2018年4月23日月曜日

こわくなーい

 おなかをすかせた状態で書くことないのでまたゲームの話ですが、今「アイドルデスゲームTV」というクソゲーと並行して「コープスパーティ」を遊んでます。前者については「日本ふんどし協会 ベストフンドシスト賞2015」というよくわからない受賞歴がある声優の、西明日香氏の京都弁の見事さに感服しており、後者については安売りしてたから買って、遊んではいるけどなんて言うかなぁという気持ちを覚えています。

 この「コープスパーティ」というのはいくつかシリーズが出ており、私が遊んでいるのは「ブックオブシャドウ」のPSP版で、PSP系列で言えば2作目に当たります。ジャンルはアドベンチャーに当たりそこら中に腐った死体が落ちている小学校校舎を探索するゲームなのですが、なんていうか全然怖くありません。多分描写としては結構激しいと思え、中には素手て生きたまま女子高生の内臓を解体するシーンもあるのですが、「ふーん」としか思えません。
 サウンドに関してはダミーヘッドマイクという、人間の頭を模した特別なマイクで収録しているだけあってささやく声なんかはほんとそんな風に聞こえるので「おおっ」とか思えますが、なんていうか昔と比べてグロ耐性が上がってきているのかあまりホラー作品を見ていても心が動くというか動揺することがありません。わざわざ真夜中にやってるというのに。

 年齢のせいか、怖さの定義も変わってきているような気がします。マイナスドライバーで目玉をぐりぐりくりぬくシーンとかよりも、作成した思っていた書類が実はやっていなかったとか、部屋に呼び出されたら無言で多くの人間が待っていたとか、なんていうかそういうシーンの方が恐怖を感じるようになってきています。
 その上でいうと、今の自分の怖さの定義というのは、想定からの乖離、若しくは想定外の事態に突然放り込まれるようなものじゃないかとこのところ考えています。ある意味、「コープスパーティ」も日常から突然お化けと死体が徘徊する学校に放り込まれるので想定外の事態かもしれませんが、それ以上に想像の付かないような、今ここでたとえを挙げると突然部屋にくまモンの着ぐるみを着た人がお玉片手に殴り込みをかけてくるとか、そういうのが恐怖なのかなぁという気がします。死体とか人体損壊のグロさというのは、フィクションに関してはある程度見慣れてしまうというか。

 人気漫画の「進撃の巨人」の作者が作中の巨人の表情について、「漫画喫茶のバイト中に見た、酔っぱらって何するか全く読めないオッサンの表情が元になってる」と言及していますが、この意見には私もなるほどと思いました。実際、次の行動が読めない酔っぱらいは私も確かに怖さを覚えるのですが、表情や発言内容から読み取れない、何するかわからない相手ほど怖いものはありません。さっきのコープスパーティも、お化けはこちらに危害を加えてくるのが分かってるだけに怖さを覚えないのかもしれません。

 ちなみに自分が一番、次に何するかわからないと思った相手はプロレスに参戦していた辺りの和泉元彌氏です。

2018年4月22日日曜日

てんかんとデジャブ

 今月初めに極端に体調が悪くなったのですがその原因ははっきりしていて、仕事中に「ああ、ここだったのか」と感じたことです。なにが「ここだったのか」というと、代替去年の夏頃に見たデジャブというかイメージが今月初めの勤務中の自分の姿だったということです。
 いきなり訳の分からないことを言い出していますが、こういった予知夢めいた未来のイメージを白昼夢のように見ることは自分にとってはよくあり、去年の夏に今回のイメージというかデジャブを見た時には、「とりあえず来年の春までは今の職場にいるということか。とりあえず勤続2年は達成できそう」なんていう感想を覚えたこともあり、割としっかり覚えていたイメージでした。

 またこの時見たイメージは特徴があり、というのも今年2月から職場での自分の座席が変わって窓際、それもかなり隅っこで割と個室っぽい空間となりました。この座席ですが窓からその風景を一望出来て、この外の風景がデジャブにもはっきり出ていたので記憶面でもあまり離れなかったのだと思います。
 その上で、こうしたデジャブを見る、そして思い出すとほぼ確実に軽いてんかん発作が起こります。むしろ私にとっててんかん発作はデジャブとほぼセットであり、最初に発作を意識した小学四年生時においてすらも「(発作によって)急に気持ち悪くなって吐き気を催すと、なんか懐かしいような気持がする」と自分の口で言っています。

 一応書いておきますがてんかん発作と言っても自分のは軽度なもので、気絶にまで至ったのは6年以上前からはなく、法律上でも過去3年間に気絶を伴わなければ申告義務も発生しません。っていうかここ数年は軽度の発作もほとんどなかったのですが、今年2月から4月にかけては激務もあってかこの時のデジャブを含め何度か吐きそうになりました。

既視感(Wikipedia)

 今まで知りませんでしたがデジャブは側頭葉てんかんと関係が深いことは前から見られていたものの、都合よく再現実験ができないこともあって詳しい研究はまだ進んでいないようです。そういう背景もあって自分の体験を描き残そうと今書いているのですが、私の場合はデジャブを感じる→ああそろそろ来る→てんかん発作(吐き気、頭痛)という流れがほぼ確立されています。そのためデジャブというか、「あれ、この状況前にも見たような……」という考えがよぎるとぞくぞくするというか、意識的にそれ以上あまり深く考えないようにしたり他の方に意識を向けたりすることもあります。

 また思い出す方向とは逆に、先ほども書いたように白昼夢のように妙な自分の未来っぽいイメージが浮かぶ時も大体同じ流れです。この状態でも、「ああ、発作来たな」と内心思うのですが、割とこういう時は流れに任せるというか、発作の感覚をむしろ進んで受け入れることが多いです。なんでそんなことするのかっていうと、はっきり言えば発作起きている時の自分は当社比120%みたいな感じで勘が冴え渡り、予測や分析をさせたらほぼピタリと的中させられるくらい頭が回るようになるからです。このブログに関しても、てんかん発作真っただ中の間は書くの休んだりしますが、収まった直後なんかは自分が見てもいい視点の記事が書かれてあったりします。
 そういうこともあってかこういう発作の時に、自分が未来を見ているという感覚は普通に持っています。先ほどにも書いたように、今回のデジャブのイメージを持った時も「来年春まで残留はほぼ確定」と確信しましたし、現実に周りから「今回の職場は珍しく花園さんにとっては長続きしますね」と驚かれるくらい持っています。逆を言えば自分の賞味期限は約二年ってことになるのですが。

 この記事で何が言いたいのかというと、デジャブはてんかんと非常に密接な関係があると言いたいわけで、頻繁にデジャブを見たりする人に関しては自分同様にてんかんの可能性も疑った方がいいと思います。特にデジャブを見た直後に頭痛、吐き気を覚えるのであれば、ほぼ確実だと思え、平常時の診断ではなかなか出ないのでそのような状態の時に診断を受けるべきです。
 なお自分も最初気絶した際は原因不明、二回目の際にスキャン受けながらデジャブ見た時にはっきりと診断データが出て、晴れててんかんキャリアとなりました。

 もう一つ言いたいことを挙げると、てんかん発作時に見るイメージは未来透視というよりかは未来の可能性の中でも割とあり得そうな、確率の高いイメージ、若しくはこうあってほしい願望的なイメージが出やすいのではないかとも思います。私が見るイメージは確率で言えばまさに将来その通りの状況が出るなど高い実現率に達していると思いますが、中には結局実現せずに終わったイメージもあり、数ある可能性の一つだとは思うものの必ずしもそうなるとは限らないイメージだと考えています。
 こうした点を踏まえると、未来予知をする巫女とか予言者などは多分この手のてんかん発作を利用してイメージを見ていたのではと私には思えます。やろうと思えば多分私にもできるんじゃないか、具体的にはてんかんを引き起こしやすそうな環境や状態(三半規管を揺さぶるなど)に追い込んで発作を起こし、あとはひたすら見ようと思うイメージの関連物を頭の中でぐるぐる回せば一つや二つのイメージは作り出せる気がします。もっともすっげー吐きそうになるので実際にはやりませんが。

 逆に今個人的に気になっている点として、他の人はどういう状況でどんなデジャブを見るのか。自分とどう違うのかに興味があります。自分の場合は先ほど書いたように「デジャブだ」と思う総毛立つのですが、他のみんなはどないなんやろう(´・ω・`)

2018年4月21日土曜日

財務省次官セクハラ発言議論に対する所感

 なんか自分が語ると立場的にもいろいろまずいかと思ってこの件に関しては黙ってましたが、コメントでリクエスト来てしまったのであくまで個人の立場として思うことを書いていきます。最初に書いておくと、この問題は多面的に捉えられる問題であるだけに見方によって判断が大きく変わるため、具体的にどの見地で立つかによって評価なども変わってくる問題だと思います。なので自分としては主張に立脚する立場、論点を明確にしたうえでポイントごとに書いていくことにします。

1、殴られる覚悟
 私の持論の一つに、「殴られる覚悟がある奴だけが人を殴っていい」というのがあります。これが何を言い表すのかというと、「相手に殴り返されても何も文句を言わない、批判しないというのであれば殴ってもいい」という意味ですが、本意としてはむしろ逆の言い方で、「自分は殴ってもいいが殴る相手が殴り返すことを認めない、というのを認めない」という概念です。具体的に言えば、部活の顧問と生徒の関係のように、殴り返せない立場だとわかっている相手に暴力をふるうのは認めないという考え方ですが、逆に殴り返される、逆襲に遭う覚悟を持っているなら程度を知った暴力はアリではとも考えてます。

 この価値観に立脚して今回の問題を語ると、福田事務次官が自身、若しくは身内にセクハラ発言や行為がなされても気にしないような人間であるのであれば、価値観にズレがあると考え、いくらかしょうがないし許してもいいのではと思っています。さすがにオッサン相手に「おっぱい触らせて」なんて言う発言は不毛この上ありませんが、仮に彼の家族や親戚に女性がいるとして、その人に誰かが「おっぱい触らせて」と言ったり触っても怒らないというような人であれば、いくらか問題があるとは感じるもののこうしたセクハラ発言について世間の認識とズレがあるという彼の主張に私は理解できます。
 ただし、これが逆なら話は違います。逆であるということは「自分はセクハラしてもいいが他人はしてはダメ」というクズの理論になり、強い立場を利用した弱い者いじめ以外の何物でもなくなり全力で叩き潰すべき人間の価値観と言えるでしょう。まぁこの手の「殴られる覚悟のない」クズであることはほぼ間違いないでしょうし、刑法的には自分の行為が犯罪だとわかってやっている「確信犯」と言えるでしょう。

 もし仮に私が何やってもいいってんなら、この点を敢えて突くために財務省の省庁前で目につく女性職員に対して「おっぱい触っていい?」と聞いて、イエスかノーの集計を取って報じます。セクハラだと言われれば「お前らの親玉が言ってることなのに、他の人は言っちゃ駄目だというのか!」と反論して、警察呼ばれたら「事務次官なら捕まえないのか?」と言おうかなと考えてます。まぁさすがにイエスと回答した人のを触っちゃったら紛れもない公然猥褻になるので、集計取るだけにしますが。

2、セクハラ発言録音データのリーク
 今回の問題で大きな議論となっている点として、テレビ朝日の女性記者がセクハラ発言を録音したデータを自社ではなく週刊新潮に渡して記事化したことについて賛否両論が出ていますが、私個人としては女性記者の行動は正しいと考えています。
 というのも女性記者は最初自分の上司にセクハラ発言を報道するべきか取り合ったものの「我慢しなさい」で却下されたと聞きます。いわば、ネタに対する報道化の優先権はテレビ朝日が持っていたにもかかわらずテレビ朝日はそれを使わなかっただけで、そのネタを他に報じるメディアがあるというのならばそこへ渡すのも至極当然でしょう。第一、記者が取ってくるネタというのは基本会社のものではなく記者自身のものだと私は考えます。

 むしろこの件で一番批判されるべきは、福田事務次官というよりテレビ朝日ではないかとすら思います。テレビ朝日は自社社員が受けているセクハラを黙認したにもかかわらず、ことが明るみになってからは他のメディア同様に財務省を批判しており、さらには女性記者が名乗り出ると今度は女性記者が新潮にネタを渡した行動について「遺憾だ」と変な批判の仕方をするなど、自分たちが適切に対応せず報じないと決めたにもかかわらずなんだその言い草はと見ていて感じます。
 そもそも、こんなおいしいネタを何故使おうとしなかったのか?はっきり言えば財務省は福田事務次官を怒らせては取材に支障が出るとビビった、または忖度したから以外ないでしょう。メディアとして、っていうかおいしいネタの料理の仕方的にもテレビ朝日はセンスがないと私には感じます。

3、オフレコ発言の報道可否
 今回の問題でこちらも議論となっているのは、オフレコでの発言を隠れて録音して報じたという点です。これについて否定派の意見をみていると主なものは、「オフレコでの取材は大事」、「取材者と記者の信頼は必要」、「オフレコでしか言えないこともある」などといった所じゃないかと思います。

沖縄防衛局長「犯す前に言いますか」と発言 辺野古巡り(朝日新聞)

 実は今回の報道を見て一番最初に思い出したのは上の記事でした。これは私が香港でモンハンP2Gで遊んでた2011年に出た記事ですが、概要を書くと当時の沖縄防衛局長が非公式且つオフレコでの記者懇談会(つっても居酒屋)で「(女性を)これから犯す前に犯しますよと言いますか」という発言をして更迭された事件です。
 防衛局長が言わんとしたことは、「攻撃は予告なしに来る」という趣旨のたとえだと思え、言わんとしてること自体は表現が下品であるものの私には理解できます。ただこの事件の面白いところh、多くのメディアの記者が同時に発言を聞いていたにもかかわらず(朝日新聞は同席しておらず)最初はどこも報じず、地元の琉球新報のみが報じて、それを見た他のメディアもあとからこぞって報じたという点です。

 この事件は女性蔑視発言やオフレコ内容の報道など、今回の事件と共通する点が多いように感じるのですが現時点で比較しているのは多分私だけじゃないかと思いますが(西山事件との比較は見たが)、やはりこの事件の時と今回の事件の世間の反応を見ていると本来あるべきではないずれがあるように感じます。具体的なずれの内容については触れませんが、何故そのずれが生まれるのかと言えば報じたのが女性記者本人だったからではないかと内心考えています。

 話は戻りますが、オフレコでの発言、しかも隠れ録音内容を報じることの是非について私の意見を言えば、「これの何が問題だ?」ってところです。そもそも、相手が記者であればオフレコだろうが盗み聞きだろうがその発言がニュースネタとして価値を持つ限りは報じられてしまうのが当然で、また記者としてもそれがニュース価値のあるネタであれば「今夜のおかずはイカリング」というどうでもいい発言であっても報じるのが私に言わせれば責務です。
 一例を挙げると、以前私が報じた上海大江戸温泉の記事で日本の大江戸温泉側が私の質問内容を「否定」ではなく「回答を拒否」したことを敢えて強調して記事に書きましたが、これは「回答拒否」自体がニュースであると私が考えたからです。そして今回の件でも、「おっぱい触っていい?」という発言はニュースネタとして十分価値があるように思え、実際にこれだけ大きな話題になっているんだから報じない方がおかしいというかテレビ朝日はセンスがないとしか言いようがありません。

 そして記者との信頼関係についてですが、私に言わせれば記者を信用する奴はタダの馬鹿だと思います。よくサイコパスは会社経営者とかジャーナリストに多いという人いますが、記者に関しては私もそう思え、「友人を突然ドブに蹴落として大笑いする奴ほど職業適性あるよ」と周りにも言っています。実際に多くの記者は人を躊躇なく裏切るし、同僚ですら騙し討ちし、部下にも平気で暴行するような人間ばかりというか、そういう人間じゃないと心身持ちません。そして何よりも、相手が一番嫌がる内容を暴露することこそが一番の仕事であり、一般市民ならまだしも官僚でありながら記者と信頼関係を構築するなんてアホ以外の何物でもありません。記者からしたらそんな奴いいカモで、利用するだけ利用したら情報リークして消えてもらうだけです。
 実際私も教えられましたが、記者と取材相手に友好関係などはなく、緊張感を持った敵同士の対立関係しかありません。記者としてはネタになるニュースをどう引き出すか、取材相手としては自分(自社)にとって有利な情報を如何に発信し、不利な情報を如何に隠すかというやり取りこそが「取材」であり、そこにあるのは相手をどう利用し倒すかという勝負だけです。

 もっともこう言いながらも、「協力による見返り」が期待できる相手にはそりゃ記者も便宜図ります。また何でもかんでも暴露すればいいというわけではなく、記事にしても意味ないニュース価値のない、相手にとっては暴露されたくはない情報に関しては聞かなかった振りくらいはします。これを「信頼関係」というなら言うで構いませんが、今回のセクハラ発言の件に関しては報じれば辞任に追い込めるネタなので、「利用しつくしてのポイ」なので余計な同情はいらんでしょう。

 さっきちょっと書きそびれましたけど、盗み聞き、盗み見による報道はこの世界では当然です。見られるってんなら携帯だろうが引き出しの中なんてためらいなく盗み見ますし、飲食店で何かしら面白そうな話題を誰か話していたら私だってそ知らぬふりして盗み聞いて、ネタになるなら記事化します。こうした行為からすれば隠し録音なんて、まだ面と向かって話を聞いてるんだからかわいい方じゃないかとすら思います。

 そもそも、といったらなんですが、今回のセクハラ発言は政治的内容ではないというのが私にとってはポイントです。政治的内容を含む発言であれば将来の見返りというか一部の人間の言う「信頼関係」が働いてオフレコにと言われたら確かに取り扱い上で打算が動くものの、問題となった発言はそういった類ではなくただのセクハラ発言です。そんな低レベルな発言内容に「信頼のために報じない」なんてのは私の中ではありません。ましてや、これだけのニュース価値を持つのであればなおさらです。
 中には今回の報道をハニートラップだという人もいますが、それもだからなんだってところです。特に社会報道で顕著ですが取材では如何に「相手を怒らせるか」が重要で、取材相手を挑発するだけ挑発し、怒らせて殴らせればしめたもので、「記者にも暴行」という見出しが翌日書けます。ハニートラップも同様で、記者だとわかっている相手という見え見えの罠に引っかかる奴の方が馬鹿なだけでしょう。まぁ今回の件はハニートラップ以前でしょうが。

 総じていえば、「信頼感」なんていうのは報道の世界、いやむしろ一般社会においてもまやかしでしかありません。基本的には利用価値があるかないかという打算以外なく、それすらも理解できてないというのは「利用される側」だからではないかというのが私の偽らざる心境です。

  おまけ、
 つい最近に人気声優の日笠陽子氏がラジオの番組で、カレーうどんをホースで食わされたという事実を知ってすごいカルチャーショックを受けました。声優、しかも女性で人気も高いのに、芸人以上に芸人らしいことやっててなんなのこの人と変な感銘を受けました。

2018年4月20日金曜日

発送電分離のスケジュールについて

  東日本大震災直後に一次大きな議論となっていた発送電分離案について今どうなっているのかとさらっと検索かけたところ、以下の記事がヒットしました。

発送電分離で激変する電力事業の“経営”、求められる視点とは(スマートジャパン)

 自分もチェックしそびれていましたが一応法整備などは済んでおり、2020年から実施される予定だったようです。忘れていたこともさることながら、この方面の情報を見逃していたのは個人的に反省点です。
 なお上記の記事ではNECが早くも送電事業参入に意欲を見せているとのことですが、不謹慎なことを言えば2020年までNECが生き残っているのかの方が正直不安です。

 当時の記事にも書いていますが、発送電分離について私としては大賛成です。元々、中国では既に発送電分離が実現していて生活面で見慣れていることもありますが、市場に緊張感を持たせてサービスの質を高める上では発電と送電を分けることはプラスでしょう。本音を言えば大量に税金を使ってでもこの際、東西で異なる商用電源周波数も統一させるべきだとも思うのですが、今の日本では体力的にも難しいでしょう。
 それにしても処理しなくてもいいどうでもいい問題は率先してやるが、難題はともかく先送りにするというのを日本は国ぐるみでやってくるのがいろいろと……。

 ついでにもう一つ、最近日本で生活していないので実態いまいちつかめないのですがあの後結局普及したのかよくわからないものとして、スマートメーターがあります。現在、中国では決して誇張ではなく電気やガス代といった公共料金は携帯電話で支払うのが割と前から主流となっており、そういうのを見ていてもスマホとスマートメーターは相性がいいと思うし何より検針員の人件費を丸ごと浮かせられるのであれば全力で普及すべきだと考えています。
 検針員に関してはついこの前にも、驚異の3995万円という請求が起きる事件もあったそうです。っていうかこの検針した新人、仕事なめすぎだろ。

 さっきから日本にいないと言い訳はしてはいますが、外から見る限りではこのスマートメーターはあまり普及していないのが実態なのではないかと思います。また東芝も自信満々で買ったスマートメーター世界大手のランティス・ギアを結局売却してますし、こちらは掛け声倒れで終わったような気がします。
 先ほど中国では公共料金の支払いは全部スマホでやると書きましたが、なんとなく社会全体でのスマホの活用で日本は青写真を描けていないというか、描ける人間が中枢にいないようにも感じます。中には「そうしたことは中国だからできる」という人もいるかもしれませんが、中国の方が人口も国土も大きい上に厄介な人間も多いことを考えると、必ずしもそうとは言えないんじゃないかなと言う気がします。

2018年4月19日木曜日

スルガ銀行の不遜すぎる態度について

アイドルマスター「隣に…」 全員分(ニコニコ動画)

 この記事書こうと思っていた矢先に上記の動画を見てしまい作業が遅延しました。それにしても「キツ過ぎる坂道」と言われるこの曲ですが、こんな半端なく難しそうな曲を仕事とはいえ歌わされる声優はたまったもんじゃないでしょう。ただ同じ曲をいろんな人間が歌うのを見るって案外面白いものです。

金融庁、スルガ銀行に立ち入り検査 シェアハウス破綻で=関係筋(ダイヤモンド/ロイター)

 であるからして本題ですが、以前にスマートデイズの「かぼちゃの馬車」こと女性向けシェアハウス投資実質詐欺問題についてスルガ銀行を足利銀行に重ねつつ取り上げましたが、金融庁も事態を重く見ているのかスルガ銀行への検査を強めているとの報道が出ています。こうした国の指導、是正措置自体は適切な対応だと思うのですが、私が疑問に思うのは当事者であるスルガ銀行の態度で、見出しにも掲げた通りに不遜もいいところだと考えています。

お知らせ(スルガ銀行)

 何故このように感じたのかというと、上記の一般向け情報公開(プレスリリース)で金融庁の検査やスマートデイズ関連報道について何一つ触れていないからです。

 普通、と言っては何ですが、不正や疑惑絡みの報道があった会社ならば、「報道されている内容は当社とは一切関係がありません」、「決定した事実はありません」などと無関係を主張したり、捜査関連などでは「捜査を受けているのは事実で、全面的に協力しています」、「続報があり次第発表いたします」などといったプレスリリースを出すものだと私は考えており、実際にその手の報道が出てくれば関連する企業のサイトいってプレスリリースをよく眺めたりしています。メディアの報道より面白いこと多いし。
 なのですが、今回のこの一件についてスルガ銀行はリリースなどでは一切触れておらず、事件規模の大きさと関連度合いから考えて、当事者意識がないのかと正直疑うレベルです。それどころか、

【重要】取引規定の変更について(スルガ銀行)

 上記リリースは取引規定の変更を発表したものですが、一部金融商品について以下のように規定を変更すると書かれてあります。

『収入を証明する書類の提出等
1.借主は、銀行が定期的にまたは必要と判断し、提出の依頼をしたときには、銀行が適当と認める借主の収入等を証明する書類(銀行が必要と判断するときは、配偶者の収入等を証明する書類を含みます。以下、収入証明書類といいます。)を速やかに銀行が指定する方法により銀行に提出するものとします。また、銀行から借主の収入等に関する照会があったときは、借主は、これに回答するものとします。

2.第1項の収入等に関する調査の結果により、または借主がこれらの調査に応じないときには、銀行は、利用限度額を減額あるいは新たな貸付を中止することがあります。銀行が、利用限度額を減額、あるいは新たな貸越を中止したときでも、銀行は、極度額の変更ならびに新たな貸越の中止に関する通知・案内等は原則として行なわず、借主は、別途、所定の方法により随時、借主の極度額等の確認を行なうこととします。

3.銀行は、第1項により提出された収入証明書類について、原則として返却いたしません。』

 対象となる商品は自動貸越サービス、パッと見る限りだとキャッシングのようですが、下線部の内容を読んで強い疑問を覚えました。というのも、問題となっている「かぼちゃの馬車」事件では収入・資産証明書類の改竄が行われ、ずさんな審査で貸付が行われていたと報じられており、現時点でこの件に関してはほぼ事実だったろうと考えられます。上記の規定変更対象商品に「かぼちゃの馬車」に絡む貸付が含まれるかはともかく、自分たちの審査が杜撰であるくせに後から審査し直して内容が駄目だったら取引を中止すると言っているようにしか見えず、一読して「お前ら今の自分らの立場わかってんのか?」という感想を覚えました。
 っていうか、このタイミングでこんな内容出すって本気?

中古マンション投資でも不正続発 スルガ銀融資に絡み(朝日新聞)

 以前に書いた記事でも、「(かぼちゃの馬車の)問題が出てくる辺り、闇はもっと深いだろうから他にも何かやってるだろう」と私は主張しましたが、やや自慢めいた言い方に聞こえるかもしれませんがやはりそのようだとうかがわせる報道も出てきました。そしてこの報道に対しても、スルガ銀行は何もリリースを出していません。

 自分の経験から言えば、金融業は内部で不正が起こりやすい業種なだけにリスクに対する規定が細かく、外部への報道発表など割としっかりしているところが多いのですが、スルガ銀行に関しては上記にもある通り当事者意識が欠けているように思えるところがあり、はっきり言えば不謹慎とも感じる面が多いです。まだまだ探れば出てくるかもしれません。

2018年4月18日水曜日

頭の回転を高めるというか特徴

「頭の回転が速い人」になるための3つの方法(東洋経済)

 無駄に残業したのにあまり疲労感を感じないやや危険な状態なのでてってて書きますが、上の記事を読んだうえで頭の回転を高めるというか回転が速い人の特徴として、どれだけ長く長考できるかではないかと考えています。

 長考とは文字通りに、何かについてどれだけ時間をかけて考え続けられるかです。ある意味将棋や碁などに通じるかもしれませんが、一つの事柄に対してどれだけパターンを想定した上でどのパターンが選択肢としてベストなのかを延々と時間が許す限り比較するとして、5分で終わる人と3時間も考え続けられる人では後者の方が頭の回転が速いと断言します。基本的にパターンをどれだけ考え、用意できるかは即座の対応や反応に直結し、尚且つ将来予測においても強いのは言うまでもないでしょう。
 そのパターンをどれだけ作れるか。結局これはどれだけ長考できるかにかかってきて、何分で何パターン作れるかという実時間での速さはあまり影響しないと思います。長考できるというのはそれだけ集中力を保てるともいえ、これまで私が見てきた限りではこうしたタイプほど頭の回転が速い人が多かったです。

 その上でもう一つ、頭の回転が速い人の特徴を述べると、思考中に言語化の過程をすっ飛ばせる、それも意識的にやれる人が当てはまります。理屈や予想を組み立てる過程でいちいち文字や言葉、イメージを介さずに原因と結果のパターンだけを取り出してこれるというような人ですが、一歩間違えればシャーマンのように突然意見を出してきたりします。
 まぁ私に言わせれば、世の中の事象は原因→結果ではなくむしろ、結果→原因のように、結果に対してあとから理由が付けられるという事象の方が実は多いに過ぎないので、過程のない結論というのは決して間違ってはいないとは思いますが。

2018年4月17日火曜日

ブラック企業大賞について

 結論から書くと、ブラック企業大賞の集計及び発表は全くその意味を持たないと思うので早くにやめるべきではないかと私は思います。

ブラック企業大賞

 ブラック企業た問題となり始めた数年前より毎年ネット上で、その年で最も過剰労働やパワハラの激しい会社を決めるのがこのブラック企業大賞ですが、その存在意義に関しては疑問を通り越してもはや言いようのないしょうもなさを覚えています。問題点は複数あり、列挙すると以下の通りです。

1、問題となる労働行為が受賞年に発生したとは限らない
2、何を持って大賞となるのか違法の軽重基準がない
3、どの年もメディアに大きく報道された企業が受賞している

 一つ一つ解説するとまず1について言うと、違法な労働はどこも長年にわたり続いてきていたというケースが多く、それが槍玉に挙げられるのは発覚したせいだからです。逆を言えば発覚年にブラック企業大賞に選ばれ、過去の自殺やパワハラなど違法な行為について実現期間と受賞期間が食い違っていることが多く、極端な話10年くらい前の話でも急に話題になれば受賞する可能性があるでしょう。
 これによって想定されるケースとして、過去に一度受賞していながらその後も改善されない企業はその後も受賞するのかという懸念があり、多分一回取り上げられた企業は改善の有無にかかわらずその後は取り上げられないでしょう。果たしてそれでいいのか、公共への周知の面や社会牽制の観点からすると疑問です。

 次に2については説明するまでもありません。違法な労働行為は会社ごとに千差万別で、何をもって一番ひどいかは決めるのは困難でしょう。それでもいくつか評価基準、被害者数、期間、社内か社外か、問題行為に差別があるのかなど分野ごとに大まかでもいいから基準なりポイントでもあればいいのですが見る限りそんなものはなく、独自の分析や考察なんかも見えず、なんとなく敢えて言えば雰囲気で受賞企業を選んでいるようにしか見えません。

 その雰囲気こそが3で、以前電通が受賞したように結局は報道の大きさで受賞企業が決まって閉まっているとしか思えないところがあります。だから私はむしろ、「ブラック企業報道大賞」とこの際名前を変えた方がいいように思え、その年に一番報道されたブラック企業を選ぶ賞であれば基準も明確だし、その表彰の無意味さもはっきりするだけに良いのではないかと思います。
 言わなくてもいいことですが、本来こうした槍玉に挙げる表彰というのは先にも書いたように公共への周知と社会牽制という意味で考えるべきです。しかしすでに社会で大きく報道されている企業をいちいち「ここはブラック企業だ!」と発表しても果たしてその効果があるのかといえばほとんどなく、なんとなくですが年を追うごとにこのブラック企業大賞も社会の関心が薄れてきているような気がします。

 むしろそれだったら、ほとんど誰も知らないけどこんなひどい会社があったなどとマイナーなブラック企業を取り上げる方が価値があるように思え、また一度受賞、認定された企業は文字通りブラック企業リストみたいなもので常に公開し、労働環境の改善や是正があるまで批判し続けるというスタンスの方が社会牽制上で意味がある気がします。なんなら、その企業と取引のある会社もばーって載せてもいいんだし。

 最後に、これは別記事にしてもいいのですが、これまでのブラック企業の話題で語られるのは「社内に対する劣悪さ」だけでしたが、そろそろ「社外に対する劣悪さ」という観点でのブラック企業をもっと取り上げて、批判していくべきだと思います。真面目になんでこの手の議論が出てこないのかいつも不思議に思っていますが、やっぱ日本は目線が内側に行きやすいのかなと密かに見ています。