ページ

2009年1月26日月曜日

日本人は個人主義になれるか

 昨日は頭痛を起こしてふらふらしながら朝青龍戦を見て、おとといに買った「街道2」というレースゲームをやっている時にふと思いつきました。どうでもいいけどこのゲーム、BGMを自由に作れるサウンドエディタ機能がついているのは別にいいが、そのおまけ機能の説明に説明書の三分の一近くを使い、下手すりゃ本編以上に細かい説明を行っているのは個人的にどうかと思う。別のゲームにして出せばいいのに。

 話は戻って思いついた話です。おかげさまで無事終了した「失われた十年とは」の連載のコメントにて、日本はこの時代にそれまでの集団主義という価値意識を喪失し、なおかつこれらの意識は既に時代に適合できなくなっているのだから個々の価値観に基づく独立した個人主義を持つべきだと述べられる方々が多くいましたが、私としてもそれに越したことはないんだけどと思う一方で何か引っかかるものがありました。それが昨日、古い記事の内容を思い出すとともにいろいろと頭の中でその引っかかる内容がまとまりました。

 古い記事というのは九月に書いた「権威の失墜と自意識の向上」という記事です。別に意図したわけじゃありませんが、連載の後半で書いた「権威の失墜」とほぼ同じ内容ですが、前回の方ではそれまでその意見に信用がもたれていた集団や職業の権威が堕ちたことによって、他人の意見より自分の意見の方が正しいと信じる人間が増加したことによっていわゆるモンスターペアレントが発生したのではないかと書いています。

 ここで私が何を言いたいのかと言うと、もし今の段階で日本人に対して独立した個人主義を持って自分自身で自分の幸福を見つけよと伝えたところで、恐らくその意図する内容を大半の日本人は受け取れないばかりか誤解する人間が大半なのではないかということです。それこそモンスターペアレントのように、自己をはっきり持てといったら他者の都合などお構いなしにただ自分の権利だけを強く主張する人間が続出する恐れすらあります。
 そこで何故日本人が欧米人のようなまともな個人主義を持つことができないかということですが、一つの理由として私はどうも日本人は権利と義務の区別がついていないんじゃないかと思います。和製英語で言うと「ノブレスアビゲーション」とでも言うのですか、直訳だと「高貴なる義務」といって、欧米では社会で成功した者は寄付活動などして社会に還元しなければ激しく後ろ指を指されるという習慣がありますが、もちろん日本ではこんなことがありません。

 欧米では大量のお金を使用できる権利には、社会に対してそれを行使、還元せねばならないという義務が付きまといます。しかし日本ではホリエモンを始めとしてあまりこういった習慣はなく、お金の問題に限らず憲法上の教育の義務と権利、勤労の義務と権利など、どうも義務と権利の区別のつきづらい環境もあります。その結果、失われた十年によるそれまでの価値意識の喪失に伴い個人主義を主張するものが何人か出てきたところ、「自分の権利を自由に強く主張していい」という意識が生まれたものの、本来義務を果たした上で初めて権利が認められるといういわば当たり前の認識は生まれなかった気がします。

 結論を言うと私は日本人はまだ個人主義に移る段階にはないと思います。むしろ個人主義に移るくらいならば、今の価値喪失状態を脱するために以前の集団主義的概念の方がまだ害が少ない気がします。もちろん全く昔に戻れといわれれば私も抵抗感がありますが、ほんの少し二、三歩戻るくらいがいいのではないかと思います。下手に個人主義を訴えたら、お隣の中国みたいになるんじゃないかなぁ。それはそれでにぎやかで私にとっては面白いのですが。
 もちろん長期的には欧米のような個人主義的価値観の方が私も日本全体として強くなる可能性が高いと思います。ですがまだその時ではなく、私が中途半端に集団主義を引きずっているのはそういうところにあるのではないかと思います。

3 件のコメント:

Madeleine Sophie さんのコメント...

高貴なる義務はノブレス・オブリージュですね。
個人主義というのは、他者の都合などお構いなしにただ自分の権利だけを強く主張する人間とは違うんですよね。他人に無関心というか、他人に自分の意見を強制しないというか。自分の意見を通すときには、論理によって相手を動かさないといけないというような、ルールがあるような気がします。「俺がこんなにがんばってるから、お前も残業しろ」とか「先輩につがれた酒は飲み干せ」とか、他人に非論理的な強制をしないですね。

匿名 さんのコメント...

 今の日本に個人主義は、早いのですかね。これは、あくまで僕の周りの人のイメージですが、自分の好きなものがあり、他人とそれが違っていても平気な人が多いですね。しかし、他人の好きなものよりも自分の好きなもののほうが優れていると思っている人が多い気がします。確かにこういう意識がモンスターペアレントなどを生んだのかもしれませんね。  

 だから、もう一段階上がって、他人の好きなものも肯定できるようになれば個人主義はできあがるのではないかなって思います。あのひとにとってはあれが一番、僕にとってはこれが一番みたいに。簡単なことのように思えるけど、なぜかできない人が多いですよね。

 

花園祐 さんのコメント...

>Sophieさんへ
 ご指摘、ありがとうございます。なんか自分でもおかしいんだよなぁと思ってました。勢いに任せるべきじゃないですね。

 自分が現在、しっかりとした個人主義によって成り立つ世界のモデルにおいているのは、ちょっと前の記事で書いた「バラバラで一緒」こと、お互いに実害を伴わない限りは違いを認め合うという社会です。しかしサカタさんもおっしゃられているように、簡単なようでこれが以外に難しい。第一こんなことを主張している私ですら、茶髪にしている人を見ると素直になれないところもありますし。