570=890億円。
・中止した場合は生活再建費用の770億円と上の返還費用890億円で、計1660億円必要。
・2390億円>1660億円で、工事を継続した方がハイコストだ。

 見てもらえば分かりますが、嶋津氏の費用計算に対して小渕氏の費用計算はなんと言うか非常にアバウトで、私が見る感じでは嶋津氏の主張の方が正しいような気がします。それにしても、生活再建費用はどっちにしろかかるんですね。

 私からこの議論に関連する情報を付け加えると、工事の進捗についてはどうも嶋津氏の主張通りにそれほど進んでいるとは言えないらしく、工程の中で非常に大規模となる底部補強工事がまだ済んでいないそうです。この底部補強というのはダムの水が貯まる箇所の底を水圧に耐えられるように補強する工事なのですが、この工事を実行するためには現在水が流れている川から水をすべて抜かねばならず、お金の方も相応にかかって来るそうです。
 こういう話を聞くと、すでに工事は七割方終わっているというのはどうも冗談にしか聞こえません。第一、日本の行政工事が予算内で完了することなんてほとんどなく、現状での見積もり費用にある程度上乗せをして考えなければならないでしょう。

 そして中止した場合にかかる費用についてですが、これについては一部、費用比較の議論に加えること自体に疑問を思う箇所があります。それはどこかというと、自治体への直轄負担金の返還です。
 返還にかかる負担金の費用額は両者でそれぞれ異なっていますが、私が思うに、この負担金の返還は確かに国の支出で見れば明らかなマイナスですが、何も返したからといって突然空中に消えるお金というわけじゃなくそのまんま自治体にて使えるお金です。目的も用途もよく分からない八ッ場ダムに使われず自治体に返されるのなら社会全体で見ればプラスもマイナスもなく、無駄金のような計算に使うのは不適当なのではないのかと考えています。もっとも30億円も裏金を使っていたことが発覚した千葉県に返還しても、まともに運用されないのではないかという疑念こそありますが。

 こうした予算面からもやはり八ッ場ダム建設は怪しいものなのですが、これに加えて私個人が考えるダム建設の弊害を考えるとなおさらその気持ちが強くなるわけです。何気にダムについては以前に勉強会にも参加したことがあるのですが、どうもいろいろ話を聞いていると、ダムというのはそのその機能以上に環境に与える負荷が非常に大きい代物だそうです。

 まず一番基本的なことですが、ダムというのは作ってしまえば後は半永久的に使えるものではありません。上流から下流へ水を流すという役割上、年月とともにダムの底には土砂が溜まって行き、それとともに治水、発電機能は低下していきます。この土砂を取り除けばもちろん機能はある程度回復するのですが、深い水底にある土砂だけを除去するのは並大抵のことではなくその分の費用をランニングコストと捉えれば、シムシティみたいに安価で無害な発電施設ではありません。ちなみにシムシティで自分はバカスカ原発を作るけど。
 そしてここが肝心ですが、一旦土砂とともに水の流れをせき止めてしまうため、ダムを作ってしまうとほぼ例外なく下流では水中の栄養素が減少してしまいます。それまで均質に保たれていた水中の栄養素がダムの建設によって変化するため川の生態系に与える影響は少なくなく、また川周辺の森林にもあまりよくありません。

 90年代までダムというのは、治水と発電の両方を一挙に行え、かつ公共事業によるバラマキが経済成長のために非常に重要だと考えられた時代ゆえにあちこちで建設が行われてきました。しかしこの八ッ場ダムでも建設に反対する住民がいるように、実態的には建設地から立ち退かねばならない人間もいる上に目には見えない環境への負荷も大きく、決して得るものに対して犠牲が少なくはありませんでした。こうしたダム建設の負の面に初めて社会が目を向けたのは現新党日本代表の田中康夫氏が2000年の長野県知事選に出馬し、当選した際に主張した、「脱ダム宣言」からです。

 現在でこそ私は田中氏の主張にはどうかなぁと思うところもあるのですが、この脱ダム宣言は日本の公共事業、ダム計画を大きく見直す第一歩となった点では田中氏を高く評価しております。そうした影響もあり、あくまで素人の意見として前回の記事と合わせてこの八ッ場ダム建設に対して反対意見を述べた次第です。

八ッ場ダム建設問題に対する私の意見 その一

 昨日は金曜に加えて給料日ということもあって、このブログも休んでわざわざお金を下ろしに行きました。別に昨日に焦ってやる必要はなかったのですが、給料日ぎりぎりに財布の中身がからになるよう仕組んでいたら本当にそうなったので、なるべく早く補給した方がいいだろうと判断したわけです。それにしてもこのごろは程ほどに涼しいので、夜のサイクリングが非常に気持ちがいいです。
 それでは本題に入りますが、今日はちょっと力の入った記事として現在もニュースをよくにぎわせている、八ッ場ダムの建設問題について私の意見を紹介いたします。結論から先に申し上げると、私はこの八ッ場ダムについては建設に反対です。

八ッ場ダム(ウィキペディア)
八ッ場ダム工事事務所(国土交通省)

 この八ッ場ダムの問題は前原国土交通相が中止発言を行って以降、どうも問題の全体像が私にはなかなかつかめずにいました。来る日も来る日もテレビで放映されるのはマニフェスト通りに中止を実行しようとする与党民主党に対し、水源確保を何だと思っていると主張する石原都知事と関係各県知事、そしてここまで来て何故途中でやめるのだという賛成派現地住民ばかりで、具体的にこのダムの何が問題なのか、また賛成派、反対派はそれぞれどういった意見を持っているのかといった整理された報道がなかなか見当たらず、今回この記事を書くにあたっていろいろ苦労しました。

 そんな中でいろいろと私なりに調べてみたわけですが、まず第一に目に付いたのがこのダムの建設計画が出来た時期とその目的です。
 なんとこのダムの構想が出来たのはまだ日本がアメリカの統治下であった1949年で、具体的な建設計画は1952年に出来たそうです。何故そんな大昔に計画されながら未だに実現に至っていないかというと、元々観光保養地として有名であった建設地における住民の反対運動が根強く、「東の八ッ場、西の大滝」と謳われるまでに地元との合意が出来ず、長らく建設がストップしていたからです。

 ではそれほどまでに長い間地元に反対され続けながらも建設計画が潰されなかった建設目的は何かというと、一つは首都圏における水源の確保と、もう一つはこちらは私が非常に疑問に感じた治水のためです。
 首都圏における水源の確保については先にリンクを張った国土交通省のホームページに詳しいですが、東京を含めた関東一円に対する水源として、利根川水系の一端を担う役割としてこの八ッ場ダムは期待されているわけですが、まぁ見てもらえば分かるとおりにこれは明らかな国土交通省のブラフでしょう。

 国土交通省は夏季に少雨となれば首都圏で水が不足する事態があるなどとこのホームページで主張しているわけですが、何故か引用している降雨量のデータは連続した直近年のデータではなく、また今後降水量が減少する傾向などについては何の言及もありません。この点は首都圏に在住している方なら分かるでしょうが、近年の首都圏ではいわゆるゲリラ豪雨と呼ばれる集中的降雨の発生増加など、むしろ降水量は増加している傾向にあります。何気にこれは地球規模の環境問題ともリンクするのですが、現在世界中で降雨の起こる地域が二極化しており、日本は全体としては以前より降雨量が増えるとされております。
 また住人の水の使用量増加についても高度経済成長期なら多少はその言い分も分かるのですが、現在も東京に人口が集中して増加しているのは確かなもののその増加量は以前と比べて大分緩やかになりつつあり、なおかつ今後は少子化によって人口減少も視野に入ってきているのでそこまでして新たな水源を確保する理由があるとは私は思いません。

 そして今回私が非常に疑問に感じた二番目の治水目的についてですが、これについてはテレビなどでも情報を入手していた通りで、なんと八ッ場ダムが目標とする治水レベルというのは1947年に発生して大規模な被害を残した、カスリーン台風だと国土交通省も主張しております。
 このカスリーン台風についてはリンクを貼ったウィキペディアの記事を読んでもらえば分かりますが、確かにその災害規模は文字通り前代未聞ではありますが、このレベルまでの対策を行うとなると私は疑問です。というのも国土交通省はこのカスリーン台風を「100年に三回起こる可能性のある災害」としておりますが、それだったら1947年から60年以上経つ現在においてあと二回くらい同じのがあってもいい気がしますがそれは置いといて、それくらいなまでに頻度が少ない超規模災害に備える必要があるのかということです。

 私は本来、自然災害というものは防ぎようのないもので、対策すべてを否定するつもりはありませんが災害被害をすべてなくすことは不可能だと考えております。ましてやこのカスリーン台風級ともなると100年に三回程度発生する可能性で、いくら規模が大きいからといってそんな低い可能性の災害まで高い費用をかけて対策を行う必要があるのかと疑問に思います。それであれば必要最低限な対策を施した上で、今後そのような大規模災害が起こりうる予測が立った時に住人を素早く避難、保護できる態勢を整えることの方がずっと建設的で、費用的にもずっと安上がりなのではないかと思います。

 こうして私なりに建設目的やその成り立ちを整理すると、やはりこの八ッ場ダムを差し迫って建設する必要はないのではないかと感じます。こうした点に加え、予算面とダム建設による弊害についても考えると、あくまで素人の立場ではありますがやはり建設には反対せざるを得ません。すこし長くなったので、予算とダム建設による弊害は次回の「八ッ場ダム建設問題に対する私の意見 その二」の記事に回します。

2009年9月24日木曜日

鳩山首相の訪米報道の違い

 ちょっと準備しているネタがあるので、今日もまた手軽な記事でまとめておきます。

 現在も訪米中の鳩山首相ですが、先日のオバマ大統領との日米首脳会談について各紙それぞれ記事を書いているのですが、どうも読んでいて産経だけ妙に浮いた記事を書いているように感じました。そういうわけで各紙の特徴と産経の主張を比較しながら紹介いたします。

 まずどの新聞にも共通している報道内容として、鳩山首相とオバマ大統領は北朝鮮の核問題、核軍縮、環境問題について一致した見解を示し互いに日米同盟の強化に取り組むことを表明したものの、現在日米間で懸案となっている沖縄のグアムへの基地移転問題などについてはほとんど言及がなかったと、まるで判を押したかのように前段は同じような文章の組み立てで報じられています。恐らく共同通信の記事をみんなちょこっといじったんだろうな。

 こうした各紙共通した前段の記事内容の上で朝日新聞は後段にどんなことを書いたかといえば、やはりお家柄というべきか核軍縮についての記述が多いような気がします。一応これ以外にもアフガニスタンの復興支援などについても言及がなされており、優等生らしくオーソドックスな報道内容に見えます。
 なお朝日はこの記事以外にもこの会談を聞いた被爆者の方のメッセージを載せた記事も書いており、この辺の扱いは他紙を圧倒して多い気がします。

 それに対して読売新聞は、朝日新聞以上にシンプルで会談の骨子をさらりと流して書いております。もっとも読売に限らず日本国内でもあまりこの日米首脳会談は盛り上がっておらず、むしろ前日の日中首脳会談のほうが扱いが大きかったことを考えるとこの読売の扱いも多少はしょうがない気もします。

 では毎日はどんな風かというと、こういうと元も子もありませんが読売と同じくシンプルに報じています。オリジナルティーがある場所はといえばせいぜい、「この会談には岡田克也外相、クリントン国務長官が同席した。」と書いてあるくらいです。あと不思議なことにほとんど読売と同じ内容なのですが、こころなしか毎日の記事は読んでてつまらなく感じます。今に始まったことじゃないけど。

 そして今回私がちょっと不審に感じた産経の記事が、これです。

気まずさ漂う日米首脳会談、鳩山首相は「基地」「対等」一切触れず

 題を見て分かるとおり、他紙が割りと事務的な報道をしているのに対して産経のみが今回の会談をやや否定的に報じております。具体的な内容はリンクを貼った記事を読んでもらえれば分かるのですが、やはり基地移転問題などについて言及がなかったことを問題視し、「忍耐のオバマ政権がいつ態度を硬化させるかはわからない」とまで書く力の入れ込みようです。オバマ政権が忍耐を持っているなんて初めて知ったけど。

 これだけだったら私もあまり気にしなかったのですが、この日米首脳会談の報道とともに出てきたのがこの今日の産経抄です。この産経の社説は読んでもらえれば分かるとおりに、鳩山首相の外交デビューについて、「そんなに甘くないぞ」と言った論調で書かれています。槍玉に挙げられているのはあの「CO2を25%削減目標」で、国内の公約みたいにやれなかったで済まないぞと主張しているのですが、私はというとどうせ他の国、特に欧州諸国もCO2の削減にそれほど熱心じゃないんだから、実際にできなくとも表向きは「やってみようかな」という態度を示しただけでよかったんじゃないかと、それほど問題視しておりません。お金さえ無駄にばら撒かなければね。

 それにしても先の記事と比較しても、産経は鳩山政権がそんなに気に入らないのかとばかりに何か否定的な記事ばかり書いているような気がします。これに限らずロシア外交の記事でもやっかみに近い内容を書いているし、外交を行うにしては政権が出来たばかりで不安だなどと書いていますが、私からすると麻生前首相の外交の方が見ていてずっと危なっかしく思えてなりませんでした。
 少なくとも今回の訪米で鳩山政権は日米同盟に否定的という見方は現地米国で多少は払拭できたので、その点だけはまだ評価してもいいと思います。もっとも東シナ海のガス田問題は桜井よしこ氏の言う通りに中国のペースに乗るのは非常に危険なので、安易に妥協すべきではないというのは私も見ていて思いましたが。

 最後にロシア外交について、なんでもロシア本国においてプーチン首相とメドベージェフ大統領の間に隙間風が漂い、二頭政治に変化が起き始めているという噂を聞きます。今回鳩山首相はメドベージェフ大統領と会談を行いましたが、先の事実の真偽をしっかりと確かめた上で交渉相手をしっかりと選ぶことがこれからロシアとの間では重要になってくるかもしれません。

2009年9月23日水曜日

猛将列伝~趙匡胤

 中国史と来ると日本人は「史記」、「三国志」の二大史書の影響からか、春秋戦国時代から後漢末期まではよく知っている方がおられるものの、その後の晋朝から五胡十六国時代以降となると途端に認知度が低くなってしまいます。ただこの時代以後の中国史を扱っている歴史書はないわけではなく、ポピュラーなものとして「十八史略」という中国史入門者用の歴史書があります。

 この十八史略はその名の通りにそれ以前に成立した史記や三国志を含む十八の歴史書を簡単にまとめた本で、十二世紀までの中国史を一通り扱っている史書です。私が読んだのは陳瞬臣氏の「小説十八史略」という、陳氏のオリジナルな記述が多くて本編とはやや異なる内容の本なのですが、それでもこの本を読んだことによって三国時代にとどまらず幅広く中国史を学ぶいいきっかけとなりました。

 そんな小説十八史略の中で私が一際目を引かれた人物というのが、本日ご紹介する趙匡胤です。この人物は十世紀に成立した宋朝の初代皇帝で、通称は「太祖」とされています。この趙匡胤は宋朝の前の後周朝の将軍だったのですが、英邁な君主であった世宗の死後、跡を継ぐ恭帝がわずか七歳で即位したことに不安を感じた軍人らに勝手に祭り上げられる形で、趙匡胤本人は渋々と皇帝に即位したと言われております。もっともこの即位劇には裏があり、実際にはかねてから趙匡胤が即位するよう軍内部で打ち合わせられて行ったとも言われており、恐らくはこちらの説の方が正しいと私も考えております。

 ただこの趙匡胤がほかの皇位簒奪者と大きく違っていたのは、皇位を奪った恭帝を殺さず、その後彼ら元皇族の一族を手厚く保護した点にあります。三国志における献帝よろしく、皇位を奪われた皇帝とその一族の末路は惨めな例が多いのですが、趙匡胤はそういった例を踏まなかったためにこの点において後世の歴史家からも高く評価されております。
 またこれ以外にも、元々軍属出身であったにもかかわらず趙匡胤は皇帝に即位するや、その後一貫して軍部勢力を解体していき、現代的に言うならシビリアンコントロール、当時の言葉で言うなら官僚による文民統制を国の形として整えていきました。実際にその後、それまで軍閥同士が激しく争った戦乱極まりない五大十国時代の騒乱は徐々に収まり、科挙を経て任官された官僚らが大いに活躍する安定した時代へと移って行きました。

 もっともこの文治主義はなんでもかんでもいい結果を生んだわけではなく、軍隊が弱体化したために宋朝はその後異民族の侵入に始終悩まされ、最終的には後の満州族である女真族によって華北地域を追われることで崩壊するに至りました。とはいえ国内の騒乱を終えただけでなく、現在でも宋朝時代の絵画、書画が最も評価されるまでに安定した時代の礎を築いたことは誰もが高く評価しております。

 そんな趙匡胤ですが、彼の政治姿勢とともに優れた見識があったと思わせられるあるエピソードが十八史略に載せられております。
 宋朝の皇帝は即位する際、皇帝となる者以外は決して見てはならない、創業者である趙匡胤が残した宮中にある碑文を読むことが慣わしでした。この碑文は宋朝の時代にはその存在自体が秘匿されていたそうですが、先ほど述べた女真族が華北に侵入して征服した際に宮殿に入ったことでその存在が明るみになりました。その碑文には一体何が書かれていたかというと、大まかな意味でこんなことが書かれていたそうです。

「発言の門で、官僚を処刑してはならない」

 あくまで士大夫である官僚に限りますが、これは言うなれば言論の自由を冒すなという意味です。実際に宋朝においては官僚らがそれぞれの持論を好き勝手に言いたい放題しており、新法旧法闘争において従来の法律を抜本的に改めるべきだと主張した王安石も一時左遷こそされども処刑されるまでには至らず、その後中央官界に復帰まで果たしております。

 この言論の自由というのは案外言うは易く、守るは難い代物で、近い時代の日本においても「核保有論」や「憲法改正論」はそれを実行するかどうかは別においても、議論することすら全く許されていませんでした。最近ではこうした点も議論した上で非核を世界に訴えるべきだと大分タブー性は薄まってきましたが、それでもまだ「天皇制廃止論」ともなると口火を切るだけでいろいろと厄介なことになるのは目に見えます。
 それだけに宋朝において言論の自由を守れと遺訓を残した趙匡胤の先見性は鋭く、世界史にちょこっと名前が出てくるだけにしておくにはもったいないと私に思うわけです。

2009年9月22日火曜日

最近のニュース番組の編成について

 最近私がよく思うことで、通常のニュース番組とワイドショーの境界が段々と見えなくなってきたように思います。ワイドショーというのは言うまでもなく昼間の時間帯に放送される主婦向けのニュース番組で、取り上げられる内容は芸能人のゴシップや美味しいもの、旅行特集ばかりで、世の中に何かを訴えるという報道姿勢というよりは視聴者の求める内容に沿って報道されます。
 もちろんそういう内容ですので、「ワイドショー的な~」と言えば言葉の向けられる先に負の意味がこめられており、対象を馬鹿にするような言い方となります。

 ではそういったワイドショーと対極の位置にある報道番組というのは、一体どんな番組なのでしょうか。
 まず一番硬派であるといえばそれはやっぱりNHKニュースでしょう。女子アナはほとんど出てこずに正面のアナウンサーが一人で番組を淡々と進行する様はシンプルそのもので、そうした変わらない姿勢が受けているのか週間平均視聴率ランキングでは七時台のNHKニュースがほぼ毎週トップを取っております。

 そんなNHKニュースに対抗する民放の、主に六時台のニュースは現在どんなものかというと、こう言っては何ですがこのところはワイドショーと呼ばれる報道番組と変わらないのではと思います。こんな風に私が思うようになったきっかけというのは、察しの良い方ならすぐに想像されるかもしれませんが、酒井法子容疑者の事件からです。

 この酒井法子容疑者の事件は現在進行形で何かしら動きがあるたびにどの局でもトップニュースとして取り扱われ、その報道、解説にも大幅な時間が割かれております。確かにこの事件は視聴者の気を引くニュースであることは私も認めますが、同時期のニュースの価値で言うなら自民党総裁選の行方や、失業問題などといったニュースの方が報道する価値が高いように私は思います。
 そして何より、これは地方局については必ずしもそうではないのですが、このところの東京にあるキー局は何かしら長い取材を経て得た事実の報道で世の中をあっと言わせ、世論に大きな波を作ることがほとんどありません。

 このようなニュースとして近年で私が高く評価しているのは、関西にある毎日放送が大阪市職員の出勤時間を長期間取材して「中抜け」や「実体のない残業代」を暴いた例で、その後全国各地の自治体の裏金や違法な労働実態が次々と取り上げられるきっかけとなりました。
 しかるに近年の東京キー局のニュース番組においては、六時二十分を越えた辺りからはワイドショーと比べても何の遜色もない芸能人のゴシップや美味しいもの、旅行特集ばかりが放送され、言ってしまえば情報を何も加工せず右から左に流すような報道ばかりしかありません。

 このような傾向は各局が持っている「報道ステーション」や「ニュースZERO」などの夜間帯のニュースについても同様で、私の結論を言えばもはや民放においては「ニュース番組」と「ワイドショー」の違いはないと考えております。むしろ最近はワイドショーに評論家が多く参加して社会問題などについてもよく議論するので、ニュース番組よりも内容があったりすることもありますが。

 私はもう過去の話だとして今更気にしてはいませんが、戦時中に朝日新聞などを初めとしたすべての民間報道機関が日本軍の戦績を過大に誇張して報道し、誰もあの戦争の是非や行く末を問わなかったことが非常に良くなかったとよく言われております。しかし当時の記録によると、満州事変直後に朝日新聞が反戦記事を書いたところ、三重県のシェアがそれまでの50%くらいから3%に激減したのを受けて急激に朝日は方向転換をしたと言われており、言わば当時の報道機関は読者の要求に応える形で好戦的な報道姿勢に変わって行ったそうです。

 本来ジャーナリズムというのは、たとえそれが読者や視聴者が求める情報だとしても価値のないもの、誤ったものは報道せず、逆にそれが読者や視聴者が求めていない情報だとしても価値のあるもの、正しいものを報道しなければならないという前提があります。無論、中にはそれが正しいかどうかはっきりしない情報もありますが、その場合には報道するに当たりどのような信念があるかどうかで決めるべきでしょう。
 まだまだ報道しなければならない情報や事実を差し置いて、視聴率競争にかまける形で視聴者におもねる情報ばかり報道する現在のニュース番組の是非を、もうすこし日本は議論するべきじゃないでしょうか。

2009年9月21日月曜日

ラジオ体操の後によくしていたこと

 あまり書くことがないので、今日は自分の昔話を一つ紹介します。

 今はどうだか知りませんが、私が小学生の頃は夏休みの間、早朝に近所の公園で小学生向けにラジオ体操が行われていました。ラジオ体操が行われるのは朝の六時からということで本音ではそんなに行きたくなかったものの、友人らも参加するし両親もうるさく言うので大体二、三日にいっぺんくらいの割合で私も参加していました。

 今もそうですが当時の私の住居はマンションで、ラジオ体操の現場もマンション近くの公園で行われるために、ラジオ体操が終わると子供たちは毎日揃って同じマンションへと帰っていました。
 そうやって自宅に戻る際、普段はやることはないのですがラジオ体操帰りで人数も揃っているため、私を含めた小学生らはよくマンションに備え付けられているエレベーターにみんなで乗り込み、重量超過ブザーをなんとか鳴らそうとよく挑戦していました。

 当然乗り込むのは子供だけなので一人一人の体重はほとんど無いのですが、小学四年生くらいが音頭を取って、「ほら、お前らはもっと奥行け。まだ人はいないのか?」などと言ってはぎゅうぎゅうになるまで乗り込み、最後にうまい具合にブザーがなったらみんなで「やったー!」といって喜んでいました。もちろん、ブザーを鳴らしたら延々と乗り続けることはなく、すぐに降りて三々五々に別れてましたが。

 そんなアホなことして帰宅した後、当時の夏休みは八時くらいからよくアニメの再放送が月曜から金曜に放映されていたので友達と一緒に見たりなんやりしてよく過ごしていました。ただ他の子供と違って私は今でも近くをセミが飛ぶだけで冷や汗をかくほど子供の頃から虫類を苦手としていたので、夏休みの子供に定番の虫取りはほとんどやることはありませんでした。
 では何を一番夏休みにしてたかとなると、やっぱり自転車に乗る時間が一番多かった気がします。小学三年生くらいで片道十キロの町までよく行っていたし。成人した今でも私が自転車によく乗ることを考えると、案外子供の頃の行動というのは歳をとっても変わらないもんだと気づかされます。エレベーターのブザーはもうわざとは鳴らさないけど。

2009年9月20日日曜日

阪神、藤川球児選手について

 それは2005年のある日のことでした。その日もいつも通りに自宅で夕食を終えて何気なくテレビを点けると、ちょうどよく阪神戦の中継が流れていました。テレビ横のパソコンで作業を進めながらちらちらと見ていると、八回阪神守備の場面にて投手が投げた球に妙な違和感を感じました。

「シュートか、今の球?」

 見た感じでは非常に早い速球ではあったものの、球の軌道が見慣れたストレートのような直線状とは言い切れない何かぐにゃりと曲がったような違和感を感じ、わずかに変化する変化球のシュートを投げたのかと直感的に私は思いました。

 しかしその後にテレビに表示された球速は150kmを超えており、なおかつ球種もストレートとされました。となるとさっきの球は私が横目で見ていたから何かの見間違えかと思って見ていた次の球も、先ほどの球同様に速球でありながら妙な軌道を描いてキャッチャーミットに収まり、またもテレビ画面には「ストレート」と表示されます。
 誰だ、この投手は? と、思って興味を持ったのが、もはや野球ファンであれば知らない者は皆無といってもいい、現在私が一番贔屓にしている球界を代表するクローザーの藤川球児選手との出会いでした。

 この藤川選手へ抱いた私の第一印象はある意味間違いではなく、女房役の同じく阪神の矢野選手に、「伝説のストレートを今受けている」と言わしめるほど藤川選手のストレートは群を抜いているといわれています。そのストレートの質は現役に限らず日本球界史上でも過去最高の物とも言われ、「魔球と呼ばれるストレート」、「火の玉ストレート」の名に恥じず、ストレートで三振を奪っていけるのは現在藤川選手位だろうとよく聞かれます。
 この藤川選手のストレートについては上記にリンクを貼ったウィキペディアの記事にて詳しく解説されていますが、他の投手と違って人差し指と中指をくっつけて投げるゆえか、ボールの回転軸の傾きが進行方向に対してほぼ0に近いため、打者からすれば「浮き上がってくるような」と言わしめるストレートを投げれているのではないかとされております。

 私が何故藤川選手が好きなのかというとこの特別なストレートもさることながら、各場面ごとの藤川選手の人となりや見せ場が私の琴線に触れるというのが主な理由です。
 なんでも親父さんが草野球でノーヒットノーランを達成した日に生まれたもんだから、これで野球選手にならなければ一体どうしたもんかという「球児」という名前をつけられたそうですが、その名に恥じず松坂世代の一人として阪神に入団するも、当初はなかなか芽が出ず引退すら考えた時期もあったそうです。

 そんな中でもくじけず練習を続け、それこそ2003年の阪神優勝時にはほとんど名前の出てこなかったにもかかわらず2005年のシーズンに彗星の如く現れ、「阪神、恐怖のJFK」の一角としてそれ以前の記録を打ち破る最多登板記録と共に最優秀中継ぎ賞を受賞する活躍に、当時は胸を大きく躍らされました。
 特に圧巻だったのは2006年のオールスター戦において、前代未聞のストレート宣言をした上で見事にカブレラ選手、小笠原選手を三振に取った場面で、その後もここぞというところではストレートにこだわって打者を抑えていきます。たまに打たれちゃうけど。また今シーズンにおいては先月に今期初めて試合に出場してきた巨人の高橋由伸選手に対し、全球ストレートで勝負をして見事抑えてくれました。

 藤川選手にかぎるわけじゃありませんが、私も一応日本人の端くれなだけに、不遇な時代を苦労して乗り越え大活躍する人物には非常に好感を持ちます。入団から五年間を経て活躍するようになったこの藤川選手はもとい、ロッテの渡辺俊介選手も同様に好きな選手の一人です。
 本来スポーツというのは白熱した試合を見せると共に、その選手一人一人の努力の過程を見せることも一つのドラマだと私は考えております。そうした意味で、こうしたエピソードなどを野球に詳しくない人にももっと広く知らしめられればとこのごろ思います。

国ごとに変わる時間の感覚

 私が中国に留学する前、私の中国語の恩師にある日こんなことを尋ねてみました。

「先生、中国と日本で決定的に違うと思うものは何ですか?」
「そうだね。これは私だけかもしれませんが、向こうはなんか、時間がゆったりと流れるような気がします」
「時間ですか?」
「そう。なんていうか、中国の一日というのは日本での一日より長く感じるのですよ」

 この先生の言葉は、後に私も中国に留学することで直に実感しました。
 私の体験で申し上げると、感覚的には中国における一時間という時間は日本における二時間分に相当するように感じます。日本では昼食を取ってから夕方になるまであっという間という感じですが、中国ではなかなか夕方にならず、やることがあればまだ気にならないのですが暇な時などはまだ夜にならないのかと、まるで小学生の頃に学校を休んだ日みたいな感覚を覚えました。
 またこれは私と先生に限らないようで中国留学生らが書き込む掲示板などを覗くと、どうも他の多くの方も同じように中国では時間がゆったりと流れるように感じるという意見を何度か見受けたことがあります。

 それにしても考えてみると不思議なものです。言うまでもなく絶対時間は世界共通で差があるはずはないのですが、日本と中国では私にははっきりと自覚できるほど一時間辺りの感覚時間が異なっていました。一体何故感覚時間がそれほど変わってしまうのか、私なりに出した仮説は以下の通りです。

・仮説一、未経験な海外生活
 例えば同じアルバイトなどの仕事においても、毎日やっている仕事とその日が初めての仕事では何事にましても勝手が違います。そして感覚的には未経験の仕事の方が体験済みの仕事に比べ覚えることや気苦労が多く、私の中では両者を比べると未経験の仕事をやっている時の方が時間が長く感じます。
 これと同じように、何年も生活してきた日本での生活に対して初めての中国での留学生活はいわば未体験なことの多い生活でした。そのように留学中ではいろいろと慣れない事が多い生活のため、日々の感覚時間が日本での生活より長く感じたのではないかという仮説です。

・仮説二、国民の時間感覚の違い
 日本のバスと違い、都市間高速バスを除いて中国の市内交通バスには基本的に時刻表はありません。こういうと中にはどんな風にしてバスを利用するのかと思う方がおられるかもしれませんが、使い方は実にシンプルで、乗りたい路線のバスがやって来るバス停でひたすら待ち、やってきたら乗るだけです。
 これはずっと以前から言われていることですが、日本人というのは世界的にも時間の遵守に対して非常に厳しい面のある国民です。バスにしろ電車にしろ、五分でも遅刻しようものなら、「五分程度か( ´ー`)」とは言わずに、「五分も遅れやがって!( ゚Д゚)」とラッシュ時なら平気でみんなで言い合います。しかし海外の方からすると、ほとんど一分以内の誤差で運行する日本の交通機関に皆驚くそうで、母国では五分や十分の遅刻は当然だとよく聞きます。

 中国人も個人で見ればせっかちな人は少なくありませんが、社会的にはまだ日本人より時間にルーズです。十分や二十分くらい平気で遅刻してくれば、待つ方も仕方ないやとほとんど怒りません。
 このような社会全体の時間に対する厳しさとでも言うべきでしょうか、これが中国は日本より緩いために中国で生活する私も日本ほど時間を守らねば、焦らねばという感覚が薄まり、長く感じられたのではないかという仮説です。

・仮説三、単純に私が暇だった……
 この辺は連載中の「北京留学記」でも書いていますが、午前の授業を終えると私はほぼ毎日やることがなく、ずっと暇をもてあそんでいました。あんまり街中に出てお金を使うのも嫌だったし、自習したりすることがなければほぼ毎日昼寝をして何度も読み終わっている本をまた読み返したりして過ごしていました。
 これは別に中国に限らず、日本でも暇な時間というのは感覚的には長く感じます。中国での留学中はそのような暇な時間が多くあったため、ただ私が個人的に「長かった……(;´Д`)」と感じているだけというのがこの仮説です。

 以上の三つが主な仮説です。
 実はこの日本と中国での感覚時間が何故異なるのかという疑問が、私が時間の概念に対して興味を持った最初のきっかけでした。上記の仮説の中に部分々々におわせていますが、なにも国ごとといわずとも同じ日本国内でも場面ごとに感じる時間の長さが異なっていたりします。その差異を生むものは何か、この中国の体験談を話した友人と議論したのがある意味運の尽きで、その後数ヶ月に渡って会うたびに夜中中この議論を繰り返すこととなったわけです。

 そういうわけで次回は、「都会と田舎の時間」について解説いたします。

2009年9月19日土曜日

料理で学ぶ優先行動順位

 大分昔に「声に出して読みたい日本語」の作者の斉藤孝氏が、あるテレビ番組にてこんなことを言っていました。

「子供の教育において何をやらせれば一番いいのかといえば、実は料理なのです」

 斉藤氏が言うには料理をすることで子供は自然と効率的な動き方、行動の仕方を覚えるので、幼児期の思考の発達において非常に有意義だそうです。この斉藤氏の主張にテレビ番組を見ていた当時高校生だった私は果たしてそんなものなのかなと思いましたが、後年になって自分でも料理をするようになると段々とこの主張に納得するようになりました。

 普段から自分で料理している人間なら分かるでしょうが、案外料理というものは非常に複雑なパターンの集合体ともいえるような行為です。たとえばどの食材から切り分けるか、それとも先にお湯を沸かして食材を煮るか、その間に先に肉類に火を通しておくべきなのかなど、行動分岐を数えようものなら何百パターンにも分かれていきます。
 それでも一品の料理であればあらかじめ用意されているレシピ通りの順番で作れば間違いはありませんが、これが複数の料理を同時に作るとなれば選択の幅は大きく広がってしまい、どちらの料理のどの作業から初めて同時に何を進めておくべきか、効率的に動こうと思ってもなかなかそのようには動けず、終わってみると随分と回り道をしてしまったと思うような経験を私も何度もしております。

 そう考えると、料理作業において効率的に動くというのは非常に難儀なことです。ですが斉藤氏の言うようにそのような料理作業を通してどの行動を優先して行うことが最終的に最も効率的なるのか、そのように考える癖を身に付けて普段から行動できるようになればその他の様々な分野においても非常に応用が利くと私は確信しております。

 まず第一に応用が利く場として挙げられるのは、仕事の場です。アルバイトにしろ正社員にしろ、よっぽど管理された流れ作業でない限りは一つの作業中に何かしら突発的な事態や横槍が入るのは当然です。そのような事態に際し、現行の作業を優先するべきかそれとも突発的な事態に対応するべきなのかというのは、それこそ状況次第によるので画一された答えと呼べるものはまずないでしょう。そんな事態に瞬間的に現状を見極め、効率的な選択肢はどちらなのかと考えられてそのように行動できるのであれば、まずもって周囲から期待される位の働きが出来ることに間違いないでしょう。

 またこのような仕事の場に限らず、このブログのような文章の組み立てからスケジュールの組み方、果てには資産の運用の場など、この思考法が応用出来る場を挙げれば切りがありません。また以前にもこのブログでちょこっと書いたことはありますが、私は突き詰めて言えば思考というのは事象に対し優先順位を付けることに尽きると考えており、この料理によって鍛える効率的な動き方の考え方というのは根本的な思考力に対しても大きな発達が見込めるとも思います。
 しかるにこうした効率的な動き方や思考法というのは、工場での管理以外の現場ではそれほど着目されていないように私は感じます。それこそ斉藤氏のように幼児期から料理などを通してこうした思考を鍛えることは子供の将来的にも教育的にも効果が見込めるので、もっと全体で着目して盛り上げていくべきでしょう。

 差しあたっていえるのは、サークルの活動履歴とかどうでもいいような個人的な自慢に着目するのではなく、作業手順に順位付けなどをさせることで企業の採用担当は人材を見極めるべきじゃないでしょうか。

2009年9月17日木曜日

自分が変わらない理由

・友人Aの証言
「花園君ってさ、本当に昔から変わらないよね」

・友人Bの証言
「あのさ、それだけ政治とか経済にコミットしているのに、会社内とかでそういう話題の話し相手がいないのに我慢できるの?」

 最近、友人らから上記のようなことを度々言われます。
 この友人らの意見を補足するとこれは大概の日本人がそうでしょうが、就職して組織人になることで学生時代のように自由に振舞うことが出来ず、思想や言動も無意識のうちにかつてのものと比べて幅が狭くなっていきます。私の友人らも彼らが言うにはご多分に漏れず、自分の思想や言動がいつの間にか組織の型にはまってきて以前ほどの幅や自由さを感じられなくなってきているそうです。

 そんな友人らが言うには、この陽月秘話の内容を初めとして今でも私は若い頃と全く変わらずに以前と同じ内容を以前と同じ具合で話し続けているそうです。一体どうしてそれほどまで以前の自分を保ってられるのかとよく驚かれるのですが、かくいう私自身も決してこの点を意識せずに果たしているわけではないので今日はその辺について話をしようと思います。

 まずそもそも私が周囲に全く影響されずに以前と変わらずになりふりかまわない言動を続けられるのは、言ってしまえば幼少の頃の体験によってそういった周囲からの影響への耐性というか、自分の保ち方というものを身に着けていたからだと思います。
 自分でこういうのもなんですが、私は小さい頃から周囲とは妙に異なった振舞い方、考え方を常にしておりました。それでも小学校くらいまでは特に取りざたされることはないのですが、中学高校ともなるとクラス単位の集団の付き合いというものが強くなるため、周囲からいろいろと訳の分からないことを言われることが増えていきました。まぁ中学時代に、弁当のおかずを全部食べてからご飯を食べ始める癖は周りから注意されてよかったと自分でも思いますが。

 とにかくそれこそやることなすことから言うことまでよく周囲から、「それはおかしい」と言われ続け、私としても最初のうちは自分が何でそんなことをするのかをしっかりと周囲に説明すれば分かってもらえると思っていましたが、途中からは多分自分と周囲の人間で型が違うのだろうと割り切ってしまうようになりました。しかし割り切るにしても、自分がその振る舞いや言動を変えない限りは周囲からの変な目をくらったり、矯正するべきというプレッシャーを掛けられたりするのは変わりません。となると多少の苦痛は感じますが、そういった振る舞いや言動を自ら封印して出来る限り目立たないように行動することが一番割がいいだろうと判断したわけです。

 そもそもの話、私がそれほど周囲から奇異の目で見られるような振る舞いを止めて周囲に合わせればよかったのではないかと言われる方もいるでしょう。確かに言われればその通りで私も可能であればそちらの手段を取ったでしょうが、当時の私はどうしても周囲の振る舞いや考え方が正しいものとはとても思えませんでした。

 いくつか例を挙げると、私が高校生くらいの頃から携帯電話が流行りだして学校内はそれこそ携帯も持たないでどうするのという空気になり、持っていない生徒らも競って親にねだっていました。しかし当時の私はなにか緊急に連絡する状況になることはほとんど無く、むしろ通話代を親に負担させることになるので断固として持とうとしませんでした。
 またこの携帯電話に限らずシャンシャン総会みたいに無気力全開の図書委員会でも、こんな状態はよくないと一人で図書の推薦文を書いて全校に配ったり本の整理などもよくやりましたが、やっぱり他の委員からは変な人のように見られてたようです。
 更に言うと、周りがカードゲームやアーティストの話題を好んでする中で、私は一人で北朝鮮のテポドン事件についてあれこれ調べたり考えてたりしました。しかしこんな話題をしても周囲は相手にしないのも分かっていたので、無難に周りの話題に合わせて孤独に政経関係を勉強しておりました。

 こんな具合で、いわば周囲から無理やり型にはめられるようとする中で可能な限り目立たず、かつ自分が正しいと思う振る舞いや言動、思想を下手にさらさずに自分ひとりで育ててきた期間が長かったため、一応組織人となった今でも学生の頃と全く変わらないままでいられるのだと思います。ただそうした身の隠し方がこのところは過ぎているのか、どうも初対面の人からは自分が大人しいタイプの人間だと勘違いされることが増えてきています。自分ほど感情の上下が激しい人間はそれほどいないとは思うのですが、逆を言えばそこまで自分を隠すことが出来るようになったのだと最近は前向きに受け取っています。

 最後に自分が変わることについて、それがいい結果を生むか悪い結果を生むかはケースバイケースだと断言しておきます。変わるべき要素もあれば変わらざるべき要素もあり、自分のどこを変えてどこを変えないかをしっかり自分で考えて選ぶことが非常に重要です。一番よくないのはわざわざ私が言うまでもないですが、周りに翻弄されるがままに変わっていくことです。

オリックスの大石監督の続投問題について

 すでにあちこちのスポーツ系の報道にてオリックスの大石監督の来期の去就が噂されており、早いところなんか前阪神監督の岡田氏がオリックス監督に就任するとまで書いているところもありますが、私はというとオリックスは来期も大石体制で望むのがいいのではないかと思っています。

 まず今期のオリックスの成績ですが、確かに現在パリーグで最下位でほぼ負け越しが決まっているほど芳しくはないのは事実ですがそれでも四月まではまだ調子がよかったです。やはり今期で致命的だったのはローズ、カブレラという主砲打者二人が前半戦も早々に骨折によって長期離脱してしまったことに尽き、二人とも怪我をする途中まではホームランランキングでトップを争うほどの成績だっただけに、この二人の離脱が今期のオリックスに与えた影響は計り知れないでしょう。

 またこれは何も今に始まったわけじゃありませんが、今年のオリックスの投手陣の崩壊ぶりもまさにパンデミックものでした。私なんかは去年に新人王を取った小松投手に期待していたのですが、今年の成績は去年のあの変化球のキレはどこに行ったのかと思うほどの目も当てられない成績で、先発からリリーフに至るまで安心して見ていられる投手がオリックスにはいません。それを前半戦は打撃でカバーしていたというのに、主砲の外人二人が怪我するなんて……。

 こんなチーム事情では私は監督の責任はあまり問えないと思います。そしてなにより、あの癒し系とも取れる大石監督のさわやかな画面映りは失くすには惜しいです。そういう意味では、かつての横浜の監督だった山下大輔こと大ちゃんもいろんな意味で惜しかったのですが。

2009年9月16日水曜日

聖徳太子は一体誰なのか?(; ・`д・´)

 前にちょこっと書いたので、せっかくなので聖徳太子について私の見解をまるごと書いてみようと思います。

 まず大前提として、現在の日本の歴史においてはっきりと信頼性を置けるようになるのは壬申の乱後に即位した天武天皇の時代以降です。というのも天武朝以降の日本は隣国の唐へ遣唐使を送ることで相互にその歴史を証明し合っているだけでなく、東大寺を初めとして当時に作られた遺跡や建築物の系譜が現在においても比較的はっきりした形でまとめられているからです。
 これは逆を言えば、天武朝以前の日本の歴史は全く証明がつかない、あくまで推定の範囲での歴史だということになります。

 ここで挙げた天武朝以前というのは時代的には聖徳太子や蘇我馬子、また日本初とされる女性天皇の推古天皇がいた飛鳥時代から中大兄皇子こと天智天皇が大化の改新を行い、その天智天皇の息子の大友皇子と天武天皇こと大海人皇子が皇位を争った壬申の乱までです。
 では何故この辺りの歴史に信用性が低いのかというと、この辺の歴史については天武朝の系譜を引く奈良時代の天皇政権が編纂した古事記、日本書紀によるところが多いのですが、どちらの史料も時の政権によって編纂されたもので支配政権の正当性がご多分に漏れず主張されているからです。言ってしまえば大化の改新も、敢えて蘇我氏を悪役に据えてそれを退治した天智天皇一派、もとい藤原氏を善玉に仕立てているのではないかとかねてから言われております。なにせ、日本書紀編纂の責任者が藤原家二代目の藤原不比等なのだし。

 そういうわけで私に限らず蘇我氏、また同時代の聖徳太子についてその人物から立ち位置に至るまで疑義を呈す人間は少なくないのですが、聖徳太子についてはその存在もかねてより疑問視されております。以前の記事にも書いた通り聖徳太子が建立したとされる法隆寺は確かに史料通りの年代に作られていることが礎石から証明されておりますが、肝心な聖徳太子の子孫は蘇我氏によって滅亡に追い込まれたとされており、大化の改新後もしばらくは残っていた蘇我一族と比べるとなんだか唐突な印象を受けます。

 そんなことをこの前ガストで友人に話していたのですが……少し話は脱線しますがその友人は私と高校の同級生で世界史科目では学年で一番の成績を取っていたような友人なのですが、他の人間同様に歴史の知識は世界史だけに偏っていて日本史は時代によってほとんど知識がないところがある友人です。しかし世界史の成績がよかっただけに歴史に対する興味は強いのか、この時も私の聖徳太子の話を黙々と聞くだけでなくその後の反応についても下手な日本史科目の受験者よりずっと上でした。

 話は戻りますがその友人はこうした聖徳太子の話についていきなり、「聖徳太子は十人いたんじゃないのか?」と切り出してきました。何故十人かというと聖徳太子のあるエピソードによるからで、そのエピソードというのも聖徳太子の賢者ぶりを表す有名なエピソードです。
 日本書紀によると、聖徳太子は一度に十人もの人間の訴えを聞き分け、また適切に各人に返答したというエピソードが載せられております。これは暗に、聖徳太子という人物はその時代における複数の人物をひとまとめにして作った架空の人物ではないかと言っているのではないかとその友人は考えたわけです。

 この聖徳太子複数人説というのは実はこれまでにも提起されており、現状で私も最も支持する意見であります。というのも日本書紀における聖徳太子というのは本当にスーパーマンばりになんでもこなす万能人間で、本当にこれが同一人物が行ったのか疑わしい面も少なくないからです。
 いくつかそうした聖徳太子のモデルを紹介すると、蘇我氏が権力を握るきっかけとなった物部氏との戦闘においては軍隊を指揮する軍人で、自らも深く帰依して仏教を日本の国家宗教にする過程では宗教者で、小野妹子を隋に派遣する場面では外交官、憲法十七条を作る場面では政治家と、このように一人の人間としてみるにはあまりにも多くの姿を持ちすぎております。このほかにも細かいところを挙げれば一つでいいような氏寺を四天王寺や法隆寺などいくつも建立しており、また空飛ぶ馬に乗って通勤していたという超能力者っぽいエピソードまであります。

 となるとこの聖徳太子というのは、蘇我政権下で活躍した人物、もしくは蘇我馬子の功績を彼から引き剥がすために作られた人物と考えるのが自然かもしれません。一つ一つのエピソードは本物でも、それを果たしたのが一人の人物だとは必ずしも限らないのは歴史の常です。もっともそういうパターンはこれとは逆に、ローマのネロみたいになんでもかんでも当時に起こったよくないことを一人の歴史人物に押し付けられることのほうが多いのですが。

鳩山内閣の顔ぶれについて

 本日衆参両議会の氏名を受け、鳩山由紀夫民主党代表が見事総理大臣に就任しました。なにはともあれ、民主党の結党からこれまでいろいろ苦労を重ねた上にようやく総理大臣にまでたどり着いた鳩山首相に対し、この場ながら一日本人としてお祝いを申し上げることにします。またこの鳩山氏の総理大臣就任と共に、本日はかねてより議論されていた鳩山内閣の顔ぶれについてもはっきりしました。

 まず民主党若手の中で最も期待され、かつ入閣が確実視されていた長妻昭氏はやはり「ミスター年金」の名に恥じることなく厚生大臣に就任しました。私としても長妻氏が厚生大臣にて年金行政を担当することには全く異存はないのですが、派遣業法の改正や新型インフルエンザ対策など、前職の枡添大臣でもそうでしたが現在の厚生大臣は非常に多忙を極める職となっております。出来ることなら仕事分野を別の担当大臣などを設けることで分けて、私は長妻氏には年金のみをこの際しっかりと取り組んでもらいたかったというのが本音です。

 次に同じく若手の中で去就が注目されていた前原誠司氏ですが、一応は要職に当たる国土交通大臣に就任しました。まぁ防衛や外交といった、党本部とは真っ向から対立する意見を持つ前原氏がそういうところに就任しなかっただけでもマシと見るべきかもしれませんが、確か前原氏は前回の参議院選挙の民主党マニフェストについて、こんな大盤振る舞いは出来るわけがないから政権を取っても大きく方針を変えなければならないと主張していたことを考えると、高速道路無料化などで齟齬をきたさないかちょっと心配ではあります。
 ついでに前原氏の私の評価を書いておくと、この人は悪い人には見えませんがいかんせん勢いばかりありすぎてやや慎重さが足りないような気がします。私もあまり人のことは言えませんが。

 このほかの大臣については一括して私の意見を書きますが、まず第一印象としてはややベテラン議員が多すぎるように感じました。上記の長妻氏、前原氏を除き、六十歳未満の大臣となると後は原口一博総務大臣と小沢鋭仁環境大臣、福島瑞穂消費者少子化担当大臣しかいません。
 確かにこれまで民主党は長らく野党としてやってきたのだから、ずっと党を支えてきたベテラン議員には論功行賞とばかりに今回はポストを与えたいという心情も分かるのですが、逆にそうやってついに政権を奪取したのだから今度はそうして得た政権を長く保たせるためにも若手を大胆に起用し、政治家を現場で育てる姿勢をもう少し見せて欲しかったです。
 ただ民主党はこれまでの自民党政権ではほとんど機能していなかった副大臣を活用すると主張しているので、もしかしたらこの辺で若手を使うつもりなのかもしれません。だとしたらそこそこ期待できるのですが。

 最後に、まぁあくまで根も葉もない噂ではありましたが、財務大臣に大学教授の榊原英資氏が就任することはやっぱりなかったようです。順当といえば順当ですが、民間人採用も一人くらいはあってもという気持ちもします┐(´ー`)┌

2009年9月15日火曜日

谷垣貞一氏の自民総裁選出馬宣言について

 今回の選挙戦の大敗北を受けて混乱続く自民党ですが、明日鳩山民主党代表が臨時国会にて総理大臣就任をする直前に至り、今日になってようやく次の自民党総裁選挙に名乗りを上げる人物が出始めてきました。
 口火を切る形で名乗りを真っ先に挙げたのがこの記事の題になっている谷垣貞一氏で、これに続く形で河野太郎氏、小野寺五典氏も本日になって総裁選への意欲をマスコミに発表しました。また記者からの出馬についての質問に対し、「そういった話は総理大臣氏名が終わってからです」と、石破茂氏は曖昧な態度を取っていますが、こんな発言をわざわざするのだから多分出るのではないかと私は見ています。

 とはいえ現時点で最有力候補とくれば、やはり谷垣氏ということになります。谷垣氏は自民党内で古賀派に属しており、今日意欲を示した小野寺氏も同じく古賀派のために同派閥内で小野寺氏が出馬するのに必要な推薦人20人を集めるのは難しい上に、派閥会長である古賀誠は今日の小野寺氏の出馬意欲発言に激怒したとまで報道されております。
 そんな最有力候補の谷垣氏ですが、実を言うと麻生総裁が辞任すると表明したときからこいつにだけは次期総裁になってもらいたくないと私が真っ先に思っていた人物でした。

 何故私が谷垣氏をそこまで評価していないかというと理由はいくつかあり、まずこれまでの経歴が気に入りません。
 なんでもこの人、一応東大を出ていますが卒業するまで八年かかっており、なおかつ卒業後にはすぐ定職につかずに確か七年くらい勉強して司法試験に合格しています。司法試験に合格したのは確かに評価できますが、いくらなんでもそんなちゃらんぽらんに生きてきた上に世襲議員と来ればちょっと私はこの人の人物を疑います。

 次に谷垣氏の政治家としての資質です。
 確かに早くから要職を歴任して小泉政権下では財務大臣という重職まで努めているのですが、当時から注意深く観察していましたがどうもその財務大臣時代にこれという仕事を谷垣氏がなした形跡が全く見られません。当時の金融、経済関係の問題処理はほとんど竹中氏がやっていたので無理もありませんが、それでも当時から現在に至るまで谷垣氏からこれという政策提言や未来のビジョンを聞いたことがありません。
 小泉元首相辞任後の総裁選においては型通りのことしか言わなかったし、また当時に文芸春秋が行った総裁候補へのインタビューには文春に書かれた自身のスキャンダルへの意趣返しとばかりに応じませんでした。まぁ、気持ちは分からないわけでもありませんが。

 そして極め付けが、麻生総裁との過去の密談の暴露です。
 確か安倍元首相が辞任した前後だったと思いますが、ある日谷垣氏が記者団を前にして自ら話を切り出し、

「麻生がこの前、次の総理大臣は俺とお前の交代にしよう。先に俺にやらせてくれよと私に言ってきた」

 と、まぁ実際に麻生総裁なら言いかねないこの発言をいきなり暴露していました。発言内容が内容なので別にそれほど気にすることでもないのですが、谷垣氏は失言こそ少ないもののこの例のように突然妙なことを言い出すところがあるので、資質もあれだから野党とはいえ自民総裁にはなっちゃ駄目だろうと早くから私は思っていました。

 じゃあ誰がなったらいいのかといえば、谷垣氏を擁立する派閥が古賀派だというのなら、派閥会長の古賀が選挙前に東国原宮崎県知事を口説きに行って混乱を招いたのだから、向こうもその気だし、擁立するのならいっそそっちでも擁立したらどうなのかとやや皮肉っぽく思います。

中国語検定について

 すでに何度もこのブログで書いているように、私もいっぱしの中国語使いで今でも向こうの新聞を辞書なしで読むことも出来れば中国人と日常会話をすることが出来ます。とはいえ仮に私が中国語の新聞を取り出して音読みをしたところで中国語を知らない人からすると、それが本当に正しい中国語なのか、本当に私が中国語を理解しているのかはまず分からないでしょう。ではどうすれば私が中国語を使えるのかと他人に証明できるのかといえば、やはり力を発揮するのは外部の検定などによって得られる資格です。

 中国語の資格とくればちゃんと分かっている人はHSKこと、「漢語水平考試」という試験の資格を真っ先に思い浮かべるでしょう。このHSKというのは中国政府が国内の北京語を母語としない少数民族らの大学入学資格を測るために作られた試験なのですが、現在では主に外国人らが自分たちの中国語の技量を測るために受験しております。
 試験概要を簡単に説明すると、このHSKには「初、中級」と「高級」の二種類のテストがあり、それぞれのテスト成績内で何級かを測定されます。なおそうして得られた成績の証明には有効期限があり、確か一年間だけだったと思いますが、私の場合はすでに三年前の成績ですが「初、中級」の七級資格をかつて得ました。

 しかしこのHSKですが、お世辞にも日本国内で知られている試験ではありません。実際私も履歴書に書く傍から「何これ?」と聞かれまくり、一社の担当者だけが知っていてそこだけは話が早く済みました。では日本、というよりも日本企業の人材担当者が中国語使いを見る上で何を重視するかといったら、今回の題にある中国語検定です。結論から申しますが、私は逆にこの中国語検定を初めから信用しておらず、こんなもので中国語のレベルを測ること自体が大きな間違いだと思います。

 いきなりこう全否定しておきながら言うのもなんですが、私も一応は外面を保つためにこの中国語検定の三級は取得しております。「一年間も北京に留学していたのだから、三級といわずに一級とかをなんで取らないの?」、ということをたまに友人に聞かれますが、何故私が三級以上の試験を受けなかったのかというとこの検定に受ける価値がないと判断したからです。
 留学から帰国直後、当時の私もまだ中国語をしっかり覚えている状態で可能な限りこの中国語検定で高い級を取っておこうと考え、三級とは言わず二級か準一級を受験しようとしたのですが、書店で販売されている公式テキストを見てそうした考えが一挙に吹っ飛んでしまいました。

 まず何に驚いたかというと、二級の試験問題に使われている中国語表現のほとんどが全く見たことも聞いたこともないような代物ばかりだったからです。はっきり言って古文や漢文のような、ネイティブの中国人に聞いてもまず知らないであろう訳の分からない四字熟語や一般的には全く使われない単語が羅列してあり、多分覚えても役に立たないであろう問題内容ばかりでした。仮にも私は一年間北京にいましたが、普通に受験してもきっとこの二級の試験には今でも合格できないでしょう。

 そんな役にも立たない中国語知識を得るために勉強時間を作るのも馬鹿馬鹿しかったので、何も勉強しないでもまず受かるであろう三級に受験試験をシフトしたというわけなのですが、試験前に一応ざらっと問題集を解いているとここでもまたいろいろ驚かされることになりました。

 ちょっと専門的な話になりますが、中国語では「状態補語」といって比較表現と組み合わせてその程度を表す表現があり、使い方はというとこんな具合で使います。

・名詞(A)+比+名詞(B)+動詞+得+副詞

 この形で、「AはBよりずっと~だ」みたいな表現が出来、ちょっといくつか例示すると、

・北京冬天比東京冬天冷得多。(北京の冬は東京の冬よりずっと寒い)

 という風に使ったりします。

 ここで問題なのは「得」という漢字の後に来る副詞です。普通この表現を使うときは「ずっと~」と言うことが多いので最もポピュラーなのは「多」という漢字なのですが、中国語検定三級のテキストでは何故かそのような場面には「很」という漢字を使うことになっており、先ほどの表現を使うと、

・北京冬天比東京冬天冷得很。

 というように、実際に三級のテキスト問題でもこのように選ばないと間違いになる問題が盛り込まれていました。
 しかし、はっきり言って私はこんな中国語を一度たりとも北京で聞いたことはありません。それどころか北京語言大学の授業でこの単元を学んでいる最中に先生から、「この表現では絶対に”得”という字の後に”很”を使ってはいけませんよ」という注意まで受けています。

 こんな具合でこれ以外にもいくつか疑問と思える表現が中国語検定では見受けられ、こんな試験に意味があるのかと思いつつ本試験に臨んだら案の定選択問題でこの表現が出てきたので、中学生くらいの自分だったら、「いいや、お前が間違っている!」とばかりに「該当なし」と回答したでしょうが、私も大分こなれて来ていたので「很」を選んで見事合格したわけです。

 調べてみるとこの中国語検定を実施しているのは「日本中国語検定協会」というところだそうですが、前の漢字検定もいろいろと問題があり、試験内容についても上級の試験はただ難しい漢字の羅列だけで何の教養にもなっていないと批判されていましたが、なんだか私はこの中国語検定にも同じにおいを感じます。
 最後に各企業で人事担当をしている人に伝えたいのですが、こうした資格とかで相手を値踏みするのが如何に簡単だからといって安易にそれを鵜呑みするべきではないでしょう。本気でいい人材かそうでない人材かを見極めたいのなら、もっと時間を掛けて個別に面接とかを実行するべきじゃないかと、今年の就職活動で苦しんだという後輩らの意見を聞いていてよく思います。

2009年9月14日月曜日

北京留学記~コラム1、面白い漢字の中国語

 ちょっと今回は話を横道にそらし、私が留学中に「えっ?」と思ったいくつかの中国語を紹介します。
 中国と日本は言うまでもなく同じ漢字を用いる漢字文化圏の国同士で、「双方」とか「努力」などお互いに同じ意味と理解することのできる言葉を共有しているのですが、中には日本語と中国語の意味が全く変わってしまう言葉も少なくありません。また外来語をカタカナで表す日本語に対してあくまで中国語は漢字の直球一筋なため、それこそ日本人からすれば「ちょっと、無理な当て字なんじゃないの?(゚Д゚;」と思わせられる表現も数多くあります。

 そんな前置きを踏まえた上で、早速ご覧下さい。


・聖誕老人=サンタクロース
 私のルームメイトも言っていましたが、キリストとサンタは本来関係ないはずなのですが一緒に言葉にされてしまってます。

・情人節=バレンタインデー
 日本人も中国人もバレンタインデーに小売業者によって踊らされているのは一緒ですが、この記念日の由来となったキリスト教の「聖者バレンタイン」の名前くらいは忘れずに入れといてあげなよと思いました。

・露骨的色情電影=ハードコアポルノ
 辞書をめくっていたらある日突然発見しました。これに限るわけじゃありませんが、中国語だと日本人からすれば表現が非常に露骨に感じてしまいます。

・口袋怪物=ポケットモンスター
 なんとなく意味はわかりますが、少し違う気がした表現です。

・楽天=ロッテ
 中国のスーパーでは日本同様にロッテのお菓子が売っているのですが、面白い事にロッテの中国語におけるブランド名は「楽天」になっています。なお発音は「ルーティエン」といいまして、面白いから当時に放映していた「トリビアの泉」にこの事実を投稿したものの採用されることはありませんでした。

・活力門=ライブドア
 私の留学中に「ホリエモン逮捕事件」が起きて当時の新聞に何度もこの表現が載りましたが、意訳的にも発音的にもなかなか見事な表現です。なお発音は「フゥオリィーメン」というような感じです。

・ホンロンロン=雷の擬音、日本の「ゴロゴロゴロッ」
 これを教科書で見たとき、中国人の耳は何かがおかしいのではないかと思いました。

・卡拉OK=カラオケ
 いろんな意味でかなり無理があると感じる表現です。なんでこんな風になったのか私の勝手な予想を書くと、実は北京語には短母音である「オ」、「オー」に相当する発音の漢字がほぼ全くなく、日本語における「オ」という発音をする際には「ァオ」というような発音をしています。この前の北京オリンピックも中国語のアルファベットで書くと、「Ao Ling Pⅰ Ke」という風になり、窮余の策とばかりにカラオケはこんな表現になったと思います。

・冷血動物=爬虫類
 変温動物だからこんな表現にしたんだろうけど、最初見たときは何かの小説の題かと思いました。

・勉強=強制する
 言われてみると、漢字の意味的にはこっちの方がしっくりきます。日本人は中国語のこの意味をわかってて「勉強」という表現を使っているのではないかと感心させられた表現です。ちなみに、中国語で日本語の「勉強」の意味を持つ表現は「学習」だけです。

・手紙=トイレットペーパー

 日本語と中国語で意味が変わってしまう漢字の代表格です。

 このようにいろいろあって非常に面白く、特に外来語は意味から漢字をつけるか、音から漢字をつけるかで大きく表現が変わってくるので海外ブランド名などはなかなかに必見です。
 そういった海外ブランド名のうち、中でも女子留学生陣に人気だったのは以下の二つのブランドです。左側が中国語の発音で、右側が日本語でのブランド名です。

・クーツー=グッチ
・ルゥウェイタン=ルイ・ヴィトン

 あまり日本も人のこと言えませんが、恐らくこの発音だと現地の人は理解してくれないでしょう。それにしても、どうしてヴィトンが「ルゥウェイタン」になったのか非常に気になります(;゚ Д゚)。

北京留学記~その十一、留学中の生活習慣

 現在の生活でもそうですが、生活にメリハリをつけるために私は平日でもある程度決められた習慣を留学中にも設けて実行していました。留学中に自らに課した習慣の中で一番代表的なのは二日ごとのランニングで、どんなに寒かろうと暑かろうと、二日に一度は大学構内にあるグラウンドでランニングを行い、ランニング後の夕食を食べた後にこれまた習慣にしていたシャワーを浴びていました。

 もしかしたらこんなことを書くと少し汚いと思われるかもしれませんが、私は留学中、二日に一回のペースでシャワーを浴びていました。北京はもともと乾燥気候なためそれほど汗もかかなず、現地の中国人学生には一週間に一回しか浴びないという人もいると聞いており、郷に入らば郷に従えとばかりにシャワーを毎日入ることをまず真っ先に止めました。すると不思議なもので、大体留学してから三ヶ月もするとその二日に一回のシャワーすら面倒に思うようになってきたので、汗をかいたら必ず入るようにと敢えてランニングと日程を合わせました。なお、日本に帰ってきてからはちゃんと毎日風呂に入っていますよ。

2009年9月13日日曜日

竹中平蔵氏の再登板の是非

 去年のリーマンショック以降から不振が続く米国金融業会にもかかわらず、業界最大手のゴールドマンサックスは去年でこそ赤字を計上したものの、今年は現在まで黒字続きで早くも経営陣へのボーナスが大きな目玉となっております。
 この報道を受けて私は、いくらゴールドマンサックスとはいえ果たしてこれほど短期で経営を回復させられるのかと文字通りいぶかしんだのですが、案の定というか今月の文芸春秋に掲載された、神谷秀樹氏による「ウォール街、強欲資本主義は死なず」という題の記事を読んでようやく合点がつきました。

 この記事によると、ゴールドマンサックスやモルガンスタンレーは一部破綻した米国金融機関の債務整理などを米国政府から請負い、総額で数十億ドル以上の手数料が税金から支払われることとなっていたそうです。いわば政府が彼ら金融機関に対して直接現金を振り込むことで彼らを救済していたというだけで、実態的には経営の改善はまだ未知数だったということです。
 またこの債務整理を依頼したときの政府の財務長官はハンク・ポールソンという人物で、何を隠そうこの人物は元ゴールドマンサックスの会長職にあった人物で、今回の救済も身内による決定だったそうです。

 それにしても今回の不況を見るにつけ、私は改めて日本の経済は一流も一流だったと思わせられました。というのも今回アメリカで起きたリーマンショックを日本ではなんと91年のバブル崩壊時に起こしており、時代的に言えば20年近くもこの形の不況を先取りしています。日本は制度など様々な点でアメリカに10年遅れていると言われていますが、経済で言えば成長からその転落の過程を比べるにつけ随分と先を走っているように思えます。

 実際にこの点についてはアメリカの経済学者らも認めており、失われた十年の間に、「とっとと不良債権を処理すればいいだけの話を、何を日本はもたもたしてるんだ!」とあからさまに批判していたポール・クルーグマンも今回のリーマンショック後は、「不良債権を処理することがこんなにも大変だとは思わなかった。今まで日本の政策を散々批判してたけど、俺ゃ間違ってたよ……」と、素直に自らの非を認めています。

 この不良債権処理についての解説は敢えてここではしませんが、クルーグマンの言うとおりに確かに不良債権を処理することが不況から脱する最適の手段だと分かっていながらも、その過程で大量の失業者や社会混乱を生み出す恐れがあるために政策実行者はなかなか一歩を踏み出せないそうです。そんな舵取りが非常に難しい不良債権の処理ですが、「失われた十年」末期の日本において十年はかかると言われたその処理を、たったの二年半で目処を付けてしまった人物がいます。何を隠そう、元総務大臣の竹中平蔵氏です。

 彼の行った実績や政策については私が以前に執筆した、「竹中平蔵の功罪~陽編陰編」にて詳しく記しております。なお最近、この二つの記事への検索ワードが非常に急上昇していて不思議がっています。
 はっきり言って、彼が処理した不良債権の量は常識からすればありえない量です。それだけ処理できるほど冷酷と言うべきか、任務に忠実になりきれるというべきか、その政策手腕は他の規制緩和を考慮しなければ一級ものと呼んでいいでしょう。

 それだけ政策の裏の裏まで知り尽くし、なおかつ実行までしてしまう実力者となると私は目下のところ竹中氏を越える経済畑の人材はいないと見ております。もちろん今と前とでは状況も違うことから、竹中氏が今出てきたところで何の役にも立たないことも有り得ますが、一切税金をばら撒くことなく景気を浮上させた竹中氏なら今どんな政策を取るのか、個人的に非常に気になります。
 また格差を広げたとして竹中政策への批判の槍玉に一番上がってくる人材派遣法についても、時代は変わるもんで下記のようなニュースが書かれる時代となりました。

トヨタ、期間工の採用再開=1年4カ月ぶり(時事ドットコム)

 これはあくまで私の読んだ印象ですが、このニュースではトヨタが期間工を採用再開したことを好意的に報じているように見えます。仮にそうであれば、かつては差別的労働手法と批判されていた自動車業界における期間工も、今のような時代では歓迎されてしまうようです。
 実際にこの期間工に限らず、これまで派遣労働で日銭を稼いでいた人たちからすると現在では派遣の仕事もなくなったために日々の生活に困るような自体になっているそうです。

 私自身はあくまで現在の派遣法は問題を多く抱えているとは思うものの、これを今すぐに廃止、改正するというのは非常に危険なのではないかと危惧しています。もし現在のような不況下における緊急手段として用いるのであれば、非常に悩ましいところですが認めざるを得ないところも少なからず私の中にはあります。

 そうした諸々の理由を考慮した上で、竹中氏の再登板はどんなものかとこのごろ考えます。少なくとも、バラマキ以外の政策を打ち出す人はいないものかといったところでしょうか。

2009年9月12日土曜日

日本古代史の謎

 久々に今日はあまり書きたい内容が浮かんでこないので、軽くインストラクション程度に日本古代史の謎をいくつかピックアップします。

 まず日本が公の歴史に始めて現れるのは縄文時代です。この時代に奴国の使者が中国に赴き、当時の王朝の後漢から金印を授けられたことが記載されており、実際にその金印も江戸時代に見つかっているのでほぼ確実視していいと思います。
 その次の弥生時代にはこちらも同じく中国の今度は三国志でいう魏国に卑弥呼が治めていた邪馬台国が使いを出したことが記載されていますが、この辺りからいろいろと事実関係がややこしくなってきます。

 というのもその後の中国は五胡十六国時代といって、漢民族とは別の異民族が華北を制圧して非常に混乱した時代となり、隋の時代が来るまで日本のことが中国の歴史書に書かれなくなったからです。そのため邪馬台国以降の時代については日本が独自に製作した「古事記」と「日本書紀」にしか記述がないのですが、ぶっちゃけた話、この両歴史書は事実面での信頼性では非常に低い資料と言わざるを得ません。
 古事記については歴史書というよりは神話文書としてみるべきで、もう一方の日本書紀は奈良時代の天皇政権の支配の正当化を説明するような内容となっているからです。

 特にこの古代史において一番謎な時代というのは、推古天皇から天武天皇に至るまでの期間です。
 推古天皇というのはわざわざ説明するまでもなく日本初の女性天皇で、先ほど述べた中国が隋の時代に使者を送ったのもこの推古朝です。この時代の主役と来れば聖徳太子と蘇我馬子の両名なのですが、皮肉なことに両者の一族は中大兄皇子こと天智天皇と後の藤原氏の祖となる中臣鎌足の両名による大化の改新の時代にはほとんど係累を絶たれております。蘇我氏は蘇我石川麻呂がまだいたけど。

 日本書紀によると、天皇による中央集権体制を蘇我氏が阻んで自らの一族の専横を図ろうとしたため、中大兄皇子らがクーデターを起こして、その後政権を正しく導いたというような説明がなされているのですが、推古朝の蘇我馬子は明らかに天皇による中央集権体制派であり、いくらその子孫だからといってそうまで方針転換が行われるのかはなはだ疑問です。
 また蘇我氏が討たれた理由の一つとして、聖徳太子の息子の山背大兄王を馬子の息子の蝦夷と孫の入鹿が殺害したことがあげられていますが、仮にも天皇の一族である聖徳太子の息子を一豪族の蘇我氏が討って何もお咎めがなかったとは俄かには信じられません。

 結論を言うと、私以外にもこの説を唱える人もいるそうなのですが、私は推古朝というのは実際にはなく、当時の天皇は蘇我馬子だったのではないかと考えています。その馬子を滅ぼして自らが帝位についたというのが中大兄皇子こと天智天皇で、その後のごたごたをまとめて安定した時代を築いたのがその弟の天武天皇ではないかと見ています。
 なにせ資料も何もない時代ですからいくらでも推量することが出来ますが、あれこれ話を立てて考えてみると面白い時代ではあります。

 ちなみにこの蘇我氏天皇論を語る上で一番立ち位置が分からなくなるのが、日本史において最大の謎の人物とされる聖徳太子です。確かに冷静に考えるなら聖徳太子はむしろ架空の人物としてみた方がいろいろと話の筋道が通りやすいのですが、世界最古の木造建築物である法隆寺がいまだ現存していることから、やっぱり聖徳太子に当たる人物はいると私は考えております。そこら辺の込み入った話はまた暇なときにでも解説します。

2009年9月11日金曜日

今シーズン終盤の野球について

 前から計画していたものの、実現が延び延びになっていたスポーツ系カテゴリーを今日から導入します。設置が遅れた理由はいくつかあるのですがそれは置いといて、これまでこのブログは社会系の記事が非常に多かったのですが今後は多角化というか、もっといろんな話題についても幅広く書いていき、ブログから発展してネット新聞のようなホームページにしたいと以前から考えていました。もっとも、これまでもカバーしている範囲は十分広かったとは思いますが……。

 そんなスポーツカテゴリーの今日の一発目は、現在シーズンも真っ只中のプロ野球についてです。
 こういうのもなんですが、今シーズンはなかなかに面白い展開になっている気がします。当初でこそセパ両リーグで現在一位の巨人と日ハムがぶっちぎりの強さを誇っていたものの、セリーグで巨人が強いのはまだ変わりませんが、日ハムは夏以降から徐々に調子を落としていき、先月に一軍選手数名が新型インフルエンザに罹患して出場できなくなったのが響いて現在私が贔屓にしているソフトバンクにじわりじわりとゲーム差を詰め寄られています。

 またパリーグはこの一位争いも激しいのですが、それ以上に見ていて面白いのが楽天と西武による三位争いです。楽天が設立以来初のクライマックスシリーズ出場をかけて争っているだけでも盛り上がるのですが、それに対して西武も順位を追い抜かれた後はまるで歩調を合わすかのように、楽天と共にこのところ連勝を続けてきっかり3ゲーム差から離されません。
 それにしても楽天は岩隈選手、田中選手の二大エースもさることながら、未だ衰え知らずの山崎武選手に現在首位打者の鉄平選手など野手陣の活躍には毎日目を見張ります。

 そんなパリーグに対してセリーグの方はというと、巨人が圧倒的に強くてもうシーズン一位はほぼ確定してはいるのですが、その下の三位争いは現在熾烈を極めています。
 シーズン中盤までは上位チームと下位チームの成績の差があまりにもありすぎて、私なんか七月くらいには一位から三位までは巨人、中日、ヤクルトの三チームで決まりだろうと見ていたのですが、意外や意外にここに至ってヤクルトが大失速をして(現在も連敗中(´A`)……)、今日の結果時点で四位阪神とは0.5ゲーム差、五位広島とも1.5ゲーム差にまで詰め寄られております。

 このヤクルトの大失速の原因はというと、誰がどう見たって故障者の続出によるものでしょう。中盤まで今年のセーブ王かと私も期待した林昌勇選手も現在一軍に同行しておらず、そのほかの主力選手も大事な終盤に至って離脱するなど悪夢そのものでしょう。もっともこれは阪神にも言える事で、中途入団にもかかわらず打線の中軸を担ってきたブラゼル選手が故障者入りしており、このペースで三位を奪取できるかまだ未知数です。広島に至っては、ルイスのおかげとでも言うべきでしょうか。

 私は当初、現在のプレーオフ制度の導入については如何なものかと思っていたのですが、導入してみると今シーズンのように最後までどのチームにも注目することが出来、やっぱり導入して正解だったと考えを改めるに至りました。野球というのはサッカーと違い、点が入るときには一挙に入るもんだから最後まで結果が分かりにくいスポーツと言われますが、それこそが野球の魅力だと言う人もおります。そう考えると、シーズン最後まで結果がわからないこのプレーオフというのはある意味野球ファンには垂涎ものの制度だったかも知れません。

新規リンク先の追加のおしらせ

アングラ王子の書斎

 本日より上記の、「アングラ王子の書斎」と相互リンクを始めました。
 FC2ブログの出張所の閲覧者にはもう大分お馴染みかもしれませんが、このサイトの管理人のアングラ王子さんにはたびたびコメントをいただいており、私の方としてもこのサイトによく楽しませてもらっているので、是非他の閲覧者の方にもと思い、今回相互リンクを結ばせていただきました。

 それにしても前回に相互リンクを結んだSophieさんの「フランスの日々」のリンク開始から今日まで、随分と日が空きました。
 現在相互リンク先、並びに「私もこのブログで記事を書いて発信してみたい!ヽ(`Д´)/」という記事執筆希望の方を募集中です。もし我こそはという方がおられれば、お気軽にメールアドレスまでご連絡ください。

出産に関する噂のあれこれ

 週末なので、今日はちょっとふざけた記事を書いて見ようと思います。その内容というのも、出産に関するいろんな噂についてです。

 今年の七月に私は「少子化問題と若者問題」など、いくつか少子化対策についての記事をまとまって書きました。自分で言うのもなんですがこれらの記事は割りと上品に書いたつもりで、あまりふざけた内容は極力排除するようにしてまとめています。ではそういった遠慮を抜きに書いてたらどうなったのかというと、まず真っ先に取り上げていたであろうものは「ニューヨーク大停電事件」でしょう。

 この事件というのは1965年にアメリカ東部で大規模な停電が起こり、一夜に渡って都市全体の電気供給がストップしたことによってニューヨークを初めとした歳で大規模な混乱が起きたという事件です。この事件は大都市が如何に惰弱なインフラに依存し切っているかを象徴させる例としてよく取り上げられるのですが、その際に付随的に、

「なお、この事件より一年後はちょっとしたベビーブームになった」

 と、よく語られます。
 要するに暗くなったら人間はやることはひとつしかないという意味で、それだったら少子化に苦しむ日本もこの事件例を参考に月に一日くらい、「毎月五日は子作りの日!」とばかりに病院や警察署といった必要性の高い施設を除いて、敢えて電気供給を止めてしまったらどうだろうかと提案しようと考えていました。

 しかしこのニューヨーク大停電の噂は以下のサイトによると、どうもデマだったそうです。

大停電とベビーブーム(医学都市伝説)

 言われてみれば確かに実証的なデータも見たことないし、いくら暗いからってこんな突発的な停電時にそんな風に事を運ぶのかといわれれば、リンク先に書かれているようにこの噂はデマなのではという気がします。
 しかし私は現代の日本は24時間営業しているコンビニを始めとして、深夜まで営業活動、サービスを行う業者があまりにも多すぎるため、独身の癖にこんなこというのもなんですが、全体で夫婦が子作りを行う時間が以前より大幅に減っているのではないかという気はします。そういう風に考えるのなら、無駄な電気を使わずに環境に貢献しようとか言って月に一日くらい、こうした深夜営業を自粛するよう官公庁で促していくのは決して無駄には終わらないんじゃないかと思います。第一、この程度の少子化対策ならお金も使わないで済むんだし。

 ここで話は変わりますが、実は日本でもこの手の妙な噂を以前に私は聞いたことがあります。その噂の提供者は私の高知出身の友人で、その友人が言うには、

「よさこい祭りからちょうど一ヶ月くらいが、高知で一番堕胎が多くなるんやって」

 あくまで噂の真偽は分かりませんが、なんか言われて妙に納得してしまいました。それだったら阿波踊りはどうなんだろう。

 なお私にはその高知出身の友人のほかにも徳島県出身の友人がいて、それぞれが相手の県の踊りについて、

「阿波踊りなんてあんなもん、(動きが)止まっとるやろ」(高知出身)
「よさこいなんてあんなもん、下品に動くだけで振りがないやろ」(徳島出身)

 こんな具合に貶しあっているのを見て、四国は本当に面白そうなところだと思いました。

2009年9月10日木曜日

民主党の連立協議を見て

 昨日は新聞からテレビに至るまでこぞって民主、社民、国民の三等連立合意のニュースが報じられていましたが、ちょっと昨日からあれこれ細々と動いていて全部が全部調べきれていないのですが、なんていうかどのニュースの論評も私からするといまいちな内容ばかりでした。
 主に取り上げられていたのは、「安全保障上の政策の溝」と「社民、国民の党首の入閣」の二点だったと思いますが、私はこんな事実ではなく何故この連立が行われなければならないのかというその背景への言及が少なかったのが非常に残念です。

 すでに知っての通りに民主党は今回の衆議院選挙で日本の議会政治史上かつてないほどの大勝を収め、単独政党としては過去最高の議席を保有するに至りました。前回の郵政選挙後の自民党は公明党と連立を組んでいたため、与党としては衆議院において三分の二以上の議席を持っていましたが、政党単独で見れば今回の民主党の獲得議席数は選挙前の自民党を上回る議席数です。
 それほどまでに大勝した民主党が何故、衆参合わせて議員数がたったの十人前後の社民党と国民新党と、しかも伝え聞く限りでは彼らの要求をあれこれ飲まされた挙句に連立を組まなければならないのでしょうか。わざわざ説明するまでもないですが、この理由は現在の参議院で民主党が単独過半数に達していないためだからです。

 日本の憲政上、いくら衆議院の優越が認められているとはいえ参議院にて過半数を確保していなければ与党はおちおち法案を通過させることも出来ません。今回の選挙前の自公も参議院では過半数を確保しておらず非常に厳しい国会運営を迫られましたが、それでも自公の場合は衆議院で三分の二以上の議席を保有していたことから、参議院で否決された法案でも衆議院での三分の二以上の賛成で無理やり通過させることが出来ました。しかし今回の民主党の場合は単独での議席が三分の二まで達していないためその手段を使うことが出来ず、仮に参議院で法案を否決されようものならほとんど何も出来ることがありません。うろ覚えですが確か、参議院で否決された法案は三ヶ月を経てば自然成立されたと思いますが、そんな毎回三ヶ月も待っていたらいろいろえらいことになるのは予想に難くありません。

 そうした民主の懐事情を知ってか、社民も国民も今回の連立協議では終始強気だったと思います。しかし彼らの政党はあくまで十人前後の小政党です。そんな小政党が状況の有利が働いたにしても、なんでもかんでも自分らの要求を今回の選挙で国民から投票を受けた民主に行うというのはどこか筋が違っていると思います。
 特に社民党については日米地位協定について今回あれこれ民主党に要求を行い、一部の民主党議員が不満を覚えるほどまで粘った挙句に自らが要求する文言を政策提言に無理やり入れさせたそうです。もちろん連立に参加するのですから要求を行うのは決して間違いではないですが、国民からそれほどまでに投票を受けたわけでもないのにここまでやるのかと、私の目からするとやや疑問に映る態度でした。こういっては何ですが、これから連立に参加して与党となるのに、まだ本人らは野党みたいに好き勝手文句が言えると勘違いしているのではないでしょうか。

 その点で見ると、公明党はいろんな意味で分をわきまえていたなと今になって思います。当初こそ難色を示したものの自衛隊のイラク派遣も最後には同意したし、自分らの要求する細かな政策を実行させる代わりにあんまり機微なところまでは自民党に突っ込まなかった気がします。なんでも社民党と国民新党は民主党が公明党と連立を組むのを最も恐れているらしいですが、今の状況と比べるとさもありなんでしょう。私もこの際、社民と国民と組むくらいなら公明と民主は組んでもらいたいとすら、今回の協議経過を見ていて思ったくらいです。

2009年9月9日水曜日

文化による時間概念の違い

 うちのお袋が今ドイツに旅行に行っているので、最近は心置きなく歌を歌いながらブログを書くことが出来ます。私自身は歌うのが非常に下手なのですが、下手の横好きと言うか昔から独りになれば何かしら口ずさんでおり、特に文章を書いてる時に周りに誰もいなければ近所に聞こえるのも気にせずによく歌っています。
 因みにそれが一番激しかったのは学生の頃に自殺に関するレポートを作っている時で、テーマがテーマなだけにやっててどんどんと鬱になってくるので負けじとテンションの上がるGガンダムの主題歌をずっと歌っていたら、次の日に隣に住んでた友人に、「最近の花園君はなんか元気だね」と釘を刺されました。

 そんな話は置いといて、そろそろ本題に移ります。
 突然ですが中国語で「明日」という単語はなんて書くか知っているでしょうか? 一般的に使われる単語は日本語にも近い感じがする「明天」と表現し、「昨日」もこんな具合に「昨天」と言うのですが、別の用法では「下天」とも使われ、「来月」という意味になると「下月」が一般的に使われております。
 ただこうして眺めるだけではそれほど意識しませんが、中国語では未来の時間を表す際には「下」という文字が使われ、逆に過去の時間を表す際には「上」という文字が規則的に使われているのです。

 こうした表現方法について私の恩師は、「中国では上から下に時間が流れるんだ」と言っておりましたが、言われてみると表現的にはまさにその通りで、中国語における時間の概念は上から下に下りていくような縦型をしております。
 これはあくまで推測ですが、中国ではちょうど山奥の上流から平野の下流部へ河が流れるように時間のイメージが出来上がったのかもしれません。元々黄河文明というくらいですし。

 そんな中国の「縦型の時間概念」に対して日本語では一体どのようなモデルをしているのかとこの前考え、「明日」と「昨日」ではどちらも太陽に関する漢字なのではっきりしませんが、「後日」と「前日」で表現してみるとなんとなく形になって比較も出来るのですが、もしこれが日本語の時間概念だとすると、日本人は「過去は正面にあって、未来は背中の後ろにある」という意味になってしまいます。まぁこの通りに過去にこだわったり、後ろ向きな国民性だと言われても否定できませんが。

 では中国人によく間違えられれる日本人の私はどっちの時間概念がしっくり来るのかといえば、実はどちらもしっくりきません。そんな私が持つ時間の概念とは、ちょうど本を本棚に入れてそれを正面から見るような、縦型でもなく奥行き型でもなく、左から右に行くにしたがって未来に行くような横型のイメージです。何故このようなイメージとなったのかいえば、やはり一番大きい原因は歴史の資料集とかにある年表の影響だと思います。中には中国っぽく縦型の年表もありますが大抵が左から右へ進んでいく横型で、それを使って歴史を勉強してきたからそんなイメージなんだと思います。

 このように言語に着目するだけでもいろいろな時間概念があるとわかるのですが、言語とは別にもう一つ人間の時間概念に大きく影響を与える文化があります。その文化というのも、宗教です。
 これは佐藤優氏がその著作にて述べている内容なのですが、仏教の基本的な時間の概念は循環する円の形をしており、神様や世界が出来る創造期の次に現在のような安定期がやってきて、その後滅亡期が来て一旦何もかもが滅んだ後に再び創造期に戻るというのが延々と繰り返される考え方をしているそうです。私も人づてに聞く仏教やヒンドゥー教の話というのはまさにこんな具合で、この佐藤氏の説明にも深く納得できます。

 そんな仏教の時間概念に対して、佐藤氏に言わせるとキリスト教ら西洋の宗教が持つ時間の概念は非常に危険な思想で、基本は一直線で過去は過去のままで未来は未来のままで、最終的には神と悪魔の最終戦争が行われて全部オジャンする考え方だそうです。
 こう前置きした上で佐藤氏は、設立当初のオウム真理教はヨガなどヒンドゥー教の教えを柱としていて円の形をした時間概念を持っていたものの、坂本弁護士一家を殺害するなどカルト化する前後からキリスト教的な一直線な時間概念に変わった形跡が見られると述べています。

 さすがにオウム真理教の出版物などを細かく調べていないので真偽はわかりませんが、言われてみるとどんな時間の概念を持つかというのはその個人、ひいては集団の性格を決める上で大きな要素になる気がします。それにしてもこの佐藤氏ですが、自分もキリスト教徒なのによくもまぁ「危険な思想だ」とキリスト教を言い切れる気がします。もっとも彼の出身大学はミッション系なのに、「キリスト教は虐殺を繰り返すことで信徒を増やしてきた」とまで言い切る講師がいるくらい自由な校風だそうですが。

  補足
 キリスト教の時間概念はイエスの生まれる前か後かで分ける様に確かに一直線ですが、英語について言えば「Next month」と「Last month」と表現していることから、未来は「次」で過去は「最後」と捉えている気がします。となると日本語と同じで日めくりカレンダーのような奥行き型をしているのですが、日本語とは逆に未来を前に見ているのがミソですね。

2009年9月8日火曜日

社会における時間の速度~激動、現代編

 一日時間が空きましたが、一昨日に書いた「社会における時間の速度~ゆっくり江戸時代編」に続いて社会における時間について今日は解説します。
 前回で私は、江戸時代というのは身分が固定されているなど社会変動が極限なまでに制限された社会であり、それこそ当時生活していた日本人たちにすれば毎日が同じ日々の繰り返しのようで、意識的に感じる時間の感覚というのは現代に比べて非常にゆっくりと流れていたのではないかと主張しました。なお前回の記事で書きそびれましたが、江戸幕府草創期の南光坊天海や本田正信らが、そのような社会変動が小さい社会体制を布いたことが世界史的にも稀有な、その後約250年間も戦争らしい戦争なく日本国内の平和を保ったことにつながったと私は考えていますが、自分が生きていくとなると身分が固定されていた江戸時代の社会はさすがに勘弁なのでこれが理想の社会だとは見ておりません。平和に特化した社会であると言うのは認めますが。

 それに対し現代はというと、自民党の落選議員じゃないですが昨日までブイブイ言わしていた人物があっという間に奈落の底に落ちたり、身分的にみるなら非常に流転が激しい社会であるのは間違いないでしょう。今日にネットのニュースで見ましたが、元グッドウィルの会長の折口氏の自己資産管理会社が破産したそうで、この人は前から私は大嫌いではありましたが、折口氏が転落するきっかけとなったグッドウィルの人材派遣法の抵触までの顛末にはやや腑に落ちない点があるので現在においては同情する気持ちも持ち合わせております。

 ここでちょっと話が二転三転しますが私が現代社会における時間速度に着目するきっかけとなったあるエピソードを紹介します。
 この話をしてくれたのは親父の従兄弟にあたる自分のやや遠い親戚のおじさんなのですが、そのおじさんは元々家電メーカーに勤めていた人だったのですがある日こんな話をしてくれました。

「今、家電メーカーでかつてブラウン管のテレビを作っていた技術者は本当に悲惨な状況だ。バブル期までは家電の花形だったブラウン管テレビも現在は液晶やプラズマに取って代わられ、日本国内で出回っているブラウン管はもう全部中国か韓国製だけだ。かといって20代の社員ならともかく、そこそこ歳いった技術者は今更他分野に自分の技術を生かせる事もできなければ移ることも出来ず、会社内で出世も望めず飼い殺しの状態にいる」

 言われてみるとまだ十年位前までは電気屋で一番スペースも取って大規模に販売されていたブラウン管テレビが現在では見る影もなく、同じテレビはテレビでも使われている技術が大きく違っている別のテレビに取って代わられています。かといってそのように店頭に置かれているテレビの種類が変わったとしても、かつてブラウン管テレビを作っていた人までみんないなくなったわけではなく、そう考えると技術革新というのは未来を作る一方で大量の失業者を生みかねないものだとこの時に気がつかされました。

 このテレビに限らず、近年はこういった電子機器から情報技術まで様々な分野で驚くべきほどの技術革新が毎年のように行われており、自分みたいなローテク(これも死語だな)な消費者からすると新しい製品についていくのすら大変なくらいです。HDレコーダーなんて、未だにどうやって使えばいいのかさっぱりわかんないし。
 しかしこれがまだ消費者であれば新たな製品や技術を使わなければいいだけです。しかし技術者となると自分の培った技術が使われなること即仕事がなくなるということなので、そんな消費者みたいな楽観視はできないでしょう。

 仮にこの技術革新がもっとゆっくり進んでいればどうだったのでしょうか。それこそブラウン管から液晶やプラズマへ移行するまでもう少し時間がかかっていれば、技術者の移行や育成は円滑に行えたのではないかと思います。逆を言えば今以上に技術革新の速度が速まると、学生が大学で学ぶ技術が社会人になる頃にはすでに過去のものとなって使われなくなっているかもしれません。
 先ほどから理系の技術面に関してばかり説明していますが、なにも技術だけでなく文化的な流行や形式も変化が早すぎるといろいろと困ったことになります。それこそこれが礼儀だと教わってきたやり方がいつの間にかひっくり返ってたり、かわるがわる流行に合わせてひっきりなしに振舞い方も変えていかねばならなくなります。

 こうして考えてみると、現代というのは非常に変化が激しく、かつ新しいものがすぐに過去のものになってしまうほど時間の早い社会だという気がします。先ほど私は変化があまりにも少ない江戸時代は嫌だと言いましたが、かといってこれほど変化が激しい現代も決していいものだとは思えません。では現代の時間の速度を今より遅くすればいいんじゃないかという話になりますが、それが出来たら出来たでいいのですが、仮にそのような社会にするために技術革新を少なくして保守的にやってこうものなら、日本の技術や経済はあっと言う間に他国に追い抜かれて貧乏になり、また必死でみんなで働いて社会全体が忙しくなって元の木阿弥と至る気がします。そうなると、社会の速度を上げている主原因はグローバル化ということになるのですが。

 以上のように、いわば現代は加速のついたジェットコースターから降りたいものの、もうすでに降りることが出来なくなっているような状態に社会はあるのではないかと私は見ております。降りることが出来ないからといってコースターの加速は止まっているわけではなく、このまま速度が上がり続ければいつかはレールから外れる恐れもあるかもしれません。まぁ私の友人に言わせれば、「それも人が作ったエゴの結果だよ」と締めくくられるかもしれませんが。なにせ達観し過ぎている友人なもので……。

 最後に、現代の日本人は江戸時代の日本人に比べて30年以上も平均肉体寿命は伸びてはいますが、私は脳や意識が生前に感じる時間的な長さにあたる精神寿命でみると、実はそれほど変わっていないのではないか、むしろ江戸時代の日本人より短くなっているのではないかという気がします。
 そんなわけで次回より、これまでマクロだった社会的な時間の概念からミクロな個人的な時間の概念についていろいろ取り上げていくことにします。多分私の思い付きが羅列されるだけになりますが、こればっかりは自分でも整理してうまく説明できる自信がないのでご容赦してください。

2009年9月7日月曜日

少年期における年下、年上との付き合い

 小学生の頃の体験で何が後年の自分にとっていい影響を与えたのかと考えると、自分と年齢の違う子供たちとの付き合いだったのかもしれないと、成人した今ではよく思います。

 中学生、高校生くらいなら部活との関係で一学年や二学年の違う相手とも付き合う機会はいくらでもあると思いますが、小学生の時代ではやっぱりクラス単位と言うか、私においてはほとんど同学年の友人やクラスメートとばかりしか遊んでいませんでした。しかしそんな私の小学生時代でも、数こそ少ないまでも何度か歳の違う子供たちと遊んだり交流した経験があり、中学生や高校生とは違ってかえって小学生であるがゆえにそうした体験の影響が大きかったように思え、子供の教育上でも非常にいい影響を与えるのではないかとこのところ考えています。

 具体的にどのような影響があるかですが、これはあくまで私の実感ですが、やっぱり小学校の高学年くらいの頃に低学年や中学年の子供と学校行事とかで一緒に何かの活動をしたりするとなると、年齢の関係から下の子たちの面倒を見たり指導をしなければならなくなります。それこそ始めは私もいろいろと面倒に思えてきましたが、運動会の組体操や騎馬戦の練習であれこれ指導しているうちに徐々に責任感というものを感じていき、「自分がしっかりしなければ」と意識するようになっていったのを今でもはっきり覚えています。
 逆にこのように年上の子供があれこれ年下の子供を指導するという行為をどこで覚えたのかと言うと、逆転した話になりますが私が低学年、中学年の頃に高学年の子供が自分らに指導するのを見ていたことからです。

 もっとも小学生時代に年上の子供から教わるのはこうしたいいものばかりではなく、中には一方的に殴られたり蹴られたり、バスケットのコートを横取りされたりすることも多々ありました。それはそれで、「絶対にこんなクソ野郎みたいにはならないぞ」と反面教師になったので、体験したことに越したことはありませんが。

 こんな具合に、同学年の人間とだけ付き合っていれば絶対に考えたり、体験することのない経験を別学年の子供と遊ぶことで私は身に着けていったと思います。年下の子供からは責任感、年上の子供からは忍耐力というか、こういうことがほとんど意識できない小学生の時分だっただけに非常に貴重だったと思います。
 もちろん成人した今でも年齢の違う人間と付き合うとあれこれ勉強になるので小学生に限るわけじゃないですが、敢えてその価値でみるなら小学生の時ほど年齢の違う人間と付き合う意味は大きく、教育の上でも最近重要なんじゃないかと思うようになりました。

 だから今子供を持っている方たちに伝えたいのですが、可能な限り兄弟だけでなく、近所で年齢の違う子供同士であれこれ遊ばせてあげてほしいです。こうすることで何も親が教えなくとも、子供はいろんな大事なことを自分たちで学び取っていけると思うからです。

田中角栄的なるもの

 この記事は友人のSOFRANが寄稿してくれた記事です。自分とはまたいろんな面で表現方法が違うので、自分からすると読んでて面白いです。内容などについてコメントとかしてあげれば喜ぶので、よかったら皆さんもあれこれコメントしてあげてください。

  執筆者 SOFRAN

 前の土曜日に朝日新聞の「be」を読んでいると、歴代首相の人気投票なる小さな記事がありました。そのアンケートの結果はというと、、、一番人気のあった歴代首相は誰だと思いますか?

 みなさん各々、様々な顔が浮かぶと思いますが、結果は断トツで田中角栄氏がトップでした。私にはこの結果が意外で、確かに彼の首相就任当時は支持率が当時最高の70%を越え、その経歴から今太閤ともてはやされました。しかし、その後の地価上昇、物価上昇、そして自身の金脈問題を追及され退陣し、1976年にはロッキード事件によって逮捕されるまでに至りました。しかし、その後も自民党内での権力を握り、闇将軍として長く君臨しました。
 その田中角栄が、何故人気投票一位なのでしょうか? その記事の中では、政治学者が「古き良き日本人への憧憬ではないか」と分析していました。良きにつけ悪しきにつけ、昔の日本人らさを体現した人物であったということでしょうか? 

 また同じく朝日新聞が今年、「昭和といえば何を思い浮かべますか?」という質問でアンケートした際、人物項としては一位が昭和天皇、二位が田中角栄で、三位が美空ひばりだったとのことです。かくいう私も最初のアンケートの結果には意外だと感じるものの、田中角栄がそんなに嫌いではありません。

 時代は流れ、2001年4月には小泉純一郎が総裁選に出馬し、今までの首相とは異なる特異なキャラクターと「自民党をぶっ壊す」といった過激な発言もあって、小泉旋風を巻き起こし、首相の座を射とめました。この時の異常ともいえる熱狂の背景には、前の首相である森喜朗の不人気(最低支持率5,3%)があったと思います。
 当時私は15歳で、その頃から政治にも興味を持ち始め、テレビの政治ニュースを結構見ていました。その頃のテレビの論調は、とにかく森は史上最低の首相であり、このままでは日本は駄目になってしまうというもので、テレビ画面からもその沈滞ムードが漂ってくるようでした。その頃はいわゆる失われた10年に該当し、この閉塞感を打ち破る手立てはないのかというムードもありました。 

 ここでその頃の森首相に対する評価を表したかのようなエピソードを紹介します。かつてからその英語力の低さを指摘されていた森喜朗は、当時のクリントン大統領との会談を控え、外務省の秘書官からこうアドバイスされます。

「まずクリントン大統領に【How are you?】と話しかけ、相手の返事には【Me too!】と答えるように。」

 しかし、森は最初の呼びかけを「Who are you?」と間違えてしまい、それを言われた当のクリントンはジョークだと思って、「I am Hillary`s husband.」と答えた。森はすかさず「Me too!」と返事をし、クリントンを驚かせたというものです。
 また、これから会談をしようとする外国の要人に「See you again!」と挨拶をしたこともあったとのことです。前者のエピソードは作り話とも言われていますが、こんな話が出回るぐらいの状況であったことは伺えます。

 そんな閉塞感が漂う中、2000年11月には、いわゆる加藤の乱がおこります。これは、野党の提出した森内閣不信任案に加藤紘一、山崎拓が同調の動きをみせたことに対し、執行部による強烈な切り崩し工作を受け、倒閣が失敗に終わった政争です。当時、YKKとして並び称されていた小泉純一郎は森派会長(現町村派)として、加藤らの動きには反対の意をしめし、森を守る役目を果たしました。
 これによって、次期首相とも目されていた加藤紘一が失墜しましたが、この一件も翌年の小泉首相誕生の一因であったと捉えられています。

 2001年、4月、小泉純一郎は首相に就任し、2006年9月までその任を果たしました。この文章では、舌足らずで伝えきれませんが、小泉は「自民党をぶっ壊す」と絶叫していましたが、その発言はイコール「田中派から続く経世会支配をぶっ壊す」ではなかったのではないかというのが私の解釈です。

 小泉の政治家としての出発点は、清和会の祖であり、田中角栄のライバルであった福田赳夫の秘書からであり、自派閥に対する思いは、加藤の乱に対する対応から分かるように、非常に強いものであったと見てとれます。小泉構造改革の全てがそうだったとは言えませんが、経世会支配の源泉となっている(その多くは田中角栄が作り上げた)利権を解体するという目標も彼にはあったのではないでしょうか?

2009年9月6日日曜日

社会における時間の速度~ゆっくり江戸時代編

 久々に手のかかる内容だけに、書く前からいろいろとうんざりした気分になります。さすがにこういうものは週末じゃないと書く気が起きないので、頑張ってまとめてみようと思います。

 以前に書いた「クレヨンしんちゃん、モーレツ大人帝国の逆襲の私的解釈」の記事の中で私は、「もしその瞬間が楽しい時間であるのであれば、敢えてその時間を停止をさせることでずっと楽しくいられるのでは」という解釈を主張しました。この時間を停止させるという意味は言うなれば時間を進めさせないこと、つまりは現状を維持するという意味であります。個々人であればそれこそ音楽を聴き続けたり、ゲームをやり続けたりで部分的に時間を停止させるという行為を実行することができますが、これが万博のあった高度経済成長時代のように、集団における社会の時間を停止させるとなるとほとんど夢物語になってしまいます。

 しかしこの解釈は後付ですが、敢えてそのように時間を停止させるよう、もしくは進めさせないようにした時代が全くなかったわけではありません。恐らく世界中どこでも多少なりともそういった時代はありましたが、日本の中で言えばその時代というのも江戸時代です。

 私が説明するまでもなく江戸時代というのは羽柴秀吉が農民から武士になることが出来た戦国時代とは違って、基本的には身分制社会でほとんどの日本人は生まれた時点でその後のライフコースが定まっていました。このような社会になったのは当時の支配者階級であった武士のトップに当たる幕府がその設立初期に厳しく法制化し、またそのような社会を幕藩体制化において定着させたからであります。
 この身分制社会こと封建制社会の特徴は何かと言うと、やはり一番に大きいのは社会変動がほとんど起こらない点にあります。それこそ福沢諭吉が目の敵にしたくらい、いくら才能があろうとなかろうと身分によって割り振られる仕事や役職はあらかじめ決まっており、自然災害や転封などといった小規模な変動はあっても、現代と比べるなら江戸時代の日々というのは非常に変化が小さく、個人が感じる時間の流れもずっと緩やかであった世の中だったでしょう。

 とはいえ、そんな江戸時代が必ずしも現代みたいになんでもかんでもめまぐるしく動く世の中に勝っているわけではなく、やはりこの時代にはこの時代なりの弊害も数多くありました。
 そんな弊害の中で最も顕著なのは、社会学士がこんな使い方しちゃ本当はいけないんだけど、勝ち組と負け組の優劣の差です。江戸時代において上級武士は週休六日くらいの勤務でたくさんの俸禄がもらえていたのに対し、下級武士や農民は安月給で毎日飲まず食わずの生活を強いられていました。またそんな苦しい生活を抜け出そうとしても出世、転職する機会は彼らに全くなく、先ほど挙げた福沢諭吉の父親のようにどれだけ頭がよかったとしても負け組みから抜け出すことが出来なかったそうです。

 ここまで読んでもらっていればもう気づかれるかもしれませんが、私はこの記事の中で、「社会変動=時間の進行」と定義して先ほどから説明しております。今回の記事は社会単位というマクロな視点での時間の速度について解説していますが、私は個人単位のミクロな視点での時間の速度もひっくるめ、人間が時間が流れたと感じるのは物事や対象が変化したと認識した瞬間だと考えております。この記事で言えば江戸時代のように社会変動の少ない時代では人間は時間がゆっくりと過ぎていくと感じるのに対し、現代のように大ブレイクした芸人がすぐに一発屋として次々と消えてなくなるほど社会変動が多い時代だと、現代人は時間の流れを早いと感じるのではないかと考えています。

 このまま一本にまとめて記事にしようかと思いましたが、内容をやや飛ばし気味に書いているので一旦ここで区切り、次回の記事で現代の社会が如何に社会変動が激しいかを江戸時代と比較しようと思います。
 それにしても、なんかこの記事書いてたら胃が痛くなってきました。もう少し自分の中で整理してから書けばよかったかもと後悔半分、ひとまず片は付けたと安心半分です。

2009年9月5日土曜日

内部進学についておもうこと

中高一貫九段校で1割が高校段階進まず 転学勧められる(朝日新聞)

 上記のリンクは今日の夕刊に掲載されたニュースですが概要を説明すると、区立九段中等教育学校にて中学段階を終えた生徒のうち、全生徒の約一割に当たる18人の生徒が付属の高校に進学せず他の高校に進学していたことを報じているニュースです。
 この区立九段中学というのは公立学校のレベルアップを目的に中高一貫教育制度の学校として2006年に開校した学校なのですが、学校側の説明によると今回明らかになった内部進学しないで他校に進学した生徒たちは学力面や態度などに問題があると学校側が判断し、去年の中学三年の段階で保護者を交えて面接して外部進学を勧めたそうです。この事実に対して夕刊に寄稿している国際基督教大学の藤田英典教授は学校側の対応を批判し、問題のある生徒を最後まで面倒を見ずに外に放り出して学校側の責任放棄でしかないと述べていますが、私はというとこのケースでは生徒に外部進学を勧めた学校側の判断を支持します。

 記事によると外部進学を勧められた生徒らは授業中にノートを取らなかったり、学校が求める補習に参加しなかったりなど学習面で問題があり、高校での授業についていけず進学しても留年する可能性が高いとして学校側は外部進学を勧めたそうです。まだノートを取らなかったことについては私もほとんど取らないことで有名だったのでそれほど気にしませんが、参加するよう求められた補習にも参加せず成績が振るわないのであれば外部進学を勧めた学校の判断も適当かと思います。先ほどの藤田教授は責任放棄と学校側を批判していますが、補習などを組んでも生徒が参加しないのであれば責任もなにもあったものじゃないでしょう。

 また私は私立の中高一貫校に通っておりましたが、やはり私の学校でも高校に内部進学したものの高校での授業についてこれず、最終的には追試やら何やらをこなして卒業にこぎつけたものの在学中にずっと成績面で悩んでいた同級生を何人か見ております。そうした同級生を見てきた私からすると、無理してレベルの高い学校に通い続けるくらいならある程度自分のレベルに合った学校で授業を受けるのが生徒らにとって一番いいのではないかと思います。
 特に最近は高校での勉強についていけず、途中で転校するならまだしもそのまま退学して引きこもりになってしまう子供たちが社会問題化しております。そうならない前に身の丈にあった学校を勧めるというのは結構酷な役割ではあるものの、それも教師の仕事の内だと私は考えます。

 なおこの区立九段中学については、私は生徒の選抜方法にも大きな問題があった気がします。この学校は公立の中高一貫校ということで当初より注目が集まっていたのですが、募集する生徒数はこの学校のある千代田区民の「区民枠」と区民以外の都民である「都民枠」の二枠に分け、それぞれ80人ずつの計160人を募集したところ前者の入学者選抜の倍率が1.7倍に対して後者は10.0倍だったそうです。そして案の定と言うか、今回高校に進学しなかった18人の生徒のうち16人が区民枠の出身だったそうです。

 これはこの前に友人から借りた三浦展氏の「下流大学が日本を滅ぼす!」(ベスト新書)にて書かれていますが、現在の私大における入学者の約半分は指定校推薦枠、付属高校からの内部進学、面接などで決まるAO入試など学力試験を行わずに入学する者で占められるそうです。それでこちらも案の定と言うか、学力試験を伴う一般入試選抜に合格してきた入学者に対して先の入学者たちは留年率などが高い傾向がはっきりと出ており、前に一回私もこのブログで書いたと思いますがAO入試については廃止する大学が近年増えてきております。

 私の経験からしても、高度な授業を受けるにはやはりそれ相応の学力や知識が必要になります。逆を言えばそうした学力がないのに授業がハードな大学や高校に入学するのはその学生や生徒にとって不幸を生むだけで、そんな不幸をわざわざ生まないためにもきちんとした選抜方法でもって学校は入学者を選ばなければならないと思います。
 今回の区立九段中学については言うまでもなく、区民枠を80人も取ったというのがそもそもの問題だったと思います。といっても、この学校は出来たばっかだからあれこれ言うのも野暮ですが。

 なお私は大学は一般入試を経て入学しました。進学したのは関西で唯一受けた大学でしたが、関東より関西の大学の方が国語の古文は難しいとうわさには聞いていましたが、あまりの難しさに試験中に目を丸くしたのを今でも覚えています。いやでも、ほんと受かってよかったよ(〃´o`)=3 フゥ

2009年9月4日金曜日

電気自転車への憧れ

 先月の夏休み中、広島に左遷されたうちの親父を慰めるために中国の大連へ一緒に旅行してきましたが、その際に私が心底中国人がうらやましいと思うあるものと再会することが出来ました。

「おう祐、ありゃなんや?」
「何や親父、見て分からんか。ありゃ電気自転車や」

 これは現在連載中の留学記の本文(2006年製作)にも書いているのですが、中国での主な個人用の乗り物は90年初期までは自転車で、私らより上の世代であればかつての中国の二つ名が「自転車大国」であったことが記憶にあると思います。それが2000年に入ってからは個人でも自動車が所有しやすくなり、現在では世界で一番自動車販売台数を計上するほどの自動車大国となったのですが、その過程たるややはりいびつなモータリゼーションの進化を遂げております。

 通常、というより日本やアメリカのモータリゼーションは、

・徒歩→自転車→オートバイク→自動車

 というように変化していったのですが、中国はこの進化の過程でオートバイクをすっ飛ばして一挙に自転車から自動車へと発展してしまい、そのせいで交通法規やドライバーのマナーなどが置き去りになったままで、自動車大国の一方で交通事故大国という汚名も持つこととなりました。また自動車を購入できる高所得層はあまり影響がないものの、購入することの出来ない下位層は一方的に交通事故の弊害を受けるだけとなっているのが現状です。
 ともかくこのように非常にテンポの速い進化をした中国ですが、その過程で日本にはないある乗り物への進化の分岐が起きています。その分岐というのが表題にある、電気自転車です。

 近年のうちに中国を訪問したことのある方ならみんな記憶していると思いますが、中国の街ではそこらかしこで漕いでもいないのにスーっと独りでに走る自転車がよく走っています。あれはどれもモーターを動力とした電動自転車ならぬ電気自転車で、それこそレバーやスイッチ一つで充電してさえあればいくらでも前に自走してくれます。
 日本では最近になって街中でもよく電動自転車を見かけるようになりましたが、中国では日本でこれらが普及する以前から自動車にあまり乗れない市民が電気自転車をよく買い、現在においても普及度の高い乗り物として日々使われているのです。

 このブログを長く見てもらっている方ならわかるでしょうが、私も趣味としてよく自転車に乗っております。それだけにこうした自走する中国の電気自転車が非常にうらやましくて、使い方次第で非常に面白い乗り方が出来るのではと思い、実は先月から内緒でカタログとか調べていました。
 しかしかねてから親父に、日本では面倒な規則が非常に多くてあまり自由にこうしたものは作られていないと聞いてはいましたが、改めて調べてみると親父の言うとおりでどれも半端な代物ばかりで購入計画を今回は見送ることにしました。

 どういった点が半端なのかと言うと、さっきから文章中で敢えて、「日本の電動自転車」と「中国の電気自転車」と表現を分けていましたが、日本のモーターを組み込んだ自転車は基本的に走行を補助することしかできず、中国の電気自転車みたいに運転者がペダルを漕がずとも自走することは出来ないそうです。しかもその走行を補助する範囲が時速20kmくらいまでで、普段の走行速度が平均で25kmある私にすればモーターの分だけ車両が重くなるだけにしかなりません。

 親父によるともしモーター付きの自転車が自走できてしまうと、法律上で「原動機付き自転車」という扱いになってしまうため、原付免許が必要になるやら安全基準での規制を守れないとかで事実上販売することは不可能に近いようです。昔ヤマハが一回だけこうしたものを作ったそうですが、やっぱり軌道に乗らず失敗したとも言っていました。

 なにもこうした電気自転車に限らず、中国では実はもう一つ、こちらは日本だとほぼ全く見ることの出来ない乗り物があります。その乗り物と言うのも、オートバイクならぬモーターバイクです。
 このモーターバイクというのは日本で通常見られるバイクがエンジンを動力にしているのに対して、ハイブリッドエンジンの四輪車の始動時に使われるようなモーターを動力にしております。そのためオートバイクと違って音が出ず、かつ始動時もプリウスみたいに非常に滑らかに速度調整もスムーズに決まります。今回の大連への旅行ではスクーター型のモーターバイクを近くで見たのですが、乗り心地も良さそうだったし30万円くらいならぜひとも欲しくなるような乗り物でした。

 例によって随分と前置きが長くなりましたが、結論を述べると私はこうした変な規制を取っ払ってこのような乗り物を日本にもどんどんと普及させるべきだと思います。決して私の趣味のためじゃなく。
 というのも先にも述べたとおりにモーターバイクは騒音がせず、かつこの前三菱自動車が出した「i-MIEV」みたいに100%電力で動くので走行中にはCO2を全く出しません。しかも使用目的や範囲がそれこそ日常の買い物などの移動であるのであれば、一人乗りという形状や仕様、エネルギーバランスからも非常に日本に合った乗り物ではないかと思うからです。

 近年日本の自動車市場ではセダンが売れずに軽自動車やコンパクトカーばかりが売れていますが、こうした傾向について今日の記事によく出てくるうちの親父は、

「小型の車が道路幅の狭い日本の風土に合っているからだろう」

 と述べていますが、私もまさにその通りだと思います。
 更にいうなれば、もっと小さくとも体力を消費せず、かつ中距離を移動できる乗り物があればもっとそちらに乗り換える要素があるのではないかとすら思います。そういう可能性を探る上で、もう少し国はこの方面の規制とかどうにかしてもらいたいのが私の本音です。

 第一、原付の速度制限が30kmなのに誰も守っちゃいないんだし。私なんて自転車でも普通に30km超えて走ってたりするし。

2009年9月3日木曜日

景気の二番底は起こるのか?

 最近ほとんど経済系の記事を書いていないので、ちょっと補充分とばかりに投下しておきます。

 昨日今日と株価は下がりましたがそれでもなお現在日経平均株価は一万円台を維持しており、一時期は七千円台にまで落ち込んだことを考えると随分と復調しており、選挙中も自民党の麻生総裁が何度も主張していたように多くの人も景気も大分回復しつつあると思っているかもしれません。しかし結論から言うと私と私の友人は未だ景気が回復したとは言えず、今の株価も仮初めの、というよりは実態に即していない上昇振りを見せていて手を付けるには非常に危険な状態ではないかという見方をしております。

 我々がなぜこのように考えるのかというと、確かに株価だけを見れば最悪期から随分と回復したように見えるもののその他の判断材料がどれも先行きが暗く、今以上に景気が悪化するのではないかとうかがわせるような傾向しか見せていないからです。一つ一つ例を挙げていくと、まず最も顕著なのは小売業界の今年上半期における売り上げの低さです。この前心斎橋のそごうが閉店をしましたが、そごうに限らず百貨店はどこも現在経営が苦しく、百貨店ほど店舗規模が大きくない大型スーパーもどこも苦戦が続いており、なおかつ広範囲に広がっている小売店の中で最小単位ともいうべきコンビニにおいてもこれまで一貫して成長を続けてきたのが去年辺りから売り上げの低下が起こり、なおかつ見切り品の販売がセブンイレブンで認められたのでこれからもっとこの傾向に拍車がかかることが予想されます。

 小売業界というのは最終的な消費者である個人が商品を購入する場面であるため、植物で言うのなら言わば根っこにあたる部分です。この業界が不振では木全体が成長を望めるわけでなく、今後の景気を見極めるうえで現状はあまりいい状態とは言えません。
 その上消費者単体で見ても、七月の失業率が過去最低の5.7%を記録しております。日本の統計は非常にいい加減でこの失業率も求職者の内から算定されないので実際には低く見積もられており、恐らく実数的には10%くらいにまで日本の失業率は上昇していると私は見ております。先ほど小売業界が植物の根っこに当たるのであればその根っこに水を与えるのはまさにこの消費者で、その消費者自身が賃金を得られない失業状態にあればこれまた植物に水を与えられないのも同然で、こちらでも今後の景気を見るうえで現状はあまりよくありません。

 それにも関わらず、どうして株価は上昇しているのだと疑問に思う方も恐らくおられると思います。それは単純に言ってしまえば、去年から麻生政権が無駄なバラマキを続けてきたからだと友人が教えてくれました。いくら無駄なバラマキと言えどもさすがに数十兆円ものお金がばら撒かれれば全体での景気は良くなるものの、それは所詮はバラマキ(借金)が行われている間だけであって、そのバラマキが底辺の雇用や新産業の育成につながらないのであればすべて無駄に終わるとのことで、言われて私もその通りだと思いました。

 実際に過去にも日本は、バブル崩壊直後にもまさにそのような状況を体験しております。崩壊直後に大きく下がった株価が政府の積極的な財政によって一時は大きく盛り返したものの、結局それは一時的なものに終わってその後「景気の二番底」とも言うほど再び株価は大きく下がり、その後十年近くも一時的に上昇した株価を一度も追い抜くことがなかったそうです。
 現在のイギリスは日本と同じく株価が最悪期を脱したものの、政府はまさにこの日本の二番煎じを踏むものかとこの景気の二番底に対して非常に警戒をして対策を練っているそうです。

 ではこの景気の二番底は日本にも起こるのかと言えば、私はやはり先ほどの失業率などのデータを見ると起こる可能性が高いと見ております。今回の世界的大不況は不動産バブルという原因からその後の傾向まで日本のバブル崩壊と非常に酷似しており、今後を予想する上では何よりも当時の情報が参考に足ると考えております。
 私もそれほど強く言える身分ではないものの、すでに20年近く前の話ですが今でこそあのバブル崩壊についてあれこれ日本人は検証して、今後の対策を考えるべきでしょう。そして景気の二番底に対しても、「まだ慌てるような時間じゃない(*゚▽゚)ノ」としっかり腹を据えて冷静に対処することが一番だと思います。

日本漫画キャラ傑作選~亀仙人~

 数ある魅力的なキャラクターが登場する「ドラゴンボール」において、私が最も好きなキャラクターはと言われれば亀仙人をまず第一に挙げます。ピッコロさんも捨て難いけど。
 別にドラゴンボールに限るわけじゃなく、どの漫画作品でも主人公らからちょっと距離を置いて見守り助言する後見人とも言うべきキャラクターは非常に貴重でもあり、かつ物語を盛り上げる上で重要な存在だと私は考えております。その中でも白眉とも言うべき、かつ他の作品においてもこの手のキャラにおける一種のオリジナルパターンになったのがこの亀仙人だと私は思います。

 作中の詳しい亀仙人の活躍はここで細々説明しませんが、武天老師と言われながらも普段はスケベジジイそのままの行動と発言で、そのくせ実力は物語初期においては最強というものだから当初からそのギャップに強く引きつけられました。確かこれは「ヘルシング」の作者である平野耕太氏がイラストとともに、スケベジジイというキャラクターを確立させたのは亀仙人だろうとコメントしていましたがまさにその通りでしょう。

 そんな亀仙人ですが、子供の頃はそうでもなかったけど年を取ってから読み返してみて当時とは違った見方になった場面として、ピッコロ大魔王との直接対決のシーンがあります。
 この場面では悟空が死んだと勘違いし、最早ピッコロ代魔王を止められるのは魔封波を使える自分だけだと天津飯とともに向かいますが、それでももし自分が敗北した時のために戦闘の直前に麻酔薬で天津飯を動けなくさせた上で亀仙人は一人で挑みます。

 この悲壮な決意もむなしく結果的には亀仙人は敗北してしまいますが、その姿は物語り当初にあったスケベジジイの姿は一切なく、後事を若者に託した上で自分の命と引き換えにしてでも戦いを挑んで死亡する顛末は今こうして読み返すといろいろな思いが湧いてきます。

 このピッコロ大魔王戦の後は亀仙人には目立った活躍はなくなりますが、個人的に今思うとすばらしい演出だったと思うのはアニメ版のドラゴンボールの演出で、アニメの次回予告時のナレーションは代々の亀仙人役の声優が勤めていました。改めて考えるとドラゴンボールの次回予告ほど未だにはっきり覚えている予告シーンはなく、なんでそれほど印象が強かったのかと言えば予告のナレーションが亀仙人という後見役とも言うべきキャラクターの声優だったからではないかと今思います。

2009年9月2日水曜日

出版業界の値段に関する慣習

 今現在、私が一番ハマっている漫画は何かというと、ヤングジャンプにて連載している岡本倫氏の「ノノノノ」という漫画です。前にもこの「ノノノノ」は一回取り挙げたことがありますが、岡本倫氏の前作「エルフェンリート」に負けず劣らず読者の期待をことごとくいい意味で裏切ってくれる内容で、なおかつ昨今の漫画にしては非常に展開のテンポが良いのでまだ読んだことがない人にも自信を持ってお勧めできる漫画です。なお最新刊の7巻はいろんな意味ですごい内容でした。

 そんな「ノノノノ」の最新刊の巻末の作者コメントにおいて、ちょっと気になる内容が書かれていたのでここで紹介しようと思います。全文を引用するのなんなので内容だけを抜粋すると、今回の7巻はこれまでの単行本と比べて一話多く収録したそうです。なんでも話の展開上区切りが良かったのでこのようにしたそうなのですが、作者の岡本氏が言うには単行本のページ数を増やした場合はその分本の値段も上げなければいけないそうなのですが、仮にそうやって単行本の値段を上げた場合、次の巻からページ数を元に戻しても値段を下げることが出来ないのがきまりになっているそうなのです。
 そのため岡本氏はいろいろ悩んだ挙句、これまでの単行本では一ページ目にカラーのイラストページを挟んでいるのですが、それを今回取っ払うことでこれまでのお値段据え置きでページ数を増やしたそうです。

 この作者の岡本氏は男性ですが、かねてより妙に謙虚なコメントの中にさりげなく「貧乏で○○が買えません」などと混ぜてはよく作者萌えする人だと言われていましたが、今回のコメントでもやっぱり読者のことをいろいろ考えている人なのだと改めて感心しました。ちゃんと私みたいに単行本読者のことも考えてあれこれ気を回すなんて、普通の作家じゃまずやらないでしょう。

 ただこうした岡本氏の配慮の一方、個人的に気になったのが出版社の妙な決まりごとです。あまりこの業界に詳しくないのに言うのもなんですが、ページ数を増やした場合に値段を上げるというのはまだわかるにしても、一度値段を上げたら元のページ数に戻しても値段を下げることが出来ないというのは私の常識ではちょっと理解できません。
 実際に本屋を周って見ているといくつかの漫画ではまさにその通りとも言うくらいに、以前と値段は一切変わっていないにも関わらず巻数を重ねるごとに大幅にページが減っている単行本を見かけたりします。いくつか例を挙げると、藤島康介氏の「ああっ、女神様」と岩明均氏の「ヒストリエ」です。特に「ヒストリエ」に至っては4巻くらいから急激にページ数が減少したのでびっくりして、それまで単行本を買い続けていましたが馬鹿馬鹿しくなってそれ以降は買うのをやめてしまいました。

 どうして一度の値上げ後に値下げができないかについて私の友人は、恐らく「再販制度」が影響しているのではないかと教えてくれましたが、値段を小幅に動かすことすらできず、しかも一方通行な値上げしかできない出版社の慣習だか制度にはそれが存在すること自体に私は呆れてしまいます。また先ほどに挙げたページ数が減っているのに値段が変わらない二つの漫画については別の友人が、恐らくそれでも売れるほどの人気作だから通用するのだろうと感想を述べましたが、私からするとそんな売り方をしていて出版社は商売人として恥ずかしくないのかとすら思えます。

 私が以前にアルバイトをしていた喫茶店でマスターの奥さんから何度も聞かされた言葉としてこんなものがあります。

「曲がりなりにもお客様からお金を頂くのだから決して、一杯のコーヒーでも手を抜いてお出ししてはいけないし、体調が悪かろうが忙しかろうがもてなす側はそれを理由に接客の態度を怠っては駄目よ」

 確かに漫画家は当たればでかいものの売れなければ非常に苦しい生活を強いられるということはよく聞いており、それでも売れるのだったらページ数を多少減らしてもいいのではないかという意見が全く理解できないわけではありません。しかしそれでも読んでくれる読者がいて、漫画家はその読者に支えられる立場であることを考えると私はやっぱりそうした売り方に対しては好ましくないものだと考えます。
 それだけに「ノノノノ」の最新刊にて値段を上げず、話を区切りよく終えようと気を回してくれた作者の岡本倫氏にはいろんな意味で頭が下がります。

 私のこの「陽月秘話」もネットにさえ繋がっていればいくらでも無料で見れる一ブログではありますが、せっかく時間を使って見に来てくれるのだから読者の方には可能な限り質の高い情報や内容をお見せできるように日々意識しております。こうした価値観を持つようになったのはやはり喫茶店でのアルバイト経験があったからこそで、こう思うにつけ人間の出会いが本当に重要だと感じます。そういっておきながら、誤字が多いのはなかなか直らないのですが。

2009年9月1日火曜日

懐かしがる時代とは

 今日から新たなラベルとして「時間の概念」を設けることにしました。昨日の「クレヨンしんちゃん、モーレツ大人帝国の逆襲」の私的解釈」の記事に続く形でこれからちょこちょこ時間をテーマにして書いていくつもりなのですが、自分の表現力が追いつけばそこそこいい内容に仕上がる自信はあります。
 ちなみにこの時間の概念、このテーマについて私が一番力を入れて取り組んだのは3年くらい前ですが、その際は非常に頼りがいのある友人とそれこそ夜中中ぶっ通しで議論することでいろいろなものをつかめることが出来ました。別にこれに限るわけではありませんが、人間がその能力を意識的に発揮させることが出来るのは恐らくは80%くらいで、100%の力を発揮させるには自分に伍す相手なくしては無理ではないかと思います。

 そんなわけで本題に移りますが、今日は現代の日本人が懐かしがる時代について解説します。
 前回の記事で取り上げた「モーレツ大人帝国の逆襲」では万博を模したテーマパークに大人が強くひきつけられるさまを描いていますが、このような作品は何もこれだけに限らず、安倍元首相もハマった映画の「ALWAYS~三丁目の夕日」も、似たような時代を取り上げています。
 何故これらの時代がこうしていろんな作品に取り上げられるのか、その答えは言ってしまえば「高度経済成長時代」だったからに尽きるでしょう。60年代から70年代はそれこそ企業は何もしなくとも売り上げが伸び、また日本の国力、技術力も世界中を席巻しはじめて真面目に生きてれば日本の未来はバラ色間違いなしとも言うような時代でした。

 私は以前にも「日本語の「懐かしい」の価値」の記事の中で、日本人は外国人と比べて過去に対して特別強い感情を持っていてそれが「懐かしい」という言葉が強い意味を持つところにも表れているのではと主張しました。この辺の文化的特徴はまた今度に詳しくやりますが、そんな日本人が現代において特に強い執着を持つのが高度経済成長時代というのはほぼ間違いないと確信しております。
 そこでこの前ふと思い直したのですが、逆を言えばこの高度経済成長時代以外にみんなに懐かしがられる時代はあるのかと、ある日ふと考えました。かろうじてそうと思われる時代は90年前後のバブル時代ですが、それを除くと高度経済成長時代以外にはあまりそういった特定の時代は見当たりません。というよりも、戦前戦後直後に至っては「あの頃は良かった(*゚∀゚)ノ」という発言自体全く見当たりません。

 もう結論をさっさと述べてしまいますが、私は日本人は確かに過去の時代に特別に郷愁の念を持つ傾向はあるものの、高度経済成長時代を見てしまった現代人はその傾向が特に強いのではと思うわけです。確かに誰だって「隣の花は赤い」とばかりに現在の状況と比べて昔はよかったと思うかも知れませんが、日本においてはあまりにもうまく行き過ぎた高度経済成長時代からバブル期までを見てきた世代からすると、現在の日本の状況はそれこそ現実逃避したくなるような時代に見えるかもしれません。

 私などは80年代初期の生まれで物心つく頃から日本は不況の真っ只中で、郵政選挙直後の05年から06年は日本が好況だったといわれてもほとんどそれを実感することが出来ませんでした。しかし現代の日本人、というより現代においてそこそこ年かさがいった日本人からすると高度経済成長時代は過去の物として忘れるにはあまりも良すぎたゆえに、今の私の目から見て現代日本人は過去に囚われがちなのではないかということです。
 これまた逆に言えば、あと10年位経ってバブル時代に勤労者の立場でその旨みなり様子なりを体験出来た世代が表舞台から退場すれば、こうした日本人の過去を極度に美化したり懐かしがる傾向にやや歯止めがかかるのではないかとも思います。

 最後に時事問題に重ねて言うと、やっぱり今の日本の政治はこれから日本をどのような方向に持っていくかというより、どうやって過去の栄光や社会を取り戻すかという主張ばかりな気がします。若けりゃいいってもんじゃないけど、今の日本の政治家の高年齢ぶりはやや目に余りますし、もうすこししんのすけみたいに「オラたちの未来を奪わないで」といえるような若い政治家が欲しいところです。