ページ

2009年6月10日水曜日

少人数学級にすれば、万事解決するのか?

 大分前から、昨今の日本の小中高での学力低下やいじめ問題を解決する大きな手段として少人数制学級への移行があちこちで強く叫ばれています。移行自体は現在少子化ということもありそれほど難しいことではないと思うのですが、今日ふと電車に乗っているとき果たして少人数制にすれば本当になんでも解決するのかなと一つ疑問がもたげたので、今日はその考えを紹介しようと思います。

 まず少人数制にするとどうなるかという賛成派の意見ですが、少人数制であれば教師一人当たりが面倒を見る子供の人数が減り、勉強などでもおちこぼれを出しづらく、またいじめについても何か問題があればすぐに教師も把握できて対応が出来るだろうという意見です。

 こう聞くと確かにもっともらしくて私もその方がよいのではとこの前まで考えていたのですが、この少人数制学級について実施している自治体の報告によると確かに保護者などのアンケートでは好評だという調査結果が出ているのですが、肝心要のテスト成績の比較などといった調査データはまだお目にかかれておりません。せめて少人数学級とそうでない学級で各学年ごとにそれぞれ20サンプルずつ出して比較してもらい、又同じ学級内の成績のばらつき具合などのデータがあれば検証しやすいのですが、なんか思い返してみると本来主張するからにはなくてはならないそれらのデータが見当たらないような気がします。
 それに単純な学力レベルの比較で言えば、今より全然大人数学級であった昭和時代の生徒らの方が高かったと、こちらは過去の国際学力テストのデータ上でもはっきり出ています。このようなデータから私は、学力はカリキュラムによって決まるものであまり教師の質とかクラスの人数は関係ないように思います。

 ではもう一つのいじめ問題についてですが、実はこれは以前から気になっていた意見として北野たけし氏の意見がありました。北野氏が言うには彼が子供だった頃、今より一クラスの人数は全然多かった(五十人程いたそうです)が今のような陰湿ないじめとかは無かったそうです。もちろんこれは北野氏個人の体験かもしれませんが、北野氏以外の方たちもよく昔と今のいじめは違うなど、近年の子供のいじめについては概して経験がないという意見ばかり聞きます。
 昔は一クラスの人数が今より多かったのにそれほどひどいいじめが無かった。では何故現代の日本はいじめが問題化するのか。ひょっとすると、一クラスの人数が前より減ったからいじめが増えたのではないかと、急にこんなこと思いつく当たり自分はひねくれた性格しているという気がします。

 ただこれが全くただの思いつきだと言うつもりはありません。例えばすこし極端な例を出すと、どんな集団でも十人に一人の確率で周りとは一味違う子供が出てくるとします。もしこれで十人一クラスの少人数制学級を作ると、その一味違う子供はそのクラス内で一人だけしかいませんが、これが五十人学級になると確率はそのままでも、50×1/10=5で、一味違う子供は一クラスに五人も出てきます。その五人の子供はタイプ的に希少なタイプだとしても、同じクラスに五人もいれば一つの集団が出来て少なくとも十人一クラスの中で一人で孤独にい続けるよりはずっと安定した生活を送れるのでは、ということです。

 つまりはこんな感じで、人数が多ければ教師の負担は確かに大きいかもしれませんが、生徒にしてみれば気の合う人間と同じクラスで出会う確率は上がるということです。逆に少人数制学級でそれこそ理想的にみんな仲良しになれれば何も言うことありませんが、果たしてそんなうまくいくとなるとはちょっと信じられず、やっぱり一人や二人がはぶられて、しかも少人数制学級だから他に逃げ場がなくなってますます追い詰められた状況になるんじゃないかという気がします。こういう風に考えると、今より人数の多かった昔の方がいじめが少ないというのもまだ理解できます。

 また私は子供の頃は雑多な人間模様の中でいる方が精神的にも成長する要素が多い気がします。少人数制学級では教師の目は行き届くかもしれませんがその一方で辺に純化してしまい、視野や世界がかえって狭くなって純化しきれない人間への反作用が強まり、そうしたところでいじめも出てくる可能性があると思います。本当に我ながらひねくれていると思いますが、今の教育問題をどうにかしようというのなら世論とは逆に、大人数制学級に移行するのもありなんじゃないかと考えたわけです。

2 件のコメント:

サカタ さんのコメント...

 花園さんのおっしゃるように、大人数せいの方が気のあう友人と出会える可能性というのは増えると思います。そして、いろいろな人間がいるのでその人たちから影響を受け視野が広くなるのもそうだと思います。

 しかし、僕は多人数制だったとき、その時代には今よりも、露骨に皮肉を言われたり、大変失礼なあだ名をつけられたりしていたと聞きます。陰湿ないじめはなかったと思いますが、白昼堂々と差別に近い言葉を吐くのがいいとは思えません。逆に現在では、白昼堂々と差別用語を発することはありません。その分、陰湿な陰口やいじめが横行しているのではないかと考えます。結局どちらもいいとはいえないのですが・・・・。

 話を戻すと、今の時代、大人数制の学級を作ることはまたそれでいいと思います。以前に戻るわけでもなく、また新たなバックグランドで行うことになるので、どうなるかわからないと考えるからです。いい結果になるのか、それとも悪い結果になるのか、面白いと思います。

花園祐 さんのコメント...

 やっぱ上の世代の話を聞いていると、仰られる通りに陰湿ないじめは無くっても殴り合いなどの激しいケンカはよくあったそうですね。上の世代なんかはそうやって本音でぶつかり合うのがいいんだなどといいますが、確かにこればっかりはどっちがいいかは判断が難しいでしょう。

 この記事では大人数、少人数、どちらにするにしてもとりあえずデータを用意して比較しろと教育界に言いたくて書きました。恐らくそういった統計をきちんととったら、暮らす人数よりも学校外の教育こと、予備校に通うか通わないかの違いが学力にものすごい影響するというデータが出てしまうでしょうが、それならそれでいろいろと対策も打てるし、カリキュラム改定の参考にもなるので、まずはなによりもデータを用意することからこの議論はするべきでしょう。ま、現状では私は大人数のほうがクラスとしてはいいと思いますが。