2009年1月23日金曜日

失われた十年とは~最終回、この時代に変化したもの~

 とうとうこの連載も最終回です。本当は一ヶ月以内に終わらせるつもりだったのに途中で中だるみして、気がついたら三ヶ月も長々と書く羽目となりました。
 自分で言うのもなんですが、連載全体で見るとあまりないようにまとまりがなくあまりいい連載記事だとは思いませんが、元々この連載自体この失われた十年について「言われてみると思い出すけど、ぱっと出てこない記憶」を呼び覚まし、あの時代は具体的になんだったのかを読者の方に考えてもらう機会を作る思いで書いてあり、そのため記事の内容も個々のトピックに絞ったものになったためにまとまりがなくなったというのはまぁ自然の成り行きかと思います。

 なおこの時代に起きた大きな変化でありながら敢えて取り上げなかった項目に、「インターネットの発達」があります。何故取り上げなかったかというと、一つにこのIT革命による社会変化については解説本が数多く出ていること、二つにもしこれをやろうとしたら膨大な量の記事をこの項目に割かなければいけないことが予想されたため、やるんだったらあまり他の人が取り上げないことを取り上げようとして敬遠することにしました。書き終わった現在の段階で、やっぱりその判断は正しかった気がします。

 それでこの記事は前々回にボーナスステージと書いただけあり、この時代で変化したものを思いつく限りリストアップしようと思います。案外こういうリストって見ないので、そこそこいいものになる自信はあります。なおあらかじめ断っておきますが、個々でリストするものは私の主観で当てはまるもので、決して絶対的なものではありません。
 それではまず、前回の記事で書いた権威が変化したものを挙げると、

  権威が失墜したもの
・護憲派 ・左翼政党 ・医師 ・警察 ・教師 ・官僚 ・マスコミ ・自動車 ・初等教育 ・大学生 ・銀行 ・松下

  権威が向上したもの
・自衛隊 ・改憲派 ・地方公務員 ・独身 ・メーカー ・ソニー

 少し解説しておくと、自衛隊が阪神大震災によって大きく見方が変わったことにより憲法意識が球九条維持ではありながらも自衛隊の存在認定に国民の多数派が賛同するようになったのは非常に大きな変化でしょう。あと教育問題で初等教育が大きく信用を損ない、大学生も遊んでばかりと言われるようになり、自動車については「持っているとモテる」から「持っていると金がかかる」に変わったことを反映させました。最後の松下とソニーについては当時の家電業界の勢いです。90年代末期は本当にソニーの時代だったし。

 さてこうした権威関係に対し、今度は各項目ごとに失われた十年の以前と以後で変化したものをリストアップして見ます。

・社会指標:学歴社会→職歴社会
・雇用制度:終身雇用→中途半端な流動化
・アニメの対象視聴者層:子供→大人
・日本人は:集団主義(フェミニズム)→個人主義(自己責任)
・小売業:ダイエー→イオン
・治安:安全→危険
・死刑は今後:廃立→維持
・経済学の潮流:ケインズ(介入主義)→フリードマン(自由主義)
  若者は……
・政治姿勢:左翼的→右翼的
・物事に:情熱的→しらけ気味
・会社では:出世したい→責任忌避
・雇用は:正社員→フリーターが増加
・娯楽は:スキー→インターネット
・女性は:おとなしい→たくましい

 最後のはちょっと冗談入ってます。ただ女性の社会進出は以前と以後で全然変わってきており、なおかつ私の目から見ても最近の女性はとてもたくましく見えます。
 とまぁ、ちょっと考えて思いつくものは大体こんなもんです。十年という長い間とはいえ、やっぱりいろいろ変わっているんだなぁと思います。

 最後に対象とした失われた十年の期間から現在でもう五年以上経っていますが、あの時に日本人が必死で投げ捨てた「経済大国」や「安全と平和」といった概念のかわりに何が入ってきたか、どんなものが概念として確立されているのかというと、実はまだ全然確立できていないのではないかと私は思います。まずそれまでの終身雇用制にかわって入ってきた成果主義ですが、これについては現在反動が強く起きており、日本人にはやはり合わないといった反発が生まれてきていますし、また国際社会に対しても今後日本はどのような国としてやっていこうかという意識が生まれていませんし、個人の生き方に対しても家族を大事にするのか会社を大事にするのか、はたまた自分自身を大事にしていくのかどうもまだ中途半端で足を引っ張り合っている状態のような気がします。

 こうした動きに対して藤原正彦氏のように、武士道を復活させて日本人としての文化と教養を誇りにするべきという新たな概念を提唱するものもいますが、こうした動きはどうにもまだ確立できていません。
 しかし逆転した発想で言うと、この時代を貫いても変わらなかった日本人の概念は何かといったら、一つの例として天皇制への意識が挙がってきます。かつてマッカーサーらGHQも日本人は天皇制において不動だと分析しており、他の概念ががたがたになっておきながら天皇は象徴でいいという意識だけはビクともしませんでした。
 別に今しばらくは天皇制を軸にせよというわけじゃありませんが、もし天皇制がなかったらあの時どうなっていたのかと思うあたり、自分も日本人なんだなぁと思います。

 この失った概念のかわりに何を柱に立てるかですが、友人などはこの際徹底的に日本人は個人主義に走るべきだと主張していますが、私としてはちょっと古い人間ということもありかつて程ではないにしろもうすこし集団主義を強化するべきなのではないかと思います。まぁこの手の議論はやりだすと長くなるのでまた別の記事でやりますが、とにもかくにもようやくこれで連載終了です。また補足があれば追加しますが、ひとまずこの時代については書きたいことは書ききることが出来てほっとします。

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