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2008年3月31日月曜日

人間の能力について

 自分はよく人に対してこのブログでの内容のように政治やら社会問題について解説するとよく、
「君は本当に頭がいい。それに比べて自分は……」
 という風に言われることがたびたびあります。まぁ自他共に認める自信過剰な性格を私もしているので自分が頭がいいと言われても、「当然でしょ」と普通に思ってしまうのですがその代わり、そうして自分の能力のなさに嘆く相手に対していつも話して聞かせる内容もあります。

「昔、マラソンランナーの有森裕子氏の講演会に行ったのですが、彼女は今でこそ有名ですが大学時代はほとんど入賞もせず、本人も途中で浮気してトライアスロンとかやっていたのに、いざ体育大学を出る際にやっぱりマラソンをやりたいと思って必死でチームを探したらしいです。
 そこで小出監督のいた出来立ての社会人チームに行って必死で採用してくれるように頼んだそうです。そのときに小出監督は、自分は走る技術を教えることは出来るが、走りたい気持ちを作ることは出来ない。君は何の記録も持っていないがそのやる気だけはある、といって採用してもらったそうです」

 ここまで話した上で、

「自分も社会の見方や問題点ということはいくらでもわかりやすく相手に教えることは出来るけど、その教わる本人に聞く気がなければ何一つ覚えてもらえません。そして小出監督同様、そういった問題意識を作ることは出来ないので能力がないことは嘆かないで下さい。その問題意識さえ持っていてさえくれれば、私はいかようにも対応できます。逆に、能力があっても問題意識の低い人間というのは本当に最低です」

 というようにいっつも言っています。 
 実際、相手に対して動機を芽生えさせるという作業は非常に難しい作業です。しかし動機や問題意識さえ持っていてさえくれれば、やはり吸収がいいというか、知識を覚えてもらうのに手間がかかりません。隙こそ物の上手なれといいますが、やる気と人間の能力というのは私も比例すると思います。

2008年3月30日日曜日

留学について思うこと

 今日靴下買いにイトーヨーカドーに行った際、帰りに寄った本屋の新書コーナーにて、なんだっけ、確か「間違った留学」というようなタイトルの新書が出ていました。簡単に前文を立ち読みした程度でしたが、具体的な内容はただ留学に行っただけで語学力が身につくと思ったら大間違いだ。きちんと留学先の学校などを調べ、プランを立てないといけないという具合で話が進んでいます。

 この本の対象としている言語は英語だけでしたが、私自身は中国への一年間の留学経験もあり、現在も中国人留学生の友人とそのお母さんとで、中国株について熱い議論を中国語で交わす程度の語学力を保持しています。
 ただそんな私も、留学に行く前に一通り中国語の文法などを学んではいましたが、聞き取りも発音も今から思うとシャレにならないほど未熟でした。本当に留学に行けば中国語が身につくのか、そりゃ結構不安でした。まぁ別の中国人留学生からは、一年も行けば誰でも出来るようになると言ってくれたのですが、中国語は知っている人もいるかもしれませんが、発音だけなら世界屈指の難易度を誇る言語で、日本語みたいにうまくいくかどうかという心配もありました。

 そうして出ていたった中国留学でしたが、個人的に「いける」とはっきり感じたのは半年を過ぎた辺りでした。それこそ最初の一ヶ月なんて目の回る日々でしたが、それを過ぎて三ヶ月もすると一通り生活面での苦労はなくなり、そして半年も過ぎると、さすがに電話での航空券予約などは出来ませんでしたが、まぁ面と向かい合って話す分なら苦労は全くなくなりました。一部知らない単語が出ても、中国語で「それって何だっけ?」と聞いて教えてもらえばすぐわかる程度ですし、辞書さえ持ち歩けばもはや怖いものなしでした。

 とはいえ、一緒に学んでいた中には、「あと一年で君みたいなレベルにいけるかな」と、まだ不安を抱えている友人もいました。まぁその人は何も中国語を学ばないで来た人でしたが。
 結論から言うと、まぁ一年も行けば何とかなるというのが私の実感です。それに英語だったら中学校から習っているんだし、中国語ほど苦労しないと勝手に思ってます。もっとも、私自身はイギリスにてブリティッシュイングリッシュに苦戦しましたが。

 最後に、これから留学を考えている人に言っておきます。不安はあるでしょうが真面目に現地でまとまった期間を勉強すれば、必ず語学は身につきます。ただ現地でふざけていると、そうはいかないのでちゃんと授業には出ましょう。

世界の目から見た場合

 自分の専門は何かと聞かれた場合、真っ先に答えるのはプロフィールでも書いてあるように国際政治学です。といっても全部我流で考えているのであれこれ基礎的な理論はといわれても何もわかりませんが、それでも敢えて重要な概念はというなら、「相手からの視点」を挙げています。

 昔から孫子でも、彼を知り、己を知れば何とやらとありますが、この考え方を援用して、私はよく周りに相手は自分のことをどう思っているかを考えろと教えています。まぁ教えている本人自体が周りの目を気にしない性格なのですが、国際政治学では特に重要な概念だと思います。

 その相手から見た場合、果たして日本はどう見られているのでしょうか。昔に受けた中学校時代の社会化の教科書には、世界の教科書の中の日本の紹介がありました。その紹介内容というのは大体どこも似たり寄ったりで、たいした資源もないのにすごい経済力がある国、というような紹介です。

 と、このように教科書に書いてはいるものの、実際に外国人は日本をどう思っているのだろうか。これは以前から私が疑問に思っていたことでした。そこで、中国の留学中にあれこれ外国人に対して、日本人への評価はどうだとしつこく聞きまわりました。
 まずルーマニア人の場合、先ほどの教科書の説明と同じく資源が少ないながらもたいした国だという評価らしいです。その上で日本の武士道も伝わっており、律儀でまじめな国民と考えているようです。ただこのルーマニア人が言った中で重要だったのが、日本はアジアの強国ではあるが最強国ではない、という内容でした。彼の言によると、アジアの最強国家はやはり中国であると、ヨーロッパの目ではそういう評価になっているそうです。
 まぁ実際に、軍事力や人口を考えるとそう考えるのが自然ですが、やはり日本は中国に順ずる、経済力に特化した国というような見方をされているようです。

2008年3月29日土曜日

書評「環境問題はなぜ嘘がまかり通るのか」

 前々から少しずつ匂わせてきましたが、ようやく著作の本を読んだのでここでも取り上げようと思います。その著者の名前は武田邦彦氏、関西在住の方なら「たかじんのそこまで言って委員会」という番組ですでに見かけているかもしれませんが、中部大学の大学教授です。

 この人がどういう人なのかというと一言で言って、「世の中の環境対策なんて全部嘘っぱちだからやるな、信じるな」という人です。その考え方や主張は先ほどの番組の中や、彼の著作「環境問題はなぜ嘘がまかり通るのか」の一巻、二巻で思う存分展開されています。

 実はここで謝罪を兼ねて書きますが、前回京都市のごみ行政について書いた時に友人が、分別回収の方が実は環境負荷が大きいのではと指摘してくれたのですが、どうもそうらしいです。というのも、この武田邦彦氏の著作の中で、分別回収されたペットボトルはどこに行くのかというと、一旦廃棄物請負業者に金を払って受け取ってもらった後、大半は他のごみ同様焼却場に持っていかれるそうです。それならば単純に行政がぺっどボトルを回収した後そのまま焼却場に持っていけば、無駄なお金は必要なくなるだけです。なぜこんなことが起こっているかというと、それはいわゆる利権団体などのせいだと武田氏は指摘しています。今まで分別回収をサボってきたと前回私は非難しましたが、私のが間違っていました。

 もっとも調べてみると武田氏への逆批判も少なくないようです。特に先ほどのペットボトルの回収率、リサイクル率の数字結果は偏向があると強く言われています。しかし著作全体で見ると割と根拠よく欠いてある上に、言われてみるとなるほどと思うこともあるので、ひとまずは私は武田氏を支持していこうかなと現状で考えています。

 その武田氏の著作の内容を部分紹介していこうと思うのですが、それよりやはりこのブログを読んでいる方にはぜひ本を手にとってみて、自分の目で読んでもらいたいです。良くも悪くも一読の価値はあると思います。

学問をするとは何を指す?

 先日、本屋で「昭和陸海軍の失敗」という新書を買いました。中身は文芸春秋で特集が組まれたときにすでに読んでいるけど、面白かったのでまた買いました。
 今日、本屋で佐藤優と田中森一の対談本を買いました。自分も好きだなぁと思います。

 さて今日のお題の学問をするとはということですが、結構ダイレクトにこれを聞いてもわからないという人が非常に多いです。たとえば、「君は何で社会学をやっているの? 何を持って社会学を学んだといえるの?」と聞いても、大抵はきょとんとして何も言い返してきません。その中で最も多い答えは、「社会学の知識を覚えることが、社会学を学ぶということかな」というのです。

 今日は短くまとめるつもりなのでいきなり結論ですが、学問を学ぶということはその学問領域ごとの考え方を見につけるということだと、私の中国語の恩師が教えてくれました。たとえば経済学だと、いわゆる貨幣の流通過程を中心に社会を見ていき、社会学だと人間集団の行動動機から社会を見ていくようになります。さらに付け加えるなら法学は法の影響力、拘束力から、政治学は権力からで、このように思考の着眼点や組み立て方、そういったものをどこにおくかという考え方の習慣を身に着けることすなわち学問をすることと話を聞きました。その上で言ってしまえば、各学問領域の専門知識というものは後付のようなものです。もちろん、こちらも疎かにしてはいけませんけど。

 そうして考え方によって分かれる学問領域なのですが、これについて別の恩師は、ある程度その学問の大家となると、別の学問の大家にもなってしまっていることが多いとも言っていました。それこそマックス・ヴェーバーなどは社会学、政治学両方の大家ですし、マルクスも経済学、社会学、哲学の大家です。ゆえに、究極的には学問領域というのはあってないようなものらしいですが、ひとまずはそれぞれの専門を身に着けることからはじめないと、どうもピンときませんね。
 ……短くまとめすぎたかな。

2008年3月28日金曜日

犯罪は何から生まれるのか

 先日、夜のニュース番組にてある犯罪がアジアに波及しているという特集が組まれていました。その犯罪というのも、オレオレ詐欺です。

 場所は台湾ですが、なにもここだけに限らず他のアジア国家にてこの手の犯罪が横行しているらしく、どうもその根源は日本らしいです。実際、日本でこの犯罪の手法が確立されたことは間違いないでしょうし、文字通り犯罪が輸出されたと見るべきでしょう。

 と、そんな状況を憂うのが今回の本題ではありません。実は社会学の中には逸脱論というものがあり、何をもって社会の逸脱、いわゆる犯罪行為が発生、実行されるのかを研究する科目があります。
 自分はあまり詳しくはないのですが、一つの推論として犯罪者予備軍があります。たとえば不良の集団に年齢の若い層が新たに入ることで、すでに確立された犯罪方法(万引きや引ったくり)を先輩が教え、犯罪が継続されるというような、言っててどうでもいいくらい当たり前ですけどね。

 自分がちょっと注目しているのは、犯罪に流行性はどの程度影響するかです。たとえば、欧米からストーカーがという言葉が始めて日本にやってきたのは確か93年か94年くらいです。私が始めてこの言葉を聴いたのは「世界まるみえテレビ特捜部」という番組にて、海外で異常な犯罪があるぞというばかりに紹介され、その後ドラマが作られたり実際に桶川ストーカー殺人事件が起こりましたが、最近はめっきり死語の部類に入ってきましたね、これも。

 私が何を言いたいかは勘のいい人ならもうお分かりでしょう。要するに、犯罪方法や犯罪名が報道されるたびにその手法の犯罪が流行するのではないのかというのが私の仮説です。もちろん私自身、真面目に信じているわけじゃありません。それこそ単にその犯罪が注目されるようになり、それ以前からあった犯罪が急にテレビで報道される回数が増えるとか、何度も起こるから社会で一般化して逆に報道されなくなるとか。前者だと先ほどのストーカー、後者のだと集団自殺という例があります。

 しかしそれでも注目される当初はかつてあったピッキングや今回のオレオレ詐欺のように模倣犯が続出することは間違いないでしょう。問題はすでに一般化した犯罪が何かの拍子に大きく取り上げられ、それが波及するかどうかです。時間と資金があれば、あれこれ私も研究できるのですがね。
 敢えて今挙げるとすれば、一家心中と通り魔がこのところよく報道されています。別に報道するなとは言いませんが、どのように報道するかは、今回挙げた話を研究することでわかってくるのではないかと思います。

福田発言から一夜明けて

 今日はちょっと風邪気味でやけに今眠いです。今日はこの記事の後にまたもう一本書く予定なのになぁ。

 それで本題のガソリン税問題です。今とっているのが朝日新聞なのでそれしか見ていませんが、社説にて朝日は今回の福田首相の一般財源化発言を肯定的に評価しています。停滞した議論を復活させるいい契機で、今度は民主党の側が答える番だとまとめていましたが、的確な評論だと私も思います。
 しかし肝心の民主党は今日の夕方に小沢代表が記者会見にて今回の提案を拒否し、あくまでガソリン税の完全撤廃を求めると主張しており、早くも暗雲が垂れ込めています。
 その一方で、ガソリン税を含む暫定税率法の中の、ガソリン税をのぞいた資産種痘税の減免措置などの付随した内容については夕方、与野党が協議してひとまずはさっさと通すことを決めたようです。これもなかなか評価できる内容でしょう。

 昨日はこの一般財源化の言及が色々理由はあったにせよ遅すぎたと私は批判しましたが、ひとまずこうして自体が動くようになったという意味では福田首相を評価できそうです。ですが昨日も指摘したように、自民党内部でもこの発言に疑問を呈す議員が数多くいるようで、自分が見た限り、幹事長の伊吹文明氏は中立的で首相に言われればまぁ支持するという立場で、逆に谷垣と古賀は真っ向から反対するようなそぶりを見せています。なんでも今回の発言はこうした自民党役員に無断で、官房長官を排しての異例な記者会見で首相自らが発表するというものだったらしく、発表の最中に谷垣などにも連絡が行って相当連中も慌てたそうです。この後、確か明日か明後日にもまた福田首相は国民に向けて説明する予定があるということから、小泉元首相のやり方を踏襲するのかと思います。

 対する民主党は小沢代表や鳩山氏がやはり完全撤廃でないと協議に応じられないとしながらも、若手議員の間では一般財源化の方が地方財政にも情報の透明性についても望ましいという議員も多く、こちらも一枚岩ではなさそうです。またこれも昨日に言及しましたが、何でもかんでも突っぱねていると民主党への逆批判、早くも朝日新聞がちくりと突いてきているのですが、そういった今度の選挙にも影響しかねない反動が予想されるので、まだまだ動きを注視する必要があるでしょう。

 最後にとりとめもないことをいくつか。
 スポーツ新聞の見出しは大体が「殿、ご乱心か」といったようなものばかり。小新聞とは言え、もう少し頭のよさそうな見出しは考えられないものでしょうかね。
 それと、まぁ取材しても何も出てこなかったとか何もしゃべってくれなかったからかもしれないですけど、自民党のほかの大物議員の反応をどのマスコミも取り上げてくれなかったのは残念です。たとえば一般財源化を推進してきた安倍前首相、そしてそれにくっついていた麻生氏、最初に主張した小泉元首相。まぁ公明党の幹部の反応を取り上げてくれただけでもまだマシか。

2008年3月27日木曜日

相続税についての考察

 さてさてまた余談から。ちょっと更新が遅れていたのと、北陸行っている間にあれこれ考えたので今日は書くことが多いです。それと北陸行ってたもんですからホームページも全然進まず。ただ、ホームページの方でやろうとすることで、一部の友人には伝えていますが、政治家やらマスコミの格付けなんかをやってみたら面白いんじゃないかと試行錯誤して考えています。
 アメリカなんかでは個人がそういう格付けやら数学的データに基づいた分析をしており、レッドソックスはある野球好事家が個人で作ったプロ野球選手の成績分析を元に、表向きはぱっとしないけどその分析計算で優秀な成績を出したことから岡島投手の獲得に動いたといいます。最近好調の日ハムも、外には出せないらしいですがチーム内で独自の評価方法というものがあり、そこからマイケル中村を獲得したようです。そんな風なホームページが出来たらいいなぁ。

 それでここからが本題です。この相続税についてですが、多分自分を含めた若い世代はほとんど意味がわからないと思います。実際に以前に自分が関わった調査でも、「日本は相続税の税率を上げるべきでしょうか?」という質問で、回答率が一割強程度と、無回答に近い回答が続出しました。
 その相続税ですが、単純に言って格差是正に最も強い効果を出す税率でしょう。なにせ生前の財産を丸ごと国が持っていくのですから、どうせ取られるならとしてそういった財産は消費に使われますし、また一部の特権階級が長続きしないようになります。日本ではこれで華族が没落し、聞くところによるとインドのマハラジャも大部分やられたといいます。

 そしてこの相続税、詳しい税率やら計算方法も私は知らないのですが、これも人づてに聞いたところ日本では三代続けて相続した際、元の財産はすべてなくなるというほど高い税率で、ヘタすれば世界で最も厳しいのではないかという声すらあります。
 私自身、周囲も認めるくらい金に頓着がない人間で、格差是正論者ということもありこの高い相続税を日本人としてこれまで誇ってきたのですが、どうもこのところは疑問を持つようになりました。

 きっかけはまた内輪ネタになりますが、労働経済学の某K先生と話をした際にイタリア人の生活について聞いたことでした。イタリアというとGDPでみると日本の半分以下、確か東京一つ分と同等くらいで、個人の月収も日本人と比べて確実に低いらしいのですが、その先生によると、イタリア人は持ち家率が高いため、彼らの資産などを考慮して生涯の生活水準を計ると、どうも日本人と同等になるらしいというのです。

 言われてみると、日本は姉歯騒動の際でも取り上げられましたが、日本の家屋は基本的にはビルト&スクラップで、将来壊すことを前提にして造られており、それがこの事件を生んだ原因だと専門家が指摘していました。確かに、日本は地震が多くて徒然草の頃から家屋は仮の住まいとして、何世代に渡って同じ家を使用し続けるという感覚が現代では希薄な気がします。高度成長期は夢のマイホームと言っては住宅ブームにもなりましたが、冷静に考えると、壊して何度も造り直すより、丈夫で何世代も住める家を作った方が社会的にはプラスなのではないかと思いました。そりゃ確かに造る時に金はかかりますし、出来た直後に火災にあったり地震にあったら災難ですが、壊しては建てを繰り返すより資源の有効活用にもつながるし、なにより無駄な労働力を割かずにすみます。そしたら土建屋が苦しくなるという反論もありますが、イタリアをはじめとしたヨーロッパで土建屋達は、どちらかというと新築よりリフォームで生計を立てる人が多いと聞きます。そのように、リフォームを繰り返して何世代に渡って住める家の方がどうもよさそうな気がします。

 そこで今日の本題です。恐らく、相続税がかかる際に最も費用負担が大きいのはこの家屋でしょう。それこそ東京の土地家屋を親から引き継いだら、いきなり数千万近い費用を国税局から徴税されるでしょう。もちろんそんな現金をすぐ用意できる人なんてそういませんから、大抵は物納、つまり土地と家屋を国、もしくは不動産屋に差し出して税金を納めるそうです。
 まぁこうすれば確かに格差是正に効果はあると思いますが、やはり子供の頃からずっと育った家などを税金のために差し出すというのは少し酷な気もしますし、そうして差し出した家は大抵はその後壊されて、新しい家が建つかビルが建つかになります。で、出てった人はまた別の家に住む。なんか馬鹿馬鹿しくないでしょうか。

 結局はそうして新しい家に入る為にまた莫大なお金を費やすのです。まぁ借家という手もありますが、これだって元の家に住み続けられれば財産税はかかりますが、借家の家賃より安い場合はその分はそのまま生活費に回せます。しかも高齢者の場合は働くことが出来ないため、借家で家賃を払い続けていると、生活が困窮する可能性すらあります。

 そうして考えると、この相続税というのは果たして格差是正につながるのかどうか怪しく思えてきました。特に生活保護受給者が増えている現代、衣食住の一角を担う家屋については若干の議論が必要なのではないでしょうか。そして何世代に渡って使える耐久力のある家屋を造る事によって、うまくすれば防災に役立つかもしれませんし、単純に家屋倒壊が起こらなければ、被災生活を送らずにすみます。しかしそんな家を造ろうとすると最初にお金がかかるし、また将来の相続税も高くなる。そんなの、誰も造りやしませんよ。

 なので、防災の観点から高い価値のある家については相続税を減免するのは一つの手だと思います。というより、この家屋については相続税からはずすべきかもしれません。実際に欧米では、「家庭に国家が介入すべきでない」として、相続税を取っ払っている国が増えてきているそうです。
 この相続税は下手をしたら個人の安定した生活を壊してしまう可能性すらあるので、ひとまず改正すべきだと思います。私なら、格差是正は守るため、相続税の範囲を家屋などの固定資産を控除して、証券や現金などの流動資産に限って税金をかけるようなのでいいと思います。結局はそれで消費は促されるのだし。

 今日のはトピックスが決めづらいので複合です。たまにはありかな。

くどいけどガソリン税問題

 内輪ネタですが、この前友人に別の友人が自分のことをZガンダムのパプテマス・シロッコだと言っていたと教えたら、彼ってまんまシロッコやんと納得してました。

 そんなどうでもいいネタはともかく、ガソリン税を代表とした暫定税率問題です。今日先ほど、福田首相が来年から一般財源化すると記者会見で明言しましたが、はっきり言って遅きに失した判断といわざるを得ません。それこそまだガソリン代がリッター130円くらいにまで下がっていれば現状維持でも国民はなぁなぁで納得したかもしれませんが、現在に至っても原油価格は上昇する可能性を孕んだままで、特に運輸業者は倒産ぎりぎりまで追い込まれ、一般消費者に至っても各商品の値上がりを受けてこの問題に対して注目をはずしませんでした。
 それこそ、日銀総裁問題でガタガタしている暇があったら、こちらの一般財源化の約束をせめて三月上旬にまで行っていれば、民主党が協議に応じなくとも専門家や解説家などから逆批判が起こり、自民党側に風が吹いた可能性もあったと思うのですが、なにも期限切れまで一週間切ってからこうして動くなんて、昔好きだっただけに福田首相にはつくづく残念な思いがします。まるで初恋のあの人に振られるみたいだ……。

 もっとも、この段階になって福田首相が動いたには各所からも言われているように理由はあると思います。一つは間違いなく支持率の低下です。最終的には協議の応じようとしない民主党へ逆批判が起こるとにらんでいたのが全然逆の結果になり、焦りを覚えたという、以前にも紹介した理由ですがこれは間違いない事実でしょう。現在のまま支持率が低下し続ければ、選挙さえしなければ議席は減ることはないにしても、かつての森喜郎元首相のように自民党内部から福田降しが起こりかねないところまで来てしまいます。
 もう一つの理由が、最後まで古賀誠を筆頭とする自民党の道路族議員を説得できなかったという話です。福田首相自体は支持率低下を防ぐために一般財源化を考え始めたにもかかわらず、道路族議員がそれなら降ろすぞと言わんばかりに圧迫をかけて、それでなかなか言い出せなかったという話がちらほらされています。これも信憑性のある話で、私が思うに今月中旬の政治家のパーティーにて小泉元首相が、「首相が一声挙げれば党はそれに従わざるを得なくなる。一般財源化すべきだ」と発言したのは、福田首相へのメッセージだったのかと思います。実際に今日このように動いたことを考えると、背に腹はかえられなかったということですかね。

 最後に私の考えを披露すると、やはり現段階で税金を廃止していきなりガソリン代25円値下げをすれば、各所で大混乱になると思います。実際にガソリンスタンドは値段の高い状態で仕入れたにもかかわらず、四月一日からは値下げしないと競争に負けるとして戦々恐々し、自動車の所有者達も、値下げを待っているのかこのところガソリンを入れるのをわざと控え、運送会社に至っては今週中は仕事をしないで値下げをひたすら待つというところまで出ているそうです。
 ですから、多少問題はあるとしてもいきなり廃止するべきではなく、税率を維持したままでできれば今年度中から一般財源化、もしくは目的外に金を使った官僚への厳正な処分と引き換えに福田首相案の来年度からの一般財源化が望ましいと思います。その上で、この異常な原油高に配慮してこの税率を徐々に下げていくのも一考の価値があるでしょう。たとえば、来年度から一般財源化する際に現率25円を20円にするとか、徐々に下げていくことにより社会への混乱を防ぐ方法もあるので、そういった案を民主党が提案すれば、それなりに有用な協議になると私は思います。

 にしても、桑田が引退か……。ちょうど去年、かなり身の回りの状況が悪かっただけに、彼のメジャー昇格がすごい励みになったので、さびしい限りです。しかしコーチなどが向いてそうなので、これからはそちらの方面でがんばってほしいですね。

北陸旅行記

 ここ数日更新があきましたが、実はちょっと時間もあったので、前から行こうと思っていた北陸に昨日まで行っていました。

 最初の行き先は金沢で、東京から4400円で高速バスを使っていきました。金沢は両親が昔に住んでいたことがある場所で、北陸の観光地としても有名なことから前から行こうと思っていたのがようやく実現しました。
 で、その中身ですが、まず朝早くにレンタサイクルを借りて金沢中を観光しました。金沢自体は小さい街なので、郊外に行かなければ意外とこれで十分見て回れました。ただ、借りたレンタサイクルがえらくぼろぼろで、ブレーキパッドも完全に磨耗しておりガクンガクンと停止するので、ちょっと難儀でしたね。
 一番面白かったのは妙立寺という、通称忍者寺というところで、加賀藩のいざというときので白として作られたため、寺中に仕掛けがたくさん施してある建物で、それこそ案内なしに入ったらいきなり落とし穴にはまってしまいそうな面白い所でした。

 そんな金沢は半日である程度堪能したので、この次は富山へと電車で向かい、そこで富山城跡を見学し(佐々成正の説明があってよかった)、夕方には今度は新潟行きの高速バスを拾い、新潟までの途中にある、燕三条駅で降りました。このバスの料金は4500円なり……。
 そこのビジネスホテルで一泊し、その次の朝には電車で今回のメインターゲットにしていた長岡へと向かいました。この長岡は河合継之助や山本五十六の出身地ということもあり、前々から興味を持っていて望んだ場所でしたが、先に結論を言うと、町全体の区割りが非常によく出来た街で、また市民団体と行政による連携がある程度なされており、町全体をパッケージとしてよくまとめられたところでした。特に感心したのは、一筆書きのように長岡駅から主要な観光地(山本五十六記念館など)を回るルートが作られており、同時に商店街などもさりげなく通るように工夫されてました。ちょっとシャッター街っぽかったけど。

 以前に「国家の品格」で有名な藤原正彦氏が、「天才が生まれる場所には法則がある。それは自然にあふれ美しい景観が必要なのだ」と、出身人物には地域性が現れるようなことを言っていましたが、確かに何かしら面白い人材が生まれそうな場所だと、この長岡に関して私も思いました。あ、河合継之助の墓はうわさ通り、ぼろぼろでしたよ。あと観光案内所で一緒になったおっさんが案内書の人に、「来年の大河が直江兼次に決まって、忙しいんじゃないか」といったので、「っても、主演が妻夫木ですからどうですかね」と私が返したところ、「いや、謙信は美少年好みだったからいいんじゃないの」と返された。やるなぁおっさん。

 その後、昼過ぎに長岡を出て、ゆっくり鈍行列車を使って東京に帰ってきました。新幹線なら一時間半くらいのところを六時間もかかったよ、しかも料金も4500円くらい。最初のバス代は安かったなぁ。

2008年3月23日日曜日

広告の価値とは

 まず最初にお詫びです。作るといっていたホームページはまだ出来ていません。なんせ初めて作るし、それ以上に「三山木会」で具体的に何をするかを決めていないというのも、ホームページの方向性が定まらない原因かもしれない。

 そんな前置きをしておいて、今日のネタです。その名もずばり広告の価値です。
 実は今日テレビを見ていたら、現在公開中の映画「ライラの冒険」のテレビコマーシャルがありました。内容は多分言えばわかると思いますが、例の映画館から出てくる人のインタビューをして、「面白かったです」とか、「ちょーわくわくしたっ」と観客が感想を言うのを写したCMでした。この手の話題は以前からある友人と何度もやっているのですが、正直言ってこの手のCMを見るたびに、余計にその映画を見たくなくなることの方が多い気がします。
 しかしこれはあくまで私個人の感情だと思っていたら、もう結構前ですが確か七年位前の調査で実際に街を歩いている人に聞いてみると、私と同じように見たくなくなると答える人が多かったらしいです。にもかかわらず、この「ライラの冒険」に限らず映画内容より観客を写すCMが未だに続けられるのは何故なのでしょうか。

 一つの理由が、広告効果がはっきりしないということです。たとえば、なにも広告するまでもなくその映画が非常に優れた作品だった場合、口コミでその内容が広まり、実際のCMなどがクソであったとして売れてしまいます。その場合CMで逆効果を生んだとしてもセールス的には大成功になってしまうので、そのCMが失った観客数は結局わからずじまいです。
 同様に、複数の広告を利用した場合もあります。たとえばCMが逆効果を生んだとしても、その他の評論などでそれを穴埋めする効果が生まれ、結果的には作品が売れる。これでも、たとえ駄目なCMだったとしても誤解を生む原因になります。

 実際にテレビコマーシャルが完璧な逆効果を生んでしまった例として、テレビゲームの「ワンダープロジェクトJ2」の例があります。このゲームのCM内容はなんと、プレイヤーの俳優が画面の上のヒロインにキスをしようとする、いわゆる「ギャルゲー」を連想させる内容だったらしく、実際のゲーム内容は高く評価されているにもかかわらずそのCMにドン引きした人が多かったのか、売り上げ面で非常に低迷してしまったらしいです。

 とこのように、広告はただ商品を広める一方で、逆にその作品に対して嫌悪感を生むといった逆効果も作る可能性があることについて語ってきました。最近では失言騒動を起こした幸田クミ関連でCMの自粛騒動が生まれましたが、ここで一つ槍玉に挙げてみたい、というよりも現実にテレビ業界で起こっているCMの費用対効果及びテレビのスポンサー料についてさらに言及しておきます。久々に今日は長くなりそうだ。

 最近、テレビをよく見ていて気づく人は気づいたかもしれませんが、以前はCMの花であったお菓子業界のCMが一時期と比べ随分減っています。これは実際に広告会社に勤務している人間から聞いた話ですが、以前と比べてテレビでCMを打っても売り上げ上昇につながることが少なくなったらしく、テレビ局側に支払う広告料に見合わなくなったとお菓子会社が見切りをつけたことが原因らしいです。
 この動きはなにもお菓子会社だけに限定されるわけでなく、各企業で同様の見解がもたれているらしいです。この動きに拍車をかけたのは言うまでもなくインターネットで、昔と比べて電話番号やら料金説明をいちいちCMの短い時間で目いっぱいやるまでもなく、ホームページを持つことで十分に代替出来るようになったのが、このような変化を生んだといわれています。

 そしてこれは確か2005年の12月にどっかのブログで書かかれていた内容なのですが、そこではもっと極論を言って「テレビコマーシャルはもう何も効果を生まない」とまで言っていました。その人の根拠はこうで、当時松下のガスファンヒーターのガス漏れ問題が起こり、松下側が年末商戦を控えた時期に回収を行う旨だけをCMで延々と訴えて他の商品の紹介などは全くしていなかったのに、松下製の他の家電売り上げが上昇したからだと言っていました。また、実際にそのブログの作者自体も、テレビCMを見て買い換える車を選ぶことはないとして、実際にはカタログやらディーラーに行って買うのだから、やっぱりCMはいらないんだと言ってました。まぁ案の定というか、コメント欄はこれらの内容に対して批判するものが多かったです。

 すこしCMの専門的な話をすると、CMには大別して二種類あり、商品を視聴者に告知するアピールCMと、その商品もしくは販売製作している企業のイメージをよくするイメージCMの二つに分けられます。それぞれ例を出すと、お菓子会社とか旅行会社がしているのはアピールCMで、先ほどの松下の例などはイメージCMに当たります。もちろん、中には両方を兼ね備えているのも少なくありません。
 そういう目で見たら先ほどの松下のCMの場合、会社のイメージアップが商品売り上げに影響したので実際には広告効果があったと言えます。ほんと、あのブログの人は広告の基本すら知らなかったんだろうな。

 しかしそのブログの作者を弁護するなら、テレビコマーシャルは費用対効果で見たら薄いという点を考慮すると、やはり一部の商品についてはCMの価値はないと私も思います。私もこの辺りは詳しくはありませんが、一回15秒のCMを番組の間に挟むのにそれこそ一回数百万単位、場合によれば数千万単位のお金が必要になります。果たしてそんだけ払っていて実際に数千万円以上に商品の売り上げが増加するかといったら、いまどきのひねくれた世の中じゃちょっと期待できません。そういう風に思い切っちゃう企業が増えた結果、スポンサー企業はこのところ減少の一方で、その分の穴埋めをちょっと前は消費者金融、最近はパチンコ屋がやっているのが現在の構図です。

 ではなぜこのような費用対効果が薄くなってしまったのでしょうか。もちろん先ほどに挙げたインターネットの普及が最大の原因ですが、もう一つの大きな原因といわれているのが、テレビ局側の価格設定にあると私は考えています。それこそ昔ならともかく、テレビ局は未だにCMの広告効果は大きいと主張し、なんでもスポンサー企業相手に高い価格設定で迫ってくるといううわさを聞いたことがあります。しかしスポンサー側も馬鹿じゃないので段々とテレビ局から離れていき、かといって振り上げた拳を下げきれず、テレビ局側は未だに高い広告料を設定しているという話らしいです。それこそ、国からの保護がなければ民法はとっくに潰れているという、先ほどの広告会社の人の分析です。

 ではテレビ局の経営は未だに安定しているのでしょうか。どうも遠くから見ていると、私はそうは見えません。これからデジタル放送にするための設備投資に資金がなお必要ですし、それによる多チャンネル化でただでさえネットの影響で下がっている視聴率はさらに下がります。そしてその高いプライドをかげながら支えてきた消費者金融はグレーゾーン金利廃止でゴールデンから撤退し、パチンコ屋の天下もいつまで続くことから。
 今本当にテレビ局がなすべきことは経営のスリム化だと思い、今日の投稿は終わりです。あぁ、本当に長かった。

2008年3月21日金曜日

走れ、たいやきくん

 この前ぼーっとしていたら、なぜだかこんな文章が浮かんできた。

 たいやきくんは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の店のおじさんを除かなければならぬと決意した。
 たいやきくんには経営がわからぬ。たいやきくんは、純朴な屋台菓子である。あんこを食べ、鉄板の上で焼かれて暮して来た。けれども嫌になっちゃうことに対しては、人一倍に敏感であった。

 なんか、疲れているのだろうか。

2008年3月19日水曜日

99年の社会

 昨晩、前から読み返そうと思っていた公民の資料集を読み返しました。この資料集は1999年に発行されたもので、なにげにこういった時勢を読むのに非常に適した資料でもあることから、かねてより保存していました。

 まず一読してみて目に付いたのは、この時期すでにトヨタのプリウスについて記述がありました。このプリウスはハイブリッドエンジンの実現により、他の車と比べて劇的に燃費効率を向上させた車ですが、このプリウスを環境問題と絡めてすでに言及していたのがなかなかに印象的でした。ちなみに、プリウスの発売当初のキャッチフレーズは、「20世紀に間に合いました」ですが、個人的には「ハイブリッド車が量産の暁には、米ビッグスリーなど一瞬で叩きのめしてくれるわ!」と、ドズル閣下ばりの勇ましさがほしかったです。
 資料集全体で見ると、なんかやたらと人権に関する記述が多かったのも目に付きました。まぁそういうところが出しているのかもしれませんが、「部落出身だということで内定を反故にされた」とか、成田闘争について書かれているとか、全体的に左傾な記述が多いです。といっても、問題があるほどでもないですが。
 また日本の問題点として、低い投票率や過労死なども取り上げており、なかなか当時の社会問題がうかがえます。
 逆に、今じゃ全く評価が変わってしまった記述で、わざわざ元社長の藤田田のインタビューをのっけて、マクドナルドのハンバーガー半額キャンペーンも取り上げていました。この時、マクドナルドが全盛期だったからなぁ。

 総括として、まぁ生徒向けに簡単に作っているというのもあるでしょうが、当時問題だとされた部分は、案外今になってもかわらず問題であり続けているような気がします。十年近くも問題を何も解決してこなかったということなのでしょうかね。

2008年3月18日火曜日

チベット暴動事件の報道について

 今盛んに取り上げられているチベットの暴動事件ですが、事件本体については今だ情報不足の勘が否めないので取り扱いません。もう少し報道の様子を見るべきでしょう。

 その報道のされようですが、当初ダライ・ラマ14世の声明が日曜日に至るまでなかなかでなくてやきもきしてましたが、最後には出てきてほっとしました。その日曜日の新聞ですが、これが結構面白く、新聞によって差がありました。
 まず読売新聞、ここは一面にでかでかと写真つきで報道。事実、今回の事件は五輪前を控えた中国における人権問題に関わる事件なので、これくらいの扱いが必要でしょう。それに対して朝日新聞、一面は一面だが、センターをはずしてちょっと端の方で並に報道。一番でかく、真ん中に持ってきた記事はどうでもよさそうな社内調査の結果だった。調査内容は各自治体の温暖化に対する姿勢調査だったが、はっきり言ってこんなのいつでも出せるじゃん……。普段は人権人権ってうるさいくせに、中国にはやけにやさしいよね朝日って。

 さらに書くと、確か先週の水曜日だったと思いますが、これまで人権侵害国と名指して批判してきた米国がその日になって中国を侵害国リストからはずしてました。その背景には五輪前に刺激しないようにという配慮があったようですが、なんか見事に裏目に出た気がします。ちょっとアメリカさんはが可哀想です。

 ついでに書くと、もうロンドンでは市民団体が中国大使館前でシュプレヒコールをしていたそうです。この問題に限らず、日本人ももっと行動力があってもいいような気がする。

プロ野球ストライキ事件の価値は

 一応、今は各労働者団体が行う春闘の真っ最中のはずです。しかしこのところは経営者側の力が強くて、これらの春闘も形式的な意味合いの方が強いような気がします。それに続いて、このところはストライキもめったに行われなくなりました。
 そのストライキ自体についても語ることは山ほどあるのですが、今日はちょっと思い出したのもあり、2004年に起こったプロ野球ストライキ事件について解説します。

 2004年、当時近鉄とオリックスの合併問題が巻き起こり、それに乗じて一リーグ制への移行やらライブドアの球団買収名乗り上げ、ついでに西部とダイエーも合併するとか、果てには現楽天の一場選手の不正スカウト問題と、この年は野球界の問題が一挙に噴出した年でした。
 そんなあれこれ問題を抱える中、合併問題にオーナー側の横暴がひどすぎると、当時の選手会会長であった古田前ヤクルト監督が試合のストライキを決断し、結果的にその行われた一日は試合がなくなりました。

 このストライキ問題、各所であれこれ議論を呼びましたが、私の結論から言うと非常に価値のあったストライキだったと思います。その理由も、まず選手会側の主張どおりチームのオーナー達は当時の近鉄の後処理についてライブドア側の声明は完全に無視、一リーグ制へ無理やり舵を取ろうなどと、選手達の意見は全く無視して突っ走っていました。さらにスカウト問題なども引き起こし、結果的には金のあるチームが得するようなドラフト制度に変えていこうなどと、消される側の近鉄球団の選手達から見たら非常に横暴な態度だったように思えます。
 それがストライキを起こすことによってひとまず話し合いの場が作られ、そしてドラフト制度改革、二リーグ制の維持、、セパ交流戦の開幕、果てには楽天新球団の参加と、最終的になかなかいいところへと双方、話が落ちた結果だと思います。

 特に一リーグ制へ移行しなかったのが非常によかったと私は考えています。当時オーナー達は、観客の少ないパリーグの球団を一リーグにして救ってやるんだというのを金科玉条のように唱えていましたが、この年から導入されたプレーオフ制度、そして新庄選手の日ハム入団などと、この年からパリーグのチームも非常に注目されるようになって行きました。特に日ハムは2004年に札幌ドームに本拠地を構えてから毎年経営黒字を出し、同様に仙台で産声を上げた楽天球団も毎年利益を出していると聞いています。皮肉なことに、本来救ってやるはずだったセリーグの球団の方は視聴率低迷にあげき、経営が前以上に苦しくなったところが増えているらしいです。実際、私もこのところはパリーグの試合結果の方が気になるようになったし。

 しかし後から思い返してみると、当時のニュース報道はやはりオーナー側に偏った報道だった気がします。テレビ番組などは球場近くのコンビニを取材し、弁当の売り上げが落ちるといった店長のため息を流し、どちらかというと選手側を暗に批判しているような報道でした。私が見る限り、選手側のほうが正当性もあり、理屈も通ることから本来マスメディアの人間は中立をとるだけでなく、もっと選手達を応援してあげるべきだったと思います。まぁTBSは無理なのはわかってるから無理強いする気はないけど。日テレはどうだろうかなぁ、ここも無理かな。

 それにしても今じゃスター選手はみんなパリーグのチームにいる気がします。ダルビッシュに涌井、成瀬、億の置物の清原と、さらには注目ルーキーの中田翔。本気で、セリーグのチームは大丈夫だろうか。

三月政局について

 またえらく更新が滞った。昨日は所用で横浜まで行って、帰ってきたのは十時半だったし。

 それはともかく三月末の政局についてです。はっきり言って、現在の状況は予想外でした。というのも、今年の三月末にはガソリン税を初めとした特別税問題が山場を迎えるかと思っていたら、思いもよらぬところから日銀総裁人事問題がこじれにこじれ、現在に至っています。

 恐らく、このまま行けば明日で任期切れになる現日銀福井総裁がいなくなり、ひとまず代役を立てることになりますが、そうなってしまえば妥協する点がなくなるために、民主党はさらに強硬になるかと思います。一説によると、現在のような状況に入ってしまったのは、この総裁人事くらいはすぐ決まるだろうと鷹をクックっていた福田首相の判断違いによって、人気ぎりぎりになって問題が浮上したといわれていますが、私もこの説を支持します。どうも、昔の官房長官時代と比べて、政局を読む勘が鈍くなっているようです。このままだと、本気でガソリン税も片付ける時間がなくなり、四月に入ってガソリンが急に安くなり、福田首相の責任論が浮上してきて、民主の思惑通りに四月選挙に至るかもしれません。

 それともしかしたら明日辺り、自民党の議員が民主党がごねることに対して、
「日銀総裁が決まらないという状況が世界のトレーダーを失望させ、株価を下げさせている原因になっている」
 とでも言うかもしれませんが、そう言った議員は無能と見てよいでしょう。今の株価下落の原因はすべてアメリカのせいなんですから。
 ついでに書いておくと、前FRB長官のグリーンスパンが今回の株価下落について、戦後最大の恐慌になるとか言ってましたが、私自身そうなる可能性が高いと現在見ています。その理由は言うまでもなく……言うまでもないことなので、省略します。

2008年3月14日金曜日

裁判の可視化について

 私はこれまで、今度から日本の裁判でも施行される陪審員制度にあまり期待はしていませんでした。しかしふたを開けてみると、ただ難解なだけで専門家だけの言葉のようであった司法用語を簡単なものへと改めたりするなど、なかなか問題をはらんでいる日本の裁判にとっていい改善へのきっかけとなっています。

 その一方で、今回のお題の裁判の可視化については未だ本格的に議論されていないようです。もっともこの可視化は、捜査段階の警察による取調べについてはなかなか議論されていますが、この前警察が取調べ時に被告が自白したほんの数分だけを録音して提出したら、案の定証拠として採用されませんでしたけど。
 この裁判の可視化、ついでに捜査段階の可視化ですが、欧米ではすでに当然のものとなっています。オーストラリアなんかは十年位前から取調べ時の録音をやっており、アメリカでは裁判はテレビカメラを入れて当然なくらいの雰囲気です。そりゃビデオテープが出始めた頃ならともかく、これだけ技術の進んだ現在においてまだやっていないというのは非常に遅れているとしか言いようがありません。

 この可視化、言い直すならば裁判においてカメラを入れない点について法務省は、被告のプライバシーなどとがたがた抜かしていますが、こんだけ法廷スケッチとともにマスコミで裁判の状況が報道されるのに、プライバシーもクソもないでしょう。それでもあえて言うならば、一部の国のように社会的に大きな影響を与えた事件、たとえばオウム事件や和歌山毒入りカレー事件など、このような事件に限ってテレビカメラを入れるとかいう手もあるはずです。もともと裁判は閉鎖性を伴うと一部に偏った判決になる恐れから、憲法の上でも原則公開するとしているにも関わらず、こうしてカメラを覆い隠すのは私個人でおかしいと思います。

 そしてカメラを入れるメリットも非常に捨て難いです。というのも、一度カメラなどで保存しておくことによって、時間を置いて再審などが行われる際、以前の供述から証言まできちんと残せるからです。これはむしろ取り調べの際のほうがメリットが大きいですが、これによって原告被告ともに供述の覆り等を正しく証明できるようになります。
 そういった意味で、なるべく早く日本も可視化、記録化をすべきだと私は思います。

2008年3月13日木曜日

単純に物事を考えることについて

 前回の投稿では社会保障について、やや単純に問題を追っていきました。この、「単純」という言葉ですが、どちらかというと悪い意味で使われることの方が多いと思います。かといって「複雑」という言葉も、どちらかというとマイナスな意味が付与されているような気がします。
 まぁ言ってしまえば両者は両者で如何に使い分けるかが重要ではあるのですが、政治の世界だとやはり複雑な言い回しの方がいいとされています。ですが小泉元首相のように、単純な言い回しをする政治家の方が人気は集まりやすいものです。

 いきなり結論ですが、私は基本的に物事は単純であれば越したことはない、単純であるほうが優勢だと考えています。というのも論文においても、複雑な論理であればある程その主張が発揮される場所が限定されるのに比べて、単純で簡潔な論文ほど応用範囲が広いことになります。かの有名な遺伝の法則をメンデルが科学アカデミーに報告した際、その紙量はほんの一、二枚だったといいます。実際に遺伝の法則は実に単純で、理解して見ればわかりやすい。それだけに法則は偉大だともいわれています。

 そして物事を行う際に計画を作るにしても、私なんかは結構手抜きしやすい性格なのもありますが、大まかな目標を作った上で始めてしまう事が多いです。というのも、理想の計画通りに現実がうまく行くことなんて百に一つもないと思っており、それよりその大きな目標に対して過程をどうやりくりするかに対して重要視しています。もっとも、まるきり計画性がないのはやっぱり問題ですが。

 政治の世界についても、私は同様の見識を持っています。かの日露戦争の勝利の立役者の児玉源太郎氏も、軍人としての経歴ばかりが注目されていますが戦後は議員にもなっており、本人は自分は政治家だと自認していたようですが、この人が言うに、
「政治というのは大鉈を振るうように行わねばならない。細々と対処していては何も問題は解決しない」
 と述べています。私もこの言葉に同感します。細かな軸はともかく、大きな観点で問題を見据えることがよい政治家の条件ではないかと考えています。言うなれば、物事を単純化して見る力があるかどうかです。

社会保障支出の今後の展望

 今年はとうとう2008年。私が中国に行ったのは2005年のことで、後3年後にここでオリンピックがあるんだなと思っていたら、とうとうその年になってしまいました。時間経つのが早いような。
 そんな2008年ですが、もう一つの意味合いで象徴的な年になりそうです。その意味と言うのも、最後の団塊世代退職年という意味です。
 団塊の世代の具体的な意味はここでは説明しませんが、その対象年とされているのは1946~48年の3年間に生まれた世代の事を指します。すでにこれまでの間に、こういった世代が一挙に定年を向かえることから新卒の就職状況は活発だなどといわれていますが、その最後の1948年生まれが定年に達するのが、今年ということになります。

 ここでもう一つのある概念と比べてみましょう。近年、年金不安とともに社会保障についての議論がかまびすしく行われています。国会の予算案についても、まぁ今年はガソリン税があるのであまり相手にされませんが、社会保障費と医療費をどうするかということが毎年の議論の的となっています。
 この社会保障、言うなれば老後の年金支出ですが、先ほどの団塊の世代を考慮に入れるとすれば、恐らく支出のひとまずのピークがくるのは今年から5年後、最後の団塊世代が年金受給資格を得る65歳になる年である2013年にくるということが予想されます。というのも、すでに日本の人口は漸減しており、これ以降は若年層も減っていくのですが同様に新たに老年層となる人口も減っていくので、収入面はともかくとして年金としての支出は恐らく5年、もしくは6年後くらいがピークを向かえるかと私は考えています。
 そしてそのピークを向かえた後はどうなるか。これまた単純な計算をすると、今の日本人の平均寿命は大体80歳くらいですから、そのまま80引く65をして15、つまりそれから15年後でひとまずの支出が極大化する過渡期が終わると考えられます。実際に西暦に直すと、それは2028年、つまり今から20年後です。

 またまた単純な結論に持ってくるとすれば、年金支出が膨大化するのは今から5年後、そしてそれが収まるのが今から20年後ということです。これを言い直すのならば、間の15年間が日本の財政を考える上で一つの過渡期となるという事です。この過渡期を乗り切ってしまえさえすれば、ここまで単純ではないにしろ、日本の少子高齢化問題のうちの高齢化問題はある程度片がつくと思います。
 そこで政策的にはどうするべきかというと、恒久的な年金、社会保障案はこの際考えない方がいいと思います。言ってしまえばこのいびつな年代に合わせて社会保障体制を作ってしまうと、その後は人口比などの面から必ず歪みが生じてきます。それならばいっそ、時限立法的にこの15年間をどう乗り切る、どう予算を集めるかというような方法を考える方がずっと建設的だと思います。それこそ、この15年間限定で今話題のガソリン税のような特定財源、特別税を作るのも一つの手でしょう。

 と、問題を単純化して社会保障に対する政策案をまとめて見ました。なかなかいい出来でしょ。

2008年3月12日水曜日

地球温暖化は本当なのか?

 本当は中部大学の武田邦彦氏の本を読んでからこの記事を書こうと思っていたんですが、どこの本屋に行ってもなかなか見つからないもんなので、しょうがないからもう記事を書くことにします(´Д`)ハァ

 この武田邦彦氏は関西に在住の方の方が知っている方も多いと思います。というのも、向こうの「たかじんのそこまで言って委員会」という番組にてゲストとして登場し、そのキャラクターぶりとあいまって、環境問題に対する彼独自の主張が非常に大きく取り上げられました。
 彼の主張を簡潔に言うと、まず現在環境問題がらみで言われていることはすべて嘘らしいです。何故そんな嘘がまかり通るのかと言うと、単純に言って先進国が新興国の急成長を阻むためやら、新たなビジネスチャンスにしようとしているからで、さらにはアル・ゴア氏の映画「不都合な真実」の最も不都合なのは、映画の内容のほとんどが真っ赤な嘘だということだそうです。

 この武田氏の主張には多かれ少なかれ私も同感する気持ちがあります。まず私が小学生の頃から、石油やレアメタルは後10年もすれば枯渇すると言われ続けてきました。ニカド電池を作るカドミウムはたしか95年くらいでなくなると言われていましたが、知ってます、ニカド電池は携帯用の充電池なんだって。
 こんな感じで危機感を煽るだけ煽っといて現実がまるで変化しなければそれは疑問に思います。それにこのまま温暖化が進むと世界中で大変になるといいますが、それ以上に人口が増えることの方が大変だと思うのに、そっちの方は完全にスルーです。

 そして環境問題の本丸ともいうべき地球の平均気温の上昇ですが、これは以前からその科学的裏付けには乏しいといわれていました。冷静に考えて見ると、同条件で普通の空気だけを充填した空間と、二酸化炭素を普通の空気以上に濃くした空間にてそれぞれの気温の上昇率を測ってみればそれなりに説得力のある温暖化の検証が取れそうな気がするのですが、私は未だかつてこのような実験を見たことがありません。
 そんなことを言うと、二酸化炭素を排出する車がビュンビュン走る道路近くの方が暑い気がするとか言われそうですが、それはむしろコンクリートの照り返しとか、ガソリン燃やした車の排熱とかの原因のが強いのであまり当てになりません。
 ほかにも、このところの夏は最高気温が記録を塗り替えているという意見もありますが、知ってましたか、ここ数年で気温観測所とかが結構移動しているのを。確か名古屋は観測所を動かしたらその年から記録更新のオンパレードになったそうです。また都市部では、先ほどの車や温まった空気が抜けないヒートアイランド現象の方が実際には強い気がします。

 もうこれだけでも十分怪しいのですが、私がこの地球温暖化説を否定する際に最も使う根拠というのが、大塩平八郎の乱です。この乱の当時は1837年ですが、当時の記録によるとこの乱の当時、大坂を流れる川は凍結していたらしいです。もちろん今の大阪では過去十数年位で冬に川が凍結した例など一例もありません。川が凍結するということは日中の気温でも零下を大体下回らなければならず、恐らく現在の北京くらい(向こうでも冬は川が凍結する)の気候だったことが予想されます。

 たかだか170年くらい前と現在で、これほどまでに気候の違いがあるのです。それほどまでに地球規模の気温変動というのは大きな物で、ここ十数年くらいの変化など、どうと言うことはない。人為的な力でそこまで変化は及ぼせない、地球温暖化というのはほとんどが嘘だというのが私の持論です。

  追伸
 確か先週の朝日新聞の一面だったと思いますが、地方自治体で環境保全に従事しているというお墨付きであるヨーロッパの「ISO14001」をかつて取得したものの、次は更新しないという自治体が現れてきたそうです。その理由と言うのも、更新に際して非常にお金が掛かる(数百万単位)ことからだそうです。
 私自身、この「ISO14001」を取ること自体は決して悪くはないとは思うのですが、取得や更新に金が掛かること、取得したからといって環境保全に対して直接投資するわけでないことを考えると、この手の動きをむしろ歓迎します。しかし頭の固い連中や企業は物がわからないようで、噂によると松下、今度からはパナソニックですが、ここはこの「ISO14001」がなければ取引相手として選ばないとして、中小企業をいじめているとのことです。こんなものに金をかけるくらいなら、植林や間伐に使った方がずっといいのにね。

インテリジェンス交渉術の紹介

 まるで佐藤優のファンサイトかのように彼を扱うことの多いこのブログですが、おとといの三月十日はいわずと知れた文芸春秋の発売日で、私もその日に買ってのんびり読んで、今日読み終わりました。その文芸春秋誌上にて、佐藤優氏によるビジネスマン向け処世術「インテリジェンス交渉術」が現在連載中です。
 内容はビジネスマン向けに、外交交渉などで使われるテクニックや組織のあり方を紹介、説明するもので毎号楽しく私も読んでいますが、今日はその中でも以前に書かれたものをすこし紹介しようと思います。

 載っていたのは確か去年の秋頃だったと思います。扱ったテーマは2001年に起こった、松尾克俊氏による外務省内の外交機密費流用事件でした。
 この事件を説明する前にまず、佐藤優氏の外交機密費に対する考え方を私が捉えた範囲で説明します。まず佐藤氏は外交交渉において金という物はとにもかくにも掛かるものだと言っています。それこそ権力のある政治家に近づくためやらあれこれの下準備などで、表に出せない出費というものはやはり存在するようです。そして交渉がうまく進めばそれらの費用は効果的に評価されるのですが、逆にうまくいかなかった場合は無駄金となってしまいます。その失敗に終わった際、無駄な支出だったとしていちいち外務省員が非難されてしまえば、こうした交渉にリスクを負って取り組む人間はいなくなるとして、こうした予算が組まれる必要性はあると、確か主張していたと思います。

 ですが領収書の要らない予算ということで、その松尾克俊氏の事件のように実際の外交案件とは全く関係ない、マンションやら競走馬に途方もないお金を使われてしまったという事件が起こりました。実はこの事件を起こした松尾氏自体に佐藤氏も接触していました。
 佐藤氏がかつてある仕事をしていた際、松尾氏が佐藤氏の仕事振りを見てこの外交機密費から金一封を持たそうとしたそうです。それに対して佐藤氏は、
「いや、自分は別にお金に困っているわけじゃないので、それは受け取れない」
「気にしないでいい。第一、君は仕事がらみで自腹を切ることが多過ぎる。これくらいは受け取って当然だ」
 として、無理やりねじ込まされたらしいです。
 この佐藤氏の自腹を切る話ですが、この人はどうにも欲のない人らしく、本来外務省に請求すべき支出などに対しても大抵自分の金で払ってしまうことが多かったそうです。彼を接見した検事も、
「君を見ていて反面教師にしようと思う。あまりにも仕事熱心すぎる」
 とも言わせています。

 その後、流用疑惑でこの松尾氏が捕まった後、松尾氏を昔から知る人と佐藤氏が話をしたそうです(ちょっと記憶があいまいだなぁ)。その人によると、この松尾氏も昔は非常に仕事熱心な人だったらしく、仕事での支出を自分で負担することも珍しくなかったようです。佐藤氏の分析によると、松尾氏は外務省という組織のために自分はこれまで散々お金を使ってきたのだから、逆に組織の金を少しくらい使ってもいいと考えるようになったのではないかと推量しています。

 こうして話をまとめた上で佐藤氏は、自分もそのように国益にかなうことを理由として組織のために自己のお金を使ってきたことを反省し、ビジネスマン一同に向けて組織と自分のお金を分けろ、つまり公私をはっきり分けろと主張していました。さもなければ組織と自分の境目がはっきりしなくなり、結果的に双方にいい結果を残さないと断言しています。

 この回の内容が最も面白かったので覚えていましたが、それ以外にも毎号面白いことが書かれているので、興味を持った方はぜひ自分の手で読んで見ることをおすすめします。

三月国会について

 昨日フジテレビ系列にて確認した情報ですが、自民党内で小泉、古賀、武部などと実力者がまた料亭にて会い、なんでも今年中の解散は見送るということを決意し合ったそうです。確かにこの状況下で解散なんて不利になることこの上もないので、賢明な判断と言えます。民主党も、どうも自民党を攻めきれないという、決め手にかけることから恐らくそのようになるでしょう。なにかしらまた、大きなスキャンダルでも出ない限りは。

2008年3月11日火曜日

続アニメ、漫画のブームについて

 前回では日本のアニメ、漫画ブームの世界への広がり方について説明し、その上でこの文化を正当な文化、つまりメインカルチャーとしてみることに反対する主張を行いました。今日はその辺の理由を説明します。

 まず、前回にも書いたようにメインカルチャーとなると避けては通れないのが表現の規制です。メインカルチャーの役割はというと公での生き方、考え方を提示、作ることで、どちらかというと高尚な文化を担当することになります。そのために反社会的な表現などはもってのほかですし、実際によくない影響を与えてしまいかねません。
 それに対してサブカルチャーの役割というのは、メインで拾えない部分を拾ったり、もしくはその反面教師的なドロドロとした影の部分をグロテスクに描くことが主眼となってきます。また、そうした表現を持って、いわゆる社会の不満などの捌け口ともするのが主たる役割だと考えています。

 そこで現況を見ましょう。現在の日本では小説類はすでにメインカルチャーの部類に入ってきていると思います。確かにまだまだサブカルチャー的な小説、言うなればジュニア向け小説やハードボイルド小説などはありますが、それでも公で堂々と読んだりできます。これに対して漫画、そしてアニメはまだ合コンとかで、「漫画を読むのが大好きです」というとドン引きされるほどで、サブカルチャー的な色彩が強いような気がします。
 ところがサブに属すにもかかわらず、このところ子供への暴力的影響などから表現の規制が強まってきています。一例を出すと先週のジャンプに載った「銀魂」という漫画でタバコを吸っているキャラが漫画の中で、アニメ版の自分の喫煙シーンについて、「アニメ版だと煙が描かれず、俺はチョコでもくわえているのか」と、セルフパロディをかましていました。このように反社会的なシーンなどの規制がこのところ非常に強くなってきています。

 一社会学士の目から見ると、反社会的な風潮が強まるのは確かによくはないのですが、そのはけ口とも言うべき場所を残すということは社会の安定にとって非常に重要だと考えています。しかし最近では、反権力の象徴でもあったロックミュージックも売れることが主眼になってきていると昔かたぎのロック親父がテレビで嘆いていましたが、私はそのはけ口とも言うべき役割をこれからも漫画やアニメに担っていってもらいたいと考えています。

 そのために、私は漫画やアニメを人目に隠れて読むべきだと思います。公に出てしまうと表現の規制からは逃れられなくなり、その価値は半減化してしまいます。あくまでサブカルチャーのままで、この文化は発展させていくべきではないでしょうか。

2008年3月10日月曜日

アニメ、漫画のブームについて

 近年、日本のアニメや漫画が世界中でブームを起こしています。実際に私も留学先で各国の人間らと詳しく話をしましたが、なかなか普通の日本人も手を出さないような細かな作品などにも触れており、その噂には間違いはないようです。
 この、日本のアニメブームについて私が初めて情報に触れたのは確か、94年か95年位に、今もやっている「世界まるみえテレビ」にて、アメリカにて日本のヒーロー戦隊の特撮番組(現地ではパワーレンジャー)やアニメの「マッハGOGO」が受けているというニュースでしたが、その後も順調に人気は続いていったようですね。

 ただ各国の状況を見ていると、いくつか違いがあるのではないかと少し感じています。まずドイツやフランスですが、この二カ国については相当なレベルまで日本のアニメ文化が根付いています。実際に両国の友人に私自身が話を聞きましたし、確か98年位にうちにやってきたドイツ人留学生も「カードキャプターさくら」にはまっていました。ですがこれがイギリスになるとちょっと話が違うのかもしれません。
 私は2004年にイギリスのロンドンに一ヶ月ほど滞在しましたが、その際に大規模のビデオショップなども細かく見ましたが、どうも噂されているほど日本のアニメビデオは見当たりませんでした。どうも先ほどの二カ国とは差がある気がします。
 そしてお隣の中国ですが、ここはなにせ人が多いもんだからはまる人ははまって、はまらない人は全くはまってないような気がします。それでも人数が多いもんだからはまる人の集まりもあっちこっちで作られ、ニュースなどは中国でもアニメブームが広がっているというような特集が組みやすいのではないかと思います。なお、恐らく連中が手に取るのはほとんどが海賊版です。

 そんなんでもはや日本のアニメや漫画はオタク文化、サブカルチャーではなく、ポップカルチャーだという声も最近ちらほら聞こえるようになりました。時も時で麻生太郎自民党議員が漫画通だということで人気を浴び、アニメファンを日陰者的なオタクの扱いをするようなマスコミに対して、中には逆批判するような勢いすら感じることがあります。
 しかし、ここで敢えて私は主張しますが、やはり漫画やアニメは人目に隠れて接するべきだと思います。
 そもそも歴史を紐解けば、現在のメインカルチャーである小説などの文芸は、明治の頃には卑しいものとして扱われ、二葉亭四迷などは小説家になると親に言ったらめちゃくちゃ怒られたというほどでした。言うまでもなくこれは現在のアニメの状況に似ているののですが、メインカルチャーになるとある種のデメリットが付きまとってしまいます。そのデメリットというのも、表現の規制です。

 長くなってきたので、続きはまた今度。

2008年3月9日日曜日

またパワプロの話

 またパワプロです。最近やっているのはマイライフという一人のプロ選手となって遊ぶモードですが、今私は投手でプレイしています。
 で、その投手ですが、これまで難しい難易度だとやけに打ち込まれるので低く設定して遊んでおり、そこそこ楽しんでいるのですが、何故だか知りませんがやはり対戦打者によって得意不得意が自然に出てきました。まず不得意としている打者ですが、これは松中と阿部です。特に巨人の阿部には正直、打たれてもしょうがないなとあきらめがちにボールを放ることが多いです。その逆に、得意としているのは小久保、福留です。特に福留に関しては打たれる気が全くせず、目下の対戦成績でも八割方三振を奪っています。別に福留選手が嫌いなわけでもないですが(中日は全球団中、最も嫌いだが)、なんでこんなに相性がいいのか不思議に思います。

 ちなみに、在籍球団は広島です。万年Bクラスでもがんばってやっています。

日本語の訓読みと音読みについて

 前回からの続きです。さて前回では日本語も時間とともに結構換わると書きましたが、その変化の最たる一つとして音読みから訓読みへの変化があります。

 たとえばこの前少し話題になったので、「豚汁」の読み方を「ぶたじる」と読むか「とんじる」で読むかがニュースになりました。私は後者の「とんじる」派ですが、私の意見を言うとどっちの読み方でも正直いいと思います。少なくともどちらもどんなものを指す言葉であるかは容易に想像できますし、それをわざわざ統一する必要はないと思います。

 しかし、なんというかこのところはこういったあいまいな使用法を統一すべきだという声をよく聞きます。たとえば英語の「team」ですが、私なんかは「チーム」と普通に日本語の中で読みますが、最近ではなんかスクラムが組まれたのか、テレビなどのニュースでこの単語を読む際は「ティーム」というような感じで読まれるようになりました。はっきり言って、「ティーム」だとキーボードで打ちづらいからやめてほしいです。
 同様に、地名などもここ最近で読み方を現地読みにすべきだとして大幅な変更が行われ始めています。これも例を挙げると、「高句麗」をこれまで「こうくり」と教科書で読みを教えていたのが「コグリョ」と、韓国語の発音に即した読みに一部の教科書で変更がなされています。
 すでに外務省のビザ関連の紹介ホームページで、一部の国名を現地読みに変更したところ、わかりづらくなったと弊害が報告されています。それに、私の専門としている中国語なんか、これやったらえらいことになると思います。

 たとえば「西安」は現地中国語に即した「シーアン」という発音がすでにかなりの部分まで浸透しているのでこのままでもいいと思いますが、「北京」なんか中国読みだと「ペイチン」です。知らない人も多いと思いますが、「ペキン」という読み方は実は英語読みです。同様に、「南京」も中国語だと「ナンチン」です。現地読みしても英語読みにしても日本語読みにしても、どれをとっても決め手にかける地名な気がします。

 このような決めづらい言葉などはひとまずは両論併記みたいにしていて、徐々にイニシアチブを握っていった方をそれぞれ使っていくのがいいと思います。それを無理矢理短期間に統一しようとするのは間違いではないでしょうか。

2008年3月8日土曜日

伊達の読みとは是如何に?

 歴史関係の記事が少ないので補給します。
 さて皆さん、伊達政宗はご存知でしょうか。言わずと知れた東北の戦国大名で、ゲームの信長の野望は判官贔屓とばかりに能力値が高めに設定されています。その伊達氏でありますが、この「伊達」という漢字、なんて読んでいますか? 恐らく「だて」と読む方がほとんどと思いますが、どうもこの政宗がいた時代にはなんと、「いだて」と読まれていたそうです。

 これは通説なのかなと私も思っていましたが、ネットで調べてみるとなんと政宗がローマ法王に遣った支倉常長が法王に渡した政宗直筆の書簡にも、「Idate Masamune」と書かれていたそうで、どうやらこっちの方がマジらしいです。「だて」という読み方はなんでも、近畿地方から広まって江戸時代に徐々に「いだて」と混在し、現在ではこの「だて」のが主流になったというのが真相だそうです。確か「伊達男」という言葉が流行だしたのも、江戸時代頃だった気がします。

 それにしても不思議なものです。本来備わっていた読み方が時代を経ることによって変わってしまうという、漢字ならではなの変化です。実はこの音の変化は東洋言語学を探る上で大きな障害になっています。西洋の言語はアルファベットを用いているので、そのつづりの変遷を辿る事によって各時代の音や言葉の変遷が辿れるのですが、中国語や日本語では使っている漢字が同じなため、読み方が変わっても全くわからないそうです。それでも辿る方法があるのか、以前の教わった中国語の先生は李白の時代に彼らの詩はどういう風に読まれていたか、唐時代の発音を研究していました。

 このような音の変化はなにも昔だけでなく、現在においても進んでいるといわれています。たとえば最も顕著なのは中国語です。向こうではこれまで各地方でそれぞれの方言でもって、それぞれの子女達に言葉を教えていたのですが、1958年に中国政府がそれぞれの漢字の正しい読み方として「拼音(ピンイン)」を作って言語の統一化を図ったために、年代によって地方では言語の隔絶があるそうです。実際に私も若い中国人となら中国語で討論もできますが、年配の中国人となるとそれも難しくなります。

 日本語も同様で、たとえば「彼氏」という言葉もアクセントのポイントがここ十数年で変化しているそうです。と、ちょっと夕食の準備が出来たので続きはまた今度。

2008年3月7日金曜日

刑事裁判について

 本当は昨日くらいに書くべきだったのでしょうが、敢えてタイムラグを置いて忘れた頃に記憶を引っ張り出させる手法で今日の記事です。その内容は、おとといあたりに出た、兄の放火殺害容疑でつかまった女性が無罪になったというニュースです。

 すでにこのブログ内で何度も書いていますが、目下の現在、日本国において最も改革を必要としている分野は裁判制度だと思います。今回の事件といい去年に判決が出た鹿児島県志布志市、富山県の冤罪事件といい、日本の刑事裁判制度及び、警察の捜査手法は以前より問題があると指摘されています。かつての明治時代、日本では裁判制度や刑罰制度が遅れているという理由で、欧米各国は自国の犯罪者に対して治外法権を認めさせていますが、今なら連中がそんなことやったのを理解できそうなくらいに、このところ一連の事件はあきれさせるような捜査、裁判ばかりです。

 折り良くも先週の土曜日には痴漢冤罪を題に取った「それでもぼくはやってない」がテレビにて放映され、この映画自体は公開していた時に見ていたのですが、改めて日本の裁判制度の欠陥を思い知らされた作品でした。
 そもそも、日本の刑事裁判は有罪ありきですべて進められるといいます。実際にこっちも何度も出てくる佐藤優氏は日本の司法制度を、「かつての旧ソ連ですらなしえなかった、有罪率九割以上という非常に優秀な結果を日本の刑事裁判は叩き出している」と皮肉っており(うまい皮肉だよなぁ)、もし裁判官が判決を無罪にしようとするものなら、有罪とするのに比べてその理由やら経過など資料を膨大に量で別に作らなければいけないらしく、無罪そのものがまず裁判において例外的ともいうべき扱いをしているそうです。その結果、映画のように明らかに警察側の証言に矛盾があったとしても、裁判官は有罪を押し通しやすいとも言います。

 そして今回の事件で問題になった代用監獄、これの説明はどこか別のウィキペディアなり何なりで見てもらいたいですが、私が中学生くらいの頃からこの代用監獄は問題があると指摘されていたにもかかわらず、未だにあったのか、そしてまだこんな使い方をしているのかと私自身、ほとほと呆れました。何でも聞くところによると、国際人権団体アムネスティインターナショナルもこの代用監獄を非人道的だとして何度も非難しているにもかかわらず、日本の司法及び政府は聞く耳を持たなかったそうです。これはどっかからの受け売りですが、中国やらオーストラリアに対しては国際世論に耳を傾けろといいながら、日本政府自体も国際的非難に対して一切耳を貸さない、いい内弁慶だと批判されていましたが、非常に的確な批判でしょう。

 それにしても、これほど杜撰な司法制度をみていると、かつて水と安全はタダの国と言われただけあって、80年代くらいには検挙率も九割にまで達していましたが、この数字にも疑問を覚えます。言ってしまえば、事件が起こるたびに目下のところの犯人をでっち上げて、無理やり検挙したという風に扱っていたのではないかと思います。それと同様に、まだまだ表に出ていない冤罪もたくさんあるのではないかとも思います。

 最後に私の勝手な予想を書いておきますが、鹿児島の志布志市の事件、あれは検察、もしくは警察が報奨金目当てで起こした冤罪事件だと考えています。前回に紹介した田中森一氏の「反転」という本に書かれていましたが、年度末になるとホシを挙げた、つまり検挙した数によって報奨金が検事などにでるそうで、田中氏が四国に検事として赴任していた際、選挙が起こるたびに適当な人間を選挙違反で挙げていたそうです。四国などでは露骨に選挙違反ともいうべき金のばら撒きが日常的に行われており、これで一気に検挙数を増やせるので選挙のたびに狙ってやっていたというのですが、恐らくこういう理由で鹿児島の冤罪事件が起こったのではないかと思います。

 すでに日弁連などから政府に対して、こうした捜査に関わる警察や検事、裁判官を逆に訴える訴訟法が提案されましたが、返事はなしのつぶてのようです。私自身、こうした冤罪を引き起こした人間ら、社会保険庁の役人も同じですが、彼らが一切罰されないということがなによりまず不公平だと思います。
 自分で言って間違っているとは思いますが、このようなあからさまな捜査ミスを起こした人間らは路上で刺されて殺されても、私は一切同情しません。それどころか、そうなることを願うばかりです。

2008年3月6日木曜日

90年代末期のゲーム業界について

 前回書いたプレイステーションソフトの「ダブルキャスト」をようやく一通りクリアしました。キャラクター原画は後藤圭二氏という、原作者以上に原作に近いアニメ画を作るという有名な人で、今作でもキャラの書き分けがうまくなされていました。最近のギャルゲーなんか顔で区別つかないし。
 ちなみに、この人が担当したアニメ作品は「幽々白書」、「機動戦艦ナデシコ」、「ゲートキーパーズ」などです。なぜか高知出身の知り合いがこの後藤圭二氏を知っていて、前にびっくりしたことがあったなぁ。

 そのほかヒロインの声優は平松晶子氏で、この人はある特定のキャラのイメージが強いのですが、なかなかホラー色の強い今作のキャラをきちんと演じていました。ウィキペディアで見ても、このゲームのヒロインは「ヤンデレの典型」とまで書かれていますし。

 と、簡単にレビューしましたが、この「ダブルキャスト」及び、士郎正宗も関わった「やるドラ」シリーズ、基本はサウンドノベルなのですがこれらが出たのは98年で、いわゆるゲーム業界最盛期です。この業界はこの年をピークに年々規模が小さくなり、現在はかつてのようにゲーム会社が乱立することなく、合併や倒産が続き、RPGの代表格を作っていたスクウェアとエニックスも現在では同じ会社です。
 このほか98年には、「ファイナルファンタジー8」、「パラサイト・イヴ」、「バイオハザード2」と人気タイトルも多く、名実ともにゲームが華やかなりし時代でした。

 この時代について個人で勝手に分析しているのですが、一言で言うとCGとアニメ画が混在していた時代だと思います。まず前者のCGですが、この時期辺りからソフト開発で3Dの使用が主流になり始めてきました。先ほどに挙げたタイトルなどはどれもふんだんに高画質のCGを取り入れて注目されたタイトルですし、実際にこれ以後の現在はCG、というより3Dがゲームの基本とすらなっています。あのパワプロだってそうなんだし。

 その一方でこの時代は、今回私がやったような2D画のゲームが消え始めた時代でもありました。サターン、プレイステーションが出始めた頃はまだ3Dのソフト開発環境がよくなかったのもあり、デジタルコミックともとられかねないような画像をよくつかったゲームが多かったのですが、この頃になるとそれも下火になっていました。そういう意味では、この時代が2Dゲームのいわゆる終末期にあたり、それなりに質のよいのも結構あった気がします。というより、最近はこの手のゲームってないしな。

 聞くところによると現在では開発環境は逆転し、昔のように2Dとまではいかずとも、ドット絵を使ったゲームなどの方が開発に手間が掛かるようです。その手の専門のクリエイター(栗絵痛ーといきなり変換した)がいなくなり、また3Dならば開発を海外に下請けに出せるというのがその理由だそうです。
 実を言うと、この背後でアニメ業界にもこの時期辺りから大きな変化が起こっています。それまではセル画を用いたアナログでアニメを作っていたのが、大体2000年に入ると大部分のところで最初からコンピューター上で絵を描いたり、編集したりするデジタル化が進み始めました。いわば、ゲーム業界でアニメ画が使われなくなってきた背景に、当のアニメ業界が影響しているのではないかと邪推し、今日のところはおしまいです。

2008年3月5日水曜日

数字にまつわるエトセトラ

 今日はちょっと息抜きに、各国ごとに数字に関する話をまとめようと思います。
 
 まず数字とくれば忌み数とも言うべき、使用を避けられるような嫌われる数字というのがどこにでも存在します。日本の場合だとこれに真っ先に来るのは4で、これは音が「死」と一緒だからだと言われています。実はもう一つ、中国も4が忌み嫌われていて、理由も日本と同じく「死」と同じ発音、「スー」だからです。このスーは「四暗刻」や「四星球」の四の部分の発音です。
 このほか日本だと、9も「苦しい」という言葉に近いことから嫌われており、二つあわせた49などはなかなか好んで使う人はいませんね。

 では西洋世界ではどうでしょうか。最近は日本などでも西洋化の影響で同じくしますが、西洋ではやはり13が嫌われているようです。その理由も諸説あり、キリストが処刑されたのが13日の金曜日だったからだとか、キリストの十三使徒がうんたらかんたらとかありますが、多分これらは根も葉もないうわさだと思います。というのも、キリスト教の中では666は悪魔の数字ということから6という数字がまず嫌われており、先ほどの13にまつわるエピソードもオカルトの領域を出ていません。

 ではなぜ13が嫌われるようになったのかというと、まず考えられるのはホラー映画の「13日の金曜日」の影響という説があります。これは確かに一般に大きく広めたという意味では当たりですが、そもそもなぜジェイソンが13日と関わるようになったかが疑問です。
 実はこの13、白人世界ではなくてネイティブアメリカンの世界で忌み数であったと言われています。彼らの昔からの伝承で、13人が一緒に長いすに座るとみんな死んでしまうといった、13がよくない数字だというエピソードが数多いといわれ、それが殖民してきた白人層に広がったのが元じゃないかと言われています。実際に私自身もアメリカ人に聞いてみましたが、この話のことを知っていました。

 と、ここまで忌み数について話してきましたが、今度は逆に好まれる数字についてもまとめておきます。まず、ここでも日本と西洋世界では7が最も好まれていますが、これの起源はよくわからないのですが、一般に言われているのは「ラッキー7だから」というのですが、これじゃ意味がわかりません。
 この辺で私が詳しいのは中国で、向こうでは基本的に偶数がよいとされて、先の7は逆に忌み数として嫌われている方です。その逆にいいとされているのは6とか9で、これはそれぞれの発音が「留」と「久」という「長く続く」というような意味の言葉と一緒だからです。またもう一つ、8という数字も金離れがいい状態を表すとして非常に好まれています。ちょっと日本人からすると「金離れがいい?」とくるかもしれませんが、向こうではお金を使えば使うほどがいいという価値観があります。逆に日本人はお金は貯蓄する方がいい価値観なので、ちょっとこの辺は相容れないでしょうね。

 このように中国語は発音が同じ言葉が多いため、数字の発音でそのまま文章にすら近い発音になることが多々あります。たとえば519という数字は「我要久」といって、「長生きしたい」というような意味の文章と発音が近いことから非常に好まれています。逆に514だと、察しのいい人ならわかると思いますが、「我要死」といって、「死にたい……」という意味の言葉になるので嫌われています。
 実は以前に北京市にある軍関係の病院で名前が「514番解放軍病院」というのがあって、近隣住民総出で名づけた奴は馬鹿だと言っていたそうです。さすがにもう名前は変えましたが、今でもタクシー運転手によればわかる人もいるそうです。

 このように数字のイメージは国によって千差万別ですが、自分が一番好きな数字は日本人らしくなく実は4です。これは誕生月であるというのもありますが、それ以上に「死を恐れない」という意味合いで好んでこの数字を使うことが多いです。

2008年3月4日火曜日

武田騎馬軍団なんて存在しない?

 今回の内容は以前から考えていたないようですが、調べてみるとどうやら他の人とかも結構主張していました。自分だけ特別じゃないんだね( ・A・)

 で、その肝心の内容ですが、武田騎馬軍団ってのは実は嘘なんじゃないのかというのが私の意見です。一般に、武田信玄率いる武田騎馬軍団は戦国時代最強の軍団と呼ばれていてそれが日本人の常識にもなっていますが、よくよく検証してみると、微妙につじつまの合わないことが多く出てきます。
 まず単純に、武田家の本拠地である甲斐、今の山梨県から長野県に当たる地域ですが、この辺りは傍目にも山地しかない地域で、今以上に当時は森林が生い茂っていることを考えると、騎馬隊の突撃などとてもかませないような急峻な傾斜地です。一般に、騎馬隊というのは平地でもってその力が発揮されます。平地を高い機動力を以って敵軍に回り込んで一撃を与える、もしくは体重の乗った重装騎馬隊で突撃を行うなどの戦術で、この点から言うと日本で騎馬隊の運用に最も適しているのは実は関東平野で、その真逆なのがまさに信玄のいた地域となるのです。

 実際に、ゲームの信長の野望では関東地方の武将達の騎馬能力が割りと高く設定されています。で実際に、関東で騎馬隊を使うと実に面白いくらいに敵に勝てるの何の。まぁこのゲーム、山でもやけに馬は速いけどね。
 確かに、甲斐は当時から馬の産地として有名だったようですが、以上の理由から私自身は武田騎馬軍団は講談での存在、つまり嘘だったんじゃないかと思います。それでてっきり、この偽話の元は武田家のデマを現代に至るまで数多く量産している江戸時代のトンデモ本「甲陽軍鑑」から来ているんじゃないかとも思いましたが、なんでも、この「甲陽軍鑑」にも武田騎馬軍団の記述は一切ないらしいのです。だとすると、いつ、どのようにこのデマが蔓延するようになったのか、多少なりとも気になります。

 私が思うに、武田家は確かに馬を数多く運用していたのではないかと思います。というのも、軍隊というのは兵員の移動以上補給物資の移動速度の方が重要になってきます。どれだけ兵員が早く移動できるとしても、補給物資がそれに追いつかなければ結局軍隊は維持できず、必然的に兵糧や武具などの重いものをどれだけ早く運べるかが、軍隊の移動速度につながることになります。
 なので武田家は兵員が騎馬に乗っていたのではなく、補給隊が馬を使っていたのではないかと思います。無論これだけでも軍隊の移動速度は飛躍的に上がり、結果的に強さは跳ね上がります。またこの説を支持する史実として、実際に武田信玄は軍道の整備に手をかけており、補給を重視していたとも取れる話があります。恐らくはこのような馬を多く運用したという話が曲解され、武田騎馬軍団というフィクションが作られたのではないかと思います。

2008年3月3日月曜日

KY式日本語について

 今日のお題になっているこの「KY式日本語」という本ですが、それなりに売れているそうですね。中身は読んだことはないのですが、テレビなどで紹介されているのを見ると、どうも現実とはかけ離れているような気がします。 というのも、どれを見ても聞いたことも見たことのない言葉ばかりで、それこそ一部の人間が使っているのをさも一般性を持たせようとしているだけなのではないかと、この本自体の存在意義を疑います。

 これは余談なのですが、以前にロシア語を習っているときに先生が、この前の企業の契約書を翻訳した歳に、「BL」という単語が出てきたといってました。早速先生はこの意味、あんたらわかるのと私たちに聞いてきたのですが、一緒に授業を受けていた奴がすぐさま「えっ、ボーイズラブでしょ?」と答えたのに、先生は「?」と、うまく反応してくれませんでした。先生が言うにはこの「BL」、何でもレアメタルの素材らしいのですが、正直、私もすぐボーイズラブ、つまりやおい系だと思いました

 この意味に先生はもちろん驚き、じゃあ他には何かあるのと聞いたら、また別の奴が今度は「JK」とか言い出して、あわててまた別の奴がそれはまずいと口止めていました。この「JK」は「女子高生」のことですが、一般的に使われるのはアダルトビデオのジャンル分けの際の名称として使われていることが多いような気がします。

 と、こんな感じでいくつかの言葉は確かに私自身も使っているのですが、この二つも本の中に入っているのかな。まだ一般性のある言葉だとは思うけど。

2008年3月2日日曜日

続、成人年齢の引き下げ議論について

 どうでもいいですが、今度のバキがえらいことになっているそうです。烈……(ノД`)。

 それはともかく、以前の投稿で今の日本国憲法において最も重要なのは、成人年齢を現行の20歳から18歳に引き下げることだと私は主張しましたが、タイムリーに今、国会内でもこの件が審議され始めました。なかなかに時代を先取りした感があり、一人でいい気分に浸ってます。

 それで早速新鮮ほやほやのニュースですが、何でも毎日新聞がアンケートを取った所、回答者のなんと六割が18歳への引き下げに反対したそうです。そのうち、「精神的に未熟だから」が69%で反対理由の中で最も多かったらしいのですが、なんというかあほらしい回答だと思います。
 というのも、そんなことを言ったら現在の日本の20歳は精神的に成熟しているのでしょうか。私なんかもまだ20台ですが、まだまだ我ながらひよっこだと思うことのほうが断然多いです。それに同じ18歳でも、大人びた奴もいれば子供っぽい連中もごろごろいます。精神的な成熟度で成人かどうかを考えてたら、話がえらくとんでもない方向に行きかねないのではないかと思います。

 前回でも少し書きましたが、すでに現行法の少年法では、凶悪犯罪について18歳と20歳で全く差はなく、その他軽犯罪でも保護はほぼ有名無実化しているのではないかと思います。そして成人式も、私などは大学が実家と離れた場所にあったのでわざわざ実家へ戻ってやりましたが、高校卒業時に一緒にやってくれれば、みんな地元で何も問題なく挙げられるのではないかと思います。都会ならまだしも、地方などは若者がみんな地元を高校卒業時に出て行くというので、その後の成人式の集まりが悪いと聞いています。実際に、アメリカでは高校卒業時のダンスパーティーが成人式の代わりになっているらしいですし、こっちの方が効率的でもあり、これまでとは違った世代になるという儀式的な意味合いが強まるでしょう。

 それとこれは今日考えたのですが、毎日新聞の反対理由で16%も挙がったというのが、「18歳から飲酒・喫煙が認められるのが心配だから」だったらしいですが、これも冷静に考えるとちょっとおかしいような気がします。いや、言ってることがおかしいのではないのですが、ほかの規制、その、まぁ、なんというか例のポルノですが、これは18歳以降が解禁です。
「18歳は酒やタバコはだめだが、ポルノはいい」
 こんなことを言う国、日本以外にあるのでしょうか。なんというか、自分で書いてて恥ずかしいです。
 さらにさらに言うと、日本で18歳からは自動車免許も取得できますし、男性は結婚もできるようになります。でも日本じゃ18歳はそれでも酒やタバコは禁止らしいです。ほんと、馬鹿馬鹿しい。

 で、最後にそのアンケートの賛成理由の中にあった回答で、「18歳成人が、欧米各国の主流だから」(9%)というのがありますが、私なんかはこの理由だけで引き下げるのに十分な理由になると思います。だって、世間体を大事にする日本人なんですし。

2008年3月1日土曜日

日本の宇宙開発の影にあるもの

 多分今日のネタは超がつくほどのレアなネタだと思います。少なくとも、私もワンソースでしか確認できていない話で確証という点では信憑性にかけるのですが、それでも敢えて書いておきます。

 さて宇宙開発というと、最も最近ではアメリカが制御に失敗した廃棄衛星をミサイルで破壊したのが大きいニュースですが、それ以前だと中国も同様に廃棄衛星をミサイルで破壊しています。このミサイル破壊自体はアメリカやロシアはバンバンやっており、来るべき戦争に備えて相手のレーダー破壊の実験をしているというのが真実でしょう。近年はその争いに中国も加わったと見るべきなのですが、それ以上に中国も自力で国産ロケット「神舟」にて有人宇宙飛行に成功し、かなり宇宙戦を重要視しているのがわかります。

 ここで今回の本題ですが、この中国の「神舟」が打ち上げ成功した際に石原慎太郎東京都知事は、「日本だってやろうと思えばできるんだ」と、子供みたいなことを言っていましたが、どうやらこれはただの負け惜しみと取れない理由があるのではないかと言われています。
 話は変わりますが、90年頃かな、確かその辺りにあった日米半導体交渉をご存知でしょうか。当時、絶好調だった日本のメーカーが世界中のコンピューターに使われる半導体のほとんどを造っていて、そのせいでアメリカとの貿易摩擦が起こり、問題の妥協案を探るための話し合いがこの日米半導体交渉です。

 具体的な中身は私はほとんど知りません。ただある場所で、この交渉の際にアメリカ側が譲歩するかわりに、日本政府はどうも日本の宇宙開発を停止するということを約束してしまったということを、耳に挟みました。もちろん今までにそんな話を聞いたこともないし、一般に出ている情報にも出てきません。しかしながら、確かにそう言われれば、そうともとれるような動きはあるように思えます。
 それこそ先ほどの石原知事の発言もそうですし、実質日本の宇宙開発は偵察衛星、それもアメリカのお墨付きをもらったものを打ち上げる程度で、どうも独自の動きというものは見えません。また、今度に三菱重工が企業ながらロケットを自作して打ち上げるとか言ってますが、これも政府の枠の外で敢えてやっているのではないかと疑っています。

 この情報を話してくれた人は、政府の人間は目先の利益にとらわれて大きなチャンスを逃してしまったとまとめていましたが、もし真実ならば私も同感です。たまには中国を見習って、「昔の約束? でもそんなの関係ねぇ」とでも言って勝手に開発すればいいのに。

 ついでに書いておくと、中国は以前にロケット発射に失敗して、見事に変な方向に飛んだロケットが発射台の近くにあった村落に落ちて、住民のほとんどが死ぬという大事故を起こしています。意外と知らない人も多いので、動画付きで置いときます。
http://www.youtube.com/watch?v=NomU8t_nqXE&feature=related

近況

 最近になってパワプロのマイライフモードを再開。投手でプレイしていて見事試合を完封してヒーローインタビューのお立ち台に上がったが、表彰理由が投手ながら打ち取った打点五点だったのに笑いがこみ上げてきた。
 あと今日になってようやく教習所に自動二輪の申し込みをやってきた。前から取ろうかとは思っていたが、金の面で悩んでいたがようやく踏ん切りがついた。でも、今なら普通に自転車でも時速40キロくらいは出せるんだけどなぁ。

 またゲームだが英雄伝説Ⅵの「空の軌跡」というパソコンソフトのRPGも購入。内容がオーソドックスな昔ながらのRPGで好感が持てるが、肝心の戦闘シーンがやや面倒くさい。これはすべてのRPGに言える事だが、基本的にザコ戦闘は短ければ短いほどよいと思う。ドラクエなどはほぼ一分以内に終わり、昔のFFも同様。逆にボス戦は短すぎてはいかず、やはり白熱するくらいの時間がほしい。ボス戦で今まで一番盛り上がったのはロマンシングサガ3かな。そう考えてみると、本当にドラクエシリーズはすごいと思う。

 日記なので、常体で書いてみた。ま、たまにはいいかな。