2009年1月8日木曜日

失われた十年とは~その十八、地下鉄サリン事件~

 前回では95年に起きた阪神大震災について解説しましたが、今回は同年に起こった日本史上最大の犯罪事件であり世界初のバイオテロ事件である地下鉄サリン事件についていろいろ書きます。書く前から武者震いがしてきますが、以前に書いた紅衛兵の記事以来で久しぶりな感覚です。

 95年3月、都内の各地下鉄路線上にてオウム真理教の教徒たちによって有機リン系猛毒ガスのサリンがばら撒かれました。この事件をオウムが起こした原因として現在挙げられているのは、この事件の直前に別の事件によって警察の教団への強制捜査が行われることが予定されており、その捜査に抵抗する形で警察や権力層の混乱をはかろうとしたのが動機だったそうです。事実、この事件の十日後には当時の警察庁長官の国松氏が狙撃され、これもオウムによる犯行と近年断定されたことから警察機関のかく乱という先ほどの動機には私も非常に納得できます。

 そうして行われたこの地下鉄サリン事件ですが、実行方法は液状のサリンが入った袋を電車を脱出する直前に傘でつついて穴を空けて脱出するという方法が取られ、各路線内でお茶の水や霞ヶ関といった主要駅で実行されました。この方法の特徴として、走る電車内で毒ガスをばら撒くといった手法がまず目に付きます。この方法だとサリンが放出された当初は何も知らないまま電車は走り続けることにより、サリンの毒が駅から駅へと運搬されていくだけでなく車内に残された人たちも満員電車の中で脱出することも出来なく、更にはどこでサリンが封切られたのか実行犯の特定を難しくさせるという特徴もあり、非常によく練られた計画だと言わざるを得ません。

 最終的にこの事件での被害者は12人が死亡し、5510人の方が重軽傷を負われたとのことで、生き残った方も今でも様々な障害に悩まされる方が数多くおられるそうです。これはつい最近になって法案が通った話ですが、こうしたオウム事件での被害者に対してオウム(現アレフ)が弁済額を支払う資金がないために事実上放置されてきた被害者救済に国の資金を充てるように、確か先月になって本当にやっと決まりました。逆を言うとこれまでは障害をおって入院しててもその費用は自己負担で、この点について国は事件の重大さや深刻さからもっと早くに救済に動くべきだったでしょう。定額給付金も、こうした犯罪被害者にもっと使えばいいのに。

 さてこの地下鉄サリン事件ですが、冒頭でも述べたようにこの事件は世界で初の化学兵器が使用されたバイオテロ事件で、しかも都市部の中枢部、更に言えば地下鉄といった公共機関で使用されるというこれ以上ない程の最悪の条件で起きております。そのためこの事件は世界各国でテロ対策における重要な事実例として使われ、恐らくどの国でもこの地下鉄サリン事件を材料にしてテロ対策を作っているでしょう。なおこの後に確認されているバイオテロの実例というと9.11後にアメリカで起こった炭素菌事件が挙げられますが、実はオウムもこれ以前に炭素菌の生成、使用を試みていますがこれには失敗に終わっております。それにしても炭素菌の生成を行おうとしていたという点を鑑みれば、当時のオウムがどれだけ効力のある毒物に熟知していたかが窺えてきます。ついでに書くと、この炭素菌については事件後に世間を騒がせた上祐現ひかりの輪代表も関わっていたそうです。

 話は戻りそんな最悪の状況下かつ、よく練られた計画の上で行われたこの地下鉄サリン事件ですが、その被害は最初に挙げた膨大な数の被害者を出すなど非常に甚大でありました。しかしこの被害者数は事件の実態と比べると驚くべきほど小さい被害で済んでいると言われており、その陰には現場の方々の様々な努力があったとされています。この辺はウィキペディアの項目を私の言葉でなぞるだけなので、興味がおありの方は是非そちらもご参照ください。
 まず特筆すべきは医療機関の聖路加国際病院で、事件が発生するや直ちに外来の診察を取りやめて当時医院長で今もなお現役の日野原重明氏の指示により無制限の被害者受け入れを行い、医療救助活動の拠点となりました。ちなみにこの聖路加国際病院が何故あれほど大量の被害者を受け入れられたかというと、日野原氏が戦前の東京大空襲時の経験からいつでも大量の急患を受け入れられるよう常日頃から対策を行っており、果てにはチャペルまで状況に応じて病棟に変えられる設計を行っていたそうで、一部では老人の心配性とまで揶揄されていたそうですがこの事件時には日野原氏のそれらの対策が大いに生きました。

 また治療に使うPAMという薬品は常備数が当時は非常に少ない薬品であったため、使用ガスがサリンと特定されるや製薬会社の方たちが他地域で直ちに集め、新幹線にて片っ端から運んでは駅で同じ会社員が待ちうけどんどんと病院へ運んでいったそうです。さらに使用ガスの特定については、信州大学の柳沢信夫教授がテレビの報道を見て松本サリン事件の被害者の症状が酷似していることから治療法や対策を直ちに東京の各病院にファックスしたことにより、先ほどの薬品の確保、輸送へとつながったそうです。
 そして汚染された現場に対しては、先の阪神大震災でも活躍した自衛隊の、それも一番不必要だといわれ続けた化学系の専門部隊がなんと事件発生から29分後という素早さで出動し、現場の除染と被害者の救助活動を行っております。
 しかし救助面で唯一悲劇だったのは、こうした毒物への対策のない最も現場に近い警察官や駅員の方たちの犠牲です。彼らは防護服はもちろん対策すら知らない中で被害者の救助活動を勤め、幾人かの被害者は彼ら救助活動者の中から出ております。彼らの勇気と行動に私は今でも敬意の念を忘れてはいません。

 こうした各分野の方々の努力もあり、実際の現場では数多くの人たちが命を救われていったそうです。それでもこの事件の傷跡は深く、障害の残った方やPTSDを発症した方たちが今も残り、十年以上たった今でも私自身がこの事件を鮮明に記憶に残しております。
 この事件の帰結としてはかねてより関与の疑いのあったオウムへの強制捜査が事件二日後に行われ、関係者の自供などもあって詳細が明らかになり、教祖の麻原死刑確定囚の逮捕へとつながっていきます。また捜査が始まって以降は猛烈な報道合戦が行われ、これ以前の松本サリン事件と合わせて様々な問題が明らかにされていきました。特にこうしたカルト宗教に何故サリンの製造が行えるまでのトップクラスな秀才らが集まったのかが当時の若者の思想や生き方と合わせて様々に議論されましたが、私はこの点について今だからこそ再び議論を始めるべきだと思っております。ちょっとこの次の記事でその辺について書きますが。

 この事件が与えた日本全体への影響はすさまじく、刑法や死刑問題などこれ以前と以後で一気にひっくり返ったのではないかと私は思い、事実これ以降刑法は厳罰化の一途を辿っております。
 私としては社会全体の意識に与えた影響を大きく捉えており、前回の阪神大震災といい、次回にて解説する「90年代の終末思想」に強く影響を与えた事件だと考えております。この連載の最初の方に書いたように経済や政治的には97年が大きな転換点に当たる年だとすると、社会面ではこの95年が一つの転換点にあたる年に当たると思います。何が具体的に転換したかというと、それはやっぱり「平和」でしょうか。

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