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2008年10月22日水曜日

悪魔の経済学 その一

 今も株価暴落などでお騒がせのアメリカ経済ですが、現在のアメリカ経済の主流を占めているのは効率崇拝主義とも言うべく、フリードマン学派による新自由主義経済です。日本では私も過去に記事を書いている竹中平蔵氏がこの流派に属していますが、この新自由主義経済というのは基本的に「費用対効果の効率が+であるものはすべて正しい」というような価値観ですべてを語れます。そのため具体的にどのような社会を作るかではなく、如何に自分の取り分を多くするかということに注力しており、実際的には経済学よりも商学的な性格が強い流派です。
 この新自由主義が如何に世界に害毒を撒いたかについては、いろんなブログや出版されている書籍などで解説されているのでいちいち私も解説しませんが、この価値観を当てはめられたために生まれた一つの企業の話を今回紹介しようと思います。

 先ほどから言っているように、この新自由主義の価値概念はほぼすべて「費用対効果」で語られると言っても過言ではありません。そのため以前にはあるアメリカの経済学者がこんな試算を作ったことがあります。

「浮気をすることによる快感が浮気によって失う損失(離婚による賠償金額)を上回るなら、浮気という行為はどんどんと行うべきである。その際に計算される快感には、浮気相手の容姿や性格、果てには本人の浮気をすることによるストレスの緩和量などが考慮される」

 とまぁこんな感じで何でもかんでも無理やりな計算に当てはめては、「どうだ、これまで計算することの出来なかった価値観を俺は計算してのけたぞ!」って自慢するアメリカ人が一時は後を立ちませんでした。こんなことを自慢して、そもそも計算してなんになるのかといったら非常に疑問ですが、日本でも昔にある数学者が「ナンパの成功確率式」という計算式を作ってましたからあんまり人のこと言えません。

 まぁこの程度だったらよくある「~心理学」とかいう冗談めかした本で出版する程度なのでまだ許せる範囲ですが、この効率の計算がとんでもない場所で使われた例がありました。
 それが行われたのはアメリカのある自動車会社(名前は失念しました)で、そこで開発されているある車に数千台に一台の割合で、致命的な事故を引き起こす欠陥が確認されました。ところが、この欠陥を徹底的に根絶するためにかかる費用は非常に高かったので、経営者たちはこの費用に対して別の費用と比較することにしました。その費用というのも、事故が起きた場合に被害者やその遺族に支払う賠償金額です。

 そしてなんと両方の費用を比較した結果、少ない確立で起こる事故を起こす欠陥をなくすより、遺族に払う賠償金額の方が少ないとわかり、はっきりと欠陥を認識しているにもかかわらず対策を行わずに発売をしてしまいました。そして当初の計算通りに、その車は数千台の一台の割合で事故は起こり、被害者も続出しました。
 その後の結末を話すと、続発する事故に不審を抱いた国の調査機関が捜査したところ前述の経営判断が行われたことがわかり、その自動車会社は激しい社会的非難を受けるとともに不買運動が起こり、それによって受けた損失は欠陥対策を行っていた場合の費用を上回りました。

 日本でちょうどこれと同じケースに属するのが、2003年前後に起きた、私の愛する三菱自動車グループの欠陥隠し事件です。この事件でも販売していた自動車の欠陥を早々に経営陣は認識していたにもかかわらず、一切その対策を行わなかったために欠陥による事故が続いて被害者を出していきました。そして結末も、普通の会社なら明らかに潰れているはずだった程の大損失を受け、かつては国内シェア8%だったものが現在では確か3%にまで落ちています。それでも一時期よりは大分よくなって、「ギャランフォルティス」とか「i」とか、すごいいい車を作るようになっており、特に「ⅰ」については前回の失敗に相当懲りたのか、雪国での走行に多少問題を起こす可能性があるとして、普通なら見過ごしてもいいような対策のためにわざわざリコールをして無償修理を去年に行いました。これは評価してもいいと思います

 なにもこの三菱自動車だけにとどまらず、日本には他にもたくさんこういった例があります。三菱自動車だけあげつらうのもかわいそうなので他にも挙げると、雪印乳業も工場内の汚染を知っていながら表沙汰にならなければ損失は発生しないだろうという安易な発想の元に食中毒事件を起こし、猛烈な売り上げ低下を自ら招いています。ちなみに当時の社長の記者会見でのセリフは、「私は寝てないんだ」と、他人事なセリフでしたね。

 よく今の中国食品問題で日本のメディアは知った風な口をして「これだから中国は」という批判をしていますが、確かに「毒餃子事件」や「メラミン混入事件」に対して社会的注目を行うのは当然だとしても、かつての、それもほんの十年弱くらい前にもたくさんの日本企業がこのように同じようなことをしていたと考えると、感情的になるのを避けてもっと冷静に批判するべきではないかと思います。少なくとも、「後進国」とか「衛生に対するしっかりとした発想がない」などという言葉は使うべきではないと思います。事実今年になっても日本でも「事故米流出」事件が起きており、他国を批判する前に自国の衛生環境に対してもっと気を配るべきではなかったのかと疑問に感じます。

 こういった事件の背景にあるのは効率重視……というよりは、安易な損得勘定だと思います。こうしたくだらない経営判断によって、社会の被害者から企業の従業員までが損害を受けないためにはどうするべきかと友人と相談したところ、やっぱり企業の社会的責任を今以上に高く設定するより他がないという結論になりました。そういった不正を行い、それが発覚した場合に起こる不買運動などの大幅なコストをはっきりと経営者側に意識させること、これが最大にして唯一の方法でしょう。
 ただこの方法が効果を発揮する最低条件として、「不正をしてもいつかはばれる」という不文律が必要で、そういった意味で先ほどの日本のメディアへの私の疑問へと繋がって行くのです。まぁ後は内部告発とかだけど、これの保護問題とか話してたらまた長くなるので、今日はこれだけにしておきます。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

 ありましたね。これ。いまでも覚えています。すごい計算をしたもんだな。ほんとに。殺人マシーンを作っていたってことですからね。三菱も同罪ですね。でも、悪人にすべての罪を着せるのではなく、悪人のした罪だけを背負ってほしいものですから、復活の兆しを閉ざしてはいけないと思います。

花園祐 さんのコメント...

 私も復活しようと、悔い改めようとしている人までも許すまいとしているのは間違いだと思います。特に企業の場合だと経営陣が変わることによっていくらでも方針は変えられるのですから、旧経営陣にのみ厳しい罰を与えればいいと思います。特に三菱自動車の場合は現場の開発者はかなり早くから事故の元となる欠陥を報告していたことを考えると、こうした人こそ生かさなければならないと強く思います。

 おまけに私なんて二代続いての三菱党で、ゲームでもFTOとランエボばかりよく乗り回しています。一番好きなエボは頭文字Dで須藤京一の乗っていたエボⅢです。